泳げ、チハヤちゃん3
シチュエーション


「zzzzzzzz……」

起きていると騒がしい子も寝ている時は天使みたい、とはよく言ったもので、健康優良&明朗快活がウリ(やや度を越してる感もあるが)の武内家の「娘さん」も、布団に入ってる時は、傍から見てもなかなか愛らしく見えるものだったりする。
が。
仮にそうであっても、平日の朝にいつまでも惰眠を貪っていてよい理由にはならないのが道理で。

「コ〜ラ〜、ちぃちゃん、さっさと起きろーー!」

──このように「兄」によって起こされるハメになるワケだ。

「イタタタタ……うぅっ、耳ひっぱるなんて、ヒドいよ兄さん」

右手で眠い目をこすりつつ、ちはやは布団の上に上体を起こした。

「優しく口で呼んでるうちに起きないからだよ。
……まったく、立場を入れ換えてもこういうトコロは変わんないだから」

馨の台詞の後半は小声で呟かれたので、まだボーッとしているちはやには聞こえていないだろう。
そう、実は、ちはやが「千剣破」で馨が「かおる」であった時も、寝起きの悪い千剣破を起こすのが、早起きなかおるの役目だったりする。
兄と妹という立場が変わっても、こういう生活態度などの細部はそのままというのが、中途半端というか微妙なところだ。

「もうそろそろ朝ご飯ができるからね。……くれぐれも二度寝したりしないように」
「は〜い」
返事ばかりは元気な「妹」の様子に溜息をつきながら、馨は部屋を出て両親の待つ階下へ降りて行った。

「ふぅ……しかたない、着がえよーっと」

幸か不幸かそろそろ夏の日差しが眩しい季節であったため、冬場などと違い、さほど布団に未練を残さず、ちはやは布団から出てググッと伸びをする。
活発な「彼女」にしては珍しく、薄桃色でフリルやリボンで飾られたフェミニンなデザインのパジャマを着ているが、これは昨晩「デート」から帰って来た両親にお土産として渡されたものだ。
それ程うれしいわけでもなかったが、せっかく買って来てくれたのだから、一度くらいは着てみることにしたのだ。
しかし、いざ袖を通してみると、有名子供服ブランドの品だけあって、肌触りが非常によく、装飾の多い割にこの暑さでも着心地は悪くないので、デザインには目をつむる気になっているちはやだった。
とは言え、そこはまだまだ小学生。自室でひとりと言うこともあり、とくに恥じらうこともなくパパッとパジャマとショーツを脱ぎ捨てると、昨夜のうちに用意しておいた白い下着の上下に着替える。

発育の良い(あるいは色気づいた)子なら、そろそろ「ランジェリー」と呼べる代物を身に着けているのだが、そういうことに無頓着なちはやの場合は、近所のユニクロで母親に買ってもらった、シンプルなデザインの女児用ショーツとスポーツブラを着ている。
もっとも、ブラについては実は必要性が皆無に等しいのだが、その辺は何だかんだで微妙なお年頃ということだ。
上に着るトップはマリンカラーの半袖ポロシャツでよいとして、ボトムについて考え込むちはや。

(スカートはあんまり好きじゃないけど、今日はプールがあるしなぁ……)

水着に着替えるときは、スカートやワンピースの方が断然楽なのだ。
しばしの思案ののち、先日買ってもらったばかりのデニムのミニスカートをタンスから取り出し、足を通す。

「あ、わりとイイ感じかも」

この季節なので、開放感のある短めのスカートのほうが、下手なパンツルックよりは涼しく快適なようだ。
短めの髪にササッとブラシを入れて整え、右の前髪を掻き上げると、普段はめったに使わないヘアクリップで留めてみる。鏡に映る自分の姿は、いつもの活発なイメージを崩さない程度に女の子らしい感じがした。

「♪〜」

何となくご機嫌になって部屋を出、階段を降りると、ダイニングにいる両親に朝の挨拶をする。

「お父さん、お母さん、おはよ〜」
「む、おはやう」
「はい、おはよう。そろそろご飯できるから、顔洗ってらっしゃい」

父が新聞を見たまま生返事をして、母が優しく微笑む。
洗面所でバシャバシャと顔を洗って、自分の家でのシンボルカラーであるレモンイエローのフェイスタオルで顔を拭いてから、食卓につく。
母の向かいに座り、母や右隣の席の「兄」の馨とおしゃべりしながら、ダイエットなんて無縁の旺盛な食欲を示してペロリと朝食を平らげる。
食事の後は、広めの洗面所で兄と並んでペパーミント味の歯磨きで歯を磨く。
それは毎朝くり返されるおなじみの光景。

しかし……。

「うむ、汝ら上手くやってるようじゃな」

鏡に映る1/10サイズの小さな少女の姿を目にした瞬間、そのまやかしが解ける!

「あ、ナミ!あれ?ぼく……いや、僕………えぇっ!?」

瞬時にして、朝起きてからの自分の行動を思い出し、真っ赤になるちはや──いや、千剣破。

「うわぁ〜、ぼく、どうして……?」
「あ、やっぱり、ちぃちゃん意識してなかったんだ」

対して、兄──というか「兄」の立場になってる馨の方は、キチンと自覚があったのか、さして慌てている様子はない。

「ふむ。やはりカオルには術のかかりが甘いか。ま、汝は昔から我の幻術もたやすく見破っておったしな」

このあたりは、同じ血を分けた兄妹とは言え、持って生まれた資質の違いだろう。

「お蔭様で。でも、まぁ、多少言動は男の子寄りになってるみたいだし、知識もしっかりあるから、たぶん問題ないと思うよ」
「汝はソツがないからの。それに比べるとチハヤの方は大惨事のようじゃが……」

下手すると普段のかおる以上に「女の子」してた自分に対する羞恥で、頭がいっぱいになって固まっているちはやを見下ろして、呆れ半分、同情半分といった視線を向けるナミ。

「このままだとマズくない?」
「致し方あるまい。

──こりゃ、チハヤ、しっかりせぬか!」
ナミはふよふよと宙に浮かぶと、手に持ったミニサイズの大幣でポカリとちはやの頭を殴りつける。

「いった〜い……ちょっと、ナミ、痛いじゃない!!」
「朝っぱらからシャンとせぬからじゃ。ホレホレ、そろそろ8時じゃぞ?」
「あ、やば。今朝はアキちゃん達と待ち合わせしてたんだっけ」

パタパタとせわしなく洗面所を出て、ランドセルを取りに自室(この場合は、昨日までのかおるの部屋を意味する)に戻るちはや。

「ナミ、何かしたの?」
「なに、軽い暗示をかけたまでじゃ。心配せずとも、数時間で自然に解ける」

「兄」とお節介な守り神のそんな会話も知らずに、武内ちはやは、桜庭小学校に通う六年生の女の子として、家を飛び出していくのだった。






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