べに の はな ちる
シチュエーション


岡場所としては大きなところだ。
瑛哲は最近はやり病を治してやった、尾張屋三左衛門のはからいで、今、とある娼家にやってきていた。

黄八丈に黒の長羽織、坊主頭のこの男は、一応、医者だ。
六尺(約180センチ)近い瑛哲は、三十半ばに見えるが、年が明ければ四十になる。

材木商の尾張屋三左衛門は瑛哲の患者には珍しい、大店のあるじで、
さすがにその名を出すとすぐ、離れの茶室めいた建物へ通された。

出された酒食を楽しみながら、四半刻(しはんとき=30分ぐらい)も待ったろうか。
表から続く廊下を、軽く渡ってくる足音がして、障子の外から声が聞こえた。

「ごめんくだされませ……千代丸と申します」

今夜の敵娼(あいかた)は、どうも少女のようだ。
瑛哲にはそういう嗜好はない。
熟れきった、とまではいかなくとも、気づかいのなく愉しめるおんなが良い。
尾張屋め、俺がそんな嗜好の好色に見えたのか、と苦笑が出た。

瑛哲は苦い笑いを浮かべながら、まあ、よい。とも思っている。
酒の相手にはなるだろう。



千代丸が銚子を取り上げ、瑛哲に勧める。

「いくつになる?」

と聞くと、少女は「十七になります」と答えた。

「ふうむ」

別に幼すぎるということはない。

「生まれ月は」と問うと「師走の前の月」と言う。
なるほど。
少女が生まれてすぐ一歳。正月になればすぐ二歳。
二歳になった正月は、生まれてから二か月ということになる。
幼く見えるはずだ。

「客をとってどのくらいだ?」

それを聞くと、真っ赤になって俯いた。
なかなか可愛ゆげな仕草に、瑛哲は調子をはずされる。

「……あまり、お聞きにならないでください……」

少し興味が湧いた。

「酒くらいは、飲めるのだろう? おまえさんもどうだ」

千代丸の手に無理に杯を取らせるが、押し戻された。

「お相手がきちんとつとまりませんと、いけませんから」

この界隈は、深川などとは違って、少し落ち着いた風情が売りだ。
いろいろ遊んではいる瑛哲だが、この見世は始めてだった。
賑やかな通りの端にある、上品さが売りのこの見世には、今まで足が向かなかった。

気楽に楽しむのが好きだからだ。
敷居の高い娼家など、吉原でもあるまいし、限られた金で遊ぶ瑛哲には何の食指も動かぬものだった。

――稚児を選って置いているのか?

男子のようで、そうでもない。やはり女子のようだ。
年端もいかぬ少年少女を好む者がいると聞いたが、なるほど、悪くは無い。
だが、未熟な躰を弄ぶ嗜好は、瑛哲の好むところではなかった。

しかし、客のあしらいが上品で、躾のゆき届いたところを見ると、多少の興味が湧いてくる。

「相手をする気か。俺はお稚児さんには興をそそられん性質でね」
「このままお帰りになるおつもりですか?」

酌をする手を止めて、首を傾げ、不安げに幼さの残る顔を歪めてみせた。

ううむ……うまいものだ。
瑛哲は唸った。
大人ではないが、可愛らしく見せたそれは、充分瑛哲をそそった。

「脱いで見せろ」

乱暴に要求してみる。
千代丸は、こく……と首肯し、酒器を置いた。

衝立の向こうに、夜具がのべられている。
早速、千代丸が瑛哲の手を取って誘う。

「こちらへいらしてくださいまし」

小首を傾げて、またも愛らしい仕草を見せた。

そういう嗜好の者にはたまらんだろう……さすがに背中がむず痒くなってくる。
俺にはそういう嗜好は無いハズだが……いやさすがに、これはマズイ。

衝立の内に入ると、枕元の有明行灯の脇に、妙な小皿が置かれていた。

「それは……なんだ?」
「これは、後で教えて差し上げますゆえ、お待ちになられて……」

と、やんわり答えを避けられた。

「帯を解いてくださいまし、だんな様」

座したまま瑛哲の肩に手をかけ、胸を突き出してくる。
胸の下に結んだ帯を解けというのだ。
慣れた仕草とは逆に、相変わらず顔は恥ずかしげに俯けたままだ。

「よしよし」

瑛哲も、興に乗って帯に手を掛け、ごそごそとほどき始めた。
千代丸は口に手の甲を当て、眉根を寄せて羞恥に耐えきれない、といった様子で瑛哲のするがままとなっている。

どれだけの男の前で、こうしてきたのか。
芝居なのか、いつもこうなのか。
それとも、やはり娘ではなく、男子か……?
様々経験してはいるが、胸は高鳴るものの、戸惑いが拭えない。

