三日目
シチュエーション


今朝も娘のベッドから目覚める。

「やはり戻らないか・・・」

大きな溜め息をつく。今日で私の娘、歩美と立場が入れ替わってから三日目になる。
しかも今日からは歩美の通う高校に行かなければならない。
40過ぎのオッサンが、しかも女子高生として。そりゃ溜め息だって出る。
意を決してふんわりとしたネグリジェを脱ぎ、ブラウスに袖を通す。左右逆でやりにくい。
そして膝上丈のチェックのスカートを穿き、ブレザーを着る。
最後に学校指定のリボンと靴下を身に付けて完成。
娘の制服一式を身に付けた私は、鏡で見ても女装したオッサン。正直見るに堪えない。

「それにしても最近の高校生はスカートが短いな・・・」

膝上15cmもありそうなスカートをめくってみる。
水色のショーツがチラッと見えて自己嫌悪に陥った。今日は本当に大丈夫だろうか?

この格好でリビングまで行く。妻が私に気付き、挨拶をする。

「おはよう歩美、今日は早いのね。いつもは私が起こしに来るまで起きないのに」
「たまには早いこともある・・・わ・・・よ」

やはり回りには私が『歩美』に見えるらしい。慣れない女言葉で返事をする。
ふと見ると、スーツを着た歩美がニヤニヤしながらこちらを見ている。くそっ。

・・・朝食も終わり、いよいよ学校へ行かなければならない。
カバンを持って、ローファーを履いて、玄関を開けた。今日は長い一日になりそうだ。

ガチャ・・・

私は恐る恐る家のドアを開けて外に出た。

「よし、誰もいないな・・・」

近所の人に今の姿を見られるのはやはり気が引ける。

歩く度にこすれる太股が今の自分の格好を思い起こしてくれる。
裸で外を歩いているようで全く落ち着かない。似たようなものだけど。

・・・未だに自分の置かれている事態が信じられない。
この間までサラリーマンをしていた私が、今日から女子高生をするのだから。

ようやく最寄りの駅に到着した。
駅ということで、やはり人が多い。たくさんの人たちの前でこんな格好してるなんて・・・。
しかし、私の不安とは裏腹に、人々はこちらに目もくれず、ホームの方に消えていく。
心なしか、自分の足をジロジロ見ていく男もいるような気がするが・・・
女子高生の格好をしたオッサンに見られてはいないことに少し安堵する。

「歩美ー、おはようー♪」

いきなり背後から肩を叩かれビクッとする。驚きながら振り向くと、今の私と全く同じ格好をした女の子。
実物で見ると結構可愛いな・・・確か名前は真紀・・・だったか。
新しい生活のために『歩美』から情報は少しだけもらっている。

「おはよう、真紀・・・。」
「あれ?今日はどうかしたの?元気ないじゃん。」
「えっ・・・と・・・ちょっとね・・・。」

私は言葉を濁す。

「ふーん。何があったかは聞かないけど、話したくなったら気軽に相談しなよ。」
「うん、ありがと・・・」

「あ、もうすぐ電車が来るからホームに並ばないと」

そう言って真紀は歩き出す。私もそれに着いていく形に。
彼女が並んだ場所は『女性専用車両』。私に入る資格はあるのだろうか。

・・・あれこれ考えているうちに電車が到着。流されるままに入ることにする。

「おはよー真紀、歩美♪」
「おはよー♪」

車内に入ると、同じ高校の女の子が3人待っていた。
どうやら彼女らも同級生らしいが、名前が分からない。
しかし、そんな心配をよそに彼女らは何気ない会話を繰り広げている。

・・・話がポンポン飛ぶせいか、私はどうも話について行けない。
その内容も彼氏がどうとか、若手アイドルグループがどうとか、興味の範疇を超えるものばかり。
ずっと話題に付いていけないのはまずいので、帰ったら予習しないといけないな。

高校に近付くにつれ、車両内が大分込み合ってきた。今の私は真紀と向かい合いながら密着する形になっていた。
真紀は密着を嫌がるどころか、手を私の腰に回してスキンシップを取ろうとする。

