俺と娘
シチュエーション


もう何度目かわからない下の階からの怒鳴り声にせかされるように、
自分の体格にはちょっと合わなくなったベッドから体を起こす。
カーテンの向こう側には冬晴れの空が広がっていて、
どこまでも澄み切った青空が目に突き刺さる。
どうせならば世界が埋まってしまうぐらいの大雪でも降ってしまえばいいのに、
なんて罪のない晴天に悪態をつきながらエアコンのスイッチを入れると、
天井付近に設置された機械から常夏の空気が吹き出してくる。
しばらく部屋が温まるのを待って、えいや! とパジャマを脱ぎ捨てて、
あらかじめ机の上に用意しておいた着替えを手に取る。

まずは肌着。
締め付けの少ないメッシュ地のスポーツタイプのブラジャーをつけ、
バスト部分をあまり膨らんでいない胸の位置に合わせる。
クラスメイトの中にはワイヤー入りでホックで止めるような、
ちゃんとしたブラジャーをしている子もいるけれども、
ママが言うには私にはまだこれで十分らしい。
ブラジャーを装着したら、その上からキャミソールを着る。
冬の空気に冷やされた布地が肌に触れた瞬間、思わず震え上がってしまうが、
すぐに温められて気にならなくなった。
続いて丸襟のブラウスに袖を通し、プリーツの形を整えながらスカートを履く。
そして白いハイソックスを履き、最後にカーディガンを羽織れば着替えは完成。
みんなはちょっと子供っぽいっていう服装だけど、
ママが買ってくれるのはこういうのばかりだから仕方がない。
ランドセルの中にちゃんと今日の時間割が確認してから部屋を出ようとすると、
また下の階から怒鳴り声が聞こえてきた。

「いい加減に起きてきなさい!」
「もう起きてるってば!」

これ以上遅くなると、さらにカミナリが落ちてくるに違いない。
壁にかかっていたコートをつかみ、あわてて部屋を飛び出した。

「おはよー」
「おはよう。まったく何時だと思ってるの」

ダイニングに入ると、キッチンでお弁当を作っているママが、背を向けたまま小言混じりの挨拶をしてくる。
時計を見ると、7時45分。
早くご飯を食べて支度しないと遅刻してしまう。

「あ、もうこんな時間!」
「いいからしゃべってないで、早く食べなさい!」

言われるままトースターにパンを入れ、インスタントのコンソメスープを作る。
冬の冷えた体をスープでいい感じに温めていると、
トースターが軽快な音を立ててパンが焼けたことを知らせてくれる。
マーマレードとカップスープ、それにプチトマトで朝食を済ませ、
洗面所に向かおうとすると、ダイニングにパパが入ってきた。
ぼさぼさの頭を掻きながら、大きくあくびを1回。
寝起きとはいえ、あまりにもだらしがない。

「んー、おはよう」

眠そうに挨拶をして、もう1回大きなあくび。

「まだ眠いな。顔でも洗うか」
「ちょっと待って! 洗面は今から俺が使うんだから!」
「こら! 女の子が『俺』だなんて言わない!」

ただでさえ忙しい朝の時間、割り込むように洗面を使おうとする行為に対して抗議しようとしたら、
言葉づかいに対して、またもママからの小言。

「それに、顔を洗う時間なんて大したことないでしょ!」
「はーい」
「早く使ってよね」

渋々ながら、ダイニングに入ってきたパパと並ぶようにして洗面所へと向かう。
俺の胸にも届かないぐらいの身長と、抱きしめたら折れそうなほど華奢な体格。
そして、起き抜けなのにひげすら生えていない顔はかわいらしく、
どことなくあどけなささえ残っている。
そう、隣で顔を洗っているパパは、生物学的には俺の娘なのだ。
もはや何が原因だったのか思い出せないけれども、
半年前から俺と娘の美咲は、名前と体以外がそっくりそのまま、何もかも入れ替わってしまった。
つまり、毎日スーツを着て会社勤めをするのは娘の美咲が、
そして、赤いランドセルを背負って小学校に通うのは父親の俺が、と、
お互いがやらなければいけない事が交換されたのだ。
会社や学校だけじゃない。
社会的立場だってそうだ。
世間から父親として、そして何より男として扱われるのは美咲で、
俺はようやく来年度から最高学年へ進級する、小学生の女の子としてしか見られなくなってしまった。

