IceDoll オムレツ
シチュエーション


不自然な息苦しさでわたしは目を覚ました。
やわらかいもので口を塞がれて、身動きが取れない。

「ん…んん…」

息が苦しくなってもがくと、あたたかくやわらかいそれは、ふいっと離れた。離れてからそれは彼の唇だったと気づく。

「済まない、起こしたな。」

起動したてのわたしの中のCPUが、この声は間違いなくわたしの主の声だと認識する。けれどわたしの頭は一瞬、誰の声か
分からなかった。とんでもなく優しいその響きが、昨日までの彼のものとは少し違っていたために。

「ぁ…。」

淡い水色の瞳がわたしを見つめている事に気づいて、慌ててさらけだされていた胸を毛布で隠す。そこに点々と残されて
いた薄紅色のしるしが、昨夜の出来事をわたしに思い出させた。
それでも、あれは幻想だったのではないのかと、わたしはぼぅっと考えた。
本当のわたしは、まだファクトリーで廃棄の通告を震えながら待っているのではないだろうか。
だって、信じられない。
アンドロイドのわたしを好きだと言ってくれた。対等の関係でありたいと言ってくれた。
ただの『物』に過ぎないわたしのことを。

「…大丈夫か?」

ぼんやりしているわたしの頬を、大きなてのひらが撫でる。なにが大丈夫かよく分からなかったけど、わたしは慌てて
何度も頷いた。
どうしよう。何を言えばいいんだろう。言葉が詰まって全然声にならない。

「…お…はよう…ございます…」

なんとか朝の挨拶をしてみると、彼はにこにこして、おはようと答えた。
その優しげな声を聞くだけで、心拍数が上昇して、体温も上がる。このままではどこかの回路がショートしてしまう
かもしれない。
どぎまぎとしているあいだに、もう片方の手もわたしの頬を包む。そして唇がそっと触れ合った。触れて離れて、もう
一度、今度はずっと深く絡み合う。舌がわたしの歯列を割って、わたしの舌に絡みつく。それだけでもう、頭の中が
白くなっていく。
こんな事は許されないとか、そんな事はどうでも良くなる。わたしは彼が大好きで、彼もわたしを好きだと言ってくれる、それだけがとても大事なことに思えた。
頬を撫でていたてのひらが滑り降りてくる。生身のままの首筋、肩、そして敏感な乳房に触れられて、反射的に身体を
そらしてしまった。

「…嫌か?」

彼は唇を解放すると、不安そうに聞いてくる。

「貴方が望まれるなら。」

わたしがそう答えると、彼の眉間に皺が寄る。

「…嫌か、そうじゃないのか、聞いているんだ。」
「嫌…なんて…」

わたしが口ごもると彼は怒ったように、もういい、と言って背を向けた。

…どうしよう。また怒らせてしまった。
わたしはしょんぼりとうつむいて、ベッドから這い出した。そういえば、昨夜抱き合ったのはソファだったから、
ここまで運んでいただいたことになる。重かっただろうに、申し訳ないな、と思う。
壁を向いたまま動かない彼に毛布をかけなおして、寝室から去ろうとすると、長い腕がすっと伸びて、わたしの尻尾を
引っ張った。

「…全く、嫌なら嫌と言えばいいんだ。」
「嫌な訳では、ありません。」

ただ、ちょっとびっくりしただけ。…朝から、こういうことをするとは、思っていなかったから。それに…

「貴方が望んだ時に求めていただければ、いいんです。それもわたくしの務めです。」

彼は、むぅ、と呻いて上体を起こした。目がすっと細くなる。

「…いつまで下僕のままでいるつもりだ。」
「わたくしは貴方のしもべ…」

全て言い終わる前に、彼はわたしの唇をもう一度塞ぐ。今度は、もっと乱暴に。

「…ん…ん…」

噛み付くようなキスとはこういうものを言うんだろうか。胸が苦しくてたまらない。
身体がベッドに押し付けられ、彼の大きな身体がのしかかる。両手が全身をまさぐり、教えられたばかりの快楽にただ
身悶える。

