怪我人と看護師(非エロ)
シチュエーション


こんにちは。ニーナです。
今日は田舎も田舎の超ど田舎の、町と呼ぶのもはばかられるごくごく小さくて質素な町に来ています。
道も舗装されていないし、お洒落なブティックなんかも当然見当たりません。
だけど私は大丈夫。
なにを隠そう、私は超エリートな看護師なので、お洒落にもお化粧にも全く興味が無いからです。
嘘です。嘘をつきました。
興味はあるけど手を出す勇気が無いだけです。
だって今更お化粧なんかしたところで、同僚に「あらニーナ、あなたって女装癖があったのね」なんていわれるだけなのは目に見えているからです。
もう何もかも諦めました。私は仕事に生きるのです。
車が上下にガタガタと揺れます。
資料の地図が正しければ、私の目的地は川沿いの水車小屋に隣接するレンガ造りの二階建て。
大変な怪我をして体が不自由な友人がいるので、住み込みでその人の面倒を見てくれと言うご依頼です。
男の人の家で住み込みなんて嫌でしたが、私の一月の給料を軽く越える特別手当に目がくらんで引き受けてしまいました。
まぁ、大変な怪我をしているなら襲われる心配もないでしょう。
なにより私は体は小さいけど力は凄いと同僚からも評判で、私の倍の体格の男性くらいだったら軽々と持ち上げられる力持ちです。
それにしても、田舎町の町外れには本当に何もありません。
果たして私が来るまでの間、その大怪我をした男性はどうやって暮らしていたのでしょう。
きっとこの依頼をしてきた男性が、苦しむ友人のお世話をしていたに違いありません。なんと美しい友情でしょう。私は愛とか勇気とか希望とか友情とか、そういった鳥肌もののお話が大好きです。

そんな妄想に一人浸っていると、ようやくレンガ造りの家が見えてきました。
あれは果たして家なんでしょうか?私にはただの廃墟に見えます。
っていうか、屋根に盛大に大穴が開いています。これでは大変な雨漏りです。漏るというより、雨が普通に吹き込んでくるんじゃないでしょうか。住人の神経を疑います。
ひょっとしたらとんでもない貧乏人で、食べる物にも困る暮らしをしているんじゃないでしょうか。
だとすると、この依頼の特別手当は何処から出ているんでしょう。依頼を持ってきたご友人でしょうか。
まぁ、私は私の口座にお給金さえ入っていればそれで満足なので、お金の出所については詮索しない事にしましょう。
私は車から軽やかに降り立つと、とてつもなく陰鬱な空気を発散している廃墟のドアの前に立ちました。
呼び鈴は何処でしょう。
見当たりません。表札もありません。本当に誰か住んでいるのか疑問になります。私は何か間違えたんでしょうか?
しまった、ここは田舎町です。呼び鈴なんてハイテクな物があるなんて、都会的な私の思い込みです。
きっとこの町ではノックが主流なのでしょう。私は早速、ガッチリとした扉を拳でどんどんと叩きました。
驚きました。扉は鉄です。って言うか電子ロックです。物凄く近代的です。そのくせ窓は壊れて開いています。本当に防犯する気あるんでしょうか。
っていうか電子ロックの前に呼び鈴を付けやがれと思います。私は非常に腹立たしく思います。
腹立たしく思った瞬間、家の中で物凄い音がしました。何かがひっくり返ったような、そんな音です。
私の怒りが天罰を与えてくれたのでしょうか。
やっぱり神様は存在します。

そして、扉は開かれました。
しかし何も見えません。あぁ、見えていました。これは男性の胸部でしょうか。見事に発達
していますが、同じく見事に痣だらけでひどい有様です。しかも裸体です。

「なんだ、おまえ」

上から声が降ってきました。
それもかなり上の方からです。
思わず見上げて、私は呆然となりました。
あり得ません。育ちすぎです。大きすぎます。二メートル超えてませんかこの人。

「で……でっかい……」

思わず声に出てしまいました。
第一印象はでっかい、第二印象派頭悪そう。今のところいい印象は一つもありません。あ、
気付きました。今気付きました。巨大な絆創膏や前髪が鬱陶しくて分かりにくいですが、結構
な色男です。たぶん私よりもきれいです。
男の人は真っ直ぐに私を見下ろしています。
怪我人だと聞いていましたが、それほど深刻な怪我ではなさそうです。
安心なような、残念なような、これでは私の腕の見せ所がありません。
しかし、どうして私を見ているのでしょう。一目惚れ?いえいえ、そんなはずありません。あぁ、分かりました。私がいつまでも質問に答えないからに違いありません。

