純愛ぱるぷんて
シチュエーション


いつもと同じ朝だった。
同じ時刻に同じ場所、同じ道、ひと。
それが少しずつずれて狂って絡まって、今現在のこの状況に至る。

***

「もしかして付き合ってんの?」

午前中も半分授業を終えた休み時間、鞄の中身を机に移し替えながらそれに答える。

「まさか」

それからそう聞かれるに至った理由について簡単に述べるものの、今度はそれについて納得のいかない彼女達にあれこれ
聞かれるままに淡々と答える。
脚色する理由も、ましてや隠し立てしたりごまかしたりする理由のある筈もない私の態度に、次の授業のチャイムが鳴るのを
合図のようにしてようやく皆引き下がる。
しかし授業の始まるまでの僅かなざわめきの中、私と同じく準備に追われている彼への興味深い視線は遠慮なく向けられ、
首を捻る者まで出ている。

「無理もないんじゃない?」

二時間遅れで登校して来た私には、まだ早いのではと思えるランチタイム。
だが、目の前で頬張る弁当の唐揚げの匂いにお腹のサイレンが鳴った。身体は正直だ。
まあ、実際それだけの時間が経っているのは事実だし、ここは素直に胃袋さんの要求に応える事にした。

「昼飯かっ喰らいに来たみたい」
「まあまあ。ところでさ、さっきの話、もちょっと詳しく教えてよ」
「いいよ」

ああ、やっぱり片寄ってる。潰れたおかずを箸で寄せヨせしながら順繰りに今朝の出来事を思い出し始める。

***

私は高校生になってから、電車通学するようになった。
毎日、通勤通学で乗り物を利用する人なら覚えがあるかもしれないが、何時何分のに乗り込むかに始まり、どの車両のどの
ドアから乗り込めばよりスムーズに動線を描けるかというものが、何度も繰り返される事により自ずと定まってくるものである。
今朝の私も、入学時より染み付いたお決まりの行動パターンに身を任せて、毎日同じく通り過ぎてゆく窓の外の風景を見ていた。
ぼんやりと揺れに合わせてガタンゴトンと響く規則正しい電車の音に、そのうち退屈して、下手すると眠くなる。

これから各々が戦場に繰り出してゆく朝のラッシュで、『座る』という選択が許されるのはごく一部だし。
終点の数駅手前で人波をかき分けて乗り込まねばならない私には、夢のようなお話だ。
のんびりと文庫本など読んでいるOLらしきお姉さんが素直に羨ましいと思いつつ、とりあえず停車時にひっくり返らずすむ
よう空いた吊革に掴まり損ねないようするのが精一杯だったりする。
特に今日は蒸すなあ……。
雨が降るかもしれないからか。出掛けに母に無理やり折り畳み傘を詰め込まれた鞄は、多少バランス悪く膨らんでしまった。
今日は運良くドアの手摺りを陣取る事ができたから、まだ寄りかかれるだけマシだ。邪魔な鞄を身体の前にくるよう持ち、
手摺りに寄りかかってホッとした。
だがしかし、今日はついてるかも――と呑気に看板など眺めていられたのも、それまで、だった。
カーブのせいで電車が大きく揺れて、ゆらりと足元が不安定に傾いた(気がした)拍子に、押された身体がドアにべったり
と張り付いた。

うえっ!痛いなぁ、もう。

毎度の事だが、ここはいつも苦手だ。今日はまだいいが、吊革でも必死に掴んでないと吹っ飛ぶかと思うときがある。
これでも大分慣れてきて、ここぞと思う位置でしっかり両脚を踏ん張っていれば何とか堪えられるくらいにはなった筈だ。
初めの頃は、知らない人に掴まってしまった事もあったもの。
そんなだから、暫くは背中に重く密着する息苦しさにも、ある種の諦めのようなものが働いていて、全くと言って良い程
警戒なんかしていなかった。
カーブを過ぎれば少しは楽になる筈の不快さが、今日はいつまでも続いている。そればかりか、それはどんどん大きくなって
背中に悪寒が走り始めた。
明らかに肌を何かが這い回る感触、耳に届く荒い息遣い。
不自然にスカートの後ろがずり上げられる感覚に、まさか、という思いが確信に変わった。

――痴漢だ!

