風紀委員長中井永子
シチュエーション


桜舞い散る春、新しいクラス編成が発表された日。
受験に向かい、例年ならば成績別に分けられたクラスが発表され、受験生として近いレベルの同級生と切磋琢磨していくためのその編成が、おかしなことになっていた。

「え・・・?」

成績では学年で常に上位10位以内であり、運動神経も良く、去年の秋から風紀委員長として学内の綱紀を改め・・・
教師にも信頼されている優等生の委員長像を絵に描いたような中井永子は、そのクラス編成の表を既に10分は眺めている。
例年のことであれば、AからIまでの9クラスを成績に準拠した並びで編成されているはずであるが、永子の名前はAクラスはおろか、Bクラス、Cクラスにすら見当たらない。
Aクラスの名簿を見ると、永子としのぎを削りあっている成績上位の人物はほぼ全員いて、それには及ばないものの、成績上位者として知られる面々は大体が漏らすことなく列挙されている。
永子の知る限り、上位30名に常にいる人物で、ここから漏れているのは4人ほど、うち2人はB、Dに納まっている。
そして、永子以外のもう一人は、成績こそ非常に良いが、素行に大きな問題があり、上位クラスから漏れたのは納得が出来る部分もある。
しかし、永子自身には落ち度は無いはずだ。自他共に認める品行方正な彼女には、原因は何一つ考えられなかった。
あまりに呆けて、自分の名前を他から探す気にもなれない時間が過ぎ、確認を終えた生徒たちが次々と新しいクラスへ向かう中、永子に向かって話しかける人物がいた。

「風紀委員長さんよ、いつまでもそこにボケッと突っ立ってても、そんなところにオマエの名前はねぇーから」

下品な言葉遣いで話しかける声を聞き、我に返ったように振り向くと、そこに立っていたのは3人の取り巻きを連れた、学内でも素行不良で有名な生徒、東大寺美絵だ。
規律正しいこの学園で、彼女のような存在はかなり奇特であり、それだけに非常に目立つ。
校則違反は当たり前で、教師の言うことも聞かず、授業はサボり、タバコも吸っている。取り巻きの女たちも、同じようなものだ。
ただ、彼女たちは、美絵の言うことには従い、一人では何も出来ないところが、大きな違いではあった。
この美絵は勿論カタブツの永子とはソリも合う筈がなく、風紀委員長として常に指導、マークすべき存在であり、天敵でもあった。
それだけではない。
この東大寺美絵、成績は抜群に良かった。
授業は寝ているかサボっているかどちらかだというのに、永子よりも成績が悪かったことが一度も無い。それどころか、トップを取ったことさえある。
運動神経もケンカで鍛えているのかすこぶるよく、やはりサボり気味の体育にたまに思い出したように授業に出ては、一人だけ違うレベルの身体能力を発揮している。
それが、永子には更に気に入らないところだった。
こんな不良女が、自分よりも能力が上だとは認めたくない、認められない。

「東大寺さん・・・あなた、3年になっても、そんな格好のまま登校して来るなんて、この学園の最上級生としての品位と自覚に欠けているんじゃありませんか?」

さっきまで呆気に取られた表情のまま固まっていた姿から、風紀委員長としての姿を取り戻し、彼女の言葉には意にも解さないようにして美絵をなじる。
しかし、絵美や取り巻きはそれを聞くと、大声で笑い始めた。

「アハハハハハ!あーーーーおかしい!真面目ぶっちゃってさ!!」

取り巻きの一人が馬鹿にしたように永子を指差す。それは、永子のプライドを刺激するには充分だった。

「何がおかしいのですか!」
「いやいや、おかしい、あーおかしい。」
「だってよ、アタイらのクラスメイトになるやつなのに、未だに委員長ぶってるとかさ、マジアリエネーだろ!」

永子は耳を疑う。

「ちょっと・・・私があなたたちと同じ・・・クラス?」

目を丸くする永子の様子がそんなにおかしいのか、4人はまた大声を張り上げて笑う。

「マジでしらねーのかよ!ウケルんだけどー!」
「オメーも委員長面して、陰で何やってっかわかったもんじゃねーんじゃねーの?」

見る見るうちに、永子の顔が青ざめていき、その手から通学用の鞄が落ちる。
既に、永子にはヤンキー女たちの癇に障るような下品な笑い声など耳には入っていない。頭の中には、何故、どうして自分が、という疑問符で埋め尽くされていた。

「ま、とりあえず一年ヨロシクな・・・委員長サン」

ポン、と肩に置かれた手を振り払う気力もなく、始業のベルが鳴るまで、永子は呆然とその場に立ち尽くしていたのだった。

HRが終わり、まず永子が取った行動は、担任の教師に食いつくことだった。

「先生!納得できません、どうして私がこのクラスなんですか!」

3年次のクラス編成は成績順に行われるのは特にそういう方針や決まりではないが、半ば公然とした事実でもあった。
永子のような優等生の例外は、今まで聞いたことも見たことも無い。

「どうしてもといわれても・・・」

新任の気が弱そうな女教師は、その剣幕に非常に困った表情を浮かべている。
新任の教師のだけに、そういった事情には疎い。

「もういいです、主任のところに文句を言いにいきます!」

しかし、主任も答えられないの一点張り。歴代のクラス編成の話をしてみても、学校側は意図していないとしか返答が無い。
あまりにしつこく迫るので、周りの教師たちも呆れ顔になっている。
埒が明かないので校長のところへ行こうとすると、逆に主任に叱られることになった。
クラス編成は教師の総意で行われたもので、一人の生徒のわがままで変更できない、校長のところへ行った所で変更は無い、邪魔をしにいくな、終いには気に入らないなら辞めろとまでいわれることになった。
泣きそうな気持ちで職員室から出ると、そこには一番見たくない顔があった。
東大寺美絵だ。

