黒き娼婦と白き王子 終章・エピローグ
シチュエーション


ファルセリオン神皇国を離れて数ヶ月。
皇国で流氷が溶ける頃、すでに他地方では春が過ぎ、
長い航海を続けて、一番近い港に入る頃には盛夏であった。

パザンはグーリーを連れて市場をねり歩く。
グーリーは護衛兼荷物持ちであるが、交渉がある時は必ず連れて行く。
なにも相手が堅気のみと限らないのが、金と物が飛び交う世界の常である。
筋骨隆々の巨漢、グーリーが背後に控えてるだけで、
詐欺まがいの未然防止、値段交渉の円滑化、盗難防止と効果覿面であった。
目的の品を見つけ、立ち止まって質に問題がないか吟味する。

「これでいくらだ?」
「インス金貨で22枚、ルーブ金貨なら28枚だね」
「ファル金貨で支払いたいが」
「ほほう、それはめずらしい。う〜ん15枚でいいよ」

パザンは頭の中でこれからの交渉をシミュレートする。
第一線の現役商人として立っているだけに、その頭脳は衰えを知らない。

「ふむ安いな。さすがは豊作だっただけはある」
「おうよ。質も上々だよ」
「だけど、どこの国も豊作になりそうで、実はダブついてるんでしょう。
待ってればそのうち値を下げるんじゃなーい。ね、パザン」

別方向から来た否定的な口調に、売り手の男はむっとした顔をしたが、すぐに相好を崩す。
深いスリットが入ったスカートに、細くくびれた腰を晒す美女。
ハイヒールが悩ましさと高貴な雰囲気をかもし出す。
パザンは横から口を挟んできたサウラをうんざりとした表情で見る。
最近シーフゥをからかうことに生きがいを感じているようで、
こうして市場に出ては色々と見聞きしてたまに口を挟む。
目的はともかく、知識を得ることは結構だが、はっきり言って迷惑極まりない。

「こ、これは……旦那、隅に置けませんねぇ。これでしょ、これ」

男が小指を立てて小声で擦り寄るのには本当にうんざりした。

「囲いものかと言いたいようだが違う。
それでこの女の話を聞いたと思うが、もっとまけられないか」
「はは、旦那、旦那専用のイロじゃないなら、ちょっと味見させてくださいよ〜。
それならまけるなんてけち臭いこと言いませんで」

またかと思うと、男の気持ち悪い猫なで声に疲れてきた。
こういうやり方は商人として控えるべきだ、という信念をパザンは持っていた。

「あら〜、私を抱きたいの……。ふふ、高いわよ」
「うるさい。さっさと失せろサウラ。邪魔をするな!」
「あらあら、こわいこわい。またね〜」

サウラは手を振って、素直に何処へと去っていった。
いつまでもにやにやと見送る男を見て、パザンはその後頭部を殴りつけたくなった。

「あー……うぉっほん……。それで先ほどの話なんだが」
「……ええっと、何でしたっけ?」

パザンは徹底的に値切ることを決めた。
半値でも生ぬるい。

*********************

この港に来たのは5日前、予定では荷を積み込み明日にも出発する。
この国では船の接岸料もあるため、目的を果たせば長居は無用である。
そのため今日が正念場であることは、サウラにも重々承知していた。

サウラは波止場近くの岩場で、裸足を海に泳がせて遊ぶ。
濡れないようスカートは腰に結んで裾上げをし、
スリットも意味を成さないくらいに脚を露わにする。
押し寄せる波を見ていると、はじで独り老人が釣竿を垂らしていた。

「お隣、よろしいかしら」
「ほほう、これまたべっぴんさんだのう。どうぞご自由に」
「ここでは何が釣れますか」
「いやぁ、大したものは釣れないよ。まあ暇つぶしみたいなもんだ。
お若いのには退屈かもしれんが、釣りはいいよ。心が洗われる」

