ユキと精さんの話 2
シチュエーション


1月生まれの私は、まだ17歳。
でも誕生日がくれば、もうすぐに高校卒業だ。
16歳年上の隣人、精一さんが好きな私は、未だに想いも告げられず、相変わらずな毎日を送っている。
自宅で設計の仕事をしている精さんは、ここ数日、締切間際で徹夜続きだ。

「精さん、晩御飯、持ってきたよー」
「おう、台所に置いてくれ」
「そっちに運ばなくていいの? 締切明日でしょ?」
「徹夜は徹夜だが、メドがたったの。うーん、も少ししたら、メシにしよっかなー」
「後で、来よっか? 食事の相手したげるよ」
「あ〜、いい、いい。一人で食べるから」
「そう?」
「高校生は、TV見て、長風呂して、メールして……やることいっぱいあんだろ」
「なによ、それー。私受験生なんだからね」

そうそう、勉強。私は目指すものがあるから、今のうちから真面目にやってるの。

「早く、帰んな。じゃないと、とって食うぞぉ」
「はっ? なにそれ。セクハラ発言すると、ほんとにおヨメさん来なくなるよ」
「ユキがヨメに来てくれるんじゃなかったの? ほれ、よくゆびきりさせられた」
「はあぁ?! そんな小さいときのこと、約束できません。年、考えてよ」
「さらっと傷つくなぁ……これ、セクハラってやつなのか?」
「そう。精さん、友達に若い人いっぱいいるんだから、発言に気をつけること」
「俺もまだまだ若いんだけどなぁ……」

確かに、精さんは若い、と思う。
同じ年代で、会社勤めしてる人とか見ると、全然OKだよ。
ていうか、白髪が混じっていようが、顔の皺が深増えようが、加齢臭がしていようが、私には関係ない。
精さんだから。

でも、精さんにとって、私はどんな存在なんだろう。
大人のあなたに、私はどんなふうに映っているのかなあ?

「精さん……明日、図面を設計事務所に納めたらさ、この間約束した映画……」
「寝かしてくれっ、頼む! もー睡眠不足でお肌荒れちゃって……」
「……はいはい。わかりました。どこが若いんだか……いつも口ばっかり」

あんまり邪魔してちゃいけないって、わかってるんだけどね。
でも、つい言ってしまう。

「今、バイト先の人に声掛けられてるの。一緒にお昼どう?って。その人と観てくるわ」
「ふーん。ユキ……モテるねぇ。そういや、夏休み前に見かけた彼とはどうなってんの」
「カレシとかじゃないし。精さんには関係ないと思うけど」
「俺の後ろをくっついて離れなかったコがねぇ。こんなにモテモテになるなんてなあ」

へへん。
そこそこ努力してんの、あなたに振り向いて欲しいという気持ちだけでここまで。

「あんまし、そんなスケスケの服着て行くんじゃないぞ。男はオオカミだからな」
「スケスケって、やらしー言い方! そんな透けてないよ」

精さん、気づいてた。
晩御飯運ぶためだけに、着替えたの。
薄めで、ちょっと胸のあいたのを、黒いキャミの上に重ね着した。
――この頃かなり焦ってる。早く大人になって、女として、見て欲しいって。

「……じゃ、精さんも、オオカミ?」
「んああ? おま、あったりまえだろ。男だもん。言ったろ、とって食うぞって」

にっこり朗らかに、さっきのおやじ的セクハラ発言を繰り返す。
それでも、動悸が激しくなってきて、血が逆流する。
そんなこと、爽やかに言ったって、私にはダイレクトに響いてしまう。
恥ずかしいけど、あの場所が、どんどん熱を帯びてくる。
「……ユキ?」と、急に黙り込んだ私を、精さんが振り返った。

「……じゃあ……私を……」
「ユキ」

急に言葉を遮るように、精さんが真剣な顔で私に向き直った。
腕を引かれ、引き寄せられる。
か、顔が近い!

