雪谷のぞみ
シチュエーション


蒸し暑さで気だるくなる午後、テレビから流れてくるワイドショーがイライラを加速させる。

『カリスマ美人ギャル社長・雪谷のぞみ 成功の秘訣』

なにが美人だ。ギャルだ。カリスマだ。
かじっていたせんべいを、まだ地デジ化されていない四角いブラウン管に投げつけると、
ちょうど画面の向こうで若作りしているババアの顔に当たって砕け散った。

「はぁ……」

あまりの虚しさに、深いため息を吐く。
テレビに八つ当たりしたってどうしようもないのに。
だけど、我が物顔でギャルメイクしてテレビに出ているあのババアを見るたび、
どうしてもイライラが抑えられない。
あのテレビに出ている『カリスマ美人ギャル社長』は東大出で卒業後すぐ起業、
そして24歳の若さでネイルショップやエステ、アパレルなどを経営して年間100億稼ぐといわれている。
それだけでも凄いのだが、在学中から読者モデルとして活躍するほどの美貌の持ち主で、
正に非の打ち所のない完璧セレブとしてテレビにもひっぱりだこ。
だけど。
だけど。
タルみたいな体型なのに花柄のマキシ丈ワンピ着てBCGの痕が残るタプタプの二の腕をこれでもか晒しているあの女が、
そんな上等な人物であるはずがない。
だって、本当の『カリスマ美人ギャル社長・雪谷のぞみ』は、ここでテレビを見てるんだから。

事の始めは数ヶ月前。

テレビで専業主婦のことを「生産性がない、つまらない職業」みたいなことを言ったのがすべてのきっかけ。
確かに今思えば、あれは言いすぎだったのかもしれない。
だからこそ、すぐに謝罪をしたんだけど、まるで昆虫のように脊髄反射でやったとしか思えないような、
専業主婦を名乗る抗議の手紙やメールが、会社や事務所に山のようにやってきた。
そんな文字通りのごみメールの山の中に、一通だけとても気味の悪い手紙が混ざっていた。
差出人の名前もなく、裏面には赤黒い血のような文字で『お前にも主婦のつらさを思い知らせてやる』とだけ。
そのときは「ずいぶん手の込んだ脅迫状だな」ぐらいに思っていたんだけど……。
次の日、起きたらなにもかもが変わり果てていた。
昨日はユウくんやヒロ、ケンちゃんたちと4Pしていたはずだったのに、
横には見たこともない『いかにもくたびれたサラリーマンのオヤジ』がイビキをかいていた。
さらに自分の格好がまたオドロキで。
センスのかけらもないガーゼ地のパジャマを着て、
寝たままパーマできるようにカーラーがいくつも頭に巻かれて型崩れしないようネットをかぶっている。
もう、いまどきバラエティのコントでもないような、これでもか!と言うぐらいのオバサンスタイル。
こんな姿を誰かに見られたら恥ずかしすぎて自殺しちゃうかもしれない。
そう思っていたら、横の布団に寝ているオッサンが

「お母さん、朝っぱらからうるさいよ」

って、まるで自分の奥さんに文句を言うかのようにつぶやいた。私のほうも見ずに。
なにが起きてるのかパニックのまま部屋を飛び出すと、まず家の中の風景がまったく違っていた。
だって私の部屋は港区にあるデザイナーズマンションで、
家具も厳選した国内外のステキな調度品やオシャレな家電で統一していたはずなのに、
目の前に広がるのは狭っ苦しい廊下もどきに手作りの布製カバーがかかった電話、
テーブルクロスのつもりなのかビニール製のシートが掛かった木製のテーブル、センスのない食器が並ぶ食器棚など、
安っぽいホームドラマに出てくる、いかにも『ウサギ小屋』と言ったような典型的日本家屋。
これはいったいどういうことか? パニックを起こしていると、
さっきのオッサンや女子高生ぐらいの女の子が眠そうに「お母さん、どうしたの?」と心配そうに声をかけてくる。
まったく知らない人たちに、次々「お母さん」と言われる恐怖。
そのとき玄関が開いて、1人の男の人が入ってきた。
なんと数いるセフレのなかでもお気に入りのユウくん!
彼にすがるように助けを求めても、返ってきた言葉は

「なにユウくんとか言ってるんだよ、オフクロキモいよ」

慌ててテーブルの上にある合皮製の女性物財布を開けて、免許証を取り出す。
そこには化粧っ気の薄い疲れた顔をした私の写真と、まったく知らない人の名前。
その日の記憶は、そこで途切れていた。

