差し出されたその手には…(非エロ)
シチュエーション


私だって、何も最初から捻くれていたワケじゃない。
小さい頃は疑う事を知らなかったし、誰にでも心から優しく出来ていた。
皆が幸せなら、それだけで良かったと思っていた。
だけど、私はもう今の私になってしまったのだから仕様が無い。
気が付いたらこうなってしまっていた、今の私。
でも、別に不満は無いから困っているワケでもない。
原因を何となく過去に察する事は可能なのだけれど、それに気付くのも、対処するのも既に手遅れなのだから今の私なんだろう。
ゴメンよ、昔の私。救ってあげられなくて…。
でも、今の私もそれなりに人生を楽しんでいるから許してくれるよね?
昔の私は良い子だったから。


「あ…!!神楽さん、ちょっと良いかな?」

名前を呼ばれて振り返ると、そこには良く知るクラスメイトの女子が私を指差して立っていた。
ショートカットの良く似合う、快活な女の子。

「あら、何かしら?榊さん」

私の言葉に、榊さんが愛想を浮かべて揉み手をしながら擦り寄って来た。

「えっと〜…。実は、来月の学園祭の事なんだけど〜、実行委員が決まってないのウチだけなんだ〜」

申し訳無さそうな表情を浮かべてはいるものの、その瞳には獲物を狙う鋭さが漂っている。
その言わんとする所に、私は内心で溜息を吐いた。

「つまり、私に実行委員になって欲しい、と言うワケですね?」
「ゴメンよ〜。ウチのクラスってバイトしてる人がやたら多くってさ〜、皆時間取れないって言うんだもん」

「お願いだよ〜」

と懇願してくる彼女を、私は疲れた目で見た。
確かに、私はアルバイトをしているワケじゃないけど、アルバイトをしている人たちは自分の時間をアルバイトに使っているのだ。
他の人は自分の時間を謳歌しているのに、何故私が他人の為に時間を割かねばならぬのか。
そもそも、私だって自分の時間はちゃんと予定で埋められている。
成績上位は一日にして成らず、なのだ。
先の榊さんの言葉通り、学園祭は一ヵ月後。
二週間前から午前中授業に切り替わり、クラスに拠るが二、三日前には担任が監督して泊り込んで準備すると言う徹底ぶり。
毎年、OBや周辺住民を巻き込んで三日は騒ぎ続ける一大イベントなのだ。
実は売り上げは結構な額になっていて、そこから学生の学費補助などに当てられているらしい。
お陰でこの学園は私立であるにも関わらず、公立とそう変わらない学費で通えると有名なのだ。

『学校法人私立榊学園』。

目の前の御仁は、当学園の理事長の孫娘である。

「そうですね〜。他ならぬ榊さんの頼みですし…」

「面倒臭い」の言葉を飲み込んで、私は了承の言葉を吐き出した。
学園祭の委員ともなれば評定も良くなるだろうし、何より地元の名家でもある彼女の心象を良くしておいて損は無い。
決して大きな街では無いけれど、私の街で榊の息の掛かっていない地域は殆ど無い。
財界政界にもコネがある榊家は、その権力で古くから周辺地域を守り、そして統治してきたのだ。
只、最低二週間。もしかすれば、一ヶ月は放課後を丸々準備に費やさねばならない事が私にとては結構なストレスになるかもしれないが…。

「ホントッ!?やった〜、これで三人揃ったよ〜っ!!」

榊さんが、握り拳を両手に作ってそう叫んだ。

「え?三人ですか?」

私の言葉に、榊さんが首肯する。

「実行委員は各クラス三人だよ?」

そう言えばそうだった。
何せ、規模が大きい私たちの学園祭では兎に角人数が必要なのだ。
まぁ、人数が増えればその分個々の負担が減るので寧ろ歓迎するべき事には違い無かった。

「えぇっと、それでもう一人の実行委員は誰なのですか?」
「宮路君だよ?」

その名前に、「あぁ…」と私は納得した。
彼なら、委員と言わずに頼まれれば何だってしてしまうだろう。
と、言うか。彼が誰かの頼みを断っているのを見た事が無かった。
一家に一台。クラスに一人。
そんな単語が良く似合う、私のクラスのお助け人なのだ。

