やみ の ほたるび
シチュエーション


「ね、今夜はお泊りになられるんでしょう?」

酌をしながら、おゆうがしなだれかかってくる。

「ああ、そのつもりだが」
「じゃあ、お酒はこれでおしまいにして。ね?」

おゆうは瑛哲の掌を手にとり、そっと胸のふくらみに押しつけた。



夕暮れ時の板橋中宿は、客引きの声と、宿を探す旅人とでごった返している。
夏の暑気が、土埃と一緒にむっと体に纏わりついて、汗まみれの体にどっと疲れが生じてくるようだ。

旅籠に入った旅人はみな「やれやれ」とほっとした顔付きになり、気持ち良さげに下男下女に足を洗われている。
そんなやや落ち着いた平旅籠の前を通り過ぎ、『飯盛り旅籠』の並びに差しかかると、とたんに客引きの声が騒々しく響く。

――やれやれ。
見慣れた構え、屋号の書かれた扁額を確かめると、ホッとため息が出た。

板橋には、患者がいる。
患者は、かつて瑛哲の馴染みの女郎屋を営んでいた老人だ。
楽隠居していたが、歳には勝てず、とうとう数年前から病みがちになった。

年に何度かは往診に来るが、此度の不調はなまなかでは良くならなかった。
瑛哲は、半年前からひと月に二、三度往診に来て、手を尽くして治療にあたっていたのだ。
そのおかげか、この世に未練がまだあるのか、めでたく隠居は全快した。

瑛哲は往診が終わると、必ずこの旅籠「ささの屋」に泊まっていくことにしていた。
だが、次からしばらく板橋に来ることはなくなる。
「ささの屋」への泊まるのも、これでしばらく間が空いてしまう。

だから、今夜は全快祝いだ、と隠居が宴を催すというのを、丁寧に断った。

「もう帰えっちまうのかい。ずいぶんと、宿場女郎に入れあげてんじゃないかえ。おまえさんらしくもない」
「なあに言ってるんですかいご隠居。そんなもんいませんよ。まあ、少し馴染んだのはいますがね」

「廓は幻だわえ。朝にでもなれば消えちまうもんさ。いや、消さにゃなるめえ……わかりきったことだろ」
「ですから、入れあげてなんか……」
「男も女も、夜ごとの逢瀬に夢を見せて見させて……どれだけ惚れさせるかの化かし合い……金が無いのが玉に瑕だが、通人だと思っていたおまえさんが」

「だからそんなこたぁ……ったく、ご心配には及びませんや」
「まあ、心配なんかしてねえが。おまえさんがねえ。割無い仲になった女たあ、どんなのか見てみたいねえ」
「……そんなモンはいないですよ。どこの廓とも同じで。皆可愛いもんです」

「ふ、ふふふふっ。まあ、いいやさ。せいぜい綺麗に遊ぶこった」
カッと煙管を煙草盆に打ち付けて、隠居はニヤリと笑った。
イヤミに追い立てられるように、瑛哲は隠宅を後にした。

「じいさんよりは、おまえと抱き寝するほうがいいに決まってる」
「うれしい」

飯盛り女のおゆうは、この宿へ居続ける時の敵娼だ。
ここ半年は、月に二度はここで過ごしている。
馴染みというより、深い仲と見る者もいるかもしれない。

飯盛り女は、日本のほとんど全ての宿場町にいた、給仕を名目に置いた女郎だ。
宿場では、飯盛り女を置かない平旅籠を探すほうが難しいほどだ。

江戸では東海道への入り口、品川宿がもっとも大きな宿場町で、飯盛り女も一番多く、質も高かった。
一方、中山道の入り口、板橋宿は品川よりも、数も質も数段劣っていたといわれる。

数年前からここへ泊まるようになって、おゆうという馴染みのおんなもできた。
来るのは年に数度でも、必ず数日留まることにしている。

「ときに、おゆう。おまえさんの亭主の病は、その後どうだ」
「ええ……相変わらず」

亭主が胸を病んだ所為で、おゆうが稼がねばならなくなり、五年の年季奉公でここへ「売られて」来た。
国では、年老いた義母が亭主の面倒をみているという。
子を産んだ躰と見ていたが、おゆうは子はいない、と言い張った。

