ボイラーガール
シチュエーション


軽い冗談のつもりだった。

付き合い始めてから二年にもなると言うのに、私達の間にはキスのひとつもなかった。良い雰囲気になることは
幾度もあるのだけれど、いつもその時になるとアイツは、決まってきつく瞳を閉じて顔を逸らせてしまうのだ。
そんな態度は私をいらつかせる半面またそこが可愛くもあったからつい私も、いつしかそんなアイツの甲斐性無しを
ジョークにしてからかうようになっていた。
そう……今回のそれだって、そんな毎度のジョークの筈だったのだ。
いつものようにデートをして、そしていつものように帰り間際のキスを躊躇するアイツに、私もいつものように
こんなジョークをひとつ言った。

『このまま私をモノに出来ないんだったら、他の男になびいちゃうからね』

そして今、私達はラブホテルの前にいる。……まさか、よりにもよってこのタイミングで根性を出してくるとは。

「……本当に、入るんだ」

いざその瞬間を前に躊躇してしまう私。これから先に行われるであろう事の重大性を前に、どうにも足が竦んで
しまう。
今にして思えば、今日までのプラトニックな関係とて互い17歳という未熟で幼稚な私達には丈相応のもので
あったのかもしれない。アイツの甲斐性無しをからかう反面、自分もまた臆病な処女(こども)であることに、
今になって私は気付かされたのであった。
ともあれそんな私を前にアイツも大げさに振り返ったかと思うと、

「するよ!ずっと馬鹿にされてきたけど、俺だって本気でお前のことが好きだったんだ」

私以上に顔を赤くしたアイツは、そんな告白とともにきつく目をつむるいつもの表情を見せる。
そして強引に顔を近づけて私の額にキスをしたかと思うと、あとはあっけにとられるばかりの私の手を引いて
ホテルの中へ入っていくのだった。
思えばこれが私達のファーストキスだった。……ファーストキスか?
ともあれそんなアイツの滑稽さとそして勇気は、初体験を前にこわばっていた私の恐怖と緊張とを僅かに解かして
くれたのだった。

そうなってくると途端にワクワクしてくる。
いけない事をしようとしている罪悪感はむしろ、まるでジェットコースターに乗る前の緊張感のように、今では
私の心を弾ませてやまないのであった。
ホテルに入り、すぐ正面にある空き部屋確認のパネルを二人で見上げる。
どの部屋に入ろうかと悩む私の一方で、隣のアイツはというとそのシステムすら理解してない様子で、しきりに
そこと支払いのカウンターとを見比べている。
そんなアイツを尻目に、私は部屋選びに余念がない。
思い出を作るのならキレイな部屋がいいに決まってる。私は写真パネルの見栄えが一番豪華だった部屋を選択した。
見るからに高そうな部屋ではあるが、どうせ金を払うのはアイツだ。いい想いのひとつもさせてやるのだから、高くは
なかろう。
パネル下にあるボタンを押すと、今まで無人だったカウンターそこに従業員と思しき制服姿のおばちゃんが顔を
のぞかせる。

「お部屋、決まりましたか?」

おそらくは初めてココを利用するであろう私達を慮ってか、おばちゃんは丁寧にそんな言葉を投げかけてくる。

「はい、ココの部屋で」
「じゃあまずお代からね。休憩でしょ?1万8千円になりますね」
「はーい♪……ほら」

しかしながらいい金額だ。今日の私達のデート代の総額よりも遙かに高い。しかしアイツも緊張しているもんだから、
そんな金額の高さになど疑問ももたずに支払いを済ませてくれる。

「はいはい、ありがとうございます。じゃあお部屋は3階の、エレベーターを出て突き当りの部屋になりますね。
ごゆっくりどうぞ」

そうして部屋のキーをカウンターの上に差し出すおばちゃん。それを前にただ呆然自失といった感のアイツを
横目に身を乗り出すと、私はそんなおばちゃんに笑顔でひとつ会釈をしてそれを受け取った。

「ほら、早く行くよ。いつまでここじゃ恥ずかしいでしょ」

私に腕を取られて、ようやく我に返り動き出す。それでもしかし、緊張から動きのぎこちなくなっているアイツは
何ともモタモタとした足つきでエレベータに乗りこむのだった。
二人で乗り込むのが精いっぱいの狭さのせいか、エレベータ内での移動時間は若干長く感じられた。
その空間の中で、