千代丸の様子を無視して、帯を解き終わり、胸元をくつろげると。

「ほ……う……おなごの躰か」

少女とは言い難い、意外にも男好きのする躰だった。
白粉は、体の隅々まで塗られているようだ。
男に弄られて育ったものだろうか、体に不釣り合いに大きい二つの乳房。

そのふたつの乳首に、真っ赤な紅が、ねっとりと塗られていた。

「躰化粧……か……」

呻くように呟いた次の刹那には、瑛哲は千代丸を夜具に折敷いていた。
たった今まで感じていた戸惑いは、きれいに消えていた。

「いたい……!」

乳首にむしゃぶりつき、舌で強く弾き、そして、噛んだ。

「あっ……だんなさま……お待ちになってくださいまし……!」
「待てるか」
「あ……やぁ……そんなこと……待って……だんなさま……」
「……なにを……この期に及んで……」
「ん……いろを……あたしに色を塗って……」

「は?」

がば……と起き上がって、千代丸を見下ろす。
お互いに、はあはあと喘ぎ続けている。

「なんだ、いろ、とは?」
「だんなさまが……舐めておしまいになったから……紅がとれてしまったの……」

そう言いながら、枕元の絵皿を千代丸が差し出した。
絵筆もそこに転がっていた。

「描いて……あたしをだんなの好きな色に塗ってくださいまし」

絵筆を受け取りながら、そういう趣向か、と理解した。

「色を……か。よし、どこでも、よいのだな?」
「あい」

絵心は全くないが、がぜん、興味が湧いてきた。

「では……」

まず、舐めまわして色が落ちてしまった乳首に、紅を含ませた筆を乗せた。

「あぁっ…………は……ぁん」

千代丸が、悩ましげに眉根を寄せて喘いだ。
興に乗った瑛哲は、筆の先をわざと触れるか触れぬ動きで、色を塗っていく。
仄かな灯りに、真っ赤に起った乳首が現れた。

「足を開いてくれ」

千代丸は言われた通り、おずおずと立てていた膝を開いていった。
陰毛は、きれいに剃られていた。
この変わった趣向を客にさせるためなのだろう。
その所為で、男好きのする体の線とは裏腹に、千代丸の秘部は異様に幼く見え、かえって淫靡にさえ見えた。

指でそれを割開きたい欲望を抑えて、瑛哲は筆で触れてみた。

「きゃあんっ」

いささか反応が強すぎる気もするが、感度は良いらしい。
むっちりと閉じた花弁の合わせ目を、下から上に筆でなぞっていく。
裂け目が紅に彩られていく。

この間も、千代丸は夜具を掴んで嬌声をあげ続けていた。
客に見えるようにと、腰は固定したままの姿で耐えている。
そんなところに、瑛哲は妙に感心してしまった。
仰臥した千代丸の秘部の向こうに、ふたつの紅い木の実が見えている。

肉厚の花弁のあわいから、蜜がしたたり始めてきていた。
それをすくうように筆に絡ませ、絵皿を引き寄せて、蜜で紅を溶いていく。
たっぷり紅を含ませて、もう一度花弁に沿いながら、上の端に覗く花芽もくるりとなぞった。

「ああぁん……んぁ……や……もぉ……っあああん!」

くちゅくちゅと花芽を筆先で弄んで、一気に線を描くように筆を下へ走らせる。
そのまま蜜壺へ筆先をもぐらせた。
かき混ぜると、真っ赤な蜜が押し出されてきて、ぐちゅぐちゅと濁った水音がした。