瑛哲は、おゆうの家は、たぶん武家だろうと思っている。
それもどこかの藩の下士であろう。
そんなおんなは上玉扱いだが、少し陰気な雰囲気のおゆうは、『売れっ子』とはお世辞にも言えなかった。


「薬を持ってきたから、それを送ってやるといい」
「先生……いつもすみません」
「ほんの気休め程度のものだがね」

「あれ、こんなに」
「……しばらく……ここへは来れんからな」
「ご隠居が良くなられたんですものね……」
「ああ」

数年前の初会の折、なんとはなしに身の上話を聞き出してから、板橋に来たら必ずおゆうを抱くようになった。
二十六という年増だが、ありがちな不幸を背負ったおんなにふと、興味を持った。
源氏名を佐波野というが、身の上話のついでに名前を聞いてからは、おゆうと呼んでいる。

豊満とは言えないが、抱けば絡みつくように乱れる躰は、一度が二度に、朝を迎えれば夜が待てず、と不思議と離し難くなった。

「まだ……イヤ」
「俺は、もう……」
「だめだめ……」
「いい加減……終えるぞ」

今夜も気付けば、夕餉の膳もそこそこに、おゆうの誘いに乗っていた。
夜具に行くのも面倒で、膳を押しのけ押し倒し、帯も解かずにもつれ合った。


「まだ、帯も解いておらん」
「だって、先生が……あぅ……は、あ!」
「まだ、宵の口だというに……そんなに……」
「ん……だって、待ちきれなくって……せんせ……や……んんっ」

両膝を折って、おゆうの胸に押しつける。
仰向けで瑛哲に圧し掛かられたおゆうは、枕を当てそびれ、島田髷もつぶれて崩れていた。

「いい乱れっぷりだ。そんなに欲しかったか……男が」
「ちがっ……せんせいが……欲しいの……先生がいいのぉ!」
「……可愛いことを言う」
「んあ……ホントよ、せんせ……がっ、あっ……も少し、緩くしてぇっ」
「だめだ」

瑛哲の腰が動くのに合わせて、ぬち、ぬちゅ……と調子のよい音が聞こえだした。

「……裾を捲っといて……よかったな……よく濡れて……」
「やだ……そんなこと言っちゃ……ああぅっ」
「……終えるぞ…………」
「あっあっ……あ、ヤ!」

う……と短く呻いて、瑛哲は欲を吐きだした。
おゆうも両膝を胸に押さえつけられたまま、顎を突き上げ、体を痙攣させた。




「暑いな……どれ、風を入れようか」
「あ……すみません……」

部屋にこもる濃密な空気を入れ替えようと、瑛哲は素肌に小袖を引っ掛けて立ち上がった。
後ろで、おゆうの含み笑いの気配がしている。

振り向くと、乱れた裾から緋縮緬の下着が肌蹴けて、足の先から太腿までが覗けて見える。
両手をついて、上半身を起こしかけた体が、艶めかしく曲線を描いている。

むっちりした内股を見せているのは、たぶんわざとではない。
それを目に留めながら、瑛哲は後ろ手に、奥庭に面した腰高障子を開けた。

「ん……おお……」
「……すごいでしょ」
「ほたる火、か……?」

体を回すと、庭の奥の方に、蛍火の飛ぶのが見えた。
心なしか小さな光だが、目慣れてくると、数えきれないほど見えてくる。

「ええ。お隣もそうだけど、庭の隅に清水が少し染み出しててね、地面が湿ってるんですよ」
と、人の気配に驚いたのか、数瞬、蛍火が少なくなった。

「この時節においでになるのは、初めてでしょう?」
「そうだったかな……そうかもな」
「嫌だ、あたしのことはあんまり覚えていないみたい」

気だるそうに起き上がるそぶりを見せながら、まだ、躰の内の情火は消えていないらしい。
ぼんやりした眼が、部屋の暗がりの中で、小さく灯るように光っている。
くっ、と笑いが込み上げた。

