悪ヒロイン ルル2
シチュエーション


この半年間、何度となくうなされてきた悪夢を、今日もまた見ている。
亜弓がまだ人間だった、最後のひとときのこと。改造手術を受ける寸前のこと。
薄暗い手術室の中、円形の手術台の上、四肢を大の字に広げて拘束された亜弓の全裸の身体だけが天井のライトで明るく照らされている。
手首足首に取り付けられた拘束具のせいで、わずかにもがくことしか許されない。
大きなマスクで顔を半分ほど隠した、ナース姿の女が二人、白衣を纏った眼鏡の女が一人、台の脇に立って亜弓を見下ろしている。
やがて白衣の女が小さなドリルを手にし、刃が甲高い回転音を上げ始める。
亜弓は悲鳴を上げる気力もなく、恐怖のあまりただ涙をぽろぽろとこぼし、ドリルが顔に迫ってくるのを見ている−−

そして今日は、悪夢から目覚めても、まだ手術台の上にいた。
意識は普段の寝起き以上にぼんやりとしている。
蜂の巣のように巨大な天井のライト、部屋の壁に沿って並ぶ薬品棚や機械類は夢の中と同じだ。
ただ、自分がまだ変身後のライダー姿のままでいること、手足の拘束具がより頑丈なものに変わっていることは、夢と違っている。
白衣の女たちもいない。手術台の脇に立っているのはただ一人、詰襟の黒い軍服を着た、組織の幹部の男だ。
仮面ごしに男と目が合った瞬間、亜弓の意識は一気に覚醒した。そして必死に手足に力を入れてもがき始める。
男は、手術室の入り口のほうをチラチラと気にしながら少し焦るような手つきで、手術台に格納されている手持ち用の電動ノコギリを取りだした。
人間の頭ほどの大きさの回転刃が、ライトに照らされて輝く。

「我々を裏切ったばかりか、幾度となくたてついてきた罪は重い。処刑あるのみだ」
「私を勝手に改造しておいて……裏切りだなんて、よく言うわ…!」

男は亜弓の仮面の額に手を当てて、頭をしっかりと押さえつけると、電動ノコギリのスイッチを入れた。
ドリルの音よりもやや低い回転音を発し、回転刃が動き出す。

「死ね、ライダー……!」

仮面と強化スーツの間、わずかに首の肌が露出している部分を狙って、刃が迫っていく。
亜弓は身をよじり、滅茶苦茶にもがいて抵抗するものの、ベルトをいじられてエネルギーを失っている今、頭を押さえている男の手から逃れることさえ叶わない。
もはや、絶体絶命。悔しさと怒りが込み上げる。
なぜ自分がこんな目に合わなくてはならないのか。人間であることを失って以来、亜弓は常に苦しんでいた。
組織からの逃走直後は、我が身にふりかかる火の粉をはらっていただけだった。
だがやがて、様々な殺戮活動を行い、恐怖ですべてを支配しようと企むその組織に対し、自ら立ち向かっていくようになっていた。
正義感なのか、単に組織を潰してしまえばもう刺客は来なくなることを意識しているだけなのか、亜弓自身にもわからない。
しかし、自分からは永遠に奪われてしまった愛おしいものを、これ以上壊させたくはない、という気持ちが日毎に強くなっていたのは確かだ。
亜弓は唇を噛み締め、首筋や太ももに玉の汗を浮かべながら、力を振り絞るようにもがいた。

回転刃が起こす微風が首筋の汗を冷やしていく。男の勝ち誇ったような表情が視界を過ぎり、高笑いが響く。
そして、刃が亜弓の肌を切り刻もうとした刹那、突然に刃の回転が止まった。高笑いも途切れた。
見れば、男が立っているのとは反対側から黒い腕が伸び、そのエナメルのグローブの先から突き出した銀の長い爪が刃を止めている。

「なにしてるのかにゃ〜?」

ルルが邪悪な笑みを浮かべて立っていた。

「これ、あたしのオモチャ。いくらおじさんでも、人のオモチャ、勝手に壊したらいけないんだよー」

銀の爪を弾くと、回転刃が電動ノコギリ本体から外れて、男の首の真横を飛び去り、その背後の壁に突き刺さった。
男の首には、かすめていった刃が残した赤い線が一筋。一瞬遅れて、血がじわりと滲む。
男は茫然としていたが、はっと息をのんで電動ノコギリを引っ込めると、忌々しげにルルを睨んだ。

「こっ、この裏切り者に少し思い知らせてやろうとしただけだっ!」
「へー、小さいなぁ」

ルルの瞳が、獰猛な猫の瞳に変わりかけている。

「でもさぁ、もう満足でしょ?」

男が何も言い返さず、口ごもっていると、ルルは気を良くしたように、再び人間の瞳に戻った。

「ライダーさんも、マジで焦って、もがいてたし……」

亜弓はもうもがくことはやめていたものの、まだ息が上がっていて、動悸も治まっていない。
部屋には亜弓の荒い呼吸音だけが聞こえている。
ルルはグローブを外し、右手を露出させると、亜弓の右脚の膝に手の平を当てて、そのまま上に向けて撫でていく。

