Yearning Heart
シチュエーション


「かぁーさまぁ!」

手すりから身を乗り出して、一階の砂被り席に座る奥様に手を振るお嬢様を慌てて
抱き止める。

「だ、ダメです。お嬢様!」
「はなしてぇ、はなしてぇ、荒木!かぁーさま!」

足をバタつかせたお嬢様の黄色いスカートから熊さんのアップリケが施された可愛らしい
パンツが見えてしまう。しかし、今はそれを気にしている場合ではない。このまま落ちるような
ことがあれば取り返しのつかないことになってしまう。

「危ないですから、お嬢様!」
「見て見て、荒木!かぁーさまが手を振っているわ!かぁーさま!」

周りの年配客からは微笑ましい目線で見てもらえるのがせめてもの救いだ。お嬢様に頬を
抓られ、仕方なく一階席を見るとこちらを見上げ、控え目に手を振る奥様の姿があった。
胸元に大きなリボンを装った上品な白のツーピース、両耳で小気味よく揺れる銀色に輝く
イアリング、左右に分けた絹糸のような黒髪、切れ長の瞳には気品が溢れ、口元には
穏やかな笑みを湛えていらっしゃるお姿は見るものを惹かずにはいられない麗しさがある。

「ねぇ、荒木。どうして、わたしはかぁーさまと今日は離れていなくちゃダメなの?」

やっと大人しく席についてくれたお嬢様の質問に答えを窮してしまう。

「奥様は……お嬢様の未来のお父様になられるかもしれない方とお相撲を見ながら、
お話されているのです」

嘘は──幼いお嬢様相手とは言え、つけなかった。

「私、新しいお父様なんていらない」
「お嬢様。我が侭を仰らないでください。きっとお優しい御方ですよ」

奥様は今回のデートのお話に乗り気ではなかった。しかし、周囲の懸命の説得で
不承不承ながらも了解を取り付けたのだ。

「どーしてもなら、私、荒木が良い!」
「はっ?」
「荒木が私の新しいおとーさま!」

意外な一言に呆気を取られた私を尻目に、お嬢様は目を輝かせこちらを見ている。

「だって、荒木はずっとかぁーさまと私の側にいてくれるじゃないの。だから、おとーさまに
なってくれたって良いでしょ?きっと、かぁーさまも喜ぶわ!」

純粋な子供の視線にいつの時代も我々大人は弱く、口ごもってしまう。

「そ、そういうわけには……」
「だめなの……荒木は私や、かぁーさまが嫌いなの?」
「そういう意味ではありませんが、その……」

何故、子供の戯事だと軽く受け流してしまえないのだろうか。理由は明らかだ。私自身が
奥様に──魅かれてしまっているからだ。執事が女主人に懸想する──昔からよくある話だが、
自分には縁遠いと思っていた。そもそも私は初め、今は亡き奥様の夫──旦那様にお仕え
していたのだ。もし旦那様が奥様とご結婚されなければ、あのようなお美しい御方の執事に
なることなど有り得なかったのだ。

◇◆◇◆

「荒木、お前を妻の執事にしようかと思うのだが?」

まだ二十代半ばの私を、娶ったばかりの新妻の執事にしようなどと言い出した旦那様に
思わず真意をお尋ねした。通例であれば、お若い女性の執事役は年配の人間と決まって
いる。

「ああ、お前が私の執事の中で一番、妻に嫌われているようだからさ」

可笑しそうに旦那様はクスクスとお笑いになって、私を旦那様付きの執事から奥様付き、
へとその日のうちに配置転換してしまった。元々、旦那様付きの執事は私を含め三人
いたため、私一人抜けたところで困ることはなかったのだろう。
奥様付きになってからは色々と苦労したことも多かったが、何とか職務をこなせるよう
になった。しかし、奥様は相変わらず私を警戒されているかのような御様子で、旦那様との
間にあった主人と執事の信頼関係のようなものは築くことはできなかった。
やがて、お二人の間にお嬢様がお生まれになったが、奥様はお嬢様の世話を乳母を
付けるのではなく私の仕事としてしまった。子供の世話をした経験などなく、まして旦那様と
奥様の大事な一人娘を預かるという大役に、暫くは胃に穴が開きそうなプレッシャーを
感じながら暫く過ごすこととなった。
旦那様と奥様は仲睦まじくお嬢様と三人、益々幸せな家庭を築かれるはずだった。
しかし、お嬢様がお生まれになってから一年後、旦那様は難病を患い呆気なくこの世を
去られてしまった。初めてお仕えした御方の死のショックで、私は三日三晩寝込む始末だったが、
奥様は気丈にも旦那様の葬式を取り仕切り、葬儀が済むと旦那様の代わりに一大企業グループの
総帥の座にお座りになられた。これには喧々諤々の論争が巻き起こったが、
決め手となったものは、旦那様が病床で書かれた遺書──

「私の会社も含めた全ての財産を、我が妻に譲る」

この一文で全てが決まった。
その後の奥様は目覚しい活躍ぶりで、旦那様の残したグループを更に大きく成長させ、老獪が
蔓延る経済界においても「麗しき新風」として高い評価を受けている。
旦那様が世を去られて五年、二十八歳になられた奥様に四方八方から引っ切り無しに交際の
申し込みや、お見合いの薦めが来るのは当然のことであった。当初は固辞されていた奥様も徐々に
外堀を埋められ、最近は断り切れなくなってきている。
お嬢様に新しいお父上が見つかるのも時間の問題だ、と私もそう思う。
今日のお相手も名門財閥グループの跡取り息子で、見た目も悪くないし評判を聞く限り
中々できた人物のようだ。どこぞのパーティーで奥様を見初められ、デートの根回しを
整えられたと聞いている。相撲が好きということでお二人は砂被り席で仲睦まじく談笑され
ながら、目の前で繰り広げられる取り組みを御覧になっている。
さすがにデートの場にやんちゃ盛りのお嬢様を同伴できるはずはない。かと言って大人しく
お屋敷でお留守番頂けるほどお嬢様は母離れされていない。仕方なく、私は自腹を切って
お嬢様を国技館の二階席の最前列にご招待することにした。

