禍々しき風俗の国
シチュエーション


――禍々しき風俗の国なり。
はるか西方の強大な魔法国家セラトニア帝国はかように書物に記されている。
魔法とは個人の才能に左右されるものであり、強大ではあっても揺らぎ儚い力でもあった。
セラセニアはそのような不安定な魔法文明を高度に維持する為ならば、文字通りに命を投げ出すことも是とする国であった。


「ルーウェンっ!ルーウェンっ!」

小柄な少女がマントをパタパタとはためかせながら駆け寄ってくる。陽光に照らされた亜麻色の長い髪がさらさらと揺れている。

「どうしたの、エミリア?そんなに急いで?」

ルーウェンと呼ばれた少年が振り返って少女、エミリアに声をかける。

「はぁ……はぁ……わ、私、選抜試験に合格できましたっ!」

ずいぶん走ってきたのだろう、エミリアはずいぶんと息を切らしていた。
それでも、ほんのり赤く染まった頬を緩ませて、かわいらしいふっくらとした桜色の唇からルーウェンに伝えたかった朗報を送り出す。
ここはセラセニア帝国パニール王立魔法学院。若き魔法使い達の学び舎である。
最高位の帝立魔法学院に比べれば格の上で一歩劣るのものの、実践適な魔法研究においては最先端と呼ばれる名門である。
この学園での「選抜試験」を通過したというのは、すでに将来のセラセニアを背負って立つ人材として認められたということである。

「すごいじゃないか、エミリア!おめでとう、よくがんばったね」

報告を聞いたルーウェンは我が事のように嬉しがる。

「ルーウェンのおかげです。たくさん、勉強も魔法実験も手伝ってもらいましたっ」

年齢の割りに平坦な胸の前でぎゅっと握り拳を作って、ルーウェンのおかげだと強調するエミリア。そこには感謝の念のみならず、ルーウェンへの思慕も見て取れた。
ルーウェンは十五歳、エミリアは十四歳。若くはあったが、セラセニアにおいては将来を決めるには早すぎることはない。特に王立魔法学院の生徒ともなれば。

「違うよ、エミリア。何よりもエミリアにがんばる気持ちがあったから合格できたんだよ。僕はずっとそばにいたから。エミリアがどんなにがんばってきたのか、ちゃんと知ってるよ」

エミリアの感謝の言葉に、それ以上にこの少女が努力してきたことを知っているルーウェンは優しく微笑んでみせる。

「あ、ありがとうございます。でも、何だか照れくさいです」

ずっとそばにいたから。実際、色々と手伝ってもらったのは事実であるが、あらためてルーウェンに見られていたという認識になってみると気恥ずかしさが出てきて顔を真っ赤にしてうつむいてしまう。

「あっ……でも、ルーウェンはどうして選抜試験を受けなかったんですか?」

一緒に勉強してきて、一緒に選抜試験を受けて同じ道を進むものだと信じていたエミリアが、ルーウェンが試験を受けていないと知ったのはずいぶん後になってのことである。
手伝ってもらっていたエミリアが合格したのであるから、ルーウェンが試験を受ければ合格は硬いだろう。
それなのに。

「選抜試験を受けなくても魔法の研究は進められるし、僕みたいな怠け者は機嫌があったほうが何かとはかどるからね」

ルーウェンは少し困ったような表情を見せて答える。

「私、ルーウェンともっとずっとずっと一緒に……一緒にいたいですっ」

一歩詰め寄る。
選抜試験を受けるのと受けないのとでは、存在の在り方そのものが変わってしまう。
ルーウェンと離れたくない。
エミリアが素直な気持ちをあらわにして、ともに歩むことを選んでほしいと懇願する。

「僕は僕の魔法研究を極めたいと思ってるし、エミリアだって選抜試験を受けたのは自分の魔法研究の為だろ?だったら、僕らはそれぞれの魔法使いとしての道を歩むことを選ぶべきだと思うんだ」

王立魔法学院ともなれば、ただの義務教育の延長線といったものではなく、明確に魔法使いとして魔法の研究開発に志を持つ生徒が多い。まだまた子供っぽいルーウェンとエミリアにしても、既にそれぞれの研究テーマを持っている。

「いつかエミリアを置いて逝かなくちゃいけないのは辛いけど……ごめんね」

ルーウェンは謝りながら、エミリアの小柄な体を優しく抱き寄せる。
少女の熱、少女の鼓動、少女の吐息が自分の腕の中に息づいている。

「ル、ルーウェン……ううん……女の子としての自分、魔法使いとしての自分……どっちが大切かわからなくて……ルーウェンに勝手な押し付けをしようとしてました。私の方こそごめんなさい」

ぎゅっとルーウェンを強く抱きしめ返すエミリア。
ルーウェンはエミリアの顎を引くと、その柔らかな桜色の唇に自分の唇をそっと重ねた。
互いの研究をあきらめて、この恋の為に生きることも、在ることも出来る。
しかし、それでは魔法使いとして、一生後悔し続けるだろう。

