怪盗ブラックロウ
シチュエーション


黒岩 美鳥(くろいわ みどり)を簡単に表現する言葉がいくつかある。
容姿端麗、品行方正、成績優秀。
それら全ては美鳥の努力により培われたものであることを多くの人は知らない。
首の半ばでまっすぐに切り揃えられた艶々とした黒髪、ほっそりと無駄のない体。
その容姿は美人というよりは可愛いいという方が的を得ている。
そんな少女こそが巷を騒がせている怪盗ブラックロウその人である。
美鳥にとっての怪盗とはスリルを味わうための娯楽のようなものだった。
万引きのスケールが上がったといえばわかりやすいだろうか。
黒岩のご令嬢、黒岩 美鳥が唯一その仮面をはずせる時。
それが怪盗ブラックロウの仮面をつけた時だけというのが何とも皮肉な話ではある。

「み、美鳥ちゃん、おはよう。」

古賀 時雄(こが ときお)が美鳥に声を掛けてくる。
彼は古賀財閥のお坊ちゃまであり、名目上は美鳥の婚約者でもある。
少しばかり肥満気味の彼はいわゆるオタクである。
外見はそれほどまずくはないのだが、その体型と性格がそれを台無しにしていると美鳥は思う。
うじうじとしてハキハキとしない彼の性格が美鳥は好きではなかった。
彼自身の成績は学年でも最低ランクだ。
正直なところ、美鳥は彼が実力でこの学校に入れたのだとは思ってはいない。
親の七光りによりこの学校に入学できたのだと考えている。
美鳥はそういった親の威光を借りて、のほほんと生きている人間が大嫌いだった。
せっかくある素材をうまく活かさないのはもったいない。
もう少し時雄に向上心があれば、美鳥は時雄のことを好きになれたのかもしれない。

「おはよう、時雄くん。」

美鳥はにこやかに微笑んで挨拶を返した。
内心をおくびにも出さないのが黒岩 美鳥という人間である。
本当ならばこんな婚約関係などすぐにでも破談にしてしまいところだ。
だが黒岩にはそれをできない事情というものがある。
古賀財閥は黒岩よりも力が大きい。 古賀がその気になれば黒岩はすぐにでも潰されてしまうだろう。
美鳥は古賀の総帥、古賀 令一(こが れいいち)に気に入られている。
古賀 令一は現在でも現役の老獪であり、その手腕と才覚は美鳥も認めるほどである。
ただ不要になった人材を容赦なく切り捨てるといった一面も持つ。
美鳥の父親は古賀 令一のそういうところを嫌っている。 その影響か美鳥も令一のことが嫌いだった。
その老獪の目に入れても痛くない孫、それがこの古賀 時雄である。
よく令一のような人間からこんなに抜けた孫が生まれたものだと美鳥は思う。
近頃の時雄は件の怪盗にご執心なのか、口を開けばブラックロウの話題ばかりが飛び出してくる。
美鳥としては自分のことを熱心に語られても返事に困る。
それにブラックロウが有名になることは美鳥にとってあまり好ましいことではなかった。
警戒されては次の仕事がしにくくなるからだ。
いくら有名になっても掴まってしまっては意味がないのである。

「そう言えば、祖父ちゃんが今度、美鳥ちゃんに宝石を贈るって言ってたよ。」

古賀がオークションでスタージュエルを落札したのはその界隈では有名な話である。
新聞でもニュースでも大きく取り上げられていた。
それをまさか美鳥へのプレゼントに持ってこようとは、美鳥も随分と高く買われたものである。
古賀 令一の美鳥への熱の上げようは本物だ。 是が非でも美鳥を時雄の嫁として迎えたいらしい。
美鳥としては時雄と結婚するのは死んでも願い下げだった。
ふと、美鳥に妙案が浮かぶ。 スタージュエルがなくなってしまえばいいのだ。
そうすれば古賀から妙な恩を受けずにすむ。
さらには古賀 令一に一泡ふかせられる。
おまけに自分の自尊心まで満足させられる。
まさに一石三鳥。 少ない労力で最大限の成果を得る。
それは美鳥が大好きなことわざの一つだった。

