病室はお静かに(非エロ)
シチュエーション


《頼むよ、ちょっと顔出してくれればいいからさ!》
「無理だってば。今日は予定アリだから。」

歩きながら、携帯越しの押し問答。無駄だってのに粘るなあ。

《つれないこと言うなよ〜、一人急に来れないとか言い出してさ〜。》
「あ、ホント。」

さして興味もない。俺はいつものように角を曲がって信号にさしかかる。

《女の子三人に男二人じゃ耐えらんないんだよ、助けると思って!ね!》
「いや、いいじゃん。何がダメなんだよ」

信号が青になった。そもそも参加すると言った覚えもない。

《いやそのー、こっちが少ないと、なんかその、さみしいじゃん…。》
「だから、今日は予定あってほんとに無理なんだ。ほかの奴を誘ってくれよ。」
《…じゃあ、洋一の予定って何なんだ?》
「…ん、ちょっと知り合いの見舞いにね。」

相手が少し押し黙った。お、さすがにわかってくれたか。

《…その見舞いの人って、どんな感じなんだ?》

ぴっと、荒い感情が鼻先をかすめた。

「…いや、少し入院が長引いてるだけ。」
《…じゃあさ、ちょっと!ちょっとだけこっちに来てよ!見舞いはまたいつでもできるかもしれないよ?でもさ――》

ぶちっと電話が切れた。いてて、親指痛い。
携帯をポケットにしまいこみ、さらに歩く。この坂を登りきれば目的地だ。

「ふう…」

白い壁、広い駐車場、大きな玄関。
そう、ここは病院。
今日は第三土曜日。二週に一度のお見舞いの日である。

待合室の自販機で缶コーヒーを買った。
普段なら直に病室に向かうのだが、今日はいつになくけだるくて、一息つかずにいられなかった。原因は言うまでもない。

(見舞いはまたいつでもできるかもしれないよ?でもさ――)

本当にそうなのか?どうしてそう言い切れるんだ?
数年前の記憶が頭にちらつく。

(けして死んでしまうような状態ではない…)

あの日の医者の言葉。あれも本当なのか?
疑い始めればきりがない。
あの時の言葉は、騒ぎ立てる子供達をうまくだますための、ただの方便だったんじゃないか?
二週間前に病室で言葉を交わした水香が、今日も変わらずに病室にいるという、そんな保証はどこにもない――。
不意に缶コーヒーが手から滑り落ち、自動ドアの方に転がっていく。
あわてて拾おうとドアに近付いて、映りこんだ顔にびっくりした。
まるで重い病気を抱えたような、暗く沈みこんだ自分の顔。
いかん!いかんいかんいかんいかん!
コーヒーを小脇にはさみ、ごしごしと両手でこすって顔をほぐす。いかんぞ松崎洋一。見舞いに来た奴がこんな顔してたら、治るもんも治らん。
しっかりしろと自分に言い聞かす。水香本人のつらさはこんなもんじゃないはずだ。
よし、気合入れていかなきゃな。悪い方に考えててもしょうがないんだから!
何もなくてもそばにいる。何かあれば力になる。それが友達ってものじゃないか。

――自分がいることで、ほんの少しでも水香のつらさが和らいでくれれば。
そこまで考えて、やっとプルトップを開けてコーヒーが飲めた。

空き缶を捨て、階段を上る。水香の病室は二階の奥、長い廊下を歩いた先にある。
この廊下もなかなかもどかしい。遠くからでも病室のスライドドアは見えるが、たどり着くまで結構時間がかかるのだ。

「?」

あのドアは水香の病室だったはず。そこから出てきた白衣姿に、少し不安がざわめく。
ドアを後ろ手に閉めた後も、白衣姿はうつむいていた。なんだおい、なにがあったんだ?
つい先ほどの気合があっさりとかき消されそうな感覚。無意識に小走りで白衣に近づいていた。

「あの…」
「ああ、君か…。」

思い出すまでもない、あの日の医者だった。ストレスで胃でも痛むのか、表情が一層辛そうになった。

「水香は…?」
「うん…」

相変わらず歯切れの悪い医者だ。俺にどこまで話したらいいのか、計りかねているようにも見えた。

「…大丈夫だ、彼女は。…君は、いつも通り接してあげなさい。」

いいね、と言い置いて、硬い表情のまま去ってしまった。
おかげでオレは、スライドドアの手すりを見つめたまま数回、深呼吸をしなければならなくなった。
病気が?発作が?他の何かが?空回りに近い速度で巡る思考を振り払って、すがるように医者の言葉を頭の中で繰り返す。
いつも通りに、そう、いつも通り、同じような態度で……。
手すりをつかんで、最後に少しだけ長く息を吐き、ゆっくりとドアを開けた。

(!!)