「儀式はいつになるの?」

長い口付けを終えてルーウェンが尋ねる。

「来週の月曜日です。月の魔力が満ちる満月の晩なので」
「そっか、がんばってね。……これですぐにお別れってわけじゃないけど……違う道に進んじゃうんだね」

そういってルーウェンはもう一度エミリアを強く抱きしめた。
少女の温もりを感じとりたいから。

――六十年後。

「連れ添いにも先立たれ、子供達も立派に独り立ちした。何人かのひ孫もおる。魔法研究も一段落し、成果を残すこともできた。研究に限れば遣り残したことも多いが、人間としての生は十分に全うしたつもりじゃ」

ベッドに横たわる老人は天井を見上げながら、見舞いに訪れた旧知の友に語りかける。

「老成が魔法に、あるいは魔法研究に与える影響について基礎研究はまとめることができた。できるならば、ここからの発展はおぬしに引き継いでもらいたい。ずっとわしを見てくれていたおぬしがいれば、わしの研究も、生き様もきっと後世に伝わるじゃろう。
それは永遠の命を手にしたに等しい心持ちさえするのだ。わかってくれるかの?エミリア」

老人はしわしわの顔を一層しわくちゃにして、枕元に座る少女――エミリアに微笑みかけた。

「ルーウェン、そんなこと言わないでください!私はルーウェンがいなくなったら……」

六十年前、選抜試験に合格したと嬉しそうに報告した時、十四歳の少女の姿のままのエミリアが老人――ルーウェンの手をとって懇願する。

「お別れなんて嫌です。ずっと、ずっとルーウェンと一緒にいたいです」

ぎゅっとルーウェンの手を握ったエミリアの手は死に向かいつつある老人のそれよりもひんやりと冷たい。
肌は老人以上に青白く生気を感じさせず、唇は青紫に、亜麻色の髪はくすんでいる。
死を間近にした老人よりも死に近い、いや少女は当の昔に死んでいる。今はただ「在る」のみである。

「わがままを言わんでくれ、エミリア。この年老いた肉体ではもはやアンデッドになることも叶わぬ。わしもおぬしも互いの研究に己の存在の在り様を貫いたのだ。六十年前のあの日から、いつかはこうなるとわかっていたはずじゃろう」
「……そうですけど……そうですけど……それでもやっぱり嫌なんです。ルーウェンがいなくなってしまうなんて」

ルーウェンはゆっくりと腕をもちあげると、エミリアの目元をぬぐう仕草をする。涙など出はしない動く屍であるエミリア。けれど、ルーウェンにはエミリアが泣いているとわかったから。

「この歳になって、まだ昔の恋が続いていたのだと知るのは辛いものだ。研究ならば、果てのないものと諦めもつくが……エミリアを置いて逝かなくてはならないこと、泣かせてしまうことが本当に辛い。老い先短い老人の未練というにはずいぶんと気恥ずかしいものじゃがな」

エミリアは泣き出しそうな顔をしている。その表情は七十余年の時を生きているというにはあどけないものだった。
その表情はかつて想いを寄せ合った少年と少女だった頃のものと変わることはなく。

「エミリアよ、どうやらわしも今でもおぬしのことを想うておるようじゃ。こんな年寄りの相手でよければ……この命尽きるまでの間、わしのそばにおって欲しい」

ルーウェンはエミリアの頬を撫でる。

「嫌です。そんな死ぬまでとか不吉なこと言っちゃ嫌です。好きだから……ただ、好きだから、ずっとずっとそばにいたいんです……期限なんて……いらないです」

エミリアはルーウェンの手をとる。しかし、ルーウェンは期限を撤回するつもりはなかった。これから先も永劫の時を在り続けていくエミリアをせめて励ましたいと想いながら、しかし甘やかしてはならないと心に決めている。

「何、今日明日にも死ぬというわけではない。
少しでも長くおぬしと過ごせると嬉しいの。昔のままのかわいいお前を見て過ごせると想うと年甲斐もなく、わくわくしてきた」
「ルーウェン……」
「ふぅ。……今日はずいぶん喋って疲れた。少し休ませてくれるかの?」

そう言って老人は目を閉じる。眠りはすぅっと訪れた。
自ら死して在り続けることを選んだ少女。
最期まで生き続け、生を全うして逝こうとする老人。
二人の別れはそう遠くない。

強大なる魔法国家セラセニア帝国。
個人の資質に左右されやすい魔法による高度な文明を維持する為に、優秀な魔法使いは自ら進んでアンデッドとなり、その才能を永遠のものとする。
帝室はすべからく強力な魔力を持つアンデッドであり、既に生きて血統を伝えるものはいない。
セラセニアはアンデッドの統べる国である。






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