「ち、ちょっと真紀・・・」
「別にいいじゃん、女の子同士なんだしー♪電車の中では毎日こんな感じでしょ?」
「そ、そうだけど・・・」
「気にしない気にしない♪」

(気になるっての)

真紀の髪の香りや、制服越しに伝わる体温、互いに触れ合う生足、何ともドキドキする状況だ。
しかし、逃げようにも車内はぎゅうぎゅうで、一歩も動けない。
私は真紀にされるがままだった。役得と割り切ることにするか。

・・・

そうこうしているうちに高校の最寄り駅に到着した。
学校へ向かう高校生たち。その中にとっくの昔に卒業した私も混じっているから不思議だ。

しかも、『男子』ではなく『女子』として・・・。

男子を見ていると、自分が彼らと違う立場にいることを嫌でも意識してしまう。
制服も、靴も、下着ですらも既に彼らとは違うものを身に付けているのだから。

私の中では不安が一層増すばかりだった。

教室に入り、私は『自分』の席に座った。
挨拶を交す相手はやはり女の子が多く、皆が私を『歩美』と思って接してくる。
話しかけてくる子も多いので、女の子の言葉遣いにももう少し慣れないといけない。
今は大分マシだが、朝の電車では緊張しすぎてほとんど言葉が出なかった。

・・・それにしても、営業マンとして鍛えた会話テクがここで役に立つとは思わなかった。
お得意様との会話でも聞上手であることが第一で、
いかに気持ちよく話をしてもらうかが契約を左右するといっても過言ではない。
女の子は話したがりが多いのか、大概は相槌と同調だけで会話が成立する。
ひとまずは話を聞くことに専念すれば問題ないと感じた。名前やデータも得られて一石二鳥かもしれない。
だが、ずっと聞きに徹していると、いずれボロが出るに決まっている。
もちろん営業でも聞いているだけでは駄目で、必要なタイミングで相手に合わせた意見を発する必要がある。
話題のトピックについてはしっかり研究しないといけないな。よし、頑張ろう。

出席確認になり、名前が次々に呼ばれていく。
まずは男子からだ。もちろん自分は呼ばれない。何だろうこの感覚。
女子の出席確認になる。私の苗字は『一瀬』だから、最初の方だろう。

「一瀬歩美さん」
「はい」

(よし、できた)

無事に済んだことに安堵する。相変わらず歩美と呼ばれて返事をするのには違和感を覚えるが。
さて、いよいよ授業だ。

授業が始まった。
何気ない行動でさえも、自分が『女子高生』であることを意識せざるを得ないことに気付く。
まず、ペンからノートに至るまでほとんどが女の子らしいもので構成されている。
授業中くらいは自分の中の男を維持できると思っていたが大きな間違いだった。
逃げ場はどこにもない。

私はキャラクター物のペンケースの中からピンクのシャーペンを取り出す。
花をあしらった淡い黄色のノートを開き、黒板に書いてあるものを書き写す。
これまでのノートと筆跡が違いすぎたらおかしいので『歩美』の文字を真似ないといけない。
こんな感じか・・・?これも帰ったら練習する必要があるな。

と、ここで自分の足に意識を移す。スカートから伸びる足はきっちり内股をキープしている。

(よし、大丈夫だ)

授業中は話や黒板に意識が行きがちで、足が開くことがあるから
座る時は常に内股で足を閉じる習慣を身に付けろと『歩美』からもきつく言われている。
スカートを穿いているだけでも恥ずかしいのに、その中身を見られるなんてのは私にとってもこの上ない屈辱だ。
絶対にこれだけは阻止しないと。そう思い私はスカートを前に引っ張り、また少し安心感を覚えるのだった。


そういった一連の行動――男だとばれないように振舞うこと、歩美になりきろうとすること、
スカートの中を見られないように注意すること、それらには奇妙な達成感があった。
もちろん義男はそのことに全く気付いておらず、男としての意識を忘れないようにしているつもりだ。