「ちょっと待っててね?」

そう言うと、榊さんは携帯電話を取り出して早速連絡を取り始めた。
聞こえてくる数度のコール音がして、程無くその相手の声が漏れてくる。

「え〜っと、宮路君?三人目が揃ったから、今から教室に来てくれる?顔合わせしたいんだけど?え?誰かって?ふっふっふ〜。それは来てからのお楽しみ」

何だろう。私は何かの楽しみにされるのだろうか。
悪戯っぽく笑いながら話をする榊さんを眺めて、私の中では早くも己の警鐘が鳴り始めていた。

「へぇ…。三人目って神楽さんだったんだ。宜しくね」

案外近くに居たのか、宮路君は直ぐに現れた。
同じクラスのメンバーなのだけれど、こうやって改めて顔を合わせるのは初めてかもしれない。
年下の様な幼い顔立ちに加えて、無垢な表情が更に輪を掛けてそう見せていた。それに、男子にしては小柄で身長も私より少し高いくらいだろう。
相変わらずの、人畜無害な雰囲気が漂っている。

「クラスメイトに今更宜しくも無いけどね〜。まっ、こう言うのは気持ちの問題だし。やっぱり宜しくは言っておこうか?宜しくっ」
「よ、宜しく…」

カラカラと笑う榊さんに倣い、私も挨拶を済ませた。

「それじゃ、早速本題に移ろうか?言っとくケド、ウチが一番遅れてるンだからそこンとこ宜しくね」

榊さんの机に椅子を寄せて、三人での会議が始まった。
二人とも有能で、滞り無く話が進む事は私にとって有り難い。
丸投げにしているクラスメイトたちは、無理な内容でなければ実行委員の決定に従うと事前のホームルームで捺印させられている。
よって、私たちの裁量でクラスの出し物は喫茶店となった。
メニューに始まり、食材の買出しや火の管理。内装や制服、予算の積み立てが次々と組み立てられていく。

「よ〜っし、じゃあ後の細かい微調整は明日話し合おう。今日はここ迄で解散。二人とも、お疲れ様でした〜」

一時間と経たない内に企画書の骨子が完成し、榊さんの満足そうな表情で今日の会議はお開きとなった。

「お疲れ様でした…」

私も別れの挨拶を済ませ、順調に進んだ仕事の充実感を味わいながら帰り支度を始めようとした時、ふと私の目の前に手が差し出された。

「はい、神楽さん。今日はご苦労様」

そう言って差し出された宮路君の手には、飴玉が一つコロンと載せられていた。

「頑張った神楽さんに、ご褒美」
「え?あ?有難う…」

おずおずと、私が飴玉を受け取ると、宮路君が満足そうに微笑んだ。

「おぅっと?宮路君?アタイには何も無ぇのかい?欲しいな〜、私も飴玉欲しいな〜」

人差し指を指に咥えてねだる榊さんに、苦笑した宮路君が別の飴玉を取り出した。

「はいはい、じゃ榊さんには懐かしの小児科の味を…」
「って、オレンジかい!?風邪薬や水薬の味付けを髣髴させる、なんて渋いチョイス…。まぁ、地域で味も違うンだけどね…」

ブツクサ呟く榊さんだが、貰った飴玉を口に放り込んでコロコロと転がし始めると、ほんわかと頬を緩ませた。

「うんうん、やっぱ労働に対価は必要だね〜…。アタシャこのひと時の為に今日を働いてんだよ…」

その表情があまりにも幸せそうに見えたからか。
気が付くと、私も自然な動作で宮路君の飴玉を口に入れていた。

「あ、美味しい…」

柑橘系の甘酸っぱい味が、不思議な懐かしさと一緒に広がっていった。
味覚が感じるその甘さに、意外にも私が疲れていたのだと知らされる。
いや、これはきっと身体の疲れだけじゃないのかもしれない。
乾いた土に、水が染み込む様な。そんな気分にさせられる。