「嫌なら、嫌と言え!」

彼が何を怒っているのか解らない。容赦ない愛撫にさえ身体が熱くなり、意識がとろけそうになる。
はぁはぁと息を吐きながら、許しを請うように、両手を彼に差し伸べる。

「愛…して…ます…」

ずっと胸に秘めていたこの言葉を口にする事が許されるなら、わたしはそれだけで幸せになれる。それ以上は何も
望まない。望めるはずも無い。
乱暴な愛撫がぴたりと止まった。

「…まったく…」

肩を落として息を吐くと、彼は身体を起こして、裸のわたしに毛布をかける。

「…あ…の…?」
「我慢して抱かれることなんて無いんだ。それじゃあ、何も変わらない。」

彼はいらいらとした口ぶりで言い残すと、裸の上半身にシャツだけを羽織って寝室を出て行った。

「命令だ、そこで寝てろ。朝食は作らなくていい。」

ぽかんと、彼を見送った。

…どうすれば良かったんだろう。何を言えば良かったんだろう。何を望まれていたんだろう。それが解らないのは、
わたしが…人間ではないからなのだろうか。
悲しくて胸の底でしくしくと痛む。
後を追いたかったけれど、ここで寝ていろという命令に背くわけにはいかない。この間のように、出て行けと言われ
なかったことだけが救いだった。
人間用のベッドに寝た事はほとんどない。アンドロイドのためのそれは、横たわるとほとんど隙間が無いほど狭くて、
硬質の透明な樹脂硝子で出来ている。
このベッドは広くて手足が伸ばせるし、生身の部分も柔らかく受け止めてくれる。そしてかすかに彼の匂いがするのが
心地よかった。起床した主を放っておいて惰眠を貪れるなんて、こんな贅沢を許されているアンドロイドはそれほど
いないだろう。
少し開いた扉の向こうからは、雨のようなシャワーの音がかすかに聞こえてくる。
お着替えの用意をしないと…朝ごはんは要らないって言ったけど、召し上がって食べて頂かないと身体に悪いし…掃除も
しないといけない…昨日、ソファ、汚したかな…
まとまらない考えがぐるぐると頭の中を回る。わたしは、枕に頭を埋めて目を閉じた。
そのうち、浴室の扉が開く音がして、こつこつと足音が近づいてきた。
扉の外から、中のわたしの様子を窺う気配がする。探査・支援の性能も与えられているわたしには、音の強弱とかすかな
明るさの違いで、彼の動きが手に取るようにわかった。
ノブに手をかけて入ろうとして、くるりと背を向け、また振り返って中を窺う。

…何をしているのだろう?
彼はしばらく部屋の外をうろうろして、そのうち、小さなため息とともに去っていった。

…声をかけたほうが良かったのだろうか。
でも、何故か、気づいていることを知らせない方がいい気がした。
キッチンの方から、かたかたと音がする。バターの焦げるいい香りが、寝室の中にも流れてくる。
自分でお料理しているの?朝食は要らないと言ったのに!
さすがに、自炊している主人を放っておくわけにはいかない。命令に反したことで叱咤される事を覚悟しつつ、わたしは
跳ね起きるとキッチンに駆け込む。