「ダッセェ・・・」

一言だけ言い放って、入れ違いに職員室へと入る美絵。
その一言が、永子の様々な感情を沸き立てる。

悲しさ、悔しさ、嫉妬、恥ずかしさ、不甲斐なさ、怒り、嘆き・・・

それらがどうしようもないほどに一気に噴出し、知らないうちに廊下を走り出していた。

廊下は走るな。
常日頃、指導する側であった永子が、我知らず、指導される側へと。

何人かすれ違う生徒たちが、不思議な目で永子の事を見たが、彼女にはそれに気がつく余裕がない。
教室の前まで着くと、急に熱していた気持ちが冷めていく。そうすると、今の自分の行為を振り返る余裕も出来てくる。
その余裕が、永子を更に苦しめる。
廊下を走ることは取り締まるべき事項であり、その取り締まるべき最たる自分が、我を忘れていたとはいえ、破ってしまっていたのだ。
ハッとしたように後ろを振り返ると、こちらを見ている生徒が数人いるように見えた。
その目には怪訝の色が浮かんでいて、そして自分を責めるような目だ。
そう、永子には見えた。
たった一度の違反とはいえ、規範となるべき存在が、それを破れば途端に説得力を失う。
2年、重ねてきたものが、たった一度の行為で崩れ去る。
今まで頑なに守り続けていたものが、軽率な感情で崩れ去る音を、永子の耳は聞いていた。
実際人間は誰でも大小の違反は犯すもので、廊下を走るなどは本来そこまで責められるものには値しないことだ。
すれ違った生徒たちも、実際のところは珍しいものを見た程度の認知でしかなかったろう。
だが、永子は違う。
そういった生き方をしてこなかった。ひたすらに自らを律し続け、それが当たり前であり、遵守されるべきことであり、絶対の事柄だったのだ。
新しい、だが絶望のクラス編成。
自分の戒律を自ら破った過ち。
この1時間程度で、永子は既に様々な絶望と後悔に苛まされていたのだった。

案の定、新しいクラスで永子は完全に孤立していた。
元々永子は人付き合いは得意なほうではない。
人と付き合っても、どうしても自分の常識の型に嵌めてしまいがちになるのだ。
友達といえる存在は、ほとんどいない。
流石にその自覚はあるので、あまり表には出さないようには気をつけてはいたが、だからこそ人との関わりは永子を疲れさせるものであった。
更にこのクラスは、Iクラス、つまり学年での最下層クラスであり、素行に問題がある生徒、コミュニケーションに問題がある生徒ばかりが集まっている。
後者に永子が含まれていたのを本人は知る由はないのだが・・・
つまり、問題児を集めた掃き溜めのようなクラスなのだ。

「あーかったりぃー」
「次数学だっけ?めんどくせー、サボんね?」
「あーいーね。屋上でタバコでも吸ってくるか?」

クラスで交わされる会話の多くは、永子には看過できない内容の事が多かったが、最初のうちはいちいち注意をしていたものの、1ヶ月も経つうちに所詮ぬかに釘であることを悟った。
そもそも、永子が注意してすぐ直す類の人物であれば、ここまで堕ちることなどなかったのだ。
一ヶ月も経てば、永子がIクラスにいることも大分伝わる。
そのせいか、風紀委員長としての彼女の立場も、現状かなり微妙なものになっており、何処となく委員会でも敬遠されている、というより疎外されている感が気のせいではなく感じられる。
自身の無力感や喪失感に囚われ、虚ろな気持ちのまま望んだ定期考査は、案の定ボロボロであった。
美絵は相変わらずトップクラスでありながら、その素行は変わる事は無い。むしろ、永子が積極的に彼女を指導しなくなってから、更に調子に乗ったかのようだ。
既に美絵には永子は眼中にないかのように振舞う。
不思議なことに、それが一番、永子には悔しかった。
美絵に自分の存在を認めさせてやりたい。テストの成績で大きく水を開けられ、風紀委員長としての肩書きも最早形骸化した永子など、美絵が気にする価値もないのだろうか。
テストが終わると、永子はそんなことを考え始めていた。
クラス編成の時には、クラスメイトとしてヨロシク、なんて言っておいて、実際には永子のことをいないかのように振舞う。
美絵に、自分を認めさせたい。
日に日に、その思いは募っていく。
知らずに、永子の目は自然と美絵の姿を捉える。その姿を追う。
ある種恋慕にも似たような執着が、空虚になっていた永子の心を侵食していく。