サウラは老人からお若いの、などと呼ばれて内心複雑だった。
今の姿は18の頃から変わらない。
血まみれのあの時から変わらない。

「心が洗われる、ですか」

血を浴びた時の恍惚感はまぎれもなく本物だった。
純粋な暴力と破壊の陶酔感、生命が消えていく喪失感。
洗われるという言葉に、少しばかり興味を持って訊ねた。

「そそ、お嬢さんもしてみるかい?」
「えっ、はあ……いえ、やめておきます」
「はっはっは」

お嬢さんなどと呼ばれたことにしばし返答に間が出来た。
サウラの格好を見れば、どんなタイプかだいたいわかる。
老人はなにをそこまでと思わんばかりに呵呵大笑する。

「まあ考えごとなら、海を眺めているほうが良いだろう。
魚を逃してしまい、後悔にさいなまれては元も子もないからのお」
「そうですね」
「何かお悩みかね」
「……」

サウラの様子を見て得心がいったのか、一度糸を引き上げ再度竿を投げる。
波の合間を縫うように、浮きを移動させて狙いのところへとエサを泳がせた。

「まあまあ言わずともよい。
何があったか知らんが、人生悪いことばかりではない。
勿論良いことばかりではないがのう、だがそこが面白い。
おまいさんは何か悩んでいるかもしれんが、
過去のことなら悩んでもしかたない。
これから先のことなら全力でぶつかってみなされ。
たとえ悪い結果であっても、それは己の血肉となる。
たまにまずい飯を食わなければならん時もあるだろう、
そんな気持ちで行けば気楽なもんさ。
食い物なら腹を壊すときもあるが、艱難辛苦は心を磨くもんだと思えば怖くもない。
まあ人によっては、かえって捻じ曲がる奴もいるがな、はっはっは」

若いおなごに人生の講釈をたれるのが嬉しいらしく、満足げに何度も頷いた。
すると浮きが沈み、老人は歳不相応の素早い手つきで魚を釣り上げた。

「どうじゃ、おまいさんも男くらいいるだろう?」
「………」
「お、おや……? これはヤブヘビだったかの。すまんすまん」
「いいから話を続けて」
「おう。まあその……なんだ。
この後に、こんな寂しい老人に付き合ってくれて嬉しいが、
さっさと男のところに帰ってやんなさい、と言うつもりだったのだよ」
「余計なお世話ね」

老人は頭をぽりぽりと掻く。

「だが家族くらいはいるだろう」
「まあ……はい」

幾つもの時代を過ごしてきたが、
この問いにはっきりと肯定でもって返せるのは初めてだったかもしれない。
親代わりであるパザン、弟分であるシーフゥ、
兄かどうかは微妙だが、寡黙で背中で語るところが兄貴ぽいグーリー。
パザンとシーフゥを除けば、誰もが血のつながりを持ってないが、
それぞれしっくり馴染むような感覚を持ち合わせている。

「ほっほっほ、なら安心だ。
まあわざわざ付き合ってくれるおなごを追い返す気はない。
何か考えごとがあるなら、好きなだけここに居なされ。
伊達に歳は取っていない、相談だってお安い御用なもの」
「そうさせてもいますわ」

サウラは人生を振り返り、黙考する。
そういえば今まで、こうして静かに思い出すなどなかった気がした。

思えば何故セドルにああも心惹かれたのか。
入れ込みすぎたと言っても過言ではなかった。
性格、容姿、言葉と思い、そして血筋。
理由を探せばいくつも上がるが、どれも決定的のようで、もうひとつ足りない。
いくら自分のためとは言え、わざわざ先方が願ってもいないのに、
母親を救うために力を奮うなんていかにも自分らしくない行動だった。

