甘い恋人
シチュエーション


女子高生の智優理(ちゆり)は真面目でお堅いとまわりから言われるそんな女の子だ。
だが最近そんな彼女を一変させる出来事があった。
それは思いを寄せていた幼馴染みの彼、晃太(こうた)に告白をされ、
はれて恋人同士となった事である。
この世の春を迎える智優理だが、そんな彼女も晃太を愛するが故の悩みがある。
その悩みとは

「あ〜、なんでもう私って素直に甘えられないんだろう」

真面目でお堅いで通して来ただけに、恋人である晃太に素直に甘えられないのだ。
本当の彼女は全然お堅くなんかはなく、可愛いものが大好きな甘えん坊であり、
部屋はお姫様ベッドにぬいぐるみだらけである。
真面目でお堅いのはあくまで学校や外でだけ、
中学生になった頃からなまじ成績優勝だった為クラス代表だの生徒会役員だのに選ばれてしまい、
それをこなしているうちに今の様な外面が出来上がってしまったのだ。
無論、幼馴染みでもある晃太は本当の彼女の姿を知っており、
智優理が思いっきり甘えん坊になったとしても何も変わらず受け入れてくれるはずである。

解ってはいる。
解ってはいるのだけど素直になれない。
智優理はそんなお年頃な女の子だ。

※ ※ ※

「晃太君、おはよう」
「やあ、おはよう智優理」

朝は智優理と晃太のデートの時間である。
デートと言っても腕を組んで愛を囁き合う様な甘いものではなく、
ただ飼い犬を連れ河川敷を散歩するだけの事だ。
だが二人にとっては至福の時間なのだ。

「ほら、いくよバニラ」
『ワン!』

晃太の飼い犬、ホワイトシェパードのバニラはとても良く懐いている。
5歳のメスで子犬の頃から晃太が大事に育てたのだ。
躾もしっかり出来ており、実に利口な犬で晃太自慢の愛犬である。

「おはようバニラ」
『ワン!』

智優理が声を掛けると返事をし、頭を撫でるとお座りをして尻尾を振って喜ぶ。
本当に素直で良い子だ。

「さあ、行こうか」
「そうね」
『ワン!』

せっかく二人で並んで歩くのだから手ぐらい繋いでも良いのを、智優理はそれすらもせず、
あまつさえ並んで歩こうともしない有様だ。
河川敷に着いてもそれは続き、傍から見ていても到底楽しそうには見えない。

「昨日のVS嵐見た?ジャンピングシューターすごかったよね」
「そうね」

晃太の方は何かと話題を振ってくれているのに智優理はそっけなく返事を返してしまう。
本当はその番組は見ていて、感想を同じくもっと話しを広げたいと思っているのにだ。
そして晃太は別に気を悪くするでもなく、そんな返事でもにこやかに話し掛け続けてくれている。
二人っきりの時ぐらい堅物キャラをしなくても良いと思うのに、
どうしても自分を出せないでいる自分がもどかしい。

「さて、じゃあちょっと何時ものして来るから智優理はそこに座って待っていてよ」
「ええ、分かったわ」
「行こうバニラ」
『ワンワン!』

何時ものとは、河川敷の広場を使ったバニラとの追いかけっこである。
晃太が逃げバニラが追いかけると言うものだが、晃太は巧みなフットワークでバニラをかわしている。
バニラも晃太もとても楽しそうだ。
ちなみに本当は許可された場所以外で犬を放つのは、いけない事であるので真似をしてはいけない。

「楽しそうね。私も混ざりたい」

その様子を見つめながら思うわず口に出てしまう言葉、だが思うだけで実際はそれは無理だと考えている。
なぜなら智優理は運動神経が残念な事になっている娘だからである。

「うわ〜捕まった〜」
「わう!」

逃げる晃太に飛びかかるバニラ。
じゃれて居るだけなのだが、そのじゃれ方は半端ない。
対する晃太も何処かの動物愛護家かとも思える様なスキンシップをしており、
抱きしめて舐め返すなど、そこまでするかの可愛がり方だ。

