窓の外の季節を眺めて 入院記録編(非エロ)
シチュエーション


優希はベッドに腰掛けて窓から曇った灰色の空を眺めるだけの時間を過ごしていた。
一人静かに、特に何を考える訳でもなく、空を、雲を、太陽や月を、ただボンヤリと眺める。偶にその視線を落とし、海に向かってなだらかに下っていく町の風景を見ることもあるが、気付けば空を眺めている事が多い。
今現在は足だけだが、時には手が、時には全身が使えなくなる病を抱えている優希にとって、ソレは寝たきりになった状態でも彼女が出来る貴重な行為だ。
手足を使わないと出来ない事が日常化してしまったら、また手足が使えなくなった時に自分の状態を強く認識してしまい、より苦痛を感じてしまう。
優希がソレに気づいて以来、彼女はココ何年かで一番多くの時間をこの行動に費やしていた。
他の患者と話す事に楽しさを見出せず、むしろ苦痛しか感じなくなってからは特にソレが酷くなった。
隣の患者は優希の知らない話題をたくさん持っていたが、その話の面白さを理解できないうちにその患者は退院してしまう。次にそのベッドにやってきた患者も、同様だ。
かつての友人達に感じた、自分だけが何も成長していないような、自分だけが取り残されるような感覚ばかりが募っていき、優希は相部屋の患者と口を利かなくなるようになっていった。
しかし、相部屋ゆえに隣の患者の会話や行動は優希に届いてしまう。楽しげで、ソレで居て優希には理解できない会話は、さらに優希に苦痛を感じさせた。
いつだったか、優希は一人部屋へと移りたいと母に話した。長年の入院費用は馬鹿にならず、自分のせいで親の生活が楽ではない事を優希は理解していたが、それでも耐えられなかったのだ。
優希の母はその言葉に何を思ったのだろうか。優希の心情を察したのか、それともただのわがままと思ったのかは分からない。結果として、母は優しい笑みを浮かべて優希の希望を受け入れてくれた。



一人部屋の生活は寂しいものだった。
今まで煩わしいとしか感じなかった雑多な音や、嫌でも耳に入ってくる情報がカットされただけで、ココまで孤独を感じるものかと優希は思い知らされた。
それでも、自分だけが取り残されるような感覚は和らいでくれた。
静かに空を見上げ、いつか感知する事を願いつつ養生する生活は変わらない。
ある日、鏡を前に優希はある事に気付いた。寝てばかりの生活のせいか、背は伸びず、外見も入院した頃と殆ど変わっていなかった。まるで自分には時間が流れていないのではないかと、優希自身が錯覚したほどだ。
しかし、そんな優希にも時が流れている事がハッキリと視覚できるものがあった。
目が覚める度に増えてゆく、下半身を中心に、全身に残る無数の手術痕――。
切っても、何が悪いのか分からない。しかし、機械や外側から見ただけでは原因を突き止めることすら出来ない。故に、無駄に増えていく傷跡――。
自分の白い肌に傷が増えていく度に、優希は時が流れている事を自覚してしまう。

(自分に未来はあるのだろうか?)
(このまま、両親に負担をかけながら、無駄に時を過ごしていくだけなのだろうか?)

そんな事を少しでも考えてしまえば自分が生きている意味を考えてしまい、そして自身の人生を自分で否定してしまい……、涙が溢れて止まらなくなる。
泣きたくない。泣いて、そんな自分を、現実を、認めたくない。
だからこそ、優希は空を眺めていた。
悪い事を考えないように、ただボンヤリと――。