だが、男であるにもかかわらず、女子高生として日常を過ごさないといけない、
周りも女子高生としてしか扱ってくれないこの異常すぎる状況に、義男の感覚はこの時点で既に麻痺しつつあった

一時間目の授業が終わり、休み時間になる。
次の授業は・・・体育。
男子は校庭でサッカー、女子は体育館でバレーボールをするらしい。

男子はこの教室で着替えるらしく、既に服を脱ぎ始めている。

「歩美、さっさと行くよ」
「うん・・・」

そうだった。今の自分は『そっち側』なんだよな。
サブバックを手にとり、私は真紀と体育館へ向かった。
男子とは違い、女子は体育館の更衣室を使わせてくれるらしい。

そして私は更衣室に入った。

・・・そこには想像通りの光景と言うべきだろうか、女子たちが着替えを行っていた。
そして当然私のことなんか意に介していない。
当たり前のようにブラウスやスカートを脱ぎ、下着姿になっている。
女の子達は色とりどりの下着を付けており、素肌を晒すその姿は非常に眩しいものであった。
やはり若さってのは素晴らしい。

近くを見ると真紀も服を脱ぎ始めている。
お、こんな可愛い下着を付けているのか。・・・て、いかんいかん。私も着替えねば。
もっと周りを見回したい気持ちを抑えつつ、私もサブバックから体操服を取り出す。
まずはブラウスを脱ぐ。誰が気にしているわけでもないのは分かっているが、
男の自分がブラジャーやキャミソールを付けている姿を晒すのは非常にキツイものがある。
もしかしたら「あ、今日は水色なのか」と思われているのかもしれない。
嫌な想像を頭の中で打ち消すようにシャツを頭からかぶった。
下は・・・スカートの下から穿けばショーツを見られなくて済みそうだ。
スカートから脱ぐ子もいたが、流石に私にはできない。いえ、勘弁して下さい。
そんなわけで先に赤のショートパンツを穿いて、スカートを下ろし、着替えが完了した。
心なしか、ミニスカートよりは安心する・・・気がする。相変わらず足は露出しっぱなしだが。
窓から外をふと見ると校庭に向かって走る男子の姿が見える。男の体操服は青なのか。
男子は青で、女子は赤、そして自分が穿いているのは赤・・・。

男との距離感を感じる。

体育館でクラス毎に集合して一列に並ぶ。
当たり前だが周囲は女子ばかり。
そして自分も女子としてこの体育館で整列している。

・・・私はまだこれが現実であると思えない。
自分はこんな所で何をやって・・・いや、もうそのことは考えまい。

今の自分は『歩美』なんだ。

私は女子高生なんだ。

いつ戻れるのか分からないが、今は『歩美』になりきるしか道はない。
震える脚を諌めるように自分に言い聞かせる。
いけない道を一歩一歩踏み出しているような気もする。
だが、そう思わないと自分のアイデンティティが崩壊しそうだった。

軽く準備運動をしてからバレーボールの試合が始まった。

ボールがこちらめがけて飛んでくる。
私は自分の気持ちを整理するのに必死で反応が遅れてしまった。

ドスンッ

ボールが体に当たり、私は尻もちをつく。イタタ・・・

「歩美っ、大丈夫!?」

チームの女子が私の周りに駆け寄ってくる。

「うん、大丈夫・・・」
「やっぱり今日の歩美何かおかしいよ?保健室行く?」

真紀が私を気遣って声をかけてくれる。

「ありがとう、真紀。でも大丈夫だから」
「本当に?辛かったら言いなよ」
「うん」

そう言って私は立ちあがる。そうだ、今は試合中なんだ。集中しないと。
相手のサーブ。またボールがこちら目がけて飛んできた。
明らかに狙われてる。そうはいくか。さっきの一発で十分目は覚めた。

(よしっ)