「晃ちゃんとバニラ相変わらずよね。私もあんな風に晃ちゃんとじゃれ合いたいわ」

そんな行き過ぎな飼い犬とのスキンシップを図る晃太の姿を見つつ、
バニラに羨望の眼差しを向ける智優理の表情は恋に悩む乙女のそれであった。

それでも晃太と過ごすこの時間は智優理にとって楽しいものである事に違いない。
そして楽しい時間とは往々にして過ぎるのも早く感じるものだ。

やがて朝の時間は終り、学校へ行く時間がやってくる。
智優理が踏み出せないでいるせいで、今だ学校では二人が恋人同士になった事は伏せてあるので一緒に登校も出来ない。
今日もまた智優理のそんな恋のジレンマに悩まされながらの一日が始まるのだ。

※ ※ ※

何時もと変わらない学校生活を過ごし帰宅して、
何時もと変わらない日常を過ごして一日を終えた智優理は目が覚めた時、
そこには見た事もない状況が広がっていた。
それはあり得ない状況だった。

「(え?なに?わたしなんでこんな所で寝てたの?って服着てない!?)」

昨晩は確かに自分の部屋でベッドに寝たはずである。
それが目を覚ませば、なにか狭い所に居て裸で居たのだ。
これで驚かないはずがない。

「(ここどこなの?何か着るもの…)」

状況を整理しようと身体を起こそうとした時、首に違和感を感じ手をやって見る。

「(チョーカー?でもこれから伸びているのは鎖?もしかして首輪!!)」

慌てて身体を起こし、とにかく光がさしている所から外に出た。
視界が開けた先は見慣れた風景

「(ここって晃ちゃんの家のバニラの犬小屋だ)」

何故自分が裸で鎖に繋がれて犬小屋に居るのか全く解らなかった。
こんな姿を人に見られたら終わりだ。
急いで自分の家に戻らなければ

「うぐっ」

焦る気持ちで智優理は駈け出したが、首輪に繋がれた鎖でそれは叶わず派手にひっくり返る。
強かに腰を打ち付けた智優理は涙目になりつつも慌て過ぎだと首輪を取り外しに掛かったその時だ。

「なに騒いでるんだいバニラ?」
「(こっ、晃ちゃん!?)」

そこに晃太が現れたのだ。
よりにもよってこんな姿を恋人に見られるなど羞恥心でどうにかなりそうな衝撃が智優理の中を駆け巡る。

『ワン!ワン!(晃ちゃん、これは違うの!)』

智優理は声に出して今の自分の姿を否定しようとしたのだが、その声は言葉にならなかった。

『ワン(え?なに?どうして?)』

智優理の口から出るのは犬の様な鳴き声だけで、言葉を話そうにもそれは口をついて出てこない。
そして自覚は無いままに四つん這いで移動していたのだ。
その事に混乱する智優理だが、晃太はなにも不振に思わず近付いて来てその頭に手を置き撫でる。

「なんだいバニラ、散歩に行きたいのかい?」

撫でる晃太の手に何とも言えない幸せを感じつつも、バニラと呼ばれた智優理は更に混乱する。
優しげな眼差しの晃太は何時もの晃太と変らないのに自分を智優理と見てはいない。
それは自分の愛犬を見つめる眼差しのそれだ。

「じゃあ、今から行こうか?」

言ってリードを取り出すと首輪の鎖と繋ぎ替える。
リードを見て心がときめくのを感じた智優理だったが、このままだと裸のまま連れ出されてしまう事に気が付き、
リードに引かれる力に逆らってその場に止まろうとした。

『ワンワン(晃ちゃんちょっと待って)』
「どうしたんだいバニラ?」
『ワンワンワン!(私バニラじゃないよ。智優理だよ。どうして気付かないの?)』

晃太は今の智優理を完全に愛犬のバニラだと思っている様で信じて疑っていない。
何時もと少し様子が違う愛犬の様子に怪訝になりつつも、顔を覗きこんでくる。

『ク〜ン(晃ちゃん…)』
「そんな寂しそうな声を出して本当にどうしたの?」

愛犬の様子の理由が解らない晃太は何時もしている様に頭を撫でた後、抱き寄せて
耳の後ろを愛撫した。

『わう〜(き、きもちい〜)』

そうされると、何とも言えない快感が身体を走り抜けその感覚に思考がとろけそうになる。
され続けるうちに次第に弛緩し、とうとうお腹を見せて地面に転がってしまった。

「ほらほら」
『ハァハァハァ(あぁ、キモチイイよ〜)』

今度はそのお腹を撫でられ、更なる快楽のるつぼに誘われる。
愛撫が終わるころにはすっかり何もかもどうでも良くなり、
ただ単に晃太が好きと言う気持ちでいっぱいになっていた。