「何をしていらっしゃるんですか!?」
「オムレツ。」

血相を変えたわたしの問いに、彼はコンロに向かったままのんきに答えた。

「久しぶりだな…300年と、10年ぶりくらいか。結構、料理は得意だったんだよ。」

そう言って軽くフライパンを振ると、卵は上手にくるりとひっくり返る。料理が得意、というのは嘘ではないらしい。

「…朝食を召し上がりたいのならば、おっしゃって下されば、わたくしが…」
「まあ、気分転換だな。ここは娯楽に乏しいからね。」

そう言って、白い皿の上にふわふわに焼けたオムレツを乗せると、わたしの方を見て少し眉をしかめた。

「風邪ひくぞ。これでも着てろ。」

慌てて裸のまま走ってきてしまったことを思い出して、わたしは穴があったら入りたいほど恥ずかしかった。
手渡された上着を受け取ろうとして、わたしは手を止める。

「…どうした?」

わたしの暗い表情に気づいて、彼がいぶかしげにのぞきこむ。

「…アンドロイドは、人間と同じ服を着てはいけない決まりになっております。」

わたしのような感情表現型アンドロイドが現れてから、人間とアンドロイドを誰が見てもきちんと見分けられるようにと
定められた法らしい。耳や尻尾のようなパーツも実用を兼ねてはいるが、見た目での識別のためにという意味合いも大きい。

「ここには君と私しかいないだろう。誰も咎めない。」

そう言って、わたしの背中にふわりと上着をかぶせた。
彼の匂いがする、大きくてぶかぶかのシャツがわたしを包む。

「…こういう言い方は、あまりしたくないが…」

ふうー、と大きく息を吐いて、彼は言った。

「命令だ。その服を着ていなさい。」

わたしは黙って頷くと袖を通した。袖口を何度も折り返して、やっと指先が外に出る。

「貴方は…」

胸元のボタンを留めながらそう言いかけて、それが主人に対してとても失礼な物言いだという事に気づいて、わたしは言葉を止めた。

「続き、言いなさい。気になるだろう。」

再びフライパンを振るっていた彼が、背中を向けたまま促す。

「…貴方は、アンドロイドのことを知らなすぎます。」

そう。彼は元々この時代の人間ではない。
300年もの長い間眠っていたところを、この時代の人々のエゴによって起こされたのだ。そして、起こしたのは、わたし。
彼が眠りにつく前は、いまのような形態のアンドロイドと、それにまつわる法律など無かったはずだ。

「確かにね。しかし、君の話を聞いていると……よっ、と」

もうひとつのオムレツが、空中でくるんと回転する。

「…知る必要も無さそうだな。少なくとも、君と私の関係には。」

そして、できたてのあつあつのオムレツを皿に移し、わたしに差し出した。

「食べ物は、同じものを食べても大丈夫なんだろう?自分で言うのも何だが、久しぶりの割には上手くできた。」
「……………わたくしの分、ですか?」

わたしはぽかんと口をひらく。

「自信作だから、これくらいは、命令しないでも食べて欲しいな。」

わたしは皿を受け取って、上目がちに彼を見る。

「…あの。」
「何?」
「…わたくしは、たぶん、世界で一番幸せなアンドロイドなんだと思います。」

主人の心尽くしの手料理を振舞われるアンドロイドなど、聞いたことも無い。

「それはなにより。」

彼は嬉しそうに笑った。
焼きたてのいい香りが鼻をくすぐって、わたしのお腹が、くぅ、と鳴った。

食事中、彼はにこにこしながら、わたしがスプーンを口に運ぶのを見守るものだから、なんだかとても落ち着かない。
美味しいだろう?そうだろう、と顔に書いてある。
そして、文句無くそれは美味しいオムレツだった。

――虐殺の魔人――

300年前の戦争の歴史に刻まれた、彼の二つ名。
その、虐殺の魔人の得意料理がオムレツだなんて、誰も知らないだろうな。そう考えるとおかしくなった。

「とっても、おいしいです。」
「そうか。」

わたしの素直な感想に彼はとても満足そうで、300年ちょっとも生きている割には、まるで子供みたいだと思った。
造られてから2年かそこらしか経っていないわたしがそう思うのも、変な話だけれど。

「とりあえず、それくらいしか作れるものが無かったんだよな。…食材も調味料もストックはいろいろあったけど、
どんな味なのかさっぱり分からないし。」
「今度はお手伝いしますよ。わたくしでお教えできることなら。」
「そうだね。次は一緒に作ろう。」