「ねぇ、荒木?どうしたの、ボーッとして」
「なんでもありませんよ。さあ、ほら大きなお相撲さんがでてきましたよ」

私が指差した方をお嬢様は嬉しそうに眺める。そんなお嬢様を横目に一階の砂被り席を
盗み見ると、お二人が愉しそうに談笑していた。

──きっと今度はうまくいきそうだ。

安堵とともに、キリキリと胸が痛む。

◇◆◇◆

相撲観戦が終わると、奥様とお相手は都内にあるフレンチの名店へと向かわれる。
さすがにそこまでお二人の邪魔をする訳にはいかず、私とお嬢様は──余韻醒めやらぬまま
お屋敷へと戻る。
お屋敷に帰ってからお嬢様のお世話をしながら、その合間を縫って明日の準備を整える。
そうこうするうちに時刻は二十二時を回っていた。おそらく、奥様は今晩お帰りにならないで
あろうから駄々を捏ねてベッドに入らないお嬢様を寝かしつけるのは私の役目だ。

「さっ、もうお休みください。お嬢様」
「荒木、かぁーさまは?」
「今日はお戻りになられぬやも知れません。ですから、お先にお眠りください」

怪訝そうな顔で私を見つめるお嬢様の髪を優しく撫でる。奥様の見事な黒髪とは対照的な
栗毛色の柔らかな髪は指通りが良く、いつまででも触っていたい。

「……そうなんだ。お忙しいのね。ねぇ、荒木。ご本を読んで、ご本!」
「はい。それでは何に致しましょうか?」

あれでもない、これでもないとお嬢様は大騒ぎで本を選んでいた。やっとお決めになられた本を
手に私はお嬢様の枕元の椅子に座り、本を開いて少し抑えた低い声でゆっくりと読み始める。

「ということで、王子様は……おや、もうお休みか」

両の目をピタリと閉じて、心地良さそうに寝息を立ててお嬢様は眠りに落ちていた。風邪を
引かれぬように乱れた掛け布団を直した。

「……ぁら……き」
「はい」

両の目は閉じられたままだから、寝言なのだろう。

「……かぁーさま…………」

私の名前と奥様を呼ばれた後、お嬢様はまた安らかな寝息を立て始めた。シーツを節くれ一つない
小さな手で掴み、一体どんな夢を御覧になっているのだろうか。
音を立てないように立ち上がり、部屋の電気を消して小さく「おやすみなさい」と呟き退出する。

「ふぅぅ」
「荒木?」

小さく溜息ついた私を呼び止めたのは──奥様だった。白いツーピースの上にピンクのショールを
お掛けになられている。

「奥様。お帰りだったのですか?」
「屋敷に戻ってきてはいけないのかしら」

奥様の細い眉が僅かに吊り上る。

「いえ。お戻りになられるとは思っていなかったもので……」
「荒木!」

鋭い声に思わず身が竦む。確かに余計な一言だった。幸いなことにお屋敷の東棟は
家人の私室があるだけなので、こんな時間に他の使用人が通りがかることは滅多になく、
この失態を見られる心配はなかった。

「いつから、勝手に執事が主人の予定を決めるようになったのかしら?」
「申し訳ございません」

頭を下げて非礼を詫びる。確かに執事としてあるまじき言動だったと自己嫌悪に陥る。
奥様の冷たい口調が今日は酷く堪える。とは言え、奥様は普段とまるで変わらない。
違うのは、私が今日、奥様が見知らぬ男性とご一緒されている姿を見てしまったからだ。

「もういいわ。紅茶をいれて頂戴」

奥様はそれだけを私に命じられると、ヒールの音を小気味良く立てながら部屋へとお戻りに
なられた。

「どうぞ」
「ありがとう」

奥様は自室のデスクにお座りになられ、私がいれた紅茶を美味しそうにお飲みになって
いる。切れ長の目を細めるお姿をお側で拝見できるのは至福の極みだ。

「あの子のこと、迷惑を掛けたわね」
「いえ。お嬢様に喜んで頂けたならば、それ以上は何も」

それは嘘、偽りない本音だ。僭越ながら、赤ん坊の頃から見守ってきただけにまるで
自分の子供のようにお嬢様に対して親愛の情を抱いてしまう。

「……あの子は何か言っていた?」

奥様はティーカップを置かれると、ほっそりとした両手を組み合わせた。そして、組んだ手の
甲の上に顎をのせて、乗り出すようにこちらを見ている。

「喜んで頂いて、力士が出てくる度に名前を尋ねられたり、取り組みが終わる度に『すごい、
すごい』とはしゃがれ……そうそう、お弁当が美味しいとも仰られていました」

はしゃいでいらっしゃったお嬢様のお姿がありありと甦ってきて、思わず頬が弛む。

「それだけ?」

意外な奥様の言葉に私は首を傾げてしまった。

「それだけと申しますと?」
「他に何かあの子は言っていなかったかしら?」

他にと尋ねられた奥様の目が真剣だったために、私も笑って流すわけにはいかず真剣に
記憶を辿る。静かな部屋に響く壁時計の音が自分を急かしているようにすら感じてしまう。