「あー、サーウーラーさーん!」
「…………」

シーフゥがサウラを見つけ桟橋を走ってきた。
長い黒髪は二つの金細工の髪止めによってまとめられている。

「見つけましたよ。こんなところで油を売ってないでください」
「シーフゥ。私ね、自分の人生を振り返ってるの。邪魔をしないで」
「そんな見え透いた嘘をついてサボらないでください。
あんまりお金がないから今日は一緒の宿なんですよ。
だからサウラさんが居ないと決まらないから、ほら宿探しに行きましょう。
また後でゴネてキャンセル料なんてご免ですよ」
「…………しかたないわね」

サウラは面倒くさそうに岩場から桟橋へ渡り、待っていたシーフゥの横を歩く。

「えい」
「えっ? ええぇっ!!」

横に立ったらおもむろに足払いをかまして、シーフゥを海へと落とした。
派手な水音は鳴ったが、シーフゥは泳げるため浮き上がる。

「ぷ、はあ。な、な、何するんですか!」
「ふふん、私一人で決めてくるから、あんたは不要なのよ。
わかったら頭冷やしてなさい」
「だ、だ、ダメですよ。予算! よさーん!!」

老人は一部始終を見ており、
「ふむ。あれも家族愛だな。あのおなご、なかなか照れ屋さんと見える」
と呟いた。

********************

それなりに小奇麗な宿の食堂で、サウラを含めて皆が夕食にありつく。
とりあえず予算内であったことにシーフゥは安堵した。
皇国で貰った金貨は、船の改造と商売の元手にほぼ全て消えている。
かろうじて借金をしなくて済んだのは、
サウラが分け前を受け取らずパザンに任せたおかげだった。

「皆聞いてくれ。明日出航の予定だったが、明後日に延期する。
商工組合から連絡が届いて、人が来ることになった。
接岸延期許可も特別に無料でもらえるそうだ。
こちらも荷の積み込みが明日になったから丁度良い。
確認もできず慌ただしく出発するのは避けたかったからな」
「ふーん、誰が来るの?」

サウラの基本的な疑問は全員同じだった。

「最近私も歳でな、もう一人秘書を兼ねて船員見習いを雇うことにした。
それで希望者が明日にでも来るそうだ」

パザンの答えにサウラは怪訝な顔をした。
長権限があるとはいえ、そういうことはもっと事前に言うものではないだろうか。

「初耳だわ」
「まあ聞け」

少々非難がましい口調は通じたようだが、パザンは慌てず間をおく。

「正確に言えば、先方から打診があったんだ。
この一週間の動きを見て決めようと思ってな、やはり人手不足で時間が足りなくなった。
時間が足りなくて滞在延長すれば諸経費もかかるが、それ以上に機を逃す可能性が大きくなる。
商売取引において、何よりもチャンスとタイミングが大事なのは言うまでもなかろう」

サウラは不承不承だが、皆一様に相槌を打つ。

「私も知っている者だが、今度来る彼はとても優秀でな、そうなれば断る理由はない」
「だけど」

底冷えするような声でサウラが割ってはいった。

「私が認めなかったら、絶対に叩き出すからね」
「安心しろ。もとよりそのつもりだ」

パザンにも、サウラが認めなければ難しいと重々承知していた。
だが、まあそんな心配はないだろうと思った。


サウラが一人部屋に戻った後、パザンたち三人も部屋へ戻った。
男衆は雑魚寝部屋である。
揺れる船で寝るよりも、
せっかく陸に上がったなら部屋代がほとんど無料のこちらの方が良い。

「明日来る人、サウラさん納得しますか?」

シーフゥにしてみても、もう少し根回しした方が良かったのではと思っていた。
最近のサウラは妙に気難しく、
今日にしてみても波止場での一件は本当に考えごとだったかもしれない。

