この春に、桜と君と 4
シチュエーション


不意に、額に生暖かい感触が広がった。それは淫靡に僕の額を舐めていて、先刻流れ出た僕の血液を舐めとって
いるようだった。ぴちゃ、と淫猥な水音が静寂が舞い降りた病室に響き渡り、僕の鼓膜を刺激する。やがて舌が這
う感触は僕から離れて、それから切なげな溜息が上の方から聞こえてきた。

「初めてね、あなたの血の味は。口の中が鉄の味でいっぱい……」

その言葉が言い終わると同時、今度は僕の唇が塞がれる。今まで一度も吟味した事のない柔らかな春香の唇の感
触が惜しげもなく僕に提供されて、下心などないと言い聞かせていたはずなのにどうしようもなく興奮した。
それに呼応して徐々に下腹部に集まる血液は自分に対する嫌悪感を僕に与え、そしてそれを見透かしたかのよう
に人を小馬鹿にしたような失笑を春香は漏らした。
重ねた唇の間から春香の舌が侵入してくる。それはざらりとした経験のない不思議な感触がしたが、次いで訪れ
る気持ちの悪い鉄の味に気分が悪くなった。彼女の舌に纏わり付いた僕の血が、今では僕の口内に挿入されて、犯
している。逃げようともがく僕の行動に意味などなく、春香は難無く逃げ回る僕の舌を捉えた。
時折開く、僕達の間から聞こえる音は先ほど聞いたものを遥かに超越した水音を響かせ、密室状態の病室内に木
霊する。その音が僕の鼓膜を震わせる度に、官能的な興奮が訪れて下腹部に力が入るのが嫌でも分かる。息継ぎの
間など僕には与えられず、ひたすらに春香のペースで口内が蹂躙されて犯されて行く。苦しくなって息を吸い込も
うとしても春香はそれを許さず、更に唇を密着させ、自身の唾液を流し込み、僕を苦しめた。

「……く、は……」

やっと春香が口を離した時には酸欠状態に陥ってしまったのか上手く呼吸が出来なかった。次々と流し込まれて
いた唾液はその全てを嚥下する事が出来ず、僕の口の端から垂れているようだ。生暖かな雫が伝う感じを僕は自身
の肌で鮮明に感じ取っていた。

「もう、こんなに興奮してるじゃない。眼を開けてみたら?自分がどれだけ興奮しているか分かるから」
「あっ……く」

彼女の細い指先が既に大きく膨れ上がった僕の逸物を弾く。痛みとも快感とも違う力で触られたそこは、彼女を
拒絶するかのようにぴくりと動いた。いきなりの刺激に、挑発的な彼女の提案に、戸惑う僕は情けない声を漏らし
てしまい、それだけで羞恥心が湧き上がった。頭に上って行く血液が今は僕の顔を真っ赤に染め上げているだろう。
心なしか、体中の体温も急上昇を遂げているようだった。

「でも、まだ駄目よ。焦らして焦らして弄んであげるから。抵抗なんてしてみなさいよ。すぐにここから身を投げ
出してやるわ。そんなの、嫌でしょう?彬は私の事が好きなんだから」

挑発的な彼女の言動は、僕に怒りを与えはしなかった。むしろ、僕の中で決して湧きあがらせまいとしていた同
情を生まれさせてしまっている。だからこそ、僕は挑発に乗って瞼を開いてはならない。今はもう、自分の瞳に
宿っているだろう同情の光を隠しきる自信が無かったのだ。

「ねえ、次は何処が良い?お楽しみは最後だから、胸なんてどう?男でも感じるのかしらね?」

そう言って、彼女は既に脱がされて晒されている僕の肌に指を宛がった。最初は腹部を指先で撫でる。時にそれ
は僕の腹筋をなぞり、円を描き、僕を散々に焦らした。

「……ッ」

そうして、されがままに弄ばれている僕の反応を一通り愉しんだのか、春香は僕の乳首の周辺まで指を上らせて
きた。もどかしい、先刻の感覚よりも確実に快感の域に近付いたそれは今までに経験した事のない不思議な感覚で、
僕は僅かに身を捩じらせた。

「はっ、あ……ぅ」

春香はその細い指先で僕の乳輪を撫で回したり、その先端に位置する突起を弾いたり、好き放題に蹂躙してい
た。僕が一番感じる所を探るかのように気持ち良い?と囁いてもいた。だが、僕が返答を寄越す事はない。た
だ、その身に降りかかる小さな快楽に漏れてしまう息を慙恚しながら吐き出すのみだった。

