窓の外の季節を眺めて 交流・失敗編(非エロ)
シチュエーション


「失礼します」

ノックの後に一言加え、孝之は優希の病室に足を踏み入れた。
優希の病室はさして広くない個室なものの、大きな窓から差し込む光で明るかった。部屋の広さの割りに圧迫感は感じられず、病室という薄暗い勝手な想像を払拭するほど快適そうな印象を受ける。
しかし、長期入院している割には私物……というか、物自体が余り置かれていない事が気にかかった。
ある物といえば、ベッドと小さなテーブル、椅子、そして小さなテレビが1つ。積み上げられた文庫本や雑誌、ゲーム機などは無く、強いて言うならば先日大切そうにしていた携帯と充電器が置いてあるくらいだ。
そのベッドに優希は居た。

「え、あ、桐沢さん!?」

ベッドで半身起こす体勢で窓を眺めて居た優希は、突然の孝之の来訪に気付くと悲鳴に似た声を上げた。

「あ、え、なんで?何で桐沢さんが?」

孝之が手を上げて挨拶をすると、優希は顔を紅くしてシーツを抱き寄せるように体を隠す。

「何でって……お見舞い。迷惑だった?」
「いえ、その、あの、ちょ、ちょっと外で待っててください!」

優希の悲痛な叫び声に、孝之は廊下へと押し戻された。
頭をかきながら、孝之は小さく溜息を付く。
一見した限りでは優希の姿は他の入院患者同様の寝間着姿のように思えたし、以前会った時も同じ格好だった。何も恥ずかしがる事はないのではないか。
いやしかし、流石に女の子相手に全くのアポ無しは迷惑だったか?サプライズのつもりが、それを迷惑に思われては本末転倒か。
そんな事を考えつつ、しばらくそのまま待つこと数分。扉越しに「どうぞ……」と優希の弱々しい声が聞こえた。
その言葉に従って孝之は再び病室の戸を開ける。寝間着を着替え、髪を整えて車椅子に腰掛けた優希が顔を真っ赤にして孝之を迎えた。

「そ、その、どうも」
「え、あ、どうも」

恥かしそうに頭を下げる優希に孝之もつられて頭を下げた。
そのまましばらく、何処か気まずい空気のまま無言の時が過ぎる。孝之は俯いたままの優希をそろりと覗き見た。
乱れた髪を梳かす時間が無かった為か、優希は背中まである長髪を後ろで大きく二つに纏めていた。先日会った時同様の寝間着姿は、そのまま外出ができそうなややカジュアルなデザインのモノに着替えられている。
まるで病人と向かい合っているとは思えない明るい印象を受け、服装や髪型でこうも印象は変わるものかと孝之は驚いた。
少しだけ観察するつもりが、ついまじまじと見詰めてしまったらしい。孝之の視線に気付いた優希と目が合い、孝之は咳払いをして誤魔化した。

「そうそう。はい、コレ」

自分の目的を思い出し、孝之は後ろ手に持っていた紙箱を差し出した。箱を受け取った優希は目を丸くする。
両手の掌に乗る程度の大きさの白い紙箱はひんやりとして、ラベルには要冷蔵・生菓子と書いてある。
孝之が優希を来訪した大きな理由の一つが、このケーキの詰め合わせであった。

「この前の電話で、甘い物が好きだけど中々食べられないって話をしてたから……」
「そ、そんな。ワザワザ買って来てくれたんですか?」

優希は感激に目を輝かせながら孝之を見る。
先日、孝之にお礼の電話をした際にその様な話題が挙がったのだ。何気ない会話のやり取りだったというのに、孝之はソレを覚えていてくれた。その事実だけで、優希は飛び跳ねたい気持ちに包まれていた。

「駅前に新しく出来たケーキ屋でね。俺はケーキに詳しくないから、見た感じで美味しそうなのを適当に詰めてもらった」
「あ、ありがとうございます!」

孝之に促されて箱を開けて見て、途端に優希は感嘆の溜息を漏らした。
ショートケーキ、ミルフィーユ、チーズケーキ、モンブラン、タルト、ロールケーキ。箱の中にぎっしりと並ぶケーキの群れは、優希に取っては宝の山だ。
まるで誕生日プレゼントを貰った子供のような優希の純真な笑顔に孝之は嬉しそうに頷いた。

「うん、突き返されなくて良かった」
「そんな!そんな事しませんよ!」
「実はソレを買った後に、もしかしたら糖分の摂取を制限されているんじゃないかって気付いちゃって、内心ハラハラしていたんだ」
「大丈夫です!私、食事制限はされてませんから、何でも食べる事が出来ます!」