「じゃあ、僕はこれで失礼するね」
「あ…」
「有難う」と言う前に、宮路君は教室を出ていった。

コロコロ、コロコロ…。

いつか昔の子供の様に、私は久し振りに宮路君の飴玉を溶ける迄嘗めていた。

優秀な二人のお陰もあってか、企画書の手直しはどんどん進み、週末に差し掛かる頃には何と私たちのクラスは既に学園祭の準備に取り掛かれる程になっていた。
そして、アルバイトで時間が取れない生徒が多い私たちのクラスでは、遅く迄学園に残らない代わりに来週から準備を始める事となった。
なのだけれど…。

「あ、そろそろ俺バイトだわ。悪い、今日はここで抜けるわ」
「私もバイト行くね〜」

一人の生徒を皮切りに、ぞろぞろと芋蔓式に抜けていく生徒たち。
本当に、何で私たちのクラスにはこんなにアルバイトをしている生徒が多いのか。
この時期は学園祭があると解っているのだから、正直アルバイトを自粛して欲しい気がする。
そんな私の考えなどつゆ知らず、隣で企画書と作業進行をチェックしていた宮路君は去り行く彼らに律儀に別れの挨拶を掛けていた。

「お疲れ様〜」
「あいよ〜」
「まったね〜」

そして時計の針が六時を回る頃には、教室には私たち実行委員の三人だけが残って作業を進めていると言う始末。
何だか、割に合わない気がしないでもない。
まぁ、評定やら何やらでその分は返ってくるのだと私は自分に言い聞かせた。
と、

「この儘いけば、喫茶店は充分間に合いそうだね〜」

喫茶店の女子の制服をミシンでカタカタ縫いながら、榊さんが楽しそうに呟いた。

「結構皆もギリギリ迄残ってくれてるし、やっぱりクラスの出し物は皆で楽しみたいモンね〜」

とは言っても、放課後一時間で殆どがアルバイトに行ってしまっているのだが…。

「よし、一丁上がりっ。次、いきましょうか〜」

と、内心でボヤく私の前で次々に制服を量産していく榊さん。
正直、この手際の良さは本職ではなかろうかと私は思う。

「こっちも一丁上がり」

と、気付けば宮路君も男子の制服をどんどん仕立て上げていた。

何だろう。この異常にスペックの高い二人は…。

一緒に仕事をする様になって気付いたのだけれど、この二人は一人で優に数人分の仕事を平然と熟していた。
正直、勉強しか取り柄の無い私が二人の作業についていけるワケがない。
更に付け加えるならば、二人とも学業成績は優秀で、辛うじて私が頭一つ勝っていると言うくらい。

まぁ、他人は他人。私は私。

二人の美点は認めるし、美点が無いからと言って私の欠点が増えるワケでもない。
無理して何か出来る様になっても、結局は何処かで綻びが出てきてしまうのだ。
無理はしない。それが私の主義なのだ。

「ん〜…。今日はこれくらいにしとこうか?そろそろ八時回るし」

三人の仕事が一段落着いた所で、榊さんが今日の仕事の終了を宣言した。

「そうだね」
「お疲れ様…」

私の台詞に続いて、榊さんと宮路君が互いに労う言葉を述べ合った。

「と言うワケで。はい、二人とも」

と、宮路君が私たちに恒例となった飴玉を差し出した。

「ひゃっほい!!愛してるぜ、宮路〜」
「あ、有難う…」

飴玉を受け取る私の隣で、何処と無く男前な台詞で飴玉を受け取る榊さん。
毎回思うのだけれど、榊さんって一応お嬢様の筈よね?

「って、またオレンジかいっ!?」

渋い表情でコロコロ飴玉を転がす榊さんに、名家のご令嬢など言う雰囲気は微塵も感じられない。
澄ましていれば間違い無く美人だと思うのに、今の目の前の榊さんは普通の女の子以外の何者でもなかった。

「ところでさ〜、宮路君。何で飴チャンとか配ってるの?」

帰り支度をしながら、榊さんが宮路君に訊ねた。

「そうだね〜。僕が飴持ってたからかな?まぁ、他のお菓子があったらそれあげちゃうかもね」
「いや、そうじゃなくて。お菓子を持っていたら、何で他の人にあげちゃうワケ?」
「う〜ん…。多分、喜んで貰えるからかな?ホラ、お菓子貰ったら何となく嬉しい気持ちにならない?」

まぁ、悪い気分にはならないとは思うケド。知らない人からだと不信感バリバリな気がするのは私だけ?

