立場同一性障害
シチュエーション


「やぁお待たせしました」

指定された場所で待つこと10分、油にまみれた作業着を来た男がやってきた。

「仕事中無理を言って抜け出してきたので、ちょっとだけですよ」

そう言ってポケットから出した煙草に火をつけ、うまそうに一服する。
日に焼けた人懐っこそうな笑顔が印象深いこの男性、
何を隠そう3年前まで『KIMETE!』などのギャル系ファッション雑誌でカリスマモデルとして人気を博し、
バラエティ番組などでも活躍していた佐藤あずさなのだ。

「やっぱり今の方がしっくりきますね。
『本当の自分にをみつけた』ってのはこういうことなんでしょう」

佐藤さんが『立場同一性障害』を告白したのは19歳の夏。
まさにモデルとしてもタレントとしても絶頂の時期だった。

「ある日、ふと思い始めたんですよ。
『自分は40過ぎのオッサンのはずなのに、なんでこんな格好してるんだろう』って。
着たくもない服を着て、カメラの前でポーズをつけて。
みんなが期待しているから『やりたくない』なんていう訳にもいかず、
本当に毎日が苦痛でしたね、あの頃は」

ファッションモデル時代は女装を強要されているようで苦痛だったと語る佐藤さん。
一時は一種の精神的疾患だと思い悩み、自殺まで考えたという。
そんな彼を悩みから解放したのは、たまたま手にした新聞だった。
『立場同一性障害』の治療のために、同じ障害に悩む女子小学生と立場を交換した会社員についての記事を読み、
これだと思い至ったのだという。

「目の前が一気に開けた気がしましたね。

『そうか、自分は立場同一性障害なんだ』と。
もう次の瞬間には、立場同一性障害に関する治療を行っている病院を調べて電話してましたね」
そして各種カウンセリングを受けて立場同一性障害だと認定された佐藤さんは
ちょうど逆の悩みを抱えているAさん(仮)と出会い、立場の交換を決意したのだという。

「本当に自分はツイていました。
普通はこんな簡単に立場を交換できるような人に出会えないというのですから」

立場の交換を決意した翌日、佐藤さんは記者会見を開いて自分が立場同一性障害であることを告白した。
当時はまだ一般に浸透していない病気のため各方面からさんざんバッシングされたが、
それでも佐藤さんはくじけずに45歳(当時)の男性へと立場を変えたのだった。

「モデル時代の友人ですか?逢ってませんねぇ。
文字通り『住む世界が違う』人達ですから、逢っても向こうが戸惑うだけでしょう」

そう言う佐藤さんに、かつて彼が出ていたファッション雑誌『KIMETE!』を見せてみた。

「ああ、何人か見たことない子がいますが、懐かしい顔がいますねぇ。
しかし、自分もかつてはこんな派手な服を着てたんですね。
まったく信じられないですよ」

懐かしそうに雑誌を眺める佐藤さんにまたモデルをやってみたいですか?と聞いてみると、
わざわざ脱毛までしてセットしている、いわゆるバーコードヘアを撫でながら

「こんな50近いおじさんなんか出ても仕方ないでしょ」

と、かつてのモデル時代を髣髴させる明るい笑顔をでやんわりと否定されてしまった。


現在は自動車整備工場の整備主任者として妻と1人娘暮らす佐藤さんだが、
毎日頭を悩ませていることがあるという。
「高校2年になる娘がね、何を考えてるのかわからんのですよ。
数年前までは『あっち側』にいたはずなのにね」






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