紅い髪の娘フレイヤ2
シチュエーション


青々と木々が生い茂る森の中で、娘が一人、岩の上に座っていた。

彼女の足首まである長い髪は紅く、月光に照らされて神秘的に輝き、大空を切り取ったような空色の瞳は夜空にかかった星屑の川に向けられていた。

彼女は空に手が届くのではないかという錯覚に囚われて手を伸ばす。
でもやっぱり手は届かなくて。

「星を取りたいだなんて子供みたいなこと考えてるんですか?」

近付いてきた青年の第一声はそれだった。

「……」

無視して伸ばした手を下ろすと、突然青年がその手をとった。
今まで触れてくる者などいなくて、驚いて彼女が青年を見るとにっこりと笑っていた。

「僕と契約を結んでくれませんか?」

ふたつめに紡がれた言葉。
笑っているけれど、本気の笑顔には見えない。正直言って怪しい。
契約なんて結ばない方がいいのかもしれない。
けれど、彼女の返事は決まっていた。

「はい、マスター…」

例えどんな人でも、最後には殺すのだから。


――――――――…………



雨が降り出した。
次第に強くなっていき、水滴が視界を奪う。

「困りましたね…次の街はまだ遠いですよ」

「急ぎたいところですが…」

紅い髪の娘――フレイヤは魔物に警戒しつつ、三ヶ月前に主となった青年――クロスの隣を歩いていた。
暫く歩いていると、雨に霞んではいるが魔物らしきものが遠方に見え、立ち止まる。

「…マスター、止まって下さい」

腰に提げていた拳銃を抜いて、かろうじて確認できる魔物へと銃口を向け、そのまま引金を引く。
銃弾は魔物の足元に当たり泥を跳ね上げ、 銃声と銃弾に驚いたのか魔物は何処かに消えていった。

「……」

おかしい。
気配が消えてから銃を脇に差し直し、小さくフレイヤが呟いた。
その声は雨音に掻き消され、クロスには聞こえない。

おかしい。
いくら威嚇射撃だとしても、先ほど見えた魔物は大きく、簡単には恐れなど抱かないはずだ。
よほど怖がりなのか、それとも何か他に理由があるのか。

「……」

「どうしました?フレイヤ」

気付けばクロスが顔を覗き込んでいて、慌てて何でもありませんと言いながら首を振り、少し距離を取る。

おかしいと言えばこの人もだ。
心の中で、そんな風に呟く。

今までの主人達とは違い、この容姿を忌み嫌うこともなく近寄ってきて、戦闘時は彼も戦う。
しかもフレイヤの力添えなんてなくても充分なくらい強い。

なのに、何故雇ったのだろうか。呪われていると言われる自分を。
確かに信じがたいかもしれないが、実際死者は出ている。

そんな命が危なくなるような者をどうして雇ったのだろう。

「わからない…」

息のような声で呟き、ため息をついて一歩踏み出したときだった。

「…!!」

急に気配を感じた。
先程の魔物の気配。
ただし何処にいるのかがわからず、辺りを見回すがその姿は見えない。

「マスター!気を付けて下さい!どこから来るかわかりません!」

不甲斐ない。
唇を噛み締めながら目を閉じ、神経を研ぎ澄ますが詳しい場所はやはり分からない。

「く……っ!!」

「グギュルガァァァ!!」

地面が揺れ、背後で鳴き声がした。
振り向くと、魔物がクロスに爪を降り下ろさんとするところで。
クロスはというと、いきなり地中から現れたため戦う準備などできていない。
このままでは、クロスは死んでしまう。