「早く支度しないと遅刻するよ」

まったく生えてないひげを電動シェーバーで手入れしながら、美咲が注意してくる。

「わかってるって」

歯を磨きながら、鏡に映る俺と娘の姿を見る。
すっかり今の立場に順応した感じの美咲は、
俺の横でこれ見よがしにひげを剃り「自分が父親なんだぞ」と、無言の圧力をかけてくる。
一方、いまだ女子小学生という環境に慣れない俺の姿は、
どう見ても男が女装しているようにしか見えず、
まるで出来損ないのコントのようで情けなさすら漂ってくる。

「大丈夫だって、かわいいから」

慰められてもうれしくないが、これも毎日繰り返されている「朝の日課」のようなもの。
どことなく笑っているようにも見える美咲に見送られながら、
俺は淡いピンク色のフード付きコートを着込み、ランドセルを背負って学校に向かうのだった。

黒や赤、たまに水色やピンクといったランドセルを背負った小学生たちに混じり、
同じ目的地へ向かってとぼとぼと歩く。
周囲の子供たちよりも頭一つ以上高い、大人の男がスカートを履いて歩いていても、
誰も変に思わない。とがめない。
当たり前だ。
確かに肉体的には成人男性かもしれないけれども、今の自分は女子小学生なのだ。
女子小学生がスカート履いて、ランドセルを背負って歩いている姿をおかしいと思う人間なんていやしない。
むしろ『変質者め!』と罵られて警察に捕まってしまった方が、少しは気分が楽になったかもしれない。
そうなれば、自分の認識が正常だったということの証明になるのだから。

「和彦ちゃん、おっはよー」
「あ、優子ちゃん」

白い息を弾ませながら俺の隣に駆け寄ってきたのは、同じクラスの加藤優子ちゃん。
幼稚園からずっと一緒の4人組のうち、一番家が近所の子だ。
笑ったときに唇からこぼれる八重歯が印象的な彼女は俺の一番の親友で、
昔からなんでも相談できる仲……ということになっている。

「……でね、昨日『はろぉ』の2月号出たでしょ」
「うん、読んだ読んだ。どうなっちゃうんだろうね『ひみつの桜井くん』」
「やっぱさ、鈴木に正体バレちゃうんじゃない?」
「でもきっとさ、鈴木はニブいからいつものパターンで気づかないと思うよ」
「うーん、実は鈴木ってあきらが女の子って気づいてるんじゃない?」
「そんなことないと思うけどなぁ
……あ、ところでさ、話変わるけど……」

昨日のテレビ番組、新発売のお菓子、昨日買ったマンガ、雑誌に載ってたカワイイ洋服、
それから苦手な体育や算数といった授業の話などなど。
これといった中身がない、他愛なく楽しい雑談を繰り返しながら、
優子ちゃんと2人で学校を目指して歩くというのが、ここ半年ばかりの朝の日課だ。
入れ替わったばかりの頃は、何を話していいのかまったくわからなく、
ただただ気のない相槌を打つぐらいしかできなかったけれども、
今では自分から話題を振ることもできるようになった。
戻る方法がない以上、環境に適応しようとするのは当然のこと。
決して、毎月買ってる『はろぅ』の続きや、
優子ちゃんちで読ませてもらった『キラキラ!』に載ってるブランドロゴ入りのパーカーや、
3段になっているかわいいスカートが気になっていたりなんかしない。