そんなある日。

エスケープは日常茶飯事だが、登校は欠かさずしていた美絵が、朝から姿を見せなかった。
取り巻きが話しているのを遠巻きに聞いたところ、なにやら重い風邪にかかったらしい。
美絵のいない一日は、何やら永子には色褪せたようなものに感じられ、ため息も多く出た。
外は雨。もう、梅雨の足音が聞こえる時期だ。雲に覆われ、モノトーンの外の景色も、色彩鮮やかなはずの教室の中も、今日の永子には同じモノに見える。
本来美絵の座っているべき席は、座るべき主を失いぽつんと孤独に佇んでいる。
似ている、と美絵は思った。何に似ているかは、考えず。
そのまま、放課後になった。
雨はまだ降り続いている。傘は持ってきていたが、何故か直ぐに帰る気にならず、天気と同様、永子の気持ちも重い曇天模様。
教室に留まるのもいたたまれなく、かといって数少ない友人を訪ねてAクラスの方面まで行く気もない。
真っ直ぐな廊下なのに、とても、Aクラスが遠い。
階段を降り、行くアテもなく校舎をさ迷い歩いていると、窓の外の薄暗い景色の中、木の葉が雨よけになっているのか、校舎裏の木の下でタバコを吸っている数人の生徒が見える。
そこは永子が今までノーチェックだった場所で、この窓以外からはほぼ死角となっている。そもそもこの廊下は普段人通りが少なく、窓も微妙な位置にあるので気がつきにくかったのだろう。
風紀委員長として現在実質的な活動が出来ていない彼女だったが、見てみぬ振りは出来ない。
クラスメイトの会話程度ならそこで行動を実際しているわけではない以上スルー出来るが、見えたものは流石に注意しなくてはならない。

「あなたたち、タバコはやめなさい!」

男子生徒3人に、女子生徒2人の不良集団のようだ。
風紀委員としての気概をここ数ヶ月で大いに殺がれていた永子は一瞬臆しそうになったが、怯む自分を奮起させる。
不良生徒たちは永子を睨みつけてくるが、彼女の風紀委員長としての存在を知っているのか、チッ、と舌打ちをし、吸い込んだタバコの煙を思いっきり永子に吹きつけたっきり、タバコをポイ捨てして去っていった。
タバコのポイ捨てされた吸殻を拾い集めていると、誰かが落としたのだろう、多くの吸われていないタバコが入ったままの箱が目に留まった。

「これ・・・」

普段タバコの銘柄など気にしないで捨てるだけの永子だが、このタバコの銘柄は覚えていた。
美絵の吸うタバコの銘柄だ。

「東大寺さんも、このタバコを吸ってるのよね・・・」

何故だか永子はその拾ったタバコを捨てる気にはなれず、そのまま誰にも見つからないように鞄に入れた。
雨はいつの間にか小降りになっていた。

先日注意した時は気にしなかったが、あの集団は2年生だったようだ。
相変わらずタバコは鞄の中にある。
タバコの入った鞄を抱えながら、校内を歩いていると、先日の集団が2年の教室へ向かうのが見えたのだ。
別にこの時は気に留めることではなかったが、その放課後、永子は彼らの衝撃的な光景を見ることとなった。
教師の頼まれごとで、放課後滅多に立ち入らない美術室方面に足を運ぶと、教室の中から何か呻く様な声が聞こえてきた。
少し開いていたドアから恐る恐る覗いてみると・・・

「あんっ、あああ、あんっ、いいっ、いいの!」

半裸になった男子生徒と女子生徒が、馬鍬っている。
知識としては、年頃の女子である永子も当然理解していた。
だが、実際に見るのは初めてだ。
責められている女子生徒は涎や涙を流し、口からは舌がだらしなく伸び、だがとても陶酔したような恍惚を浮かべているのが辛うじて見える。
目を離さなければ。見てはいけない。
そう頭では理解しても、体はそこを動かない。目は完全に二人の様子に釘付けになっている。
聞こえてくる声も、どことなく喜悦の色が浮かんでいるように聞こえる。
止めなければ。校内での如何わしい行為、不純異性交遊は許されない。
しかし、声が出ない。

「イ、イクぅぅぅぅぅ!!」
「お、俺も・・・イクっ・・・!」

一際大きな嬌声が、人気の無い放課後の教室に轟く。まさか、この二人も今目撃者がいたとは思っていないだろう。
果てた様子を見ると、金縛りが解けたかのように永子の体が動いた。
ガタン、と近くにあった何かに触れる音が響く。
気づかれた、と思う前に永子は全力でその場を走り去った。
女生徒のあの性行為中の表情、声、そして艶かしく動く身体・・・
頭から離そうとしても、直ぐには離れない。
そのまま、全力で家に帰ったが、その晩はよく眠れなかった。
どうしても、別なことを考えようとしても、あの光景が頭に染み付いたように離れてくれない。
あの二人は先日注意した2年生の不良生徒たちだったのは間違いない。
そういえば、クラスメイトたちも、そういういかがわしい話をしているのを聞いたことがある。

ならば・・・美絵は?美絵はどうなのだろうか?
あの勝気なヤンキー女も、男の前ではあんな風に腰を振って、興奮しているのだろうか。
それを思い浮かべた途端、永子の身体が熱くなった。
好き勝手に振る舞い、淫らな行為をし、しかし自分よりなんでも出来る美絵。

股が、股間が更に熱を帯びてくる。まるで、触ってほしいと主張しているように。
永子は知っている。オナニーという行為がどういうものであるか。だがそれは、彼女にとって唾棄すべき破廉恥極まりない行為であり、己を律することが出来ない、弱者の行為であった。
だが、股間の疼きは止まらない。止めようと意識すればするほど逆効果的に意識せざるを得なくなり、半ば無意識に手が伸びる。

「ひゃう!」

少し指が触れた程度だった。
だが、それでも永子の体には電撃が走ったように、全身を震わせるほどの刺激が一瞬にして駆け巡った。

「あ・・・ああ・・・」

ダメだコレ以上は、そう思っても、本能がその指の動きを止めることをしない。次は、もう少し強く。

「あんっ!!」

ビクン、と全身が跳ね上がる。

「ちょ・・・ちょっとくらい、これ一回だけだから・・・もうちょっと・・・」

更に指を走らせる。
先ほどの微弱な電流から、バチン、と何かが弾けるほどの電流へ今度は変化していた。
ここまでくれば、もう、止められない。止まらない。

「あんっ、あんっ・・・あああああああ!」

徐々にその指は加速していき、強く押し付け、激しく陰部を擦り付ける。
身体を巡る電流は加速度的に強くなり、毒入りの高圧電流のような痺れを伴って、永子の精神をも麻痺させて行く。