「ああ。あのご冗談で、その……」

あのことを思い出し、いざ奥様に告げようとしたが内容が内容なだけに幾らなんでも面と
向かって告げることは気が引けた。

「早く仰いなさい、荒木」

口籠もる私の様子を見て、奥様は苛立たしげに問い詰める。

「奥様のお相手の話になりまして、その、ご冗談交じりに私が……お嬢様の父親に
なれば良いのではいか、と申されまして……」
「それで、お前は何と答えたの?」

目をすっと細められた奥様のご様子から、つまらないことを口にしてしまったと激しく
後悔した。きっと、奥様は私が無礼なことを言い出したために不機嫌におなりになったの
だろう。

「……いえ。取り組みが始まりましたものでお答えしないままです」

要は誤魔化したということだ。奥様の細い眉が鋭角に吊り上り、眉間に皺が寄る。あまり
奥様の御機嫌はよろしくないようである。

「夜も遅いので、この辺りで失礼させていただきます」
「待ちなさい」
「……奥様?」
「もし、有耶無耶にできなかったら、お前はあの子にどう答えるつもりだったの?」

冷笑を浮かべ、私を試すかのような視線でこちらを見つめていらっしゃる。もうこれ以上の
失態は許されない、私の理性がそう囁く。

「それは……執事の私がお答えすべきご質問ではございません」

この話を打ち切るにはこれが一番だと考えた。奥様に自分が執事としても好かれてはいない
ことぐらい分かっている。それでも自分の中に奥様へ抱いてはならない想いが眠っていることは
嘘偽りない事実だ。こんな話を続けていると、それを吐露してしまいそうで恐ろしい。

「失礼致します」

お辞儀もそこそこにティーポットをのせたワゴンを押して、逃げるように奥様のお部屋を
失礼して使用人棟にある自室に駆け込む。

「はぁっ……はぁっ……」

口からは壊れたふいごみたいに掠れた息が何度も零れる。運動不足だ、と反省する。だが、
今はこの苦しさがむしろ心地良い──先ほどまでの奥様との遣り取りを暫し忘れることが
できるからだ。あの奥様の涼しげな視線に当てられると、いつも胸が熱くなる。
亡くなられた旦那様から初めてご紹介を受けた時から、私は奥様に心を奪われていた。

「……はっ、はっ……ハハハ。何を考えているんだ、私は」

そのまま、寝台に倒れこむ。今日一日で色々なことがあり過ぎた。あまり外出などするもの
ではないな、と思う。普段通り決められた日課をこなし、お屋敷という閉じた世界で静かに
過ごしていれば何もこんな風に心を掻き乱されることはないのだ。
お嬢様のお守りを口実に奥様のお相手を見ようなどと思わなければ良かったのだ。そして、
自分と較べて奥様に相応しい御方かどうか、などと間の抜けたことを考えた罰なのだ。

「バカなことを……」

その声を掻き消すかのように、ノックもなくドアが開いた。
私は慌てて身を起し、不躾な蘭入者を睨みつけた。いくら使用人部屋とは言え、一応は
私室であり個人のスペースである。ノックは最低限のマナーだ。

「……荒木」

戸口に立っていたのは、奥様だった。

「お、奥様!?ここは使用人棟です。こんな所にいらしてはいけません!」

主家の御方が執事やメイドが暮らすエリアに踏み入ることは滅多にない。まして、このような
夜更けに使用人の部屋に訪れるなどあってはならぬことだ。だが、奥様はまるで気にする
様子も無く私の部屋に入ってくる。

「荒木、私はもう少しお前と話がしたいのです」
「では、後ほどもう一度お部屋にお伺いいたしますので」
「いえ、ここで結構です」

頑なな口調の奥様は梃子でも動きそうにない。仕方なく、ドアを閉めて椅子を勧める。

「あまり、広くないのね?」
「使用人部屋ですから。何かお飲みになりますか?」
「いいえ、大丈夫。それより、荒木。さっきの質問、私は答えなさいと命じました。あのような
はぐらかしは答えとは言いません」

鋭く射抜くような瞳に思わず言葉に詰まる。どうやら、本当に答えなければ許しては
もらえないようだ。

「……分かりました。正直にお答えします」

すると、奥様の目がグッと身を乗り出され、まるで何かを待ち望むかのようにこちらを見て
いらっしゃる。

「お嬢様のお言葉は身に余る光栄でございます」

奥様の顔が一瞬、綻んだように見えたのは私の錯覚だろうか。

「しかし、私が旦那様のお代わりになどなれますまい。お嬢様もいずれは、私がただの
使用人であるとご理解くださるでしょう。ですから、今日のことはこの場限りで忘れよう
と思います」
「ダメ!ダメです、荒木!」

次の瞬間、バネ仕掛けの人形みたいに勢い良く奥様が立ち上がった。その勢いで胸元の
リボンがふわりと揺れる。

「あの人が亡くなって、あの子の父親代わりは、荒木、あなただったのです。だから、
あの子は……」
「御安心ください。私はどこにも行くつもりはございません。今後も引き続きお側に参ります」

きっと奥様は私がどこかのお屋敷に移ってしまうことを心配されているのだろ。確かに
旦那様が亡くなられた当初は行末を危ぶんだ使用人が一時、大量に退職した。
だが、私にはそうすることはできなかった。そのままお屋敷に残った私は、今や年齢も
三十歳ちょうどだ。今更、新しいところで働くつもりは毛頭ない。

「違うのよ、荒木」

立ち上がった奥様が、私ににじり寄ってくる。
何が違うというのだろうか、私はどこにも行かないと言っているにも関らずどうしてこの御方は
珍しく慌てた表情でこちらを見つめているのだろうか。