「あ、本日からお世話になります、ジョージア医療介護サービスの者です。こちらはフランシ
ス様のお宅で間違いございませんでしょうか?」
「いらん。帰れ」

ばたん。

扉が閉まります。

なんでしょうこの展開。門前払いの典型例みたいなことになってます。
私は慌てて扉に取り付き、再びガンガンと扉を叩きました。ついでにドアノブもがちゃがち
ゃやりますが、全く開く気配がありません。

「あのー!フランシスさん!せめてお怪我の具合だけでお確認させていただけませんか!
ご友人の方からのご依頼で、決して怪しい者ではないんですー!フランシスさーん!」

再びドアが開く気配を感じ、私はぱっとドアから離れました。
すると、中から物凄く嫌そうな顔をしたフランシスさんが出てきます。

「……友人?」
「はい。えぇと、ご近所のパン屋さんのウィルトス様です。ご存知ですか?」
「……待て、確認する」

ばたん、と、また乱暴にドアが閉じられます。
とてつもなく失礼な方です。っていうか、全然大怪我じゃありません。だったら普通の家政
婦を雇った方が遥かに安上がりのはずです。
私がいらいらしながら待っていると、また、中でひっくり返る音が聞こえました。
背が高いとバランスも悪いんでしょうか。
それとも身長は無関係で単に彼のバランスが悪いだけなんでしょうか。

三度目にドアが開かれた時、今度こそそこに人はいませんでした。
おや、と思うと、足元に気配があります。見下ろすと、フランシスさんがうつ伏せに倒れて
いました。
ここまで這ってきたような様相です。

「あの……フランシスさん?」
「添木が折れた……立てん」

なんの事でしょう、と失礼ながらひょいとフランシスさんをまたぎ越し、私はぐったりと伸
びたその脚に手を触れました。
確かに、ズボンの中に添え木があるようです。そして、確かにそれは折れていました。転倒
した弾みに折れたのでしょうか。これはなんとも一大事です。

「ズボンを破かせてもらいますよ」
「だめだ」

無視してズボンを破きます。
私は思わず絶叫しそうになりました。
膝が紫色に変色し、大きく晴れ上がっています。っていうか見るからに折れています、完全
に折れています。しかし鮮やかな折れ方をしています。人為的に誰かに折られた物でしょうか。
危険なお仕事の香りがしますが、私は怪我人には分け隔てなく接する潔癖な看護師です。

早速持ち前の剛力を発揮して、フランシスさんを担ぎ上げます。
そこで気付きました。あり得ません。肋骨が折れてます。右腕も折れてます。左腕にはなに
やら大仰に包帯が巻かれています。
私の看護師魂が激しく燃え上がりました。
この人はなんとしても、私が完治させて差し上げます。

「ベッドルームはどこですか」
「最近の看護師は力があるんだな……」

ぼんやりと呟くフランシスさんの指し示す先に、その巨体をのしのしと運びます。
やけにきちんの整っているベッドに根転がし、腰に下げた作業バックから取り出したマイ裁
ちばさみでフランシスさんのお洋服を容赦なく切り裂きます。
よく見れば随分な高級品ですが、治療の前では衣服などただの邪魔者に過ぎません。
見れば見る程大怪我でした。なんでこれで動き回れるのか疑問です。
一体何があったのか聞きたくなる所ですが、余計な質問はしないのが我がジョージア医療介
護サービスのモットーです。
私は看護師として機械的に、かつサービス精神旺盛に患者さんの完治に勤めればいいのです。
私の迅速勝つ華麗なる治療テクニックに身を任せながら、フランシスさんはぼんやりと天井
を眺めながらなにか考え込んでいるようでした。
何をしても痛がらない患者と言うのは初めてですが、やりやすくて非常に優秀な患者さんだ
と思います。
世の中の患者さんがみんなこうだといいのにと切に思わずにはいられません。
そして手当てがすっかり終わり、私がばたばたと治療セットを片付けていると、ようやく私
の存在を思い出したようにフランシスさんが私を見ました。

「……使えるな、看護師」

そのたった一言に、私の自尊心はこの上ない満足を覚えました。
そうです、私は有能で使える看護師なのです。

「あの、ところで私、ニーナって名前なんですが……」
「知らん。寝る」
「はぁ、おやすみなさい……」
「お前もだ。添い寝しろ」

当たり前のように言ってきます。
なんでしょうかこの男。激しい怒りを覚えます。

「では、電話で娼婦を呼んで起きます。骨折を悪化させたくなかったら、ことをいたす時は控
えめにおねがいしますね」
「何の話だ。俺はおまえに言ってるんだ。小さくて抱き心地が良さそうだ。きっとよく寝られる」
「申し訳ありませんが、当社ではそういったサービスは行っておりません」
「来い」
「嫌です」