「やっぱり、女の人みたいに感じたりはしないのね。……じゃあ、こんなのは?」
「くぁ……ッ、ふ、く……」

そうして、今度は僕の口内を散々犯し尽くした舌で春香はろくな膨らみもありはしない、堅い筋肉で出来た僕の
胸板に舌を這わせた。春香の舌は縦横無尽に僕の胸の上を駆け回り、それが他よりは幾らか敏感な乳首を通る度に
もどかしい快感が僕を苛める。声を出さないようにと、必死にそうしているのに何故だかそれは叶わなく、春香は
より一層気分を良くしたのか、空いているだろう手で男性の一番敏感な器官をスラックス越しに握った。
スラックスと手の、両方による圧迫は気持ち良いと言うよりも痛い感じに近かったが、僕を興奮させる材料には
充分に成り得た。どんな形であれ、春香の顕著な手が掴んでいるのだ。恐らく、春香にとっては右も左も分からぬ
行為だろう。どうすれば気持ち良いのか、そんな事も分からないであろうはずなのに、僕を悶えさせようと動く指
はとても愛らしく思える。けれど、今だけはそれとは別の畏怖嫌厭が僕の中にはあった。

「あはは、顔、真っ赤よ。恥ずかしい?私にこんな事をされているのが」
「……」

再び、僕をからかう笑みが春香から零れる。僕は先刻と同じように何も言わず、ただ彼女の行為を受け入れる。
春香が舌を這わせていた胸が、じんわりと熱を持っているのが分かる。
僕の脳内とは別に、肉体は更なる快楽を求めて喘いでいた。今までになく興奮している僕自身は、スラックスに
よる拘束から解き放って欲しいと求めているかのように脈打っている。痛いくらいに、よがっているのだった。

「……っ、何も言わないなら、それでもいいわ。もっと気持ち良くさせてあげる」

春香はそう言うと、僕の穿いているスラックスのファスナーを降ろし始めた。じーっと音を立てて段々と僕の張
り詰めたものが解放への兆しを見せ始める。春香がファスナーを降ろし始めた時には、僕の性器は下着越しにも関
わらず反り返っているようだった。
春香はそんなトランクスの抵抗も呆気なく終わらせてしまう。トランクスのボタンを外すと、そそり立つ僕の性
器は解放された事を喜ぶかのように激しく脈打っていた。窮屈感から解放され、逸物が外気に曝け出される事とな
り、僕は更なる羞恥心によって自身の体温が上昇するのを感じていた。そんな僕をせせら笑うように、春香の冷た
い指先が怒張に宛がわれる。ひんやりとした春香の指は、とても気持ち良く、それでいて厭らしかった。

「ふふ、こんなに大きくなってる……。ほら、見てみなさいよ。私に触られてこんなになってるのよ?恥ずかし
くて堪らないでしょう。熱くて、手が溶かされそう……」
「……っ」

春香の手がゆっくりと動く。陰茎を摩るように、その細い指先が陰茎をつーっと滑り、僕を焦らしている。触れ
ている手は心地良い冷たさを伴っているのに、僕の肉棒は熱く煮え滾るようだった。
春香の手の動きは僕の反応を窺いながら厭らしく変わる。手が、亀頭を擦り、僕が呻けばそこには触れないよう
になり、雁に引っ掛かった時にまた僕が呻けば更にそこも避ける。
今では春香は僕の陰茎を包み込むように優しく触れて、ただ摩っているだけだった。そのお陰で僕の肉棒が快感
を求めて脈打ち、先端からは透明な液が伝っている。
春香は、僕が悶えるその様子を明らかに愉しんでいるようだった。

「ほら、もっとして欲しいでしょ?言ったらしてあげる。……もっと気持ち良くしてもらいたい?」
「……」

先刻から、春香はやたらと僕に話し掛けてくる。僕はそんなに嗜虐心を刺激するような事をした覚えはないけれ
ど、春香はまるで悪戯をして誰かに構って貰いたがっているような、そんな印象を与える話し方をしていた。一見
すればそれは僕を嘲笑っているだけのように思えるが、それでも漠然とした中で分かるのだ。
だから、敢えて僕は何も言わない。彼女の憫然たる様を感じていながら、彼女の言葉に返事を返す事など出来は
しなかったのだ。声を出してしまえば、憐れみの言葉が真っ先に出てしまうだろうから。
例え僕の選択が彼女の逆鱗に触れる結果になったとしても、今は何もしない。ただ、されるがままにこの身を任
せるだけだった。様々な葛藤に苛まれながら。