「ねぇ?今日はさ、どんなことしてくれるのさ?」

私は甘えるような声を出してアイツの腕を抱きしめる。
ラブホテルの中というシチュエーションも相なってか、私自身もかなり馬鹿になってきている。抱きしめた肘を
胸に挟むように、さらには手の甲がジーンズの股間にぴったりと触れるように私はアイツの右腕を抱きしめ、見上げる
のだった。
そんな右腕を包み込む私の感触に、その一瞬アイツは丸く目を剥いたかと思うと、次にはきつく閉じたあの表情で
あうあうと何か口ごもる。
恥ずかしい話、そんなアイツのしぐさに激しく欲情した。
ラブホテルの中、さらにはエレベータの中というその非日性に私は完全に発情して熱しあげられてしまったのだ。
そして先ほど以上に強くその右腕を抱きしめて身を擦り寄せると、私はアイツの頬へとキスをした。吸いつける
ようにして強く、私はたっぷりと愛情をこめて唇を押しつける。
唇が離れると同時にエレベータの扉が開く。それを前に私は、テレ隠しも含めて飛び出すように一人先に出た。
そこから振り返れば呆然自失としたアイツが立ちつくしているばかり。もはや完全に抜け殻と化しているその姿に
私もため息をひとつ。こんなことぐらいでこの様じゃ、これから先なんて勤まらんぞ。
そのままエレベータの扉が閉まろうとしてもアイツは出てこなかった。その様子に急いで手を伸ばすと、私は
アイツをそこから引きずり出す。

「ほらほらぁ、しっかりしてよー。そんなんで大丈夫なの?」
「あの……あのさぁ。これから、何するの?」

私に手を引かれながら部屋までの通路を進む私達。そんな私の問いかけに、すでにアイツは泣きそうな表情で
訊ねてくる。

「もー、エッチするんでしょ?『無理やりヤッちゃうから』って私をこんな所に連れ込んだのはアンタじゃない」
「そ、そんなこと言ったっけ……?」

この期に及んですっかりヘタレと化してしまっているアイツ。そこが可愛くもあるのだが、この記念すべき瞬間を
そんな弱気で台無しにされてはたまらない。ここは私がリードするしかないのだと、改めて自分を奮い立たせる!
……というか、今のこの瞬間が楽しくてたまらない。

言われた通り、突き当りの部屋に私達は到着する。
そこのドアにはめ込まれたルームナンバーのプレートとキーの番号とを確認して、私はそのドアノブに手をかけた。

「ん?カギかかってる。あ、そうか。これをこのカギで開けるんだね」
「…………」
「ん〜っしょ、と。開いた開いた♪ほら、入るよ」
「う……うん」

開いたドアの向こうへ誘う私に対してどこか俯き加減のアイツ。
敷居をまたぐとすぐに玄関と思しき段差。タイル張りの入口から、そこを境に絨毯張りにされた通路とその脇に
そろえられたスリッパに私はここで靴を脱ぐのだと悟る。

「へぇー、靴のままじゃないんだ。さっすがいい部屋だねぇ♪うわー、絨毯もふかふかー♪」

スリッパも履かずに足の裏の感触を楽しむ私とは対照的に、アイツはそそくさとスリッパを履く。
もはやそんな細かいことに気など回らなくなっている私。そんな素足のまま部屋の中を進んでいく。
通路を抜けるとすぐにリビングと思しき部屋に出た。
茶を基調にした木目のシックな内装とリビングテーブルを前においた革張りのソファー。そしてその正面には
見たこともないくらいに大きなプラズマテレビが一台、壁にかかっている。

「すっごーい。……でも、あれ?ベッドは?」

そんな内装に感動するもつかの間、ラブホの本体とも言うべきベッドが無いことに気付いて私は視線を巡らせた。
そうして室内をぐるりと見渡せば、そこのリビングのさらに奥にもう一部屋を発見。
そこまで歩を進め、ようやくそこに私は待望のベッドを発見したのであった。
室内の色調に合わせ茶のベットカバーが被せられたそれに、照明の操作をする為であろうボタン・ダイヤルの
配置されたウッドデッキ。質素な造りながら、なんとも豪製ではある。しかし何よりも私の目を惹いたのはその巨大さ。
6畳ほどはあろうと思われる室内をほぼ埋めつくす、そのキングサイズの壮観(ベッド)に私は息をのんだ。
そしてそれを前にして私が取るべき行動はきまっていた。
天井が高いことを充分に確認すると一躍、私はそこからジャンプ一番ベットの上へと飛び込むのであった。
背中から着地する私を受け止めて、大きく弾ませてくれるスプリングにさらに感動する。想像通りの……否、
想像以上に柔らかくて弾力のある素晴らしいベットだった。