次はカルボナーラがいいかな。と彼は目をきらきらさせる。
…カルボナーラ、って何だろう?後でデーターベースを覗かないと…

「…できれば。」

ふっと、彼が真剣なまなざしになった。

「…そうやって、君の方からも少しずつ歩み寄って欲しい。」
「わたくしが、ですか?」

彼はテーブル越しに、手を差し伸べた。

「持って生まれた価値観が、そう簡単に変わらないのは分かっている。でも私は、君に下僕のままでいて欲しくない。」
「でも、わたくしは…」
「ほら、すぐそうやって突き放す。」

彼は唇を尖らせた。

「近づこうとすると距離を置かれるのは寂しいじゃないか。昔から…」

そらした彼の眼差しに影が宿る。

「…誰も私に近寄ろうとはしなかった。」

伸ばされた手が力なく下ろされようとする。わたしは必死にその手をつかんだ。

…わたしが、います。
その言葉が何故か声になってくれない。
彼は弱々しく笑って、もう片方の手でわたしの頭と、その上にぺたんと伏せた、金属でできた三角の耳を撫でた。

「私は君の本音が聞きたいんだ。君はすぐ、アンドロイドが主人がって…そんなのどうでもいいだろう。」

だって。だって。
どうして声が出ないんだろう。あふれそうな想いに苦しいほど胸がいっぱいになるのに、言葉になってくれない。
貴方が、大好きなのに。
貴方の寂しさを、ほんの少しでもわたしで埋められるものならば、どうにかしたいのに。
でも、どうあがいても、わたしは作り物のアンドロイドなのだ。本当なら、貴方を愛する事すら許されてはいない。
いくら目を背けても、それは変わらない、現実。

「…どうして、泣く?」
「…愛しています。」
「…だから、どうして!」

貴方を愛するというのは、なんでこんなに苦しいんだろうか。

静けさを引き裂いた自分の悲鳴に驚いて、わたしは目を覚ます。
薄暗い部屋の中。隣で眠っていた彼が驚いて飛び起きた。

「どうした!?」

わたしも、自分に何が起きたのか分からなかった。額の汗をぬぐって、ゆっくりと頭の中を整理する。

「…夢を」

そんなはずはない、と思いながら、結論を告げる。

「…夢を、見ていました…」
「ああ、夢か。」

彼は安心したように息を吐いた。
そんなはずない。埋め込まれたCPUで制御され、生身である脳に常に高負荷がかかるアンドロイドは、速やかに脳を
休めるため、就寝後は即座にノンレム睡眠に切り替わる。つまり夢を見るはずは無いのだ。それに、あれは…

「悪い夢だったのか?」
「…はい。」

彼は眠そうにわたしの頬にキスをすると、ベッドに転がる。

「私は、今日は夢を見なかったな。…目が覚めてからは毎晩、見ていたんだが。」

目が覚めてから、というのは、あの日、300年の眠りから、わたしに起こされた日のことを言っているのだろう。

「…何の、夢ですか?」
「昔の夢。」

吐き捨てるように言うと、彼は目を閉じた。

「君は?」
「…おぼえて…ません。」
「そうか。」

弱々しいわたしの声に、特に気を留めることはなく、彼はすぐに眠りに落ちる。

…わたしの嘘に気づいた素振りは無い。主に嘘をつかねばならないことに、言いようの無い罪悪感を覚える。
今夜は、身体を重ねていない。服を着たまま寄り添って眠っただけ。彼がそう望んだ。
身体が触れるとたまに苦しそうに呻くので、いいんですか?と何度も聞いたのだけれど、それでいいんだ、と言う。
…我慢して抱かれる事は無いと貴方はおっしゃいますけど、貴方こそ我慢なさるのは、体に良くないではないでしょうか。
迂闊にもわたしがそんなことを言うと、彼は本気で怒った。それでも不思議と突き放したりせず、ここで居てくれと、
寝室から出て行こうとわたしをベッドに引き戻した。
彼はもう穏やかに眠っている。すぐ側にいるわたしが、どれだけ恐ろしい存在か知らない。
震えながら、わたしはさっき見た夢を思い出した。

