ミナ(非エロ)
シチュエーション


月のない夜だった。夜は深く、あたりは静寂に包まれていた。
屋敷の勝手口を叩く者がいる。こんな夜更けに、と使用人の男は用心しながら扉を開けた。現れたのは、眠たげな眼をした身なりの良い青年と、その後ろに従う小柄な影だった。

「夜分に申し訳ございません。宿をお借りしたいのですが」
「何だね、あんたは」
「旅行中の商家のものです。所要あって王都から戻るところだったのですが、思いのほか帰りが遅くなってしまったのです。お嬢様がおりますので、野宿するわけにも参りません。まことに不躾ですが、一晩泊めていただけませんか」
「しかし……」
「そこをなんとか、お願いします。夜露をしのげればよいのです」

そういって青年は男に銀貨を握らせた。男は手の中と青年を見比べ、待っているようにと告げた。
しばらくすると、空き部屋に案内された。
少々埃っぽいが調度は一通り揃っているらしく、長椅子と、続き部屋には寝台もあった。青年は礼を言って、男にもう一枚の銀貨とともに食事を頼むと、今度は快く頷いた。

「さて……」

青年は長椅子に荷物を放り出した。
娘は警戒するようにひととおり辺りを見回し、ため息をついた。

「大丈夫でしょうか、こんなことで」

娘は不安げに青年を見た。頭から肩掛けを被り顔を隠していたが、
見上げる目には動揺が浮かんでいる。

「しかし今日はこれ以上進めない。早朝、家の人間が起きだす前に出よう」
「そうですね」

先程の男が、残り物らしいパンとチーズ、ゴブレットに注いだ葡萄酒を
持ってきた。青年は黙ってそれを受け取る。
娘はそれをじっと見ていたが、長椅子に座るよう手で促される。

「いえ、わたしは」
「大人しくお座りなさい、“お嬢様”」

娘は渋々青年の隣に腰掛ける。差し出されたパンを齧り、娘はため息をついた。

「……王都は、大丈夫でしょうか」
「さて。何はともあれ、我々が無事領地に戻らないことには、落ちついて
状況を確認することもできない。一刻も早く戻らなければ」

「はい……」

娘は俯いた。ふと傍らの青年の袖が目に入った。
彼が身につけているのは、宮廷の近衛兵の制服だ。よく見ると、大きさが合っていないのが分かる。
数刻前の惨劇を思い出しそうになるのを、パンのかけらとともに飲み込む。
本来の制服の主である近衛兵は、刺客に襲われた主を庇って重傷を負った。
青年は彼の制服を剥いでそれを着、追手の目を欺いたのだ。

「アーベルのことを考えていたのか」

青年がぽつりと呟く。娘が制服をじっと見ているのに気づいたらしい。

「あれのことは、すまなかった。無事でいるとよいが」

娘は頭を振った。問題ない、という意思表示だ。

「彼は立派に務めを果たしたのです。今度はわたしが務めを果たす番です。

ご領地まで、命に代えてもお送りいたします。殿下」

主従を入れ替えるという案を考えたのは殿下だった。
近衛兵の格好は宮廷の人間なら欺けるだろうが、城下に出てしまえば
却って目立つ可能性がある。
ミナを“お嬢様”に仕立てることで、ただの護衛だと思わせようと考えたのだった。
ここまではその策が有効だった。
だが、このまま殿下の領地まで貫き通せる上策とは思えない。
明日街道に出たら、どこかで衣装を変えたほうがいいだろう。
同僚が命懸けで守った主の命だ。ここでわたしが下手をするわけにはいかない。殿下を、確実にお守りしなくては。
ミナは服の下に隠した剣にそっと触れる。

(それこそ、命に代えても――)

「しかし、おぬしの女装を見るのは久しぶりだな」

気づくと、殿下がいつもの眠たげな眼でじっとこちらを見ていた。
ミナもまた、近衛兵の一員だった。
一族が殿下の領地で家宰を務めていたこともあり、幼い頃から見知っていた。近衛兵になってからは、ほとんど毎日殿下と顔を合わせていたといっても過言ではない。
だが近衛兵ともなれば動きやすい軍服、男装にならざるを得ない。
殿下に会うときは近衛兵の制服ばかりだから、女の服装で会うのは
確かに久しぶりだ。