「ああ、大丈夫だ。安心してなさい」
「けれどさっきの様子じゃあ。何か怖かったですよ」
「ははは、あれはな、単にもっと早く言えと深く釘をさしたかっただけだ。
……しかし昔のサウラからは考えられない理由だがな。
無理に押し進めるつもりはないが、仮に押し進めたとしても最終的には折れるよ。
雇う理由を話した時、納得していた」
「そうですか? 殺気を感じましたけど……」
「はは、まあ明日も早い。朝からあちこち周らなければならん。もう寝よう」

部屋の一角で川の字になって眠る男三人だった。

***********************

一夜明けて、サウラはまた波止場近くの岩場へ向かった。
昨日の釣りをしている老人はいなかったが、打ち寄せる波を無心に見ていた。
せっかくだから、釣竿でも借りておけば良かったと思った。


パザンたちは朝食を終えた後もテーブルを借りて、簡単な打ち合わせを始めた。

「シーフゥは先にグーリーを連れて代金の支払いに行ってくれ。
物自体は直接船に運んでもらい受け取る予定だから、領収書だけ忘れずにな。
私は港で人夫に指示をして搬入と、今日来る見習いと待ち合わせをする。
終わったら船まで来てくれ。あとは帳面をつけて一段落だ」
「わかりました」
「そうそう。やはり先に言っておくか。今日来る者はな――」

シーフゥは驚いた。
それはもう、天地がひっくり返るくらいに驚いた。
いったい何を考えているのだろうか。

***********************

正午を過ぎ、そのまま日が沈みかけてもサウラはそこに居た。
夕日の赤は優しい。明日への再生を約束されている。

「ふうぅ……」

本当はパザンたちから姿を消そうか悩んでいた。
セドルの血の力を借りて、一瞬を見計らい封印を施したが、
効力を発揮するのはまだまだ先の話。
歳を重ねるのはずっと後の自分、だが彼らは問題なく時の洗礼を受ける。
人間で一番始末に終えないのが、経験上不老不死への願いだった。
サウラが見た様々な望みの中で、これ以上ありふれた狂気はない。
狂気に侵された人間を見るのは面白楽しいが、それがパザンたちに及ぶのは耐えがたい。
彼らが老いた時、今だに若い自分を許せるだろうか。

だが、少なくとも今は離れるのはつらい。
これも自ら湧き上がる欲求ならば、自然のまま受け入れたい。
だから信じてみよう。
セドルとの別れの時に見せた力、それを踏まえた上でパザンたちは変わらず接してくれた。
長年付き合いがあるパザンとグーリーはともかく、
シーフゥの存在は決断への一助となってくれてた。
日々決断の連続なら、今日決断、明日決断して進もう。

「よし決まり! さあ行きましょうか」

サウラは立ち上がって背筋に伸びをいれた。
このまま悩んでいても変わらない。
明確に答えが見えた訳ではないが、結局は今までどおりで行くことと決断する。
夕日に照らされながら、今度は自分が再起する番だった。

そういえば今日来る人がいたことを思い出す。
迎え入れられるかどうか、出足から少々不安になる。


桟橋を歩くとすぐに船着場だ。
パザンたちもそこに居るはずなので、周囲を見渡した。
すぐに発見できたが、見かけない後ろ姿があった。
きっと彼が新入りなのだろう。

「ん〜。まあ最初はヨロシクとかで……」

サウラは初対面の挨拶を考えながら近づいていった。
それを先に気付いたのはパザンだった。

「サウラか。丁度良い、紹介しよう。彼が今日から新しく入るセドル君だ」
「はあい、私サウラって言うの。ヨロシ……ク…………ネ」
「彼は優秀でな、義務のため海軍に一年所属経験がある上に経理にも詳しい。
経済や世間一般の情勢は少し疎いが、それはおいおい教えていくつもりだ。
そうそう、この場で敬称は、一員として迎えるに返って失礼だからな」