「蛍みてぇだな、おゆうよ」
「え? ほたる……あたしが、ですか?」
「ああ。尻に灯りがついてやがる」
「やだ、そんなとこに灯りなんて無いですよ……でも、うふふっ、蛍ねえ」

「むかし見た蛍より、少し小さいな。丘ボタルか」
「あたり。先生はなんでもよくご存じで。小さくても一生懸命光ってますよ」
「“あたしに、寄っといで、男よ金蔓よ”ってな」
「もう、止しておくんなさいよ、そういうの」

瑛哲がおゆうの背後に腰を下ろして、後ろから抱きしめる。

「“音もせで思ひに燃ゆる蛍こそ鳴く虫よりもあはれなりけれ” だったか」

「昔の人の歌? なんだか、さみしいような……」

おゆうは首に回った太い腕に手を掛けて、きゅっと掴んだ。

「リンリン鳴いてる虫より、風情があるってことさ」

「……先生……あたし、国へ帰りたいな」
「来年の夏には、年季は明けてるんだろ?」
「うん……でも、早く帰りたい」
「帰ったら、会えねえじゃねえか」
「ううん。先生と帰りたい」

耳の後ろに顔を埋め、ちろちろと舌を這わせていく。

「亭主がいるんだろ? 恋しい亭主が」
「……国は国でも、亭主のいるところじゃなくて。二人で暮らしていけるとこ」
「ばあか。何言ってる」

肩からずり落ちた襟元に鼻を突っ込み、おゆうの匂いを嗅ぎながら、帯を解き始める。
脂粉と髪油の匂いが濃く流れてくる。

「あっああ……あ……ん」

おゆうの体からするりと着物が落ちていった。

「……閉めます……戸を閉めさせて……は……う」

腕を突っ張り、おゆうがもがくが、わずかな動きも封じ込められている。

「見えちまいますったら……」

「構わん。見せてやれ」

濡縁に足が掛かるかどうかという場所で、隠す物は何も無い。

「蛍火で、おまえを照らしてな。……おい、足を広げろ」
「だめ、こんなとこで……できない」

抵抗するおゆうの後ろから、瑛哲が膝裏に手を差し回した。

「ならば、おれが広げてやる。ほれ、蛍よ、寄ってこい」
「やだ、何言ってんですか……やんっ」

「甘い水だぞ。ほれ、こんなに……そんな所よりよっぽど濡れてる」

おゆうの繁みを掻きわけ、花弁を探って、手指を這わせる。

指を下へ滑らせ、秘裂を上へと辿り、何度も往復する。
びちゃびちゃと、蜜音を響かせながら、秘裂の奥へと潜らせていく。

「も……もう……先生ったらぁ……嫌ぁ……んあ」
「俺のが溢れてきやがる……」

蜜壺の中を掻き混ぜれば、白く濁りのある粘液がぐちゅぐちゅと流れ出した。

「ん……んんっ、せ、んせ……そっち向きたい……」
「もう少し、こうさせろ……ここか?」

指を襞の中で擦りあげると、びくん、とおゆうの躰が跳ね上がる。

「あくっ……ん……くぅ……」
「おまえさんのイイところだ……なあ」

躰をびくびくと痙攣させながら、後ろにいる瑛哲の首に回した腕に力がこもった。

「やッ……あ、あぁ……は……あ……ああっ」

頭を瑛哲の肩に押し付けて、胸の双丘を高々と上げる。
瑛哲はすかさず、空いた手で乳房を揉み、乳暈を絞るように摘まみ上げた。

「はっ……あぁん……っ」

みずから腰を二、三度揺り動かして、おゆうはぐったりと瑛哲に躰を預けてきた。

「望み通りに、向い合せだ」

力の抜けた躰をどうにか返し、向い合せに膝に抱き上げる。

「先生の、かたい……」
「ほら、腰を上げろ。俺もよくなりたい」
「……はい」