今度はしっかりとレシーブを返す。
そしてトス、アタック!よし、決まった。

笛の音がなり、私たちのチームに点が加算される。
点を決めた子は皆とハイタッチ。もちろん私も手を重ねる。

その後も点が入ったら一緒に喜び、入れられたら互いに声を掛け合っていた。
誰かがミスをしても励まして余計なプレッシャーをかけないようにしている。
運動神経の良くない子もこのチームにはいるけど、それを皆でカバーして補っている。
心なしか、その子の表情も明るく、のびのびとプレイしている感じだ。
それを見ていると自分も嬉しくなる。このチームのために頑張りたい。勝ちたい。
そんな気持ちにさせられる。

そういえば、男の試合はもう少しドライな感じだったなあ、とふと振り返る。
時にはミスした人を罵る奴もいた覚えがある。運動神経の悪い奴は常に悪者扱い。
罵声を浴びた人は動きもどんどん硬くなって新たなミスを招く悪循環。
そういうのは見ていて気分が悪かった。かと言って自分が励ますわけでもないが。
もちろん声を掛け合う良いチームもあったけど、少なかったなあ。

その点、女子の方は勝ち負けも大事だが、それよりもチームを第一にしている。
その方がこちらも楽しくプレイできる。そう、スポーツなんて楽しむものなんだ。

・・・この試合は相手との実力がほぼ互角で、点を入れたら返されるようなペースだった。
そんな中、何とかこちらのチームが先にマッチポイントになる。

次のサーブは私だ。

「頑張れ歩美!」

周りの女の子が声をかけてくれる。ここは絶対に入れたい。
集中しながらサーブを打つ。
いつもよりも低い弾道。入るか!?

何とかネットを超え相手コートへ入った。よし!
しかし相手チームに綺麗なレシーブを返される。
その球はゆっくりとネット際に向かい、そこにいた子がふんわりとしたトスを放つ。
私は急いでネット前に飛び出した。

・・・来る!

意を決してジャンプする。
バシィッ!!手に衝撃が走る。
よしっ!入れっ!

トンッ・・・

ボールは静かに相手のコートへ落ちる。
向こうも反応が遅れ、今一歩のところで届かない。

ピーッ!笛の音と共に私のチームに点数が入る。・・・勝った。
わあっと自分のチームのメンバーが駆け寄り、抱き合いながら喜ぶ。

嬉しい!そして楽しい!

皆と一体になって得た(私にとって)初めての勝利は感慨深いものとなった。

あれから数試合行って、負けたりもしたけど、とにかく楽しかった。
こうやって皆で汗を流すのは何年ぶりだろうか。この爽快感はずっと忘れていた気がする。

・・・

体育の授業も終わり、再び女子制服に着替える。
やはりスカートは穿き慣れないが、さっきよりは気持ちが楽になった感じがする。

「やっといつもの歩美らしくなってきたね」

真紀が話しかけてくる。

「そうかなー?」

私は答える。
言葉も前よりは楽に出るようになった。
相変わらず言葉は詰まることがあるし、話題には付いていけないけど。
同じチームで共に戦った真紀には特に親近感を覚える。もっと仲良くなりたい。
女の子の人間関係は距離が近くて温かい感じがする。

女子高生の格好は相変わらず恥ずかしい。
実際、窓から反射する自分の姿もやはり女装した男にしか見えない。肉体だって完全な男だ。
でも、周りはそう思ってないんだ。今の私は『歩美』なんだ。

少し女子高生を楽しんでみようかな。
自分の中で男の部分を維持してさえいれば、戻った時も問題ないはずだ。

また少し、『歩美』に近付いた義男だった。

「ただいまー」

私は誰もいないと分かっている自宅の玄関でつぶやき、ゆっくりと中に入った。
休日ならば大抵誰かいる我が家だが、平日は妻も『歩美』も仕事中だ。
休みの日や夜の顔しか知らないせいか、このがらんとした空間がやけに心細い。
太股同士が擦れる感覚を妙に気にしながら『私の部屋』へ向かう。