「何か言いなさいよ!でないとまた、痛い目に合わせてやるから!」

とうとう我慢の限界に達したのか、彼女の怒号が病室の中に轟いた。怒りに染まった叫び声。眼を瞑っていても、
春香が今どんな表情をしているかが手に取るように分かる。彼女はきっと、悲痛に歪んだ顔で僕に懇願するように
叫んでいるのだろう。その声にはそれを彷彿とさせる色が混じっていた。

「いいよ。春香から痛い目に合わされるのは、とっくに慣れたから」

そして僕は、初めて言葉を発した。それは確実に彼女の求めた言葉ではなく、むしろ春香の怒りを増長させる言
葉だったが、それでも僕は一向に構わなかった。

「――っ!!」
「うぁッ!はっ、あ……く……っ!」

僕の言葉は、見事に春香の神経を逆撫でしたようだった。僕の肉棒を握る手には先ほどとは比べ物にならないほ
どの力が込められて、痛みさえ感じた。そして、春香は強く竿を握ったままそれを上下させる。摩るだけだった先
刻までと違った確かな快感が一瞬僕の意識を奪い掛けた。
自分でするのとは全く違った快楽。春香が扱き上げていると言うある種の優越と、被虐感が相まって、今までに
感じた事のない悦楽が僕を襲う。春香が手を動かす度にその快楽は倍増されて行くようだった。それほどの快感
が、電撃のように僕の背筋を這い上がり、身震いさせる。なるべく耐えようと歯を食い縛っても、それは春香を喜
ばせるだけだった。

「ほら、気持ち、良い、でしょっ……?耐えようとしたって、分かるわよ、そんな顔をしてたら、ねっ……!」
「くっ、はぁ……っ!うぅ……っ!」

次々と襲い来る快感が僕を限界へと攻め立てる。腹の底から湧き上がる欲望の渦は早く解放されたいと、暴れ
狂っているかのようで、それを耐える僕の呼吸は荒々しくなっていた。既に僕の怒張したものの先端からは春香の
手の動きを良くさせる潤滑油が大量に染み出しているだろう。それは感触からして瞭然だった。
荒々しく、春香の手が僕の肉棒を扱き上げる。亀頭を滑らかな肌が滑れば、それだけで全てを出してしまいたく
なる衝動に駆られ、陰茎を擦り上げられる度に中で蠢いている欲望の塊が絞り出されそうになる。休む間など一寸
たりとも与えられず、僕は逃げられない限界へと次第に追い詰められて行った。

「ほらっ、もう限界でしょ?出しちゃいなさい……!」
「うっ、はっ……く……うぅあっ……!」

春香の手の動きが更に激しさを増す。最早痺れるほどの快感で何が何だか分からない。ただ込み上げてくる絶頂
への予兆が僕の限界を指し示している。余りの気持ち良さに腰が浮き上がりそうになるが、理性を総動員してそれ
を必死に我慢する。その所為で遅れる絶頂が、僕を焦らし、中の欲望を濃くしていった。
もう駄目だ、と僕は心中で言い訳する。こんな快楽を与えられてはひとたまりもないと、それに便乗して僕の我
慢が解き放たれる。春香の手がもう一度僕の肉棒を擦り上げた時に、僕は絶頂を迎えた。

「は……あ、はぁッ!……くっ――!」

どくん、と何かが大きく脈打った。
それと同時、僕の我慢によって多大な負荷を与えられていた肉棒から欲望が放たれる。壮絶な快感の所為だろう
か、僕は何時の間にか瞼を開けていて、そこには白濁の液をその身に受ける春香の姿があった。
経験した事のない快楽によって得た射精は長く続き、春香の黒い漆を塗ったかのような美しく艶やかな髪の毛を
汚し、白く染め上げる。元々白い手にもそれは降り掛かり、彼女が僕の痙攣を繰り返している肉棒から手を離すと、
粘質を大量に含んだ汚らわしい糸が出来た。
春香の頬に付いた僕の欲望は、彼女の頬を伝って異常なほどの凄艶さを醸し出していて、一度絶頂を迎えたはず
の肉棒は未だに元気そうにしている。まだ出し足りないととでも言うのだろうか?こんな時ばかりは自分の性器
を恨めしく思った。