「すっごーい、こんなの初めてー♪ステキー♪すごいよコレー」

その感触が楽しくて何度もベットの上で弾んでは枕を抱きしめて笑い転げる私。
と、ふと我に返ると、

「うきゃー♪――ん?どしたの?」

そのベットルームの外で呆然とそんな私を見つめているアイツに気づいて私は声をかける。
眉間にしわを寄せ、必死に私の奇行を理解しようとしているであろうその表情に、私は自分の醜態を見られた
恥ずかしさよりも、アイツのその表情の方がおかしくなってさらに笑い転げるのだった。

「何その顔、ウケるー♪なに真面目になっちゃってるのよ?」
「え?あぁ……うん」

そんな私の声に表情を緩ませるアイツ。私もベットから降りると、その傍へと寄り添う。

「ありがとね、こんな素敵な部屋に招待してくれて」
「そ、そう?ううん、別に」

見上げるように見つめながら送る私の視線に、アイツもそれを受け止めかねて視線を宙に泳がせる。

一方の私もさらに積極的に出る。今まで以上に体を擦り寄せると、内股にアイツの腿を挟みこんで、より密着する
ように体を擦り寄せた。

「ほら……ドキドキしてるの分かる?」
「よ、よく判んないけど……」
「ふふ♪アンタの方がドキドキしてるね。胸からさ、すごく聞こえてくる」

ふと頬を寄せたアイツの胸板から、太鼓の重低音のようにその鼓動が体温と共に熱く耳へ伝わってくる。
今までこんなに体を密着させたことなんてなかったから気付かなかったけど、こうして実際に触れてみるとコイツも
結構いい体をしているのが判る。
引き締まった胸板は肉厚で、堅さの中にも熱い弾力がある。そっと触れてみる二の腕も然りだ。見た目以上に筋肉の
詰め込まれた両腕は、この体で包み込まれたらどんな感触がするのだろうと、ますます想像する私を興奮させて
しまうのだった。

「ねぇ、そろそろキスしてよ」

自然とそんな言葉が出る。体が求めているのだ。
そんな私の言葉にアイツもその一瞬混乱したようであったが、見上げる私の瞳に視線を絡ませると、すぐにそれを
理解して私を抱き直した。

『目力』とでも言うのだろうか。いよいよ以て発情したそんな私の気配は、その視線を通じてアイツの脳にも感染した
ようであった。そうなるともはや、頭で考えるまでもなく体が反応する。
それが初めてとは思えぬ自然さで首をかしげると、アイツは静かに私の唇を奪った。
そっと触れ合う程度で離れるそれ。
そこからいったん額を離し見つめ合うと、再度私達はキスを交わす。
先ほどの触れる程度のものではなく、互いの唇を取り込むようにして交わされる濃厚なキス。口唇を通じて行き来する
体温と唾液、そして舌先のぬめりとに私は自分の体が頭から溶けていくかのような錯覚を覚える。
しばしそんなキスを交わして唇が離れると、すっかりそれに中てられた私は情けなく脱力してアイツの胸元に
もたれかかるのだった。

「だ、大丈夫?具合とか悪い?」

一方の訪ねてくるアイツはと言えば、緊張こそしているものの私を気遣うまでの余裕。この部屋に入る前までは
私の方がリードしていたというのに、今ではこのキスひとつですっかり私がへばってしまっている。
それでも見つめてくるアイツの顔が愛しくてそして嬉しくて、その視線に溶された私は、ついには足腰すら
まともに立てなくなってしまうだった。
完全に力を失いもたれかかってくる私にアイツも混乱したようだった。
とりあえずそんな私を抱き直すと、アイツは優しく私をベットに横たわらせてくれる。
私を抱きかかえて横たわらせる姿勢上、自然とアイツが私を組み敷く形になった。そうして私をベットに寝かせて
立ち上がろうとするアイツを――しかし私は逃さない。
すぐさまにそこから両腕を伸ばしてアイツの首を抱きしめると、私は再びその唇を奪う。