瞬間、医者に会っておいてよかったという思いがまたたいた。

「あ…」

寝ているというより、薄っぺらいシ−ツに押し潰されているような水香がいた。

「んく……」

ぎこちなく体を起こそうとしている。水香なりにいつも通りでいようとしているようだった。
それが今、腹をえぐられるようにつらい。
耳が痛くなるほど静かな病室。そのせいで、衣擦れの音や水香の呼吸音が、どうしても聞こえてくる。
なにかうっとうしく感じたのは、自分の胸元で暴れる心臓だった。

「ふぅ…」

ベッドをきしませ、壁にもたれて体を起こす。それだけで、少し息が上がっている。
音のない部屋が、そんな気付きたくない音まで耳に拾わせる。
――明らかに、いつもと様子が違う。

「……、よぅ。」

俺の顔は大丈夫だろうか。水香の不安を煽るような表情だけはしたくない。

「……」

すぅ、と息を吸い、ゆっくりと吐き出す。まだ呼吸が、整っていないのかもしれない。

「…、……うん。」

いつも通り、病室のドアを閉めた。

スツールをいつもより少しだけベッドに近寄せ、座る。なぜか自分の足音が、やたら耳に付いた。

「…」
「…」

水香はどこか悲しそうに、視線を下に流している。
半分ほど形になったジグソーパズルをつまんでみたが、とてもそんな気になれない。
ぼんやりとピースを眺めているだけだ。ただただ、時間が過ぎていく。

「なんか…」
「あの、ね…」

言葉がぶつかる。少し遅れて、視線もぶつかった。

「…なに?」

小首を傾げて、言葉を促す。水香のよくやる仕草だ。

「あ、いや…」

訊いていいのか、よく考える前に声にしてしまった。しかし、いまさら引けない。

「その…」

…おまえ、大丈夫なのか。…いや違う。

「…おまえ、どうかしたのか。」
「……」

また、すぅと息を吸う。怒るでも、悲しむでもない、訊かれると分かっていたような顔。

「……とうやくがね」

投薬がね。聴き違えないように、頭にタイプしていく。

「…ききすぎちゃったって、言ってた。」
「………そうか。」

改めて、言葉の意味を考える。
投薬が効きすぎた。ということは、今の状態は薬によるものなのか。
それじゃ、薬の量さえ減らせば元気になるのか?
なんだ、いいことじゃ――
いいこと、なのか?
盗むように、水香を見やる。

「……」

いつにもまして表情が固い。隠そうとはしているが、状態が好転したとは思えない。

(大丈夫、なのか?)

電話の言葉、あの医者の顔、そんなことばかり思い出す。

「……」

いやな感じだ…。いやダメだ、なんとかこの重い感じを変えないと…。

ブイ、ブイ、ブイ、ブイ。

(!……。)

しまった、メールだ。誰からなのか予想はつく。携帯の電源を切っておくべきだった。

「…鳴ってるよ。」
「え?ああ…」

しかも水香に聞こえていた。
つくづく今日は、病室の静寂が恨めしい。
携帯を取り出す。クソやっぱりかよ。メールを開くが、読まずに閉じる。ついでに電源ボタン長押し。
何事もなかったようにポケットへしまう。
さりげなく水香を見たが、窓から外を眺めていて表情は見えなかった。

「…行ってよ。」
「ん?」
「…メール。なにか、あるんでしょ…?」

おっと。
…まったく、ときどき妙に鋭いんだもんな…。

「メルマガだよ。」

軽く肩をすくめた。うん、我ながらいい感じ、重い空気もちょっとは軽減かな――
ふいに、水香がこっちを向いた。

(!)

