caleidoscopio(非エロ)
シチュエーション


俺の右に出るヤツは誰もいないから、俺はお前をいつでも奪える。

***

「ふざけんなよ!」

芦原警察署刑事課の取り調べ室から怒声が飛んだ。
課員の皆が何事かと、ドアに目線を向けた。
あの敏腕刑事で知られる須崎亮警部補が珍しく憤慨していた。
カンカン状態での説教を窺い知ることは出来ない。

「須崎提督がキレた…」

上里が青ざめながら、フルフェイスヘルメットを被る。
元来、彼はヒステリッカーが嫌いで、悲鳴があれば、愛用のヘルメットをかぶる。
しかしこのヘルメット、自作の阪神タイガース仕様とは、手が凝っている。

「警部補、どこか調子悪いからなぁ…イラつくのも無理無いって」

次に喋ったのは中橋。
彼はサプリメントケースに新しいビタミン剤を収めながら、ケラケラ笑う。
食事には気を使うものの、やはりどこかで不摂生になる。

「ああ、上のミスで給料が来なかったからか?」

その直ぐ後に、下山田が市販の点鼻薬を鼻に打ち、天上を仰ぐ。。

「後少しで‥娘がぁ…ユウミが待っている…だが、もう少し待て。待つんだ…下山田ぁ」

急いでティッシュを何枚か抜き取り、口許に当てた。
薬が変な箇所にまわったのだろう。
上里が心配そうな視線を寄越してから、中橋が首をかしげる。
謎が二点ある。
一つは下山田の点鼻薬にある妙な汚れ。
もう一つは、警部補の苛立ち…………前者は気にしないとして。

「いや…情報屋が事件予備軍の匂いを掴まないからじゃないか?しかし、誰に説教を…」

三人の課員がヒソヒソと噂するが、通りすがりの庵原が水を差す。

「…さっき、取り調べ室に遠野を呼びましたよ?」
「「「うえぇ!?トーコ!?」」」
「なんでも、事件だとか」
「「「え?事件…!」」」

窓を背に座る、西ノ宮課長がのほほんとお茶のおかわりを宣言する。
しかし、東山のばあさんは華麗にお盆を投げた。
お盆は課長の喉に衝突し、課長の身体は宙に返る。

「自分でやっとくれ」

ばあさんは後片付けをせずに、帰って行った。
課長がひっくり返った隙に、庵原は鍵の保管庫を調べた。

「んー…」

取り調べ室の鍵がない。
直ぐ隣にも部屋があるのだが、その鍵もない。
マスターキーもない。

「…変態上司め…」

舌打ちし、庵原はキャスターにライターで着火する。

隔離部屋には、須崎以外に、ぺたりと尻餅をついた女性がいる。
急な呼び出しを食らったのは、芦原警察署刑事課所属の遠野 千春巡査。
彼女はガクガクと震えながら、涙を堪える。
須崎はポータブルDVDプレーヤーを机に置き、遠野に座れと命じる。
再生ボタンを押すと、穴からリビングを覗いたような映像に変わった。
それこそ、ダブルオーセブンのオープニングに登場する穴に似ている。

「これ……私の…家…」

一時停止を押すと、画面の右端に3Dの画びょうが止まる。

「お前の顔を知っているヨソの署の知り合いがな、俺に貸してくれたよ」

ぐるりと遠野の背後を周り、肩を抱く。
遠野がぴくりと反応する。
須崎は彼女の耳にかかる髪をかき上げて囁く。

「【あんたの部下がホシのオカズにされた】ってな」
「お…おか、ず…?…‥」

かたかたと小さく震える彼女は不安そうに上司を、相方をやや上目遣いで見る。

「遠野のプライベートを覗いて、喜ぶ…そんなやつが世の中にいるんだ。おまけに遠野の家に忍び込むとは、手癖が悪すぎる」

それにと、須崎は一本のシガレットをくわえる。

「‥う…そ……」
「刑事が盗撮されちゃ…問題だな」
「------え?」
「ちょっと考えてみろよ。裁判の資料に提出されて、裁判官のジイさんや検察や弁護士や、傍聴人にも見られる」

すうっと、脳内が冷える。
もし、この出来事を検察官の兄や海上自衛隊所属の父、中学教師の母に、芦原署の皆に知れてしまったら…。
課長になんて謝ればいいだろう。
他の課員は呆れるかもしれない。
色眼鏡で遠野を視る人間も現れるだろう。
彼女を煙たがる庵原は馬鹿にして、ネチネチと小言を云うに違いない。
いつ誰が嗅ぎ付けるか、恐ろしくて考えもつかない。
それに、もっと公になってしまったら…須崎警部補と捜査が出来ない。