「……たくさん出たわね。ふふ、彬の、美味しいわよ?」

春香は、何を思ったのかそんな事を言いながら僕の出した白濁の液を舌で舐め取った。舌先で掬われる精子が、
彼女の口内へと侵入して行く。それを吟味するかのように春香は口に含むと、やがて嚥下した
その光景は余りにも凄艶で、僕は制止の言葉も何も、発する事が出来ずにいた。
ただ眼の前で繰り広げられる様子をその眼に映し、ストリップを見ているかのように興奮している。最早身体は
僕の言う事なんか何一つ聞いてはいない気さえした。情けなく、踊らされるかの如く眼の前の光景を見て欲情して
しまっているのだ。かつてない情欲が僕を満たし、故に自己嫌悪に陥る。
その悪循環に、僕はものの見事に嵌っているように思えた。

「……もっとしたい?こんな事よりも、ずっと気持ち良い事……どうせまだした事ないんでしょ?」

荒い息を整えようと奮闘している僕に、春香が囁く。それは楽園への招待券のようにも思えるが、僕は此処で屈
する訳にはいかなかった。暴れ狂う本能を理性の鎖で縛り付け、抑える。そうして何とか出来た事は、首を横に振
る事ぐらいだった。けれど、彼女にはそれだけで充分だったらしい。
切れ長の鋭い眼に怒りを込めて、春香は僕を睨み付ける。自分の思い通りに僕が頷かない事が、相当に気に食わ
ない様子だった。

「……何よ、強がってるの!?一回出して、それでもこんなに大きくしてる癖に!そんなに私じゃ不服!?」

春香の怒りは、僕に向けられているものではないような気がした。見えない何かに、必死に抗っているような、
どうにもならない事を目の当たりにして八つ当たりをしているような、そんな印象を受ける怒号だった。
僕はやはり何も言わない。春香の心の波が収まりきるまで、耐える。どんな羞恥に晒されようとも春香の痛みは
それを凌駕している。その痛みの苦しみの果てまで、僕は春香に付き合うのだ。そこがどんな獄卒だろうとも。

「ッ!いいわ、もう私しか見えないようにしてあげる!私なしじゃ生きて行けない体にしてやるわ!」

春香はそう叫ぶと、自身の寝巻を乱暴に脱いだ。ボタンが弾け飛び、辺りに散乱する。そして、白磁のような白
い肌が、控え目ながらも十分な魅力を放つ乳房が僕の前に晒し出され、次いで下の寝巻も取っ払って、彼女の恥部
を隠す白い下着を躊躇する事もなく僕の前に曝け出した。
言い様のない興奮が、僕の意志に関わらず心臓を跳ね上がらせる。初めて目にする春香の"女"の魅力は一瞬にし
て僕を魅了して、どうしようもなく欲情させた。
その間に、僕の中でどれほどの情動が蠢いただろうか?このまま、春香を押し倒して滅茶苦茶にしたい衝動、
それを必死に抑える理性。相反する気持ちの交錯が僕の思考を奪い、だが下半身で脈打つそれは収まりがつかない
かのように春香を求めて震えている。
そして、その僕自身の気持ちを汲み取ったかのように、春香は僕の肉棒をその手で掴むと、そのままその上に秘
部を乗せるようにして僕に跨った。
震える亀頭の先に薄布一枚を隔てて春香の恥部がある。その事実だけで頭が蕩けそうになるほどの快感のイメー
ジが僕の脳内に構築されて、そしてそれに呼応してまたびくりと逸物が反応した。

「はぁ……はっ、こんな事されて、平常心でいられる?無理でしょう?男って言う生き物はそういうものなん
だから。入れて欲しくて堪らない、って言ってるわよ、彬のココは」

春香は息を荒げて、ゆっくりと僕の肉棒を下着の脇から自らの秘部に宛がった。そこは既に濡れていて、ぬるり
と彼女の粘液が僕の先端に触れただけで、理性の鎖は千切れそうになって軋んだ。
けれど、僕は歯を食い縛ってそれを繋ぎ止める。一度切れてしまった理性を修復する事の難しさを朧げながらも
知っていたのだ。僕は、長い溜息を吐いて直後に訪れるだろう快楽に向かって身構える。春香はそんな僕を一瞥す
ると静かに、ゆっくりと自身の秘部の中へと、その肉棒を挿入し始めた。

「あっ、う……んっ……」
「うぁ……」

春香が切なげな吐息を吐きながら、徐々に徐々に、だが確実にその身を僕の肉棒を咥え込みながら沈めていく。
僅か、彼女の中に入っているのはほんの僅かでしかないのに、僕は喘ぎを洩らすほどの快感を感じていた。亀頭を
全て飲み込み終えた春香の膣は、内襞が厭らしく絡みついてきてそれだけで射精感が高まってしまう。
初めて経験する女性の中は僕の予想以上に気持ち良く、その相手が春香だと思うと胸の辺りが締め付けられるよ
うに痛んだ。春香とこういう事をするなどと、少し前――一週間前には考えなかった事だった。けれど、僕が彼女
を好きだとそう気付いた後は違う。春香が好きである以上、僕は無意識に望んでいたのだ、こうして春香と一つに
なる事を。けれど、良い雰囲気など微塵も漂わない険悪なムードの中でする事なんて望んでいなかった。
こんな行為など、双方に虚しい感情を与えるだけだから。