美鳥はフリルのスカートのついたような黒いライダースーツに身を包む。
下腹の辺りから襟首まである中央のチャックを一気に引き上げる。
チャックの音は気が引き締まる気がして好きだった。
そして鳥を型取った黒の仮面で顔を隠す。
黒いスーツは彼女の体のラインの美しさを、より強調するように際立たせてくれる。
少々控え目な胸が彼女の唯一のコンプレックスだったが、
大きな胸は運動に悪影響を及ぼすから仕方がないと割り切っていた。
衣装はもちろん彼女の完全なる自作である。
市販品を使うと足がつきやすくなるし、おまけに彼女好みの衣装は限られてくる。
その点、自作はその2点を簡単にカバーできるのである。
それはまさに一石二鳥であった。

古賀のセキュリティは思っていたほどには厳しくはなかった。
これよりも厳しいセキュリティならば何度か遭遇したことはある。
怪盗ブラックロウはそのどれもをくぐり抜けてきている。
時雄からそれとなく聞き出した情報からするとスタージュエルはあの建物の中ということになる。
建物というよりは箱、スタージュエルを収めるに相応しい宝石箱というわけだ。
どんな罠が仕掛けてあるのかと、ブラックロウは心を弾ませる。
入り口にあるドアはカード式の電子ロックのようだった。
この手のドアは専用の機械を使えば開けるのは難しくない。
ピッ、そんな電子音と共に分厚いドアがスライドして開いた。
備え付けの監視カメラはダミー映像を送ることですでに無力化してある。
あとは中央の台座に置かれたスタージュエルまで辿りつくだけである。
ブラックロウはマスクに特殊グラスを装着する。
思った通り、館内には無数のレーザーが飛び交っていた。
どうもレーザーの網は定期的に同じパターンで切り替わっているようだ。
おまけに台座の周辺だけレーザーは飛んでいない。
台座の周辺は安全地帯だということだ。
レーザーのパターンさえ掴んでしまえば、後は難しいことはなかった。
ブラックロウがスタージュエルの台座の前に立った時、真っ暗だった室内が突然ライトアップされた。

『さすがは怪盗ブラックロウ、見事なお手並みだったよ。』

スピーカーから聞こえてくる声に美鳥は聞き覚えがあった。
それは間違いなく古賀時雄のものだった。

「どうして、わかったの?」

美鳥は少し冷たい、大人っぽい雰囲気の声を瞬時に作って見せる。
声を聞いただけではブラックロウと美鳥を結びつけるのは不可能だろう。
完璧主義者である美鳥は、もしもの時のためにそういう訓練も行っていたのである。

『ずっと見ていたからだよ。 その部屋には隠しカメラが仕掛けてあるんだ。』
『君の欠点は完璧すぎることだ。 時間に関してもね。』
『多分、君が家を出る時間は決まっているんじゃないかな?』

その通りだった。 怪盗ブラックロウが家を出発する時間は午前1:00きっかり。
完璧主義者である美鳥は時間もきっちりしないと気がすまないのだ。

『あとはその時間帯に君が来るのを待てばいい。』

言うのは簡単だが、それを行うのは容易くはない。
いつ来るかもわからない怪盗を相手に網を張り続ける、それは並大抵の人間に出来ることではない。
美鳥は少しだけ時雄のことを見直していた。

「見られていたのなら、仕方ないわね。」

ブラックロウはお手上げという仕草をして見せる。
四角い部屋には何もなく、入ってきた入口しか出口はなかった。

『無理だよ、逃げ道なんかない。 ブラックロウ、君は籠に囚われた小鳥なんだよ。』

時雄の間の抜けた笑い声が室内に木霊する。
それは美鳥にとって屈辱だった。 時雄なんかに掴まってしまった自分が情けなくて仕方ない。
だが、今はそんなことを反省している場合ではなかった。
ここから脱出する方法を考えなくてはならない。 物理的な脱出は恐らく不可能だろう。
つまりここは時雄をうまく言いくるめて脱出するより他ない。

「それで、何がしたいの?」

ブラックロウは時雄に対して冷ややかに言い放つ。
こうして無駄話をしている分には時雄には何か意図があるのだろう。
美鳥はそれに賭けてみることにした。

『ゲームをしないかい? ブラックロウ。』
『君がゲームに勝てたら、君を逃がしてあげてもいい。』
『僕はブラックロウの正体には興味がないんだ。』
『だって、正体が分かってしまったらつまらないだろう?』
『僕はあくまでブラックロウのファンでいたいんだ。』
『スタージュエルの台座がボックスになってるから開けてごらん。』

スタージュエルの台座はよく見れば、装飾が取っ手のようになっており確かにボックスのようだった。
ブラックロウは取っ手を掴むとボックスを開けた。
ボックスの中には、シートみたいなものが3つ。 怪しげなドリンクが1本。
ストップウォッチようなものが1つ。 そして、針金が何本か入っていた。