どうしよう。
話には聞いた事はあっても、身をもってそれを知る由もなかった私が、まさか――自分がそんな目に、と思った私は、一瞬に
して混乱状態に陥ってしまった。

どうしよう、どうしよう!?

気のせいだと思いたくても、捩る身体を執拗に追いかけてくるものの気持ち悪さに気づいてしまった。
途端に身体が硬く、全身の血が全て流れを止めて冷え切ってゆくような気がした。
頭が真っ白になる。
以前なら、

『痴漢なんてサイテー。思いっ切り腕ねじ上げて、おっきな声出してやりゃいいのよ!!』

などと思っていたのに、それがこれほどまでに困難を要する勇気のいる行動であるとは、思いがけない恐怖に私の脳は完全に
支配されていた。

『誰か――助けて……』

スカートの生地の上からお尻を撫で、離れた、と思ったらまた同じ動きの繰り返し。ずっと触れているわけではないらしい。
一瞬なら『混んでたから触れただけ』と言い訳されても仕方のない、ギリギリのラインのような気もするし。
腕を掴んで――そう思っても、鞄を持った片手は勿論、もう片方の手は手摺りを握っているので精一杯だった。離すとすぐ
他の人にもってかれる。吊革と同じ様に、これだって奪い合いだ。
まさか自分がそんな目に遭うなんて思いもしなかった。
咄嗟の時は大声を、などというけれど、本当に怖いと感じたら実際は何も出来ないものなんだ。自分は無力だ、と悔しさと
恥ずかしさから涙が出そうになる。
勘違いだと言われれば――と押し切る自信はどんどん無くなってくるし、顔も見えない、どの位置にいるのか、どの人間なのか
見当もつかない。
何より、下手に騒いだりしたら、注目されて晒されることになる。
確信がもてないまま俯き、身体を強ばらせてただ堪える。
そのうち、調子に乗ったのだろう。私が黙っているからか、段々と長く触れるようになり、スカートの裾を押し上げながら
太ももを撫でられた。

「――っ!?」

もう限界だった。思い切って振り向き睨み付け――その視線の先にいたのは――。

「……やめてくださ」
「小松原さん?」

同時に電車がゆらりと揺れて、ざわめき立つ人波にかき消された声とともに不快な腕は消え去り、後には――

「……ちか……っ」
「……!?……うえっ?……いや、ちょっ」
「ちかんがっ……うぁっ……うっ」

泣きじゃくる私と、ほぼ無関係の彼が――残った。

***

「それで、同伴なわけだ」
「まて。私はキャバ嬢じゃないから」

いや、知らないけど。

「ま、そんなに仲良さげにも見えないしね。ラブラブですぅ♪って顔じゃないもんねありゃ」
「わかってるじゃん」

そこなんだよね。
遅刻の原因を作ったのは私。そして――多分機嫌を損ねてしまったのであろう原因だって、まぎれもなくこの私。
同じクラスだけど、会話した事なんてまるで記憶にないくらい疎遠な男子。
でもあの時、知ってる顔にばったり出会って、思がけないアクシデントに心細く恐怖に震えていた私は、ちょっとした安堵感と、
もしかしたらどこの誰とも知らない人間に弄ばれていた羞恥を覚られてしまったのではという気まずさから、抑えようのない
緊張感の途切れから次々と溢れてくる涙をどうする事も出来なかった。
おまけに、頭が混乱状態だったせいで、やたら「ちかんが、ちかんが」とそればっかりを声に出してあわあわしていたせいで、
こともあろうにひきつりながらその場に立ち尽くすしかなかったであろう彼に、痛々しい視線が向けられてしまった。
ろくに説明も出来ないような状態のまま二人して駅員に連れて行かれてしまって、そこで暫くしてやっと平静を取り戻した
私がやっと――彼が無関係である事を話し、何とかあらぬ疑いをかけずには済んだ、と思う。

「悪い事しちゃった……」
「仕方ないよ、ゲス田だもん」
「ゲス……でも、迷惑かけたわけだし」
「そりゃそうだけど、あれじゃあぱっと見、疑いたくもなるでしょうよ」

そうかなぁ……と肩越しにちらりと振り向き見れば、細い目がぎろりとこちらを睨んだような気がした。
慌てて目を逸らし、何もなかったように装ってみるけど……恐っ!