「ゆーちゃん、かずちゃん、おはよー」
「おはよー」

昇降口のところで、石田奈々ちゃんと大塚未来ちゃんが手を振って待っていた。
これで仲良し4人組が勢ぞろいしたことになる。
みんなで上履きに履き替え、いつものように雑談しながら教室に向かう。
教室にはもう既にほとんどの生徒が来ていて、俺たち4人はどちらかといえば最後の方の登校だった。
クラスメイトに挨拶してから自分の机の中にランドセルの中身を移し、
教室の後ろに備え付けられている扉のないロッカーにしまう。
1列3段のロッカーは入り口に近い側から出席番号順に割り当てられていて、
真ん中から左側は黒いランドセルが、反対側には赤いランドセルがずらりと並んでいる。
その赤いランドセルばかりが入っている側に自分のランドセルをしまうたびに、
『ああ、自分はこっち側なんだな』と再確認させられているようでなんだかつらい。

教室に入ってしばらくすると始業のチャイムが鳴り、遠藤先生が入ってくる。
まだまだ30歳にもなっていないはずの若い女性教師のはずだが、
保護者会や授業参観なんかで見せていた「美人教師」の面影はなく、
ジャージ姿にすっぴん、髪の毛は後ろで縛っただけと、
男の俺ですら「こんな格好するんだったら、もうちょっとかわいらしくしたい」と思うぐらい地味な服装だ。
放課後は普通に着飾っている――この格好に比べれば、だが――ところを見ると、
噂通り、人気の女性熱血教師モノに影響を受けてのイメチェンなんだろう。
そういえば、俺が小学生だったときも、ドラマに影響された教師がいたっけ。
時代が変わっても、その辺りの思考はまったく変わらないのかもしれない。

「全員出席してるね。
今日は1時間目から体育だから、早く着替えて体育館に行くんだよ」

体育。一番嫌な授業。
ここ半年間、毎週3回、強制的に運動させられているせいか、
以前よりも動けるようになったとはいえ、
30も半ばを過ぎた男にとって、マラソンや跳び箱などの
小学校の体育でやるような運動は過酷すぎて体がついて行かない。
しかも今日は体育館ということは、今日は縄跳びに違いない。
大きくため息をついて、机の横にかけている体操着袋を持って着替えの準備に入る。
小学校も高学年になれば男女一緒に着替えることはほとんどなく、
大概の女子生徒は空き教室で着替える事が多くなる。
もちろん、俺も女子の1人として扱われているので、空き教室で着替えるのが当たり前。
空き教室の隅の方で、みんなと同じようにスカートの下からハーフパンツを履き、スカートを脱ぐ。
続いてブラウスの前を外して脱ぎやすくしてから体操着の上を首だけ通し、
片袖ずつブラウスと体操着を入れ替えるようにして着替え完了。
誰が始めたか知らないけれども、なぜかこのクラスでは
なるべく肌を見せないようにして着替えるのが「大人っぽい」ということになっていて、
俺もそれにならってこんな着替え方を会得してしまった。
最近、どんどん『女の子』スキルだけが上達していっている気がする。

縄跳び。運動神経はそこそこだった俺が、唯一苦手としていた種目。
小学校を卒業した後は絶対やらないだろうと思っていたこの運動が、
まさか再び小学校に通うことになってやる羽目になるとは、夢にも思わなかった。
クラスのみんなは二重飛びや綾飛びこそ失敗するけれども、
普通の飛び方ではまず失敗なんてしない。
しかし……

「あぅ!」

また飛ぶのに失敗して、ふくらはぎの裏あたりを縄が激しく叩く。
何度も何度も叩いているせいか、なんだか熱を帯びてきているような感じさえしてくる。

「ホント、かずちゃんは縄跳び苦手だよね」
「がんばって5級合格目指そ?」
「大丈夫、がんばろ?」
「……うん」

縄跳びの下手さではクラス最下位に位置している俺が、
なんとか両足跳び連続150回と後ろ跳び50回の5級合格ラインをクリアできるよう、
優子ちゃんや奈々ちゃん、未来ちゃんが慰め励ましてくれる。
しかし、できないものはできない。
何度も何度も挑戦するが失敗続きで、時間だけが過ぎていく。
ヘトヘトになってもう跳べなくなった頃、先生の笛が鳴り響いて集合の合図がかかった。

