吸血鬼の恋
シチュエーション


ラーラの「夜」は早い。

夜を統べる吸血鬼の僕として、昼間は休み夜に活動する彼女は、沈みかけの太陽が空を赤く染める頃から起き出して、主人のためにパンの生地をこねる。
死の淵に瀕していたところをひとりの吸血鬼によって助けられ、この屋敷で彼の僕として過ごすようになってから早半年。
日に二度の食事の支度をはじめ、この屋敷での家事全般を任されたラーラの、これが日課になっていた。
西日が差す厨房で手早くパン生地をまとめあげると、布巾をかけてしばらく寝かせる。そしてその間に、時間をかけて目覚めのお茶の支度をするのだ。
ラーラの主人が好む茶葉は、時間をかけて抽出しないと独特の風味が出ない上に、彼は猫舌だ。
主人が起きてくるまでにはまだ時間があったが、この半年で積み重ねた経験で、お茶の支度はこのタイミングがベストだとラーラは知ったのだった。
薬缶に水を入れ火にかけようとし、そういえば昨日で茶葉を使いきったことを思い出す。
地下室まで取りにいかなくては。ラーラは、水を入れた薬缶をひとまず調理台に置くと厨房の入り口のほうを振り向いた。

「……っ?!」
「お早う、ラーラ」

と、その入り口に身体をもたせかけた主人に気づき、思わず声にならない悲鳴をあげた。
いつからそこにいたのやら、この屋敷の主人であるセルヴィムは、ゆったりとしたローブ一枚という起き抜けの姿のままでこちらを見つめていた。

「…そんなに驚くこともなかろう。悪かったよ」

胸元を押さえて立ち尽くすラーラを宥めるかのように笑みを浮かべながら、セルヴィムが厨房へと足を踏み入れる。
窓から差し込む西日に目を細めつつあくびをするところからしても、やはりまだ起きたばかりなのだろう。いつもは凛々しげな目元も、心なしか潤んで眠たげだ。

「…ごめんなさい。…主さま、今日はお早いので、驚いたです」
「いやな、単に目が冴えてしまっただけだ。茶を煎れてくれ」
「はい。今…葉、取りいきます。地下室」

手近にあった椅子に腰を下ろしたセルヴィムに一礼し、ラーラは厨房を出ると地下室へと駆け降りた。
早く主人にお茶を飲んで欲しい一心で、廊下に響く足音もいつもより早いものになる。
そうして茶葉の包みを胸に戻ると、セルヴィムは薬缶を火にかけてその前で新聞を読んでいた。ラーラの足音を耳にしたのだろう、視線は下に向けたままで「急がなくともいいぞ」と彼女に優しく告げる。
それでもラーラは手早く道具を整えると、金の匙で茶葉をすくってポットに入れ、セルヴィムの起こした火のおかげであっという間に沸いたお湯を注いだ。
薬缶がたてる微かな蒸気の音と共に、柔らかな香りが厨房に満ちる。
いい香りだ、と呟くセルヴィムの傍らで、ラーラはお湯の量や茶葉の開き具合を慎重に確かめ、問題ないことを確認すると、パン生地の様子を見に行った。
寝かせておいた生地は案の定膨らみ具合が丁度良い頃合いだったので、セルヴィムに一言断ってからパンの成形に入った。
今日は急いでいることもあって、丸くまとめるだけのシンプルな形にする。いくつかに分けられた生地を天板に並べ、温めておいたオーブンに入れた。

そこまで終わらせてからようやく一息ついたラーラを、セルヴィムは新聞を読む傍ら興味深そうに眺めていたが、何かに気付いた様子でちょいちょいと手招きをした。

「はい」
「お前はずいぶん楽しそうに料理をするのだな。あやつとは大違いだ…ほら、夢中になりすぎて粉がついている」

手をのばしてラーラの頬についた粉を拭ってやりながら、そんな感想を漏らす。
その言葉に、ラーラは白い睫毛を瞬かせてセルヴィムの顔を見返した。しばし考えてから、つたない言葉で返事をする。

「料理、心こめるとおいしくできます。おいしくできると、主さま喜ぶです。ラーラ嬉しい、パンも、嬉しい」

赤い瞳をきらきらと輝かせて、満面の笑みと共にそんなことを言うラーラは、身内の贔屓目を差し引いても実に可愛らしかった。

「……」

ラーラの頬に手を添えたまま、セルヴィムは口をつぐんで彼女を見つめる。
その手が白い頬を、とくとくと脈を打つうなじをなぞり、ふわふわとした前髪を梳き――

「あ!」

後頭部に手をかけ、その唇を捕まえようとしたところで、お茶の時間を思い出したらしいラーラがくるりと身を翻した。
その拍子に、後頭部でひとつにまとめた髪が石鹸の残り香と共にセルヴィムの指先をかすめていく。