「なるっ!!そして、ホイホイ付いて行っちゃうかも…!!」

アレ?お嬢様、何を仰られているのデスカ?
私の視線を感じ取ったのか、榊さんがこっちを向いて両手でガッツポーズをした。

「大丈夫、神楽さんの分も包んで貰うからね?」

大丈夫なのはそこじゃねぇです…。
息を巻いて目を輝かせる榊さんに、私は肩を落とした。

「じゃ、私はここで〜っ!!」
「気を付けてね、榊さん」
「さようなら…」

元気良く手を振る榊さんと別れると、私と宮路君は途中まで一緒の通学路を歩き始めた。
コツコツと、二人の足音だけが月明かりの中で聞こえてくる。

「今日は、結構進んだね」
「えぇ、そうね…」

何処か弾んでいる宮路君の声に釣られて、私もつい嬉しそうに返した。
物臭な性分がある私だけれど、やると決めた事は必ずやるのが私の信条だ。
と、今日の充足感に浸っている私の隣で、宮路君が盛大な溜息を吐いた。

「実は、今日で飴玉のストックが切れたんだ。明日から何を持って行こう…」
「………」

そんな理由で、私の隣で陰鬱そうな溜息を吐かないで欲しい…。

「別に、又飴玉でも良いんじゃないかしら?」
「でも、同じのだと飽きられない?」
「まぁ、何だかんだで榊さんは気に入っているみたいだし、私は構わないと思うわ」
「そうかな?だと良いケド…」

何処かほっとした宮路君の言葉に、少し、胸に爪で擦ったような感覚が広がった。
多分、こんなどうでも良い事に悩んでいた宮路君に呆れてしまったのだろう。
きっとそうだと、私は思った。

「今度の休みに、三人で買い物に行かない?喫茶店で使う道具とか材料とか調達したいものとか割とあるんだ〜」

ここ一週間ですっかりお馴染みになってしまった三人だけの準備作業で、榊さんがそう切り出した。

「そうなんだ?」
「だけど、何を買いに行くの?制服は今ある生地で全員分仕立てられるし、紙食器も十分に用意してますし…」

私の言葉に、榊さんが「ふふふ〜」と得意そうな笑みを浮かべる。

「実は、喫茶店で使う材料なんだけど。その材料の買い付けにね〜」
「へぇ〜。榊さん、そう言うのに詳しいんだ?」

素直に感心の声を上げる宮路君。
だけど、私は少し気になる事があった。

「そう言うのって、原価はどれくらいなんですか?あまり高価だと、予算が不足してしまう様な…」
「大丈夫、大丈夫〜。そんなに高価なモンじゃないから。『値段の割に質が良い』くらいの買い物の予定なの」

そう言って、榊さんは改めて私たちに視線を送ってきた。

「まぁ、それなら…」

本当は貴重な休日は一人で過ごしたかったのだけれど、私は榊さんの買い物に付き合う事に決めた。
それに、最近は私も街に出ていなかったし、ついでに羽を伸ばしたかったのだ。
いくら順調な仕事とは言え、週五日の放課後をずっと準備作業に追われていたのだから気分転換の一つもしたくなってくると言うものだ。

「そうだね、荷物持ちとか男手も要るみたいだし」

この時点で既に荷物持ちの自覚ありとは、流石はお助け人の宮路君。
と言いますか、彼のこの出所不明の積極性は一体何なのだろう。
奉仕の心なんてずっと昔に擦り切れてしまった私には、ちょっと理解出来ない。

「よし。それじゃ、土曜の10時に平坂公園の噴水前で良いかな?」
「うん、良いよ」
「分かったわ…」

かくして、私たち三人での買い物が決まったのだった。

「あ、神楽さん」

集合時間の十五分前、指定された平坂公園の噴水前にはバスケットを提げた宮路君が立っていた。

「えっと、宮路君。今日は…」

挨拶をする私だが、如何せん彼の持つバスケットについ目が向けられてしまう。
そんな私の視線に気が付いた宮路君が、都合(ばつ)悪そうに頭を掻く。

「一応、皆のお弁当作ったんだけど…。張り切り過ぎかな?」

間違い無く、張り切り過ぎです。
そう思う一方で、私は男の子の、宮路君の作ったと言うお弁当が少し気になった。
昼食を摂りながら三人で話し合いをする事もあったけど、そう言えば宮路君はいつもお弁当だった気がする。

