友達が退院する日
シチュエーション


「ねえ、大丈夫」

隣に座っていた由紀ちゃんが声をかけてきた。
声をかけられた私の体がビクリと震える。
ううん、体が震えたのはそのせいだけではないのだけれど。
少しだけ、霧がかったような思考の中、こういうのを朦朧としているというのだろうか、私は由紀ちゃんの方に視線を向けた。
由紀ちゃんが心底心配そうな表情でこちらを伺っていた。

「え、何が」
「何がって……体。どこか悪いの、ボーっとしてるよ。それに、なんか顔、赤いし」
「そ、そんな事……ないよ、由紀ちゃんの気のせい」

私の言葉に、由紀ちゃんが訝しげな表情を浮かべる。
まあ、そんな簡単には信じたりしないだろう。
私の体調の事は自分が一番よく知っているつもりなのだけれど、やはり少しの強がりがのちのちの命取りに繋がるなんていう事はよくあるわけなのだし、由紀ちゃんが私を心配するのは当然だ。
でも、今こんなに朦朧としているのも、体がとても熱いのも、私の病気のせいだけじゃない。

「本当に」
「本当だよ、今日暑いから、そう見えるだけじゃないかな」
「……ならいいんだけど」

私は、由紀ちゃんににっこりと微笑んでみせた。
由紀ちゃんも、それに戸惑いがちながらも笑顔を返してくれる。
彼女は、私の何年にも及ぶ入院生活の中で初めて出来た友達だった。
由紀ちゃんは病気ではなくて……名前はなんだったか忘れてしまったけれど、事故にあって大きな怪我をしてこの病院に入院してきたらしい。
だから病棟も違ったりするのだけれど、院内学級で知り合って今ではこんなに仲良しになった。
でも、そんな由紀ちゃんも今日で退院する事になっている。
リハビリでたまに病院には訪れる事があるみたいだけど、今みたいにゆっくりとお話する機会はもうあまりないんだろう。
こんな事をいうのはよくないんだろうけど、少し寂しかった。
由紀ちゃんが退院するのは、とてもいい事なのに。
でも、退院して、また私はずっとここにいて……。

「美穂」
「由紀ちゃん……」
「また、絶対会いに来るから。リハビリだけじゃなくてさ、美穂のお見舞いの為に、絶対」
「うん」

由紀ちゃんの手が、私の手の上に重なる。
いつも明るくて元気な由紀ちゃんの手。
弱気な私を引っ張ってくれた。
それが、もういなくなってしまうんだ。
寂しい、寂しいよ。
この病院の中で、私は一人ぼっちなのに……。

「由紀、ちゃん、元気でね」
「うん、美穂もね」

由紀ちゃんのご両親が見えた。
立ち上がって、由紀ちゃんはそっちの方に向かっていく。
待って、待ってよ、行かないで。
思わず伸ばしかけてしまった手を、私はためらいがちに落とした。

「バ、バイバイ」
「うん、またね」

私は笑いながら手を振ってくる由紀ちゃんに、笑顔を返した。
由紀ちゃんの背中が遠くなっていく。

……行ってしまった。

「美穂ちゃん」

不意に、私の後ろに誰かが立つ。
その慣れた感覚と、恐ろしい程の気配に、ゾワっとした寒気が体中を走った。
ゆっくりと振り返る。
そこに立っていたのは、大方頭の中では予想したいた、担当の先生だった。
背の高い大きな体は、まるで壁みたいに聳え立っている。
先生からは、威圧感のような、そんな物しか感じない。
首の後ろを、何か冷や汗のような物が伝っている。

「……検診の時間だよ」
「は、はい……」

そう言って、先生は歩き出した。
私は、その後をついていく。
少しだけ後ろを振り返った。
由紀ちゃんの姿は、当然だけどもう見えない。
嫌だ、嫌だよ……行きたくないよ。
いつも歩いている廊下、長くて、暗くて、嫌。
長い廊下の、一番奥の、部屋。
先生がその扉を開ける。
中には、数人の、同じ様な病院の先生がいて、私を待っていた。

「……あ、ぅ」
「いらっしゃい、美穂ちゃん」

先生が私を部屋の中にいれて、扉が閉まった。
いつもの、いつもの事だ。
私はため息をついて、目を閉じる。

「さ、美穂ちゃん、始めようか」

先生たちの視線が、私に集まっている。
私は着ているネグリジェの裾を捲し上げた。
ブブブブブブ、と聞こえる機械音。
朝から、ずっとコレをつけさせられている。

「美穂ちゃん、沢山おもらししてるね、いけないな」
「ぅ……」
「いけない子には、お仕置きをしないといけないね」

先生の手が伸びてきて、その恐怖感からか、体が震える。
下着から何かが溢れ出て、床に何かがしたたり落ちた。
由紀ちゃん、由紀ちゃん、助けて、助けて……。
もう何処にも逃げられなくて、由紀ちゃんがいてもいなくても、変わらない日常が私を取り囲んでいた。

終わり






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