「ね?……あれでマスクしてみ?コンビニ入れないよ、絶対」
「失礼だよアンタ」

親友の早紀の毒舌を諌めつつも、それを否定できない私もどうなのか。

「でも何であの人、ゲスだなんて言われてんの?」
「ゲスだ、じゃなくてゲス田ね。よくわかんないけど、いい呼び名じゃないのは確かよね。ごめんよくは解らない」
「あっそう」

私も良くわからない。イントネーションの違いからして既に。

「……彼女とかいるのかな?」

何となく呟いた独り言のつもりだったそれは、早紀の牛乳を飲む動きに支障をきたしたようだ。

「――ぶほっ!……ごほごほっ……ちょっ、あん、たっ」
「なによぅ〜?大丈夫?」
「だいじょばないっ!ていうかあんたが変な事言うから!!正気?」
「へん、て、別に……他意はないんだけど」
「ならいいけど」

いいのか。
辛うじて飲み下した牛乳がうまくお腹に落ち着くのを待って、パンの袋を破り始めたのだろうと思えるところで、私も箸を。

「あ、でも。やりチンて噂は聞いたことあるわ」

今度は私が米粒を吹きかけた。

「や、やりっ……」

言えない。最後の二文字は絶対に言えない。というか言うまい。

「なんか、らしいよ。女といる目撃談はよくあるらしいんだけど、どうも度々相手が替わってるって話。ほら、誰だったかなぁ、
たしか中学一緒の子から小耳に」
「へ、へえ〜……。意外、というか何というか、モテるんだね」
「危険なふいんき?フンイキだっけ?あれ?ま〜いいや。とにかくそういうのが好きな女の子って多いじゃない。だからじゃ
ないの?……けど続かないって事はやっぱ何かあるんでしょ。ゲス呼ばわりされるだけの事はあるんでしょうよ。冷たいとか」
「そういうもんかしら」

冷たいのか。でも、そんな人が私を助けてくれようとしたのなら、それはないんじゃ。
助けて……。
……くれようとしたのかしら?
でも気に掛けてくれたのは事実だし。

「やっぱりちゃんとお礼しないと」
「えぇ?物好きねぇ……まあ、仕方ないか。あんたどうせこのままじゃ気が済まないんでしょ?」

苦笑いする早紀に頷いてみせる私。
一度気になると、素通りできない性格だから。

授業が終わるのを待って、教室に人が少なくなってきた頃を見計らって近付いた。やっぱり人目があると、今朝の事もあるし。

「あの〜、ちょっと……」

恐るおそる声を掛けてみると、机の中を覗いていた顔を目だけ向けるような形で私を見上げ

「え?俺?」

とちょっと低めの声を返す。

「あ、ごめんなさい」
「何が?」
「えっと、い、色々」

呼び止めたのが迷惑だったのか。早く帰りたかったのかな。そりゃそうだ、私だっていつもは何もなければさっさとそうしたい。

「それだけ?」
「えっと、ちゃんとお礼言いたくて。……っ、増田くんがいてくれて助かったし」
「……別になんもしてないと思うけど」
「そう……かもしれないんだけど、あ、えっと、いや、でも、あの時安心したのは事実だし、迷惑掛けちゃったからお詫びとか
とにかく何かお返ししたくて」

うっかりあだ名が出そうになって慌てて取り繕ったけど、ばれては無さそうでほっとした。
と同時に初めてまともに彼と会話らしきものを交わしてみて、それ程嫌な奴という印象を受けていないことに気づき、あだ名
の意味に疑問を抱く。

「物好きだね、あんた」
「そうかな?別に普通だと思ってるんだけど……」

確かに庇ってくれたとか、声を上げて変態退治をしてくれたわけではないけれど、別にあの時、私をスルーする事だって出来た
筈だ。なのに、そうはしなかったし、それで私は何とかショックな気持ちを抑えられた。

