窓の外の季節を眺めて 昔話編(非エロ)
シチュエーション


「……」

部屋に残された優希は呆然としたまま、孝之が出て行った扉を眺めていた。
久しぶりの後悔が、優希の胸を満たしている。
何故こうなったのか?そんな事、分かっていた筈だ。
今現在命に関わる症状は出ていないとは言え、病状はけして軽い物ではない。正直に話せば、誰もが眉を顰める。同情する。
しかし、そんな事で優希は同情を引きたい訳ではない。気を使ってもらいたい訳ではない。ただ、気兼ねなく、初めて会った時のような自然な孝之と接したかっただけだ。
だが、嘘を吐きたくも無かった。
何時自分が昏睡状態に陥ってしまうか分からない。もし会う約束をした時に昏睡してしまったら?見舞いに来てくれた孝之は如何思うだろうか?
何故本当の事を言わなかったのか?そう言って、優希を責めるだろうか?優希が目覚めるまで待ってくれるだろうか?
分からない。
かつての友人たちは、優希が目覚めた時には遠くに居た。学年が変わり、制服が変わり……。だれも、自分を待っていてくれはしなかった。
でも、本当の事を話してもし自分が昏睡してしまったとしても、それでも……自分が目覚めるのを待っていてくれる。孝之なら、そんな風に言ってくれる。そんな言葉を、優希は少なからず期待してしまっていた。

「桐沢さん……」

孝之が自分をどう思ったのかは分からない。
けれども、かつての自分の友人のように、彼がまたこの病室を尋ねてくれる事は無いのだろう。
こんな思い話を切り出され、笑顔で会い続けてくれる程の友人は、当時まだ子供の優希には居なかった。
優希はフォークを取り、最期に残していたショートケーキの苺を口に運んでみる。
驚くほど味の無い苺に、優希は小さく声を漏らして顔を伏せた。



どれくらいボンヤリとしていたのだろうか。優希はノックの音に我に返った。
一瞬、孝之が戻ってきたのではないかと淡い期待が生まれるも、扉を開けた人物に期待は打ち砕かれる。やはり孝之ではなかった。
松葉杖をついた青年――木村晶が人懐こそうな笑みを浮かべて顔を覗かせる。

「こんちわ」
「木村さん……?」
「おっ!覚えててくれたんだ。お邪魔してもいい?」
「あ……はい」
「おじゃましまーす」

晶は通常よりも三回りは大きいごついギプスをつけた足を文字通り引きずりながら、先ほどまで孝之が座っていた椅子に腰掛けた。
一瞬、ソコには孝之が座っていたという事を口にしそうになり、優希は肩を落とした。孝之はもう帰ってしまったのだ。その椅子は、もう誰のものでもない。
晶はテーブルに広げられたケーキと紅茶を見て取り、可笑しそうにフフンと鼻を鳴らした。

「こりゃまた、随分と買ったもんだ」
「え?」
「モンブラン貰ってもいい?」
「はぁ……どうぞ」

目を丸くする優希をものともせず、晶は摘み上げたケーキをそのまま口に運ぶ。
そのまま、お世辞にも上品とはいえない食べ方でケーキを腹に収め、晶は満足そうに頷いた。

「ん、やっぱり旨いな。そういえば……孝之は?」
「それは、その……」

何と説明すればよいのか咄嗟に思い浮かばず、晶の問いに優希は言いよどむ。
そんな優希の様子に、晶は「おや?」と眉を動かした。

「もしかしてもう帰った?」
「……はい」

先ほどの孝之の様子を思い出し、優希は力無く頷いた。
思い出すだけで後悔の念が沸く。折角親しく慣れたのに、自分の病気の事を勢いにのってひけらかしてしまった。病状だけ言えばよかったのに、感情的になって、言わなくていいことまで口走ってしまった。
突然あのような重い話をされては、聞かされるほうの対応も難しいではないか。
失意に暮れる優希を見て晶は「ふーん」と小さく唸り、チョコレートケーキに手を伸ばすと、相変わらずの手掴みで取ったソレをものの数口で完食する。
クリームまみれの指を舐め、晶は苦笑した。

「何があったのかは知らないけど、アイツの事だからどうせ、西野ちゃんに病状を尋ねでもしたんじゃないの?
んで、自分の想像以上の返事にパニクって逃げ出したってところか」