「荒木!」

突然の強い口調に思わず背筋が伸びるのは職業病だ。

「はい!」
「私はお前のせいで……お前のせいで傷つきました。だから、お前が慰めなさい!」
「えっ?はっ?」

何を言われたのか一瞬理解できず、執事としてあるまじき間の抜けた要領の得ない言葉が
口を突いて出てしまう。

「早くなさい!」
「いや、あの……奥様」
「もう、あの人が亡くなって五年よ。五年もずっと一人の夜を通してきたのよ!好い加減、
許されても良い筈よ!」

雷に打たれる時にはこんな激しい衝撃がきっと走るのだろう。奥様の荒げた声が自分の
何かを揺すぶっていた。きっと、それは私が描いた旦那様を心から愛し、貞淑であらせられた
奥様のイメージだったに違いない。瓦解する音は私の中の激しい感情を焚きつけた。

「奥様!そのようなこと……そのようなことを仰らないでください!」

今度は奥様が驚く順番であった。私は普段から声を荒立てたりしない。執事たるもの
どのような事態にも沈着冷静かつ優雅に対応すべしとはこの世界に入って一番初めに習う
鉄則である。だが、今の私は完全にそれを忘れていた。

「あなた様は旦那様が愛された女性です!それが……そのように……そのように淫らな……」

次の瞬間、頬に焼けるような痛みが走り、遅れて平手打ちの音が室内に響く。

「荒木!お前には……お前には私がそんなふしだらな女に見えるのですか!」

打たれた頬に手を当てながら、呆然と私が見遣った奥様の瞳は潤んでいた。

「……どうして、お前はそんなに鈍感なのですか!」
「えっ!?」

不意を突いて、奥様の華奢な身体が私の胸に飛び込んできた。反射的に彼女の細い
身体を抱え込んでしまう。

「私は好きでもない相手に抱いて欲しいなどと頼むような女ではありません」

その声はさっきまでの叱りつけるような声ではなく、拗ねるような、それでいてどことなく
甘えるような囁きだった。

「そ、そんな」

私は奥様に嫌われていると思ったことは数知れずあれど、好かれているなどと考えたことは
夢にもなかった。
奥様の私だけに向けられる冷たい態度に、何度心が折れそうになったことか。
旦那様がご存命の時は、幾度も辞表を出そうとお部屋の前まで足を運んだことか。
最後の最後、やはり奥様にご信頼頂いていないと感じ、今度こそはと辞表を書き上げた時、
旦那様が亡くなられた。それからは目の回るような忙しさで辞めるに辞められなくなってしまった。
今は辞めようという気は起きないが、いつ奥様が私のことを気に入らないと仰ってクビになっても
おかしくないと思っていた。

それだけに──それだけに──。

「……怖かったのです」

私の表情を読み取った奥様が私の執事服を掴み、ポツリと呟かれた。

「初めて会った時、もう私はお前に魅かれていました。だから、怖かったのです。この
気持ちが誰かに知られしまうことが……だから、必要以上にお前にきつく接したのかも
しれません」

悔悟に震えた奥様の声が、私を──私のこれまでの全てを激しく揺さぶった。

「まさか、あの人がお前を私の執事にするなど思いもよりませんでした。嬉しくもあった
反面、想いを隠し通せなくなる日が来てしまうのではないかと怯えていたわ……
そういう意味ではお前がさっき叱ってくれたみたいに、私はふしだらで不貞な女なのかも
しれないわね」

私は硬直したまま、奥様を腕の中に収め呆けたように立ち尽くしていた。

「ねぇ、荒木」
「はい」
「お前は私のことが嫌いでしょう?あんなに冷淡に接したものね……分っているの」

奥様の肩が震えだし、そして目尻から透明な雫が流れ出る。

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

嗚咽交じりのか細い声が私の意識を目覚めさせ、固まっていた思考が動き出す。

「謝らないでください。奥様にそのように想って頂けていたとは……」
「荒木」
「……ずっと、私は奥様に嫌われているものだと思っておりました。何せ、旦那様も奥様が
私に厳しいのを御覧になって、これなら過ちも起こるまいと執事になされたのですよ」

私が笑いかけると奥様は執事服の胸元を握ったまま、上目遣いにこちらを御覧になって
いる。普段の凛然とした様子とはまるで違い、愛らしく映る。

「まさか、奥様に好かれているなど思いもよりませんでした。だから、ずっと私の想いは
大事に仕舞って、死ぬまで大切にしておこうと思っていました」

主人と執事──その間に横たわる踏み越えてはいけない一線を侵していることは分っている。
しかし、もう後戻りはできない。

「あ、荒木?」
「奥様。あなたは御存知ないでしょう?私がどれだけあなたのお姿に胸を焦がし、眠れぬ夜を
過ごしたか」

奥様は驚きのあまり目を見開き、ポカリと口を開けている。そんな彼女を尻目に私は
腕に力を込め、ガラス細工のように繊細でしかし柔らかな身体を強く抱き寄せる。

「……荒木。お前……」
「執事、失格ですね。主人に恋心を抱くなどあるまじきこと、とお叱りを受けても文句は
申しません。こんなことを申しますのは今宵限りです。だから、お許しを」

そのまま、目を閉じ奥様の肢体を全身で感じる。ずっと前からこうしてみたいという願望を
抱いていたに違いない。その証拠に罪悪感や背徳感よりも早く、歓喜がやってきた。

「お前が執事失格ならば、私は主人失格です。だからせめて、一人の女として私を幸せに
して欲しい。もうこれ以上は……堪えられそうにないの」

搾り出すような奥様の懇願が私の執事としての最後の良心を押し流してしまった。
奥様の身体を少し離し、ほっそりとした鋭角の顎に手を掛け顔を上げさせる。涙に濡れた
その顔は今まで見た中で一番美しく魅力的だった。

「失礼します」

律儀な挨拶は自分なりのケジメだった。震える奥様の唇を奪い、そのまま舌を捻りこむ。
性急な私の行為に驚いたのか奥様は一瞬身を硬くされたが、長い睫毛を震わせながら
見開いた目を閉じると、積極的に舌を絡めてきた。やがて、柔らかな奥様の舌はうねりながら
私の口内へと滑り込み、舌先で歯茎や頬の裏まで飽きることなく弄っている。