それから心療内科にかかったりと3日ほど入院する間に、なにが起きているのか調べることにした。
そこでわかったことは、田中弘樹という中年太りでハゲかけているサラリーマンの妻で、
とくに定職につかずプラプラしている長男・雄一と進学校に通う長女・さくらの母親だということ。
料理も掃除もそれなりにこなすが決しておしゃれとは言えず、
いかにもオバサンしている47歳の田中淑子。それが今の私だというのだ。
さらに信じられないことに、今をときめく美人社長『雪谷のぞみ』は別にいるというのだ。
女性週刊誌をめくると、全身からオバサンオーラを漂わせている中年女性が
まったく似合わない今風のガーリッシュなファッションを身にまとい、
笑顔でインタビューに答えている写真が掲載されていた。
つまり、こいつが本当の『田中淑子』で、何らかの方法で私との立場を交換した、ということなのだろう。
テレビをつけても雑誌を見ても、マスコミから芸能人から世界中があのババアを『雪谷のぞみ』として扱っている。
もしここで『私が本当の雪谷のぞみだ!』と主張しても、
きっと狂人として病院に閉じ込められるだけだろう。
これからの人生のことを考えると世界が真っ暗闇に包まれたような、
そんな感覚に襲われて、また気を失ってしまった。

退院したあとは『田中淑子』として主婦業に追われる日々が始まった。
毎日ご飯を作り、洗濯したり、掃除したり。
今までは「外食すればいいや」とか「じゃあクリーニングに」とか
「業者呼んでやってもらいましょ」で済んでた家事が、全部私に降りかかってくる。
苦労して作ったご飯は「おいしくない」とか「なんで洗濯しといてくれなかった」と文句を言われたり、
何をしても報われない日々。
やりくりしてもどうにもならないダンナの給料に頭を悩ませていることも知らずに、
おこずかい値上げを要求してくるダンナと娘に苛立ち、
毎日のように『あのクソビッチ』のところへいく息子に怒りを覚え、
そして肉体的にはヤりたい盛りの24歳なのにまったくセックスできないという欲求不満に悶え、
ストレスばかりが積もり積もっていく。
こういうとき『雪谷のぞみ』だったら、ホスト遊びしたりセフレ呼んで乱交したりと発散できるのだけど、
『田中淑子』には先立つものがない。
へそくりすらない。
隠し口座の1つでも作っておくんだったと後悔するばかり。
もちろんファッションにかけるお金なんてあるはずもなく、
先代の『田中淑子』が残していったウェストがゴムになったスカートや奇妙な柄のシャツとか、
色気のかけらもないベージュのババシャツやパンツなど、
身に着けているだけでオバサンに染まっていくようなものばかりを仕方なく着ている始末。
化粧品にお金をかけるなんてもってのほか、安っぽい婦人用ファンデやどギツい赤の口紅ぐらいしか買うことができない。
肌の手入れも最低ランクの乳液程度。
以前は月2でセットしにいっていた美容室だって3ヶ月に1度、かわいくセットするなんて望むことすらかなわない。
もっとも、かわいくセットしたらしたで家事の邪魔になるだけなので、
ボサボサでキューティクルの艶もない今の髪の毛のほうが、
遠慮なくゴムで束ねられる分だけ便利なのかも。

……負け惜しみだ。
境遇的には47歳になったとしても、そこはやっぱり身も心も24歳の女の子だもん。
かわいくなりたい。オシャレしたい。
でもお金がそれを許してくれない。
テレビに投げつけたせんべいを片付けながら、どうやってお金を作ろうか思案するばかり。
やっぱ、昔取った杵柄とばかりにFXや株で財産作るのがいいのかなぁ……と、
娘が使わなくなったパソコンの画面に映るチャートを見ながら、毎日相場と格闘していたりもする。
会社の資金をコレで稼いだ腕はいまだ衰えず、連戦連勝で預金は溜まっていくんだけど、
その溜まったお金は家計の穴埋めに消えていくだけ。
だって、毎日一生懸命働いているダンナにいいもの食べさせたいし、娘の塾の費用だって馬鹿にならないし。
いつかはまたホスト遊びをして若い男とセックスすることを夢見ながら、
でも結局出来ずに家族のために使っちゃうんだろうなと苦笑いしながら、
今日の晩御飯は何にしようかと冷蔵庫の中身を確認するのだった。






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