そして日常な非日常へ 〜ありふれた日常if〜
シチュエーション


美輝の部屋でパジャマに着替えたところから続けさせていただきます。


「着替えた?」

着替える時、隣の部屋に行っていた美輝が戻ってきた。

「どう?楽で良いでしょ?そのパジャマ」
「うん、良い感じだよ」
「たぶんまた生理痛つらくなると思うから、薬飲んで寝ていたら良いわ。
はい、お水と薬」
「ありがとう」

和貴は礼を言うと受け取った薬を飲む。
気のせいかもしれないが、なんだか身体が楽になったような気がした。

「その薬ね、実はピルなんだ」
「え?ピルって……確か経口避妊薬のことだよね?」
「そう、そのピルよ。大幡君って痛み止めがあまり効かないみたいだから」
「ピルって生理痛にも効くんだ」
「ホルモンバランスに作用して体質を改善させる効果があるからきっと効くと思ったの。
ただ、即効性があるものじゃないから、毎日習慣的に飲まないといけないけど」
「じゃあ、生理が治まるまではしばらく飲み続けたほうがいいのかな?」
「まぁね。ほんと、ツラいの変わってもらってゴメンね。首飾りを外す方法は何とかしておくから」
「いいよ。今回の件は、安直に同意しちゃった俺にも責任はあるし。でも、袖原さんって、わりと思い付きで行動しちゃうタイプなんだね」
「う〜ん、そうかも。あ、そうそう。最終手段として一番即効性で効果があるので座薬が有るけど使う?」
「座薬か……ううん、今はいいや。あとでどうしてもひどくなったら使わせてもらうよ」
「ん、りょ〜かい。じゃあ、寝る前にメイク落として来て。
クレンジングオイルはシャンプードレッサーの所にあるから。化粧水と乳液も使って良いからね」

そう言われた和貴は洗面所に行き、鏡に映った自分の顔を見てみた。
少し崩れてはいるがメイクをされた顔は、一見したところ女性にしか見えない。
美輝のメイクがそのまま自分の顔に移ったせいか美輝に似ているように感じる。
メイクとは凄いものだと和貴は妙に感心してしまった。
冷たい洗面所にいるせいか、なんとなく下腹部がまた痛くなってきたので、和貴はクレンジングオイルを手に取った。
独身で恋人もいない和貴だが、幼いころに母親が鏡台の前でやっていた光景を思い出しつつ、手早くメイクを落とす。
洗顔後は肌が突っ張る様な感じがしたため、化粧水を使って見ると、とても気持ちが良く、さらに乳液も使って見ると肌がしっとりして和貴は良い気分になってきた。

「うーん、女の人がお肌の手入れに凝る気持ちがわかるような気がするな」

メイクを落とした和貴が寝室に戻ると美輝がベットメイクをしてくれていた。

「寝るときは仰向けになって、腰の下にこの丸めたタオルを入れて膝を立てて寝ると、痛みが和らいでいいわよ」
「うん、お気づかいありがとう」

和貴は礼を言うとベッドに入り言われた通り腰の下にタオルを入れ仰向けで膝を立てて寝てみると、本当に腹部の痛みが和らいできた。
そして、痛みが和らぐと共にアロマオイルの香りなのか美輝のベッドからする良い匂いに緊張が解け和貴はそのまま眠りに落ちてしまった。

「うわ〜、眠るの早っ」

それを見て美輝は思わず突っ込んでから部屋を出て行ったのだった。

……
…………
………………

夢の中で和貴は、普段通り会社に通っていた。
いつも通りの時間に部屋を出て、いつもと同じ電車に乗り、いつものように会社で働く……。

──いや、ちょっと待った!

朝、出たのは自分の安アパートではなく、小洒落たマンションではなかったか?
電車で、なぜわざわざ最後尾の女性専用車両に乗っているのだ?
どうして、会社に着いた時、女子更衣室で、通勤用のワンピースから、ラベンダー色のリボンブラウスにネイビーチェックのベストと同色のタイトスカートという、ウチの会社の女子制服に着替えているのだ。

「あら、なにもおかしいことなんてないでしょ?」

ダークグレーの背広をパリッと着こなした、どこかで見たような気がする人物が目の前に現れた。

「だって……貴女は、柚原美輝なんだから」

!!

──次に和貴が目を覚ました時には美輝のマンションのリビングだった。

テーブルの上にはノートパソコンが広げてある。
下腹部の痛みはだいぶ収まっているようだ。
さては元に戻ったのかと思っていると寝室から部屋着姿の美輝が出てきた。

「首飾り、じつはまだ外れてないんだよね。方法はわかったんだけど」
「外す方法わかったの!?じゃあ、早くしようよ……あいたたた」

急激に動いたせいか、和貴の中で再び生理痛がぶり返してくる。

「うん、外す時にもね、呪文が必要だったみたい。でも、そのぅ……」
「?どうしたの?」
「肝心の呪文を忘れちゃった。アハハ……」
「ええぇっ!?じゃ、じゃあ、どうするのさ!」
「だ、大丈夫だよ。買ったお店でもう一度聞いてくるからさ」

幸いにして明日は日曜だ。今日はもう夜なので仕方ないとして、明日、そのお店に行って聞いてくればいいだろう。

「なら、いいけどね」

美輝とは職場での付き合いしか無かった和貴だが、散々振り回されたおかげで彼女の性格がなんとなく分かった様な気がした。

(うぅ……袖原さんて、完全にトラブルメイカーなんだなぁ)

「とりあえず、今夜はこのままココに泊っていってよ。あ、でもこの場合、キミが「袖原美輝」なんだから、私が「大幡和貴」として泊めてもらうことになるのかな?」

美輝がおどけた口ぶりでそう言うが、和貴は何かが頭の片隅で引っかかり、素直に笑うことはできなかった。

(何だろう?どこかで、そんなセリフを聞いたような……)

「どうしたの?やっぱり、まだ痛い?」

心配げな美輝の言葉に、和貴は物思いから覚めて頭を横に振る。

「──大丈夫。だいぶマシにはなったから。それより、俺なんかを泊めちゃっていいの?」
「ん?別に構わないけど?」

一応嫁入り前の娘さんなのに……と気遣いを見せる和貴に対して、美輝の方はアッサリしたものだ。

「第一、そんな体調なのに大幡君が私を襲えるはずがないじゃない」

至極もっともな意見だったが、和貴としては美輝の風評その他も含めて気にしたのだが……まぁ、家主がいいと言うのだから、これ以上気にしても仕方あるまい。

「あ、そうだ。中途半端な時間になっちゃったけど、晩御飯、食べられそう?」

言われてみれば、確かに和貴も多消空腹を感じていた。

「うーん……軽いものなら食べられるかも」
「ふふ〜ん。そう言うと思って、おかゆ用意しといたよ」

美輝に導かれ、下腹部を気遣いつつ慎重にダイニングキッチンまで足を運んだ和貴だったが、彼女が棚から取り出したレトルトのおかゆを耐熱皿に入れてレンジで温めるのを見て、目が点になった。
おかゆとは言え女の子の手料理が食べられるかもと期待していたのだ。

「ああ、これ?いやぁ、私、普段はパンだし、お米とかウチに置いてないのよね」

和貴の視線に気づいたのか、美輝はあっけらかんとそう言い放つ。

「それに、あんまり凝った料理とかしないから、レトルトのほうが味的には信頼できると思うよ?」

確かに、今時「ひとり暮らしの女性は料理が上手」というのは幻想なのだろう。
微妙に納得しきれないものを感じつつ、和貴はおかゆを平らげ、食休みがてらしばらく美輝と話をする。
先ほども感じたことだが、袖原美輝という女性は、会社で話していた時に感じていた以上に、どうやらざっくばらんで大雑把な性格らしい。
一応、今の状況をもたらしたことで多少は責任を感じてはいるものの、それ以上にこんな非日常的な"ハプニング"が発生したことにワクワクしているようだ。
あるいは、憂ウツな生理の苦痛から思いがけず解放された反動もあるのかもしれない。