「は、あ、あぁ……っ」

深い溜息を吐いて、春香の動きが停止する。僕の肉棒の先端は何かに拒まれているようで、先刻まで感じていた
滑らかさは今は無かった。彼女の純潔の証が僕を拒んでいるのだ。
まだ力は入れてないけれど、やはり痛むのだろう。
春香は僕の腹部に手を置いて自分の体重を支えている。痛みか、快感なのかは僕に知る由もないが、震える彼女
の手がそのどちらかである事を示している。顕著な春香の手はとても愛おしい。けれど、その手に自身の手を重ね、
今春香が感じているだろう不安と恐怖を僕が和らげてあげようとする事はなかった。
薄情だと、誰もが思うだろうか。
こんな事をしているのが例え憂さ晴らしに近くとも、一度きりしかない破瓜を誰にでも捧げるような性格を春香
はしていない。自惚れでも何でもなく、僕は誰よりもその事を知っている。だからこそ、罪悪感は常に僕を締め上
げていたけれど、それでも耐える。それが僕の試練だと、自ら恃んでいた。
とても長い遠回りをしていると、思うけれど。

「いたっ……んっ、くぅぅ……っ」

痛みに喘ぐ、その姿は直ぐにでも僕を暴走させそうだった。既に糸のような細さにまで削られた理性の鎖がそれ
を防いでいるお陰で僕は何とか冷静な思考のままでいられる事が出来ている。今も僕を苛める快楽は引っ切り無し
に襲い掛かってきているけれど、逸る気持ちを抑えて自分を止めていた。

「こんな……のっ、ぜんぜん、へーきなんだか、らぁっ……!」

何かを突き破った感覚が、男根を通じて僕の中を駆け巡った。
苦痛に歪んだ春香の表情が、それが何故かを僕に知らしめている。今や熱い彼女の膣の感触は根元までに達して
いて、接合された部分を見遣れば僕の下腹部に鮮やかな赤が広がっていた。
僕の腹部に置かれる手は、ぎゅっと拳を作っている。どれだけ痛いのだろう?その手は力を入れ過ぎて白く
なっていた。
痛みに震える春香の唇が、堪らない愛おしさを湧き上らせて、堅く瞑られた眼の端から伝う透明な雫を掬い取って
あげたい衝動に駆られる。今、手を伸ばして春香の涙を拭ってやれば、どれだけこの心が軽くなるのだろうと思う。
今まで耐えて来た事が途端に無駄に思える、そんな葛藤が激しく争っているのに、僕はただベッドの白いシーツ
を握り締めるだけだった。

「あは……ぜんぶ、入っちゃった。聞いてたよりっ……ぜんぜん大したこと……ない、わね」
「う、く……もう、止めろ……っ」

苦痛に耐えているのは僕から見ても明らかなのに、春香はそんな事を言った。
無理をしている春香を見るのが辛くて、僕は馬鹿な事を口にした。
相反する僕の剛直はお構いなしに脈打っている。ひくひくと絡みつく彼女の内襞に喘がされて、そして更に求め
ている。それが酷く醜く、滑稽に思えた。

「ふふ……なら、もっと、してあげる……っ」
「あ、うあぁ……っ、はる、か……」

春香が緩慢な動作で腰を持ち上げる。痛みはまだ収まっていないだろうし、この行為に慣れるのにも時間が掛か
るはずなのに、それでもそんな素振りを見せようとしないかのように唇を噛み締めて腰を持ち上げる。愛液で潤った
膣内は窮屈に僕の肉棒を圧迫してミリ単位でも彼女が動く度に果てのない快感を与えてきた。

「あっ、んう……っ、く、ふ……ぅ」

脈打つ僕の剛直が抜けそうな位置まで来ると、再び腰を沈める。早く慣れようとしているのかゆっくりと進む行
為は僕を焦らしながら少しずつ高みへと追い詰めていた。まだ春香の表情からは痛みが払拭されていないようだった
けれど、それでも何回かこの行為を繰り返すと徐々に慣れてきたようだった。