暗い暗い階段を、わたしはひとり降りる。
地下深く、誰もが忘れた施設の底で、その人は眠っている。
虐殺の魔人。遺伝子から操作されて生み出された、人の姿をした兵器。300年前の戦争で、数万人の一般市民…武装した
者もそうでない者も、女も老人も子供もぜんぶ……命ぜられるままに一人残らず虐殺した男。
わたしの最初の任務は、彼を目覚めさせる事。そのためにわたしは造られた。
全てのプロテクトはわたしの手で解除されて、彼の生命活動を凍結していた装置は停止する。
そして彼は、300年ぶりに目を開いた。
わたしは、息を飲んだ。

…なんて、きれいな瞳なんだろう。
淡い淡い、青灰色の瞳。
晴れた春の日の空は、こんな色をしていたのだろうかと思った。
わたしは青空を知らない。この時代に、空に太陽が見えなくなってから久しい。
瞳だけでない。整った顔立ちも、すらりと背の高い均整の取れた体躯も、まるで美術館の彫像のようで、わたしの
イメージしていた恐ろしい大男とは、あまりにもかけ離れていた。

「…誰だ?」

いぶかしげに、彼はわたしを見た。長い眠りから無理やり目覚めさせらて、怒っているようだった。
しかし、怯むわけにはいかない。わたしには大事な使命がある。わたしは彼に訴えた。

「どうかわたし達を助けてください。この時代に現れた人間ではない侵略者は、貴方のような力を持った方でなければ、
立ち向かう事が出来ないのです。」
「理解し難いね。」

彼は苦々しく吐き捨てた。地上の人間が今さら何を言うか。瞳はそう語っている。
当然だと思った。自国の民ために多くの血を流したこの人は、戦争が終結したとたん、真っ先に棄てられたのだから。

「お願いです。どうかわたし達を、この時代の人たちを助けてください!!」

わたしは必死に、彼のまだ冷たい手にすがりついた。そうしなければならない理由が、彼に絶対にYesと言わせなければ
ならない理由があったから。
彼は、静かにわたしに答えた。

「断る。」

違う、そんなはずはない。
あの時、彼はわたし達を助けてくれると約束してくれた。だからこそわたしはいま、彼に仕える下僕としてここにいる。
それがわかっているのに、震えが止まらなかった。あの答えの先にあるであろう結果が、恐ろしくてたまらない。

――味方にならないのならば、この時代にとって新たな脅威にしかなり得ない。もし協力を拒まれた時は――

――その場で抹殺せよ――

それが、わたしに課せられた本当の使命。
わたしの心臓には小型の爆弾が埋め込まれていた。彼が要請を断ったなら、わたしは彼を抱きしめて、深い地下の底で
共に命を散らすべく。

…だからこそこんな重要な任務が、アンドロイドのわたし、ただ一人に与えられたのだ。
彼に一生懸命仕える事で忘れようとしていた、おぞましい事実。わたしは彼を殺すために造られたのだ。
あの爆弾はまだ、わたしの胸の中で眠っている。もし彼がこの時代の人間に刃を向けた時は、わたしもろとも、誰かが
この爆弾のスイッチを押すだろう。
薄暗い部屋の中で、自分で自分の肩を抱きしめてうずくまっていると、不意に背中から大きな両手が包み込む。

「眠れないのか?」

眠そうな声。でも静かで優しい声に、泣きたくなった。
貴方に全てを懺悔して許しを請いたい。そうやって楽になってしまいたい。
でも、彼の所有物となる前の、暫定的とはいえ以前の主の不利益になることは、わたしは口外することはできない。
記憶にはプロテクトをかけられ、このことを誰かに告げることができないようにプログラムされている。