『ゲームは簡単、シートを胸と秘所に貼りつけて、そのドリンクを飲む。』
『それから、タイマーを作動させて、制限時間内に目の前のドアを開けることだ。』

時雄がそういうと、ブラックロウの目の前の壁の一部がスライドして中からドアが現れた。
ドアには5つの錠前が掛かっている。 錠前次第ではあるが、それほど厳しい条件ではなさそうだ。

「わかった、その条件を飲むわ。」

美鳥はスーツの襟首を掴みながらジッパーを降ろすと、その隙間からシートを体に貼りつけていく。
ジッパー式でなかったら自慢の肢体をカメラに晒してしまうところである。
こういう衣装でよかったと美鳥は内心、胸を撫で下ろしていた。
再びジッパーを上げて美鳥は自分の体を見下ろした。
少しばかりシートの感触に違和感はあるものの問題となるほどではなさそうだった。
それから美鳥はドリンクの瓶を掴んで一気に飲み干した。
栄養ドリンクのような妙な味だった。
好きな味ではないが、この際、贅沢は言っていられない。

「これでいい!?」

ブラックロウはドリンクの瓶をボックスに叩きつけて、スピーカーの相手に向かって叫んだ。

『オーケー、後はそのタイマーを入れればゲームスタートだ。』

ドリンクもシートも美鳥にはその意図が読めない。 しかし、やってみるより他に選択肢はない。
ブラックロウはタイマーのスイッチを入れる。
表示された時間は5分、ドアにかけられた錠前は5つ。
1つにつき1分以内で開ければ間に合う計算である。
タイマーの裏には磁石がついておりドアに貼りつけられるようになっていた。
これで、いつでも好きな時に時間が見れるようだ。
なるほど、呆れるほど優しい心遣いである。
タイマーをドアに貼りつけるとブラックロウは錠の解除に取りかかる。
この手の錠にブラックロウが掛ける時間は平均30秒。
余程のことがない限り、失敗はなさそうだった。

残り約4分20秒、 約40秒で1個目の錠が外れた。
異変は1個目の錠が外れた時に起こった。 体に貼りつけられたシートが振動を始めたのだ。
美鳥はシートの意図を悟った。 振動により美鳥の集中力を削ぐのが狙いだろう。
残り約3分30秒、つまり約1分30秒で2個目の錠が外れた。
シートの振動が一段と強くなった。

「ふっ・・・んぅっ。」

美鳥も健康的な普通の女の子だ。 時には自らを慰めることもある。
しかし、意に添わぬ形で絶頂されてしまうのは絶対に避けたかった。
おまけに美鳥の一挙一動はカメラに収められている。
そんな痴態を世間に晒してしまうわけにはいかないのだ。
美鳥は少し焦りを感じた。 錠を外せば外す程に振動が強くなる仕掛け。
解錠が進む程に辛くなってくるのは目に見えている。
指を動かしながら美鳥は考える。
1分30秒は90秒、最初の錠の解除にかかった時間は40秒。
つまり2個目の解錠にかかった時間は50秒。
残り3分30秒で3個、210秒で3個。
つまり1つあたり70秒。 これはギリギリかもしれない。
カチリ。 三個目の錠が解除される音。
それは地獄からの解放であり、絞首台を一段あがるようにも感じられた。
一段とバイブレーションが強くなる。

「ひあぁっ!?」

堪えきれずにブラックロウの口から声が漏れた。
思わぬ失態に美鳥は頬が熱くなるのを感じた。
そういった思考が余計に快感を意識させてしまっていることに美鳥は気づかない。
シートの振動に思わず意識を奪われてしまう。
残り2分30秒で3個めの錠を解除、つまり150秒だから75秒で後2つ。

「ふっ・・・。」

すでにブラックロウの口から漏れる息は喘ぎとも吐息とも区別がつかない。
その振動はとっくに美鳥の意識を桃色に染め上げてしまっていた。
時折、少女の体はぴくんぴくんと快感に打ち震える。
シートの振動は一定ではなく特定の範囲を何秒かごとに上下するようだった。
それがまた美鳥には悩ましかった。