「はっ、あっ……ふぁ……ぁ……」

痛みの色は次第に春香から薄れ、その埋め合わせをするかのように快感の色が混じり始める。その感覚に戸惑って
いるのか、痛みと快感の狭間で悩ましい嬌声を響かせる春香の姿はより一層淫靡に僕の瞳に映った。
彼女の頭から流れる漆黒の髪の毛は、最初こそ少し揺れる程度だったが、今では徐々に乱れている。汗ばんだ春
香の額に張り付いた長い糸が蛍光灯の光を受けて艶やかに光っていた。
次第に僕達の繋がった部分から淫猥な水音が響き始めている。彼女が腰を沈める度に鳴る、その音は官能的な気
分を強制的に昂らせ、快感を倍増させて行った。

「あっ、あっ、んんっ!は……ぁっ……!」

春香は切なげな声を出しながら僕の上で乱れていた。
もう痛みはないのだろうか、春香は少しぎこちなかった腰の動きを滑らかにして、僕を攻め立てている。内襞が
絡んでくる感触が、春香が少し動くだけで僕を締め付ける蜜壺が、限界へと僕を誘っている。欲望に任せてこの腰
を突き上げたくなる衝動が絶え間なく僕を苛んで、苦しめる。
頭が蕩けておかしくなってしまいそうな快楽の波は、僕を完全に飲み込んでしまっていた。それを回避する術な
ど、見つける事は到底叶わない事だった。

「はっ、あぁっ……!ね、あきら……んっ、気持ち良いでしょ……う?」

春香が、妖艶な笑みを称えて僕に言う。その言葉が、更なる興奮を呼んだ。春香が感じている。次々と襲い来る
快感に苛まれて、その形の良い桜色の唇から聞いた事もない艶やかな嬌声を上げている。

――そう、僕の、上で。

煽情感を煽る彼女の乱れた恰好が全ての理性を砕こうとしていた。残る本能に身を任せ、春香を押し倒して、滅
茶苦茶にしてやりたくなる。体の事など考えず、壊したいと思うまでに。
けれど、僕の体は無意識の下でそれを拒絶していた。心と体の意見の食い違いが起こる中、未だに僕を攻め立て
る快楽の波はこれ以上にないほど気持ち良く、本当に、冗談なんかではなくなると思えてしまうほど、本当に頭が
おかしくなってしまいそうだった。

「あきらっ……ふぁ……あ、あきらぁっ……!」
「はるか……っ、も、もう……!」

僕らは狂っている。少なくとも、僕の未だに冷静な部分はこの光景を客観的に見つめてそう思っているだろう。
僕には何故だかその自覚があった。
想いも通じ合わせていないのに、情事に耽っているから?
何も出来ない自分が滑稽で、本質に気付かない春香が憐れだから?

――違う。ただ、互いを貪欲に求めている様が、だ。

僕らに思考と言うものは今この時点で殆ど無い。ただ、先に見えている絶頂の、快楽の果てを求めて互いを求め
ている。それ故に、狂っているのだ。その形容は僕にとってこれ以上になく正しいように思えた。

「はぁっ……!も、わた……しっ、あ、んぅぅ!なにか、きちゃ……っ!」

春香が限界を訴えている。僕に向かって、快感を訴えている。本能が剥き出しになった獣、それが今の僕達。そ
して、もうその本能に逆らう事など、僕には出来はしなかった。
ただ、その先に見える絶頂に向けて、自分の為に腰を突き上げる。春香が腰を落としたと同時に行われたその所
業は容赦なく彼女を貫いて、その奥の奥まで僕を迎え入れた。ごつりと、何か固いものにでも当たった感触が僕の
先端から感じられたが、全てが溶けてしまったかのような快感が、それすらも果てない快楽へと導く材料となって
いた。

「あ、あぁっ!ふぁぁっ、あ、く―――――――――ッッッ!!」
「うぁ、はるかっ……、やば……ッ!!」

僕が腰を突き上げた時、春香は傍目からでも分かり易いくらいに下唇を強すぎる力で噛み、恐ろしい快感の波を
堪えようと力を入れていた。その力は大きく、春香の綺麗な唇から鮮やかな赤を伝わせるほどだった。
春香の唇から落ちた赤い雫が顎を伝い、僕の腹へと落ちてきた時に、春香はそのしなやかな背をのけ反らせて控
え目な胸と、引き締まった腰の線で美しい弧を描いた。それと時を同じくして、春香の膣が恐ろしい締め付けを以
てして僕を攻めた。根元から、全てを絞り出そうとするかのように、春香の内襞の蠕動がねっとりと絡んでくる。