瑛哲の肩に片手を置き、緩慢に腰を上げて、おゆうの陰(ほと)は剛直の尖端を簡単に探しあてた。
おゆうは蜜の湧き出る窪みに亀頭を固定し、片手を伸ばしてきた。

根元から、細い指を絡ませて優しく扱くように撫で始める。
先走りとおゆうの蜜が混じり合い、おゆうの手指は滑らかに瑛哲を包んで上下した。

亀頭の傘に指を引っ掛け、ごく弱く弾くように扱いていく。
少しずつおゆうが腰を落とし始め、傘の部分を飲み込んだ。
浅く咥えて、ぬめぬめと指を上下し続ける。

「……我慢が、利かねえ……」
「せんせ……」

これから与えられる激しい行為を待ちうけて、おゆうの眼が潤み始める。

と、瑛哲はおゆうの腰を両手でがっしりと掴んで固定した。
おゆうも動きを止めて、両手で瑛哲の肩に掴まった。

「本当に果てるまで、終えねえからな」

そう言うと、一気に腰を突き上げた。

「あああッ」

仰け反って、おゆうの躰がしなっていく。

構わず、腰を揺すって、おゆうをがくがくと揺らし続ける。
おゆうの中はいつもの締め付け具合で、瑛哲のモノに絡みついてきた。

陰の具合に気を良くし、瑛哲は突き上げから緩やかな動きに移して、腰を捏ね回し始めた。

「ああっ……そこ……そこがいいの……」

おゆうが瑛哲の首に腕を回して、坊主頭を抱えるようにしがみつく。

「もう……もう……あたし……」

そう言って、キュッと瑛哲の肩に噛みついた。

片手で肩の盛り上がりを掴み締め、もう片手を瑛哲の胸にあて、おゆうは躰を起こして、腰を浮かせた。

「せんせ……やさし……のね」
「……噛んだな」
「あ……とてもよくて……どこかに、行きそ……だった……の」

短く吐く息の間から、やっとそれだけ言って、くいっと腰を沈ませる。
白い尻が、くっくと浮き沈みを繰り返して、瑛哲を最後の方へと煽っていく。

瑛哲も緩やかな腰の動きを続けながら、おゆうの胸に手を這わせ、尖端を弄ぶ。
すると瑛哲への締め付けがキツくなり、紅い唇が、目の前で大きく喘いで鳴き声をあげた。

「……ん……お……返し」

胸にあてた細い手が、瑛哲の胸の尖りを捉え、指先で転がし始めた。

丸く白い尻の動きが激しくなり、またおゆうの喘ぎが大きくなる。
先ほどまでの、恥じらっていた姿はどこにもない。

声を押し殺しても、絡み合う粘液の音とふたりの激しい息づかいに、あたりの涼気が乱れていく。
それを察したのか、息をひそめるように、虫の音と、視界の先の蛍火が減っていた。

「ッお……ゆう……」

おゆうの内股に密着させて、抉るように二、三度腰を突き上げる。

瑛哲がさらに腰を大きく強く突き上げると、おゆうが高い声で鳴いて仰け反った。
虫の音が、一瞬止んだ。

***

煮売り酒屋から出てきた瑛哲は、提灯を片手にゆっくり歩を進めていた。
隠居を偲んで一杯ひっかけ、ほろ酔い加減のいい気分だ。

気がつけば、あれから一年経ってしまっていた。

隠居が亡くなったと聞いて、その弔いに行った帰り道、板橋宿へ足を向けた。
隠宅を出た時には、とうに暮六つ(夏は19時頃)を回っていた。

相変わらずの飯盛り旅籠からは、この刻限でも、客引きの声がひっきりなしに飛んでくる。
平旅籠と並んだ「ささの屋」は、喧騒から外れていた。
だが、いやに静かだ。

「おい、嘘だろ……」

思わず、棒立ちに突っ立ったまま、瑛哲はぽかんと口を開けた。
建物の上から下まで、何度も確かめても、見なれたはずの扁額は無かった。
「ささの屋」は、宿を閉めていた。