晶の言葉に優希は勢い良く顔を上げた。

「ど、どうして分かるんですか?」
「そりゃ、付き合い長いしね」

思わず身を乗り出す優希を手で制し、晶は箱からタルトを取り出した。

「このタルトも貰っていい?」
「あ、はい、どうぞ。それで、その、桐沢さんの事ですが……」

余りの優希の食い付きの良さに、晶はくつくつと喉を鳴らした。怪訝そうに眉をしかめる優希に対し、ニヤニヤと笑みを浮かべながらタルトを齧る。
何が可笑しいのか?そんな表情で若干不機嫌そうに晶を見る優希の目は、先ほどに比べて若干の光を取り戻していた。
晶はニヤニヤとイヤらしい笑みのまま、身を乗り出している優希の顔に自分の顔を近づけ、そっと呟いた。

「西野ちゃん、そんなに孝之の事が気になるかい?アイツに惚れた?」
「――!!」

晶の言葉に、優希は弾かれた様に身を引いて、パッと顔を赤らめた。
優希自身にそんなつもりは無かったが、他人にそう言われて初めて自分の感情に気付いたのだ。
そんな馬鹿な。そんな否定的な感情よりも、だからこんなに気にしているのか、そういった納得する気持ちが強い。
優希の様子に晶はフッと優しい笑みを浮かべ、紅茶を啜った。

「一目惚れ……とまではいかなくても、気にはしているみたいだね」
「はぁ……その……」

自分が孝之に、少なくとも他の人並み以上に好意を寄せている事を言い当てられた事に、優希は今更のようにモジモジと身を縮める。
まるで素肌を大きく晒している様な気分だ、と優希は思う。スースーとした感じで、むず痒い様な気恥ずかしさがある。
晶はそんな優希を気にも留めず、タルトもまた数口で平らげ、ようやく満足したらしく大きなゲップをした。
一息ついた晶は、椅子に深く腰掛けて腕を組み、真面目な顔で優希を見た。

「んー、西野ちゃんが心配するような事は無いんだけどな……」
「でも……」
「やっぱり孝之の事が気になる……と?」
「はい」

優希は顔を赤らめたまま素直に頷いた。
孝之が自分の事を気遣おうと、自分の事を理解しようとしてくれたように、自分もまた孝之の事を知りたいという気持ちが今の優希を占めている。
何故彼が突然帰ってしまったのか?その非が自分にあるのなら謝りたいし、そうでないなら気にする事は無いと伝えたい。
晶は納得したように笑い、一つ一つ思い出すように語り始めた。

「んー、それじゃあ、ちょっと昔話をしようか。アイツがいきなり帰ってしまった理由に関するヤツ」
「は、はい」
「昔……ってそうだな。俺達が出会ったのが中学生だから……6、7年位前かな?ま、その位の頃の話なんだが、孝之の奴には嫁さんが居たんだ」
「は?よ、よめ……お嫁さんですか?」

優希は目を丸くした。

晶と孝之は同年代だと思い込んでいたが、実は孝之が若作りなだけで実は既婚者だったのか?しかし、確か以前に話を聞いたときは同年代だと聞いた。
優希の頭は軽く混乱する。

「ああ、ゴメンゴメン。中学生なんて餓鬼だからな、いつも一緒に居る二人を皆がからかってそう呼んでたんだ。
正確には幼馴染で、保育園だか幼稚園だかの頃からの付き合いらしい。
異性と一緒に何かするのが無性に恥ずかしい時期だってのに、あいつ等はそんな様子をこれっぽっちも持って無くってな――」

笑いながら話す晶とは対照的に、優希は気持ちが沈んでいく。
孝之にその様に仲が良い女の人が居るという事。それはつまり、自分の気持ちがいかなものであろうと彼には通じない。抱えるだけ無駄なモノのように感じてしまうからだ。
沈む優希の様子に気付かないまま、晶はそこで溜息を吐いた。

「でもな、まぁ、そいつはもう居ないんだけどな……」
「え……?」
「なんつうか、死んじまったんだ。小さい頃から病の気があって、歳食う毎に酷くなってきてたらしい。
夫婦ってからかわれるくらい、孝之がいつもアイツの傍に居たのはそう言うことだからなんだと。俺は随分後で知ったんだけどね」

優希は何も言えず、黙って頷いた。
死んだ。
晶があまりにあっさりと言った事や、優希自身がその人物を知らない為に、いまいち実感が追いついてこない。

「あぁ、こんな事言われても困るよね。ええと、それで、その頃から孝之が変わったんだよ」
「変わった……ですか?」
「劇的にって訳じゃないけど、当時出会ったばかりの俺が分かるくらいには変わったな」