「ん、くっ・・・。」

周期ごとに体がぴくりと反応し、くぐもった喘ぎが美鳥の口からは漏れた。
そんな時、美鳥は自分の体がぶるっと震えるのを感じた。
それはこんな時に感じるべきではない感覚だった。
さっきのドリンクに何か入っていたと考えるのが妥当だろう。
美鳥はようやくこのゲームの本当の趣旨を理解した。
嫌な汗がつつっと額を流れる。 それだけではない。
シートの振動が美鳥の集中力を奪っていた。
口から漏れる吐息は少し熱くなっている。
体は熱いのに、伝う汗は妙に冷たい。 すごく嫌な感じだった。
カチリと4個目の錠が外れた時、振動が強くなった。

「ひああっ。」

一段と強くなったバイブレーション。
身体を襲う快感を強引に意思の力でもって抑えつける。
残り時間は1分16秒、つまり76秒。
焦らなければなんとかなる。 美鳥は冷静に自分に言い聞かせる。
今までにもこんな逆境は何度も切り抜けてきた。
今回もきっと切り抜けられるはずだ、と。

「んくっ・・・。」

膀胱に蓄積され続ける尿意。 美鳥は必死に尿意を抑え続ける。
黒岩 美鳥が人前で漏らしてしまうことなど絶対にあってはならないことだった。
美鳥にとってそれは人前で絶頂されてしまうよりも大きな問題だ。
残り時間が少なくなるほどに美鳥の指先の震えが大きくなる。
冷静さを保っている頭に比べ、心が焦る。
これを刺しこめば錠は外れる。
美鳥が針金を刺しこもうとした瞬間、シートの振動の周期がちょうど切り替わった。

「あっ!?」

身体がその振動にびくりと反応してしまい、その指先が僅かに振れた。
その先端が錠に接触し、予想外の衝撃に針金が美鳥の手からこぼれ落ちた。
慌てて針金を取ろうとその身を屈める。
ギチリと黒いスーツが音を立てて美鳥の身体に食い込んだ。

「ふあぁっ!?」

シートが敏感な部分に押しつけられる感覚に美鳥は思わず喘ぎ声を漏らした。
締めるべき力が緩み、じわっと何かが漏れた。
それでも美鳥は針金に向かって懸命に指を伸ばす。
美鳥の指が針金を掴んだその瞬間だった。
ピーッ! タイマーが室内に無情の電子音を鳴り響かせる。
それと同時にシートのバイブレーションがぴたりと止まった。

「あ・・・。」

出来ていたはずのことが出来なかった。
その事実に美鳥はショックが隠せなかった。
その仮面の下の顔は真っ青だった。

『残念、もうちょっとだったのに惜しかったね。』

それは心底、残念そうな声だった。
時雄がブラックロウのファンであるというのは、嘘ではないのだろう。
しかし、そんなことを考えている余裕は美鳥にはない。

「と、トイレに行かせてください。」

小さく、蚊の鳴くような声が美鳥の口から漏れる。
もう演技をする余裕をなくしたブラックロウのそれは素の美鳥の声に近かった。

『聞こえないよ、もっと大きな声で。』

時雄には本当に美鳥の声が聞こえなかったに過ぎない。
しかし、それは美鳥の羞恥心を煽る為の行為にしか思えなかった。

「お願いします、トイレに行かせてください!」

恥も外聞も捨てて美鳥は叫んでいた。
そんなことは漏らしてしまうことに比べればなんでもないことだ。

『君の目の前にある扉が君の求める天国の扉だよ。』

その言葉を聞いた美鳥の心には、ぱっと希望の光が刺しこんだような気がした。
錠はあと僅か、針金を刺しこんだだけで開くだけ。

『ただ、気をつけた方がいい。 錠はシートの・・・』

時雄の言葉もろくに聞かず、美鳥は震える指先で錠に針金を刺し込んだ。
カチリという音と共に、最後の錠が解除される。

「ああああああっ!」

レベルマックスのバイブレーションが美鳥の体を貫いていた。
徐々にレベルの上がっていく刺激ならまだ耐えられたかもしれない。
しかし、予告もなしに始まった最大の振動に美鳥は耐えることはできなかった。
がっくりと膝をついた美鳥の秘所からそれは溢れた。
我慢に我慢を重ねた末の解放。 それは美鳥の意識を刈り取るほどの快感だった。
スーツの中を熱い液体が伝い流れ落ちる感覚に美鳥は意識を取り戻した。

「あ・・・。」

呆然自失の状態で美鳥は自分の下半身を見下ろした。
黒いスーツの内側に広がる色の濃い部分。
どうしようもないほどの解放感。
ぐっしょりと濡れたスーツの気持ち悪さ。
漏らしてしまったというその事実に美鳥はぽろぽろと涙をこぼし始める。
涙を拭うために擦った手の動きでブラックロウの仮面がカツンと床に落ちる。