「主さま。お茶できます」
「……」

(…こいつは…)

ラーラはセルヴィムに背を向け、お茶をカップに注いでいる。セルヴィムはしばしその後姿を見つめていたが、読みかけの新聞を脇に置くと椅子から立ち上がった。
今度は意識的に気配を殺さずに近寄り、後ろからラーラを抱きしめる。

「…主さま?」
「ラーラは俺よりも茶のほうが気になるらしい」

からかうように言って、むき出しの首筋に口づける。
彼女が身にまとう衣服は典型的な貴族仕えのメードのものだが、その襟元が大きく開いているのは、ひとえに彼女が仕える主人の「食事」のためだ。

「ん…っ、主さま、怒る…?」
「…いや。怒ってはいないが、茶に負けたとなると悔しくはあるな」
「…ごめん、なさい」
「すまなく思うのなら、少しじっとしていろ?」

ラーラは血を吸われるのかと思ったようだが、血液は昨日貰ったばかりだ。
なので牙を突き刺すことはせず、柔らかい肌を吸い上げ、戯れに甘噛みする。ゆるゆると与えられる刺激に、ラーラが時折喉を鳴らした。

「主…さま」
「ん?」

唇は未だ首筋に埋めつつ、空いている両手で尻から腿にかけてゆっくりと撫で回す。
さすがにここまで来るとセルヴィムのしたいことがわかってきたらしく、ラーラがセルヴィムの腕の中で咎めるような声を出した。

「…主さま、はしたない」

セルヴィムは可愛らしいお叱りにくすりと笑みを漏らしつつも、彼女の身体に這わす手を止めようとはしない。
思えばこの屋敷に来た頃は、このように寝台以外の場所で事に及ぼうとすると、ラーラは咎めるどころか自ら服を脱ぎだしてセルヴィムをびっくりさせたものだった。
それは以前奴隷として飼われていた屋敷での経験から来るものらしい。
聞くところによると、横暴な主人は昼夜どころか場所も、時には人目すらも厭わずにラーラの身体を好き放題にしたという。
彼女はそのような非道の人間によって処女を散らされ、あまつさえ満足な言葉まで奪われた。
しかしそんな環境に慣れてしまっていたラーラは、求められれば即座に、男の手を煩わせることなく応じなければいけないと思っていたらしい。

(…まったく。情緒もへったくれもあったものではない)

そのほかにも色々常人とずれた価値観を持っていたラーラに、新しい主人であるセルヴィムは執事とふたりがかりで、どうにか世間一般でいう「常識」というものを教え込んだのだった。

「ベッドでないところでするは、はしたないです。カルズスさま言った」

その甲斐あってまともに文句のひとつも言うようにはなったが、この状況で他の男の名前を出すようではまだまだである。
セルヴィムはそんなラーラの顎に手を添えて顔を巡らせると、不満げに引き結ばれた唇を塞いだ。
軽く幾度か吸い上げてやれば、力を失って緩み出す。開いた隙間から舌を差し入れてやると、ラーラは教えられた通りに己のそれを絡ませてきた。

「…寝台以外の場所、だろうと……ラーラが嫌でなければ…いい、んだ」

深い口づけの合間に、そんな詭弁でもって言い含めてやる。

「ん…ふ、ぁ…」
「それとも…嫌か?」

我ながら小賢しい質問だ。
自らの腕の中で執事の名前を出されたことに意外なほどの不快感を覚えていたセルヴィムは、己の幼稚さに呆れながらもラーラに問いかけた。

「…嫌ないです。主さま、お優しいから」

そう問いかければ、ラーラが笑顔と共にこう答えるのは、わかりきっていたことなのだから。

「……」

(まあ、よしとしよう)

限りなく誘導尋問に近い形だったとしても、了承は取ったのだ。
セルヴィムは床上手と評される吸血鬼のプライドにかけて俄然やる気を出すと、エプロンとワンピースの間に手を差し入れた。

布をまさぐってワンピースの釦を手探りで外し、エプロンはそのままに胸元を割り開く。
コルセットを嫌うセルヴィムの命で、ラーラは下半身にしか下着をつけていない。
エプロンの下でむき出しになった乳房を、セルヴィムは確かめるようにゆっくりと撫で回した。

