あま鳴り(非エロ)
シチュエーション


……その日はとても寒かった。
雨が止む気配は無く空は分厚い暗雲に覆われ、窓を打つ雫と風が煩いほどだった。


「………ねぇ」

声を掛けられた。伏せていた顔を上げ、向き合う。
自分を呼ぶ少女へ。

「海とか、行ってみたい」

白一色の部屋に窓の音を無視して、幼さの残る声はただ小さく確かに響いた。

「行けるよ。きっと」

本心では何も考えず出任せのくせに。
少女に答える声は何故か落ち着いていて。

「皆で行こう。妹も誘って、友達と一緒に」

勢いの名案を思い付き、浅はかにも自分に満足する。
それを聞いた少女は白いベットの上、可愛らしく微笑んでくれた。


「約束だね。忘れないでね?」



……

……

………少女の問いに自分は何て答えただろう。

自分の本当の思いに気付いたのは、少女がいなくなった後だった。

………暑い。

真夏の正午十二分過ぎ。俺は自転車に乗って町中を走っている。
格好はTシャツに半パン。ペダルを踏んで風を受け体を冷却しようと試みる。
だが頭上の青空に浮かぶ太陽はそれを許さず、日光が体に突き刺さり皮膚を焼いていく。
当然汗腺は開きっぱなしで全身余すところなく汗だくだ。
まったくなんでこんな日に外に出て有害光線浴びながら肌に発癌する可能性無視してまで………


「おーい聞いてんのか?」

気が付くと深い思考の渦中に巻き込まれていた俺を呼び覚ましたのは、隣を自転車で並走する健治だった。
はっとなり頭を軽く振ると意識が覚醒する。
そしてまず考えるべきは普段から礼儀正しく謙虚をモットーに生きる俺にとって、救ってくれた友に礼を述べることだろう。

「健治。お前って本当に憎たらしくてくそ素晴らしい友達だ」
「今日は連続三日目の真夏日で隣の頭がおかしい哀れな人には同情の余地がある耐えるんだ頑張れ俺っち……」
「はははは照れてるのか馬鹿」
「ふはははこっち寄んな変態」

俺たちは睨み合いながらアスファルトの歩道を進んでいった。


「まあ話を戻すんだけどな、ハルにも手伝ってほしいんよ」

しばらくしたあと健治が切り出した。
全身が赤黒く日焼けしているこの友人は一つの悩みを抱えている。それは、

「手伝ってくれるだろ?親友の告白をさ」
「……別にいいけどさ……」

健治はこの夏に真剣に告白を考えていた。

「これ以上うまいのはさ、俺っちには思い付かないんだよ」

困った顔をしながら、癖で自分の短髪の襟足辺りを掻き始めた。

「だけど、ダブルデートがそれほど名案か?」
「ハルと香澄ちゃんは途中まででいいからさ、頼む」
「でも妹とデートしてもな……」

俺は少し気だるそうに答え、何となく前方に視線を向けた。

健治の話によるとプランはこうだ。
明日の晩、この地域一帯をまとめた大掛りな夏祭りが催される。
簡単に説明すると、一部の道路を封鎖して屋台を連ねその真ん中を御輿が行く。
この祭りに俺と妹の香澄をつれて、相手を誘おうとしているらしい。

―――二、三年前から夕輝ってさ、祭りには仲の良い友達と行くようになってるだろ?でもそれじゃ告白しづらいじゃんか―――

誘う時二人でなどと言ったら魂胆が見え見えだ。そこで俺と香澄にも着いてきてほしいらしい。

―――それにハルも一緒ならきっと来てくれんだろ―――

健治の意中の人は俺のよく知るやつで、小さい頃は一緒に遊んだこともある。
今でも時々話しているから俺から誘えば恐らく来るだろう、と踏んだらしい。
そして祭りの良い雰囲気の中ドラマティックに告白して―――

「大体、そんなに上手くいくか?」

健治に向き直るとにやりと笑いながら、

「そこはハルがお膳立てしてくれや。例えば俺っちが金魚を素晴らしい美技で掬っている間後ろで風船膨らまして犬作っていたりとか」
「ああそれ駄目だ俺ゴムの擦れる音聞くと狼になるから」
「捻り過ぎだし冗談も度が過ぎると笑えねぇもんだな………」

お前のことだろう、と内心で即決した。

ふと気付けばただでさえ暑いのに無駄な会話を続けていた性で、喉に渇きを感じ始めた。
都合良く目の前にはコンビニが見えて―――


「ドロボーーー!!」

突然の怒号。
思わず健治と同時に振り向いた。

コンビニから鞄を持ったサラリーマン風の男が飛び出していた。
駐車場に何台か停まっている車のうち一番端の車に向かい男は急いで走る。
状況がわかった瞬間咄嗟に自転車を車へ。
車への距離はこちらは十メートルほど。男のほうが近いが自転車なら先に行って捕まえられる。
その時。
ヘルメットを被った小柄な人が男の前に飛び出した。
男は喚きながらなりふり構わず、ヘルメットの人を突き飛ばそうと鞄を持った右腕を振り上げる。
ヤバいと思った直後。

顔面から地面へ男がすっ転んだ。
原因は、しゃがんで男をやり過ごしたヘルメットの人の瞬時の足払い。
男は仰向けに倒れたまま動かず、それを振り返らずヘルメットの人が立ち上がる。

………あまりのことに急ブレーキをかけ呆然としている俺の目の前で、その人は埃を払うとゆっくりとヘルメットを外す。
そこに現われたのは茶掛かったセミショートの髪。
少し鼻の高い黒瞳、活発そうな少女の顔だった―――






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