「あら、せんせいじゃないの?」

ふいに甲高い声が、横から飛んできた。
弾かれたように振り向くと、提灯の火に浮かんだ見覚えのあるおんなが、瑛哲の傍に寄って来る。

おんなは「ささの屋」にいた、奈津野という女郎だった。

「ずいぶんとご無沙汰だったんじゃないんですか? ここ、潰れちまったの、ご存じないようですねえ」
「ああ……閉まっちまったのかい……」

「なんですかね、内情は苦しかったみたいで……あたしらはよく知らなかったけど。みんな散り散りになっちまって」
「宿の者はどうしちまったんだい?」

「先生が聞きたいのは、おゆうさんのことじゃない? あの人はね、売られちまいましたよ」
「……」
「春過ぎには年季は明けたのに、宿に金を借りてたらしくてね」
「……そうか」

「なんでも、国に残してきた子がね、病持ちらしくって。薬代とか言って、必死だったみたい」
「ほう……子がおったか」
「うふふっ、あの人お客には『病気の亭主がいる』てことにしてたっけね。先生にもそう言ったんだ?」
「……ああ」

「あんまり何にも言わない人だから……ね、ほんとは先生のこと、きっと待ってたんじゃあないかしらね」
「……」
「売られた先は、街道沿いの宿場らしいけど……どこだっけ……」

奈津乃は申し訳なさそうに、首を竦めた。

「あ、いけない! こんなとこで油売ってちゃ……お客が取られちまうよ」
「おまえさんは、またどこぞで同じ家業をやってるのか?」
「うふふっ、隣の旅籠でね。呼ばれて、揚げてもらうんだ」
「ほう……そうなのか」

宿場女郎には、別の旅籠に呼ばれて客を取る、というのもあった。

「先生、今度あたしを呼んでおくれ、ね。そこの『辰巳屋』だよ。忘れないでおくんなさいよ」



奈津乃が去った後、瑛哲はなおも立ち尽くしていた。

「……嘘だろ」

もう一度、呻くような呟きが口をついて出てくる。

その場を去りがたくなって、「ささの屋」の裏手に回ってみる。
張り巡らされた板塀には、切れた所があり、瑛哲はふらふらとそこから庭に入り込んでいた。

板塀の綻びに突き出た板きれに、提灯を引っ掛けて、庭のほうへと体を回した。
庭の奥をじっと見つめる。

「蛍か……」

そこには、一年前と変わらず、蛍が乱舞していた。
地面の湿ったあたりに、たくさんの蛍が群れている。
そのあたりは、蛍火で、ぼうっと照らされているようだった。

「変わんねえな……お前たちは」

蛍は、あの夜と変わらず、明滅を繰り返している。
けれど、宿は、暗闇に沈んでただの黒い塊に見えているばかりだ。

「もぬけの殻、か」

しばらくそこに立ち尽くしたまま、無数の蛍火を眺めていると、そのうちの数匹が、頼りなげにこちらへ飛んできた。
瑛哲は一匹を、掌で無造作に捕まえた。

――まぼろし。
隠居の言葉が頭の中に響く。

「綺麗に遊んだつもりさ……」

呟いて、そっと掌を広げる。

じっとしていたらしい蛍は、一呼吸おいてから、静かに光を点滅させ始めた。
――音もせで思ひに燃ゆる蛍こそ……。

一年前の、あの夜のことをぼんやり思いだしてきた。
おゆうの姿態、暗闇に灯ったような眼、甘い喘ぎ。

『先生と一緒に、国に帰りたい』

濃い宵化粧の下にあったのは、諦念だったのだろうか。

蛍は明滅しながら、掌から中指の先に移動していき、ふわりと飛び上がった。

「……蛍みてえだな、おゆうよ」

頼りない蛍火の行方を目で追いながら、込み上げる苦い笑いをどうすることもできなかった。

「割ない仲じゃあ、なかったさ。ほんの少し、互いに夢を見ただけだ」

街道沿いのどこかの宿で、今夜も男に身を任せているのだろうか。
子には、会えたのだろうか。
それとも故郷で今夜、瑛哲と同じく、蛍火を眺めているのだろうか。
それとも……。

「生きているなら、それでいいさ。なあ」

瑛哲は笑って、庭の隅に目をやった。
蛍はふらふらと飛び回り、無数の明滅の群れに紛れて、消えた。






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