「震えてるな。寒いのか?」

自分の毛布でわたしを包もうとする彼にしがみついて、求めた。

「…あたためて、ください。」

自分でも、どうしてそんなことが言えたのか、解らなかった。

…わたしは、この人を殺すのだろうか…
…こんなに、大切にしてくれた、この人を…
…こんなに、愛している、この人を…
…たぶん、わたしは殺すのだろう…
…わたしは、ただの人形だから…

人形に過ぎないわたしを、彼はいつくしむように抱く。
その指先が与える電流のような快楽が、わたしの思考をちりちりと歪める。
わたしはねだるように身体を開き、嬌声をあげた。彼がいやらしいと言ったわたしの体は、はしたないほど乱れ、
彼を誘う。
もっと、もっと気持ち良くしてください。もう何も考えたくない。
わたしの望みどおり、巧みに動く指と舌は、ぞくぞくするほどの快感をくれて、頭の芯が真っ白になる。
押し寄せるうねりに身を任せ、快楽の天辺まで駆け上がって、わたしは彼の名を何度も呼んだ。『マスター』でも
『御主人様』でもなく、敬称もつけ忘れた彼自身の名前を。

「やっと、名前を呼んでくれたな。」

わたしの不敬を咎めるでもなく、彼が嬉しそうに囁いた。
そしてまだ熱のくすぶる中心に、彼自身が押し込まれる。くぐもった悲鳴がわたしの喉をついた。
たぶん、わたしは彼を受け入れるには、身体が小さすぎるのだろう。初めてのときほどでは無いが、じんじんする痛みと、
息苦しいほどの違和感に身をよじる。
苦しむわたしを不憫に思ったのか、不意に離れようとする身体に、わたしは必死にすがりついていやいやする。
それでも、繋がっていたい。こうしている今だけは、わたしも彼も同じ人間であると実感できる。

「…手加減して、やれない…ぞ。」

かすれた声で彼が言った。シーツを掴んでいる彼の手が、ぎりぎりと震えている。
それでもいい。あなたが優しいのはわかっているから。
わたしが頷くと、両膝が大きく持ち上げられて、最奥まで一気に貫かれる。
息ができない。苦しい。荒々しく腰を打ち付けられて、意識が遠のきかけ、その度に痛みで引き戻される。
その繰り返しの中で、何か違う感覚が首をもたげ、痛みを逃そうと腰をひねるたびに身体の芯が熱くなる。
彼の指で昇りつめるときとはすこし違う、いままで感じた事のなかったうだるような感覚。
わたしの喘ぎが変わってきたのに気づいたのだろうか。

「もう少しだから…我慢してくれ。」

そう言うと、獣のようにのしかかった。
壊れる、と思うほど滅茶苦茶に突き立てられる。
彼が呻く。そしてどくどくと脈打つような感覚のあと、わたしの中に彼の熱い滾りが満たされていった。

「済まないな。」

汗ばんだ胸に頬を寄せると、申し訳無さそうに彼はつぶやいた。

「舞い上がったかと思えば腹が立ったり…自分でも、どうしてこんなに情緒不安定になるのかわからないんだ。」
「わかります。」

わたしは目を閉じた。

…天国と地獄を行き来するような気持ちですよね。
恋をするって苦しいですね。心の中で、そう囁く。

「貴方のおっしゃる事も、よく解ります…でも、アンドロイドは…いえ、わたくしは、貴方がわたくしを求めてくださる
ことが、それに応えられることが、とても嬉しいのです。」
「…そう、か。」