憧れであり、目標。
大学での説明会で会ったあの日から、須崎の背中を追いかけてきた。
その背中を、その名を知ったから、ここにいる。
所轄を転々としていた須崎の異動を心待にしていた。
直ぐ後に、朗報が飛込む。
須崎の芦原署刑事課異動。
それから、遠野は須崎の相方になった。
全てが現実だということを、新しい相方と握手をして気が付いた。
絶対に、足手まといにはならない。
戒律を守れないなら…辞めてしまえばいい。
ずっと、守り続けていた約束。
けれど、降りる気はない。
降りたら、降りたで後悔する。
下がるのも、戻るのも、降りるのも、出来ない。
憧れや目標以外に、もう一つの何かを知ってしまったから。
尊敬じゃない、何かを。

遠野は顔色を真っ青にし、須崎の腕を掴んだ。

「警部補っ…あたし‥もう覗かれるの嫌です」
「…………遠野…」
「だから……犯人を殴らせてください。事情聴取は私がやります!」

泣きそうな瞳は訴える。
やられて嫌な事はしない、させない。

「勝手に覗いて、いい気になっている馬鹿に…お灸をすえてやりたいねぇ」

この女刑事は盗撮犯をボコボコにする気だ、須崎は手で制し、プレイヤーを片付ける。

「犯人はヨソが捕獲した。そいつに強烈な一発をお見舞いしてやれ。ビデオカメラ回収はその後でな」

ちょっと失礼と、須崎が断りを入れると、遠野の身体は宙に浮く。
すぐ下に落ちるが、須崎の手に落ちる。

「ひやっ!…って、でええ!!?」
「つかまっていろよ!」

ばんっと、取り調べ室を飛び出す。
庵原は取り調べ室のドアが壁に衝突する衝突音で、ギロリと二人を睨む。

「「「けーぶほおおおお!」」」
「ちょっと行ってきまーす」

鍵を西ノ宮課長に投げる。

「いってらっしゃーい」

上・中・下の苗字を持つ、三人組は口を通常より三十センチ大きく開ける。

「下山田、中橋………見た?」
「ばっちりと」
「横抱きにして、かっさらったな」

二人が飛び出した刑事課は煙草臭さが一層強まった。

「…………………警部補…コロス」
「「「!!!」」」

庵原の不機嫌さは刑事課のドアを超え、よその部署に影響を及ぼしたとか、しなかったとか。

ばんっ。

「あがっ!」

西ノ宮課長がまたお盆の餌食になった頃、泣きべその女刑事が盗撮犯をグーで思いっきり殴ったのだ。

「…っ…刑務所で頭を冷やしてくださいっ!」

彼女は犯人を預かる署の刑事たちに頭を下げ、一足先に署を飛び出した。
事情聴取は終了し、残るは盗撮器具の回収となる。
犯人は宅配業者で、郵便受けの裏に張り付けていた鍵を得て、仕掛けたと供述した。
現場マンションの集合ポストは外部の人間でも開けることが出来るタイプで、郵便物を盗むには可能だ。
遠野は鍵の紛失を恐れたのだろう。
ポストの裏に鍵をしまっていたと判明した。
マンションはセキュリティが充実している物件に限る。
須崎は相方が角を曲がっても、向こうを見つめていた。

「…俺も行くわ。ディスク、ありがとう」
「ああ…そいつの処分はお前に任せるよ」

須崎は同期の水原に片手を上げ、もう片方の手を上着のポケットに突っ込んだ。

「…ああ……そうだ」

さも今思い出しましたと須崎は水原の肩を叩く。

「……一発、俺にも殴らせてくれねえか?」

にっこりと須崎は笑うが、水原は寒気を感じた。

「…………あえ?」

気のせいだ。

「………?」

須崎の背後に取り巻く黒い霧も───気のせいだ。

「ごぶぁっ!」

同時刻。
また、西ノ宮課長がお盆と衝突した。

───今すぐ、水原の記憶の一部が消えますように。
須崎は心の中で祈ってから、部下が待つ車内に合流しなければ。
行先は彼女の自宅。
その場所でじっと彼女を監視していたブツとご対面が待っている。
───躯のセンターやや下が疼くのは秘密だな。
あのディスクで予習するんじゃあなかったと、言ったら嘘になる。

須崎は芦原署刑事課の西ノ宮課長に、この後の予定と直帰を伝えた。

「須崎君、現場検証って‥庵原君の目線が…痛いんだけど‥」
「すんません、課長。俺には出来ません」

その瞬間、庵原のキャスターは灰皿で山になった。
従兄妹の遠野 千春に密やかな好意を寄せている庵原は、須崎を呪わんばかりに、キャスターを延々と吸う。
その遠野本人は何も知らずに、覆面パトの車内で待っていた。

「俺には、遠野にキョウイクをしなきゃならないと思います。また、このような事件が起こるとは限らないですから」
「キョウイクね………うん、いいよ。行ってらっしゃい」

すみません、課長。
上里・中橋・下山田の上中下コンビには申し訳無い。
刑事課の皆、庵原を止めてくれ。

───これも遠野の狂育のためだ、狂育!






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