姉とオレンジ
シチュエーション


周囲を一望できる丘に、この地を統べる領主の館があった。
そこから広がる光景は豊かな農地と放牧地。
昼は数えきれないほどに溢れる家畜も、月が地上を照らす夜には一頭もいない。
そんな静かな農村にそびえ立つ屋敷は、あまりに巨大で豪奢なものだった。

農村の一部とは思えない屋敷も、ここだけは村人たちと同じように静かに眠っていた。
しかし、その眠りは突然破られることになる。

突然の爆音と轟音と共に屋敷の裏手にあった入口が燃え落ちる。
爆発で扉は砕け散り、周囲に散った炎は闇を煌々と照らしているが、何かに燃え移ることなく燃え続けている。
魔術に明るい者ならば自然の炎でないとわかっただろう。
魔術の炎は魔術以外で消すことはできないが、勝手に燃え移ることもない。
だが、そんなことを知らない屋敷の者達は、飛び起きたままの姿で炎に水をかけ続ける。

消えない炎に騒ぎ始めるのを聞きながら、騒ぎの張本人である魔術師は火球の魔術を使った時のまま空に浮かんでいる。

「……これくらい集まれば充分でしょ」

その姿は黒いローブで顔も体型も隠していて、男女の判別もできなかったが、呟いた独り言で女…それもまだ若い少女だと推測できる。

炎の光で自分の姿が見えないように位置を調整し、館の住人が充分に裏手に集まっているのを確認すると魔術師は音も立てずに消えた。
騒動の隙に多数の金品が盗まれていたのを領主が知ったのは翌日のことだった。


粗末なベッドに一人の少女が眠っている。
寝癖で乱れているが柔らかな金の髪と、目尻の黒子が特徴的な整った容貌。
十六歳という年齢にしては発達の著しい身体。
その持ち主が、寝衣と毛布をはだけて眠っている姿は、男だけでなく同性にも劣情を醸し出してしまいそうなほどに艶めかしい。
だが、彼女のルームメイトはそんな空気を意に介さずに彼女を叩き起こす。

「朝です。起きるですよー」

その声で薄く目を開いた少女は、天井が迫っている光景に全開で目を見開いた。
声も出せずに激突の瞬間に備えていると、腕の中の毛布が引かれ、さっきまで眠っていた寝台に下ろされる。
どんな手品を使ったのか彼女にはわからなかったが、彼女自身はベッドに柔らかく下ろされ、抱きかかえていたはずの毛布は畳まれた姿で先程の声の主であるもう一人の少女の手の中にあった。

「起きると、顔洗うがいいです。アネット、顔ひどいです」

毛布を持つ少女は彼女に無垢な笑顔を向けていた。
アネットの瞳に映るのは一人の少女。
人形のように完璧な容姿を持ち、腰まである長く滑らかな髪と大きな瞳はそこだけ夜が続いているように深い黒。
東の果てから来たその肌はわずかに黄身がかっていて、体のつくりはアネットよりも幼く見える。

(東洋人は若く見えるって言うけどねぇ……)

アネットより頭一つ以上小さな背丈も、童女のような童顔も、萌芽の時期としか言えないほど慎ましい胸も、どこを見てもアネットより二歳年長とは思えない。
なにが楽しいのか常に爛漫と浮かべる無垢な笑みが幼さに拍車をかけている。

「おはようございました」

拙い西方語での怪しい挨拶は、彼女と何度も朝を迎えているが未だに慣れない。

「……おはよう。起こし方が良かったせいかしら、清々しい朝ね」
「えへへ。照れるますよ」

皮肉も通じない。
アネットの分も寝具を片付ける少女の尻目に、少女が井戸から汲んできた水で顔を洗った。
冷たい水に触れることで、寝不足の頭もようやく働き始める。
夕べは村中を駆け回り、眠ったのは朝に近い時間だった。
元々夜型のアネットだ。早起きですら苦痛なのに今日は睡眠時間が全く足らない。
休みたがる脳を無理矢理に稼働させ、部屋へ戻った。

アネットが顔を洗い、髪を整えるわずかな時間で寝具の整理は終了し、少女は麻の寝衣から修道服へと着替えていた。
長い髪もキッチリとヴェールに隠している姿は完全な修道女そのものだが、その容貌から子供が背伸びをしてシスターの真似をしているように見える。