「ん、ふぁ……はっ」

まだキスだけだというのに奥様の頬は桜色に上気し、再び開かれた瞳はトロンとしている。
普段の凛々しいお顔とは違い、やけに色気が感じられて目のやり場に困ってしまう。
奥様はキスがお気に召したらしく、唇を離すたびにもっともっととせがまれ、中々それ以上
先に進めない。だが、冷静な自分が脳裏で囁く、「時間はたっぷりあるのだから、焦ることは
何もない」、と。
どれだけの時間、互いの口唇を貪りあっていたか覚えてはいないが、溢れ出たどちらの
ものとも判別がつかない唾液で二人の口元はベットリと濡れていた。

「これでは行儀のことであの子を叱れませんわ」
「まったくです」

二人でクスクスと笑いながら、どちらともなく互いの身体に手を這わせる。ここから先に
進んで良いものかどうか一瞬躊躇った私を見透かしたかのように、奥様が落ち着いた口調で
告げる。

「良いのよ、荒木。私はもう自分の気持ちを隠さないと決めましたから」

奥様はそう仰って、より身体を密着されてきた。ピタリと身体が触れ合うと襟の合間に
チラリと覗く鎖骨、控えめながらも柔らかな胸の膨らみや、髪が揺れる度に薫る花の蜜のような
甘い匂いと今まで知らなかった奥様を感じることができ、幸福感で充たされた。

もう後戻りはできない。
私は奥様を抱いたまま姿勢を入れ替えると、彼女をベッドに押し倒す。粗末なシングル
ベッドは倒れこんだ勢いで激しくスプリングが軋み、皺くちゃのシーツが波打つ。
胸元のリボンに手を掛けスルリと解くと、僅かに奥様の顔が曇る。

「……奥様」
「続けて」

奥様の声に促され小さな細工の施されたボタンを一つずつ外していく。その行為は大事に
包装されたプレゼントを解く子供の頃の高揚感を思い出させた。上質な生地のジャケットを脱がし、
その下のスリップの肩紐をずらして引き降ろすと奥様の肢体が顕になる。とてもお嬢様を
産まれたとは思えない細く見事な身体つきで、腰周りは美しい湾曲を描いて括れている。
シルクの下着に覆われた控えめな胸の膨らみを、無意識のうちにマジマジと見つめていると、
恥ずかしいのか奥様はその可愛らしい乳房を手で隠し、身を捩る。

「荒木もやっぱり胸は……大きい方が好きよね」

「そんなことはありません」

沈んだ奥様の声に慌てて答える。まさか、そんなことをコンプレックスに思っていたなど
想像もしていなかった。

「好きな人のものであれば、大きさなど関係ありません」

言葉の真偽を探る彼女の視線に晒されながらも、ここで目を逸らしては負けだと真摯に
見つめ返す。

「……本当?」
「嘘は申しません」

奥様の額にかかった黒髪を払いのけて、色素の薄い澄んだ瞳を覗き込む。こんな間近に
顔を寄せたことなど滅多にないだけに、自分でやっておきながらドギマギしてしまう。
フロントホックを外し、小ぶりな乳房を手の中に収める。丁度、掌で覆い隠せるぐらいの
膨らみは、揉むと驚くほど柔らかかった。先端の突起と乳輪はお嬢様をお育てになったためか、
僅かに黒ずんではいるものの十分に魅力的な色合いだ。力を入れて愛撫すると柔肌に指先が
食い込み、鮮やかな桜色の唇が開いて悩ましい微かな吐息が漏れ出す。

「んっ……ふぁっ、んん」

頬を桜色に染め、潤んだ瞳の奥様が細身をくねらせながら喘ぐ姿が興奮を煽る。普段は
絶対に抱いてはいけない感情も、今は堰き止める必要はない。ただ、湧き上がる想いに従って
この夢のような時間を楽しむことしか頭になかった。
掌で包み込んだり、指先で輪郭をなぞったりする度に奥様の反応が変わっていく。

「荒木……はぁん……んぅ」

眉間に浅い皺を寄せ、悩ましげな表情で奥様は浅い吐息を繰り返す。
左手で乳房を愛撫しながら、右手をそっと奥様の腹部に滑らせる。
陶磁器の表面のように滑らかな肌、縦に細長く窪んだ臍をなぞる。さするたびにビクビクと
震える奥様が愛らしい。普段は、楚々として冷たい奥様が今はただ一人の女性として自分の
愛撫に悶えている。興奮しないはずがなかった。
お嬢様をお産みになったにも関らず、奥様の体型はまるで変わらない──いや、むしろ、
以前よりもさらにスリムになられ、女性としての魅力により一層磨きがかかっている。
だからこそ、今日のお相手のように奥様に魅了されて言い寄ってくる輩が途絶えないのだ。
そういった人々に嫉妬を覚えていなかったと言えば嘘になる。だが、煌びやかな方々と
黒子の自分ではあまりに違いがあり過ぎ、奥様への想い同様、嫉妬も心の奥底に沈めて
しまおうと諦めていた。それだけに今、奥様が高貴なお方ではなく私などを選んでくれたことは
信じられ難いほどの幸福感を呼び起こしていた。
彼女の優美な曲線を描く腰に巻きついたベルトを外し、膝丈のタイトスカートと最後に残った
一枚を脱がす。微かに恥じらいの色は見えたが、拒絶はされていない。
しかし、若草のような繊毛に触れた瞬間、奥様は膝頭を合わせ脚を堅く閉ざしてしまった。
表情を伺うと瞼を閉ざし重なりあった長い睫が震えていた。さきほどまでほんのりと上気していた
顔は、心なしか蒼褪めている。

