郭狐求相(非エロ)
シチュエーション


少年は呼吸を整え、構えをとる。全身の力を抜かず、そして入れず。矛盾しているよう
に聞こえる言葉だが、これは彼が目の前で同じ構えをとる師父から教わった、武術の基本
だ。
少年の準備が出来たのを確認すると、師父は一呼吸を置いて、最初の一撃を放つ。
右の上段正拳。少年は体勢を崩しながらも、それを辛くも躱して正拳を放つ。師父はそ
れを左手で叩き落とす。続いて脇腹に向けて左脚を撃ち込む。少年はすぐに防御の態勢を
取ろうとするが、すでに二度もバランスを崩していてはそれも適わない。師父の蹴りをま
ともに受けた少年は、鞠のように弾かれ地面に転がる。
慌てて少年は立ち上がるが、師父からの次の一撃が来る気配がない。

「ここまでです、郭様」

構えを解き、師父は少年に軽く頭を下げる。

「まだまだ麗狐には敵わないな」

郭と呼ばれた少年は土埃を払いながら、肩を落とす。

「郭様が武術を習い始めてまだ半年。その程度で追いつかれては、私の立場がありません」

麗狐は、もともと切れ長の目をさらに細めてクスリと笑う。

名は体を表す。
郭は、学問の時間に習った言葉を思い出した。
その目だけではない。すらりとした身体と流れるような仕草も、郭が狩りで見かける狐
にそっくりだった。
そもそも彼女の素性もはっきりしない。郭が、この国を治める王である父から、警護役
兼武術の師父にと紹介されたのが半年前の事だった。
王は麗狐の事を昔から知っていたわけではない。ちょうどその頃、都では、悪漢どもに
一歩も引けを取らない女武術家がいるともっぱらの噂になっていた。これを聞きつけた王
は、宮中にその女武術家、麗狐を呼び出したのだ。もともと若くして武の頭角を見せ、一
代でこの国を興した王は、旅の武術家をよく宮内に招いては、武芸の話をする事を好んで
いた。
王は麗狐としばし話をした後に、彼女に息子である郭嶺の警護と武術の指導を頼んだ。
麗狐はそれをあっさりと快諾すると、その日からこの宮内に部屋を与えられて、この宮内
で生活するようになったのだ。

「郭様、どうかなされましたか」

自分をじっと見つめたままの郭に、麗狐は首をかしげて問いかける。

「ねぇ。麗狐はどこから来たの」
「どこから……と言われましても」

問いに問いで返してきた郭に、麗狐は重ねて首をかしげる。

「物心がついた時には、すでに私は師父とともに旅をしていましたし。東西南北、色々な
国を回って参りましたから」

「でも、その服は北から来る者が身につけているものに似ているぞ」

麗狐は食事や住まいについては、この国の風習に何も言わず従っていたが、服装だけは
別だった。
宮内の女達は、みな鮮やかに染められた、襟のついた裾の長い上衣とスカートを着てい
る。しかし麗狐は、男が戦いに出るときに着るような素っ気もない服の上から、墨で染め
たような薄手の上衣を羽織り、それを一本の腰紐で結んでいるだけだった。しかもその上
衣の裾には大きく切れ込みが入れられ、動きを妨げないようになっていた。

「さすが郭様。よく勉強されているのですね」

麗狐は満足そうに頷くと、郭の前で右足を支点にして、くるりと回ってみせる。ふわり
と広がる上衣の長い裾が、まるで狐の尾のようにも見える。

「確かにこれは、北の方を旅した時に見かけた服装を真似たものです。ただし向こうでは、
もっと厚く編まれた布や、羊の毛を使います。あちらはこの辺りに比べて、だいぶ寒いで
すからね」

麗狐の説明に、郭は狐につままれたような表情を浮かべる。

「それにしても、今日は質問の多い日ですね。一体どうされたのです」
「それは……」

言いよどむ郭だったが、これ以上、質問を重ねることは出来ない。今度は、彼が答える
番だった。

「みんなが麗狐の事を、狐の物の怪だと言うから……」

郭の言葉に、麗狐はキョトンとした表情を浮かべる。
そして、次の瞬間――、

「くくく……私が狐の……くくくくく」

おなかを抱えて、笑うの必死に堪える。

「その、父上が簡単に麗狐を召し抱えたのは麗狐が父上を術にかけたからだとか、月の晩
には瞳が狐の瞳になるとか、夜中に麗狐が尻尾を生やして宮内から飛び出たとか。それに
――」

郭は真っ赤になって口から泡を飛ばしながら噂話を並べる。麗狐はその必死な姿を見て、
さらに可笑しくなったのか、苦しそうに身体をくの字に曲げる。

「れ、麗狐ッ」

麗狐の反応に、噂に踊らされた自分が恥ずかしくなったのか、郭は耳まで真っ赤にして
大声を出す。

「ハァハァ……すみません、郭様。しかし……それは、くくく。い、いえ。失礼しました」

ようやく笑いを飲み込んだ麗狐は、軽く咳払いをしてから続ける。

「私も自分の素性についてはよくは知りませんが、少なくとも妖怪の類ではないと思って
います。何でしたら、確かめてみますか?」
「確かめるって」

郭に答えるよりも早く、麗狐は郭の手を取ると、それを自分のお尻へと持って行く。

「え?」

自分が何をされているのか理解するよりも早く、手のひらを通して感触が伝わってくる。
麗狐のお尻の谷間。きゅっと締まっているが柔らかな肉感。先ほどまで稽古をしていた
せいだろうか、しっとりと濡れた汗の感触。

「郭様、そんなに力を入れないでください」

「は……いや……ご、ごめんッ」

謝る必要などないはずだが、この時の郭にそんな事を考える余裕などあるはずがなく、
慌てて手を離す。

「で、どうでした」
「ど、どうって……」
「尻尾があるかどうかですよ。何を考えてるんですか、郭様」
「な、何でもないよッ。尻尾はなかった、それでいいだろッ」

あまりの恥ずかしさから、郭はぶっきらぼうに言い放つと、その場を足早に離れる。

「郭様。お身体を洗われるならご一緒しますよ」

追いかける麗狐の足音に、それから慌てて逃げるような郭の足音。
今日も宮内は平和だった。






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