「宮路君が作ったの?」
「うん。朝ご飯作るついでにね…」
「あ、でも朝ご飯と同じご飯じゃないよ?」

と付け加える宮路君だったが、それよりも私は休日の朝から自炊していた宮路君に少し感心してしまった。
一体、宮路君はいつ休んでいるのだろうか。

「お、皆早いね〜」

と、そこに元気な声が響いた。

「あ、榊さん」

宮路君の視線を追うと、手をヒラヒラと振りながら歩いてくる榊さんがいた。

「ややっ!?宮路君、夢の詰まっていそうなその手のアイテムは一体何ぞや!?」

親指と人差し指で架空の眼鏡のフレームを揺らしながら、榊さんが目を輝かせた。
正直、少しウザい…。

「えっと、皆の分のお弁当を作ってきたんだ」
「うんうん。そんな気配りが出来る宮路君は、きっと良いお嫁さんになれるよ」
「ははははは…」

満足そうな表情を浮かべる榊さんに、流石の宮路君も乾いた笑いを漏らした。

「さぁ、やる気も出てきた事だし。早速買い付けに行こうじゃないか」
「うん、そうだね」
「え、えぇ…」

やたらとテンションの高い榊さんを先頭に、私たち三人の買出しが始まった。

榊さんに連れられ、訪れたお店は直売所みたいな専門店。
国内国外を問わず、その豊富な品揃えに私たちは思わず呆気に取られてしまった。
値札を見れば驚く様な高価な商品もいっぱいで、味も知らない商品ばかりでどれを選べば良いのか見当も付かなかった。
だけど、榊さんは店の中を見渡すと喫茶店で使うメニューの材料と見比べながら手頃な値段の商品を次々と買い込んでいった。
こうして、一通りの材料を買い揃えた私たちは榊さんの主導の下、早々とその目的を終わらせてしまったのだった。

「さて、お昼も回ったし、そろそろお待ちかねのお弁当タイムと行こうじゃないかっ!!」

集合場所の平坂公園の原っぱで、そう口にするのはバスケットを手にする榊さん。
因みに宮路君はと言うと、両肘に茶葉そして胸には珈琲豆と、沢山の紙袋を抱えている状態。
まぁ、本人曰く「お茶っ葉は乾燥してるから全然重くないし、珈琲豆もそんなに大した事無いよ?」らしい。
それはさて置き、お腹が減ってきたのは私も同じなので昼食を摂りたいのは確かな事。
宮路君に目を遣ると、お腹が空いてしまった、と同意の表情。
満場一致で、私たちはお弁当を広げる適当な木陰を探し始めた。

「それじゃあ、宮路君のお弁当のお披露目をしよう」

と、草叢に腰を下ろす榊さん。
私もそれに続き、荷物を置いて宮路君も座った。

「おぉっ!?これはまた王道な…!!」

バスケットを開けて中を覗き見るや、榊さんが感嘆の吐息を漏らした。
興味をそそられてつい首を伸ばして確認すると、私も思わずその出来に驚いた。

「凄いですね…」

陳腐な言葉だが、それ以上の言葉は思い付かなかった。
サンドイッチや御握りとかは予想していたけど、唐揚げやサラダ、玉子焼きやフライものなんかの惣菜が結構揃えられていた。

「まぁ、ちょっと作り過ぎたかな?」

作り過ぎです。
でも、仕出し弁当なんかより手作り感が出ていて、これは確かに美味しそうだった。
バスケットから紙皿やお箸、お手拭を取り出して配り終えると、お弁当箱が広げられたシーツの上に乗せられた。