「……まあ、まさか前科持ちになるとこだったとは予測しなかったけど」
「――っ、それは……ほんとに……すまないと思って」

私が取り乱したためにうまく言葉が繋がらなくて、あの場にいたこの人がこともあろうに『痴漢の犯人』だと勘違いされた。
わけわからないまま駅長室だかに連れてかれて、私がやっと事情を話せるよう落ち着くまで、学校に来れずに付き合わせて
しまったのだ。
誤解は解けたけど、迷惑掛けまくったのは本当だし、心底申し訳ないと思っている。

「とにかく、お礼でもお詫びでも何かさせて欲しいと思って」
「……わかった」

拒否されなくてほっとした。別に『いらない』と言われればそれだけなんだけど、逆に素直に受け取ってくれるというのなら、
多分そこまで気分を害してはいないという事でもあると思うからだ。
誠意の通じる人なのだろう。良かった。

「じゃあ、今からでも?」
「あ、うん、いいよ。私は早い方が」
「――そうなの?」

帰り支度をすべて終えると、少し驚きの混じった意外そうな表情を浮かべて立ち上がった。

「え、うん。そういうもんじゃないのかなぁ」

何かおかしい事でも言ったかな?
足早に教室を出て行こうとする増田くんの後を慌てて追い、距離を詰めながら彼より数歩下がった位置を歩く。

「見かけによらないんだな……」
「はい?」

私が?ですか。普段どんなイメージ持たれてるんだろう。というより、何を。

「そう言えば、増田くんと話するのって初めて?だよね」
「ん、そうだな」

考えてみれば、同じクラスになったのは二年生になってからだし、班を組む機会でもなければ席も離れてるから、雑談はおろか
挨拶すらまともに交わした覚えがない。

「いつもあの電車に乗ってるの?」
「そうだけど」
「へえ、私も入学してからずっと同じなんたけど、知らなかった。あの路線だと大体うちの学校の人はあまり見かけないから、
すぐ目につくと思ってたんだけど」
「……たまたま。いつも始発駅から乗ってて、座ってるからだと思う。ほんとは隣の車両だけど今日は乗り遅れそうになって、
普段の手前に飛び込んだから」
「そうなんだ!いいなあ、私座った事ないよ。羨ましい……」

だったら痴漢に遭うこともなかったろうにと思うと、ちょっとばかり悔しいやら、思い出して腹も立つやら。

「あ、あれ?」

下足箱を通り過ぎてスタスタと先を行ってしまう。

「増田くん?」

学校出るんじゃないの?
本当は帰る前に済まさなければならない用事でもあったんだろうか。だったら今度にして貰えば良かったのかもしれないか
とか考えていると、渡り廊下を突っ切って校舎裏の自販機の前で止まった。

「ここでいいか」

増田くんは独り言みたいに呟くと、辺りを見回し鞄を置いた。

「ここ?」

並んだ紙パックの100円と書かれたパネルの文字と、彼の顔を交互に見つめる。
確かにあまり裕福なお財布事情の私ではないが、駅前のコーヒーショップで奢る位のお金は入ってたはず、だ。今月はまだ
手をつけてないもんね。

「気を遣わなくて大丈夫だよ?」

それ位するつもりでいたんだから。

「見られても平気なタイプ?」
「え〜……別に、考えたことなんかないけど」

はた、と気が付く。そうか、増田くんは困るのかもしれない。今朝の事もあるし。

「ごめんね、私は平気だけど……増田くんは見られると困るよね」
「いや、そっちがいいなら別に」
「そう」

財布を出そうと鞄を置いて、

「じゃあ何しよっ……」

と振り向いたら、身体がぐらりと傾いて、背中にばん!と衝撃が走った。
痛いとか一体何がとか考える暇も無く、唇を何かに塞がれて息が出来なくなった。
あまりの勢いにぎゅっと目を瞑ると、ぐいぐいと身体全体を壁に押し付けられて逃げ場を失うと同時に、声と酸素を同時に
奪っているものの正体を理解する。

――キス、されてるんだ、私。

少しずつ状況を把握するにつれ、冷静に頭の中が整理されてくる。
えっと、私は今、クラスメートに唇を奪われていて、それで、ここは学校で、で、どうしてこうなってるのかというと……。

「いっ――いやあああぁぁぁっ!?」

ありったけの力を振り絞って、彼の胸元を思いっきり両腕で押し戻した。

「な、ななな何……を」

離れた途端、目に飛び込んできた増田くんの唇に釘付けになりかけて声を上げそうになった。
い、今、キスした?私、したよね?この人と。
ていうか、誰か。誰かいませんか!?見てないよね?見られてないよね!!