「そろそろ私はお風呂に入るつもりだけど……大幡君はどうする?」
「えっと……たしか生理の時って、女の人はあまりお風呂に入らないんじゃないの?」

遠慮がちな和貴の言葉に改めて気がついたようにポンと手を叩く美輝。

「あぁ、そう言えば、私今生理なんだっけ。うーん、でも、その痛みとか出血とかは全部大幡君が肩代わりしてくれてるんだし……大丈夫でしょ」

割り切りが良すぎる気もするが、一面の真理ではある。

「逆に大幡くんは止めておいた方がいいかな。本当の女の子ならタンポンをするって手もあるけど……」

言いかけて、美輝は、ふと考え込む表情になるった。

(まさか……)

和貴は何だか嫌な予感がした。

「ねぇ、今の和貴くんなら、タンポン使うこともできるんじゃないかな」

予想にたがわず、美輝は無茶苦茶な提案をしてきた。

「む、無理だよ!入れるトコロもないのにできっこないって!!それに、そうまでして風呂に入りたいわけじゃないから」

慌てて、全力で断る。

「そう?それを言うなら、何もないとこから血が出てるんだし、アリだと思うけどな〜。ま、本人がいいって言うなら別にいいけどね」

思ったよりもアッサリ美輝は引き下がってくれた。

「じゃあ、もう一度痛み止めを飲んでから、せっかくだしそのまま寝たほうがいいかな」
「う、うん。でも……袖原さんはどこで寝るの?」
「心配ご無用。居間のソファを倒せばベッドになるし、予備の布団もあるから。
じゃあ、生理が重い「美輝」ちゃんは、暖かくして寝ちゃいなさい」

同い年のはずなのに、まるで母親か姉のような口ぶりでそう言い残すと、美輝はバスルームの方へ消えて行った。
このまま留まっていると、「なぁに?やっぱりお風呂入りたいんだ?」などと曲解されそうな気がしたので、和喜も食器を流しに運んでから、今夜は大人しく寝ることにしたのだった。

その夜は、とくにおかしな夢を見ることもなく、和貴はグッスリ眠ることができた。
また、夜中に尿意を覚えてトイレに行ったときも、半分寝ぼけていたものの、とくにトラブルは起こさなかった。

──そう、便座を上げたりせずにパジャマとショーツを下して腰かけ、座ったまま小用を済ませ、終わったらキチンとペーパーで拭き取り、さらにはナプキンをトイレ内の棚に置かれた夜用の新品と取り換えたのだから。

「生理中の女性の行動」としては、何もおかしいところはない。
問題は、和貴がほぼ無意識のまま、一連の行動をとったコトなのだが……。
この時点で、その事実に気付いた者は、本人も含めてまだ誰もいなかった。

翌朝の目覚めは、最悪とまではいかなくとも、生理初体験中の和貴にとっては到底愉快とは言い難かった。

「うぁ……腰が重い……お腹の奥がズキズキする……頭もなんかシャキッとしないし……」

本来の和貴は寝坊とは無縁なのだが、今朝ばかりはむしょうにこのままベッドから出たくない気分だった。

「おっはよ〜!大幡君、もう目が覚めた?」

彼とは対称的に、美輝の方はどうやら絶好調のようだ。

「うん、一応は。気分はあんまりよくないけどね」
「ま、そうだろうねぇ。私、ただでさえ低血圧気味で寝起きが辛いのに、生理の時はそれがいっそうヒドくなるから」
「ふぅん。ん?もしかして、低血圧ってのも、昨日言ってた「枷となりし患い」に含まれてるんじゃあ……」
「おぉ!道理で今朝のお目覚めがスッキリ爽やか爽快だったわけね」

和貴の指摘にポンと手を打つ美輝。
逆に和貴はボフンと布団に顔を埋める。

「勘弁してよ〜」
「あはは……まぁまぁ、あと半日の辛抱だしさ」

慌てて美輝が慰めたので、ようやく和貴も気をとりなおして、ベッドから起き上がった。

美輝の薦めに従い、まずはトイレに入って用を足し、ナプキンを昼用のものと交換する。
和貴がトイレから出て来た時には、朝食の用意はできていた──と言っても、トーストとレタスとプチトマトのサラダだけだが。
普段の和貴なら6枚切りの食パン1枚程度では物足りないと感じたのだろうが、体調不良せいか、その1枚をホットミルクで流しこむのがやっとだ。
対して美輝の方は、たっぷりバターと蜂蜜を塗ったトーストの2枚目をペロリと平らげているうえ、サラダの方も和貴の倍近くは食べているようだ。
食後のお茶を飲みながら、今日の予定をふたりで話しあう。

「とりあえず、私はこのあと例のネックレスを買ったお店に行くつもりだけど、大幡くんはどうする?」

美輝に聞かれて和貴はしばし考え込む。
彼女について行ったとしても、さすがに外で例の呪文とやらを試すワケにはいかないだろう。必然的に、人目がなくて邪魔の入らない場所で実行することになる。
ならば、体調の優れない自分はこの部屋で待っている方がいいのではないだろうか?

「それもそうか。じゃあ、大幡君は居間でテレビでも見て待っててよ。あ、身体が辛くなったら、ベッドを使ってもいいからね」

恋人でもない男を自室にあげたまま外出しても平気なのだろうか……いや、それは今更
か。なにせ昨晩は、成り行きとは言え普段美輝が寝ているはずのベッドをアッサリ貸してくれたのだから。
それに、美輝のこういうサバサバしたトコロは和貴も気に入っているのだ。恋人いない歴と年齢がイコールで結ばれる和貴にとって、ヘンに異性を意識しなくても済む分、気は楽だ。

「じゃ、行って来るね〜」と手を振って出て行く美輝を見送ったあと、和貴はひとりこの部屋に残された。
とりあえず言われた通りにテレビをつけてはみたものの、日曜の午前とあってあまり面白い番組はやっておらず、しばらくして和貴はスイッチを切った。
幸いにしてお腹の調子も落ち着いているので眠る気にもならず、暇を持て余した和貴は、ソファ横のマガジンラックに置かれていた何冊かの雑誌を手にとり、ペラペラとめくってみる。
それらは、いわゆる女性週刊誌やファッション誌の類いだったが、少なくとも中味の薄いテレビの番組よりは和貴の好奇心を満たしてくれた。

「昨日袖原さんが着てた服、ちょうどこんな感じだったな。でも、俺はどっちかって言うと、コッチの方が……」

LIZ LISAのブランドムックと、spoon.を見比べて、和貴がそんな感想を漏らしているところに、「ただいま〜」とこの部屋の主が帰って来た。

「おかえり、早かったね。で、どうだった?」
「いやぁ、それがね〜」

あのネックレスを買ったのは、ちゃんとしたショップじゃなく露店だったため、今日は同じ場所に見当たらなかったのだ……と、美輝が説明する。

「ええっ!そんなぁ〜」
「あ、心配しなくても大丈夫。付近の人にも聞いてみたけど、あの店、毎週火曜日にはアソコに来てるみたいだから」

確かに、まったく行方がわからないワケではないぶんマシだが……。

「でも、それって逆に言うと火曜日にならないと戻れないってコトじゃないか!」
「うん、そうなるね」

愕然とする和貴を前に、美輝の方は涼しい顔をしている。もしかしたら、半ば不可抗力でつらい生理を丸々肩代わりしてもらえることを内心喜んでいるのかもしれない。

「明日は会社もあるんだけど」
「大丈夫でしょ。私達、同じ職場なんだし、互いの仕事内容もおおよそわかってるワケだから、一日くらいなんとかなるって!」

あまりにお気楽な美輝の調子に、和喜は目眩がしてきたが、いずれにしてもなんとかするしかないのだ。そういう意味では、ふたりの職場が同じだったことは確かに不幸中の幸いかもしれない。