「じゃ、残り10分間、ドッジボールしていいわよ」

早めに切りあがるのかと思いきや、さらに体を動かせというのか。
しかし自由時間ではないので、休んでいるわけにはいかない。
渋々コートの中に入って、ドッジボールに参加する。
チーム分けはいつものように出席番号の偶数奇数。
この分け方になると、仲良しの3人と別チームになってしまうのがつらい。

「はじめ!」

ゲームが始まるとともに弾丸のようにボール飛び交い、コートは戦場と化す。
逃げ遅れた、あるいはボールを取り損ねた味方が次々と脱落していき、
また、敵もこちらの攻撃によって数を減らしていく。

「それ!」
「岡田狙え岡田!」

数分立たずに敵味方ともにほとんど人がいなくなったコート内。
自陣に残されたのは俺と数人の男子だけ。
そうなると、『女子』である俺が自然と集中砲火を受けることになってしまう。
外野を回すようにボールを投げ合い、俺の隙をうかがう敵軍。
そして一瞬、動くのが遅れたのを狙われてしまう。
最初の一投こそ避けられたが、その代償に足がもつれて大きくバランスを崩し、
グラウンドに転がってしまった。

「あっ」
「よーしトドメだ!」

運動神経抜群の田中が、もう死に体の自分めがけて勢いよくボールを投げつけてくる。
狙いが外れたのか、顔面めがけてボールが迫ってくる。
もうだめだ!

「!」

衝突の瞬間を恐れて、声にならない声をあげたが、いつになってもボールはやってこない。
代わりに目の前には俺を守るかのように山本が立ち、飛んできたボールをガッチリキャッチしていた。

「大丈夫か、岡田」
「う、うん……」

差しのべられた手を、自然と握り返して立ち上がる俺。
気のせいか、山本の顔は赤らんでいるような気がした。

「よ、よし! 反撃するぞ!」

そう言うと山本は敵陣コートに向き直り、ボールを勢いよく投げつけた。
飛んでくるボールを次から次へと受け止め、敵をバッタバッタと倒していく山本。
その姿がなんだかかっこよく、思わず見とれてしまったのは自分だけの秘密だ。

苦痛のような体育の授業も終わり、続いて漢字を学んだり、社会で白地図に色を塗ってみたり。
入れ替わった当初は小学校の授業ぐらいついていけるだろうと高をくくっていたけれども、
いざ改めてやってみるとかなりの範囲で忘れている事が多く、
家でしっかり予習復習しないとついていけないほどだった。
今では分数の足し算だってテストで85点取れるぐらい、しっかり内容を理解している。
午前の授業が終われば、いよいよ給食の時間。
なんでいつも牛乳がついてくるのか疑問だけれども、
ちゃんと飲まないと先生が許してくれないので、パンの味でごまかしながら少しずつ飲んでいく。
本当、今日がレーズンパンじゃなくて本当によかった。

午後の授業が終わると、いよいよ放課後。
今日は4人とも塾も習い事もないので、優子ちゃんの家で遊ぶことに。
遊ぶといっても、みんなでゲームしたりなんてことはほとんどなく、
それぞれ勝手に優子ちゃんの部屋にあるマンガを読んだり、ゲームしたり。
それでもなんだかんだで楽しいのは、きっとこの4人だからに違いない。

「ところでさー和彦ちゃん」
「ん?」

先月号の『フルーツ』を読み返していたら、突然優子ちゃんが話しかけてきた。

「山本のヤツ、絶対和彦ちゃんのこと好きだよね」
「え?」
「うん、あたしもそう思うな!」
「今日の体育の時間なんか、ホントバレバレだよね」

対戦ゲームで盛り上がっていた未来ちゃんも奈々ちゃんも急に振り向いて話に食いついてくる。

「え、え?」

急に『コイバナ』が振られて、困惑してしまう俺。

「だってさ、かずちゃんの手を握った時、あいつ顔真っ赤だったじゃん」
「わたしが同じように転んでも、絶対手なんか差し伸べないね」
「それにさ、しょっちゅう和彦ちゃんのほうをチラチラ見てるし、絶対気があるって」