よどみなく、まっすぐ、心を覗かれるような目で、射抜かれた。

「…」

たじろいだか。いや、そんなことはない。
ぷいっと窓に視線を戻して、

「…うそ。」

一言、断言した。

「…よーくん、うそついてる。」

……見抜かれた。
くそ、こいつ。ごくたまにこんなことしやがる。

「…たいした用じゃない。」

軽く首を振って。
まだだ、立て直せ。ていうかオレは行きたくないんだ。

「…いいの。気にしないで…。」

あ、まずい。これは悪い方向に進んでる。

「……気にしないで。じぶんのせい、だから……。」

自分のせい。自嘲的な、痛ましい笑いが水香の顔に張り付いている。

「ビョウジャクなのに、外であそんでた、わたしのせい…。」

ビョウジャク。

「じごうじとく、だもん…。」

自業自得。

「違う。」

思わず、口に出ていた。

「それは違う…。」

水香のせいじゃない。ああ、嫌な記憶がよみがえる。

(大森さんは体調を崩したので、しばらく学校に来なくなります…)
(大森って、だれ?)
(あの、体弱い子。遊んでたら、変なのが体に入っちゃったんだって)
(ふーん…。体弱いなら、家にいればいいのに…)
(そうだよねー…)

違う!悪いのは水香じゃない。
悪いのは、
悪いのは…!

「オレのせい、なんだ…。」
「え…?」

思考がぐるぐる回って、回りすぎて熱くなって、わけがわからなくなって。
それまでため込んでいた思いが、あふれてしまった。

「オレが…、オレがあちこち連れ回ったせいで、水香が…こうなったんだ。」

ダメだ。また嫌な記憶がよみがえる。

水香に変なものが入るより、少し前。

(ねえヨイチ、ミッカと外で遊ぶの、やめよう?)

ミキがつまらなそうに言ってくる。

(ミッカ、楽しそうだけど、つらそうだもん…。こないだだって、ケンタがミッカのかばん持って家まで行ったんだよ?)
(…。)

あの時のオレは、ミキより不機嫌な顔をしていた。

(ミッカのおばさんにも、「あんまりムチャしないように見ててね」って言われたし…。ねえ、もっと家でできる遊びしよう?)

だけどオレは、水香と外で遊べなくなるのが嫌だった。
だから…。

(じゃあ最後に、あの工場に行こう。それで、もうやめる。)

帰り道の途中にある、錆びて赤茶けた廃工場――
あんなとこ歩き回ったばっかりに。
自分の都合を押し付けたばっかりに。


――ミッカ!?どうしたの――!?


廃工場の帰り道、水香は、ガードレールにもたれていた。


「あの工場に行こうって、『たんけんだー』なんて、ガキみたいなことやってなけりゃ、水香だってこんな目に合わなかった。」
「…。」
「バカだったんだ。水香の体のことなんて考えもしないで、好き勝手に遊びに付き合わせて…。」

そのせいで、水香はずっと病院に閉じ込められてる。オレのせいで。
だからオレは、今でも二週に一度はここに来る。他の奴とは事情が、責任が、違うから。
それが通い続ける理由。半分は本当だ。

「あんな遊びなんかしてなきゃ、水香は今も普通に学校行ってて、楽しいことだって今よりもっと――」
「…ふっ…」

そこでやっと、水香の様子に気づいた。

「…え?」

泣いている。水香が、泣いてしまっている。

「…そんなふうに、みてたの……?」

…なんだ、オレは何をべらべらしゃべってたんだ?
ぽろぽろと、白い頬に跡をつけ、拭いもせずに泣いている。
そうさせたのは、まぎれもない自分で。
回りすぎて熱くなっていた思考が、今度は急速に冷えて、凍りついていく。

「わたしが…っ、…かわいそう、だから、きてたの……?」
「あ…」

違う…と、言えたんだっけか。それすらもはっきりしない。どちらにしても、何も変わらない。

「…。」

なにをしゃべったらいい。どうすれば、水香が泣くのを止められる。わからない。わからない。
待ってくれよ、そうじゃないんだ、なんて言えばいいんだ――

「でてって……。」

それが聞こえなかったわけじゃない。ただ、信じたくなかった。

「出てってよっ……!」

まるで操り人形みたいに頼りなく立ちあがって、重い両足がのろのろ歩いていく。スライドドアの前まで。
バーをつかんだところで、なんとか踏ん張った。
このまま出てっちゃダメだ。
言わなきゃ。
言うことが。
くすんだ白いドアを睨み、背中で水香のすすり泣く声を聞きながら、あの日の自分が問いかける。

(どうして、そんなに「たんけん」がしたかった?)
(どうして、そんなにミッカと外で遊びたがった?)