「こ、これ、すごっ、すごいっ!すごすごるううううう!」

一際強い電流が走り、脳がショートしたかのようにスパークする。目の前が真っ白になり、何処か知らない世界へ自分が飛んでいくかのような陶酔感。

「い、イっちゃううううう!!」

そして弾けた。
後に残ったのは、半開きの目で涎をたらす永子の姿と、盛大に出た潮の染み。
暫くは何も考えられず、永子はその余韻に浸っていた。
その後に押し寄せる激しい後悔を、今は知らずに。

かつてない自己嫌悪に襲われた朝、登校をするとここ数日姿を見せていなかった美絵の姿があった。
風邪で休んでいたらしいが、髪の毛の色が金髪だったのがオレンジ色に染めなおされている。どちらにしても校則違反ではあるのだが、美絵の髪を綺麗だな、と永子は思った。
美絵は永子を一瞥したが、興味もないように直ぐに目を背け、取り巻きと談笑を続ける。
物凄い怒りが永子に押し寄せ、自己嫌悪を押し流してしまう。
美絵の中に、永子の存在価値はないのだ。そう思うと、自然と美絵の前に足が進む。

「東大寺さん、風邪はその様子じゃ大丈夫みたいね・・・尤も、こんな頭にしてくるくらいだから、はじめから仮病かも知れなかったけど?」

努めて冷静に、だが出来るだけ挑発じみたように永子は言った。
しかし、美絵は意に介した様子もない。

「聞いているの東大寺さん!」

思わず声を荒げると、不機嫌そうに永子の方に視線を向ける。

「うるせーな、オマエに構ってる暇はねーんだよ」

そして、直ぐにまたそっぽを向く。永子には我慢がならなかった。

「こっちを見なさい、東大寺さん!」

思わず激昂し、美絵の肩口を掴んでしまう永子。しまった、と思ったときにはもう遅かった。

「ごちゃごちゃうぜーんだよ!」

バチン、と乾いた音が教室に木霊する。
振り向きざまに頬を打たれ、その勢いで尻餅をつく永子。それを冷たい目で見下ろす美絵。

「ホント、オマエ、ダセーな」

ペッ、と噛んでいたガムを永子に向かって吐き捨てると、美絵はそれっきり、永子の方を振り向かなかった。
尻餅をついたまま固まっていた永子を。
クラス中から押し殺した笑い声が聞こえる。
悔しさと、いたたまれなさと・・・そしてもう一つ、永子には解らない感情と。それらが永子を走らせた。
何処かに逃げたかった。一秒でも早く、一ミリでも遠く、美絵から離れてしまいたかった。
あの自分を見下ろす目、その目に浮かんでいた明らかな軽蔑の色。
何のつもりがあって、どういう気持ちで、美絵は自分の思っていたのか。

いや違う。
自分が、美絵を思っていたのか。
あの女に、自分を認めさせたかった。
自分の存在を、知らしめてやりたかった。

何故、そう思ったのか。
永子の思考がぐるぐる回る。

気がついたら、先日不良生徒たちを注意したあの裏庭のスモーキングスポットに来てしまっていた。
例によって、そこには先日と同じ5人の生徒たちがいて、タバコを吸っていた。
彼らは永子の姿を見て、チッ、と例によって舌打ちをしたのだが、どうやら様子が違うことを察する。
永子は俯いて、注意する様子もなく、ただそこにいて、何かを堪えているように肩を震わせていたのだった。

「お、おい、風紀委員長さんよ・・・?」

逆に不良たちが困惑する光景だった。
彼らが怪訝と戸惑いの表情を浮かべながら、おずおずと近づくと、かくん、と糸の切れた人形のように永子が座り込んだ。

「お、おい!」

流石にこれには慌てた不良の一人が素早く駆け寄ると、永子は彼の顔を色の無い表情のまま少し見つめて、そして・・・

「う・・・ううっ・・・うわぁぁぁぁぁ!」

見る見るうちに顔が歪み、大声で泣き出したのだ。
不良たちのうちの一人に身体をあずけ、泣きじゃくる永子を彼らは黙って見守りながら佇んでいることしか、今は出来なかったのだった。

この日、初めて永子はサボりというものをした。
泣き続けて10分。HRは既に始まっている。
だが、泣き終えた永子は、教室へ戻る気はなかった。
少し落ち着きを取り戻した永子は、戸惑っている表情の不良後輩たちに、ごめんね、とまず謝る。

「あ、いや、急なことでちょっと面食らっただけで・・・」

普段は悪ぶっていても、こういうときは素が出るらしい、永子に胸を貸していた後輩は照れたように頭をかいた。
それが、永子には妙におかしかった。だから、少し笑えた。
いつも通りならただ注意して、睨まれるだけの関係。だが、こういう不良たちも今のように照れたり笑ったりもするのだ。
それが何か、永子には新鮮な感じがした。そういえば、美絵も談笑している時は凄く楽しそうで。

