忘れ去られた聖地 後編
シチュエーション


痛みはもうなかった。それよりも甘さを伴う慣れない感覚が全身を支配しており、それがたまらなく心地よかった。
自分でもよくわからない体の奥の奥で愛する人を受け入れていることがシャロンの心を満たしている。

「ごめん」

シャロンの肩に額を押しつけていた師が呻くように言う。けれど謝罪の意味がわからず、シャロンは首を傾げた。

「加減の仕方がわからない」

さっきまでの激しさが嘘のように師はしおらしく呟く。その拗ねたような声が愛おしくシャロンは小さく吹き出した。

「どうして笑うの」

師が顔を上げ、拗ねた顔でシャロンを見下ろす。

「だって、先生可愛い」

素直な気持ちを述べたのだが、師は複雑に表情を歪めた。可愛いと言われても嬉しくないらしい。

「僕は真剣に悩んでるのに。君の体を気遣いたい。それなのに、未だかつてないほどの肉欲と渇望が僕にいたわりを忘れさせる。加減が少しも出来ないんだ。
体の傷はいくらでも癒せるけど、痛いとか苦しいとか君に思わせるのが嫌なんだ。だからといって、無理矢理快楽を呼び覚ますのはもっと嫌だし」

ぶつぶつと師は独り言のように語り続ける。
シャロンの体と心を案じてくれているのがひしひしと伝わり、それだけでシャロンは幸せの絶頂へ至る。シャロンの体は確かにまだ喜びを覚えてはいないが、心は幾度となく歓喜の声をあげているのだと師は気づかないのだろうか。

「先生」

シャロンは未だ自身の中に収まったままの師の一部を撫でるように臍の下辺りに手を置き、師に微笑みかけた。

「私、先生に抱いてもらうの好き。まだちょっと苦しいけど、心は気持ちいい。先生が愛してくれてるって思うと泣きたくなるくらい幸せなの」

師は黙ってシャロンを見下ろし、吐息混じりに名を呼んだ。
シャロンの手の下で、萎えていたものが再び熱を帯びていく。

「教え子に手を出すなんて、僕はどうかしていると思ってた。いや、今も思ってる。でも、どうかしているとわかっていても僕は君が欲しくてたまらない。……愛だ。これが愛なんだよ、シャル。ああ、たまらない。君を愛してる」

感極まった様子で師はシャロンに口づけた。そして、動きやすいように彼女の足を肩にはねのけ、先ほど吐き出した白濁を掻き出すように腰を動かし出す。

こうなってしまうと何度も欲を吐き出して疲れきるまでシャロンを離さないのだと経験上知っている彼女は強く打ちつけられる腰に僅かな痛みを覚えながらも喜びに咽ぶ。何事にも淡白な師が熱く求めてくれることが嬉しくてたまらない。
もっと、もっとと慣れないながらも彼女は彼を誘う。ぎこちなく腰を揺らし、甘く掠れた声で師を呼ぶ。欲しくてたまらないのは彼だけではない。シャロンも同じだ。どれだけ与えられても足りない。彼女はいつだって彼に餓えている。

「せんせ……すき、っは、あっ、ン、すき……あッ、せんせぇ」

屹立はシャロンの中を遠慮会釈なく蹂躙し、その荒々しさにシャロンはのけぞって応える。師が気遣いを忘れて、シャロンを貪ることに夢中になればなるほどにシャロンは満たされた。
互いの粘膜が触れ合う粘着質な音とシャロンの喘ぎ、そして師の乱れた呼吸だけが室内を埋め尽くし、それは空が白む頃まで幾度も続いた。


やはり夢見は最悪だ。幸せだった頃の、少なくともそう思っていた頃の記憶はシャロンの心を乱す。かつて愛した人を思い出すことは古傷を抉り塩を擦り込むように痛かった。
まだ夢を見ているかのようにシャロンの体は火照っている。彼女は自身の体を抱き、胸の内から憎しみを呼び戻す。
躊躇わずに彼を殺せるように常に憎悪をまとっていなければならない。愛情は刃を鈍らせるだけだ。
ともに過ごした時間より離れて過ごした時間が長いのにどうして忘れられないのだろう。シャロンは奥歯を噛みしめる。