…本当は?

本当は。


オレは…。


「…好きだったんだ…。」

バーに映る、ゆがんだ景色を見ながら呟いた。

「遊んでる時の、笑ってる時の、おまえが。」

初めて声をかけたときの、涙をためた目。
枯れ枝を振り回すバカなガキんちょについてきた、楽しそうな顔。
かくれんぼの数を数える、弾んだ声。
病室で話すようになってから、かけらもなくなってしまった。
だから、せめて、そのかけらの、ほんのはしっこでいいから。

「笑っていて、ほしいから…。」

それが、理由。まぎれもなく本当の、ここへ来る理由だった。

「だから、その…かわいそうとか」

顔を向けて、こわごわと。少しだけ水香を見た。
水香は…。

「…。」

目に涙をためたまま、驚いたみたいにこっちを見ている。
まるで時間が止まったように、そのままだった。

「…。」

長いまつげが上下して、またひとつ涙がこぼれて。
引いた波がまた押し寄せるように、水香を泣かせたんだという事実が戻ってきた。

「ごめん…」

ダメだオレは。もしかして失敗を取り戻そうとしてもっとひどいことを言ったんじゃないのか?
もうバカだ、帰ろう。ここにいたら水香を傷つけるばっかりじゃないか。

「ごめん!」
「…っあ」

ドアを開けて廊下へ出て、後ろ手で閉めて歩き出す。
最初は早足だったのに、長い長い廊下を突き当たるころには、ほとんど走っていた。
そうして逃げるようにして、オレは家路についた。

「へーえ、それで?」

携帯電話を耳に当てつつ、あたしはおやつの板チョコをぱりぱり開ける。
母さんに見つかったらまたぶつぶつ言われそうだけど、あたしだって相手は選ぶっての。

《いや、だからその……どうしたらいいかなって。》
「あやまんなさい。」

即答してから、チョコをぱきっとかじる。うん。やっぱりクランチ最高。

《そ、そうだよな…。…そうだよなぁ。》
「だってミッカの具合が悪くなってるっぽくて、ヨイチが変なこと言って、ミッカが泣いちゃって」

ここでコーヒーを一口。チョコとコーヒーって合うわよねぇ。

「…でてけーっていわれてそのまますごすご帰ったんでしょ?完全にヨイチが悪いじゃない。」
《…。》

電話越しに聞いた話を要約すると、そうなる。
なのになんか、電話の相手は歯切れが悪い。んまったくいらいらする。

「なによ。どっか違うの?」
《い、いや、合ってる。一週間前にそれがあって。》

ふぅん。先週の話と比較して一部がすっこぬけてるけど、そこはしょうがないか。
幼馴染でも、そういうことってあるもんね。

「で、来週のお見舞いにどんな顔して合いに行ったらいいかわかんないってわけ。」
《…そうなんだよ。…なぁミキ、ちょっと見舞いについてきてくれよ。》
「イヤよ!あたしあの子に『治るまで会っちゃダメなの…』って泣かれるのなんか二度とイヤ!」
《あ〜、そんなことあったのか…。ホント困ったなぁ…》

途方に暮れたみたいな声出してる。

「フツーに行ってこないだはごめんなさいでいいんじゃないの、分かんないけど。」
《おいぃ、そんな適当に言うなよ…。》
「テキトーじゃないわよ、あたしは最初っから謝んなさいって言ってるわよ。」
《うぅあぁ、そうだな…。》