「ん、んん?ん〜ッ」

突然のそれにアイツもくぐもった声を上げる。そんな私の抱擁から逃れようと身をよじらせるも、私は放さない。
むしろ抵抗すればするほどに抱きしめた両腕に力をこめ、そして伸ばした舌先をアイツの口中に侵入させ、存分に
互いの唾液とを味わう。
そんなキスを続けているうちにアイツからも抵抗する力が消えた。

それを察して私も両腕の力を解き、ようやくアイツを解放する。

「……強引すぎるよ?」

そこから仕方がないといった表情で見降ろしてくる視線に、

「これくらいやんないとスイッチ入らないでしょ?」

私も笑顔を返してやる。
そんな私の笑みを受けてアイツも苦笑いに口元を緩める。そうしてすっかりリラックスすると、示し合わせた
ようにもう一度キスを交わす。
唇同士を触れ合わせる程度のそれを続けながらアイツの掌が私の体に触れた。
右の肩口にそっと置かれた手の感触と温度にその一瞬、私はぴくりと震えて反応する
その様はまるで臆病な子猫だ。そしてそんな子猫をいたわってくれるかのよう、アイツの手の平は優しく私の体を
撫ぜて移動してくるのであった。
肩口におかれた手の平は袈裟に移動して乳房の丘陵を登りなぞる。やがて掌の中央が頂点について手の平全体で
乳房を包み込める位置に置かれると、指々は夕に斃れる花弁のように窄んで、私の乳房を包み込んでくるのだった。
ただ置かれていた時とはまるで違う体温の伝わりとその熱に、私の鼓動と興奮はさらに大きくなっていく。
これから先、何をされるのだろうか?
胸を揉まれるだけでもこれほどまでに昂ってしまっているのだ。もしアイツの手が直に素肌に触れようものなら

……そして互いの体温を素肌で感じあってしまったのならば……その瞬間に、ちっぽけな私など微塵も残さずに
溶けてしまうのではないか?
比喩や冗談ではなく私はそう思った。それほどまでに興奮している。
そんな事を考えているうちに、私の乳房を包み込んでいるアイツの手の動きは徐々に強さを増していった。
最初は確かめる程度に力を込めていた手の平も、今となってその弾力を楽しむかのよう私の乳房それを揉み
しだいている。
昂る体と、そして依然として口付けによって呼吸器を塞がれている酸欠とに、私の頭は風呂窯のように熱せられ
その蒸気に意識を白くさせていった。
そんな息苦しさとも取れない感覚ではあるのになぜか――私はそれを心地良いと思った。
苦しみも快楽もその根は同じものであるのだと実感する。ならば、いっそその苦しみで殺してほしいとさえ私は
願っていた。
それほどまでに今のこの瞬間は幸せに私を満たしていてくれていたからだ。この幸せの中で死ねるのならば――
この瞬間をあなたと共に永遠に出来るのならば、死ぬことだって怖くはない。
いや――むしろ、私はこの為に生きてきたのだ。
あなたと共にこの瞬間を迎える為、この瞬間の為に今日までの私があったのだ。
そんな考えが取りとめもなく頭の中を回って、やがては私の境界は消えていった。
意識も、体の輪郭さえも、全ては曖昧糢糊に白ずむ意識の果てに溶けて……

いつしか私は、自分を見失うのだった。


★★★


目が覚める。
リズム良く上下に弾むその揺れを私は最初、理解できなかった。
やがては天地を確認し、うっすらと開ける視界に流れる夜景の遠い景色が確認できた頃――ようやく私は、自分が
誰かに背負われていることに気付くのだった。

「んあッ!?なに?どこ、ここッ?」

そうして意識と肉体とが完全にリンクを果たすと、私は跳ね上がらせるように頭を上げて体を起こしたのであった。
そんな突然の私の動きに、それを背にしていたアイツが驚きに情けない声を上げる。……どうやらアイツに
背負われていたようだ。