ガチャ・・・
おそるおそるドアを開け、音を立てずにゆっくりと部屋に入る。
いや、忍び込むという方が妥当な表現だったかもしれない。

『私の部屋』――数日前までは『歩美の部屋』だったわけだが・・・
淡いピンクを基調とした壁紙にカーテン、最近買ってあげた真っ白な化粧台に全身鏡、
貼られている男性アイドルのポスターや本棚に揃っている少女漫画、無造作に置かれたティーンズファッション雑誌、
その他各所に至るまで誰がどう見ても「女の子の部屋」だった。
この部屋で過ごすのも今日で3日目。だが、未だに慣れない。

鏡で自分の姿を確認する。やはり朝と同じ、我ながら見苦しい姿だ。
この格好で今日一日過ごしたなんて・・・。しかも学校まで行ったのか・・・。
スカートの裾をつまみながら自責の念にかられる。

思い返すと、随分大胆なことをしたものだ。
基本的に女の子は集団で行動することが多く、休み時間は常に周りに誰かがいた。
体育が終わったあたりから、女装に羞恥心を抱きつつも不思議と気持ちが落ち着いていて、
緊張したのはせいぜい階段を登り降りするときくらいだった。
初めて連れションというものも味わった。女子トイレは案外混むものなんだなとただ冷静にそう思っただけ。
何故あの時の自分が何も疑問を覚えてなかったのか不思議なくらいだ。

異常すぎる空間に色んなものが麻痺していたのだろう。
今になって悶々としてしまう。

だが、早くこの環境に順応する必要があるのも事実だ。考えすぎるのは良くない。
今の私は歩美なのだから。

よしっ。気持を切り替えよう。まずは着替えないと制服がしわになってしまう。
そうして制服を脱ぎ、下着姿になる。
上から下まで全て娘のものを身に付けている父親ってのは想像すると逆に笑えてくる。
だが、今の私は女の子の服以外は着ることを許されていない。
仕方ないんだ、そう自分に言い聞かせてタンスの前に掛けてある部屋着、
ボーダー柄のワンピースを手に取り、何も考えず頭から被った。
シャツとは違い、裾が膝上まで伸びることに相変わらず違和感を覚えつつも着替えは完了。
ゆったりとしたタイプの服なので、制服よりも緊張感がないのはありがたい。
昨日は丸一日この服で過ごしていたこともあり、先程よりは大分リラックスしている。

さて・・・。
私はおもむろにティーンズファッション雑誌に手を伸ばす。
今日は周りとの会話も何とかなった(つもりだ)が、毎日聞いてるばっかりだと怪しまれるに違いない。
早めに情報を仕入れておく必要がある。

・・・

なになに・・・今年の流行ファッションか・・・。真紀も何が欲しいとか色々と言ってたなあ。

『やっぱり女の子ならワンピース!これで周りに差をつけちゃえ!』

皆が着たら差が付かないじゃないか・・・と突っ込みを入れつつ、見出し以降も読み進める。
ガーリーだの、カジュアルだの、訳分からんタイプにそれぞれ分類されてワンピースが紹介されている。

うーん、『歩美』はカジュアルに属するのかな。こんな感じの服を着ているのを見たことがある。
更にページをめくると、スカートやショートパンツ、パーカーなどに至るまで詳しく紹介されていたが、
不思議と見覚えのあるものが多かった。『歩美』は服装にかなり気を遣っていたのかもしれない。
この辺りは『歩美』が着た姿を連想できたおかげか、比較的楽しく読めた。
男と比べると随分バリエーションがあるんだなあと関心する場面もあった。

その後は町での着こなしや、アイドルや恋の相談、スイーツなどのページが続いていた。
だが、この辺りはイマイチ興味が湧かない。
まして男と恋愛なんて想像するだけでも寒気がする。
でも、覚えないと話題に付いていけないからな・・・。そう思い、もう一度戻って読み直した。

あれからティーンズファッション雑誌のバックナンバーも何冊か読み終えた。

今の女の子がどんなことに興味を持っているかは分かってきた・・・気がする。
アイドルなんかの話題についてはまだまだ勉強の余地がありそうだ。テレビもチェックしないといけない。
特にファッションについては少し詳しくなったかも?
組み合わせを考えるのはちょっと面白いかもしれない。
・・・とここで一つ気になることが出てきた。

『歩美』はどんな服を持っているのだろう?