…だめだこいつ、完全にヘタレってる。
しょうがないなぁ。少し時間を開けたほうがいいか。

「じゃあ、来週行くのはちょっと休んで、次からなんでもないような顔していけばいいじゃない。」
《あー、三週間後か…。…でも、うやむやにするのは良くないよな…。》

おもわず、ため息が出た。

「それじゃ、次行った時に謝んなさい。」

っていうか謝るとかいいから会いに行けっつの。もっと大事なことがあんでしょうが。

《うん…。そうするよ。》

あー、もー、いらいらする。七日前の電話のテンションを聞かせてやりたい。

(あのね、さっきね、あでも私の勘違いかもしれないんだけど、でも、その、たぶんなんだけどね…)

落ち着かせるのに15分。筋道立てて話を理解するのに30分。まったく。
…それでも声が聞けたことの方が嬉しかったけど。

「はい。この話もうおしまい。もう電話切るわよ、今日もピアノあるし。」
《あ、おう。…ピアノはほんと続いてるよな。》
「体当たり食らわすわよ。」
《あ、ごめんごめん。体当たりはやめて。》
「今までの茶道とか乗馬があたしに合わなかったの。」
《あ、そうでしたかすいません。》

ふん。運が良ければケンタもふっとぶあたしの必殺技に恐れをなしたわね。

「んじゃまたね。」
《おう…。》

電源ボタンを押して、時刻を見る。16:52。5時頃って言ってたから、そろそろかな。
チョコをぽりぽり、足をぱたぱたさせながら、携帯をちらちら見る。
まだかな、まだかな…。
…っ!

「もしもし!?」

なんだか最近、お姉ちゃんのテンションが高い。
なんかちっちゃいころからの友達が、久しぶりに連絡をしたんだって。
私は良く知らないけど、晩ごはんの時もニコニコしてるから、きっと仲の良い人だったのかな。
私としても、お姉ちゃんが嬉しそうにしてるのはいいと思う。お母さんとも口げんかするの、減ったし。
ただその…

「もしもし!?」

…お姉ちゃん、聞こえてるよ…。

「…が電話してき…、…メね、来週はちょっとムリ…」

隣の部屋の声がここまで聞こえるって、なんでこんな壁うすいの、この家。お姉ちゃんの声がおっきいの?

「…、ピアノは6時……、全然…」

携帯で音楽聴いてようかなあ…。
…あ、イヤホンお姉ちゃんに貸してたんだった。

「…によ、…週の元気はどこ……のよ!?」

…こうなったら、お姉ちゃんに直接言おう。聞こえてるって。
勇気を胸に、私は希望の一歩を踏み出した。

「もう、大丈夫よってもーう。」

…お姉ちゃん、ドア隙間あいてるよ。だからだよ。

「三週間も時間あるんだから、ゆっくり考えとけばいいじゃない。」

閉めたら静かになるかなあ。やっぱり一言言ってからの方がいいかなあ。

「でも恰好がパジャマってのもねぇ…。なんかネックレスみたいな、あっ!あたしがあげたやつあるじゃない!着けてる?」

…でも、お姉ちゃんすごい楽しそうだし…。

「なぁんでよぅ!……なにがよ!あんたのなんだから、あんたが着けなきゃもったいないじゃない!」

…やめとこう。お姉ちゃんには、あとでちゃんと言おう。

「そんなことないわよ!あたしが選んだんだもん、絶対かわいい…」

静かにドアを閉めて、私は階段を下りた。

…リビングで、お皿洗うの手伝ってこようかな。


…三週間、か。
…あれだね、光陰矢のごとしってね。早いもんだぜ。
もちろん今病院ですよ。お見舞いに来てますよ。
いつも通り階段登って、長い廊下歩いて…うん。

…そのまま歩いてってエレベーターで二階分上がって屋上にいます。ハイ。

「どはあぁあぁぁ……。」

ミキがいたら確実に体当たり食らってるな。
分かってんだよ情けねーなってのはでも泣かしたダメージが全然消えなくてこうなっちゃいましたハイ。すいません。
ちょうど誰もいないもんだから好きなだけがっくりできるな。はあ。

…水香があんな泣いたの見るの、初めてだったもんなあ。
今まで、涙ぐんだりはあったんだけどさ。あんなぼろぼろ泣くのなんて…しかも自分のせいでってのは、なかったからなあ。
謝って許してくれるかなぁ。嫌そうにされたらどうしようかなぁもう…。