でも、女装って。
ミナは内心ため息をつく。
この方はいつもそうだ。若干はずれたような、とんちんかんな物言いが多い。そのため、王弟であるにも関わらず巷で『変人殿下』の称号を冠せられているのだ。
しかしミナは知っている。思考が人の二つ三つ先に飛んでいて、それを
そのまま口にするから突飛に聞こえるだけなのだ。
付き合いの長いミナには、最初は理解できなくても話を合わせることができるし、後からその真意に気づくこともある。慣れない人はそれが奇妙で、『変人』扱いしてしまうだけなのだ。
ミナも実際変人だと思うこともあるが、そこは慣れだ。
そして、付き合いの長い主でもある。彼のことは信頼している。
これ以上、主として望むことはない。

「確かに、女の格好ですが。女装っていう言い方は変じゃありませんか」
「そうか?しかし目の毒だな、これは」
「似合いませんか。見慣れないからでしょう」
「服が大き過ぎるようだ。胸元が見える」

「……え!?」

慌てて前を掻き合わせた。
侍女の着替えを勝手に借りてきたので大きさが合わない。
鍛えている腕などはきつい位なのだが、胸元には余裕があるのが悲しい。
殿下は表情も変えず淡々と呟く。

「全く、非常時だというのにこれでは別の意味で非常事態だ。アーベルにも全く申し訳ないのだがそれどころでなくなる」
「あ、あの、お見苦しいものを……失礼いたしました」
「ただでさえ宮廷を離れて監視の目もなく女装のおぬしと二人きりという
おいしい状況なのだから自制してもらわないと困る」
「?……は、はあ」
「おぬし、私がなんの話をしているのか分かっているか」
「いえ」

いつも微妙にかみ合わない会話に慣れているので、あまり疑問に思って
いなかったのだが。
しばしの沈黙の後、殿下はため息をついた。

「何だ、知らなかったのか?私はお前が欲しかったのだ、ずっと」

いつもの眠たげな目が、ミナを見据える。
蝋燭のわずかな明かりでは、その表情はよくわからない。
真意が分からず見つめ返すが、何も言わない。
ただじっと、見つめ合っていた。
と。

「きゃああああああああっ!!!」

突然、耳に息を吹きかけられた。

「な、な、何をするんですかっ!?」

耳を押さえて思わず後ずさると、殿下がその分距離を詰めてきた。
ひとり感心したように頷いている。

「ふむ。耳が弱いんだな」
「誰だって驚きますっ!!」
「そうか」
「そうです!!」
「私は何ともないぞ」
「恐れながら、殿下。嘘を仰らないでください」
「嘘ではない。試してみるか」

表情は変わらないものの、自信満々の口調で言われて妙に悔しくなる。

「……では」

殿下の耳に唇を寄せて、そっと息を吹きかけてみる。
微動だにしない。

「言ったであろう」

横を向いたままの殿下にまたも嬉しそうに言われて、こんな子供みたいな
挑発に乗ってしまった自分が恥ずかしくなる。

「失礼いたしました、殿下。ですが、お戯れが過ぎます。
今は非常時なのですよ?」
「残念ながらいたって真剣だ。ああ、そうだ。いいことを思いついたぞ」
「はい?」
「いっそ、このまま行方をくらますというのはどうだ」
「殿下!ご冗談はいい加減にっ……」

反論しようとして、急に掌で口を塞がれた。
何事かと思えば、静かだった廊下から物音がする。
追手に気づかれたのかもしれない。

互いに頷き、まだ解いていない荷物を担ぎ直す。
ミナは手早く身なりを整えるが、まだ頭がついていかない。

(へ、変人殿下……)

「と、とにかくこちらへ。窓から出ましょう。静かに」

小声で言うと、殿下は大人しく頷いた。
殿下の奇行や発言には慣れているつもりだったが、今日は興奮しているのか
いつも以上に意味不明だ。

このまま無事に殿下を領地まで送り届けられるだろうか。
二重の考えごとに頭を悩ませつつ、ミナは窓の外を窺った。






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