「マスター!!!!」

不甲斐ない。
最強など嘘じゃないか。
そんなことを考えながら紅い羽根を出現させそこから飛ぶと、クロスを突飛ばした。

クロスに当たる筈だった魔物の爪は、フレイヤの背中を切り裂いた。

「ぐぁ…っ!!」

痛みで意識が飛びそうになるのを我慢して、低く飛んだまま素早く銃を抜いて心臓を撃った。

「フレイヤ!!」

意識が遠退いていく途中、クロスの叫び声と、何かの温かさを感じた。

――……‥‥・・

『噂通りだ。気持ちの悪い紅い髪、得体の知れぬ紅い羽根…』

『異界の化物が化けているのではないか?』

『呪いがある…という噂が立っても仕方がないな』

過去の雇主達の声が聞こえる。

『いいか、俺に決して触れるなよ』

『怪我の処置ぐらい自分でするんだな。もし血に毒があったらどうする』

『何故戦わなければいけない。お前は強いんだろう?お前だけで戦え』

彼らは女としてどころか、人として扱おうともしなかった。

一度も戦おうとしなかった。

そんな者に情が沸く筈もなく、殺すことに躊躇いはなかった。

名目は一族のため。
心では自分のため。

罵ってくる彼らを契約期間中、何度殺したいと思ったことか。

だから、今の主人は不思議なのだ。
触れてきて、侮辱することもなく、共に戦って。

正直、戸惑う。
分からない。
考えていることが。

貴方は…一体何を考えているんですか―――?

――……‥‥・・


雨音が響いて聞こえる。
降られている感覚はない。
重たい瞼を上げると洞窟のような所にいて、寝かせられていた。

「気がつきましたか?」

クロスの声が聞こえて首を巡らせると、優しく笑っている彼がいた。

「起きたてのところ悪いんですが、座れますか?」

差し伸べられた手。
それを借りずに起きようとしたものの、背中の痛みと血を失ったとで力が出ず、結局力を借りて起き、仕舞っていなかった羽根を慌てて片付ける。

「綺麗な羽根ですね」

まただ。
前にも一度髪を撫でながら綺麗だと褒めてきたことがあった。
異端だと言われた、紅い髪を。

「じゃあ服、脱いで下さい」

「!?」

いきなり何を言い出すんだこの人は。

「服着たままじゃ治療ができないでしょう?」

「や…いいです…自分でやるので」

「そんな状態じゃ無理でしょう?それとも僕が脱がしましょうか?」

「!!」

顔が熱い。
冗談ですよと告げるとクロスは背中を向けて座った。
外を向いてくれているため、誰かに見られる心配は少ないだろう。
仕方なくびしょ濡れの服を素早く脱いで、先程まで掛けられていた毛布を手繰り寄せ前を隠してから終わりましたと小さな声で告げた。

「……すみません。女性にこんな傷を負わせてしまって」

「いえ…私がちゃんと気配を感じ取れなかったからです」

「当たり前でしょう?熱があるんですから。気付かなかったんですか?」

熱?
確かに少し身体がだるい気がしていたが、雨が降っているからだろうということで片付けていた。

「…仕方のない人ですね…」

何か布が触れる感覚がする。
雨と血を拭き取ってくれているのだろう。

「…痛っ!!」

「我慢して下さい。化膿すると困るでしょう?」

消毒液が傷に沁みて、思わず声が漏れる。
でも化膿すると困るので、言われた通り我慢する。

さすがに前にも回さなくてはいけないため、包帯は一人でやることはできず、フレイヤと協力して巻いていく。
途中幾度となく手が触れたが、てくに気にした様子もなく、フレイヤがびくつくだけだった。

「これで終わりです…が、羽根の方は大丈夫ですか?」

「……」

「フレイヤ?」

「何故…ですか?」

「?」

「何故…マスターは私を褒めるんです?私に触れるんです?一緒に戦うんです?」

「……」

「第一マスターは私無しでも戦えるじゃないですか。契約期間が終わったら死んでしまうんですよ?なのにどうして私を雇ったんですか?」

「…理由なんてないです。ただ、貴女と旅がしてみたかっただけで」

「…どうして…死ぬんですよ?」

「貴女みたいな綺麗な女性と旅して死ねるなら構いません」

本気なのか、上辺だけの言葉なのかは相変わらず分からない。
でも。

「早く新しい服着ないと熱が上がりますよ?」

「…はい」

でも。
その言葉が本気であればいいと、ふと思った。

――……‥‥・・



月日が過ぎるのは早いもので。
二年なんて時間はあっという間に経ってしまった。

「思えばあの時好きになったのかもね」

湯上がりの、火照った身体。
その背中にうっすら残る、三本の爪痕。

「……それでも私は…私は…」

自身の身体を抱き締める。
治まらない震えを止めようとするように。

「マスターを…消す…」

力なく呟くその声には、迷いがあった。

選んだ宿屋は夜中に魔物が襲ってくると言われている、客の少ない宿屋。
魔物に襲われたと思ってくれるだろうという考えでここを選んだ。

一日の終わりは、刻一刻と迫っていた。






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