「シャロン」

かけられた声にはっとして顔を上げる。
扉にもたれたレスターがこんこんと扉を叩く。

「ノックはしたんだぞ、何回も」

シャロンが震える息を吐くとレスターは寝台へと歩み寄り、許可も取らずに腰を下ろした。

「うなされてたな」
「見ていたのですか。悪趣味ですね」
「ずっとじゃないさ。さっききたばかりだからな」

レスターの手がシャロンの頬を撫で、顎を掴んで上向かせる。
視線が絡み、彼はゆっくりと顔を近づける。程なくして唇は重なり、どちらからともなく舌を絡めて口づけを深めた。
レスターに肩を押され、シャロンは寝台へと横たわる。口づけを交わしたままシャロンは彼の上着に手をかけた。


「俺はお前を死なせたくない」

露わになった背に唇を寄せ、レスターは囁く。

「ああっ、く……ふ、ぁッ」

レスターは強く腰を打ちつけ、肩に噛みついた。

「俺にはお前があの人に殺されたがっているように見える」

上体を起こし、突き出した腰を掴んでレスターはシャロンを責めた。

「なあ、シャロン……くっ」

それ以上喋るなと言う代わりに下腹部に力を込めて、シャロンはレスターを締め付ける。思惑は成功して、レスターは会話を止めて行為に集中する。
レスターに抱かれると快感を得れば得るほど虚しさで胸が埋め尽くされる。この行為に愛などなく、お互いに傷を舐めあっているだけだと理解しているからだ。
枕を掴んで顔を埋め、シャロンはレスターの責めから逃れようとする。先に達するのは嫌なのに、レスターは的確にシャロンの感じる部分ばかりを責めてくる。
逃げようとした腰はしっかりと抑え込まれているし、片手が結合部へと滑りシャロンの敏感すぎる部分を指で撫で始めている。
快感ですすり泣きながら、シャロンは悲鳴に近い嬌声を上げる。

「レ、スター……いや、だめっ」
「いきたきゃいけよ」
「いやぁ……あっ、い、いや……ああ、あっ、ああああああッ」

堪えきれずに絶頂を迎え、シャロンの体が強ばる。それでもかまわずにレスターは腰を打ち付ける。レスターを止めようと膣はきつく収縮し、襞がまとわりついてくる。しかしレスターは止まらない。
悲鳴を上げながら、シャロンは強すぎる快感から逃れきれずに小刻みに体を震わせる。
逃れられないように腰をしっかり両手で掴み、レスターは自らが達するまで動くことをやめない。彼が満足してシャロンの尻に白濁を散らす頃には、彼女はぐったりとして寝台に体を投げ出していた。
シャロンは虚ろな目でレスターを見上げた。優しい兄弟子を苛んでいるのは自分の存在だと気づいているのに、離れることが出来ない。いっそ突き放してくれればと思うが、優しい彼が自分を見捨てられないことも知っている。

「レスター」

泣きすぎて掠れた声で彼を呼ぶと低く穏やかな声が答えた。

「ん?なんだ」
「ごめんなさい」

困ったような顔で彼は笑い、シャロンの髪がぐしゃぐしゃになるのもかまわずに頭を撫で回す。

「それと、ありがとう」
「……馬鹿だな。お前みたいな可愛い女を抱けるんだから、こういうのは役得っていうんだ」

レスターはおどけて見せたが、ありがとうとシャロンは重ねて口にした。

情報に従い、追跡部隊は北部へと向かった。転移魔術で《聖地》支部へ、そしてそこから馬車で三日かけて鬱蒼とした森へ移動した。森の中の古びた館にクラウスがいるという。
今までの記録から想像するに、追跡部隊が到着した頃にはもぬけの殻になっている。あるいは姿は見せるが交戦の間もなく逃げられる。あるいは――

「以前北部で発見した時は負傷者多数でほぼ壊滅状態だったそうですね」
「気まぐれな人だからな。毎度結果はあの人の気分次第というところだ」

落とした声でシャロンとレスターは言葉を交わす。

「だが、死人は出てない」

レスターが不快そうに眉を寄せる。

「死なない程度に痛めつけることが可能だということはあの人は追跡部隊全員束ねてもまだ数段高見にいるってことだ。あの時は一度目の追跡だったから面子も今ほど攻撃に特化した奴ら揃えてたわけじゃなかったが」