「あのさ、俺のこと、どう思ってんの?」
「な、何、何? す、好きよ! どうして?……精さん。急に……」

急に直球で聞かれても……慌てたけど、心をこめて言ったつもり。
「好き」だけじゃ、足りない気がするけれど。
私が真剣な顔で告げたのに、精さんは逆に頬を緩めて、ニカ〜っと笑って言った。

「急に腕掴んで……悪い……。お前の頭じゃぁ、まだわからんかもしれんのに」
「はッ?!」
「まだ子どもだもんなー。ごめん。おじさん、カラかっちまったかなー」

精さんは頭を掻きながら、ははは……と豪快に笑い飛ばした。
カラカラ笑いながら「俺も好きだぞー」って。
なにそれ、ビミョーな発言。意味わかんない。
「好き」って、好きってことでしょう!?
何笑ってんの? 切なく盛り上がった私の気持ちは、どうしたらいい?
……当然、やり場のない怒りへと爆発した。

「ばかばか!! エロオヤジ! 精さんなんか、勝手にしてよ!」

怒りにまかせて、精さんの家を飛び出した。


***

一応、大人の男の人と一日ふたりで過ごすなんていうのは、精さん以外で初めてだ。
同い年の男の子とのデートみたいなのは、1対1とか友達と一緒にグループとかで経験済み。
でも今までは、「付き合ってほしい」と言われた後の、男子側の気合の入ったものだったので、とても疲れたのを覚えている。
あの時は、デート後に、やっぱり無理だと伝え、友達同士に戻った。

映画はおもしろかったし、3歳年上の大学生の人と食事したりするのは、新鮮だった。
今も歩きながら、映画の話とか、大学のこととか、将来のこととか……話題は尽きない。
少し年上の人は、多少の緊張感があって、いいかもしれない。少しドキドキする。
彼は、「棚瀬さん」という。

バイト先のファーストフード店でシフトが一緒の人。
バイトは1年間したけど、受験だし、今月で辞めることにしている。
もともとバイトは、精さんの自転車用ウエアとかをプレゼントするために始めたものだ。
辞めると伝えたら、「送別会を」っていうことで、映画に誘われた。

ま、精さんへの当てつけってこともあったんだけど。
ずっと精さんにしかトキメかなかったなんて、なんかおかしいかも?
中学からの親友の沙里ちゃんにも「他の男にも目を向けなくちゃ!!」って言われたし。
私だって、他のヒトにドキドキすることはあるんだ、確かに。だけど……。
それ以上の感情は湧かない。

「ここで、いいです。ありがとうございます。降りる駅まで家族が迎えに来るので」
「え? へえ、お迎えがくるんだ、秋山さん。じゃあ、そこの西口まで送るよ」
「え、いいです、いいです。棚瀬さん、今日はほんとにありがとうございました」

棚瀬さんは一瞬困った顔をした後、ぐい、と私の腕を引っ張った。
そして駅の建物の柱に背を押しつけられた。
すっかり日は暮れて、少し薄着の私は体が冷え始めていて、柱の冷たさに体が震えた。

「たな……せ」

彼の顔が近付いてきて、あっという間に唇が塞がれた。
すごく長い時間に思えた。たぶん数秒なんだろうけれど。
突き飛ばそうと思った時、唇が離れていった。

「急に、ごめん」
「……びっくり、しまし、た」
「……あの、あと3日、バイト頑張ろうね。じゃ、おれ、ここで」
「あ……さ、さようなら……棚瀬さん、さよならぁ!」

走り去ってく彼になんとか、さようならだけ言えたけど、声が震えてる。
びっくりした。
帰りの電車で、うっかり降りるのを忘れそうになった。
たぶん、改札口に精さんが迎えに来てるハズだ。
あんまり、会いたくない。

重い気分で、改札口に向かった。
でも、改札出ても、精さんはいなかった。
そりゃ、いつものバイト帰りよりはるかに早い、6時半だもの。
週3回のバイト帰りは、帰宅が9時を回ってしまうから、いつも精さんが迎えに来る。
私の両親に頼まれてるからだ。
中学の頃から、遅くなるときは殆どいつもだった。
気が抜けたのと、ほっとしたのと、今の気持ちはどっちだろう、自分でよくわからない。

キス、した。
どうだ! って、精さんに追いついた気がして、少し大人な気分。
精さんにも、結婚考えてた彼女がいたんだから、これぐらいではまだまだか?
精さんの立つ位置にあともう一歩?