「それよりも、いつも強気な風紀委員長サマが、一体全体どうしてこんな?」

困惑したように尋ねてきたのは、確か先日美術室で見かけたペアの片割れだ。短く刈り込まれた短髪が、金色に光っている。

「よく・・・わからないの。何か急に悲しくなって、気がついたらここに来てた。」
「ふーん。あの鬼の風紀委員長でも、そういうことがあるのねぇ」
「おい、オマエ、一応先輩なんだからもう少し・・・」
「あ、いや、いいのよ。気にしないで。失礼はお互い様だし・・・ね?」
「あ、ハイ、すいませんッス。」

その言い方が体育会系の男子っぽくて、それもまた永子には可笑しかった。
今、永子は妙に気持ちが落ち着いている。泣きはらして、少しさっぱりしたのだろうか。
まだ心の奥底にくすぶっている何かはあるが、今のところそれが噴出する気配は無い。

「あ、そうだ。あなたたち、先日私に注意された時、タバコを落としていった人いないかしら」

鞄をそのまま持ってきていたことを思い出し、連鎖的に鞄の中のタバコの事を思い出す。

「あ、それ、多分自分のです」

先日までの美絵のような金髪をした女生徒が答える。
よく見るとどことなく、その雰囲気は美絵に似ていて、少し心がざわついた。

「しかし、なんでまた持ってたんです?普段なら直ぐ捨ててるんじゃ?」
「まさか、風紀委員長様がタバコに興味があったりとか・・・」
「違うわよ。何か、クラスメイトが良く吸ってる銘柄だから、なんとなくそのまま持っててね・・・」
「まさか、好きな男ですか!真面目な委員長が、不良の男に恋をする・・・ケータイ小説の話にありがちじゃないっすか」
「残念ね、男じゃないのよ。女子よ女子」
「あ、もしかして、それミエ先輩じゃないっすか?」
「え、知ってるの?」
「勿論っスよ、アタシはあの人に憧れてて、そのタバコ吸ってますもん。髪とかメイクとかも真似てるんっスけど、やっぱかなわねーもんなぁ・・・」
「ああ、通りで東大寺さんと少し雰囲気が似てると思った。」
「マジっスか!そう言われたのあんまないんで、自分めっちゃ嬉しいっス!」

思わず会話が弾んでしまう。
ここまで一続きに、それも積極的に他人と談笑しているのは永子には珍しいことだった。
確かに不良だし、格好も校則に則ったものではないが、それでもこう話す分には、彼らは普通の後輩たちのようにも思える。

「あ」

男の一人が間抜けな声を上げる。
何事かと思ったら、ごく自然な動作でタバコに火をつけていた男子生徒がいたのだった。永子が先ほど胸を借りていた後輩である。
鬼と言われる風紀委員長の目の前で。幾ら多少の気安さが生じていたとはいえ、本来なら怒鳴られるところである。
が。

「別にいいわよ。私は今本来ここに居ない人だし、借りもあるし・・・」

気まずそうに火を消そうとした男子生徒が面食らった表情になる。
まさか、永子の口からそんな言葉が出るとは思わなかったのだろう。

「ただ・・・未成年の喫煙はほどほどに、ね?」

しっかりと、釘は刺す。

「・・・ハイ。」

素直に頷く彼を、少し永子は、可愛いと思った。

それから、永子と彼らは頻繁に会うようになった。
登校時、昼休み、放課後。少し時間が空いたときにその場所へ赴き、彼らと談笑を交わす。
最初こそ遠慮していたが、段々気安くなるにつれ、彼らは永子がいてもタバコを平然と吸うようになった。
永子もそれを咎める事はしない。

「じゃあ、エーコ先輩は、今委員会でも立場がビミョーってことっすか」
「そーなのよね。今学校で居場所があるとしたら、ここくらいじゃないのかな?」
「本来取り締まるべき俺らがいるココっすか?」
「いーのよ。ここは私たちの秘密の場所ってことで、無礼講よ無礼講」

永子にとって、彼らの見てくれや素行が悪くても、気安く話が出来る大事な友人たち・・・そう、友人と認められる存在なのだ。
細かいことを気にして、それを損なうことなんて出来ないのだ。
やっと、永子にはそう思うことが出来た。
彼らと交流するようになってから、美絵に対してあれほど持っていた感情も無くなったわけではないが、大分落ち着いている。
最早、彼らは永子には不可欠な存在となりつつあるのだ。

「さて、次の授業始まるわ。んじゃ、また後でね」

教室に戻ると、教室から出ようとする美絵とぶつかる。

「・・・っ!」

目が合った瞬間、永子は心臓を握りつぶされたように息苦しくなった。
今、確かに美絵の目に、永子の姿が入っている。
一瞬だったが、確かに美絵は永子を見ていた。
ぶつかった時に僅かにしたタバコの香り。
美絵はすぐに永子を無視し、去っていったが、その足元には美絵が落としたのだろう、タバコが一箱落ちていた。
よく、見覚えのある銘柄だ。

「これは・・・」

手が、素早く動いた。
廊下側の、永子にしか見えない位置に落ちていたタバコを素早く拾い、スカートのポケットの中にしまい込む。
何故そうしたかは、永子にも解らないものだった。
美絵は戻ってきた後何かを探しているようだったが、一瞬永子を見て、諦めたように席へ戻った。
ぶつかって落とした時に見つかって、そしていつものように処分されたのだろうと思ったのだろう。しかし実際は、今それは永子のポケットにある。
美絵の持っているものを奪い取った。
以前はそんなことを思わなかったが、今は何故かとても達成感を感じている。ドキドキして、興奮で胸が熱くなるのを感じる。
その興奮は収まらず、放課後後輩たちに挨拶だけして直ぐに帰宅し、オナニーを3回もした。
既に永子にはオナニーに対する嫌悪感はさほどなく、生理現象だと割り切り、指遊びに耽る。
美絵のモノを自分のものにした。そう思うと、身体の火照りが収まらない。
歪んだ征服欲が、徐々に永子の中で育っていった。