「……奥様?」

私の呼びかけに、ハッとした表情で目を開けた。

「あ……らき。ご、ごめんなさい」
「お嫌ならば、ここでやめましょう」

私はできる限りにこやかに申し出たが、奥様は激しく首を振って拒絶の意を示された。

「いけません!最後まで、最後までやりなさい」
「しかし……」

私が口ごもると、奥様は俯いて搾り出すような声で呟いた。

「ごめんなさい。私……あの人と、あまり一夜を共にしたことがないの」

衝撃的な一言だった。奥様と旦那様はとても仲むつまじく、夜の生活もきっと順調なのだ、
と私に限らずお屋敷の人間がそう信じていた。驚きを隠せない私の表情に奥様は苦笑いを
浮かべて答えた。

「三回だけだったわ。私がダメだったの。痛くて、痛くて……。それでも、子供を
作らなくてはと思い頑張った……三度目の時にあの子を授かって、それっきりに
なってしまったの」
「では何故、私など相手にご無理なさってまで……」

突如、奥様は身体を起こし、私に抱きついてきた。手早く背中に回された腕はガッチリと
組み合わさっている。猫が飛び掛るような素早い動作に、私は何もできなかった。

「お願い、荒木!私は痛くても構わないから、最後までして頂戴……お願い」

有無を言わせない強い奥様の口調に、私は渋々頷くしかなかった。
事態を上手く飲み込めてはいないが、ただ一つ──奥様に求められているのだ、と思うと
優越感が抑え切れないほど込み上げて来る。
奥様の身体を組み敷き、相変わらず堅く閉ざされた腿の内側を摩る。初めこそ、震えて
強張っていたが何度も掌を上下させるうちに、徐々に脚に込められた力が緩みだしたので
膝頭に手を掛け、一気に脚を割り開かせる。

「えっ!?」

短い驚きの声が上がったが、左右に開いた白い脚が再び閉じられることはなかった。
割り開いたそこには、薄い陰毛が縁取った桜色の裂け目が顔を覗かせていた。その
割れ目から僅かにはみ出た花弁がまるで私を誘っているかのように見える。薄紅色のそこは
処女地のように鮮やかで、経験が薄いことを如実に物語っていた。

「……あ、荒木。そ、そんなにマジマジと見ないで……は、恥ずかしいわ」
「す、すみません」

慌てて視線を外し、奥様にお詫びする。

「でも……良いの。荒木がそうしたいなら、良いわ」

。しかし、いつまでも見ている訳にはいかないので、心の中で旦那様に詫びて桃色の
柔肉に指を這わせる。

「んんっ……ぁぁああ」

奥様の声が一際大きくなり、白い指は乱れたシーツを必死に掴んでいた。

花弁を掻き分けて愛撫を繰り返すうちに、指先に愛液が纏わりつきクチュリという淫靡な
水音が立ち出す。その音を聞いた奥様は恥ずかしそうに顔を両手で覆い、イヤイヤする
ように首を振る。

「ち、違うの、違うのよ、荒木!」

突然、発せられた奥様の甲高い声に指の動きを止める。

「どうかされましたか?」
「今まで、こ、こんなこと無かったのよ。こんな、子供みたいに……も、も、漏れちゃうなんて」

言葉に詰まってしまう。奥様は自分が失禁してしまったと勘違いしてしまっているらしい。
旦那様とされていた時は、こうなる──濡れることはなかったのだろうか。

「恥ずかしい」

赤みを帯びた顔を覆ったまま、彼女は恥じらい混じりの小さな声を搾り出す。

「ハハハ」
「どうして、笑うの!」
「失礼。お気になされなくて良いのですよ、奥様」

怪訝な眼差しで私を見つめられる奥様の頬を優しく摩る。すると、その手の上に奥様が
右の掌が重ねられる。

「女性がこうなるのは自然なことなのですよ」
「……」
「むしろ、こうなって頂かなくては私の立つ瀬がありません」

奥様は細い目を見開いて私を見ている。

「この音は奥様のお考えになられているようなものではありませんから、ご安心ください」
「……嘘……だったら、許さないわよ」
「嘘は申しません。ですから、お任せください」

奥様は小さく頷き、目を伏せながらも顔を覆っていた手をどけた。奥様の頬を撫ぜ、顎先まで
手を滑らせる。その動きで奥様は伏せた目を細めた。
その反応を確認してから再び桜色の女性器に触れる。粘り気のある愛液は途絶えることなく
湧き出、私の愛撫を助ける。包皮が捲れ、少し顔を覗かせたクリトリスを指の腹で軽く擦り刺激する。
触れるか触れないかぐらいの微妙な摩擦ではあるものの、それでも経験の少ない奥様には
充分だろうと思ったが予想通りだった。

「ぁぁぁあっ!」

奥様が身体を弓なりに反らし、半開きの口元から歓喜の呻きをこぼす。その光景に私の心は
躍ったが、逸る気持ちは何とか鎮め奥様が落ち着かれるのを待つ。
クリトリスをガラス細工でも扱うかのように控えめに刺激しながら、膣の入り口にも指を差し入れる。
みっちりと詰まった襞が異物の侵入を拒むように私の指を押し返す。それでも潤滑油代わりの愛液の
お蔭で、少し強引に押し込むと内側の肉を掻き分けるように埋まっていく。