そんな、ネガティブ思考防止の為の日課の意味合いが変わってきたのは、ある冬の日だった。
優希が「目を覚ました」その日、薄暗い窓の外では雪が降っていた。
入院してからどの位経つかは忘れたが、彼女がこの病院で雪が降っているのを見たのはコレが初めてだった。
この町の雪は、冬に入ると一晩で降りつくし、ソレっきり降らなくなるのだという。
普通の生活をしている人ならば、冬の入りを知る恒例として目にするが、季節の変わり目が近づくと何日もの間「眠る」彼女が、この降雪に出会える機会は今までに一度もなかった。
優希は珍しく心が躍る思いがした。
自分の、唯一とも言える私物である携帯を取り出し、窓を開けてその様子を携帯のカメラに収めようとした。出来るだけ空が大きく綺麗に写るようにと、動かない下半身に鞭を打って窓から身を乗り出し、手を伸ばして雪が降る空を撮ろうとする。
しかし、目覚めたばかりで衰弱していた彼女の筋肉はその程度の運動にも耐え切れなかった。突然腕の力が抜けたかと思うと、手の中の携帯電話がスルリと零れ落ちてしまったのだ。
優希は小さく悲鳴を上げた。
ただでさえ入院費で生活が苦しい両親が、それでも優希に持たせてくれていたその携帯は彼女にとっての宝物である。
共働きで忙しい両親にいつでも連絡出来る。いつ「眠たく」なっても、いつ「目覚めて」も、すぐに知らせる事が出来る。個室に移った事で母の仕事量も増え、面会できる時間が少なくなってしまった優希にとって、それは命の次に大切なモノであった。
優希は慌てた。必至に車椅子を駆って、中庭へと携帯を拾いに向かった。
夜明けを迎えようとしている中庭に雪は厚く積もっており、三階の病室から中庭に向かう僅かな時間で雪は降り止んでいた。
本当は看護士を捕まえて携帯を取って来てもらうべきだったが、その時の優希にはそれだけの時間も惜しくあり、同時に、骨折で運び込まれた患者の件でナースセンターが急がしそうであった事が、一人で行くという思いに拍車をかけた。
吐く息は視界を遮るほど真っ白く、空気は身震いするほど冷たかった。その上、急いでいた為に優希は何の上着も羽織っていない。こんな所で長居をできるほどの体力は優希にはない。
雪にはまらないように、舗装された地面を選んで車椅子を進めていく。雪が薄く、足場が固い場所を選んでは進み、10分ほどをかけて何とか優希は携帯を落とした地点へと辿り着いた。目覚めたばかりの体は降り積もった雪の中を車椅子で進むという苦行に限界を訴えている。
幸いな事に携帯はすぐに見つかった。三階という高さから落としたにもかかわらず、雪のお陰で外傷は見当たらない。
安堵の溜息を付き、優希は携帯に手を伸ばした。
しかし、無茶な姿勢で手を伸ばした事が悪かったらしい。「ガコッ」っという鈍い縦の揺れに続き、車椅子が雪の深い所へと傾いた。舗装している道から外れ、花壇か芝生かの段差に車輪の片方が落ちたのだ。
優希が全てに気付いた時には既に遅く、彼女は深い雪に車椅子ごと倒れこんでしまった。
身を切る寒さの中、パジャマ姿でココまで来た優希の冷え切った体に、直接触れる雪の冷たさは過酷なものだった。その上、体を起こそうとした所で突然体を支えていた両手が地面に沈んだ。驚く間も無く、両手に激痛が走る。
よりにもよって自分が倒れこんだ場所が氷の張った池だったとは。激痛に顔を歪ませながら優希は絶望した。雪に突っ伏している為に呼吸も出来ず、顔の筋肉はガチガチに冷えて強張り、まともに声が出ない。
息苦しくなっていく中、水の冷たさがが強烈な痛みと共に腕の感覚を消してゆく。もし腕の力が抜けたら、自分は池に頭から突っ込んで溺死してしまうだろう。
自身の危機に対して恐怖感が本物になってくる。腕の感覚が無くなるにつれ諦めの気持ちが強くなってくる。
そんな瞬間、突然優希の体は宙に舞った。

「無事か!」

自分が濡れるのも構わず、優希を抱き上げた青年は真っ先に大声でそう訪ねて来た。

あの瞬間から、優希の中に桐沢孝之という人物が住み着いた。
ただ無心で空を眺めるだけの漠然としたこの時間は、最近になって若干の意味を変えていた。
空を眺めていると、いつしか孝之の事を考えてしまい、「また会ってみたい」「話をしてみたい」そんな欲求を感じるようになったのだ。
長い入院生活で、患者や看護士以外の人との付き合いに飢えていた事もあるし、そもそも目覚めたばかりで久しぶりに誰かと話をしたかったことがその原因かもしれない。危ない所を助けられたという出会い方もその一因だろう。
孝之が見舞いに来てくれるも突然帰ってしまったあの日からは、その思いがさらに強くなった。気が付けば、また孝之と会えるか、もっと孝之のことを知る事が出来るかをずっと考えているのだ。
そして同時に、優希は木村晶に聞かされた孝之の幼馴染の話も思い出していた。その話で晶は、幼馴染にとっての孝之を延命剤に例えていたが、今の優希にはその幼馴染の気持ちが理解できる気がする。おそらく幼馴染は、この想いよりも何倍もの強さがあったのだろう。
まだ数度、顔を合わせ、言葉を交わし、笑いあった程度の付き合いでしかないのに、孝之との僅かな時間は優希に孤独な印象を一切与えずに、コレまでの入院生活になかった鮮烈な充実感を与えていた。

「また、会いたいな……」

ボンヤリと空を眺めつつ、優希は呟く。
晶の言った「心配しなくても、孝之はまた近いうちに現れる」という一言を信じ、その時を待つ瞳には以前の絶望感は映っていない。
最近になって自分が前向きな思考になっている事を、その時の優希が気付く事は無かった。






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