戻れなければいずれ着ることにもなるだろうし、『歩美』が持っているものは把握しておく必要がありそうだ。
雑誌を読む限りでは、コーディネートもそう簡単にはいかない気がする。
服なんて適当でも大抵何とかなるもんだと考えていたが、その認識はちょっと甘いのではないか。
そう思わせるには十分すぎるくらいに服の種類が男ものよりも多い事実を突き付けられている。
いつも側に『歩美』がいるわけではない。自分で服を選ばないといけない日もあるだろう。

歩美のセンスが急に変になると、周りの不信感を募ることにも繋がる。
父親として、娘の生活は守らないといけない。
娘の服に興味が湧いたわけではない。これは必要なことだ。

何か自分に言い聞かせるようにつぶやきながら、ふらふらと吸い寄せられるようにして
歩美のクローゼットに向かった。

クローゼットを開けると、ふんわりと甘い香りがした。
中は今時の若い女の子が着るような衣服で溢れている。

やはり種類が多く、合わせるのは難しそうだ。
その中でも目にとまった空色のキャミワンピ(と略するらしい)を手に取る。
確かこれは・・・雑誌を見ながら、キャミワンピに合いそうな服を探す。

・・・そうこうして、パフスリーブのシャツと若草色のカーディガンを引っ張り出した。
早速地面に置き、組み合わせを確認する。
春らしい組み合わせで、見事に調和している。雑誌のコーディネートとほとんど同じだが。


それを見ていると、不思議な感覚に襲われた。
・・・時計に目をやる。まだ二人が帰ってくるには時間がありそうだ。

私は静かに着ているワンピースを脱いだ。
何やってるんだ自分は。
でも、この沸き上がる衝動が抑えられない。
シャツに袖を通した。ふんわりとした感触が心地よい。
そしてキャミワンピ、カーディガンの順に身に付ける。

そして少しドキドキしながら鏡を見た。

(可愛い・・・)

もちろん自分のことではない。服装のことだ。
床に置いただけでは分からない魅力がはっきりと伝わる。
これまでと同じで女装しているだけなのに、嫌々制服を着ていた時と比べて
随分と女の子っぽい雰囲気があるのが不思議だ。
色々とポーズを取ってみる。服の雰囲気が更に伝わる。
女の子のファッションはやはり面白い。

・・・

あれから様々なコーディネートを試していた。
ワンピースからスカート、ショートパンツにサロペット・・・
どれも女の子らしさを際立たせるものばかりだ。
カットソーもバリエーションが豊富で、一つ変えるだけで雰囲気ががらりと変わる。
着替えるたびに別の人に変身したみたいですごくワクワクする。
適当に合わせているので、うまくいかないことが多かったが、
逆にバッチリ綺麗にコーディネートが決まった時はすごく充実感を覚える。

ちなみに今はデニムのミニスカートに白の長袖プリントTシャツ、黒のジャケットという組み合わせだ。
比較的ボーイッシュな雰囲気のためか、今の自分に比較的マッチしている気がする。

あまりに不自然だったため、すね毛は剃ってしまった。
ただ、それだけなのに脚の見栄えが一新したような感じがする。
これなら制服のミニも大分綺麗に見えるかな・・・?学校へ行くのが少しだけ楽しみになる。
ただ、顔の方はやはり問題だ。特に髪の毛が短いのはどうにもならない。
こっちは伸びるのを待つしかないか。