ソレはつまり、その人は、それだけ孝之に影響力を持っていた事。
それだけ、孝之にとって大切だった人……。

「それは、その、幼馴染の人が死んじゃったからですか?」
「いや、直接の原因はソレじゃない。と、思う。孝之はその幼馴染と付き合いが長いから、どうしても成人するまでは生きられないって事を知っていたからな。
そう言った意味では、あの二人は死を受け入れてたんだと思う。いつも一緒に居て、いつも笑顔で居て、発作が起きた時真っ先に駆けつけていたのはいつも孝之で……。
クサイ言い方をしたら、あの時の二人は何時死に別れても悔いは無いくらい、充実した毎日を過ごしていたよ。
でも、幼馴染が倒れて、入院生活を余儀なくされてからかな。少しずつ、そんな二人の関係が壊れた」
「……」
「幼馴染がさ、先に壊れちゃったんだよ。死に対する恐怖に」

晶の言葉に優希の心臓が大きく跳ねた。
分からないでもない、その恐怖。その不安と焦燥は、悶えに悶え抜いても足りないほどの苦痛を持っている。

「いつも隣に居る筈の孝之は学校で、自分は病室。例え発作が起きても、放課後までは孝之は駆けつけてくれない。
その幼馴染にとって、孝之は親しい友人とか、異性とか、家族同然とか、そう言ったものを超越しててさ。生きるために必要な物、空気と同等の存在だったんだな。
それが、入院生活で離されて、足りなくなっていった。コレも後で聞いた話だが、その幼馴染はその時点で当初に宣告されていた死期の予定を2年以上も長く生きてたんだってさ。
本当なら、死んでいてもおかしくない。いつ死んでも不思議ではない。そのくらい酷かったんだ。
でも一緒に中学に入って、中学生として生活を送る。たったソレだけを支えに、生き伸びていたらしい」

晶はペットボトルの紅茶をカップに注ぎ、一口飲んだ。
どういった表情をすればいいのか分からない優希も、とりあえずソレに習う。
一息つき、二人はカップを置いた。

「もし、孝之が学校を休んでまで幼馴染に付き添っていたら……あんな事にはならなかったと思う。
でも、彼女の親も、孝之の親も、そんな事はさせるわけには行かない。孝之は渋りながらも、一人で学校に来てた。
俺は孝之の話を聞きながら、当時は笑ってたよ。嫁がそんなに心配かってね。孝之は真面目な顔で『当たり前だ』なんて恥ずかしげも無く答えてたな。
毎日放課後は幼馴染の見舞いに行って、その日学校で起きた事を事細かに話していたらしい。彼女が学校に何時戻ってきてもいいように、その日その日の時事ネタを仕入れては、励まして、応援して、回復を祈っていた。
だけど、孝之の想いは彼女に伝わらなかった。アイツも、彼女も、まだ餓鬼だったからな。大人ですら想いが全部伝えられる訳じゃないのに、子供にソレが可能な訳が無いよ。
いつも寄り添いあっていた頃ならいざ知らず、入院生活と悪化する体調、孝之と一緒に居る事が出来ないストレスから、幼馴染が耐えきれなくなったんだ」
「どうしたんですか?」
「彼女が入院してから、初めての口論したんだ。ソレも幼馴染からの一方的な奴」
「上月さんは、なんて……言われたんですか?」
「第三者の俺からしたら何てことは無い、入院生活のストレスから出た八つ当たりみたいな言葉だったんだけどな。
確か『孝之みたいに健康な人が、病気を抱えて苦しんでいる人の気持ちが分かる訳無い』みたいな感じだったかな。ストレスから勢いで出たモノだって、冷静に考えればすぐに分かる言葉だ。ましてや、兄妹のように一緒に居たあいつ等なら。
でも、孝之にはショックだったらしい。自分の励ましが逆に彼女を傷付けていた、苦しめていた。そう考えてしまった。
その後、孝之は見舞いを控えるようになったんだ。普段は毎日の様に見舞っていたのを、週一か、もっと間隔を開いて。
んで、アイツが見舞いにいかなくなってしばらくして、幼馴染の子は死んじまった」

優希は息を呑んだ。
晶は肩を竦めてみせる。

「無理も無いさ。孝之は彼女にとって延命剤みたいなものだったんだから。
見舞いに行かなくなった孝之は一気に暗くなった。彼女が発作を起こしたって聞いても泣きそうな顔をして首を横に振ってたよ。
『俺が見舞いにいくと、どうしても明るく振舞ってしまう。アイツが悲しむ』って。馬鹿だよな、自分の感情に嘘付いてまで、互いが望んでいない方の行動をとっていたんだから。
彼女が死んで、葬儀の場で彼女の母親から彼女の本心を初めて最後まで聞いた時、アイツ狂ったんじゃないかってくらい声を上げてさ。
孝之を押さえつける大人すら跳ね飛ばして、叫んでた。ゴメンとか、自分を責める言葉とか……。
俺、その時ムカついて、アイツの顔を思い切りぶん殴ったんだよ。
自分に正直になって会いに行けばいいじゃないか、さんざん俺が言っただろう。なんで意地を張って彼女の見舞いに行かなかったんだって」