後輩たちの一人、キリコは美絵に憧れていて、同じ銘柄のタバコを吸う。
そのケムリの臭いは、あのぶつかった時に感じたタバコの臭いと同じものだ。

「・・・エーコ先輩、どうしたんっスか?」

知らず知らずのうちに、キリコを凝視してしまっていたようだ。
そのタバコって、美味しい?
そう思わず口に出しかけたが、恐らくキリコはそれを聞くと、自分に勧めてくるだろう。
タバコは未成年が吸うものではない。ここでは見てみぬ振りをしてはいるが、自分に対しての戒律として未だに永子の中では守られている。
だが。
その日、家に帰ると、机の引き出しを開け、あの日美絵から奪い取ったタバコを取り出す。
そして、あの臭いを思い出す。
タバコは吸ってはいけない。
だが、美絵のものを自分が「使う」ことは、彼女に対して優越することではないのだろうか。
これは美絵のものだ。それを、自分が美絵ではなく、自分が無断で使ってやる。
そう考えると、体の芯からぞくぞくと快感が押し寄せてくる。
一本タバコを取り出し、口に咥えて買ってきたライターで火をつけ、少し吸い込む。

「うっ・・・ゲボッ、ゲホッ!」

黒い塊のようなものが喉に押し込まれたような感覚に堪えきれず、永子は咽込んでしまう。
しかし、これを美味しいとか不味いとか、永子はそんなことを考えたりはしなかった。考えたのは一つだけ。

「東大寺さんは吸えるのに、私が吸えないとか・・・ありえない・・・!」

美絵に対する対抗心だった。
むせながら、一本吸い尽くす。

二本目。
三本目。

一箱吸い終わるころには、もう永子は咽ることなく、タバコのケムリを肺まで吸い込むことが出来る様になっていた。
そして、吸い尽くした残骸を見る。
永子に浮かんだのは禁を犯してしまった後悔と、それを払拭してしまうほどの、悦び。

「あは・・・あははは・・・あはははははは!」

美絵のタバコを、自分が吸い尽くした。
そう思うと、以前それを奪った時よりも強い興奮が体中を瞬く間に支配し、股間が疼いて仕方が無くなる。
思う存分にオナニーをし、気を失うほどに繰り返す。
身体の熱が引いた頃には、すっかりその興奮も冷め切ってしまっていた。

「・・・勉強を、しなきゃ・・・」

まだタバコの臭いが消えない部屋で、宿題を取り出し、最初はかなりはかどりはしたものの、30分も経たないうちに、徐々に集中力が途切れ、宿題が手につかなくなる。
それでも1時間ほどなんとかやっているうちに、タバコの臭いが気になり始め、何故か酷くイライラしてくる。
そのうち宿題も手につかなくなり、大きく深呼吸をする。
タバコの残り香を吸い込むと、若干、イライラが消えた気になる。
もう既にニコチン中毒になってしまっている己を自覚することが出来ず、とうとうイライラに耐えられないまま、宿題もそこそこに永子は寝てしまうことにした。

次の日になってもイライラは収まらないどころか、ますます激しくなっていた。
朝、いつものように校舎裏の場所へ行くと、まだ一人しかいないようだった。胸を貸してくれた後輩の、ショウ。
彼は一人でタバコを吸いながら空を見ていた様子で、永子の存在に気がついていない。
永子はそのショウの吸うタバコが、やけに美味しそうに見えた。

「おはよう、ショウ君」

そう思っている素振りを見せず、いつものように挨拶を交わす。
近くに寄ると、タバコの臭いがした。

「ねえ、ショウ君・・・」

ショウがもう一本タバコに火をつけようとするのを見て、永子は限界を迎えた。
思わず口走った一言。

「私に、そのタバコちょうだい」
「・・・えっ?」

答えるよりも早く、俊敏な動作でショウの持っていたタバコの箱から一本ひったくると、流れるような動作で火をつけ、大きく吸い込んだ。

ショウはその様子を呆気に取られたように見ていたが、永子にはどうでもよかった。タバコが欲しくてたまらなかったのだ。
瞬く間に一本吸い尽くし、フィルター近くまで迫っている火を消す。灰皿代わりに用意してある空き缶に吸殻を入れると、すっきりした表情でショウに向き直る永子。