これが絶頂の影響なのだろうか?そんな場違いな事を考えながら、僕は歯を食い縛り、シーツが千切れてしま
うのではないかと危惧してしまうほど強い力でそれを握り締める。それでも、筆舌に尽くし難いこの快感はとても
耐えられる代物ではなかった。
僕は、春香に全てを飲み込まれながら、全てを吐き出した。避妊具など当り前のように付けていない。春香は僕
の限界を知っていながら、そしてその事実を知っていながら、僕の長い射精を受け止めていた。寄せられた眉を更
に寄せ、唇を噛む顎に更に力を込めて、僕の全てを受け止めてくれている。
今にでも倒れてしまいたいだろうに、それでも一滴たりとも溢さないとしているかのように、僕の上で小刻みに
震えながら耐えていた。

「あ……あぁ……私の、なか、にっ、たくさん……出てる……」
「はっ……く……はる、か……」

春香はそう呟くと、ふっと身体を支える力を抜いて、僕に倒れ込んで来た。ふわりと舞う彼女の髪から、甘く香
しい春香の匂いが漂ってくる。僕の胸に頬を押し付けて、絶頂の余韻に浸る彼女の体は、未だに小刻みに震えてい
た。荒い息を整えようと、深呼吸を繰り返している僕と春香の間に会話はなく、無言の時間が過ぎて行く。
そんな中、春香を見遣ってみれば、そこには時折その顕著な肩を震わせながら僕を感じている春香が居て。その
全てが愛おしく思えた。目一杯の力を込めて、その細く頼りない身体を抱き締めてあげたくなった。僕の気持ちの
全てを、彼女に向けてぶちまけたいと思った。

「うっ……うぅ……ひっ……く……」

けれど、僕の胸の中で聞こえてきた彼女の嗚咽は、僕の思考をすっかり奪ってしまったのだ。
満足に運動も出来ない所為で、必要以上に細くなってしまった春香の頼りない体躯は、それを更に強調するかの
ように切なく震えている。快感でもなく、怒りでもなく、喜びでもなく。
春香は、悲しんでいるのだろう。僕にはそれがよく分かるような気がした。
その理由は知らないけれど、何となく彼女が悲しんでいるのだろうと、そう分かる気がしたのだ。今、春香の顔
を見てみれば、悲壮に歪んだ顔が窺えて。僕の顔を鏡で映してみれば、悲哀に満ちた大嫌いな顔がそこにはあるだ
ろう。けれど、それは本当にどうしようもない事だった。

「……ッ、わ、わた、し……ほんと、に、ばかよっ……」

懸命に言葉を紡ごうとしている春香の姿は、先刻まで見せていた姿とはまるで正反対だった。
弱々しく、自虐的。これが本来の春香の姿なのかも知れなかった。何時もの、僕に対する邪険な態度の裏にも、
こうして悲しんでいる面があったかも知れない。僕の心ない言葉の所為で傷付く事も沢山あったのかも知れない。
それに、僕は気付いていなかったのだ。何時でも一人で懊悩していた春香を、僕はただ見詰めていただけに過ぎな
いのだ。
誰一人、救いの手を差し伸べてくれない荒野の真ん中で、一人佇む事がどんなに恐ろしく悲しい事なのか僕には
分からない。けれど、春香はそれを知っているのだ。この数年間、春香はそれをずっと経験してきたのだ。
それなのに、僕は。
春香を助けられない事は百も承知だった。しつこいくらいに見せつけられた現実は、嫌な結果の予想しか僕に与
えはしなかった。春香を、荒れ果てた荒野から逃がす事は出来ないのだ、と理解していた。
けれど、何故僕は手を差し伸ばさなかったのだろう?僕がしていた事と言えば、荒れ果てた荒野の切れ端、穏
やかな緑の草が茂る野原から彼女を見ているだけだったではないか。彼女を荒野から連れ出せなくとも、傍に居て
やれる事は出来たのに、僕はそうしなかった。一人荒涼とした空間の真中で、孤独に佇む春香をただ見ているだけ
だったのだから。

「……本当に馬鹿なのは、僕だ」
「……?」

涙に濡れた瞳が僕を見つめる。赤く腫れている春香の瞼はとても痛々しく見えた。
きっと、僕は自分じゃ見るに堪えない顔をしているだろう。何もかも遅かった、そう気付いた時の悔恨の念は、
僕にそう思わせるには充分過ぎる要素を持ち得ていた。春香はその事に気付いているだろうか。出来れば気付いて
欲しくない。今も現実に苛まれている彼女を追い詰める真似など、誰が好き好んでするだろうか。
だからこそ、僕の選択するべき行動は僕の中で決まっていた。それが正しい選択肢なのかは、知る由もないけれ
ど。最善の選択なんてものは誰でも何時でも選べる訳ではないのだから。