晶は苦笑しながら右手の袖をまくった。コブシから手首にかけてと、手首からひじ付近までにうっすらと、しかし大きな傷跡が二つ残っている。

「コレ、その時ブチ切れたアイツと初めて本気でケンカしたときの傷。二人とも大人に押さえつけられた頃は血まみれでさ、葬儀は滅茶苦茶。
俺は右手を砕いて、ザックリ切って……。アイツは最初に俺が殴った時に奥歯を折って、左手を脱臼したかな。
押さえつけられた後は会場から大人同伴で追い出されて、病院へ連れて行かれて……。病院で診察を待っている間、アイツはまた泣いて、俺は砕けた手の痛みで泣いて……。
ソレが切欠で、中学時代はずっとアイツとケンカしてた。んで、毎回俺が負けるんだ。今思うと、俺の入院癖はこの頃から付いていたんだな、うん」

ワザとおどける晶に、優希は僅かに微笑んだ。
孝之の過去を聞いてショックを受ける優希を励ましてくれる晶の態度は、そんな孝之と過ごしていった日々で出来たものなのだろう。
晶の物言わぬ優しさに気付いた気がして、優希は少し嬉しくなった。

「でも今は、仲が良いですよね?」
「高校入る頃は喧嘩も馬鹿馬鹿しくなったからね。ああ、高校で一度、また本気で喧嘩した!」
「どんな理由で?」

「ソレがさ、孝之の野郎、おっぱい星人なんだよ」
「……え?」

あまりの突飛な晶の言葉に優希は目を丸くした。
なんだろう?今、想像もしなかった単語が出てきた気がする……。
言葉の意味を理解できずにいる優希に、晶は「聞いてくれよ」と同意を求めるように続ける。

「俺がさ、女の一番エロイと頃は尻だよな?って訊ねたら、アイツ……『胸だ』って言いやがったんだ。
尻だろうが!って聞き直したら、『乳だよ、乳』なんて真顔で返してくるんだよ。おかしいだろ?普通、尻だよなぁ?」
「……」

なんと言えばいいのだろうか。
優希は頭を抑えて呆れたような表情を浮かべる。

「そんなにおっぱいが好きか!この餓鬼め!って言ったら、アイツは『そうだ、おっぱいが好きで何が悪い!』なんて開き直りやがって……。
そのまま夕日の海岸で殴り合いですよ」

晶の言葉に優希はそっと自分の胸を見下ろしパタパタと叩いて大きさを見る。お世辞にも大きいとはいえない。
そんな事を考えた所で、優希はハッと晶を見た。
晶は笑いを堪えた様子でそっぽを向いていた。

「……木村さん、今の話は嘘ですよね?」
「わはは、バレたか」
「からかわないで下さい!」
「確かに夕日の海岸当たりは嘘だけど、アイツが乳好きなのはホント」
「だ、だから何で私の胸を見るんですか!」
「ハハハハハハ、何でかなー?」

腕を振り上げて怒る優希を笑いながら晶は立ち上がり、逃げるように部屋を後にした。

「もぅ……」

小さく溜息を付き、自分の胸に手を当てる優希。
孝之の過去は衝撃的であったと同時に、もしまた自分を責めているのだとしたら、なおさらもう会えないのではないか?
そんな考えに絶望してしまう。

「ああ、言い忘れてたけど」

ひょいと顔を覗かせる晶に、優希は悲鳴を上げた。

「孝之が変わったなんて言ったけど、アイツ自身の本質は変わってないから安心していいよ」
「……え?」
「もし西野ちゃんが、今日の出来事でアイツが自分を責めてる……とか、もう会えないんじゃないか……とか思っているんだったら間違いだって事。
あの頃のトラウマが蘇ったんだとしたら、今頃自宅のベッドで悶えているだろうけど、すぐに回復するから気にしない方がいいよ。どうせ近い内に、アイツはまた西野ちゃんの前に現れるだろうしね」
「そ、そう……ですか」

孝之にまた会える。そう聞いただけで優希の胸は嬉しさに高鳴った。
ああ、今、間違いなく自分は嬉しそうに顔を輝かせているのだろう。
優希はそんな事を自覚しながら、「それじゃあ、またね。孝之が来るまでに少しでも胸の件、がんばってね」と言い残して去っていく晶に「馬鹿!」というのだった。






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