パザンの紹介が終わると、若者は照れくさそうに頭を下げる。

「よろしくお願いします。サウラさん」

夕日で遠目からわからなかったが、
黄金色の髪に、少し日焼けしているが周囲に比べて圧倒的に白い肌。
服装はまったく違うが、まぎれもなくセドル王子だった。

「しかし国は大丈夫かね」
「はい。父は健在ですし、アズメイラ王妃など私より優秀で努力家です。
サウラさんが去った後、恩赦で必要な人材は復帰させましたから官僚も揃っています。
あと、何よりも元気になった母が後押ししてくれたんです。
サウラさんのことご存知らしく、是非よろしくと言付けもお願いされました。
本当に何も心配ありませんから、遠慮なく使ってください」
「ぁ、あのババア……止めなさいよ」

留守中アズメイラを信じて旅立ち、サウラを追いかける。
息子は女を見る目がないとあれほど言っていたのに、いったい何を考えているのか。

「こちらこそよろしく頼むよ」
「はい」

パザンとセドルがしっかりと握手をした。
それを見てサウラは慌てる。
これでは封印を施したのに壊れてしまう可能性が極めて高い。
せっかく練ってきたプランが台無しになってしまう。

「ちょっと待ちなさいよ。私は認めないわよ!」
「えっ、ええ! な、何でですか」

セドルは思っても見なかった台詞に驚き慌てふためく。

「ははは、サウラは恥ずかしくて言ってるだけだ」
「そうそう。歓迎の挨拶ですって。くっくくく。
本当は嬉しくて嬉しくて仕方ないんですけど、
ついつい逆のこと言ってしまう時ってありますよね。
それですよそれ。ぷっ、に、似合わないですけど……あはははははは」

シーフゥも可笑しいらしく、必死で笑いをこらえていたが、ついには爆笑してしまった。

「なにシーフゥも笑ってるのよ! 認めない、ぜぇ〜ったい認めないからね!!」
「良かったな。封印がどうのこうの言っていたが、まったく無意味になりそうだぞ」
「わかってんなら追い返しなさいよ! い、今からでも海の藻屑に!!」
「わわっ、やめてください! 泳げませんから!!」

極寒の皇国で泳ぎはまず必要ない。
空気の読めるグーリーはサウラを背後から押さえた。

セドルとエッチしなければいいのだが、
自慢にもならないがサウラはそんなことをまったく考えられなかった。
皇国で正式にセドルのお膝元に収まった後でさえ、
本当は毎日したくてしたくてしたくてしたくてしたくてしたくて
我慢できなかったというのに。

「認めないんだから! 私の人生を返しなさーい!!」
「あ、あの、サウラさんの事情わかってますから。
いえ、よくわからないですが、私と……その……ゴニョゴニュ……するとまずいのですよね。
大丈夫です。子供じゃありませんから我慢できます。
それにサウラさんを尊重して、しっかりわきますから安心してください」
「なによそれ! ちっともわかってないじゃな〜い!! もうセドルのバカバカー!!」

夕日が沈んでもサウラの絶叫が木霊していた。
結局セドルはサウラに一切触れてはならない、ということで決着をつける。
はなはだ実効性に疑問が持たれる協定だった。

******************

その後、ささやかながら歓迎の宴席をもうけられた。
最初サウラはふて腐れていたが、次第に口数も多くなっていった。
セドルの所信表明、思い出話にその後の皇国の皆の近況、色々話しも弾み夜はふけていった。