「エーコ先輩、いつの間にタバコとか吸うようになったんっすか・・・」

風紀委員として、委員長として、常に厳しく取り締まってきた永子からは考えられない姿だった。
あまりに衝撃的すぎて。その変わりように。

「うん、昨日ね、ちょっとね・・・」
「昨日っすか・・・しかしまた、どうして?」

その問いに少し困った顔をして、永子は答えた。

「まぁ・・・話すと長くなるんだけどね。そのうち気持ちの整理が出来たら、話してあげるよ。」

そういってショウの目を見ると、恥ずかしそうにショウは目を背ける。

「い、いいっすよ、いつでも。そ、それに・・・」
「それに?」
「エーコ先輩の、タバコを吸う姿・・・すげぇ、カッコイイなって・・・」

ゴニョゴニョと聞き取りづらい声だったので、永子には正確に伝わらなかった。
しかし、大体の内容は彼の様子をみてわかる。耳まで真っ赤だ。

「ふふーん。なになに、もう一回言ってよ?」
「ちょ、エーコ先輩、ちょ、ちかっ、近いっす!」

ちょっと永子が迫ると、ショウはあたふたと逃げようとする。その様子が、とても可愛くていじらしい。そう永子は思う。

「だー、め!男の子なんでしょ、ビシッと言いなさいよ、ビシッと!」
「ちょ、先輩、キャラ違いすぎ・・・」

もう少しからかって遊ぼうとも思ったが、やってきた4つの人影の姿を認めると、それ以上永子は迫ることはしなかった。

「おはーっす」
「おはようみんな。」
「お前ら、聞いて驚け!エーコ先輩が、なんと、スモーカーになってしまわれたんだ!」
「おおー!」
「ショウ、良かったじゃねぇか。オマエ常々、先輩にタバコを吸わせてみた・・・」
「ストップストップ待て待て!それは言うんじゃねぇ!」
「え、何、なになに?」
「ああ、もう、エーコ先輩ももうそこ突っ込まないでくださいって!」

四人は特に永子がタバコを吸っても抵抗を示さなかった。むしろ、歓迎している様でもある。
どんな自分も受け入れてくれるんじゃないか、そう、永子は思い始めていた。

それから、永子はタバコの虜になった。
5人のうちの一人、エイジの兄がタスポを所持していて、普段はエイジがそれを使ってタバコを購入しているようだ。
永子もエイジにタバコの購入を頼むようになり、徐々にその本数も増えていった。
タバコを吸い始めて気がついたことの一つに、ニコチンを摂取した暫くの間は頭が冴え、勉強がはかどるのだ。切れるにつれ集中力が低下してくる。
いつしか、勉強には欠かせないアイテムの一つにもなってしまっていた。
親には何も言われていないが、頭を洗うとタバコ臭いのが自分でもわかる。
だが、もう辞められないのだ。
夏休み前の期末考査で、初めて美絵にテストで勝った。
美絵から奪ったタバコを吸ったことでタバコを覚え、そのお陰で美絵に勝つ。
爪の先までそのときの快感は行き渡り、それ以来ますます永子はタバコの量が増えた。
その時の興奮を思い出すだけで、毎日オナニーもできた。
そして夏休み前。
仲間達に、自分の気持ちを打ち明けた。
美絵にテストで勝ったことで、漸く自分の心の奥底を認められたのだ。
ずっと、美絵に抱いていた感情。その正体。

「・・・エーコ先輩も、ミエさんに憧れてたんっスね」

そうだったのだ。
自由奔放に振舞い、何からも自由な彼女が羨ましかった。
そのくせ、何でも出来る彼女が嫉ましかった。
だから、彼女に認めて欲しかったのだ。
それを理解できた時、永子の目の前に、新しい開けた道が出来たような錯覚を覚えた。
今までの自分とは違う道。憧れていた、美絵のような自由な道・・・
しかし、それは歪められたものだった。、自由な道は美絵そのものであり、美絵のような存在になりたいという願望は、美絵になりたい、という同化願望に変わっていた。
タバコを吸った時感じた感情は、美絵と同化できたという喜びと興奮であり、テストで勝つということは、美絵と自分を置き換えた、自らが自分の思う美絵になっていたということだった。
そして、この後輩たちとの付き合い、それも、取り巻きのいる美絵と似たような環境に身をおけることから来る、安心感。
永子にとって、美絵は全てだった。
恋愛だとか、そういうチャチな感情ではない。
だから、永子は美絵になる。
そして、その心に隠されたもう一つの、感情。
それが、征服欲。
美絵になり、そして美絵を支配する。
美絵が生み出した美絵が、オリジナルを超える。
それが、いつしか最終的な永子の望みとなっていたのだ。
そして、夏休み中、永子はショウと付き合うことになった。
ショウは可愛い弟分ではあったが、彼氏としては考えてなかった永子に、ショウが告白をしたのだ。

記念に、お揃いのピアスを空けた。
セックスをするようになったのは、付き合い始めて直ぐのことだった。
始めこそ痛かったものの、徐々に慣れるにつれ感じ始める快楽に瞬く間に永子は溺れた。
ショウたちとつるんで、色々なところへ遊びに出かけた。
深夜のクラブ、バー・・・悪い仲間も増えた。
永子がその間に知ったことの一つに、美絵の彼氏の話と、それによって今美絵が若干仲間内で浮いているということだった。
美絵の彼氏は仲間内では評判が悪い男で、そのことで、美絵も若干省かれている節があるということ。
直ぐに、永子はその美絵の元々いたポジションに収まった。
ショウは、段々と感化されていく永子にますますほれ込む。元々、彼は派手な女が好きなのだ。永子が派手になることは、ショウにとっても喜ばしいことであったのだ。
夏休みが終わる頃には、既に、永子は以前とは全く違う永子になっていた。

「あれ・・・」
「ちょっと・・・」
「え、嘘だろ・・・」

夏休み明け、I組は朝から騒然としていた。
美絵がいつもどおり取り巻きと談笑していると、後輩の不良たち、中には以前可愛がっていたキリコの姿も含め5人と、もう一人、見覚えのない、しかし何処かで見たことのある女がいきなり殴りこんできたのだ。
その女は、目が合うなり突然腹に拳を入れてきたのだ。あまりに不意をつかれ、まともに食らってしまいうずくまる美絵。

「なにすんだコラァ!」

取り巻きどもがいきり立つが、後ろに控えているのは5人。うち3人は男なのだ。3人の女では勝負は見えてる。
元々、彼女たちは美絵の取り巻きに過ぎない。凄んだ所で、実戦派には怖くもなんとも無いのだ。