「あ、よーくんだ。」
「えっ!?」

飛び上がるほどびっくりした。後ろにいた。水香が。

「…ふぅー…。」
「……えぇえ!?」

どぎもをぬかれた。そのまんま動けないオレを見て、くすくす笑っている。
笑っている。水香が。

「な、なん、てかどうやって!?」
「…歩いて。」
「はぁっ!?」

あり得ない。ここまで歩くって、あのくそ長い廊下を歩ききった上に、階段を二階分ぐるぐる上がって…。
そんなバカな。
記憶がまたたく。

――あの廃工場の帰り道。横断歩道。
水香は…
横断歩道を渡れなくて。
オレとケンタでおぶさって――

そんなバカな。

「な、なんでそんな、あの…」
「リハビリ。」
「リハっ…リハビリ!?」

なんだそれ。それって…!

「投薬で…、悪いのがなくなったから…リハビリ。」

なくなった。
悪いのがなくなった。
今、そう言ったよな。
それは……それはつまり…。

「……おまえ、治ったのか…?」
「…そう。」

確かにそう言った。うなずいたんだ。

「…おまえ、治ったのか!!」
「うん…!」

おもわず、肩を掴んで声をあげた。

「そっか!そっか良かったなぁ!!」
「うん、うん…。」
「なんだよ泣くなよ、いいことなんだろ…っ」

言いながらぼろって涙が出た。クソォかっこ悪いなもう。
ごしごし目を擦って携帯を取り出す。こうしちゃいられない。

「ミキとケンタにも伝えるよ!あいつらも喜ぶぞ!」
「うん…!」

『ミッカが治った!!』ってだけメールに書いて、同時送信した。行けコノヤロー!

「はぁー…、よかったな、ホント。」
「うん…。そ、その、それと…」
「ん?」

振り返ると、うつむいた水香。
首から下げた、青いイルカがゆらゆらしてる。

「ま、前に、来たときの…」

ぎくっと体がこわばる。そうだ謝らなくちゃ。

「あ、あれな…」
「その…、…わ、私のこと、…す、すきだって」

え。
そんなこと言ったかな言ったよな。うん。
なんつうかその場の勢いってかいや勢いじゃないな今までのためてたやつがこう…ポロっと。
また心臓がやかましく跳ね回り出した。

「あ、あの、あれって…」

水香の顔は見えないが、きっと赤くなっている。

「…ほ、ホント?」

…本当だ。
なのに、喉になにかがはまり込んだみたいに、うまく声が出ない。
…だーくそ、本当のことを本当だと言うだけだろが。詰まるなオレ!

「…ほ、本当、だ。」

水香の手が、イルカを包むように握った。
うつむいてた顔をさらに下に向けて、絞り出すように。

「わっ…、私…」

ゆっくりと顔を上げる。白いほっぺを赤くして、今にも泣きそうな水香がいた。
ぎゅう、とイルカを包む手を強くする。それにすがるように。勇気をもらうように。

「……わたし…、……わっ、わたし……、も…」
「水香ちゃーん、ここにいた…の……」

すべての人間が、急速に動きをなくしていく。

「…。」
「…。」
「…。」

凍った。止まった。フリーズ。
誰も動かない、否、誰も動けない。
心臓だけが、やたらと存在感を主張する。
ユキさん…と、そばで蚊の鳴くような声を聞いた。

「………ご、はん」

虚空を見つめたまま、看護師は呟く。

「病室、に、置いとく、から………」

そのままゆっくり、180度方向転換。

「ごめんなさいっ!!」

どたどたと音を立てて逃げて行ったが、時すでに遅し。

「…あー…」
「ううぅうぅぅぅ〜〜〜……」

そこには、できるだけ小さくなって消えてしまおうとしている少女がいた。


その日、[大森]というプレートがはまった病室は、これまでになくやかましかった。
どったんどったんどったんガラーー。

「ミッカちゃん治ったんだって!?」
「ケンタくん…。」
「おおぉぉーーミッカちゃん、顔色良くなってるよ!」
「ケンタくん、背が高くなった?」
「そうそう、親戚のおじさんに横にもでかくなったなって言われたよ!ははは!」
「ケンタおまえ、それなんだ?」

たたたたたたたたたたた…。

「あ、なんか…、…?なんっかのお菓子!ははは!かーちゃんが持ってけって」
「どいてっ!!」

ドムッ!!