「ふぅ……わかった。お互い、ボロを出さないように頑張ろう」

美輝ほど楽観的になれない和貴としても、そう答えるしかなかった。

「ところで、大幡君、体調の方はどうかな?」
「うん、快調とは到底言えないけど、お腹の痛みとかは昨日よりはだいぶマシみたい」

鈍い疼痛めいたものは感じるものの、昨日のように歩けないほどではない。

「そう、よかった。じゃあ、念のために痛み止めを飲んでから、ちょっと外出するのに付き合ってくれない?」
「え?うーーん……どこに行くつもりなの?」

痛みは「あまり」ないとは言え、決して快適とは言い難いのだ。和貴としては、できれば、あまり遠出はしたくなかった。

「もちろん、君の部屋だよ。ほら、月曜は私が「大幡和貴」として出社しないといけないじゃない?さすがにスーツの着替えとかもいるだろうしね」

なるほど、言われてみれば当然の話だ。
この部屋の衣類は全て、いまの和貴のサイズになってしまっているし、たとえ美輝に着れたとしても、他人から「大幡和貴」が女装してるみたいに見えるのは嫌過ぎる。
今の美輝の格好は、洗いざらしのダンガリーシャツとジーンズというユニセックスなものだが、この服装で出社するわけにもいくまい。

「大幡君、ひとり暮らしだよね?家ってどこだっけ?」
「ここからなら、電車で2駅ほど離れたところだけど……ちょっとわかりづらい場所にあるから、確かについて行ったほうがいいかな」

そんなワケで、和喜もふたりで外出することを了解したワケなのだが……。

「ね、ねぇ、やっぱりコレ着ないとダメかな?」
「当り前でしょ。小学生じゃあるまいし、いい歳した女がブラジャーしないで外に出かけるなんてあり得ないわよ!」
「うぅ……」

今の和貴の姿は他人から「袖原美輝」に見えるのだから、確かにその辺は気を使うべきなのかもしれない。
渋々納得した和貴は、風呂場の脱衣スペースで、美輝に渡されたクリームイエローの下着を身に着ける。
サニタリーショーツの方は、前開きのないビキニブリーフだと思えばそれほど違和感はないが、やはり胸元を締め付けるブラジャーの感覚にはどうにも慣れない。

「どう?ちゃんと着けられた?」

頃合いを見計らったようにバスルームのドアが開き、美輝が入って来る。

「わっ……ちょ、袖原さんッ!?」

下着姿、それも女物を見に着けているところを見られるのは、さすがに恥ずかしい。思わず、手近にあったバスタオルで身体を隠しながら和貴は抗議したが、美輝の方はどこ吹く風だ。

「あ〜、ダメダメ。ブラジャーを着ける時はね。こーやって……」

背後から和貴の胸に手をやり、脇腹や周辺の肉や脂肪を寄せて無理矢理ブラのカップに押し込む美輝。

「イテテ……ちょっと、乱暴だよ」
「おとこのコでしょ。それくらい我慢しなよ。それにほら、これでそれなりに膨らみが出来たじゃない」

昨日の会社からの帰宅時と同様、キチンとブラジャーを着けた和貴の胸は、僅かながら膨らんでいるように見える。

「さすが寄せて上げるブラ、おそるべしね」

どうやらそういう豊胸機能が付いた品だったらしい。

「いやぁ、私もあんまし大きい方じゃないから。やっぱり多少はね?」

和貴の視線に気づいたのか、アハハと笑って誤魔化す美輝。言われてみれば、確かに今の美輝の胸には、皆無とまでは言わないが、あまり隆起が目立たない。

「えっと、袖原さんの方は大丈夫なの?その……ブラジャーしなくて」
「私?うん、まぁね。大きい人ならともかく、私くらいだとノーブラの方が解放感があって楽なんだよね。まぁ、先端部は敏感だからニプレスだけは付けてるけど。
激しい運動するなら別だけど、普通に歩いたり動いたりする分には問題ないかな。それに、万が一薄着の時にシャツからブラの線が透けて見えたら大変でしょ。「大幡和貴」に下着女装疑惑ができちゃうよ?」

和貴としてもそれは勘弁してほしい。
まぁ実際には、今まさに言い逃れできないレベルで女装しているワケだが。

「あとはお出かけ着だね〜♪」

何だか美輝は無性に楽しそうだ。あるいは、和貴のことを等身大着せ替え人形だとでも思っているのかもしれない。

「あ、そうだ。袖原さん、服のことなんだけど、昨日みたいな愛され系じゃなくて、できたらコッチの雑誌に載ってるような、もうちょっとおとなしめの格好の方が……」

と、先ほどまで見ていた雑誌のひとつを指差す和貴。
女性の服装をすることはこの際仕方ないが、さすがに可愛らし過ぎるのは勘弁してほしい。

「ん?ああ、「spoon.」かぁ。へぇ、大幡くんの好みって森ガ系なんだ。うん、少し前は私もソッチに手を出してたから、イケると思うよ」

幸い、美輝は和貴のリクエストを聞き入れてくれたようだ。
勝手知ったる(本人のだから当り前だが)タンスから、美輝が取り出して来たのは、ダボッとした感じコットン素材の半袖ワンピース。
前身頃にギャザーが寄せられ、袖口やスカートの裾にレース飾りがついているものの、色合いは白とグレイと生成りに近いナチュラル系だし、男の和貴が来ても体型が目立たずにすむだろう。

「スリップを着てからこれを着て、さらにニットのボレロを羽織れば、今の季節にはちょうどいいんじゃないかな。パンストも履いておいた方が寒くなくていいと思うよ」

ファッションセンスという言葉とは縁の遠い和貴は、美輝言われるがままの衣裳を身に着ける。

「ナチュラル系でいいけど、メイクもしとかないとね。できるだけ簡単にするから、大幡くんも自分でできるよう覚えてね」
「え、どうしてさ?」
「明日会社にスッピンで出てくるつもり?」

そう問い返されればぐぅの音も出ない。
昨日は立場を入れ替えた時点ですでに顔に化粧が施されていたからあまり気に留めていなかったのだが、今日の和貴はその過程をつぶさに観察するハメになった。

「と、こんな感じかな。どう、覚えられた?」
「えーと、たぶん」

あまり自信はなかったが、一応何とかなるだろう。

「それにしても……ちょっとメイクしただけで、結構違うもんなんだね」

昨日の美輝の目ヂカラに重点をおいた愛され系メイクに比べると、かなり押さえめなのだが、それでも今の和貴の顔は、自分で見ても十分女らしく見えた。
和貴は気づいていないが、眉の形が昨日の時点で整えてあることも関係しているのだろう。

「あとは髪をブローしてっと……うん、大幡くんの元の髪が長めでよかったわ」

本来なら先月床屋に行くはずのところを、忙しさにかまけてサボっていたたため、今の和貴の髪は襟足を隠すくらいの長さがあり、セットの仕方次第で女性のショートカットに見せることができるのだ。

「はい、これで完成。すごーい、どこからどう見たって女の子だよ〜」

自分で仕上げたクセに美輝が感嘆の声をあげるが、それも無理はない。鏡に映る和貴の姿は、彼自身の目にも「美人とは言わないまでもごく普通にその辺にいそうな20代前半の女性」に見えたからだ。

「ねーねー、頬っぺに手を当てて、「コレがアタシ?」って言ってみてよ」
「いや、言わないから!それより袖原さんも早く用意しなよ。俺はリビングで待ってるから」

ブーブーと不満げな声をあげる美輝を寝室に残して、足早に居間へと歩き去る和貴。
実は、美輝のツッコミが入らなければ、まさによく似たコトを鏡の前でやりかねなかったのは、彼の心の中だけの秘密だ。
一方、美輝の方は5分もしないうちに寝室から出てくる。

「よく考えたら、今の私は「大幡和貴」なんだから、お化粧する必要はないんだよね」

昨日和貴が着ていた背広をノーネクタイで着崩しているのだが、着ているのが女性なだけあって、何となくお洒落に見える。

「じゃあ、大幡家へレッツゴー!」

無闇にテンションの高い美輝に辟易しつつ、和喜も玄関へと向かい、美輝が靴箱の奥から用意したスエードのブーツを履く。昨日のロングブーツと異なり、ヒールがほとんどなく、長さもハーフ程度なので履くのが格段に楽だったのは助かった。
そのまま美輝と連れ立って美輝の部屋を出る。

「あ、このバッグは大幡君が持ってないとね」

確かに背広姿の(しかも他人には男に見える)美輝が女物のトートバッグを持っているのは不自然だろう。中味はそれほど入ってないらしく軽かったので、体調が不安な今の和貴にも負担にならない。