自分の事をほったらかしにして、コイバナで盛り上がる3人。

「で、さ」

ずいっと目の前に迫る優子ちゃん。

「うんうん」

負けじと寄ってくる未来ちゃん。

「山本の事、どう思ってるん?」

核心に迫る奈々ちゃん。

「え、えっと……俺は別に、そんな気ないし……」
「あー、またかずちゃん『俺』って言ってる!」
「せっかくかわいいのにねー」
「でもでも、口ではこう言ってても、和彦ちゃんも山本の事が好きなんじゃない?」
「うんうん。だってさ、かずちゃんも山本の手を握った時、顔が真っ赤だったもん」
「だから、俺は山本なんかどうでもいいってば!」

いくら取り繕っても、言い訳しても、3人はまったく聞いてくれない。
自分そっちのけでコイバナに花を咲かせ、やがてクラスの男子のカッコいいランキングの話へとスライドしていく。
小さい頃でも女は怖いと、再確認させられた出来事だった。

6時になる前に帰宅して、そのあとは夕ご飯まで宿題をこなす。
今日は漢字の書き取りと、分数の計算。
特に分数の計算は習ったばかりのところだから、間違えないように何度も見直しながら、
1問1問慎重に解いていく。
ちょうど宿題が終わった頃、下の階からママの声がした。
夕飯の時間だ。今日の献立は鮭のムニエルと野菜サラダ。
俺の分は一回り小さく、キッチンのテーブルでラップがかかっている皿に乗っている切り身はちょっと大きい。
『仕事で疲れているお父さんの分は大きくて当然』とママの談。
女の子向けの小さい茶碗では少し食べたりないけど、おかわりしようとすると

「女の子が食べ過ぎ!」

と、ママにたしなめられてしまう。
立場は女の子、体は成人男性のつらいところだ。

「そういえば……パパは?」

美咲の事はママの前では『パパ』と呼ぶことに決めている。
いらぬ波風を立てないようにする、生活の知恵だ。

「パパは今日は残業だって」
「ふぅん」

プチトマトを口に放り込みながら、気のない返事をする。
小学5年の体には残業は酷だろうけど、それはそれ。
残業も『父親』として会社勤めをする美咲の役目だ。
宿題こそあるものの残業しないで家でのんびりできるのは、この立場の数少ない利点。
その利点を最大限活かすために、ご飯を食べ終わった後はクラスでも話題のお笑い番組
『ヒラメけ! はねるくん』にチャンネルを合わせるのだった。

みんな寝静まった真夜中。
残業の後に飲んで帰ってきたという美咲も、既にお風呂に入って寝ている時間。
昼間に優子ちゃんたちに言われたことが気になって、今日はなんだかなかなか寝付けず、
ウトウトしてはすぐに目が覚めてしまう。

「トイレにでも行くか」

寒い階段を下りながら、トイレを目指す。
びっくりするほど冷え込んだ個室で用を足し、また温かいベッドに潜り込もうと階段を上がろうとしたら、
どこからか何か軋むような物音がする。
最初は冷蔵庫が動き出したのかと思ったけれども明らかにそれとは違う、
異質な、それでいて聞いたことがあるギシギシという音。
そして、かすかな話し声。
1階の廊下の先にある、寝室のほうからだ。
よく見ると、部屋のドアはわずかながら開いている。

まさか……。
そんなことは……。
あるはずがない……。
恐る恐る、なにかいけないものを見るような、そんな感覚で、ドアの隙間から部屋の様子を覗き込む。
すると……!