「うん、元気になったね。じゃあ行こうかバニラ」
『ワン!(うん)』

元気を取り戻した智優理はうきうきとした気分で晃太に連れられ、散歩に出かけたのだった。
とてもうれしい思いがいっぱいで、自分が裸である事などはもう既に頭には無く、
智優理は四つん這いで本当の犬の様に軽やかに晃太の前を先導する。
むかう先は何時もの河川敷だ。

「よし、バニラ追いかけっこをするよ」
『ワンワン!(うんやる!)』
「じゃあ逃げるぞ〜」

そこでやる事はやはり追い駆けっこだ。
運動神経が残念なはずの智優理が四つん這いなのにものすごいスピードで晃太を追いかけている。
晃太は巧みにそれをかわすが、やがて智優理が飛び付くとそのまま抱きとめ地面を背に寝そべった。

「ははは、すごいよバニラ。今日は新記録だ」
『ワン(褒めて褒めて)』

そしてそのまま晃太は過度のスキンシップを始める。
顔を近づけ頬ずりをし、耳の裏を愛撫したりあまつさえ舐め合うように口を重ねるなどある意味変態とも取れる様な可愛がり方だ。
それが本当の愛犬ならそれで良いのかも知れないが、実のところは裸の女の子と戯れている男子と言う光景である。
公共良俗に大いに反するとものであるのだが、まわりから見てもそれは飼い犬とじゃれている男子にしか見えず、
誰もがそれを信じて疑わないでいた。

そうして散歩を終えた晃太たちは家へと戻り、智優理は犬小屋に繋がれた。
犬小屋に繋がれると、今まで興奮していた気持ちがだんだんと冷めて行き再び今の自分の状況がおかしい事に気が付く智優理。
さっきまでの痴態を思い出して、赤面し思わず小屋に潜り込んでしまう。

「(なに?何なのこの状況。それにあんな恥ずかしい事)」

さっぱり解らないが、自分は今バニラになっている様なのだ。
自分の手を見ても顔を触って見ても、もとの智優理の姿だと言うのに誰もが自分の事をバニラとして見ている。
悪い夢としか思えない。

「(でも、晃ちゃんとあんな事しちゃうなんて言うのは悪くないんだけど)」

河川敷での事を思い出してにやける智優理

「バニラ、ご飯だよ」

そこへ晃太がバニラの食事をもって戻って来た。
そして小屋の前に犬用の食事を置く。

「ほら、一杯食べるんだよ」

晃太が用意してくれたものでも、いくらなんでも犬のご飯は食べられない。
そう思うのだが、物凄いお腹がすいてしまっておりその誘惑に負けそうだ。
何故だか置いてあるそれがご馳走に見えてならないのだ。

「(…一口だけなら、味見よ味見)」

自分にそう言い訳してとうとう口を付けてしまう。

「(お、美味しい!何これ美味しい!)」

ただの乾燥ドッグフードではないそれは、とても美味しく感じられがっつく様に食べてしまった。
もう大満足である。

「良い食べっぷりだね。元気な証拠だよ」

そんな姿を見ながら満足そうに頷く晃太。
智優理はお腹もいっぱいになって幸せだ。

「おはよう晃ちゃん」

だがそこに信じられないものが目に飛び込んできた。
服を着て二足歩行で歩き言葉をしゃべる白い犬。
それは間違いなく晃太の愛犬バニラだった。

「あ、おはよう智優理、遊びに来たの?」
「うん」

そしてそのバニラの事を晃太は智優理と呼んでいる。

「じゃあ、何時も見たく僕の部屋に行こうか?」
「ううん、今日は一緒にお出掛けしましょ?」
「良いけど、智優理が僕と外に出掛けたいなんて珍しいね」
「今日はそんな気分なの」