そのまま、美輝のマンションをあとにして、和貴の部屋に着くまで特にアクシデントもトラブルもなかったのは幸いだった。

「ふ〜ん、ここが大幡君の部屋かぁ。独身の男の部屋ってもっと散らかってると思ってた」
「まぁね。昨日掃除したばかりだから」

築4年・軽鉄モルタル造りのアパートで、8畳和室+キッチン2畳の和貴の部屋は、美輝のマンションと比べれば安さと静かさだけが取り柄だ。その分、掃除するのも楽だが。

「じゃあ、早速だけどタンス開けさせてもらっていい?」
「うん、どうぞ。女の子と違って、見られて困るものなんてないし」

和貴の了解を得ると、美輝は本当に無造作に部屋の隅に置かれたタンスをゴソゴソ漁り出した。

「スーツとズボンはコレと……Yシャツはこれ。下着とか靴下は下の段かな?」

止める暇もなくタンスの最下段を開けて、トランクスやボクサーパンツを平然と手に取る美輝。

「わわっ、そ、袖原さんっ!」

かえって和貴の方が恥ずかしくなって慌てている。

「ん?どしたの?」
「どうしたって……そのぅ……」
「ああ、コレ?私、半年くらい前まで彼氏いたし、ウチに泊りに来た時に洗濯とかもしてたから、男物の扱いにも慣れてるんだよね」

と、そこで言葉を切り、美輝は「いぢめっ子の表情」を浮かべる。

「──童貞の大幡君と違って」
「うぐっ!!」

精神的なクリティカルヒットをくらって畳の上に崩れ落ちる和貴。

「あ、やっぱそーなんだ。当てずっぽうで言ったんだけど」

きゃらきゃらと笑う美輝を、和貴は横目で恨めしそうに睨む。

「──俺って、そんなにモテないオーラ発してる?」
「うーん、そうねぇ……顔も性格も決して悪くはないんだけど、草食系って言うか、どうにも押しが足りない感じ?」

自分でも薄々気にしている欠点をハッキリ口にされて、和貴は凹む。

「そんなコト言われても……今更性格なんて簡単に変えられないし」
「ま、強引なタイプの女性とうまく噛み合えば何とかなるんじゃない?もっとも、完全に尻に敷かれることになるだろうけど」

他人事なので、美輝はお気楽にアドバイスする。
部屋の隅で横座りして畳にのの字を書いてる和貴を尻目に、美輝はテキパキと必要なものを選び出し、押し入れから見つけた手提げ紙袋に詰めている。

「うん、二日分ならこんなものかな。大幡君は、とくにやっておくコトある?」
「うーん……特には。ケータイも入れ替わっちゃってるみたいだし」

そう、今朝になって気付いたのだが、ふたりが普段使用している携帯電話の方も、当然ながら入れ替わった服のポケットやカバンに入っていたのだ。
とりあえず今は交換して着信記録などを確認しているが、明日出社する時は、それぞれ「袖原美輝」と「大幡和貴」にふさわしい方を持っていないと不自然だろう。
メールなどについては、緊急の場合を除き、それぞれに相談してから返信することになっていたが、普通に電話がかかってきた場合は出るしかない。

「ま、そのヘンは臨機応変に考えるしかないよね。じゃあ、外で何かお昼食べてから、私の部屋に戻ろ!」

駅前のパスタ屋でランチを頼んだものの、健啖な食欲を見せる美輝とは対照的に、和貴の方は体調が優れないせいか一部を残してしまう。
どうやら薬の効果が切れてきたらしいので、それからは寄り道せず、まっすぐに美輝のマンションに帰ることになった。
美輝の部屋に着いたところで、ぐったりした和貴は、美輝にも薦められてまたパジャマに着替えてベッドで横になることになった。
幸い、生理3日目ということもあって、3時間程うとうとしていれば、だいぶ楽にはなったのだが……。

「ほ、ホントにしないとダメ?」
「だって、大幡君、もう丸二日お風呂に入ってないでしょ?明日は「袖原美輝」として会社に行くんだから、さすがに匂いとか気にしないと」

「私の評判に関わってくるんだからね!」という美輝の主張き誠にもっともで、和貴としても風呂に入ること自体はやぶさかではないのだが……。

「だからってコレは……」

目の前に差し出されたプラスチックのスティックを、こわごわ見つめる和貴。
そう。昨晩と同様、美輝は和貴にタンポンを使うよう提案(というか命令?)しているのだ。

──実は、以前と異なり、最近の女性は生理中もタンポン無しで風呂に入ることは珍しくないし、3日目で出血量もだいぶ収まっているとあってはなおさらなのだが、あえて美輝はこの生理用品を持ちだしていた。
理由はもちろん「その方がおもしろそうだから♪」。

「第一、本当に入るかわかんないし……」
「じゃ、確かめてみましょ。えいっ!」

ベッドに腰かけた和貴を、美輝はいともたやすく押し倒し、パジャマのズボンをショーツごとずり下ろす。

「ちょ、袖原さんッ!」

慌ててもがく和貴の抵抗をものともせずに、彼の下肢をグイと押し広げて身体を割り込ませ、その局部を覗き込む。

(うーん、女の子をレイプする男性の気持ちがちょっとわかっちゃったかも)

そんな倒錯的なことを考えながら、美輝は素早くアプリケーターの先端部を、じくじくと赤黒い血が染み出している部位──陰嚢と肛門の中間部あたりに押し付けた。
不思議なことに、細いプラスチックのスティックはほとんど抵抗感なく飲み込まれていく。

「ひはぁンッ!?」

和貴の口から息が詰まったような甲高い悲鳴が漏れた。
男である自分には何もないはずのソコに、確かに何かが入って来るのを、和喜は感じていた。
痛みはない。むしろ、むず痒いトコロを巧みに掻かれているような心地良さが、かえって恐ろしい。

(や……やめて……くれ……)

このままでは、自分の男としてのアイデンティティが崩壊してしまいそうな予感を感じて、和貴は心の中で叫ぶものの、美輝の手は止まらない。
外筒部がすべて和貴の体内に没したところで、さらに内筒を押し込む。

「あ……あぁ……」

和貴は自分の体内、いや「胎内」の奥に何か小さなモノが押し出され、それが水分を吸って徐々に大きくなっていくのを確かに感じていた。

「はいっ、コレでOKだよ」

キュポンッ!と軽い音ともに、プラスチックのアプリケーターが引き抜かれたところで、和貴は我に返った。

「ひ、ヒドいよ、袖原さん!」
「だって、大幡君じゃあタンポンの使い方なんてよくわからないでしょ。こういうのは「案ずるより産むが安し」、よ。それにちゃんと入ったみたいだし」

美輝の視線の先、和貴の局部に目をやると、そこには、たしかに紐のようなものがふたつブラ下がっている。肌自体には穴など何もないので、接着剤で張り付けたようにシュールな光景だった。
おそるおそる和貴が紐を引いてみると、身体の中にある「何か」が動くような感触がする。

「あ、ダメダメ、せっかく入れたんだから。それは風呂から出たあと取り出す時に引っ張るのよ。
ともかく、これで経血を気にせずお風呂に入れるはずだから。さ、行った行った!」

替えの下着とネグリジェを持たされ、和貴は浴室に押し込まれる。

「うぅ……なんか、身体の中に異物感がぁ……」

顔を赤らめ、ブツブツ言いながらも、和貴はパジャマの上を脱いで、風呂場に入るのだった。


月曜日の朝8時。
とあるマンションの一室から一組の男女が出て来て、駅へと向かっている。
学生も社会人もおそらく一週間で一番憂鬱になるであろう月朝にも関わらず、はつらつとした元気を周囲にふりまいている男性と、彼に引っ張られるようにして恥ずかしそうに歩いている女性の組み合わせは、周囲には微笑ましい光景と映っているようだ。

──もっとも、そのカップル(?)の活発な男性に見える方が本当は女性で、控えめな女性にしか見えない方が実は男性であることては、皆さんもよく御存じであろう。
そう、言うまでもなくこのふたりは袖原美輝と大幡和貴である。無論、不思議なネックレスの力で、今は本人達以外には美輝は「和貴」に、和貴は「美輝」に互いの容姿が入れ違って見えるわけだが。