優希は頬を高潮させながら力説する。ともすれば、全てのケーキを食べると言い出しかねない勢いだ。

「それじゃあ食べようか?小皿とフォーク、あるかな?」
「果物を食べるとき用の小さな物でよければ」

優希が取り出した皿に、それぞれが選んだケーキを孝之が移す。あらかじめ自販機で買っておいた暖かい紅茶をカップに注ぎ、即席ながらも見事なケーキのセットが出来上がる。
いただきます。テーブルを挟んで向かい合い、二人で手を合わせた。
優希はショートケーキの先端をサックリとフォークで切ると、ゆっくりと口に運んだ。味わうように租借し、幸せそうに顔を綻ばせて感嘆の溜息を吐く。
その様子は優希の幼い容姿に余りにも似合っており、可愛らしい一枚の絵画のようであった。



「こんな事聞くのは失礼かもしれないけど」
「はい」
「優希ちゃんは、どういった理由で入院しているんだい?」

二人でケーキを食べながら雑談をしていた、その話の切れ目を狙って、孝之は極基本的な優希にしてみた。
出会った頃には二度と会うことも無いであろうと思えていたのに、今はこうして向かい合って話をしながらケーキを食べている。コレも何かの縁だと思うので、折角だからこの縁を大切にしたい。孝之はそう考えていた。
そうなると最低限、知り合いとして付き合う上でのマナーというか、暗黙の了解というか。優希が患者だという事からも、触れてはいけない点は少なからずあるだろう。
例えば、優希の病状は車椅子を使っているという事から足に関する事なのだろうとは考え付くのだが、その程度が分からない。
手術なり、治療なりを続ければ治るのかもしれないし、もしかしたら一生治らないのかも知れない。もし後者だとしたら、迂闊な励ましは聞かされる方からすれば苦痛でしかないかもしれない。
そういった点をあらかじめ知っておかないと、無責任な自分の発言で、無意識の内に相手の心を傷つけてしまうかもしれない。
その問いに優希は一瞬戸惑った表情を浮かべたが、孝之の視線に気付き、その意図を汲んだらしく直ぐに笑顔を取り戻した。

「桐沢さんって、優しいですね」
「え……」

自分の心を読まれたような気がして、孝之は一瞬動揺した。

「私の事を、必要以上に気遣ってくれてます」
「そんなことないよ」

嬉しそうな優希の笑顔を直視できず、孝之は顔を背けた。
少女の純真な笑顔を前に物凄く気恥ずかしくなり、同時に自分が幼い容姿の少女を前に本気で照れているという状況に気付き、気恥ずかしさに更に拍車がかかる。
優希はフォークを咥えたまま「んー」と小さく唸った。

「私の病気……ですか。なんて言ったらいいんだろう」
「その、言い難い事なら言わなくてもいいよ」
「言いにくいって訳じゃないんですけど……。ただ、少し複雑で」
「……複雑?」

怪訝そうに眉をしかめる孝之に対し、優希は苦笑を浮かべた。

「なんと言うか、病気の原因が分からないんです。新種の病気らしくて、症状がコロコロ変わっちゃうんです」
「し、新種?」

新種の病気という言葉に目を丸くする孝之を見て、優希は慌てて首を振った。

「あ!感染力は皆無といっていいほど低いので安心してください!そういった点は、真っ先に調べられましたから!」
「ああ……。それは、気にしてないけど……」

優希が無菌室でない病室にいる事や、中庭まで出歩いていたりした事から、孝之は初めからその様な心配はしていない。
ただ、新種という言葉からとんでもなく重い病気ではないのかと勝手に想像して戸惑ってしまっただけだ。
優希もそんな反応に慣れているのか、自分の足を撫でて見せながら説明をする。

「車椅子を使っているから誤解を与えてると思いますが、私の病気は足が動かない訳じゃないんです。まぁ、現状は下半身が動かない状態だから、あながち間違いじゃないですけどね。
ええと、説明が難しいんですけど……私の体、無数のスイッチがあるんです」
「スイッチ?」
「はい。足とか、手とか。今は足を初めとした下半身のスイッチが切れちゃってる状態です。去年の秋は手のスイッチが、その前は右手と左足のスイッチが……。
そんな感じで、不定期ですけど……目安としては季節が切り替わるくらいのタイミングで、スイッチが滅茶苦茶に切り替わるんです」

想像以上の病状に、孝之は唖然として何も言えなかった。
医学知識が皆無の孝之に病状が鮮明に伝わったという点では、スイッチという例えはある意味正しいのかもしれない。
神経や筋肉、それらが壊れ、駄目になる訳ではない。周期的に何処かの機能がオフになり、時が経てばまたオンになる。そのどれもが壊れているわけではないので、治療しようにも治しようが無いのだ。

「脳の病気なのかもしれないんですけど、全然異常が見つからないんです。体も同様で、何処にも異常は見つからないんです。
でも、体が動かない事は事実で、季節の変わり目頃にスイッチが切り替わっちゃって……」