流暢に言葉を話すバニラに呆気にとられた智優理だったが、やがて事の大変さに気が付きバニラに詰め寄る。

「ワンワンワン!(ちょっと、どう言う事?これはバニラの仕業なの?)」

詰め寄られたバニラは智優理にだけに聞えるよう小声でそっと耳打ちをした。

「大丈夫、心配ないから」

そう告げられると、智優理は何だか眠たくなり、そのまま小屋に入ると眠ってしまったのだ。

※ ※ ※

朝だ。
カーテンの隙間から木漏れる光に智優理は目を覚ます。
何だかヘンな夢を見た様な気がする。
でも晃太にめいいっぱい甘える事が出来たとても楽しい夢だったのは覚えている。

「ん〜、良く寝た」

伸びをしながらキャラクターもののデジタルクロックを確認する。
――7月4日 月曜日 7時15分――

「あちゃ〜、寝過ごしたかぁ」

日課になっている登校前の晃太との朝の散歩は5時30分には起きなければならなったのだが、
今日はアラームが鳴らなかったらしい。
残念だが寝過ごしてしまったものは仕方がない。

「あとで登校前に晃ちゃんに謝っておこう」

何時もならこんな事があれば落ち込むであろうが今日は何だか余裕があり上機嫌だ。
智優理は身嗜みを整えると家族と一緒に朝食を摂り家を出た。
そして家を出た晃太を見かけ声を掛ける。

「晃太君おはよう。今朝はごめんなさい」
「おはよう智優理。寝坊したのかい?」
「そうなの、アラームが鳴らなくて」
「そうなんだ」

こんな事で晃太が怒るはずはないとは解っていても、その笑顔を見るとホッとする。

「それじゃ晃ちゃんまたね」
「え?どこ行くの、一緒に登校しようよ」
付き合っている事を隠しているので一緒に登校する訳にはいかず、
少し回り道をしようと智優理がその場を離れようとしたのだが晃太に呼びとめられる。

「なに言ってるの?そんなの出来る訳ないでしょ」
「なに言ってるのは智優理だよ。今更隠したってしょうがないじゃないか、
昨日一昨日とあんなにみんなの前で見せつけちゃったんだし」
「へ?なにそれ?」
「なにって、僕達が付き合っていてラブラブだってみんなの前で腕を組みながら寄り添って歩いたり、
キスまでして見せたじゃないか」
「ええ〜っ!」

そう言えば土日の記憶が曖昧だ。
晃太と一緒に過ごした様な気はするのだが、そんな事をした覚えなど智優理には無かった。
だが晃太がそんな嘘をつくとも思えないし、
なにより何かを期待している様な顔がそれに応えたくて智優理には仕方がない。

「ほら、手をつないで行こうよ」
「もう、仕方がないわね」

差し伸べられた手を握ると思わずニヤけそうになるのを堪える。

そのまま学校へと近付くにつれ生徒の数も増えて行き、
智優理たちの姿を見止める者も多く出てきた。

「あ、噂のカップルよ」
「ほんとに熱々なのね」
「うお〜本当だ。晃太と柴崎さん付き合ってたのか〜」
「知ってるか?柴崎さんはツンデレだったんだぞ。くっそ〜、そうと知っていれば告白したものを」
「どのみちお前じゃ無理だったよ」

まわりからいろいろな声が聞こえてくる。
もう誰もが二人を認めて居る様だ。
誰もが二人を見ると噂している。
校門前では教師にまで呼びとめられた。

「ちょっと待て、乾と柴崎」
「なんですか先生?」
「別に交際禁止とは言わないが、節度を持ってほどほどにな。柴崎は生徒会役員でもあるんだからな」
「はい先生」

素直に返事をしていったん手を離す二人。
だが、校門から離れるとまた晃太が手を繋いで来てくれた。
それが智優理には嬉しかった。
智優理も思わず自分から身体を寄せてしまった。

「ねえ、晃ちゃん」
「なに?」
「大好きだよ」
「うん、僕も」

人目もはばからず嬉しそうに見つめ合う二人はその場だけが別の空間の様だった。
智優理が夢見ていたものがそこにはあった。
そして二人の唇が重なると、まわりから歓声が上がる。
慌てて駆け寄って来る教師、きっと後で職員室だ。
でもそんな事は気にならない。
だって智優理は幸せだから。

そして幸せに包まれる中、智優理の脳裏には何故か晃太の愛犬バニラの姿が思い浮かび、
今日は一緒に遊ぼうと思ったのだった。






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