「和貴」な美輝は、昨日和貴のマンションから取って来た背広姿なのだが、ライトグレーの上着にサンドベージュのスラックスを合わせ、薄水色のカッターシャツに黒と赤の格子縞のニットタイを締めている。
会社に行くにしてはやや砕けた格好だが、今日は社外の人間と会う予定はないので問題はないだろう(実際、会社に着いたところ、いつも上下同じ背広に地味な色のネクタイを締めている本物の和貴と異なり、「センスがいい」と好評だったりする)。
対して、「美輝」の立場となっている和貴の方は、膝丈の白い七分袖ワンピースの下にオーキッシュブラウンのサブリナパンツを履き、その上から大きめのストールをポンチョ風にまとっている。足元はかかとが低めな黒のチャイナシューズだ。
美輝のワードローブの中で、できればボトムをスカート以外にしたい和貴が選んだ苦肉の策なのだが、縮れコットンの素材のワンピースがフェミニンな印象を醸し出しており、結果的に普段の美輝より淑やかな雰囲気なのは皮肉だった(和貴は気づいてないが)。

「うぅ……ホントに大丈夫かなぁ」
「もうっ!往生際が悪いわよ、大幡君」

これまでと違い、よく見知った会社の人々相手に「美輝」を演じなければならないとあって、和貴はどうにも及び腰なのだが、美輝に叱咤されつつ、結局は無事8時半過ぎに会社に着いた。

幸いと言うべきか、和貴たちの会社は9時半始業なので、職場にまだほとんど人はいない。
辺りに人目がないことを確認してから、美輝は和貴を女子更衣室へと押し込んだ。

「ほら、覚悟を決めてチャッチャと着替える!」

さすがに和貴も現状は理解しているので、溜め息をつきながら「袖原美輝」のロッカーを開けて、会社の女子制服に袖を通し始めた。
土曜日はこの姿でいた時間が短かったため、あまりそう思わなかったが、改めて自分が着るとなると、ボトムがタイトスカートのこの制服はいささか気恥ずかしい。
それでも、この二日間で女物の衣類に幾分慣れたせいか、さして戸惑うことなく着替えることはできた。

数分後、更衣室近くの自販機前で缶コーヒー片手に待っていた美輝は、もじもじしながら近寄って来る、和貴の姿に相好を崩した。

「お、ちゃんと着替えられたみたいだね。うん、偉い偉い。ブラウスのリボンも……曲がってないか。残念、「タイが曲がっていてよ」をしようかと思ったのに」
「か、からかわないでよ、袖原さん」

和貴の反論を意に介さず、そのOL姿を頭のてっぺんからつま先までジロジロ凝視する美輝。

「うーん、お化粧も崩れてないか。でも一応、トイレで口紅だけはひき直した方がいいかな」
「えっと……それって、女子トイレで?」
「当然でしょ。それとも「袖原美輝」を男子トイレに忍びこむ痴女にしようっての?」

美輝の視線は、もしそんなコトしたら、「大幡和貴」もタダじゃ済ませないわよ……という脅しを言外に語っていた。

「──ハイ、ワカリマシタ」

となれば、和貴としてもほかに選択肢はなく、「人生初体験の女子トイレ」でメイクを直すハメになるのだった。

さて、その後、しばらくして他の会社の者も出社し、始業時間となったワケだが、いざ仕事を始めてみると思いの他、トラブルもなくスムーズに時間を進めることができた。
コレは、昨日美輝が言っていた通り、ふたりが同じ部署で互いの業務をおおよそ呑み込んでいるからだろう。
美輝の方は経理の仕事は土曜で一段落したため今週頭はほぼ一般事務だけだし、和貴のほうも外回りの営業ではなく内勤の事務方の人間だ。概要さえあらかじめ教え合っておけば、ボロが出ない程度に仕事をこなすことは十分可能だった。
いつもなら美輝の後輩として何かと彼女に話しかけてくる女性社員の小杉明子も、幸いにして今日は休みのようだ。
一番問題になりそうなトイレについて、小心者な和貴も一度入ったことでふんぎりがついたのだろう。昼前に一回堂々と女子トイレを使っていた。
美輝に関しては言わずもがな。むしろ立ち小便ができないことをコッソリ残念に思っているくらいだ。
問題は休み時間のそれぞれの社内の友人たちとのコミュニケーションだが……。

「あ、『袖原さん』、よかったら今日、お昼一緒に行かない?」
「そ…『大幡くん』?えっと……うん、いい、わよ」

こうして「和貴」な美輝が「美輝」な和貴を釣れ出すことで、長時間のおしゃべりを巧く回避していた。

「でも、よかったの?たぶん、アレだと周囲の人に勘違いされたと思うけど……」

会社から少し離れた場所にあるが「美味しい」と評判のうどん屋に入り、向かい合わせのふたり席に座って注文をしたあとで、和貴が美輝に囁いた。

「ん?何で?」
「いや、なんでって……アレだと、袖原さんが俺に──いや、今は逆なのか。「大幡和貴」が「袖原美輝」に気があるように見えるだろうし、「袖原美輝」もソレを嫌がってない風に見えると思うんだけど」
「あはは、お昼ご飯くらいで大げさだなぁ。でも……私は別に構わないけど」

チラリと美輝から流し目を投げかけられて、一瞬ドキッとする和貴。
男装しているにも関わらず(あるいはだからこそ)、普段のサバサバした印象の彼女とは、少し異なる不思議な色気が、スーツ姿の美輝にはあった。

「か、からかわないでよ……」
「あら、別にからかってないわよ。言ったでしょ、「顔も性格も決して悪くはない」って。
反面、頼りない感じがマイナスだったけど……でも、今の「美輝ちゃん」な和貴くんは可愛いし、イイ線行ってると思う」

本来なら、いい歳した成人男性に対して「可愛い」というのは褒め言葉ではないし、怒ってもいいところなのだろうが、なぜか胸が熱くなるねような感覚を和貴は覚えていた。

「か、可愛いなんて、そんな……」

ドギマギして目を逸らす和貴を、愛でるような眼差しで見つめる美輝。

「フフッ、そういう初心(ウブ)なトコロが特にね。とても、同い年とは思えないなぁ」

何か言い返そうと和貴が言葉を選んでいるあいだに、折悪しく注文していた品が届く。

「いっただきまーす!」
「──いただきます」

天ぷらうどんと焚き込みご飯のセットを美味しそうにパクパク頬張る美輝と、小盛りのざるそばをちゅるちゅるすする和貴の様子は、本来の男女関係からすると逆のようだが、今の立場的にはふさわしいだろう。

「にしても、和貴くん、それだけで足りるの?朝もパン一枚だったし」
「生理の影響かな。あまり食欲ないんだ」

4日目とあって、下腹部の痛みや出血はほぼ治まっているが、体調自体は万全とは言い難い。元々大食漢とはほど遠いが、どうやら和貴は身体の調子を崩すと格段に食欲がなくなるタチのようだ。

「美輝さんは、よく食べるね」
「えへへ、まーねー。大丈夫、私は食べても太らない体質だから」

多少嫌みを込めた和貴の言葉にも、美輝は悪びれずに世の女性から殺されそうな台詞を吐く。
結局そのあと午後の仕事に関して簡単な確認をしたところで、昼休みも終わりの時間帯となり、ふたりは慌ただしく会社へ戻り、それぞれの立場での仕事に精を出すことになるのだった。

午後から夜にかけても大きなトラブルはなく、このまま無事に終わるかと思われたのだが……。
「相談アリ・資料室へ」というメモを見て、会社の資料室にやって来た和貴に対して、美輝が意外なことを聞いてきた。

