恋心と夏の空
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シチュエーション


あたしは、5歳上の幼なじみである「大ちゃん」こと「伊吹大地」と付き合っている。

農家の長男であり、跡取り息子である彼が『嫁探し』のために参加した『お見合いパーティー』に、

それを阻止するため必死の思いで乗り込んだ。

そしてあたしはその日のうちに、彼の――大好きな大ちゃんの『女』になった。

それが高3の冬。

それから無事高校を卒業して社会人となった。

就職したのは隣市の会社の事務職。じきに初めての『お盆休み』が貰える。

「大ちゃーん、いる?」

母屋と別に庭の奥にある『離れ』。勝手知ったる彼の部屋に断りも無く上がり込むのにももう慣れた。

初めはやはり緊張もしたし遠慮もした。けれど今はこうして合い鍵まで持って堂々出入りするまでの
関係にまですすんでいる。

というのも。

「お帰りミナ。俺の嫁!」
「きゃああぁぁァァ!?」

カーテンの陰から飛び出してきた自称「旦那」に抱きつかれ、あっという間にベッドの上に放り
投げられる。

まあ、つまりはそういう事。

田舎町での男女のあれこれはあっという間に広まってしまう。幼稚園から中学まではほぼおなじみ
の顔ぶれ、ご近所やクラス皆が幼なじみと言っても過言ではない環境。あたしと大ちゃんも然り。

だから二人が付き合うと決まった時点で、彼はさっさと自分とあたしの家にその旨を伝えた。

あたしは三人姉弟の長女だが弟がいる。姉が二人の末っ子長男の彼もとへ嫁いでも何の問題無しとも
なれば、余程の事が無い限り反対の声も挙がらない。

今時少々行き過ぎた交際の仕方にも思えるが、大ちゃんの数え24歳という年齢や立場を踏まえて
の事情を考えれば、それは至極当然の流れとも言える。

それに。

「びっくりしたあ……」
「へへっ。お前が遅かったからだぞ。もう待ちくたびれた〜。」
「ごめん……んっ」
「ん……お帰りのチューなっ。んッ」

ずっと片想いだったあたしには、まるで夢のような願ってもない話。

ぎゅうと抱き締められて有無を言わさず唇を奪われる。

「……ごめんね。ヨッコ達と話し込んじゃって……」
「ん……わかってる。久しぶりだもん仕方ないよ」

卒業するとなかなか時間が取れなくて、友達と会って長話なんて機会も無くなってしまった。今日
はたまたま仲良しだったメンバーが揃うというので、友達の家に集まってのプチ同窓会に行ったのだ。