千代丸の足の爪先が、くっと丸まる。

「あぁん……やあぁっ」

指で、大きく主張している紅い花芽を持ち上げるようにしながら嬲ると、体が跳ねあがり、瑛哲に縋りついてきた。

「や、あっあぁっ……もぅ……だんな……ああん!」

筆と指をなおも蠢かせ、千代丸が気を遣るのを待つ。
すぐに、少女の哀切の響きを含ませた悲鳴とも嬌声ともつかない声をあげながら、
千代丸は痙攣のように体を震わせた。



筆を置き、力ない足を抱え、尻を掴み持ち上げる。
小ぶりな白い尻の谷間を、果実でも割るかのように男の両指がぱっくりと開いた。
千代丸の両膝がぶる、と震える。

再び筆を上から下に走らせて、尻の方に滑らせた。

「ここも男を知ってるな」

初々しさの残る菊門さえも、すでに男を咥えたことがあるのだろう。
わななくように震える体が、恐れからでなく、何かを待ち受けているような火照りを帯びてきていた。

「しかも、おまえさんは、嫌いじゃないらしい」

少し呆れた声を出しながら、すぼまりの中心に指を押しつけた。

「俺はそんな嗜好はないんでね」

経験がないではないが、千代丸に対してはあまりソノ気は起きなかった。

それより今は、この裸体の好きなところに色を施していくのが面白い。
絵師を前にしては怒られそうだが、絵心が無くても絵師の心がわかるような心持ちになってくる。
真白な紙に、筆を下していくその刹那など……ましてや、紙ではなく、生身のおんなの躰だ。

それに、童心にかえったかのように、心が浮き立つのを抑えられない。
興奮を抑えて、菊門のすぼまりの皺のひとつひとつに、紅を含ませるように筆でなぞっていく。
そのたび千代丸の体が、またもびくびくと跳ねた。

「これ、辛抱しないか……ま、無理もないな……こそばゆいか?」
「あ……あい。いっそのこと……」
「いっそのこと、なんだ」
「……嫌……言わない」

ほどなく真っ赤な菊花が現れた。

「今さら可愛ゆげなことを申して。おまえ、この菊、男の前で何度も咲かせておるのだろう」
「そんなこと……言いません」

筆の先で、すぼまりの中心を突いた後、突如それを中心に押しつけ始めた。

「あれ……だんな……!」

突然のことに、驚いて伸ばしてきた細腕を封じて、筆をさらに中心に突き入れていく。
両足首を片手で掴んで持ち上げ、赤ん坊の褓(むつき=おむつ)を換えるような格好にさせる。

「ひっ」

ひきつった声を出した後、すぐ鼻にかかったくぐもった声が聞こえ始めた。

「んん……んう……ふあ……あぁ……ん」

筆毛はすっかり中に入った。
差し込み過ぎないように、筆を毛の根元の所までで止めて、くるくると動かした。

「やああん!」

すでに真っ赤になった秘所から、紅い汁が滴ってきて、菊の花と混じり始めていた。
足を持ち上げられたまま、千代丸は耐えきれない、というように精一杯体をくねらせ、時に跳ね上がる。
やはり紅の塗られた唇は、絶え間なくすすり泣きのような、甘えた鳴き声を漏らし続けている。

筆を引き抜くと、紅が混じった透明な粘液が、すぼまりからぷっくり生まれてきていた。
内股に描いた小さな花らしき絵も、蜜と紅の混じった液体に汚されて、形を失くしている。

二度も達した千代丸は、まだ激しく肩で息をしていた。
千代丸の股間は鮮血でも散らしたように、真っ赤になっていて、淫靡というより、凄絶に見えた。

――この娘、本気だ。
商売女は体力維持のため、気を遣るふりなど朝飯前だ。
男の手技にいちいち翻弄されては、体を張ったこの仕事などつとまらない。
しかし千代丸は、本当に感応しているようだった。

千代丸はこの見世の一番の娼妓。
吉原で言えば、太夫というところか。
この離れで泊める客をとるのは、一晩ひとり、上客しか相手にしないのだろう。
これが、この見世のやりかたのようだ。

――この娘が、な。
内心、舌を巻いた。
よほど仕込みがいいのか、娘の天分か。

「いくつでおんなになった?」
「とお……」

それは、肩上げ(女子の元服みたいなもの)でもなく、まして初潮を迎えた年齢でもないことはすぐにわかった。
男を受け入れた歳であろう。

「やっと離れでお客さんの相手をさせてもらえるようになりました」

この見世はいいほうだ。
大部屋は無く、部屋で客をとらせているようだった。
場末の見世によくある大部屋では、衝立で仕切っただけの場所で、客の相手をする。

瑛哲も懐寂しい若い頃は、大部屋の衝立の蔭で、慌ただしく女郎を抱いたものだ。
むろん、客同士、睦言は丸聞こえである。代も安い。

とはいえこの見世も、表のほうでは、他の娼家と同じく、部屋で一晩に何人もの男の相手をせねばならず、
体を壊す者もいるに違いないなかった。
が、離れであれば、ゆっくり客一人の相手をして、朝まで同衾してもよいことになっているらしかった。