「オボフッ!!?」

178p88sの巨体がもんどりうってたたらを踏む。

「ミッカァ!!」
「ミキちゃ…」
「ミッカーー!!やっと会えたーーー!!!」

150p弱の少女が嬉しそうに抱きつく。

「ミキちゃん、髪が長くなってる…。」
「そーなのよ、『ちょっとはしおらしくなさい』とかおかーさんが言うからさー。」
「…体当たり健在の時点でらしくないだろ…大丈夫か?」
「お、お菓子無事でよかった…。」

(で?で?で?うまくいったの?)
(うまくっていうか…でも、途中でユキさんが…)
(ええぇそうなの?全然言えなかった?)
(う…うーーん……ちょっとは…)
(ホント!?がんばったじゃない!)

「水香ちゃーん…、あー…、食器、片していいかなー…」
「あ、ユキさん!ちょっと待って…。」
「ごめんね水香ちゃん、ほんとにごめんね…。」
「そうだ!うちの猫、子供産んでさ!えっと携帯携帯…」
「ミッカほらあーん」
「えぇー?」
「リンゴ一個くれ一個」
「あっ!よーくん!もう…」
「あったあったこれこれ!こいつら産んだの!」
「わぁ、見せて。…ぷっ、ケンタくん電池切れって。」
「えぇーー」
「えぇーー」
「うわわわちょっと待ってちょっと待って、乾電池の奴がどっかに…!あったあった!」
「あははは、あははははは……」

目元を拭いながら笑う少女。

「ちょっとなに泣いてんのよーう。」
「ちがうよ、泣いてないよ…。」
「よーしよしよしって撫でてやろーか。」
「いっ、いいよそんな…」
「ほーらかわいい猫ちゃんですよ〜…。」
「もーぅ、みんな騒いじゃだめだよ…。」

食器を回収したワゴンを押しながら、若い看護師は目を擦る。
頭に浮かぶのは、いつかの病室、冷たい床。

(…みんなに……っ、あい、たい…)

…よかったね、水香ちゃん。本当によかったね…。


「今日で退院っ!おめでとう水香ちゃん。」
「ユキさん、お世話になりました。」

ぺこりと頭を下げる。

「かわいい服ね、パジャマよりそっちの方がいいわ。」
「えへへ…ミキちゃんと一緒に、いろんなチラシ見て選んだの」

スカートを翻す彼女は、もうどこから見ても普通の女の子。
胸元には、青いイルカが跳ねている。

「お父さんたちは?」
「みんなと歩いて帰るって言ったから、先に帰っちゃった。」
「そうなの。じゃ、あんまり待たせちゃ悪いわね。」
「うん…、ユキさん。今まで、ありがとうございましたっ。」
「うんっ。定期健診さぼっちゃダメよ?」
「はぁいっ!」

元気よく病院の正門に駆けて行く少女。
その先には、あの日と変わらない笑顔の友達が待っている。

「おー。挨拶済んだかー。」
「うんっ。よー、くんっ!!」

ドムッ!!

「ウボフッ!!」
「いいっ!いいわよ今の体当たりっ!」
「はいっ!」
「うっく…、ミッカおまえ、やるようになったな…。」
「ミキちゃん流の体当たりはけっこう響くよ…。」
「おお…そのようだ…。」
「さぁてと、どこ寄って帰ろっか?」
「…そういやこの先に新しい店できたな」
「行きたい!それどこ?」
「この道まっすぐ…おい引っ張るなあぶないあぶない」
「えへへっ」

後ろの二人と、少し離れて。

「…よーくん。」
「ん?」

言えなかったことばが、やっと届きそう。

「………好き、です。」
「…………お、オレも、です。」

…また、色んなところに、連れてってね。



「……言ったね。」
「……やっと言ったわね。長かったわ。」
「ヨイチバレバレだったよね。」
「んバレッバレだったわ。」
「やれやれ…。」
「ほんと、やれやれよ。」

自然と緩む頬を、ため息でごまかして。


「世話の焼ける幼馴染たちね…。」






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