『あ・・・君は悪くない、悪いのは僕なんだから。』

子供のように泣きじゃくるブラックロウの姿。
それを見た時雄の心に物凄く悪いことをしてしまったんじゃないかという罪悪感が芽生える。
ただブラックロウの痴態が見てみたかっただけなのに。
まさか、ブラックロウが泣き出すとは思わなかったのだ。

「ほんとに・・・?」

ひっくひっくと、しゃっくりを繰り返す美鳥。
それはもはや、黒岩 美鳥でもブラックロウでもなかった。
全ての仮面を外した美鳥という少女の本当の姿だったのかもしれない。

『本当だよ。』

いてもたってもいられなくて時雄はモニター室を飛び出していた。

今、時雄の目の前には泣いている女の子がいる。

「あ・・・。」

泣きじゃくる女の子を前に時雄は伸ばしかけていた手を止めた。
時雄は泣いている女の子をどう慰めればいいのかを知らない。

「ご、ごめんね。」

ただ言えたのはその一言だけだった。

「うわあああぁっ!」

突然、ブラックロウが時雄の胸の中に飛び込んでくる。
胸の中で声を上げて泣き続けるブラックロウ。

「君は悪くない、全部、僕が悪いんだ。」

そうブラックロウに囁いて、時雄は美鳥の背中をぽんぽんと慰めるように叩いた。
時雄の声はまるで美鳥の中に溶け込んでくるように思えた。
まるで、自分の罪が全て許されるようなそんな気がしてくる。

「悪いのは全部、僕だ。」

次第に美鳥は時雄の胸の中で落ちつきを取り戻し始めていた。
そんなブラックロウの様子に時雄は少し安心した。

「ほら、これで顔を拭いて。」

服は泣き続けた美鳥のせいでぐっしょりと濡れていた。
ブラックロウの顔がぐしょぐしょなのは考えるまでもないことだ。
時雄は上を向きながらブラックロウにハンカチを差し出した。
目の前にハンカチを差し出された美鳥はちらりと時雄の顔を見上げる。
美鳥の目に映るのは上を向いた時雄の姿。
どうやら時雄は本当にブラックロウの顔を見るつもりはないようだ。
時雄の優しさが美鳥の身に染みた。

「ありがとう。」

そう呟いて美鳥はハンカチを受け取った。
時雄のポケットに入っていたらしいハンカチは少しよれよれだけど暖かかった。
美鳥はそれで顔を綺麗に拭う。
今まで泣いていたことが嘘みたいにすっきりとした気分になっていた。
ハンカチからは時雄らしい匂いがした。 嫌な匂いではなかった。
気持ちが落ち着くようなそんな不思議な匂いだった。
落ちついてくると美鳥は自分を取り巻く現状を理解し始める。
美鳥は今、嫌っていたはずの時雄の胸に抱かれている。
その事実に美鳥は頬が熱くなるのを感じた。
心臓の鼓動が早鐘を打ち始める。

「時雄くん、ありがとう。」

ブラックロウが自分の名前を呼んだ。 その事実に時雄の心臓はどきっと高鳴った。
何よりその声が時雄の知っている人物のものによく似ていたからだ。
顔を上げるブラックロウ、その顔を時雄はよく知っている。

「き、君は・・・。」

ブラックロウの意外な素顔に時雄は言葉に詰まる。
それは時雄の憧れの君、黒岩 美鳥その人だった。
ただ、その表情は普段見せている美鳥のソレとはずいぶんと異なっていた。
不意をつくかのように美鳥の唇が時雄の唇に重なった。
二人の間を唾液が糸を引いて垂れる。

「私、時雄くんのこと好きになっちゃった。」
「時雄くんは、こんなお漏らししちゃうような汚い子でも好きになってくれる?」

それは魅惑的な悪魔の誘いだった。
美鳥を好きだった時雄にはそれに抗う術はない。

「う、うん・・・。」

その言葉を聞いて美鳥はもう一度、時雄にキスをした。
勢いで時雄が倒れこむほどの。

この日を境に怪盗ブラックロウは姿を消した。
本当の自分を出せる場所を見つけた美鳥に怪盗ブラックロウの仮面は必要なくなったのだ。
これにて怪盗ブラックロウの物語は幕を閉じる。

強気な少女と気弱な少年のラブストーリーはまた別のお話。
これは怪盗ブラックロウのお話なのだから。






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