ミナと殿下 3(非エロ)
シチュエーション


草陰から辺りを見回す。
追手はまだこちらを探してうろついているはずだが、今のところ人の気配は
ない。抜き身の剣を握りしめたまま、ミナは突きだしていた頭を退いた。

「おらぬか」

低い声で殿下が尋ねる。わたしは頷いた。

「はい、まだ」

殿下は茂みに隠れるように、木を背にして座り込んでいた。わたしはその傍らに
膝をつく。

「お加減はいかがですか」
「ああ……大したことはない。少し驚いただけだ」

表情は変わらないが、額に汗が浮かんでいる。
当然だ、怪我を負っているのだから。
上着の左腕から血が滲んでいる。そこまで深い傷ではないが、出血が多い。
止血をしても既にだいぶ流れてしまっていたようで、殿下の顔色が
やや青ざめていた。
思わず唇を噛む。
わたしのせいだ。油断したせいで。

街道で、ちょうど人気のないところを見計らって追手が掛かってきた。
宿場町が近くなったこともあり、気が緩んでいたのだ。殿下に怪我を負わせた
ひとりは切り捨てたが、まだふたりは残っている。体勢を立て直すため
街道沿いの林に逃げ込み、一時的に追手を撒くことが出来た。
女物の長い裾が絡んでうまく動けなかったとか、そんなことは言い訳にも
ならない。

「あまり思い詰めるな」

ぼそり、と殿下の呟きが聞こえる。

「ですが」
「利き腕でなかったのは幸いだった。それにあいつらも仕留めそこねて焦って
いるだろう。そういうときこそおぬしが落ちつけ」
「……はい」

殿下の隣に並ぶようにして座る。追手はあと二人いたが、背を見せないように
していればまずは大丈夫だ。おびきよせて、ひとりずつ倒せばいい。
つまり殿下を囮にするわけで、あまり気はよくないが仕方ない。

膝を抱え、耳を澄ませてじっと座っていると、そういえば以前もこんな風に
並んで座ったことを思い出す。まさか他人の屋敷にまで追手が来るとは
思わなかったので、あのときはもう少し気が抜けていた。
その油断が命取りになるのだと、今思い知ったが。

隣の横顔を見上げる。とんだ変人殿下だが、さすがに今は大人しくしている。
ふと、もしかしたら普段の『変人』は演技なのではないか、という考えが
脳裏をかすめた。緊急時の対応にも機転が利いていたし、今も失敗した部下に
冷静な指示を与えてくれた。
偉大な兄王と同じく、本当は聡明で寛大な――。

視線に気づいたのか、殿下もこちらを向いた。

「何か」
「い、いえ、何でも。失礼しました」
「言いたいことがあるなら言えばよい。今なら咎めるものはおらんぞ」

そうは言うが、そんなことを言っていいものだろうか。

「いいのか」

念を押されて息を呑んだ。確かに、聞くなら今しかない。
思い切って口を開く。

「殿下は、奇行を装ってらっしゃるのではありませんか」

何を、と言うように殿下が眉をひそめた。

「普段からふらふら歩きまわったり議会に茶々を入れた挙句書類にいたずら
したり」
「……」
「屋敷に迷いんだ犬と一日中遊び倒したりでたらめな楽譜で楽師に演奏
させようとしたり図書室の本を書きうつしたかと思えばところどころ
嘘を入れて差し換えようとしたり」
「……よく知ってるな」
「護衛についておりますから。……そういうことは、皆、誤魔化すために
やってらっしゃるのではないですか」
「何のために?」
「分かりませんが、もしかしたら、例えば……国王陛下をお立てするために」
「なるほど。面白そうな話だが私のは地だ。残念だったな」
「そう……ですか」

殿下は話を終わらせようとしたが、それがいかにも怪しいと思ってしまうのは
穿ち過ぎだろうか。

「ミナ」

呼ばれて、顔を上げる。それから近さを意識する。吐息の掛かりそうな距離で、
視線が絡む。
前にもこんなことがあった。蝋燭の薄明かりの中で、表情は
よく分からなかったけれど。
あのとき殿下は――――なんと言った?

顎を引き寄せられ、気付いたら唇が触れ合っていた。
触れたところが温かかった。
優しくついばむように、そしてさらに深く口づけされそうになって――
我に返った。

「ななななな何をするんですかっ!!」

慌てて殿下の肩を押し返すと、当人はけろりとした表情で、

「すまん。我慢できなかったもので」

と言った。

何を考えてるんだろうこの人は。女なら誰でもいいのか。第一非常時だと
いうのにどうしてそんな余裕があるのか。
やっぱり変人だ。
紛れもなく類稀なき変人だ。
いいように解釈しようとしたわたしが馬鹿だった。
かっとなってそんな言葉が頭の中をぐるぐる回るが声にならない。
何か言ってやろうと口を開いた途端、前方の茂みを踏む音が聞こえた。
さっきの大声で気付かれたようだ。

「いたぞ!」

茂みから出て、追手のひとりが駆け寄って来るのを待つ。
剣を低めに構えて一歩踏み込む。一度剣を切り結ぶが、力は相手の方が強い。
とっさに力を抜き相手が体勢を崩したところで、懐に入り込んだ。
動きはこちらの方が早い。体重を掛けて、腹を刺し貫いた。
まず、ひとり。
振りかえると、もうひとりが殿下に駆け寄ろうとしていた。
座り込んだままの殿下は剣も握っていない。

「殿下!」

そのとき殿下が手の中の砂を追手に向かってぶちまけた。
目つぶしをくらった追手が一瞬ひるんだ隙に、座ったままの殿下が
足払いをかける。意外と器用だ。
その間に距離を詰めたわたしが、後ろから追手の背を斬った。
どちらも死んではいないが、致命傷だ。刺客としてすぐ復帰することは
難しいはずだ。

「お前。誰の使いだ」

足もとに転がる刺客に殿下が聞いたが、答えはなかった。
見れば、絶命している。あれしきの傷で、と思ったが、どうやら服毒していた
ようだ。もうひとりの方も息絶えていた。嫌な仕事だ。
務めだとはいえ、こういうものを見るのは気分のいいものではない。
露払いをすると、荒れた息と気持ちを落ち着けるために深呼吸した。
殿下は珍しく苦い表情でため息をついた。

「殿下、大丈夫ですか」
「ああ」

殿下が裾を払って立ち上がる。が、立ちくらみしたのかよろけた殿下に
慌てて駆け寄る。

「すまんな」

いえ、と言って振り仰ごうとして、さっきの瞬間を思い出してしまった。
それどころじゃないっていうのに。殿下の変人がうつったのだろうか。
街道に戻ると、先ほど乗り捨てた馬が手持無沙汰に待っていた。
逃げてしまわないでよかった。

「さ、殿下。乗れますか」
「おぬしはどうするのだ」
「怪我人が何を仰ってるんです。わたしが引いていきますから早く乗って
ください」
「しかし」
「人に紛れてしまえば格好や何かは皆気にしません。さあ」

そう言って殿下を馬上に押し上げると、手綱を引いて歩きだした。宿場町は、
既に遠目に見えている。
歩みを進めながら、それと知られないように俯いて、そっと唇に触れる。
思いがけず柔らかかった感触を思い出して、顔が熱くなる。

――――あれが気持ちよかっただなんて、言えない。






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