「あ、アンッ! あなた! あなたぁ!」
「そんな大きな声を出したら、和彦に聞こえるだろ」
「大丈夫……っ! あの子はもう寝てるから!」
「なら、もっと聞こえるぐらい、大きな声出してみろ!」
「あアンっ!」

そこで繰り広げられていたのは、まさかの『夫婦のセックスシーン』だった。
本来娘であるはずの美咲に対して股を開き、快楽を全身でむさぼるママ。いや我が妻。
彼女の表情には近親相姦や不貞を働いているような憂いはない。
あるのは目の前の『夫』から与えられる肉欲の愛を受け止め、何度も絶頂に導かれた至福の顔だけだ。

「あなた! あなた! ああぃぃんんんん!」
「どうだ! いいか!」
「名前!名前呼んで!」
「ゆかり! ゆかり! ゆかりぃぃぃぃぃ!」

黒いペニスバンドをはめ、妻の名前を呼びながら一心不乱に腰を振る美咲。
そこには自分の知っている『妻』も『娘』もいなかった。
いるのは神聖かつ淫靡な行為を繰り返す『パパ』と『ママ』がいるだけ。
なにかいけないものを見てしまった気がして、頭の中が真っ白になる。

気がついたらもう朝。
あれからどうやってベッドまで戻ったのかすら思い出せない。
そのぐらいショックだった妻と美咲の情事。
いや、もう美咲は娘ではなく『男』で『夫』で『父親』なのかもしれない。
俺が悩みながら、染まらないよう一生懸命今日まで過ごしてきたのが馬鹿らしくなってくる。
今日から俺も精いっぱい『娘』として生きてみよう。
そう決意すると、急に目の前がクリアになってきて、この寒さですらすがすがしさすら感じてくる。
ぱっとベッドから跳ね起きると、箪笥の中からワンピースを出して着替える。
本当なら、どこかお出かけするときにしか着ないことになっている、とっておきの1着。
自分の新たな門出にふさわしい、本当にかわいらしい紺色のワンピースに袖を通し、
コートとランドセル、それにリボンを持って階段を下りる。

「おはよう、ママ」
「あら、今日は早いのね」

どことなくツヤツヤしているようなママは、あまりにも早く起きてきた自分に驚いたように返事してくる。

「でね、ママ。
ちょっとリボン結んで」
「あら、今日はそのワンピース着てるのね。珍しい、どうしたの?」
「えへへ……」

ヘアバンドのようにリボンを結んでもらいながら、ママと他愛のない話を繰り返す。

「お、今日は早いな」

リボンが結び終わったのと同時に、パパがダイニングに入ってくる。

「私だって、早起きするときあるもん」

精いっぱい、かわいらしく、小学生の女の子っぽく。

「お、今日は『俺』って言わないんだな」

感心感心と、パパがにやりと笑う。
心境の変化を見透かされた気がして、なぜだかとっても照れくさい。
このやり取り以降、朝ごはんを食べながらも、洗面で支度している間も、
パパとはなぜか口をきかないまま学校へと出かけてしまった。
私の変化に関しては、今日の夜にでも話せばいい。

いつものように通学路の途中で優子ちゃんと合流し、そのまま2人で仲良く登校。
普段と違ってリボンをしていることを聞かれたけれども

「かわいいでしょ」

と返すと、優子ちゃんも笑顔で「かわいい!」って返してくれた。
そして昇降口のところで未来ちゃんと奈々ちゃんと一緒になって、
下駄箱で靴を上履きに履き替える。
と、先っぽが赤い上履きを下駄箱から出したとき、ひらりと封筒が落ちてきた。
水色の封筒の宛名には『岡田 和彦さんへ』とあるが、
裏面には差出人の名前すら書かれていない。
しかし、封に貼られたハートマークのシールから考えると、これは、もしかして……。

「うわー! かずちゃんラブレターもらってる!」

急に優子ちゃんが大声を出し、未来ちゃんと奈々ちゃんもかけよってくる。

「え、えっと、どうしよう」
「開けよ開けよ」
「あとで、ね」

早く中身を見せろとせかす親友たちを抑え、コートのポケットにラブレターをねじ込む。
平静を装っているけれども、生まれて初めてもらったラブレターに、内心かなりドキドキしている。
ふと視線を廊下の方に移すと、真っ赤な顔した山本が私の顔を見るなり走り去ってしまった。
たぶん、差出人は彼だ。間違いない。
なぜだか彼の名前を考えるだけで、ハートがほんのりあったかくなってくる。
人生2度目の初恋に、私の胸は高鳴るばかりだった。






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