やっと……と言った少女の顔に影が差したのを瑛哲は見逃さ無かった。
本当の歳はいくつなのか、今の答えも嘘か真か?
そんなことは、気にするだけ野暮だ。
今夜出会った、男と女、それだけのことだ。

瑛哲は、こだわる自分の顔をつるりと撫でた。

「あ、だんな、さま……」

頬に紅が付いたらしい。
気付けば、お互い『紅塗れ』だ。

「あたしばっかり……ごめんなさい……さ、今度はだんな様の番」

細い指が瑛哲のかたい頬をきゅっきゅと擦っていく。

「よいよ、もういい」

千代丸の手首を掴んで、夜具に押し倒し、小さい頭の横に留めた。

「好きにさせてもらってるさ……」

足を開かせ、腰をねじ込む。

「どれ、俺も」

固くなった自身を千代丸に握らせた。

「さ、おまえさんが、お千代」
「……あい」

またしても頬を染めつつ、そのくせ迷わず手で瑛哲を握って前後に滑らせ始めた。

花弁に押しつけて、真っ赤な蜜を猛り始めたそれに塗すように掌で優しくしごく。

「お……」

体を曲げて、そこを見た。
血に塗れたようなそれが、少しずつ花弁にもぐっていく。

千代丸は自分から腰を上げて、瑛哲を深く迎えようと、揺らしている。

「乱暴にされたいか? それとも朝まで繋がったまま揺らしてやろうか?」
「……だんな様の、お好みに……」

朝までゆらゆらと漂ってみたい気もするが、千代丸では持つまい。
娼婦にはありがちな、目の下の窪みが気になる上、血くだが細く、胸の音もか細いようだ。
医者の端くれだから、それぐらいは看てとった。

「あっ、はっ……」

短く息を吐きながら、瑛哲を咥えこんでいく女陰。
肉襞は蠢きながら、ねっとりと剛直を包み込んでいく。

「やん……はっ……あぁ……」

陰(ほと)は少女などではなく、おんなそのものだ。
それも、絡みついて引き込むようにヒクついて、瑛哲のそれを放さない。

「目を瞑れよ。好いてる男を思い出すがいい」
「そんな……あう!」
「いるんだろ……?」

「だんなさ……ダメ……そんな……ことは」
「名を呼んでもいいんだぜ」
「だめ……だめだめぇっ」

男の好みそうな体の輪郭は、小刻みな震えから、やがて波打つように喘いでいく。

「あ……あ……はぁっ……んあ」

「千代……よいよ、俺が見ててやる。おまえの可愛い顔を、な」
「はあぁっ」

瑛哲が腰を突き入れるようにして、千代丸に圧し掛かった。

千代丸の最も感じるところを探して、女壺をかき混ぜる。
じゅぶじゅぶと音を立て、泡立ち白く濁った赤い蜜が溢れていった。
千代丸は素直に感じて、艶のある嬌声を大きくする。

温かく絡みつく千代丸の中で、瑛哲はゆっくり込み上げてくるものを感じていた。
幼顔を苦悶とも享楽ともつかぬ色に染めた千代丸は、少女などではない。

「……おんなだ…………」

瑛哲の下で、躰中の紅の花を咲き狂わせる、妖魔――。

「……ふ……化けた物か……」
「け……わい……でござ……いますか……」

瑛哲に合わせて短く息を吐きながら、千代丸は妖艶に笑んでいる。
込み上げてくる波が、大きくうねり始める。

「おんなは魔物よ……皆、美しくおそろしい……」
「あ……だんなさまぁ……んっんんっ……あう!」

「遠慮は、やめた」

そう言うと、紅で血に染まったような女陰めがけ腰を打ち込み、千代丸を激しく揺さぶった。

「っあ――――」

仰け反る白い喉を見つめながら、瑛哲は欲の塊をぶちまけた。





――あんな敷居の高い見世にゃ、そうそう行かれねえだろ。
そう思いつつ、あれから三月後に、瑛哲はあの見世の前にやってきていた。
と、なにやら見世先で言い争う声がする。

まあ、こんな場所では、日常茶飯事。驚くことではない。

「かかわると、面倒だ」

瑛哲が背を向けた時――。

「五日前に会うた時、千代丸は何も言うてはいなかった。あるじも身請けの話など、
気振りも出さなんだではないか」
「山口さま。そう大きな声を出されると、他のお客様にも……」