あとはメイクだな・・・。
そう思い化粧ポーチに手を伸ばす。

「あれえ?随分とおしゃれに目覚めたみたいだねえ、『お父さん』?」

びっくりして振り向くと、仕事を済ませて帰ってきた『歩美』がいた。


一年後

「これでよしっ、と」

私は鏡で今日のコーディネートを確認していた。

今着ている服は白を基調にしたカットソーに淡緑色のカーディガン、花柄のフレアスカートだ。
このスカートは最近買った服の中でも特にお気に入り。
色んな服に合うし、何より可愛い。試着したときも友達や店員さんがすごく褒めてくれたっけ。
丈が短くて風が吹いたらめくれてしまうけど、そんなのを気にしていたら女の子なんてやってられない。
体には変なのが付いてるけど。
特に今日は隆行とのデートなんだし・・・。あ、下着も清楚な白・・・だよね?よし、大丈夫。

服装チェックを済ませ、玄関に向かうと、『歩美』と鉢合わせた。

「おはよう『お父さん』、今日は随分可愛い格好して。誰かと出かけるのか?」
「そんなのいちいち私に言わせないでよー。そこはご想像に任せる、ということで♪」
「おい本当か!?お前にはまだ早いだろ!相手はどんな奴だ!!」

『歩美』が少し声を荒げる。

「秘密ー♪」

私はそれをかわす。いちいち相手にしていたら面倒だし。

「それじゃあ、行ってきまーす」
「おい、私の話はまだ・・・ 」

バタン!

さて、待ち合わせ場所に行かないと。今日の映画、楽しみだなー♪

・・・

「遅れてごめん!もしかして待った?」

待ち合わせ時間よりも早いのに隆行が謝る。

「んーん、全然。私も今来たとこ。」

「・・・そっか。じゃあ行こうか!」

隆行は私の手を取る。彼の手は大きく、握っていると安心する。

こうして隆行と手を繋ぐのが大好きだ。ずっとこうしていたい。
男と手を繋いで町中を歩くなんて、一年前なら絶対嫌だっただろうな・・・。
ふと昔を思い出して笑みがこぼれる。

「どうした?歩美」
「別にー」

そう言って私は隆行の腕に自分の腕を絡める。こんな一時が幸せで堪らない。
今日観る映画はラブロマンスもの。前から気になってたんだよね。あ、始まった!

館内でもずっと隆行の手を握って映画を観る。
役の女の子につい感情移入してしまって涙がこぼれてしまう。

そして最後のシーン。苦難の末結ばれた二人が熱いキスを交わす。

(いいな・・・)

ふと隣を向くと、隆行と目が合った。何故か目を反らすことができない。
そして、隆行の顔が近付いてくる。私はゆっくりと目を閉じた・・・。

隆行と私の唇が重なる。
隆行のぬくもりが唇を通して伝わってくる。

(何、この感情・・・!)

胸にとろけてしまうような熱いものがこみあげてくる。けど何か安心する、不思議な思い。

そして何より幸せだった。
男とのキス、満ちたりた気分、一秒が何分にも感じてしまうくらいに濃密な時間、
全てが私にとって初めての体験だった。隆行とずっといっしょにいたい。

・・・

「それじゃ、また明日な」
「・・・うん」

日も暮れ、帰る時間になった。

「そんな顔すんなって。明日も学校で会えるんだし」

頭では理解してるんだけど、それでも少し寂しくて、隆行に体を寄せる。

「じゃあ、最後に・・・んっ」

そして隆行に唇を突き出しキスをせがむ。

「しょうがないなー、歩美は」

彼と唇を重ねると、また背中に電撃が走る。このまま時間が止まればいいのに・・・。

「じゃあ、またな」
「うん、バイバイ。後でメールするね」

別れを惜しみつつも、家に戻る。

・・・

「ついに隆行とキスしちゃったんだ・・・!」

部屋着のワンピースに着替え、私はベッドに突っ伏して手足をバタバタさせる。
早く隆行に会いたい!そう思い、携帯でメールを打つ。返信が待ち遠しい。
けど、待っている時間も心地よい。

こんなに幸せな気持ちは男だった40数年間味わったことがない。
しかし、この幸せが大きくなるほどに、いつか戻ってしまう日が来るのだろうかという不安な気持ちも大きくなる。
複雑な気持ちが義男の中で交錯していたが、今はこの幸せを噛み締めたい、そう思ったのであった。






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