優希の笑顔は憂いを帯びていた。
孝之は自分の質問こそが優希の触れてはいけない点であったことに気付き、後悔した。
沈む孝之の表情に気付き、優希は苦笑する。困らせるつもりではないんです。彼女の目はそう物語っていた。

「ごめんなさい、この話をすると、皆……そんな顔をするのを忘れてました。ごめんなさい。
ソレはそうですよね。足が悪いなら、足が悪いなりの生活が出来る。手が悪いなら、手が悪いなりの生活が出来る。皆、そう考えます。
でもまさか、いつ手が、足が、そして頭が。動くようになったり、動かなくなるかが分からない状態……。ましてや、もしかしたらそのまま全身動かなくなって目が覚めなくなるかもだなんて……誰も想像しませんよ」
「頭……?」
「初めてこの症状が現れたのが頭でした。意識が無くなって、2ヶ月の間眠り続けました。寝たきり生活で立ち上がれないくらいまで体は弱くなっちゃったけど、リハビリで筋力を取り戻したらまた元の生活が送れるはずだったんです」

ああ、駄目だ。不味い。孝之は直感する。
優希の口調が感情的になってきている。このまま彼女に喋らせてはいけない、このまま自身を否定するような事を言わせてはいけない。このままでは彼女の笑顔は見られなくなってしまう。
そう考えるも、孝之は目の前の少女に対して何の行動も取れなかった。
優希の病状を聞き、彼女の恐怖を漠然とだが理解した上で、まだ知り合って日の浅い彼女に自分は何と言えばよいのだろう。
自分は優希の事を何も知らない。知らな過ぎた。彼女の気持ちを理解せずに、無責任な発言は出来ない。しない。あの時、そう心に誓った。
だから、孝之は何も言う事が出来なかった。
歯痒さと、後悔と……。様々な感情がない交ぜになった瞳で、優希を見詰める事しか出来ない。

「眠くなっても、眠るのがとても怖いんです。また前みたいに眠って、起きた時には窓の外の景色が変わっているかもしれない。体を動かせないくらい、全身が衰弱しているかもしれない。
何ヶ月も時間が経過していて、友達が進学していて、また私だけあの頃の時間に取り残されるかもしれない。手や足が動かないだけならまだいい。でも、眠り続けるのは、怖いんです……」

優希はフォークを置き、いつの間にか流していた涙を拭った。
大きく溜息をつき、自分が想像以上に感情的になっている事に気付く。孝之とて、こんな話を一方的にされても困るだろう。そう思い、自分の暴走を恥かしく感じる。
ゴメンなさい。と、優希は小さく舌を出して明るく謝ってみせた。

「アハハ、つい感情的になってしまいました」
「……いや、うん」
「ちょっと、溜め込んでいた物を吐き出しちゃったみたいで……。私の感情なんかぶつけられても、迷惑ですよね」
「そんなことは、ない、よ」

孝之は硬い表情のまま首を振った。
頭の中を後悔の念が渦巻いている。自分の、優希に対する行動の軽率さに吐き気がする。ドロドロとした思考の中、孝之は歯噛みをした。
何が見舞いだ。何が差し入れだ。そんなの、健康な自分が優希に対して哀れみの気持ちでしていただけではないのか。あの時と同じではないのか。
孝之はゆっくりと立ち上がり、何も言わずに踵を返した。

「桐沢……さん?」
「ごめん、ちょっと、用事を思い出した」

声が震えそうになるのを必死で堪え、孝之は歩き出す。
思い出したくない、古い感情が胸のすぐそこまで湧き上がっている。気を抜けば、胃の中の物を全て吐き出してしまいそうだった。

「桐沢さん、あの……」

優希が戸惑う様子が背中越しに分かる。しかし、孝之は振り返らない。
今、自分が浮かべている表情もまた、同情や哀れみの様に少なからず優希を見下して浮かべているのではないかと思うと、とてもではないが優希に見せられなかった。

「ご、ごめんなさい!急にこんな話されても困りますよね、何も言えませんよね」
(そうじゃない、そうじゃないんだ)

否定したい。でも、声にならない。
孝之は吐き気と眩暈を必死に堪えつつ重い足取りで病室のドアを開け、僅かに振り返る。

「本当に、ゴメン」

最期に何とか搾り出した言葉は、孝之自身も驚くほどに弱々しい物だった。
何も答えぬ優希を部屋に残し、ゆっくりと病室を後にして、孝之は深く溜息を付く。底なし沼から命辛々這い出したかのように、貪る様に何度も肺に空気を送り込んだ。
一頻り呼吸を繰り返し、落ち着きを取り戻してゆく事に、ぞわぞわとした不快感が体中を這い回り始める。

「くそ、くそ、クソ!」

言いようの無い悔しさに苛まれながら、全身を包む不快感を振り払うかのように、行く当ても無いまま孝之は走り出した。






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