「こんなに汗かいちゃって……ライダーさんかわいいよ」

先ほどの邪悪な笑みとはうってかわって、天真爛漫といった笑顔を亜弓に向ける。

「あ、コレって、あたしに助けられちゃったってことじゃない?」

グローブをはめ直すと、また変身ベルトの開口部に指先を当てて、そっと沈めていく。

「くっ、はっあぅ……!」

亜弓の全身がびくりと震え、また汗が滲み出る。

「ねぇ、この状況ってどんな気持ち?」
「あぅくっ……触る…なっ…!」

そして亜弓が顔を背けるのと同時に、幹部の男がそそくさと部屋を出ていこうとした。

「ねぇ」

男が扉の前に立つと同時に、その足首に、ルルの尻から伸びる長く白い尻尾がふわりと巻き付いた。

「今度あたしのオモチャ勝手に使おーとしたら……どーなるかわかんないよ」
「貴様、あまり調子に……」

男は怒りに震えながら、腰に下げた剣に手をかける。
だが、ルルの尻尾はそこであっさりと男の足から離れ、生き物ののようにふわふわと揺れながらルルのほうに戻っていった。

「なーんてね」

ルルは無邪気な笑顔を浮かべ、亜弓から離れて男と向き合うと、両手を自分の胸に当てた。

「あたし、本当は、みんなと仲良くしたいんだけど、ちょっとシャイだからさ〜」

その笑顔が、童顔に似合わぬ妖艶な笑みに変化する。
身体に巻きつけている黒い革帯を少しズラすと、その隙間から白い乳房が押しだされるようにしてはみ出て、桃色の乳輪がわずかにのぞいた。

「ねぇ、あたしって、本当はいいコなんだよ、おじさん」

トロンと溶けるようになったルルの目が、男の目を捉えている。
男は、彼女の華奢な身体にしては予想外にボリュームのある乳房がはみ出てきたことに息を呑んでいたが、すぐに視線をずらし、「い、いい加減にしろ貴様!」と怒鳴った。

「……なーんてね」

まるで仮面をつけかえるように、ルルの妖艶な笑みはまた無邪気な笑顔に戻り、乳房は革の帯の下に隠される。
男は舌打ちをすると、今度こそ部屋を出ていった。
廊下を足早に進んでいく足音が聞こえたが、すぐに立ち止ったようだった。
続いて、女性のハスキーな声が静かな廊下に響く。

「あ、大佐……」
「リサ博士、あの雌ガキの責任はあなたにもあるということをお忘れなきよう!」
「はぁ…」

男はそれだけ言うと、また足早に去っていったようだ。
そして入れ替わりに手術室に入ってきたのは、白衣を着た若い女、リサ。ルルとは正反対の落ち着いた雰囲気を持っている。
縦長の細い顔に小さな眼鏡をかけ、ベリーショートにした黒髪を柔らかく逆立たせているその女を見た途端、亜弓はまたもがき始めていた。
彼女こそ、亜弓の悪夢の中、いつもドリルを握っている女に他ならない。
リサはちらりと亜弓を見たが、すぐにルルのほうに顔を向け、溜め息をついた。

「あなた、また何かしたの?」
「ううん、何かしようとしたのはあのオジサンのほうだよ〜」

リサは、ルルが唯一なついている組織の人間である。ルルに改造を施したのも彼女だ。

「あと……あれ……壊しちゃった」

ルルは呟き、おずおずと壁に視線を送るーーそこには回転刃がまだ突き刺さっている。

「いいわ、あんなものは」

途端に、ルルの顔が明るくなる。
そして、そこでまた部屋の扉が開き、ナース姿の研究員が二名入ってきた。
亜弓は息を切らしてもがきながら、悪夢と同じ状況が整っていくのを見て焦りをつのらせる。

「もう一回、絶体絶命だねぇ、ライダーさんっ」

ふいに、ルルが真上から亜弓の仮面をのぞきこみ、そのふちに手をかけ、仮面をすっぽりと脱がした。
額には汗が浮かび、目は焦りと緊張と怒りのために潤んでいる。

「あなたたちの思い通りには、絶対ならないっ…!」

大きなマスクのせいで目しか出ていないナースたちは、もがく亜弓を冷ややかに見おろしている。
ルルは脱がせた仮面をリサに渡すと、またとろけるような目で亜弓を見つめた。

「かわいい、かわいいよ、ライダーさん」

実際、ルルの瞳は本当に溶けているかのように、人間の瞳と猫のそれとの中間にまどろんでいた。






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