「えっ、仁科課長に飲みに誘われた!?」
「うん。これって、断らないほうがいいよね?」

どうやら「大幡和貴」している美輝に、上司から飲みの誘いがあったようだ。

「そりゃあ、同僚とか単なる先輩ならともかく、課長の誘いはなぁ……袖原さんて、お酒強い方だっけ?」
「ま〜かせて!ザルとまでは言わないけど、私けっこうウワバミよ」

その言葉を信じて、代役を任せるしかないのだろう。

「でも、仁科課長って、家がウチと近いから、たぶん帰りに一緒のタクシーで送ってくれると思うんだけど……」
「そうなんだ。うん、でも大丈夫。昨日行ったから、和貴くんの部屋はちゃんと覚えてるから」
「ええっ!?もしかして美輝さん、そのままウチの部屋に泊まるつもり?」
「ん?何か変?今の私は「大幡和貴」なんだから、むしろその方が普通でしょ。だいたい昨日一昨日と私の部屋に泊っておいて、自分は拒否するつもり?」

ジロリとニラまれで慌てる和貴。

「あ、いや、美輝さんがいいなら別に構わないんだけどさ。じゃあ、俺も今日はウチの部屋の方に帰っておこうか?」
「それじゃあ、明日の着替えとかに困るでしょ。だーいじょーぶ。部屋に泊まるのはお互い様なんだから、悪いようにはしないって。Hな本見つけても知らないフリしたげるから」

結局、至極筋の通った美輝の言い分に、和貴も従うしかないのだった。

「お、お先に失礼しまーす」

午後8時過ぎ。なぜか少し申し訳なさそうな顔をした女子社員(の格好をした和貴)が、未だ会社残っている面々に挨拶しつつ、会社を出ようとしていた。

「お、袖原さん、お疲れさん」
「おつかれ〜」

快く声をかけて見送ってくれる残業社員達。
これが「袖原美輝」ではなく大幡和貴なら、こんな早く(と言っても就業時間はとっくに過ぎているのだが)に帰ったら嫌みのひとつも言われたかもしれない。
「美輝」のフリをしている和貴も、もう少し残ろうかとは思っていたが、本物の美輝に「生理で辛い……ってことになってるし、あんまり遅くまで残らないこと」と釘を刺されているので、仕事が一段落したのをみはからって退社することにしたのだ。
ちなみに、「和貴」になっている美輝の方は、7時前に課長に連れられて得意先との打ち合わせに出かけている。今日は、そのまま飲み明かすつもりなのだろう。

(美輝さんの酒癖って、どんなだったかなぁ……)

そんな事を考えつつ、会社を出て駅へと向かう和貴。普段の和貴はJRなのだが、美輝の部屋は私鉄沿線にあるので、最寄り駅も乗る電車もまったく違う。
こうしていると、改めて自分がまったく異なる立場の人間になっている(正確には、その人間の立場に置かれている)ことを、しみじみ痛感する。
しかも、今夜はその相手の部屋でひとり過ごさないといけないのだ。
持ち主本人の了解は得ているとはいえ、なんとも落ち着かない気分だ──少なくとも、その電車に乗る前の和貴は、そう考えていたのだ。
ところが。
普段と帰宅時と異なり、人の多い電車に詰め込まれて揺られる。一応生理はほぼ終わったとはいえ、まだ万全でない体調の和貴にとって、この帰宅ラッシュは少々酷だった。
さらに、偶然かもしれないが、お尻のあたりを誰かに触られているような……。

(痴漢!?いや、まさかなぁ……)

しかしながら、今の自分は、周囲の人間にとっては、女らしい服を着た若い女性──「袖原美輝」にしか見えないのだということを思い出し、背筋を怖気が走る。
幸いその直後に電車が下りる駅に着いたため、真相を追求する間もなく、急いで「美輝」は電車から降りて、足早にホームの階段を駆け降りた。

(あ〜、気色悪い……)

満員電車に乗る度に……ということはないだろうが、それでもあんなメに遭う危険性がある女性は、本当に大変だな、と思う。
同時に、そんな卑劣な真似をする男がいること──そして、自分もまた同じその男であることが、和貴はつくづくイヤになった。

(ふぅ……なんか、外で夕飯食べていく気分でもないなぁ。角のコンビニで適当にご飯買って、さっさと部屋に帰ろ)

溜め息をひとつ漏らして、トボトボ歩き出す和貴は、だから気づいていなかった。

──自分が今、ごく自然に帰るべき場所として「袖原美輝」の部屋を思い浮かべたことに。
──一度も入ったことのないはずの美輝の家の近くのコンビニの場所と、その品揃えまで思い浮かべられたことに。

「家」に帰った「美輝」──和貴は、いまいち体調の優れない身体を引きずりつつ、部屋着に着替えると、ほとんど惰性でテレビをつけ、それを見ながらコンビニで買って来たおにぎりと惣菜を食べた。
食べ終えると、とくにおもしろい番組もやっていないので消し、風呂を沸かす。
準備が出来るまでの手持ち無沙汰な時間は、適当な女性週刊誌を見てつぶした。
「ピローン!」と風呂が湧いたアラームが鳴ったので、そのまま寝間着と下着を用意して、お風呂に入ろうとして……自分がまだ化粧を落としていなかったことに気づいて、慌ててシャンプードレッサーに向かってメイクを落とし……。
鏡の中の顔を見て、自分がやってることに、はたと気づく。

「な、何やってんだ、俺……」

別段、これと言って変わったことをしていたワケではない。ごく当たり前の日常的な暮らしを営んでいただけだ。

──ただし、大幡和貴ではなく、「袖原美輝」としての。

「くそぅ……なんだかんだ言って、この3日間で結構慣れちゃったのかなぁ」

元に戻っても女っぽい行動とったりしたら、シャレにならないのだが……。

「ま、まぁ、女性の立場での暮らしも、明日までなんだ。もぅ大丈夫だよな」

そう自分に言い聞かせるように呟きながら、風呂に入る和貴。
昨日、無理矢理風呂に入らされた時の「指導」が効いているのか、いつものようなカラスの行水ではなく、ややぬるめのお湯に、きちんと肩まで浸かってリラックスする。
身体の芯に、ほんの僅かに残ったダルさがお湯の中に溶けていくように気持ちよかった。
その幸福な気分のまま、ボディシャンプーとスポンジで全身の肌を磨きあげ、頭髪もシャンプーとリンスをたっぷり使って丁寧に洗う。
風呂から上がった和貴は、ほとんど無意識に胸を隠すようにバスタオルを巻いた格好のまま、シャンプードレッサーに向かって、眉毛と顔の無駄毛の状態をチェックする。
元々体毛は濃くない和貴だが、不思議なことに例のネックレスをしてからは髭もまったく伸びていないようだ。化粧水や乳液で手入れしているせいか、つるんとした肌を保っている。
眉毛のほうは少し不揃いになっていたので、何本か抜いて形を整える。
鏡に映る自分の顔の、細く弧を描く眉を満足げに見て……再び和貴は我に返った。

「いや、だから、そこまでする必要ないって!」

大丈夫だろうか?しかし、土曜日に立場が入れ替わった時は、いきなり和貴の眉も細く整えられていたのだ。そう言えば、昼間うどん屋で見た「和貴」してる美輝の眉は、いつもより太かった気がする。
それから考えると、明日の夜、ふたりが元に戻れば、この整えられた眉の状態は、美輝の方に移行するはずだから、何も問題はないはずだ。自分は、美輝が行うべき労力を肩代わりしてやっただけなのだ、ウン。
素早くそう理論武装すると、和貴はさっさと寝間着に着換え、手早くフェイスケアを済ませる。

(これも、美輝さんの代わりにやってるだけ……あくまで、仕方なく……)

手入れ後の肌の気持ちよさに気づかないフリをしつつ、念のためピルを水で飲み下してから、今夜は早々に寝てしまうことにした。
ベッドに入ると、この3日間で慣れ親しんだアロマオイルの香りと、おそらく美輝のものであろう女性らしいほのかな匂いに包まれて、早速眠くなってくる。
なんだかんだ言って、慣れない「袖原美輝」としての行動(えんぎ)で、緊張してたのかもしれない。
だが、夢の中までは、自分を偽る必要はない。
和貴は、ゆっくりの睡魔の腕に囚われていった。

