スケベな軟派執事と暴力お嬢様 アプリコット(非エロ)
シチュエーション


冷え込んだ朝。
研ぎ澄まされた空気に全身が釘を打たれたように痛む。
たった数分庭に出ただけで、杏種の鼻の頭も耳も、あんず色の髪に負けぬ程赤く色付いてしまった。

「……」

杏種は無言で玄関に上がった。
暖房の効いた室内の温度が引き攣った身体をじんわりとほぐす。
その温もりに、杏種の胸に言いようのない切なさが去来した。この暖かさと外界の身を切る寒さ、そして花壇の無惨な姿を比較してしまう。
その時、杏種に気付かずに玄関前をヘラヘラと横切る軽薄極まりない男がいた。

「――次は週末になるかな、また会いにいくよ。うん、うん。あ、本当?嬉しいね。俺も早く桜子様の顔が見たいな」

肩で顔に携帯をはさんで固定し、手ではおざなりにグラスを磨いている。
さすが、バ柏木。目を離せば勤務中に女に電話である。
杏種は電話の向こうの桜子さんに聞こえるよう鋭く叫んだ。

「こいつ昨日は紫さんを抱いてたぞー!!」
「ぎゃっ」

柏木は飛び退いて慌てて電話を切る。
わななきながら杏種に噛みついた。

「ちょ、ちょっと!最悪っ、何考えてんですか!絶対今の向こうに聞こえてるって!」
「殺すぞ」
「あ、いえ。すんませんした」

明らかに機嫌の悪い杏種に直ぐ様姿勢を正す。普段から顔色が読めない彼女だが、本気で怒れば鬼のように恐ろしい。
杏種は深々と頭を下げるクズ執事をジロリと睨むと、横をすり抜けてズカズカと上がりこむ。
すれ違う様、彼女は恨み節のようにポツリとこぼした。

「…霜が立った」
「ワタクシめのシモも立っております」

よせばいいのに脊髄反射で下ネタを被せる柏木。

バリンッ

彼が片手に持ったグラスが凄まじい速度と力で握り潰された。

「お前のシモもへし折るか」

杏種がグラスを握った手を開けば床にパラパラとクリスタルの破片が落ちた。
柏木は笑顔を引き攣らせる。

「こ、これ、奥様のコレクションのグラス。デキャンタとセットの一点物…」
「知らん。弁償代は柏木の給料から天引く」
「い、いやっ、下ネタは謝るからさぁ、それは無しでしょう?これ割ったのお嬢様でしょー?」

涙目で追いすがる柏木の首筋に手刀がつきつけられた。

「それが嫌なら朝顔を元にもどして」

頑是無い子供のような杏種に柏木は大仰にのけぞった。

「はぁ?朝顔?――ああ、霜で枯れたんですか」
「そう」
「んなもん今日まで咲いてたのが奇跡でしょ。普通秋にゃ枯れて種付けるでしょうが」
「だって今年は花のまま凍死してんだもん。あれ小一の時から育ててる大事な朝顔なの」
「そりゃ知ってるけどさ…」

毎年種を収穫し、翌年に蒔いては連綿と咲かせ続けてきた由緒ある朝顔なのだ。
一系の朝顔という所が杏種にとってポイントらしく、市販の種では代わりがきかないと言う。

「…ガーデニングに精だす主婦かよ。ティーンらしくマニキュア塗るとか可愛い趣味持ちなさいよ」
「うるさいなあ。朝顔ー!」

いよいよ杏種は幼児退行を始めバタバタと廊下で足を踏み鳴らしだした。
普段ならば周囲の人間に何が起ころうともスルーを決め込む杏種であるのに、なんと異様な騒ぎ方。
つまり周りの人間より自らの朝顔が大切なのか。我がお嬢様ながらさもしい娘よと柏木は胸中で毒づいた。

「……へいへい、じゃあオジサンが朝顔さんの種をあげるでちゅよ」
「え!マジ!?店で買ってくるのじゃだめだかんね」
「あのねえ、お嬢様は知らないだろうけど、俺は毎年もしもの時に備えて同じ種でスペアの朝顔育ててんのよ」
「…はー」

杏種もこれには感心するしかない。

「今年も数は少ないけどちゃんと種は採れてるからさ、それをあげればいいでしょ?」
「うん!」

手の平を返してご機嫌になる杏種に肩をすくめると、柏木はおもむろに携帯を取り出し電話をかけだした。

「―…あ、おはよ。ごめんね急に。うん、あのさ、優衣子様んとこに朝顔の種預けてあるでしょ。あれが急遽必要になってさ――」

お前、よそのお嬢様の屋敷で朝顔育てるなよ。
杏種は突っ込みたくなったが、今回は全てに目をつぶることにする。
ふと床を見れば花壇の霜よりもまぶしく破片がキラキラと輝いている。杏種は今更青くなった。

(……バ柏木と二分すれば、多少罪も軽くなるかな)

そうだ、あれも悪い。あれと自分はセットで悪い。
このスケベな軟派執事と暴力お嬢様は、どうせ地獄の底までくされ縁なのだ。






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