「はぁっ……はぁぁ、あっ、あらきぃ」

潤んだ瞳でこちらを見つめる奥様に心が締め付けられる。

「痛みますか?」

私の問い掛けに奥様は弱々しく被りを振って応える。

「大丈夫よ。不思議……お前が相手だと痛くないなんて」

旦那様は女性経験が少なかった分、奥様とうまくいかなかったのだろうと思う。
物静かなお優しい御方で、上流階級ではお決まりの奔放な女性関係には縁遠い
方だった。真面目で誠実、その上使用人も優しい、そんな聖人君子のような御方の
奥様だった人を抱いている──自分の行為に強い罪悪感を覚えながらも、それでも
それを振り払ってしまえるほど奥様への慕情は強かった。

「体調が宜しいのでしょう?そうでなければ、痛みがないのは偶然です」

私の嘘を奥様は強く首を振って否定し、少し悲しげな目で私を見つめている。

「違うわ、荒木。私、お前が好きだったのよ……誰よりも。あの人よりも」

その言葉に私は固まってしまう。

「あの人との結婚も望んだものではなかった」

えてして、上流階級の婚姻とはそういうものだ。

「でも、嬉しい誤算だったのは、あの人が優しい人だったこと。だから、あの人のことを
好きになろうとしたわ。きっと好きになれると思った。でも……ダメだった。だって……
……お前がいたもの」

その言葉は嬉しくもあったが、そう思う自分はあの素晴らしい旦那様を裏切っているようで
心は乱れた。

「お前が側にいるだけで胸はドキドキするし、お前がいなくなると急に寂しくなるし……」
「奥様」
「私は悪い女でしょ?あの人があんなにも大切にしてくれたのに……!?」

次の言葉を紡ごうとした奥様の唇を反射的に塞いでいた。奥様は驚いて、目を見開く。
私だけではないのだ──奥様もまた悔悟と罪の意識に苛まれている。
それならば──。

「これ以上は仰らないでください。罪は私が全て被ります。責めを受けるならば、あなたを
かどわかした私でしょう。ですから、奥様は何も悪くないのです。あなたはただ望み、
お命じになれば良いのです」

暫くの沈黙の後、奥様は何も言わぬまま細い腕を私の首に回し耳元で甘く囁かれた。

「……荒木、私を愛して」

全身が激しく震えた。

「はい、奥様」

だが、次の奥様の一言で私は失態に気づき、蒼褪めさせる。

「後、荒木……服を、脱いで頂戴。私だけ裸なのは恥ずかしいわ」
「し、失礼しました!」

奥様を愛することができる幸福感に、服を脱ぐのを完全に失念していた。慌てて奥様に
背を向けて、ベッドに腰掛けながら身につけていた執事服を脱いでいく。その最中に
チラチラと背中に視線を感じる。肩越しにそっと盗み見ると、横目で奥様が私を見ていた。
何だか気恥ずかしいので急いで全部脱ぎ去り、寝台に戻る。
見詰め合ったまま、どちらともなく唇を重ね合わせる。

無言のまま奥様を組み敷き、自分のペニスを濡れた割れ目に宛がう。

「……荒木」
「御安心ください。痛むようであれば遠慮なく……」
「違うわ、荒木。最後までお願いね」

私が無言で頷くと、奥様は柔和な表情を浮かべられた。それに促され私は奥様の内側に
分け入った。締り具合は申し分なくきついが、充分に解したことと豊富な愛液が潤滑油の
代わりとなり、侵入は思っていたよりも容易だった。

「あ、ぁぁああぅ……ぅくぁぁあ」

奥様は白い喉を見せながら、仰け反りつつ断続的に言葉にならない呻きを漏らす。
全て収めるのはさすがに難しく、三分の二ほど入ったところで動きを止める。

「はぁっ、はっ、はっ」

荒い息で揺れる奥様の絹糸のような黒髪を優しく撫でる。焦ってはいけない、と
心に留め無駄な動きを抑える。

「痛みますか?」

それだけは気がかりだった。奥様を苦しめ、痛めつけることなど私は望んでいない。だが、
私の言葉を振り払うかのように奥様は気丈にも首を振り、吸い込まれるような黒い瞳を
閉じて口付けを強請る。私は彼女のしなやかな肢体の上に覆いかぶさり唇を重ねる。
その瞬間、奥様の温かく潤った内側が私の性器を強く締め上げる。

「んっ……荒木が入っている」

満足そうな笑顔を奥様が浮かべる。
私はあまりの強い締め付けに挿れて間もないというのに、射精感が込み上げてくる。狭い
入り口は異物をキュウキュウと締めつけ、内側の柔襞は入り込んだ私の先端に絡みつき嬲る。
その時、私は大事なことに気がついた。
極上の快感を与えてくる奥様の膣から自分の無骨な性器を慎重に引き抜くと、私はそのまま
ベッドから転げ出る。

「荒木!?」

半身を起こされた奥様の声を無視して、私は机の引き出しの三番目を開けて銀色の
小さな袋を取り出す。

「どうして止めてしまうの、荒木!」
「違います、奥様。その……これを忘れていました。あやうく奥様に、ご迷惑をお掛けして
しまうところでした」

何のことか分らなかったのか、奥様は首を傾げ私を見ていた。私はベッドの端に腰掛けると
避妊具の袋を破り、中身を自分のものに着ける。

「何をしているの?」
「避妊具を着けているのです」

そこまで言って気がついた。旦那様と奥様の褥ではこのような無粋なものは不要だった
はずだ。きっと、こんなものを御覧になること自体、初めてなのだろう。

「それを着けなくてはダメなの?」

奥様は不満顔でこちらを見ている。さすがに避妊具を御覧になるのは初めてだとしても、
避妊の意味ぐらいは知っているはずだ。寡婦の奥様が妊娠なされたとなれば一騒動が
巻き起こり、ましてそれが卑しい使用人の子だと知れれば一大事にも発展しかねない。
避妊具無しで"こと"に及ぶわけには絶対にいかない。