――違うでしょ。
棚瀬さんの真剣な顔。そうだ、彼は真剣だった。
唇の感触。
紛れもなく男性に、精さん以外の男性に触れられた。
好き、とも言ってないのに、キスをされた。
ドキドキした、確かに。
でも、トキメかなかった。



バイトも最終日。今日は7時で終わりだ。
棚瀬さんとは多少ギクシャクしてるけど、かなり普段通りにしてるつもり。
最後なんだし、普段通りちゃんと終わりたい。
「腹減ったぁ」って言いながら、いつも通り一緒に店の更衣室へ入った。
「着替えたら一緒に出よう」と言われたので、更衣室前で彼を待った。
彼は月初めである明日からの勤務表に書き込みをして、後から出てきた。

「は〜、終わったね。おつかれさま」
「あ、ありがとうございました、いろいろと……」
「あのさ……秋山さん。あの、これでおしまいにしたくないんだけど……」
「はあ……」
「秋山さんとこのままにしたくないんだ」
「……」

この間のことが頭に浮かんだ。
棚瀬さんが私を見る目が、だんだん鋭くなっている。
いつも真面目で優しい気遣いをしてくれる彼のことが、急に怖くなった。

「付き合ってほしいんだ」
「あ、あの、すごく嬉しいんですけど……」
「けど?」
「じゅ、受験だし」
「だから?」
「ごめんなさい」
「……」

彼が私に向き直ったと思ったら、急に抱きしめられた。
次のシフトの人達は全員店に入ったばかりだった。
更衣室はシンとしてて、誰も来ないんだ。

「勉強一緒にしたりとか、から始めるのじゃだめ?」
「そういうんじゃなくて」
「じゃあ、何?」
「……」

力の無い声と一緒に、耳に息が吹きかかる。
少し腕の力が緩んだから目をあけると、彼の顔が私の正面にあった。
真剣な目がすごく綺麗だと思った。でも、視線が突き刺すようで、身が竦む。

「好きなんだ、君が」

どうしたらいい?
怖くなって、目を閉じた瞬間に、唇が冷たく柔らかいものに塞がれた。
キスされたんだ。
この間とは、違う……角度が変わり、唇が熱いものに覆われ、強く吸われた。
ちゅ……湿った音が耳に届いた。

なにか言おうとしても、鼻を鳴らしたように聞こえただけだった。
とたんに、唇が上下にこじ開けられた。
「うっ」とようやく声が出たけど、すぐ飲み込まれた。
棚瀬さんの舌が、私の口の中に入ってきた。
その感じに、鳥肌が立った。
くちょ、ちゅぷ……っていうすごく嫌な音が聞こえる。

「や……ふ……くふ……」

私の舌に棚瀬さんの舌が押しつけられる。
逃げようとするけど、奥へ奥へとそれは、私の中を遠慮なく掻きまわしてくる。
やだ、嫌だ。声に出そうとするけど、ちゃんと言葉にならない。
口の端から、よだれが流れ出したのがわかって、顔から火が出そう。

「んん――っ」

唇を塞がれたまま、いやいやって首を振った。
それが彼の腕の力を緩ませたらしく、私は力いっぱい彼を突き飛ばした。
彼の体が向かいの壁に、どんっと当たってよろける程、馬鹿力だったのか……。

「ご、ごめんなさいっごめんなさい!」

棚瀬さんが茫然としている隙に、それだけを言って、その場を逃げ出した。

締切間近の精さんは今日は迎えに来ない。
駅のトイレで口を思い切り漱いだ。
鏡を見ると顔が涙でぐちゃぐちゃだった。
自分がどうしようもなく子どもで、醜くて、吐き気がした。
顔も襟が濡れる程、ごしごしと洗って、ようやく帰りの電車に向かった。