……
…………
………………

その日の夢で、和貴は、短大に入り、大学の授業の傍ら、テニスサークルや合コンに精を出す女子大生の生活を体験することになった。
時には女友達と一緒に海に遊びに行き、時には合コンで知り合った彼氏とデートする。
もっとも、その時の彼氏とは長続きせず、キスまで止まりで別れてしまったが。
2年後、大手の入社試験は全滅し、受かった中で給与面でいちばん条件の良かった今の会社へ就職。
初出社の日、制服を着て挨拶回りをしているところで……朝になり、目が覚めた。

目覚めた時の体調は、昨日までと異なり気分爽快だったが、何か大切なことを忘れているような気がして、和喜は首をひねった。

(確か……ヘンな夢を見たような気がするんだけど……)

どうしてもその夢の内容が思い出せない。
とは言え、今日は平日だ。いつもより早めに目が覚めたからと言って、あまりゆっくりしている暇はない。
思いだせない夢の記憶を頭の隅に追いやると、和貴はベッドから起き上がって、テキパキと着替え始めるのだった。

とりあえず、あまりにも可愛い系のは避けて、かといって本来の「袖原美輝」のイメージを極端に壊し過ぎない程度にはフェミニンな服装を、手早くタンスから選び出す。
ルゥデルゥブランドの大きめの襟の白いブラウスにドットスカーフをネクタイ風に締め、その上からレースをあしらったノーカラーのボーダージャケットを羽織る。
ボトムは、一見ティアードスカートに見える黒のショートパンツと、40デニールのベージュのタイツだ。
普段通勤に5着の背広の上下を順繰りに着回して済ませているものぐさな青年だとは、とても思えないセンスと手際の良さだった。

昨日コンビニで買ったツナマヨの手巻きを食べ、レンジで温めた烏龍茶をすすりながら、何気なくテレビの天気予報を見ていると、どうやら午後から雨が降るらしい。

「傘を持って行ったほうがいいのかな?」

幸い、玄関脇の傘立てスペースに、花柄の折り畳み傘があったので、押し入れで見つけたキャメルカラーのエディターズバッグを持つことにして、その中に入れておく。
一昨日、美輝から受けたレクチャーを思い出しつつ、最低限のメイクを済ませ、髪もスプレーしてから軽くブロウして整えると、そろそろ出る時間だった。
靴は少し迷ったものの、雨になることも考慮し、あまりヒールの高くないブラウンのオックスフォードパンプスにしておくことにした。

マンションの鍵を締め、やや足早に最寄り駅へと向かう和貴。
カツカツと響くヒールの音が、自分の足元から聞こえるのは、なんだか新鮮な気分だった。土曜日に履かされたロングブーツに比べれば、この程度の高さのヒールなど楽なものだ。
本人はまったく気づいていないが、颯爽と歩く和貴の姿は、生理が終わった解放感ともあいまって、溌剌と輝いているように見えた。
電車を見た時、一瞬、昨日の痴漢(?)のことが頭をよぎる。少し表情が翳った和貴だったが、ふと足元の「女性専用車両」の表示を見て、元気を取り戻す。

(今のオレは「袖原美輝」なんだから、コレに乗る権利があるよな)

躊躇いもなくそちらの列に並び、やがて来た「女性専用車両」へと乗り込む。
車内に充満する、女性特有のパヒュームやフレグランスの香りにいったん圧倒されかけたものの、自分も化粧品を使っている今の和貴にとっては、それほど異質な匂いではない。
むしろ、男性の汗やキツい整髪料の匂いに比べれば、100万倍こちらの方が好ましかったし、痴漢の恐怖に怯える必要もない。
時々見かける「もっと女性専用車両を増やそう!」という主張に、共感を覚える和貴だった。

会社の近くまで来たところで、少しだけボーッとしている美輝を発見する。

「……おはよう、「和貴くん」!」

少しだけ迷ったものの、周囲に人がたくさんいることも考慮して、和貴は今の「立場」に沿った名前で呼びかけてみた。

「ん?ああ、おはよう、「美輝さん」」

振り返った美輝は、すぐに和貴の意図に気づいたようで、そう返してくれた。

「昨日の飲み会は、どうだったの?」
「バッチリ!」

なんだか美輝はエラくご機嫌なようだ。

「最初は、知ってるとおりミワ興業のお得意さんと打ち合わせがてらご飯食べてたんだけどね。そのあと課長たちにキャバクラに連れて行ってもらったんだ!」
「へぇ〜」

それがどう言うものかおおよその知識はあるが、和貴自身は飲みにそれほど金をかけないタイプなので、彼もまだキャバクラというものを体験したことはない。

「おもしろかったよー」

しかし、アレは一応男性向けのサービスだろう。女性が行っても楽しいモノなのだろうか?

「別にお店自体はフーゾクってワケじゃないからね。綺麗なお姉さんと会話をしながら、楽しくお酒を飲むトコロだよ」

確かに、間違ってはいないが……。

「ボクについてくれた女性がね、すごく素敵な人でさぁ。話もすごく盛り上がったんだぁ」

そう言えば、キャバクラでモテるためのコツは、金払いもさることながら、いかにホステスと巧みに会話できるかだと聞いた記憶が、和貴もあった。

「そりゃ、「和貴くん」なら、女性心理も女の子の流行もバッチリだもん。意気投合するわけだよ」
「ニャハハ……まぁね。ちょ〜っとズルいかも」

そんな風に話をしながら、ふたりは会社に着いた。

「じゃあ、また後でね!」

「大幡和貴」の席に向かう美輝と別れて、和喜は女子更衣室に入った。

「あ、おはようございます、美輝センパイ」
「!おはよう、こ…明子ちゃん」

小杉さん、と言いかけて慌てて呼び方を変える。
美輝の2年後輩にあたる、和貴と同期入社の小杉明子だ。
明子はもうほとんど着替え終えていたので、彼女の下着姿を見て動揺するようなメに遭わずに済んだのは幸いだった。

「──明子ちゃん、昨日休みだったみたいだけど、身体の方はもういいの?」

和喜も制服に着替えつつ、何も会話しないのも変かと思い、無難な話題をフッてみる。

「はい、単にアレがちょっと重かっただけですから。センパイの方は大丈夫なんですか?先週の金曜日お休みされてましたよね」
「ええ、もう平気。でも、今回のはすごく重くてホント苦しかったわ」

まぎれもない実感がこもった言葉に、明子は心底同情した風に頷く。

「大変でしたねぇ。センパイ、いつもアレの時は辛そうですけど、お薬とか飲まないんですか?」
「鎮痛剤と体質改善のためのピルを少し、ね。でも、痛み止めが効きにくい体質らしいのが、悩みの種なのよねー」

そんな風に明子と気安く会話できる自分に、和貴は内心驚いていた。
これまで和貴は、小杉明子のようないかにもキャピキャピした女の子っぽいタイプの女性と話すのは、どうも苦手だったのだが……。
けれど、こうして「袖原美輝」として同性の立場で話してみると、案外礼儀正しいし、先輩思いで優しい普通の「いい子」なのだ。
結局、「美輝」が着替え終わるまで、明子も女子更衣室に留まり、ふたりは仲良く雑談しながら、各々の席──と言っても隣り同士だが──へ向かうこととなった。
席に着いた和貴が、斜め向かいにある本来の自分の席にチラと目をやると、美輝は意外な程キリリと引き締まった顔でパソコンに向かい、何かの文書を作成しているようだった。
その表情に、ほんの一瞬だけドキリとしたものの、その理由がわからず、内心狼狽える和貴。
慌てて目を逸らし、自分の──美輝のパソコンに意識を戻す。ポチポチと、本来は美輝がするはずだったデータ整理をしていると、ふと右側からの視線を感じる。

「──何か用かしら、明子ちゃん?」

キツい口調にならないよう気をつけながら、小声で隣席の「後輩」に聞く。

「いえいえ〜、なんでもないです。何だかセンパイが熱い視線を大幡さんに送ってるなーなんて、別に思ってないですよ?」

ニコニコと邪気のない笑みを浮かべる明子に、何と答えればいいのかわからない。

「……業務時間中だから、私語はほどほどにね」

そんな風に誤魔化してしまったが、これでは明子の疑惑を認めたも同然だろう。

(まぁ、どの道、昨日で噂になってるし、いいか)