レスターの話を聞き、シャロンはぎりぎりと奥歯を噛みしめる。
今回の追跡部隊にシャロンがいることに、きっと師は気づいているはずだ。逃げずに向き合ってほしいと願う。

「クラウスは私が必ず捕まえてみせます」

この日のためだけにシャロンは十年を越える歳月を生きてきたのだ。
決意も露わに、シャロンは前方に現れた目的の館をじっと見つめた。



「可愛いシャル。僕の、僕だけのシャル」

別れた時のまま、目の前で師は笑んでいた。

「会いたくて、触れたくて、気も狂わんばかりだったよ。でも怖くて会えなかった」

悲しそうに表情を歪め、片手で掴んでいたものから手を離した。それは力なく床へ倒れ込み、師は一瞥もくれることなくそれから剣を引き抜いた。

「……レスター」

それの腹の辺りからじわじわと血が滲み、それは恐るべき速さで床に血溜まりを作った。
床に横たわるのは追跡部隊の長であり、マスターと呼ばれる高位の魔術師であり、シャロンの二人目の師であり、クラウスの弟子であるレスターだ。

「せんせい」

血の臭いがする。レスターの命の臭いだ。

「ああ、シャル。怖いのかい」
「レスターが、レスターさんが」
「仕方がないよ。僕だって嫉妬くらいする」

体が動かなかった。館へ入ってすぐに体の自由を奪われた。
攻撃は唐突で確実。シャロンの周りにだけ防護壁が張られ、不意をつかれた追跡部隊は雨のように降り注ぐ強烈な攻撃魔術にさらされた。

当然彼らもすぐに防護壁を張り、姿の見えない敵に備えたが彼の魔術には際限がなかった。応戦することすらままならず、気がつけば立っているのはシャロンとレスターの二人だけ。そこでようやく魔術は止まり、変わらぬ姿の師が現れた。
この時もまだシャロンの体は動かなかった。動かない体で二人の師が争うのを眺めていることしかできなかった。
一方的だった。レスターが放つ魔術はことごとく無効化され、クラウスはレスターが無効化できるように加減をして魔術を放つ。クラウスは遊んでいる。それは傍目から見ても明らかだった。
そうして暫くレスターとの小競り合いを楽しみ、クラウスは虚空から剣を取り出してレスターの動きを止めた。
応戦するレスターが動かなくなるまで痛めつけ、クラウスはシャロンへ向き直る。もう体を戒める魔術は解かれたのだと気づいてはいたが、シャロンは動くことができなかった。

「綺麗になったね」

へたり込んだシャロンの前に膝をつき、師は彼女の頬にまるで壊れものに触れるようにそっと触れた。

「先生……レスターさんが、死んじゃいます」

師が余りにも変わらないから、最後に会ったのが昨日のように思える。シャロンは昔のように師の胸にすがりついた。

「大丈夫」
「でも、血が、血がたくさん」

ぐずぐずと鼻を啜る。師は優しく背を撫でてくれた。

「可愛い僕のシャル。形あるものはいつか壊れるし、命あるものはいつか尽きる。死は誰しも等しく訪れるものだ。それを恐れてはいけない」

辺りに転がる追跡部隊は傷を負ってはいるが、治癒に特化した魔術師を呼び寄せれば死ぬことはないだろう。クラウスが彼らを殺さぬように治癒を施しながら痛めつけているからだ。
だが、レスターは違う。あのまま放っておけば出血多量で死ぬかもしれない。

「先生」

レスターの血に濡れた手で師はシャロンに触れる。
涙がとめどなく溢れた。恐らく本当にクラウスは変わっていない。姿形だけでなく、内面もあの頃と変わりない。シャロンへ向けられる愛情もあの頃のままだ。
それを痛いほどに実感し、シャロンは泣いた。

「会えば君を壊してしまいそうだったけど……よかった。僕はまだ君の先生でいられる」

変わってしまったのはシャロンだ。今のシャロンにはもう盲目的にクラウスだけを愛することはできない。
それに気づき、シャロンは泣いた。あの日、連れ去ってくれたなら、きっとずっと師だけを愛していられたのに――