「ふむ…だいぶ肉がついたな」

小振りだが柔らかく確かな感触に、セルヴィムは満足そうに呟く。
拾った時にはがりがりで色気の欠片もなかったのを、童話の人食い鳥よろしく毎日たらふく食べさせてここまで育てたのだ。
まだいささか貧相ではあるが、ようやく年頃の娘らしくなってきた膨らみをゆるゆると刺激すると、ラーラが甘い声をあげた。

「あ…っ…」
「気持ちいいのか?」

耳元で息を吹き込むように囁くと、ラーラは身体をびくりと震わせてからこくこくと首を振った。
その反応に満足したセルヴィムは、耳たぶを食みながらぷっくりと膨れた先端をつまみ、指の腹で転がすように刺激してやった。

「ふぁ…あ…っ」

成長途上で敏感になっているそこを弄ばれ、ラーラはいやいやをするように身悶えた。

「…まだ少し小さいな。早く大きくなれ」
「ん…っ…は、い…」

手のひらで円を描くように転がされたり、指の間に挟んで震わせられたり。果ては大きな手で乳房全体を掴まれ、こねくり回されたり。
次々と変わる手指の動きに朦朧としつつも、ラーラは懸命に返事をした。
セルヴィムはその答えに満足したように喉を鳴らすと、片手でワンピースの裾をたくし上げ、我慢できないとばかりに蠢いていた腰をなで上げた。

「あっ…主、さまぁ…」

腿の内側から脚の付け根に指を滑らせると、案の定そこは下履きの上からもわかるほどに熱く湿っていた。

「いい反応だ」
「…ぁ…あっ!」

布越しに指先を押し付けると、ラーラは小さな叫びと共に身体を震わせた。
その拍子に、彼女がすがりついていたテーブルの上でティーカップが硬質な音を立てた。

「あ…」

はっと我に返ったように、ラーラが顔を上げる。
その視線がカップを捉える前に、セルヴィムは彼女を抱き上げるとテーブルと反対側の調理台に座らせ、そのまま押し倒した。

「主さま、カップ…」
「いい。気にするな」

奥行きが足りずにずり落ちそうになる下半身を、脚の間に身体を入れて支える。
布越しだとはいえ互いの秘部が触れ合う余りにもあからさまな体勢に、仕事熱心なラーラもぱっと頬を染めてセルヴィムを見上げた。

「今は…俺のことだけ考えていろ」

ラーラが直接的な言葉に弱いとわかって、身体を屈め至近距離で瞳をのぞき込みながら言い切った。
小さく息を呑んだ唇に己のそれをぶつけるように重ね、腰まわりに纏わりついていたスカートをのけると、下着の紐を手早くほどく。

「ふ、んぅ…っ」

ラーラの細い手がおずおずと伸ばされ、セルヴィムの首を、肩を愛おしげになぞる。

「…っ、ラーラ…」

セルヴィムはその愛撫のお返しとばかりに、程なくして露わになった彼女の秘所に指を差し入れた。

「ん、あ…っ…!」

これ以上の愛撫は不必要なほどに濡れそぼった箇所はいとも簡単にセルヴィムの指を呑み込み、ラーラは白い喉を反らせて喘いだ。

「あ…やぁ…主さまも…っ」
「ん?」

長い指で内部を刺激される快感に、しかしラーラは首を振って抵抗する素振りを見せた。情欲に潤んだ赤い瞳が、訴えるようにセルヴィムを見つめる。

「主さまも…っ、気持ちよく、なる…!」

先ほど触れた時点でラーラにもはっきりとわかるほど張りつめていたセルヴィムの下半身は、今や薄手のガウンを持ち上げるほどに膨れ上がっていた。
その高ぶりをどうにかしようと、ラーラが健気にセルヴィムの腕を引く。

「……」

自分の快楽より男を優先しようとするその様子。
それは否が応でも、彼女がかつて男の欲望を処理する役目を与えられていたことを思い出させて、セルヴィムを少しだけ悲しくさせた。
また同時にそれは、自分より前に彼女と身体を繋げてきた男の存在を意識することでもあった。

(…今日の俺は、どうかしている)