「目、覚めた?大丈夫?」

そして何事もなかったかのよう、いつもの能天気な口調で訊ねてくるアイツとは対照的に、

「なに?何があったの?マジで訳わかんないんだけどッ?」

私は赤兎馬を駆る呂布のよう、アイツの背中から大げさに首を回して周囲を見渡すのであった。
どうやらどこか公園の中を歩いているようだった。しかしながらそれを確認すると、余計に私の混乱はその度合いを
増した。

ついさっきの瞬間までホテルでコイツと乳繰り合っていたはずなのに、気がつけば公園にいるのだ。我が事ながら、
それも仕方がないように思えた。
そんな私の反応に一方のアイツは小さくため息をついたかと思うと、まるで子守が寝る子をあやすかのよう事の
顛末を語って聞かせてくれるのだった。

「ホテルでキスしてさ、その……ちょっと胸に触ったあの後、おまえ気絶しちゃったんだよ?」
「気絶ぅ?なんでよ?別にあたし何ともないわよ」
「知らないよそんなの。とにかく、こっちの問いかけにも反応しなくなっちゃって、すごく慌てたんだから」

その後は濡れタオルで私を看病するなどして、3時間・1万8千円の休憩タイムは終わりを迎えたそうな。
とりあえず寝ている以外に異常のないことを確認したアイツはそんな私を背負い、今に至っているという訳で
あった。

「おまえ背負ってホテル出るの、すごい恥ずかしかったんだからね」

そう言っておそらくは頬をふくらませているであろうアイツの顔を背中から想像して、私はため息と一緒に苦笑いを
浮かべる。
そうして気分が落ち着いてくると、冷静に自分が気絶してしまった瞬間のことも振り返ることが出来た。
あの一室でキスとペッティングを交わした私は、その興奮から逆上せてしまったようだった。緊張で左右が
分らなくなっていたコイツ以上に私の方がテンパっていた訳だ。……我ながら恥ずかしいくらいに若い。

「あ〜、うん。もう大丈夫だよ、降ろして」

ようやく昂る心も火照った体も沈静すると、私はそこから呼びかけて奴の背中から降りた。
そして両足を地に付けると大きく伸びをひとつ。
そんな私を見守りながらため息のアイツ。かくして……

私達の初体験は、見事なまでに『失敗』してしまったのだった。

それでも、

「ねぇ、ちょっと……」

それでも私は、なぜか満足していた。

「ん?なぁに?」

呼びかけ私に顔を上げて応える、すっかり疲弊しきった表情のアイツ。

「なんだかんだあったけど、今日は楽しかったね♪」

その言葉にウソはなかった。それどころか私の心はまるで子供にでも戻れたかのよう、晴々と楽しげな余韻に
浸れている。

「今度はさ、フリータイムの所見つけて朝から入ろうよ」
「えー?いいよぉ、もうしばらくは」

この次にまたコイツとラブホに入った時、今度こそ私達は目的を成就することが出来るだろうか?それとも
また私が、もしくはコイツが蹴躓いて失敗に終わるのだろうか?
そんな未来のことは解らないけれど、だけどそんなコイツとのこれからを考える私はどこまでも楽しくてそして
幸せな気分になれるのだった。

「もう一回さ、キスしよ。とりあえず次回の約束に」

私のそんな要求にアイツはあからさまに表情を曇らせて困惑した顔を見せる。
その顔と反応はなんとも腹立たしくもあったのだけれど、でもそんなアイツは今、抱きしめたくなるほど愛しく
私の眼には映るのであった。

「いまさら出来ないわけないでしょー?さっきのラブホじゃ、さんざんベロベロ舐めてたくせに」

過去のそれを話題に持ち出されるのがよほど恥ずかしいのか、やがてはしぶしぶアイツも私のおねだりに応じる。
きつく瞳を閉じて体を硬直させるその表情は、私が良く知るいつものアイツだった。

「……本当に今更だけど、大好きだからね」

顔を近づけて、その耳元で呟くようにそんな告白をする。
それに驚いて、アイツがその表情を緩ませたその瞬間――私はその唇をついばむように奪うのだった。
強く両腕を首に回して体重を預ける私に、アイツもそれに倒れまいと踏みとどまって抱き止めてくれる。
そんなアイツの体温を感じながら私は思う。
今日までの私は、きっとあなたとこの瞬間を迎えるために在ったのだ、と。
そして、

今のこの瞬間をあなたと共に永遠に出来るのならば、死ぬことだって怖くはない――まんざらでもなく、そう思えた。






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