とりあえずその事は頭の片隅に棚上げして、仕事に集中するのだった。

「「美輝さん」、お昼、いっしょにどう?」
「──えぇ、いいわ。行きましょ」

何かを期待しているように目を輝かせている明子は、あえて無視して、今日も和喜は美輝ともに出かける。
無論、今日は昼食よりも例の露店に行く方が本題だ。

ところが……。

「──雨、降ってるね」
「──うん」

天気予報では午後からとあったが、少し早めに降り出していたようで、会社を出てすぐにふたりはUターンして傘を取りに戻るハメになった。

「えっと……常識的に考えると、露店って雨の時は普通やってないよね?」
「まぁ、そうだろうね」
「「…………」」

嫌な沈黙が落ちる。

それでも、一縷の望みを託して、会社から歩いて10分程の場所にある繁華街の一角──例の露天商が店を開いているはずの場所を覗いてみたのだが……。
当然ながら、そこには誰もいなかった。

「えーと……そうなると、来週の火曜日まで、このままってコトになるんだけど……」

傘の下、その場所を無言で見つめる和貴の背中に、美輝はおそるおそる声をかける。

「……」
「その……まさかこんなコトになるとはね。ははは……」
「…………」
「あのぅ……和貴クン?」
「………………プッ!」

あまりに美輝の口調が申し訳なさそうだったので、和喜は思わず噴き出してしまった。

「大丈夫、怒ってないから。雨が降ったのは美輝さんの責任じゃないでしょ。それとも、密かに雨乞いでもしてたの?」
「まさか!まぁ、「確かに男性としての暮らしはちょっと面白いなぁ」とか、「もうしばらくこのままでもいいかな〜」とは思ってたけどさぁ」
「ヲイヲイ……」

ノリで物事を進める美輝らしい答えに呆れる和貴。

「ま、まぁ、それはソレとして……和貴くんの方は大丈夫?どうしても「袖原美輝」を続けるのが無理なら、最終手段として有給取ってひきこもるって手もあるけど」

とは言え、旅行その他で有給を消化する機会の多い美輝にとって、それは断腸の思いだろう。

「いや、さすがにそこまでするのは申し訳ないよ。昨日今日で、美輝さんの仕事の要領は大体つかんだと思うし、何とかなると思うよ」
「本当!?いやぁ、そうしてもらえると二重の意味で助かるよ!」

有給休暇を減らさず、かつ仕事も片付けてもらえるからだろう。和貴は苦笑した。

「ま、ポジティブに考えれば、女性の生活とか本音を垣間見るいい機会だし。何事も経験だと思って頑張るさ」
「うんうん、異性としての生活なんて、滅多にできない経験だもんね。それじゃあ、「美輝さん」、あと一週間、よろしくな!」
「はいはい。「和貴くん」も、お仕事キチンと片付けてね」

会社に戻ったふたりは、テキパキ仕事を片づけて、揃っていつもより早めに退社(当然そのコトは噂に)。和貴のアパートで、今後のことについて話し合う。
基本的にはこの2日間と同様、人目がある場所では互いの立場になりきって行動すること。ただし、自宅では自由にしていいこと……などで合意する。
だが、ふたりは気づいていなかった──「自宅」と言う言葉で本来とは逆の場所を自然に思い浮かべていること。そして、「お互いのフリをする」ではなく「立場になりきる」と決めてしまったことが、どんな結果をもたらすのかを。
「大幡和貴」としての美輝は、それなりに変化に富んだ毎日の仕事に、意欲的に取り組み、周囲の評価も上々。
対して「袖原美輝」として働く和貴は、ルーティンな業務にも細やかな気配りを忘れず、ややガサツなところのある美輝の株を大いに上げる。和貴自身、本来の仕事に比べて今の方が気が楽だな、と感じていた。
積極的に女性週刊誌やファッション誌に目を通しているおかげか、後輩の明子をはじめとする女子社員とも、意外なほど順調にコミュニケーショがとれている。
木曜の夜、美輝のプライベートの友人から電話があったが、和貴はそれほど慌てることなく対応できるようになっていた。

土曜日は、その女性に誘われて、一緒のショッピングに出かける和貴。服の趣味が変わったことを指摘されるものの、「前より今の方がセンスいいし、似合ってる」と言われて、(女としての)自信を持つように。
さらにその翌日の日曜日は、「和貴」な美輝からの誘いによって、ふたりは初めてデートに出かける。名目は「この一週間の互いの仕事関係の情報を交換する」だが、ソチラは適当に済ませて、楽しい半日を過ごすふたり。

そして迎えた翌週の火曜日。ようやくふたり揃って問題の露天商と会うことができたものの、「個々のネックレスで呪文が違うので、ちょっと調べないとわからない」とのこと。
仕方なく、メアドを伝えて、呪文がわかったら連絡してくれるように依頼する。
さすがに、少し不安になってくる「美輝」だが、「和貴」になだめられて落ち着きを取り戻す。この頃すでに社内では「ふたりの仲」は公然の秘密になっていた。

それから、半月が経過するが、ふたりはまだ戻れずにいた。
その間、「美輝」は2度目の生理に苦しむハメになるが、多少は慣れたのと、親しくなった「和貴」が公私両面で色々気遣ってくれたので、以前よりは楽に過ごせた。

そして、「美輝」の2度目の生理が終わった数日後。ふたりで飲みに出かける。ホロ酔い気分になった頃、「和貴」に恋人としてつきあってくれと言われ、しばし動揺したものの、頬を染めて頷く「美輝」。
その晩、すっかり酔ってしまった「美輝」を「和貴」は部屋まで送る。酔いのせいかしどけなく乱れた「美輝」の格好に興奮を抑えきれなくなった「和貴」は、「彼女」を押し倒す。
下着姿にされ、ディープな口づけに始まって、耳やうなじ、鎖骨の辺りに舌を這わされ、まろやかな尻や太腿などを優しく揉みしだかれて、快楽に喘ぐ「美輝」。
次々に「女の弱い場所」を攻められた後、さらには、肌蹴た胸元から覗く左右の乳首を指先と舌で執拗に愛撫され、軽くイッてしまう。
頃はよし、と見た「和貴」はトランクスを脱ぐと、「何もないはずの股間」をしごきつつ、「美輝」の下肢からストッキングごとショーツをズリ下ろす。そして、足を大きく開かせると、同じく「何もないはず」の「美輝」の会陰のあたりに「ソレ」を押しつけ、さらに押し込む。

「ああぁぁぁーーーっっ!う、ウソ!?」

何かが自分の体内(なか)に入ってくる感触に戸惑い、ほんの一瞬我に返った和貴だったが、リズミカルな抽送とともに、下腹部から全身へと広がる快感に、すぐに「美輝」として溺れてしまう。
その夜、「美輝」は幾度となく「和貴」の腕の中で、絶頂を極めることとなったのだった。

そして1年後。ふたりは、元に戻れない──いや、戻らないまま結婚式を迎える。頼もしい旦那様となった「和貴」の隣りで、純白のウェディングドレスをまとい、輝くような笑顔を見せる「美輝」。
新婚初夜を迎えたふたりが、翌朝目を覚ますと、不思議なことにあのネックレスは消えていたのだが、その後も周囲の認識に変化はなかった。

さらに翌年、「美輝」は会社を辞めて専業主婦となっていた。だいぶ膨らんできたお腹を抱えつつ、家事に勤しむ「美輝」。時折、胎内で我が子が動くのを感じると、自然と笑みがこぼれる。
夕方帰宅した夫「和貴」と熱烈な抱擁を交わす。そろそろ安定期に入ったということで、夕食後、久しぶりにセックスに励むふたり。
「美輝」の身体自体は相変わらず男のままなのだが、「妊娠している」せいか、心なしか胸が大きくなり、「和貴」に強く吸われると母乳も出るようになっている。
「和貴」の股間に生えた見えない男根(ソレ)が、自分にないはずの膣(ソコ)を満たす感触に、陶然となる「美輝」。「彼女」の身を気遣い、優しく腰を突き上げる夫に抱かれながら、「美輝」は女としてこの上もない幸福を感じていた。






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