月曜日にはバイトの制服を返しに行かなくちゃいけないのを思い出して、頭が痛くなった。
棚瀬さんと顔を合わせるのが怖かった。


***

天井が落ちてくる。そして、回る。
吐き気はないけど、気持ち悪い。
検査したら、インフルエンザだって。
辛いけど、今のうちにかかっといて、良かったって思おう、試験の時には安心だ。
薬飲んだし、明日ぐらいには熱も下がるとか……あー気持ち悪い。

気持ちが悪いのは、他にも原因があるんだけど。
最後のバイトの夜のこと。
目が覚めると、嫌でも思い出してしまう。
体調最悪で、気持ちも最悪。
すっごい落ち込む。

「雪、精一さんよ……あ、精一さん、マスク」

お母さんが、私の部屋のドアを開けて、声をかける。
暗い部屋に、灯りが差し込んだ。

「それと、精一さん、晩御飯用意してあるから、ウチで食べていってね」

お母さんの足音が、階段を下りていくのが聞こえた。

「ユキ、生きてる?」

精さんの声だ。
あれから、挨拶ぐらいは交わしたけれど、面と向かって話したことなかった。
すぐそばに精さんが座ったのがわかった。目を開けられない。
なのに、緊張して、めまいがひどくなってきた。

「気持ち悪い」
「なら、生きてる証拠だ。良かったなー、受験生が今かかっとけば、安心だ」
「う、うるさい」
「お、少しは元気がありそうだな。安心した。ここ一週間ぐらいお前おかしかったから」
「……」

体が強張った。気付いていたんだ、精さん。
そっと目をあけると、暗がりでもちゃんと精さんの優しい表情がわかった。
額にそっと大きな手が置かれた。

「熱いなー。呼吸器系の調子が悪かったら、すぐ医者に行けってさ。俺が連れてってやる」

お父さん、今日残業だったな。精さんも、徹夜明けじゃ……。

「ひどく咳きこんだり、息が苦しかったら、すぐおばさん呼べよ」
「……うん」

きゅうっと、胸が苦しい。これは、切ないってことか。
同時に、あったかいものが胸に広がって行くのを感じた。
体の強張りがどんどん解けていく。
相変わらずのめまいはそのままで、急にすごく眠くなってきた。
ぐいぐいと真っ暗闇に引きずり込まれていくよう。

「あぁ……落ちるっ……」

思わず額にある、精さんの手首につかまった。

「どうした、ユキっ、しっかり……」
「眠い……の……落ちそうで……せ、いさん……」

瞼が開けられなくなった。精さんの声が小さくなっていく。
――私、眠ったんだ。
でもすぐ夢の中の暗闇に、心配そうな精さん顔が浮かんできた。

いいよ、大丈夫。今は、すごく穏やかな気分。
精さんが傍にいるから、安心して寝られるわ。
精さんがマスクをはずすのがわかった。
夢の中でも、マスクしてないとうつるかも、と心配になる。

『心配してたんだぞ……ユキ』

精さんの口がそういうふうに動いて見えた。
温かな掌に片頬を覆われた。
小さい時から知っている、とても安心できる温もり。
夢の中だけど、涙は出てきた。

心配してくれてたんだ。
ごめんなさい。もう、当てつけだとか、子供じみたことしないから。
夢の中で精さんが、ふっと笑った。

また精さんの口が動いて見える……なにか言ってるけど、わからない。
私を見つめる精さんの瞳に力がこもって……こんな切なそうな顔をするんだ……。

『ユキ、どうやったら伝わるのかな……』

これは、夢だ。だって、精さんの気持ち、私に伝わってくるよ。
なんだかすごく嬉しい夢。
こんな夢が見られるなら、高熱出すのも悪くない、なんて。

精さん、好き。好きなの。
それ以外言葉が浮かばない。
きっと精さんが思うよりずっと好き。
声に出せないのが苦しいよ。
代わりに精さんの頬に手を伸ばしたら、その手に精さんの手が重ねられた。
ゆっくり精さんの顔が影になって近づく。