「アレ?紙コップはあるのに、飲み物が無いとはこれ如何に?」
「あぁ、こっちに入れておいたんだ」

と、宮路君が今まで持っていた買い物袋から魔法瓶の水筒を取り出した。

「結構、重いからね」

そう言うと、宮路君が私たちのコップにお茶を注いでいく。

「良し、ンじゃ、頂きま〜すっ!!」

榊さんが高らかに宣言するのに合わせて、私たち三人は手を合わせた。

「頂きます」
「頂きます…」

取り敢えず、私は一番近かった惣菜の中から一口サイズのコロッケを選び、それを口の中へと運んだ。

「美味しいっ!!」

榊さんが声を上げた。
いや、確かに美味しいけどそこまで声を出さなくても良いんじゃないかしら。

「シェフを呼べ!!」

目の前に居ますから。
何でこんなに一挙一動が大きいのだろう。
少し恥ずかしい。

と、

「でも、今日は驚いたよ。榊さんがお嬢様って呼ばれてるんだもん」

宮路君が感心した表情で切り出した。
そう、今日の買い物で一番驚いたのは何よりもその事だろう。

『これは、悠輝お嬢様。ようこそいらっしゃいました』

専門店で、榊さんを見た店員が咄嗟にそう挨拶したのだ。
流石に私たちの前でそう呼ばれるのは抵抗があったのか、『あちゃ〜』と榊さんは少し困った表情で笑っていた。

「あははは…。まぁ、何だ…。そう言う面も含めて私なんだってば…」

その時の事を思い出したのか、榊さんが頭を掻いた。

「だけど、やっぱり榊さんてお嬢様って思う時はあるよ?」
「へぇ?どんな?」

宮路君の言葉に、榊さんが興味を覚えたらしい。
尤も、私も宮路君の言う榊さんの『お嬢様』がかなり気になった。

「ホラ、お箸の持ち方とか食べ方とか凄く綺麗だし。街を歩く時も背筋が伸びてたしね。何て言うのかな?品、が漂っているのかな?」
「はっはっは〜。それはもう昔っから躾けられてきたからね〜。今更抜けないンだよ」

ケラケラと笑い、榊さんが別のおかずを口に運んだ。
確かに、よくよく見れば榊さんの仕草は洗練されたもので、見惚れてしまう程に様(さま)になっていた。

「およ?神楽さんも私のが気になる?」
「え、そ、その…」

榊さんの指摘に、私は言葉が吃った。

「そうだね〜」

そんな私を見て何を思ったのか、「コホン」と榊さんが上品に咳払いをした。

「この様に振舞えば、神楽様も私(わたくし)が由緒ある榊の者として相応しいのでしょうか?」
「――っ!?」

そして、崩した脚を優雅に組み、銀の鈴の様な凛と響く声で榊さんが私に嫋やかに微笑んできた。

「そんな驚かれた表情をしないで下さいまし…。榊がこの平坂を代表する顔たれば、この様な振る舞いも必要となりましょう?」

しんなりと、白く細い首を傾げる榊さん。
肩に揺れる髪が、サラリと零れた。

「わぁ、本当にお嬢様みたいだ」
「って、本物だって言ってるでしょうがぁ!!」

凍りついていた私の目の前で、見事に榊さんの仮面を粉砕する宮路君。
同性の私でさえ思わずドキリとした榊さんの仕草は宮路君には全く効果は無いらしい。

「でも、口調が変わっただけだしね?」
「お?バレた?」

何ですと。
目を丸くした私を見て、榊さんが「へっへっへ〜」と笑った。

「流石は宮路君。私が普段から結構気を使っているのに気が付いてたか…」
「気が付くも何も、最初からそんな感じじゃなかったっけ?」

当たり前の様に語る宮路君。

「うん、そうだね…」

榊さんも、何故か素直に頷いた。

「全然気が付きませんでした…」

いつも能天気そうな榊さんの言動ばかりに気を取られて、同じクラスになっても今まで全く気が付かなかった。

「結構他人を見てる宮路君のそう言う所、私は買ってるンだよね〜」

榊さんがニヤニヤと見るからに邪悪そうな笑みを宮路君に向ける。

「まぁ、勝手に目に付くンだけどね…」

その視線から逃げる様に、目を背ける宮路君。
そして、宮路君のお弁当が無くなるまで私たちは他愛無い会話を続けたのだった。






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