皆が寝静まった後も、パザンとサウラはお互いのグラスに果実酒を注いでいた。

「それにしても謀ってくれたわね」
「いつもやられっぱなしなのでな。たまにはこういうのも新鮮でいいだろう」

くつくつと笑いご機嫌なのはパザンだった。
特段謀るつもりはなかったが、
ここまで見事に感情を出せばそうと思われてもしかたがない。

「だが良かっただろ。この際本心を言ってしまえ」
「はああぁ……うん嬉しいわよ」

ため息ひとつついた後、あっさりと言った。

「ただ自分でも何で嬉しいのかよくわからないの。
私って母親になったことないからわからないけど、
なんかさあ、時々セドルのこと、自分の子供みたいに感じたりするのよね。
だから会えて嬉しいのかもしれないわ。
セドルを見てるとたまに心配だったりして落ち着かないのよ。
これって結構母親っぽい感情だと思わないかな」
「……それは単なる恋愛感情だろ。普通息子と交わったりはせんと思うが」
「普通? う〜ん、そうかあ。フツーねえ……」
「まあ血筋がつながってないから、どうこう言えるわけではないがな。
もし本当にそう思ってるなら、あんまりちょっかいを出すなよ」

サウラは暫し普通という言葉を小声で連呼し、舌の上で転がす。
案外息子と言うのもあながち外れではないのではないか、そんな気がした。
今も過去も、サウラには子供はいない。
だがこうもセドルに惹かれる理由を補完するには充分な答えになる。
やはり血が求めているのかもしれない。

セドルは自分に興味を持っても、出だし積極的に身体を求めることは少なかった。
我慢強さや羞恥心もあったかもしれないが、
サウラはそれくらいの精神は破壊できる自信があり、実際にかなぐり捨てて求める者がほとんどだ。
身柄を手中にしても特に変化がなかったのは、
意外というよりも異常があるのではないかと疑いたくなったりもした。
もしかしたらパザンの言う普通が、意識の外で働いていたのだろうか。
ならば遠い遠い遥か過去に、同一の縁者、ないしは同類がいたのかもしれないことになる。
実証しようと思っても、幾星霜も遡らなければならないから無理なのが残念だ。
だが逆に悠久のロマンがそれを否定させてはいない。
もしセドルの祖先、ファルセリオン王家が自分と同じ立場、
似た存在から成り立ったのなら、これほど心躍る想像はない。
つまりセドルはサウラの未来であり、
飛躍すれば自分は人間のアーキータイプのひとつのわけだ。

ふと思い当たることがひとつ出てきた。

「ああっ、今謎が解けたわ。
パザンが何で私に手を出さないのか不思議だったけど、そういうことだったの」

パザンは片手で髭をなでつける。
いささか伏目がちに、サウラのグラスへと酒を注いだ。

「俺はお前の親のつもりだが」
「そのわりには引き取った後、娼館に売ったわね……」
「まあな。あの頃はまだまだ駆け出しで、売れるものなら何でも売っていたからな。
だがまあ、お前にはぴったりだっただろ」

ふん、とサウラは鼻息荒くグラスを傾けた。
なみなみと注がれていたが、手を下ろしたときには半分以下までになっていた。

「あんたさぁ、セドルをよく見てなさいよ。
貴重な血族、やんごとなき身分。まあそれを差し置いても、将来国を背負う身なんだから。
遊びに行くにしても、しっかり付いて行って、
館主に話しつけて、いい娘を薦めてやるのよ。無駄に顔が広いんだからさ」

いきなり何の話かと思ったら、いかがわしい所へ連れて行く時の話だった。
娼館つながりで出てきたのだろう。
確かにこれは母親っぽい感情かもしれない。
ただし、かなりズレているが。

「彼だって大人だろ。余計なお世話だと思うが」
「バカ! 変なビョーキうつされないように見張ってなさいってこと!
あの手の病は治りにくい上に、種無しなっちゃうかもしれないから」

サウラは威勢よく言った後、もじもじと重ねた手をくねらせる。
いきなりの急変振りに驚く。
どうやら酔っているようだった。

「だ、だからさ……もし、もしもそういうトコ行くくらいならさ、私を薦めなさいよ。
最初はあんなこと言っちゃったけど、
む、無理矢理でも押し倒せば……うん私、拒めないしぃ……とか言ってさ。
だ、だってさあ、安全じゃない、私って。
ビョーキないし、ならないし、うんうん。そうよ、一番いいよ」