「準備は終わるました。アネットも着替えて朝のおつとめに行くましょう」

いつもと同じ脳天気な声。
自分は寝不足に苦しんでいるのに、寝不足を感じさせない少女の声に何となく腹が立ち、そのぷっくらとした頬を両手で引っ張る。

「痛いです、やめるください」

涙目になった少女を放してやると、痛そうに両頬を撫でている。

「……今日出て行くってのに何で掃除やらお祈りなんかするのよ」
「お世話になったお礼を込めるから最後大事ですよ」
「面倒くさいからイヤ。オレンジがあたしの分もやって」

微笑む少女の手が閃くと、モタモタと着替えていたアネットは一瞬のうちに修道服に着替えさせられていた。
そして、アネットの手を引き部屋の外へ出て行く。
無論アネットは抵抗するのだが、圧倒的に体格が劣るはずの少女の手を振り解くことができなかった。

「さ、行くです。それと、私の名みかんです。間違えるなよ」

結局、アネットとみかんが出立したのは日が高く昇ってからだった。
修道院に滞在していたのは短い間だったが、働き者の小さなシスターは修道院のマスコットのように思われて、何人ものシスターが見送ってくれた。
その可愛がられたシスターが餞別にと貰った飴玉を口の中で転がしているのを見てアネットは気付かれないように溜息を吐いた。

「あんた、そうしてると本当に子供にしか見えないわね」

アネットの言葉にムッと眉をひそめると、みかんはムキになって自分が如何に大人であるかを力説し始める。
目と鼻をふさげば人参だって食べられるとかいうのを聞き流しながらアネットはこの小さな相棒に出会った頃を思い出す。

半年前、みかんと初めて出会った時は幸運をあの忌まわしい神に感謝したものだ。
アネットは魔女であるが故に、戦闘訓練を受けたみかんという存在は護衛として必要なものだった。
更に東洋人は魔女への偏見が薄いのも好都合。
それらの点でみかんは協力者として最適だった。

問題は信用を得る方法だったが、これもアネットに幸いなことに、みかんは実に単純な性格をしていた。
困っていた彼女を少し親切にするだけで、飼い主を慕う犬のようにアネットに懐いた。

今、二人がシスターの格好をしているのもアネットの発案だ。
東洋人のみかんは殊更に人目を引く。魔女であることは巧妙に隠してはいるが、異人と言うことで何かと胡散がられるのは面倒だった。
だが、巡礼のシスターということにすれば、逆に遠方からの巡礼者を同情してさえくれる。
そういったことの繰り返しで互いの信用は確かなものになっていった。

アネットが二つのことを話した時、みかんは笑って受け入れてくれた。
一つは魔女であること。もう一つは貴族の館から盗みを働くこと。
後者は最初反対していたのだが、アネットの『悪い貴族から領民にお金を取り戻してあげたい』という理由を聞くと、同意してくれた。
この単純さは本当にアネットに都合が良く、ついほくそ笑んでしまった。

「……アネット、聞いてるますか?」

どうやら話は終わっていたらしい。
怪訝な表情で見上げるみかんに申し訳なさそうな顔を向けて聞き返す。

「ごめん。何の話だっけ?」
「次はドコに行くですか」

次の目的地を聞いていたらしい。アネットは荷物から地図を広げて今の位置を確認する。

「次はあんな田舎村じゃなくて街にしましょう。お金もあるから宿をとって……」

先日の領主は相当の金品を貯め込んでいた。
ほとんどはみかんが村人に配ってしまったが、大分懐も潤った。
ちゃんと宿のある街ならわざわざあんな抹香臭い場所に泊まることもないだろうと考えていると、みかんはまた怪訝そうな顔で見ている。

「なんで街行くですか? 村が貧乏人多います」
「……街は人が多いでしょ? なら、困ってる人もその分多いのよ」

理由にもならない理由だが、みかんはその答えに満足したように何度も頷いている。
アネットはそんな相方から目を離し、地図を見ると、今日中には街につけそうにないと思い頭を掻いた。
今度こそ目的の物があるはずだと感じているだけに、焦りばかりが大きくなっていった。






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