「……はい。ご迷惑をお掛けするわけには参りませんので」

まだ不満そうな奥様の上に圧し掛かり、もう一度彼女の入り口に男性器を差し入れる。
今度はすんなりと内側に滑り込むことができた。

「続けますよ?」

渋々と頷かれた奥様に苦笑しながら、ゆっくりと腰を動かす。

「はっ、はぁっ、ぁぁあん……あらきぃ、あらきぃぃ」

不満そうな顔は直ぐに崩れ、咽び泣きながら奥様は私の名前を掠れた声で繰り返し呼び、
しがみ付いてくる。
背中に爪が立てられ、鈍い痛みが走る。しかし、それすら今は心地よい。

「あら……きぃ。ぃい……ぁぁあんぅ……いい」

目の端に透明な雫を浮かべながら、奥様は髪を振り乱して歓喜に打ち震えている。
腰を打ち付けるリズムを徐々に早める。知らぬ間に私の性器は奥様の内側に根元まで
飲み込まれるようになり、深いストロークが生み出す快感はえもいわれぬものだった。
結合が呼び起こす興奮は高まる一方で、私は満足するどころか更なる快楽を希求したい、
という思いに囚われ何度も何度も奥様の内側を往復する。そしてその度に、うわ言のように
繰り返される奥様の喘ぎが耳に心地よく響く。

「ぁぁ……んぁぁ……ん、はぁ……ふっ、ぅぁあン、ぁン」

私が限界を迎えたのは想像よりも早かった。身体を駆け巡る快感と淫らでありながら尚も
美しい奥様の姿に呼び起こされた興奮が限界まで膨れ上がり、理性が薄れた瞬間に堰を
切ったように精液が溢れ出た。
いつまでも続きそうな長い射精が終わると充足感と喪失感が入り混じった倦怠を味わいながら、
薄い胸を上下させ荒い呼吸を繰り返す奥様の隣に身体を横たえた。

◇◆◇◆

「ねぇ、荒木」
「何でしょう」

照明を消して、二人とも生まれた姿のまま薄い布団に包まり抱き合っている。行為の後の
余韻を二人して愉しんでいた。

「私のこと、愛している?」
「ええ。愛しております」

即答した私にご褒美とばかりに奥様から唇を重ねてくる。

「そう。じゃあ、あの子の父親になって頂戴」
「えっ!?」

突然の奥様の発言に私は夜更けにも関らず大声を上げてしまった。そんな私を咎めるかのような
彼女の視線に、慌てて口元を押さえる。

「嫌なの、荒木?」
「違います……が、奥様と私ではあまりに身分が違い過ぎます。それに、悪いお噂も
立つでしょうし、奥様にとってよろしくないのではないかと」
「そんなことは気にもしていないから、安心なさい。私が何とかするから、お前は私を
愛してくれるだけ……それだけで良いの」

やけに男前の台詞を言われてしまい、それ以上何も返せない私は彼女を強く抱き締め、
そっとキスすることぐらいしかできなかった。

◇◆◇◆

「奥様、アイスティーが入りました」

初秋の強い日差しを遮る白いパラソルの下で、奥様はサングラスの奥からお嬢様が
芝生の上ではしゃぎ回る姿を見つめている。
あの情事から、三ヶ月──結局、私を夫に迎え入れようとした奥様の計画は失敗に
終わった。残念ながら奥様のお話以外に事の顛末に触れる術はなく、私は全ての
経緯を知っている訳ではないが、それでも目論見通りにはいかなかったことだけは
確かだ。
予想されたことではあったが、財閥を裏から操る"老人"達は、自らの系譜にどこの
馬の骨とも分からぬ私を入れることを徹頭徹尾、拒絶した。奥様も相当粘られたと
聞いたが、さすがの彼女も"老人"達に一致団結されて反対されたとなると、勝ち目は
なかった。
本来であれば私は執事をクビになりお屋敷を追われる破目になってもおかしく
なかったが、そこまではさすがの"老人"達もできなかった。
今や奥様は数百あるグループ会社を傘下に収める財閥の総帥なのだ。初めはその
手腕に疑問を呈していた"老人"達も、奥様が瞬く間に積み上げた業績の数々を
認めぬわけにはいかず、今や彼女は名実共に"財閥"に無くてはならない人材に
なっていた。そんな奥様の我侭を”老人”達も完全に無視することはできなかったのだ。
それにもう一人、トンでもない"爺殺し"がいらっしゃった。

「荒木!ほら、見て見て綺麗でしょう?」

ストローの先から次々と宙に浮かび上がるシャボン玉をはしゃぎながら見つめて
いらっしゃる愛らしいお嬢様。彼女が"老人"達に放った一言──

「ねぇ、どうして、荒木が私のおとーさまではダメなの?私は荒木が好き。荒木をキライな
人はキライよ」

それが最後の一撃となり雌雄は決したらしい。結局はグループを影から操っていると
言われる"老人"達も可愛い孫には適わなかったのだ。
その結果、"老人"達は奥様に譲歩して、私を内縁の良人として認めた。
つまり、私は引き続き執事という立場ではあるものの、プライベートでは奥様と愛し合う
ことを許されたのである。同時に、奥様は”老人”達が秘密裏に進めていたお見合い話を
全部キャンセルさせた。「私には荒木がいれば充分ですから」と仰って、お見合いの計画を
残そうと画策した”老人”達を蹴散らしたらしい。
パラソルとおそろいの白いウッドチェアに座った奥様がサングラスを外し、私を手招くので
側に跪き御用を待つ。すると、奥様は顔を寄せお嬢様や周りに控えたメイド達に聞こえない
よう小さな声で囁かれた。

「荒木。今夜はお前の部屋に行くことにしたわ」
「お、奥様!」

真昼間から何と言うことを言い出すのだろうか、この御方は。

「ねっ、良いでしょ?……あなた」






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