茶だけでは飽きたらず、過去の男、それもおそらくはろくに親しくもなかっただろう男に焼餅など。

「…ラーラ」

しかしセルヴィムは、およそ自分らしくない暗い独占欲が胸のうちに広がっていくことを止めることもできず、低い声でラーラに問いかけた。

「俺が、欲しいか?」

彼女の視線を真正面から捉えたまま、内部をかき回す指を一本増やす。

「欲しいなら、挿れてやる」

充血した肉芽を、親指でぐりぐりと押しつぶす。

「そうしたら、俺も気持ちよくなれるな」
「…あ…っ」

その言葉に、ラーラの内部がきゅう、と締め付けを増した。
こう言えば、ラーラは己の欲望のためではなく、主である自分を悦ばせようと考えて、その言葉を口にするだろう。
それは自分が望んだ響きを宿してはいないだろう。だがそれでも、セルヴィムは彼女の口から聞きたかった。

「さあ、ラーラ」

偽りの言葉でも身体を重ねる度に口にしていたら、彼女もいつかはそれを己の願望だと錯覚してくれるかもしれないだろうから。

「ほしい…ください…っ」

セルヴィムは、彼女の中に沈めていた指を引き抜いて。

「主さまぁ…っ!」

細い腰を両手でしっかりと掴むと、猛り立った自身でその胎内を一気に貫いた。

「…ぁ…っ!!」

ラーラが身体を弓なりに反らせ、声にならない声をあげる。

「く…ぅ…っ」

熱く濡れそぼった肉の壁に締め付けられる感触に、セルヴィムもまた押し殺した喘ぎを漏らすと、強い快感をこらえながら腰を打ちつけはじめた。

「あ…っ…主さま…主さま…」

弱い箇所を張り出した先端で執拗に責め立てられ、ラーラがうわごとのように繰り返しセルヴィムを呼んだ。
抱えられた腿の先、乱れることなく残されたままの絹靴下と踝丈のブーツに包まれた脚が、セルヴィムの突き上げに合わせて力なく揺れる。
「主さま…!」

耳を塞ぎたくなるほどの厭らしい水音はどんどん大きくなり、それに合わせてふたりの荒い息も速くなってゆく。

「あ…んぁ…あ…っ」

勢いをつけて最奥まで貫き、ゆっくりとぎりぎりまで引き抜く。再び根本まで埋め込むと、内壁に沿ってぐるりと腰を回す。
セルヴィムは緩急をつけてラーラの内部を突き上げながら、その胸元に手を掛けると乱れていたそこを無造作に押し広げた。
先天的に色素をほとんど持たないラーラの身体は、皮膚の下に血の色を透けさせて既に淡い桃色に染まっている。
その中でもふたつの胸の先端は一段と濃く色づいており、熟れた果実か咲く寸前のばらの蕾を思わせた。
これに喰らいついたら、どれほど甘美な味がするのだろうか。食感は、匂いはどうだろうか。

(…美味そう、だ)

吸血鬼としての本能が心の奥底で鎌首をもたげ、セルヴィムの背筋をぞくりと震わせる。
セルヴィムは半ば無意識のまま固く勃ちあがったそこに手を伸ばし、腰の動きに合わせて刺激してやった。

「ふあ…っ…あぁん…っ」

その途端、我慢できないとばかりに細い腰がくねり出す。一片たりとも快感を逃さないとでもいわんばかりのその動きに、セルヴィムは心から酔いしれた。

「主、さま…ぁ」

熱にうかされたような声で、ラーラがセルヴィムを呼ぶ。同時に、双丘を揉みしだくセルヴィムの両手に彼女の手がそっと添えられた。

「主、さま、気持ちいい…?」

掴んだ胸のその奥から、速い鼓動が伝わってくる。

「…ああ、最高だ」
「ほん、と…?」

赤い瞳がとろん、と潤み、心から誇らしげに、幸せそうに細められて。
ふっくらとした唇から、甘い、甘い声が紡ぎ出された。

「うれ、しい」

その声と表情に、思わずセルヴィムの両手に力が入った。その刺激にラーラは最早すっかりかすれた声しか出せずに、それでも鳴く。

「主さまが、嬉しいの、ラーラも、うれ、しい…」
「っ…は…」
「主さま…主、さま」
「く…ぅ…っ、ラーラ…っ!」

そして遂に激しい衝動に耐え切れなくなったセルヴィムは、暗い欲望に突き動かされるまま、掴みあげた乳房に噛みついた。

「…ぁ…ああぁっ!!」

そして快楽に浸りきったラーラの身体はその鈍い痛みをも快感と捉え、ラーラは細い悲鳴を漏らして絶頂を迎えた。
それとほぼ同時に、自分の最奥まで穿たれた肉棒がびくびくと脈打つのを感じながら、ラーラは熱く潤んだ瞳をゆっくりと閉じた。