「あるじ。おぬし、わしをたばかったな!」
「めっそうもございません」
「どこのどいつだっ、身請けしたのは!」

酔った若い侍は、千代丸の身請けに逆上しているらしい。
こんなこともよくあることだ。

この若い男は、いわゆる参勤で江戸に来ている身分の低い侍だのようだ。
身形からしても、この見世に通うのは、相当無理をしていたのがうかがえる。
着ている物もくたびれていた。

「千代丸は、身請けされたのかね?」

瑛哲は間に割って、あるじに顔を向けた。

「あ……あなた様は」
「誰だ、おぬしは。邪魔だては許さぬぞ!」

すっかり頭に血がのぼった侍に軽く会釈をすると、瑛哲は笑顔を作った。

「お千代さんの往診にやってきたのですが……。そうですか」
「医者か」
「はい。そうでございます。お千代さんの様子はどうでしたかな?」

「はい。ここを発つ時はすっかり調子がよくなっておりました」

あるじが瑛哲の話に、咄嗟に話を合わせる。

「そうですか。まず、それはよかった」

「ええい、つべこべ言わずに、千代丸をここへ連れて参れ! さもなくば……っ」

若い侍は腰の物に手を掛けた。
傍にいた女中や娼妓が悲鳴をあげる。

鯉口が切られ――る、はずだったが、それはできなかった。
音も無くぴたりと傍に寄った瑛哲の手に、侍の手は押さえられていた。

「何をするっ、放さぬか!」

侍は顔を赤くして力を込めるが、瑛哲は涼しい顔をして、その抜刀寸前の手を止めていた。

にこやかな表情を崩さずに、地獄の底から響くような低い声で囁きかける。
「抜けば、竹光(刃の部分が竹等でできている見せかけの刀)とバレるだろう? よいのか」
「な……に?」

周りの者には届かぬ声は、この若い侍の胴震いを起こさせるほど、鋭い気に充ちていた。
鞘の内にあるものが、真剣ではなく、竹光であることを瑛哲は見抜いていた。

「なぜ、それを……」
「落ち着け、山口どの。このようなことをしたとて、千代丸は戻らぬのだ」
「……う」
「収めよ」

有無を言わせぬ気迫に、山口はがっくりと肩を落とした。
この尋常ではないふたりの遣り取りに、周りの者は気付いてはいない。

瑛哲は、さっと気を解いて、山口を気遣った。

「さ、山口さま、見世の外に出ましょうか」
「……」

うながされるまま、山口は瑛哲と見世を出た。
瑛哲が振り返ると、あるじが拝むようにしながら目礼をしている。

――また、タダでおんなを抱きに来れるか、な。
よろしく頼むよ……と頷き返しつつ、こぼれる笑みを抑えて、山口の肩を励ますようにポンと叩いた。

「山口さん、飲みませんか。いい店を知っていますよ」
「……ああ、そう……そうですね……」
「今宵は、飲み明かしましょう」

山口は、聞こえてるのかどうか、ぼんやりしたまま瑛哲に歩を合わせている。

命より大切な刀を質に入れてまで、この男は通い詰めたのだ。
山口という男は、きっと千代丸と想い合っていた男に違いない。
瑛哲にはそう思えた。

だから、千代丸は、何も言わずに去っていったのかもしれない。

「きっと千代丸は貴方のことを忘れませんよ」

同じおんなを抱いた者同士だ。
もちろん、山口にはあくまで「医者」ということにしておこう。

「私も、好いたおんなを失ったことがあって。もう生きてるか死んでるのかさえわかりません」
「千代丸は……」
「生きているではありませんか。それだけでも羨ましい」
「そうか……」

「そうですよ……ほら、見えてきたあの飯屋です」
「ん、ああ、あそこ……」
「下り物のいいのを出すんです。山口さん、今日は私の奢りで」
「……かたじけない……」

あの幼顔を思い浮かべて。
したたかに生きる千代丸の、胸に秘めた健気さを想いながら。
身請けされた行く末を、案じてやりながら。

「吹っ切りなさい。自分の生きる道だ。好きにするがいいさ」

遊里で出会った男と女。
それだけの関わりだ。

若いこの男にも、新しい道が用意されているはずだから。

俺も、今夜は飲むかな――。

瑛哲は、今度は労わるように、もう一度山口の肩をポンと叩いた。






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