この後、ぶつぶつとよくわからないことを呟く。
パザンは隔世の感すらあったサウラが、
実に人間らしい反応をしていることに笑いたくなった。
母親として身体の心配をしたり、
女として娼婦に接待を受けるセドルを想像し、嫉妬しているわけだ。

「ああ、わかったわかった。
だがそれくらい心配してるのなら、お前が見てればいいだろう」

至極当然の台詞を聞いて、サウラはしょんぼりとした。
残り半分のグラスを一気に呷る。

「バカぁ……それが出来たら苦労しないわよ……」

ぐすぐすと鼻をすすりながら涙ながらに訴えた。
この先どんどんと時の流れの差がつらくなるばかりだというのに。

やれやれ、どうやら精神年齢も小娘のままらしい。
パザンにはすでにサウラの成長や老化が止まっていると検討をつけていた。
十年近くも付き合いがあれば、薄々わかるようなものだ。
肉体的成長が止まると、精神もそれに習うのかもしれない。
正しい見解かもしれないと思ったが、
アズメイラ王妃を思い出すと、やはり一概には断定できないとも思った。

パザンは居住まいを正してサウラに向かう。
親なら子の幸せを願うものだろう。

「サウラ殿にお願いを申す」
「何よ。急に畏まって」
「もしよろしければ、我々の行く末を末永く見守ってもらいたい。
私も、グーリーも、シーフゥも、そしてセドル殿もまた然り。
虚も実も自在に操る頭脳に手腕、人の身にあらざる異才を持つからこそ願いたい。
その最後、息を引き取る瞬間まで」

サウラは言わんとするところが理解できると、
今度はどういう顔をしたらよいのかわからなくなった。
空のグラスを見つめたり、天井の明かりをぼんやり見た後、窓から漁火を眺めた。
今日も人の営みが間違いなく続いているひとつの証だった。
自分もこの中に違和感なく混ざることが出来るだろうか。

「パザン……あんたさぁ、いい奴だね。
私、色んな人間を見てきたけど、こんな風にいい奴って思うのは初めてかもしれない。
たくさん持ってる、けどいらない……欲しいものなんてない。
そんな私に、最高の品がわかるパザンは、最高の商人だよ」

結ってあったサウラの髪が、紐を弾き飛ばしてあたりに広がる。
神気が辺りを覆い、切り取られた空間に禍々しい瘴気がたゆたう。
セドルとの別れ際の時に見た、優しさと生命に満ちた暖かさとは違い、
死と虚無によって塗りつぶされる。
悪寒がざわめき総毛立つが、不快のようで妙な安心があった。
おそらく人は最後にここをくぐるものなのかもしれない。

「よろしい、パザンよ、その願いを聞き入れよう。
だがこれは成就でも褒美でもない。
そなたを商人として尊重するゆえ、これは取引に伴った契約とする。
あらかじめ言っておくが、
我は人の身にならうため、奇跡を用いることはけっしてないだろう。
時には女神より優しく慈悲深い、だが悪魔より狡猾で冷酷な我ゆえ、
道連れの中でも一筋縄ではいかぬぞ。それでも良いか」

パザンは恭しく礼をとる。

「無論です。取引が成立するということ。
これは全ての商の根幹にあるものが我々にあるということです。
それは信頼に値すると同位を意味します。
これの前には、人でも神でも悪魔でも皆対等でしょう」

それはサウラが初めて『力』を使わないでかなえる願いだった。
そして初めて、いつも与えるばかりだったサウラがした取引だった。
双方が欲しいもの、望むものを交換する。
一見欲望に基づいたドラスティックな行動だが、
そこには確かに信頼があり、喜びがあり、幸せがあった。


過去、神と悪魔を併せ持つサウラに刃向かえたものはいない。
善と悪、陰と陽、光と闇、
相反しているが表裏一体のもの。
調和のときこそ真の強さが見える。
それが可能なのはサウラと人だけだった。






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