どちらのものともつかない荒い呼吸音の向こうで、微かに梟の声が聞こえる。
共に絶頂を迎えたふたりは、暗闇の中で調理台の上に倒れ込んでいた。

「…ラーラ」

先に口を開いたのは、セルヴィムだった。快楽の余韻に低い声がかすれ、それが何とも言えず退廃的な色気を漂わせている。

「はい」
「…痛く、なかったか」

どこがだろう、とぼんやりする頭で考え、微かに身動きしたラーラだったが、その瞬間に胸元に走った痛みに思わず顔をしかめた。

「……っ」
「すまない…」

未だ下半身は繋がったまま、セルヴィムが半身を起こし、赤く腫れてきている傷に舌を這わせた。
吸血鬼の歯や顎はあくまでも血を吸うためのもので、人の肉を食べるものではない。歯型をした傷跡は、血こそにじんでいたもののそう深くはないようだった。
それでももしピンポイントで乳首に噛みつかれでもしていたら、それこそ転げ落ちていたかもしれない。

(……)

その想像は、何というかあまりにも、ぞっとしない。

「…よし、これで幾らか治りが早くなるだろう」

思わず恐ろしい想像をめぐらせてしまったラーラの胸元から、セルヴィムがそう言って顔を上げる。
見下ろすと、にじんでいた血は綺麗に舐めとられ、傷口もそこまで目立たないものになっていた。
吸血鬼の唾液には傷の治りを促進する成分が含まれているというから、これも直に消えるだろう。

「本当にすまなかった。…その、なんだ」

ラーラの乱れた衣服を一通り整えてやりながら、セルヴィムはばつの悪そうな顔で口ごもる。

「?」

ラーラはいつになく歯切れの悪い主の様子に首をかしげた。そんなラーラと目が合うと、セルヴィムはためらいつつも口を開こうとして――
「「…あ」」

その口から出た声が、ラーラのものと見事に合わさった。

ふたりの嗅覚が同時に捉えたもの。
それは、オーブンの中で焼かれすぎたパンの、香ばしいを通り越して既に焦げ臭くなった香りだった。

「パン…っ、あっ」
「…っ」

咄嗟に調理台から降りようとしたラーラだったが、動いた拍子に未だ体内に入れられていたもので内部を刺激され、小さく悲鳴をあげて硬直する。

「主さま…っ、抜いてっ」
「す、すまん」

力を失っても尚十分な存在感のあるものがずるりと引き抜かれ、内部からどちらのものともつかない体液が流れ落ちる。
その感触にラーラは一瞬身震いしたもの、たくし上げられていたスカートを下ろすと、慌ててオーブンに駆け寄った。

「ラー…」

声をかけようとしたセルヴィムのことはそっちのけだ。

「……」

伸ばした手が、むなしく虚空をさまよう。

「…まったく」

セルヴィムはその手を額に当てると、大きなため息をついて首を振った。

(本当に、どうかしている)

夜も更けきらぬうちから事に及ぶのも、ラーラがたしなめたように寝台以外でいたすのも、本来はそのどちらも好きではない。
あまつさえ行為中に血を吸うのならまだしも、子供でもあるまいに乳房に思い切り噛みついた。
たとえ僕と言えども対等的な関係を重んじ、常に紳士たることを美徳とする吸血鬼にとっては、穴があったら入りたいほどの失態だった。

(最近の俺は、ずっと変だ)

ラーラが必要以上に従順なのが、執事を師として慕うのが、年齢にしてはやたらと床上手なのが、面白くない。
そのどれもが、よい僕には欠かせない要素といっても間違いではないのに。

(……)

セルヴィムは、こぼれて少し量が減った上にすっかり冷めてしまったお茶をすすりながら、この不可解な心境について考えた。

「……わからん」

が、数十秒で諦めた。
まあいい。数百年の寿命を持つ吸血鬼には、考える時間は腐るほどあるのだ。
カップの底に残っていたお茶を一気に飲み干すと、難しい問題はさておきひとまず汗を流そうとラーラを呼んだ。

「ラーラ、風呂に行くぞ。お前も来い」

その声に、完全に駄目になる前にパンを救出できたらしいラーラが振り返った。情交のなごりとオーブンの熱気とで赤く染まった顔で、にっこりと微笑む。

「はい、主さま」

何とも無邪気で無防備なその笑顔は、セルヴィムの突き当たった「難しい問題」を、少しだけ軽くしてくれるような気がした。


齢百二十七にしてはじめて僕を得た吸血鬼が、この気持ちを恋と気付くのは、まだ少し先のことだった。






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