ある騎士とその婚約者(非エロ)
シチュエーション


「はぁ…」

春のうららかな昼下がり、緑に映える庭園の天蓋の下で、一人の少女がため息をついていた。

「今日で1ヶ月……あの方はまだ私の寝所へ来てくださらない……
一体私のどこが不満なのでしょうか…」

少女は栗色の巻き毛を指であやしながら、また何度目かのため息が洩らす。

少女の名はリリアント。
彼女はある地方領主の三女であり、このたび婚約したある騎士の邸宅に同居していた。
婚約者はディオール=ファーネンという騎士で、聖堂騎士団では名誉ある十剣士に数えられる
実力と地位を持った男であった。
容姿も決して悪くはなく、快活で大らかな性格をそのまま形にしたような威丈夫であり、初めて
顔を合わせた時、リリアントが思わず上がってしまったほどだった。
こんな男であるからには縁談の話はひっきりなしであり、リリアントが邸宅に住み込んでからも
何処そこから婚約の申し込みが後を絶たなかった。
もしこのままディオールがリリアントに手を付けなければ、リリアントは親元に返され、別の婚約者が
彼女の後に入るだけである。

「このままじゃダメよ!何としてもディオール様に女として認めてもらわないと!」

リリアントはやおら立ち上がって決意を新たにする。
故郷では両親や兄弟達が彼女の輿入れを心待ちにしていた。
ディオールと契りを交わす、それがリリアントの使命であり、御年16歳のうら若き乙女は人生を賭けた戦の真っ最中なのだ。

が、しかし……

「ただいま、リリアント」
「はうああーっっ??!!」

突然背後から声をかけられ、素っ頓狂な声を上げてリリアントが飛び上がる。
そこにはディオール本人が怪訝な顔をして立っていた。

「でっでっディオール様っ、いい、いつお帰りに???」
「今し方。帰宅の半鐘は鳴らしたから知ってたと思ってたんだが…」
「はわわわわ、全然気づいてませんでしたああああ!す、すみませんんんん!!」
「それはいいから、ちょっと君に見てほしい物があるんだ。一緒に来てくれないか」
「わわ、わたくしでよければぜひぃいいいー!!」
「じゃあ来て」「はいいいいー!!」

(やれやれ、これじゃ寝所に来るどころじゃないな。本当にいい娘なんだけどなぁ…)

表にこそ出さなかったが、ディオールはこの先リリアントと結ばれるかどうか、大いに不安を感じていたのだった。


ディオールがリリアントを誘ってから約半時間後、屋敷の廊下にトボトボと頼りない足音が響く。

それは力無く肩を落としうなだれたディオールだった。

誰もが知る堂々とした振る舞いはどこへやら、今の彼からは聖堂騎士団のエリート、十剣士の
一員としての威厳やオーラは微塵も感じられず、しょぼくれた只の男以外の何者でもなかった。

「はぁ……結局今度も言えなかった…もう今夜しかないというのに…!」

溜め息とつぶやいた言葉の端に無念の思いがこもる。
帰ってきたディオールは、早速リリアントに今夜寝所へ行く旨を告げるつもりだった。
とりあえずリリアントは芸術が好きらしいとのことなので、取り寄せた絵画を広間に飾り、彼女に見せて
緊張を解したところで言おうとしたのだが、絵画を夢中で見入るリリアントの姿を微笑ましく思い、邪魔しないよう
静かにその場を後にしたところで本来の目的を果たせなかったことに気づき、自己嫌悪に陥ってしまったのだ。
リリアントが婚約者として此処にいられるのは今晩限り、事に至らねば明日にはこの屋敷を
去り、もはや永久に結ばれることはない。
それはディオールとリリアントにとって何としても避けねばならない事態であった。
にもかかわらず、うまく事にこぎつけられない自分の不甲斐なさにディオールは憤り、そして落胆した。
これからどうするべきか思案に暮れるディオールだったが、突然その背中を何者かが呼んだ。

「ディオール様、やはりしくじったんですね……」

振り向くと、そこには一人のメイドが立っていた。
背はスラリとして高く、軽いウェーブのかかった長い黒髪を後ろでアップで纏め、薄い褐色の肌をした
大人の雰囲気を漂わせる女性だった。

「リ…リサ…見てたのか…」
「しばし申し上げたいことがあります。こちらへ来て下さい」
「え?」「早く!ぐずぐずしない!」

メイドはディオールの手を取ると有無を言わさず、すぐ近くの空き部屋に彼を連れ込んでしまった。

(まいったな……)

メイドの行動にディオールは内心気まずい思いにかられ、暗澹とした予感を覚えた。

メイドの名はメリッサ=クラン、皆からはリサと呼ばれていた。
ディオールとは彼が武者修行に出ていた頃に知り合い、それからはディオールのメイドとして
身の回りの世話を始めとした諸々の事を取り仕切っていた。
その働きぶりたるや、良妻と見紛うほどの尽くしようであり、今のディオールが在るのは
リサの支えに依る所が多かった。
故にディオールは彼女に頭が上がらず、今回のリリアントの件で間違いなく叱責されるであろうことを覚悟した。

「まったく、情けない!」

ディオールと2人っきりの部屋でリサが口火を切った。

「十剣士の一人にして烈刃のディオールともあろう方が生娘に臆するなんて恥ずかしくないのですか!?