「オメーら後輩の分際で先輩に対してなにしやがんだ!」
「後輩?そうね、彼らは確かにあんたらの後輩だけど・・・」

美絵をいきなり殴った女が、蹲った美絵の顎を思いっきり蹴り上げて言う。

「あたしは、クラスメイトなんだよ。クラスメイトの顔も覚えてないとか、つれないこと言ってんじゃないよ!」

仰向けに倒れた美絵の腹を、思いっきり振り上げた足をそのまま振り下ろす。

「ぐはっ」
「あーあ、アバラ折れたかなー、これ。あははは、無様だね、東大寺美絵。でもね、コレは自業自得なんだよ、わかってんの?」

踏みつけた足を、捻るようにして回す。アバラの折れた事を知ってての仕打ち。痛みは想像を絶する。

「あ、あんた・・・」
「あら、今更気がついたの。そういえば以前あんたはあたしにダセーとかウゼーとか言ってくれたわよ、ねぇ!?」

腰を蹴り飛ばす。

「え、うそ、まさか・・・」

信じられないといった面持ちで取り巻きの一人が女を震える指で指す。

「何人を偉そうに指差してんの?エイジ」
「おう」

後ろの男を顎で促すと、取り巻きの一人のその女は、エイジと呼ばれた男に髪の毛を鷲づかみにされて引っ張り上げられる。

「い、いたいいたいいたい!」
「先輩にはわりーっすけど、姉さんの指示なんでね・・・」

宙に吊り上げ、そのまま投げ飛ばす。
髪の毛がごっそり抜け、一部からは頭皮が見えている。

「エーコ姉さん、そいつらもやっちまいますか?」
「キ・・・キリコ・・・あんた、なんで・・・」

美絵にしょっちゅうついて回っていたキリコ。
彼女は今、倒れこんでいる美絵を、上から冷たい目で見下ろしている。

「ミエさんには悪いっスけど、今はアタイは姉さんに付いてってるんで。悪く思わないで下さいね」

エーコだって?
あの風紀委員長の?
別人じゃねーか・・・
そんな呟きが重なり、どよめきとなり、クラスがざわつき始める。

「うるさい!少し黙ってろ!」

エーコと呼ばれた女、永子が声を張り上げるとクラスは水を打ったように静まる。
不良たちの吹き溜まり場と言われたこのクラスでさえ飲み込んでしまうようなこの胆力は、そうそう持っているものではない。
風紀委員長して多くの不良に負けず、張り合ってきた永子にはその胆力が少なからずあったのだ。

「まぁいいわ。さて東大寺美絵。あんたに聞きたいことがあったんだ、ちょっと付き合ってもらうよ」

動けなくなっている美絵をエイジが担ぎ上げる。
ろくな抵抗も今の美絵には出来やしない。

「・・・好きにすればいいじゃないか」

そういうのが、精一杯。

「そうさせてもらうわ。じゃあ、みんな騒がせたわね、また後で。」

美絵を拉致した彼女たちの去る姿を、クラス一同はただ呆然と暫く眺めていた。

「さて、東大寺美絵。質問に答えてもらうわ」

例の校舎裏に美絵と6人は来ていた。
エイジは先ほどまでの手荒な扱いではなく、丁寧に美絵を下ろし、木にもたれかけさせた。

「・・・」

沈黙が、今美絵に出来る最大の抵抗だ。

「あんたが突然あたしに対して態度を変えたのは何でよ?」

美絵は答えない。

「あたしが知りたいのはそれだけよ、それだけがどうしても、腑に落ちないのよ」

先ほどまでの暴力的な態度は鳴りを潜め、以前のような落ち着いて凛とした態度が永子からは見える。

「・・・オマエに失望したからだよ」

ぼそり、と美絵は呟いた。

「あんたは自分の事を結局理解してなかった。自分が大事で、他の人を見下してた。それがたまらなく気に入らなかった・・・そういうことだ」
「そうね、確かにそうだった気が今ではするわ」

あっさりと永子が認めたことに少なからず美絵は動揺した。

「でもね、あたしはあんたが羨ましかったの。ずっと。だからあんたになりたかった。そう思った。わかったのはもう、ずっと後の話だけど」

タバコに火をつけて、永子は深くケムリを吐き出す。
その姿があまりにもサマになっていて、たった一ヶ月の間の彼女の生活が目に見えるようだった。

「・・・あたしも同じさ。あたしも、あんたが羨ましかったよ」

唐突に吐き出された言葉は、永子にとって動揺を誘うに値する物だった。

「だけどな、だからこそ、失望したよ。」

永子は思い返すと、確かに自分のことしか考えていなかった。
それが、美絵からみてとても滑稽に見えて、空しくなったのだという。

「そうね、そういう意味では、お互い自業自得だったってことね」

このとき、もう永子の中の美絵は死んだのだ。
美絵はそんなにつまらない人間だったのか。そう思って。

「あたしも、今あんたに失望したわ。だからもう興味も無い。後は好きにするといいわ」

まだ火の付いたタバコをポイ捨てする永子の姿を見て、美絵は何故か無性に悲しくなった。
どうしてこうなってしまったんだろう。

「さよなら、美絵。」

そして去っていく。
動けない自分の身体、思うように出せない声。
苛立ちが募る。悲しみも募っていく。

そして理解した。

永子も、同じ気持ちを持ってたのだろうか。
ならば、次は自分が永子になる番だ。
いつしか立場の入れ替わった二人。
今度は、美絵が、永子になる。

そうして二人の交わらない感情と運命は、交差して行くのだ。






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