「気にしないって言ったから」

キョロキョロと高速で首を振りまくる私に反して落ち着き払って頭なんて掻いている。

「誰も見てないよ、多分。滅多にここに来る奴はいないんじゃないの?」
「そっ、そういう意味じゃない!!」

ここはかなり玄関から奥だし、学食が閉まっている今は人なんか確かに滅多に来ないだろう。運動部の部室は逆方向だし。

「見られたいタイプかと思った」
「どこをどうすればそんなっ……!?大体いきなり何を」
「誘ってきたんじゃなかったの?」

信じられない一言に、私の頭は一瞬にして真っ白になり――一瞬にしてめらめらと何かが燃え上がった。

「そんなわけないでしょー!?どこをどーすりゃそういう意味になるのっ!!」
「あ、違うんだ」
「当たり前でしょー!?大体何でよく、知りもしない……人にそういう真似……できるわけっ」
「……あ、おい……」

この人としちやったんだ、私。今日初めてまともに口聞いただけの相手で、別に付き合ってるとかそういうのでもなくて、
友達にさえまだなれるかどうかっていうところのクラスメート。

「……初めてだったのにっ……」

好きだとか言われたわけでも、勿論私が好きだって言ったわけでもなくて。

「ふぁ、ファーストキス……だったのにっ……」

うわあ、どうしよう。事実がはっきり突きつけられるにつれ、段々腹が立ってきた。と同時に、悲しくて悲しくて、後から
ぽろぽろと涙がこぼれてくる。
流石にそれで悪いと思ったのだろう。
チャリチャリとポケットから小銭の音を鳴らしながら、自販機のボタンを探っている。
ゴトンと落ちてきた紙パックを無言で差し出すと、私の手にそれを握らせた。

「……ごめん」

ひんやりとした紙の包みを、瞑った瞼に押し当てた。
もう一回ゴトンという音がして、上履きがコンクリートの床をジャリジャリ擦る。
しゃがみ込んだ私の向かいに同じようにして目線を合わせてきて、ふうと溜め息をつく。

「意外だと思ったんだよね。大人しそうに見えて大胆な事するなーって。お礼だっていうから、てっきり」
「てっきりって……普通そんな考え方はしないかと……」

どういう思考回路してるのか。

「俺そんなんばっかだからさ」
「はあ!?」

思わず顔を上げた。
細い目で視線を彷徨わせながら眉間に皺を寄せている。なんのことはない、飲んでるものが冷たいのに堪えているのだ。
その証拠に口からストローを離すとほっとした様子を見せた。
こんな時に呑気なもんだわ。

「そんなにショックなもんなの?減るもんじゃないと思うけど」
「そういう問題じゃない」
「……もしかして初めては好きな人と〜ってやつ?」
「悪い?」
「別に」
「……増田くんはどうして?」「誘われたのかと思って。俺来るもの拒まずだから」
「!……へ、へえ、もてるんだ」
「さあね」
「……彼女いないの?」

今更だけど一応ね。

「いない」
「そう」

それならいいけど。やっぱり、後味悪いよ。私が彼女だったら嫌だ。彼女じゃなくても、どうかと思うけど。

――なんか、最低。

確かにゲスかもこいつ(たった今からそう呼ぶ位置におく事に決めた)。

「小松原さん、だっけ。初めてが俺みたいので悪かったな」

初めて名前をまともに呼ばれた。けど、それはぼんやりとした記号のような音でしかないように聞こえる。
私のキスはこんなものなのか。
手の中に残る紙パックをしばし眺め、てくてくと去っていく背中を見送りながら、思い切りゴミ箱に放り込んだ。






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