「ごめん。それと、ありがとう」
「……ッ!」

僕はそう言って、初めて春香の背中に手を回した。此処に辿り着くまでの道のりは、どれだけ長かったのだろう。
とてつもない回り道をして、漸く僕は春香の元に辿り着けたのだ。重なる肌から伝わってくる、紛れもない春香の
体温が、その証左。僕は感謝と謝罪をありったけ込めて、春香を抱き締めた。
春香にとっては意味の分からない行動に映るかも知れない。文脈などは破綻してしまって、何に感謝しているの
か、何に謝罪しているのかも不明瞭だろう。けれど、今はそれでも良いのだ。ただ、今は春香の温もりを感じてい
たい、そう思うのだ。

「あき、ら……?」

涙に濡れた、不思議そうな声が胸の中から聞こえてくる。そんな反応が返って来るのは分かっていたし、それに
対してどんな返答をしようかも決めている。今日、此処に来た目的と、積年、積もりに積もった想いの丈を、全て
彼女に伝えようと。それは今の僕にとって難儀などではなくなっていた。

「春香、好きだ。言い訳かも知れないけど、ずっと前から好きだった」

呆気なく、自然に紡がれた僕の想いに、春香は涙で濡れた眼を面白いくらい丸くして驚いた。
春香の驚いた表情なんて、何時振りに見ただろう。そう思うと、僕の告白がどんな結果になろうともある種の感
慨が湧いてきた。けれど、僕が自意識過剰なだけかも知れないけれど、それでも僕には信じる事が出来たのだ。僕
は心の何処かで確信を持っていた。僕の告白が一方通行で終わる事はない、と確信していた。
何故なら、春香は誰にでも身体を捧げるほど軽い女などではない事を、この僕が一番理解しているからだ。そし
て、春香はこう思ってくれていると思う。僕が、好きでもない人から迫られて、簡単にそれを承諾するような男で
はないと。多分、そんな事はお互いに口に出す事はないだろうけど。

「ふふ……じゃあ私、当ててたのね。彬が私の事好きだ、って」
「そういう事かな。でも今は、春香の気持ちが聞きたいんだけどな」
「一週間も来なかったから、愛想が尽きちゃったわ」
「……本気?」
「冗談」

そんなやり取りの後、僕らは揃って笑い合った。つい前までは、お互いに笑い合う事なんてしていなかったのに、
今は凄く楽しい。久し振りに、心から笑う事が出来たように思った。
心ゆくまで笑い合った後、僕は腕の中に収まっている春香の瞳を見つめる。漆黒の瞳の中に僕が映っていた。と
ても、清々しい微笑を称えた僕が。嫌悪感すら湧いてくるあの嫌な表情は、その影を微塵も忍ばせてはいなかった。

「……それで、本当は?僕、告白するのにかなり勇気を出したんだけど」
「簡単には教えてあげない。ずっと待たされてたんだもの」
「ご、ごめん……」

春香はそう言って意地悪く微笑んだ。それに対して謝っている僕は、やはり春香の尻に敷かれる立場にしかなれ
ないのだろうか、と少しだけ自分が情けなく見えた。けれど、その"情けなさ"は今まで感じていた事とは全く違った
意味を持っている。それはとても喜ばしい事だった。

「あははは!」
「……えーと?」

突然哄笑した春香の様子が何故なのか知る事が出来なくて、僕は首を傾げて聞き返した。春香はまた、ふふ、と
笑って僕の目を見つめてくる。何だか気恥かしかった。

「嘘よ嘘。こんな体勢なんだもの、今更教えるのを渋ったりしないわよ」

言われて、僕は嘘を吐かれているという事よりも僕達の今の体制に眼が行った。春香は僕に抱き締められていて、
それ以外は動いたりしていなく、当然のように僕達は繋がりあったまま寝転がっている。今までこんな体制のまま
会話していたのだ、と言う事に漸く気付くと、言い様のない羞恥心が込み上げてきた。

「と、とりあえず、離れないと――」

と、そう言った時だった。
不吉な音が、聞こえたのだ。とても不吉な音が、この耳に。
時計を見遣る。既に午後八時を示している。この病院の面会時間は、午後七時。僕はそれを遥かに上回っている
事がなんなのか、生唾を飲み込みながら悟った。
けれど、僕の予感は間違ってはいなかったのだ。僕が聞いたのは、紛れもなく不吉な音、だったのだから。


――続






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