貴方が女にしてやらなくてどうやって妻にできるんですか!!騎士としての威勢や覇気はどうしたのですか!!」

(来た!!)

遂に始まったリサの容赦ない叱咤にディオールは肩をすくめた。

「リリアント様をお迎えするのはかねてからの悲願だったというのに、1ヶ月もの間いったい何を
グズグズしてたのですか!!そもそもこの時の為にどれだけの婚約が流れたかお分かりですか!?
どの方々も貴方様の本意を知らぬまま、結ばれる覚悟でいらして皆、無念の思いで去っていったのですよ!!
そうしてまで得た機会を無駄にするなんて、選ばれなかった方々に対して申し訳ないと思わないのですか!!」
「………」

ディオールに返す言葉は無かった。
確かに、ディオールと結ばれたいが為に何人もの娘達が婚約を取り付けたものの、ディオールは
彼女たちと結ばれるつもりなどなく、ことごとく破談にしてきたのだ。
それもすべてはリリアントと結ばれる為であり、今は亡き愛した女への誓いゆえ、であった。

「リリアント様とて貴方様と結ばれる覚悟で婚約に望んだはず、多少の難事などに臆したりするものですか!
そうでなければクラレット様に申し訳が立たないのではありませんか?」
「……!」
「クラレット様が亡くなられてからもう3年です……リリアント様は立派にお育ちに
なられました、それはクラレット様に劣らないほどに…」
「わかってる!!わかってるさ!!」

クラレット、その名前を聞いたディオールの表情に険しさが宿る。
それは愛しき思い出と忌まわしき過去を呼び覚ます、一生忘れられない名前だった。

「わかってる……わかってるとも……ああ、それくらいわかってるよ!」

自身に言い聞かせるように何度もつぶやくと、ディオールは深呼吸し自分を落ち着かせた。

「今夜、リリアントの寝所へ行く。すんなりとはいかないかもしれないが、やらなくては、な」
「そうですか」

決意を秘めたディオールの言葉に神妙な表情で応えるリサだったが、内心ではディオールが
奮い立ったことに安堵していた。

(その意気よディオール…頑張って、貴方とリリアント様のために…)

とはいえ、実はリサもディオールと同じ懸念を抱いていた。
何せ此処へ来てからというものの、リリアントはディオールと顔を合わせるたび、いつも緊張で
ガチガチに強張ってまともにコミュニケーションがとれないのだ。
日常ですらこの有り様なのだから、寝所にてお互い肌を晒し触れ合う段階でどうなることか、
ディオールの躊躇う理由がまさにそこにあった。
少女が女に変わる時に痛みは付きものだが、これではただ痛く辛く堪えるだけの交わりで終わってしまう。
同性であるリサとしてはリリアントにそんな初体験など味わわせたくはなかったし、肌を重ねて
愛し合うことの悦びを是非とも知ってもらいたかった。ディオールも一方的な性の蹂躙など
望みはしないだろう。

(こうなったらアレを使うしかなさそうね…)

この時、リサは脳裏にある妙案を忍ばせていた。
本来ならやらないに越したことはないのだが、今のリリアントとディオールには必要だと
確信したのだ。これなら少なくとも、リリアントが取り乱したり、苦痛を覚えることはない
筈である。
ディオールなら、きっと理解してくれるだろうとリサは願った。


「ところでディオール様、これからどうなさるおつもりで?」

ディオールが部屋を出る寸前、リサが尋ねてきた。

「ああ、夕餉までまだ時間があるから、リリアントの様子を見てから闘技の修練でもしようかと」
「そうですか…でしたら……」

室外へ出ようとしたその時、ディオールはリサに部屋の中へ引き戻された。

「リ、リサ!?」
「そういえば最後に致したのは1ヵ月前でしたかしら」
「おい、まさか今…」
「房事の修練も騎士の務めですよ、ディオール様?」

後ろ手でドアの錠を掛けると、淫靡な笑みを浮かべたメイドはうろたえる騎士のもとへすり寄っていったのだった。






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