「どうして」

だからこそシャロンは問いかけた。

「私を置いていったのですか」

師は目を閉じ、深く息を吐いて、それから困ったような顔でシャロンを見た。



治癒はあまり得意ではなかった。それでも、シャロンは震える手でレスターにありったけの魔力を注ぐ。

「レスターさん……やだ、死んじゃ嫌です」

独りきりになったシャロンの手を取ってくれたのはレスターで、彼はそれからずっと側にいてくれた。まだ恩返しはできていない。
師は再びどこかへ消えてしまい、シャロンは今度は自分で選んだ。彼についていくのではなく、《聖地》に残ることを選んだのだ。
師が去ってから止まっていたシャロンの時間はようやく動き出したのだ。それを伝えて、優しい兄弟子を安堵させてあげたい。もう心配しなくていいのだと言ってあげたい。

「レスターさん、レスターさん」

大きな傷はすべて塞いだ。足りない血液を補うように魔力を注ぎ込んだ。後は目を開くのを待つことしかできない。
シャロンはレスターの大きな手を両手で包み、祈りながら待った。

「……シャ、ロン」

ぴくりと体が動き、レスターが歪めた顔をシャロンへ向けた。

「あ、レスターさん」

安堵とともに力が抜け、シャロンの頬を涙が伝った。

「シャロン……」

亡霊でも見たような顔でレスターはシャロンを見上げている。そして、暫くしてからシャロンが握っているのとは逆の手でシャロンの頬を伝う涙を拭った。

「行かなかったのか」

辺りに師の姿がないことに気づき、レスターは言う。

「馬鹿だな。こんな機会、最後かもしれなかったのに」

レスターは辛そうに眉を寄せたまま、何度もシャロンの頬を撫でる。

「あの人はお前を待ってたんだよ。追いかけてきて欲しかったんだ」

シャロンはレスターの言葉を黙って聞きながら曖昧に笑んだ。

「ずっと怖がってた。お前が愛おしくて、愛おしすぎて壊してしまいそうだって。だから逃げた。逃げたくせに、それでも、待ってたんだよ。シャロン、お前を待ってたんだ」

シャロンは力なく首を横に振る。

「レスターさん」

それでもレスターは何かを言いかけ、けれどそれ以上は何も言わずに口を閉じた。

「眠って下さい。まもなく医療班が到着します」

独り言のような呟きに頷き、レスターはゆっくり目を閉じた。

一年の四分の一を雪とともに過ごす北部でも可憐に花は咲き誇る。庭園の花壇を眺め、中央では見ない種の薔薇をシャロンは愛でた。

「シャロン」

だらしなさを感じる一歩手前まで制服を着崩したレスターがシャロンの傍らに立つ。
《聖地》支部にて治癒を受け、追跡部隊員たちは翌日には本部帰還が可能なまでに回復した。レスターも自由に歩き回れるほどに回復している。

「その、なんだ」

言いにくそうに口ごもり、がりがりと頭を掻く。そんなレスターを見上げ、シャロンは楽しそうに笑った。

「私になにか、レスター?」

少しばかりの逡巡の後、レスターはシャロンの右手をとった。そして、人差し指の付け根に輝く金と碧の光を見つめる。

「これ、取れんだろ」
「はい。取れません」
「……なんでそんなに嬉しそうなんだ」
「私、決めたんです。今の私では並んで歩けないから、だからまだ駄目なんです。先生が怖がらずにいられるくらい強くなったらそうしたら隣に行こうって」

愛おしそうに指輪を撫でるシャロンを見下ろし、レスターは深々と嘆息する。

「並べるくらいとなるといつになるかわからんぞ」
「でも、いいんです。先生は私がおばあちゃんになっても待っていて下さるってわかったから」

レスターの手が頬に触れ、ついで唇が軽く触れる。

「……わかってたけど、前途多難だな」

不意の口づけに瞬きを繰り返すシャロンを見てレスターは苦笑する。

「レスター?」
「なんでもない。こっちの話だ」

ぐしゃぐしゃと柔らかな髪をかき回すように頭を撫でられ、シャロンは不思議と好ましい感触をなぞるよう唇に指で触れた。
髪の影で指輪がきらりと煌めいた気がした。






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