格好良く言い捨てて、私はひらりと横暴な好色男に背を向けました。
その途端、背後で起き上がる音が聞こえます。

まさかと思い振り返ると、やはり彼は立ち上がっていました。しかも足をしっかりと床に付
けて仁王立ちしています。
そして一歩足を踏み出すなり、がくん、とバランスを崩して盛大にその場に転倒しました。
私が来た時に家の中から聞こえていたのは、彼が折れた足で歩こうとして失敗している音だったのです。

「な――何やってるんですかあなた!折れてるんですよ足!膝!なんでわざわざ治りが
遅くなるような事してるんですか!」
「歩けるから歩く。それだけだ」
「歩いちゃいけないんですよ!歩けちゃいけないんですよ!」
「何故だ」
「治りたくないんですか!?」
「歩かなければ何も出来ん」

一人暮らしの男性です、確かに歩かなければ何も出来ないのは確かです。

「ご……ご友人の方がいらっしゃったりはしなかったんですか?」
「友人はいない」
「そんな!だって私をここによこしたのはパン屋の――」
「あれは友人なんかじゃない。もっと汚いものだ。失礼な」

友人よりも汚い関係ってなんでしょう。
それにしても、どうして友人でもない存在のために大金を支払って看護師をあてがったりす
るのでしょう。パン屋さんってそんなにお金持ちなものなんでしょうか。
なんだか疑問ばかりです。

「と、とにかく。これからは私がお側にいますから、なにか欲しい物とか、したい事あったら
言ってください。おトイレもしばらくは尿瓶です」

言いながら、私は再びフランシスさんをベッドに寝かせてあげました。
するとなんと、フランシスさんは立ち去ろうとする私の手をガッチリと掴んだのです。

「添い寝しろ」
「まだ言いますか!」
「でなければ歩く」

これは脅し文句のつもりなのでしょうか。
こんな時のための拘束具ですが、私の本能がこいつには何をやっても無駄だと告げています。
ベッドを引きずって歩きそうな気がします。さすがにそこまではしないでしょうが、何故か
絶対に大丈夫と言う確信が持てません。

物凄く悩んでから、私か仕方なくこの要求を受け入れる事にしました。
あの足で動き回られたら、私ははらはらしすぎてきっと胃潰瘍になるに違いありません。

「……変な事したら、睡眠薬血管にぶち込みますからね」
「変な事ってなんだ」
「胸を揉んだりお尻を触ったりです」
「どちらもないように見える」
「血管に十リットルの酸素ぶち込みますよ」
「そんなに入るのか」
「物の例えです」

例えか、とフランシスさんが繰り返し、なにやら考え込むように目を閉じました。

「よし、わかった」
「わかりましたか」
「だから来い。眠いんだ」

ぐいぐいと腕を引っ張られ、私はフランシスさんの腕の骨折を気にしながら仕方なくベッド
に横たわりました。

ジョージア医療介護サービスは、患者さんの完治のためなら多少無理な注文は聞き入れる事
が多いのです。

折れた腕で人形のようにぎゅうっと抱きしめられ、私は内心慌てました。
こんな風に男性と密着したのは恐らく父親以来です。
ときめいて恋に落ちたりしたらどうしましょう。

「……おまえ、ひょっとして女か」
「――はい?」
「男だと思っていた……やわらかいな、おまえ」

怒りに任せて眠たげな横っ面をひっぱたきます。
ばちん、といい音がしましたが、フランシスさんは特に痛がる様子もなく、動けないように
更にガッチリと私の体を抱きこみました。
腕に力を入れすぎです。これでは明らかに骨に悪影響です。

「フランシスさん!腕に圧力をかけちゃだめです。腕は胸の上に置いて動かさないでくださ
い。固定しますよ」

すぅ、と気持ち良さそうな寝息が聞こえました。
信じられません。もう寝てます。とても人間とは思えません。
しかも、がっちりと私を抱きこんでいる腕は一向に外れません。
仕方ないので、私はその腕の中で必死になって身じろぎし、なるべく骨折部に負担がかから
ない位置を見つけて落ち着きました。
こんな時、小さな体は便利だと思います。
それにしてもこの大怪我、フランシスさんの動きたがりの気性を考えると、完治には随分と
かかってしまいそうです。
そんな事を思いながら、私はいつしかうとうととし始めていました。
とても信じられない事ですが、フランシスさんの腕の中は暖かく、寝心地は抜群です。
寝てしまっていいでしょうか。
この際寝てしまいましょう。
こうして、私はこの家の期間限定の同居人となったのです。






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