『愛してる、ユキ』

唇がそう動いて、見えた。
胸が熱くなって、また涙があふれ出す。
そうか、こう言えばいいのか。
愛してるって。
唇が重ねられて、頭の先から爪先へ痺れが走って行く。
すごく大きな温かい感情に包まれて、幸せな気持ちになる。
キスって、こういうものなのか、と初めてわかった。
あなたとなら、夢の中だけでもこんなに幸せになれる。
とても不思議。

『どこへも行くなよ』

唇が離れて、精さんはまた静かに、でも強く囁く。
それは体の中心に渦巻いていたもうひとつの熱を呼び覚ました。

もっと。もっとキスして。
欲張りで困った子どもの私に、この幸せな気持ち以上のものをください。
その熱が欲しくて、力が入らない両手を差し出して、がっしりした肩や首につかまった。
堪らなくなって、精さんの唇に自分から口づけると、精さんがすかさず私を抱きしめた。
唇を薄く開くと、するりと温かい舌が入ってくる。
自分の舌でそれを迎えにいき、絡ませる。

息をする間もないくらい、夢中で精さんの舌を追った。
もしかしたら、こんなはしたない私を幻滅するかもしれない。
でも、夢の中なら、いいよね。心配いらない。
それに、精さんもそれ以上に、私の口内をくまなく探って離さなかった。
歯や、歯茎に舌を添わせ、私の口を開かせて、唇の輪郭をなぞる。
入ってきて欲しくて、ねだるようにすると、すぐに唇を塞いで期待以上にキスが深くなった。

これが大人のキスなんだ、って何故か妙に感心したりした。
キスだけで、こんなに気持ちいいなんて。
唇に温かな感触が残っている気がする。
夢でもいい。この、泣きたくなるくらい幸せな気持ちになれて良かった。
このまま眠りに落ちていくのは、もう怖くない――。

――そこから夢の続きが無くなった。
翌昼やっと目が醒めるまで、私はずっと熟睡していた。



数日後には、インフルエンザも治った。
バイトの制服を返しに行きがてら、棚瀬さんと話をした。
どこからか湧いてくる勇気に押されて、自然に向き合えた。
そして、大好きな人がいることをちゃんと話した。
お互いに謝って、そして自分の将来に向かってガンバロウ!って励ましあえた。
なんだか、すごく幸せな気分だ。

それから精さんが、私を見舞ってから2日ぐらい後、インフルエンザにかかった。
熱にうなされながら、ちょうど仕事が一段落したところでよかった……と呟いている。
看病は、唯一罹患済みで学校も出席停止の私の役目となった。

「今週末、自転車のマラソン大会が信州であるんだよね……準備してたのになあ」
「あきらめなさい! 年取ると、長引くそうだから、絶対無理ね」
「あ〜傷に塩みたいなこと言いやがってぇ……あ、めまいしてきた」
「さっきもうわごと言ってたよ。っていうか、うめき声ね、すんごくキモかった」
「うるせ〜!! もうほっといてくれ……よ。はー、ぐるぐる……回る……う〜ん」

精さんがほんとに目を回して動かなくなったので、少し慌てる。
額のタオルを換えて、氷枕を換えにいこうか。

「……どこへも、行くなよ……」

ああん? 30男が力なく囁くのが、いまいちキモいよ、精さん……。
階段を降りながら、ふっと『どこへも行くなよ』っていう囁きを思い出す。
確かにそれは精さんの声で囁かれた、と思う。
顔が熱くなって、ひとりでににやけてしまう。
「むひひ」と声が出て、我ながら気持ち悪い。
人のこと言えないなあ。
でも、うーん。そんな素敵なセリフ、どこで言われたっけ?






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