彼はわたしの頭をくしゃくしゃと乱暴に撫でた。

「お互い、少し肩の力を抜かないといけないな。」

うとうととしかけて、ふと、今しか聞けないな、と思った。

「…あの時、どうして、わたしの頼みを聞いてくれたんですか?」

彼の腕の中で丸くなって問いかける。もう、震えは止まっていた。お互いをあたためあうぬくもりが、たまらなく
心地良い。

「地上を救ってくれ、と言う奴か?」

わたしが頷くと、彼はう〜んと唸った。

「…君が、可愛いかったから、かな?」
「それだけ、ですか?」

わたしが目を丸くすると、彼は至極真面目な顔で肯定した。

「そう。あれが禿親父とか、高慢な眼鏡女とかだったら、断ってた。」

貴方の運命を決める大事な選択を、そんなことで…

「君じゃ無かったら、誰でも駄目だったろうな。君だから、断れなかった。…断った方が良かったか?」

冗談めかして言う彼に、わたしは、ううんと首を振った。

「…願いを聞き届けてくれて、とても、嬉しかったです。」

わたしでない誰かがあの使命を帯びていたら、彼とその誰かは、地下深くでひっそりと命を落としていたのかもしれない。
自分自身の存在意義を肯定されたようで、うれしい。

「夜が明けそうだな。目も覚めたし、少し早いけど朝食でも作るか。」

彼は伸びをして体を起こすと、わたしを厳重に毛布で包んだ。

「君は寝てなさい。昨日から調子が悪そうだしな。今日は午後から定期メンテナンスだろう?博士によく診てもらうと
良いよ。」
「ん…お手伝い…しますよ…そういえば…カルボナーラって、なんですか…?」

柔らかい毛布に包まれる感触に、とろとろと訪れる眠気をどうにかしようと、わたしは無理やり会話を引き伸ばす。

「ん?…ああ。パスタだよ。卵とクリームとチーズを混ぜたソースを…」

楽しそうな彼の講釈は、子守唄のようにわたしを心地よい眠りに誘う。

「で、仕上げに黒胡椒を振って…なんだ、眠っちゃったのか…。」

起きてますよ、と言いたいけど、なんだか身体が動かない。彼の指がわたしのプラチナ色の髪を軽く梳いて、おやすみ
と囁いた。
わたしはおいしそうに、カルボナーラ?を頬張る自分の夢を見た。

ファクトリーの片隅の、メンテナンス用のベッドの片隅で、博士は呆れたように愚痴った。

「今日がメンテの日だって、前から伝えてあっただろう。…もう少し、控えめにやれないもんかね?君の大事な御主人様は。」

裸で横たわったわたしの全身には、花びらを散らしたように点々と、真新しい赤い痣が残っている。
顔から火が出るほど恥ずかしい。
隣の部屋で待っている彼にも聞こえてるだろう…そもそも、彼に聞こえるように言っているんだから。

「オーナー様からは体調が悪そうだって指摘があったな。バイタルはそう問題無さそうに見えるが、どこが調子悪いかい?」

スキャナが読み取ったデーターを横目で確認しながら、博士は心配そうにわたしを窺う。

「…君はメンタル面が少し不安定だからなぁ。…ストレスがひどいようなら、投薬で感情の振り幅を少し低くしてみるのも
手だが…」
「大丈夫ですよ。」

わたしは答える。隣の部屋の彼に聞かれたくないし、博士にも余計な心配をかけたくない。
現在には存在しない強化人間である彼のサポートという、特殊な任務に就くために、わたしは実験的にさまざまな能力を
組み込まれた。それ故に既知のデーターでは測れない部分もあって、博士はわたしのメンテナンスのたびに、チューニングに
頭を悩ませる。バランスを間違うとすぐにどこか壊れてしまうらしい。
しかも彼はわたしの扱いが乱暴だと不満そうで、

「生まれつき身体の弱い末娘を、町の問題児の嫁に出したような気持ちだ」

と、博士はいつも心配をしてくれた。

「…お父さま。」

もっと幼いとき。育成カプセルの中にいるほんのひとときだけ使った呼び方で、博士を呼ぶ。

「なんだい?」

こんな時、博士は若さに似合わぬ落ち着いた物言いで、わたしの父親役を演じてくれる。

「わたしを造ってくれて、ありがとうございます。…わたしは今、とても幸せです。」
「そっか。良かったな。」

わたしの頭を撫でて、そっけなく、でも嬉しそうに博士は頷いた。






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