「どんな話すんの?」
「んー、仕事の話とか、やっぱり……彼氏の話が多いかな」

環境が変わっても、やっぱり一番の関心事は恋のハナシ。

卒業と同時に結婚しちゃった子なんてのもいて、おっきなお腹で幸せそうだった。かと思えば、仕事
や遠恋が原因で疎遠になって自然消滅なんてのもあったりして。

「ふーん。ミナはどんな話した?」
「あたし?あたしはねぇ」

ずい、ときつく首に腕を絡ませる。

「大ちゃんといると幸せ、って」
「……マジで?」
「うん」

だって本当にそう思う。

昔からずっと好きった人と両想いになって、周りにも隠さず堂々とした付き合いをしていて。

恵まれた話だ。

「ミナ」

優しい声で囁くと、そっと耳たぶをかむ。

「あ……くすぐったい……やん」
「くすぐったいのはキモチイイって事だな?」
「もうー!……やんっバカ」

わざと胸の上にのせた手のひらをこしょこしょと動かす。

「くすぐったいってー……あんっ」
「これでも?」

ふざけたような動きから徐々に力が入って、服の上からゆっくりともみほぐすような愛撫に変わる。

「ミナ……可愛い」
「……ぁ」

首筋に軽く吸い付いた舌が、少しずつずれてあたしの唇に這わされてくる。

「だ……め」
「だめじゃない」
「だってずるい。大ちゃん石鹸の匂いする。あたし汗かいてるし……」
「土弄りしてたんだからしゃーねーべ」

そう言って制止するあたしの手を押さえつけると、服の上からすりすりと胸に頬を寄せてくる。

「まっ……」
「待てないってばよ〜」

「そこをごめん。お二人さんちょっと待って」

ぎょっとして首を起こすと、同じように目を見開いた大ちゃんが胸から顔を上げた。

そんな状態で目があって、そのまま二人でゆっくりと同じ方へ顔を向ける。

「秋姉!?……いつ帰ったん?」
「今。ごめんね、邪魔して」

慌てて大ちゃんがベッドから飛び降り、あたしも跳ね起きてスカートの乱れを直していると、彼女
の後から男の人が顔を覗かせ、

「よう、悪い。久しぶりだな大地……っと」

とあたしを見て後ろ手にドアを閉めた。

「あ……お帰りっす!」

大ちゃんの二人いるお姉ちゃんのうちの一人、2歳上の秋穂姉ちゃんだ。

「ああ、ミナはわかんないかもな。この人秋姉の同級生で志郎兄。そこの河本さんとこの長男坊でさ。

こないだ話しただろ?」

「あ……ああ。初めまして、えと、実苗(みなえ)です」
「こんにちは」

7つ上ともなるとさすがに知らない人も多い。『○○さんちの』と聞いて何となく『ああ……』と
思うくらいだ。

ああ、じゃあこの人がそうなのか。

スッキリとした一重まぶたの鋭い目つきは、挨拶と同時に人当たりの良さそうな笑顔にふっと和らぐ。

河本さんと言えばここらでは名士で、秋姉ちゃんの恋人。大ちゃんからそう聞いている。

「ただいま。こいつ送ってきた。俺はこれから実家に帰るから」
「秋姉は行かなくていいのか?」
「今日はいい……じゃな」

そう言うとあたしにニコッと頭を下げて出て行った。

「あ、あたしそこまで送ってくるから。ミナちゃんまた後でゆっくりね」
「うん」
「それと大地」
「ん?」
「……鍵。もう大人なんだから」

溜め息をついて大ちゃんを見た後、あたしを見てしっ、と内緒話をするように唇に指をあてる仕草
をして笑うと彼氏の後を追った。

他県で働く同級生と再会し、付き合っていると聞いていた。もう一緒に住んでいるそうだから、今回
二人で帰省してきたという事は、きっとそういう話になるのだろう。

「続きって雰囲気じゃなくね?」
「まあね……とりあえず服着ようよ……」
「……だな」

風呂上がりにパンツいっちょでカーテンに巻かれていたわけだ、この男は。

「なあミナ。こんな俺はどう思う?」

この状態で『すき(ハァト)』と言うにはかなりの境地に達する必要があるかもしれない。

慰めるまでもなくすっかり冷静になった息子さんを、パンツ越しに眺めて苦笑いる彼を見ては、
あたしも同じように笑うしかない。

***

翌日は会社。仕事が終わるといつもの場所に見慣れた軽トラが停まってる。コンコン、と窓を叩く
と夢の世界から帰還した運転手がバッと顔を上げた。

「お待たせ……ていうか来てくれたんだ?」
「うん」

助手席に乗り込むと、目を擦って背伸びをする大ちゃんの無精髭に気付いた。いつもはちゃんと髭、
剃ってるのに。

「昨日あれから志郎兄と飲んでてさ。強いんだよな〜。俺先に潰れちまって、二日酔いで半日は仕事に
ならなんだ」

「えー……大丈夫なの?」

朝はバスで出勤するけど、帰りはほぼ毎日こうして迎えに来てくれる(お陰で交通費の請求ができなくて
足が出るけど)。

「平気。もう抜けた」
「けど」
「いいの!……お前に会うほうが薬になる」

くしゃくしゃっと頭を撫でて笑う。

「だから心配すんな」
「うん」

あたしだって会いたかったよ。ほんの少しの時間でもいいから顔が見たい。

「大好き」

そう言うと

「ん」

と笑ってほっぺをつついた手がハンドルを握った。


まっすぐ帰らずにカフェに行く。時々こうしてお茶を飲んだりもする。あたしはまだ未成年だから
お酒は飲めないし、となると田舎町では行く所は限られてくる。

「おっ?」

とぼけた大ちゃんの声に奥の席を見ると、秋姉ちゃんと志郎さんがいた。

「大地じゃん。あーミナちゃん仕事帰り?」

わざわざ別席に行くのも、と何となく同じテーブルに着く。と、奥のベンチ席に移動してくれた志郎
さんと秋姉ちゃんが小競り合いを始めた。

「せめえ。詰めろよ、お前」
「るさい。ちょっとは遠慮しなさいよね」
「尻がでかいんだ、お前の」
「……うわ。さいてー」

ええっ!?なんかまずくない?

やっぱり他の席に、と座りかけた椅子から腰を上げると

「いいから見てな」

とニヤニヤしながら大ちゃんはあたしの肩を抱いて椅子に戻させ、隣に座った。

「ただの痴話喧嘩。俺も昨日見てびっくりしたけど」

小声で耳打ちされて前を見ると、同じように耳打ちされてる秋姉ちゃん。

何を言われたのか、真っ赤な顔で俯く姉ちゃん可愛い。それをニヤニヤしながら眺めてる、志郎さんて一体……。

「えっ。志郎さんて高校の先生なんですか?」
「ああ。数学のね」
「うわー……凄い。あたし苦手なんで尊敬しちゃう」
「いやそれ程でもないよ。あと一年早かったら面倒見てあげたのにな」
「ほんとだー。残念」

今あたしが現役だったら、間違いなく神と崇めたに違いない。

それにしてもさすが先生、真面目そうで爽やかなお人柄。なのにさっきの様子では明らかに口調が……。

「数学なんて出来なくたって死にゃしないから大丈夫よ」
「なんだと?……ああ、そう言えばお前は国語満点数学一桁という輝かしい成績を残した過去があったな」
「……聞こえないなぁ」
「ほう。俺は記憶力には自信があるんだがな」

げ。また始まった。どうする?と大ちゃんの方を向いてみて、苦笑いしかけた頬の緩みが素に戻った。

さっきまで緩みっ放しだった顔は険しく、無言で顎髭を撫でている。

「大ちゃん……?」
「ん?ああ、……あーまたやってんのかよ」

ぎゃーぎゃー言い合う前の二人を眺める眼差しは、いつもの優しい大ちゃんのものだ。気のせい?

「ていうか、何であんたはそういうろくでもない事ばっか覚えてるわけ?恨みでもあんの」
「お前の事なら筆箱の柄まで覚えてるがな」

むーっと睨みながら俯いた秋姉ちゃんを

「大丈夫?」

と覗き込めば、あらら。真っ赤だ。

「記憶力には自信があるっつったろ」
「……どういう頭してんのよ。これだから数字バカは」
「何とでも言え」

ああ、本当に痴話喧嘩だわ。

「あ、あのっ」

しかしここらで別の流れに持っていきたいと何とか話をふってみる。いや、別に気まずいとかじゃ
無いんだけど。

ケンカップルのいちゃいちゃは心臓に良くない気がするのでよそでどうぞ。

「大ちゃんも先生してるんだよね?ね」

大ちゃんは春から母校の農業高校で週数回だけ講師をやっている。だから外で教え子に会うことが
あると

「あー、大ちゃん先生だぁ」

と声を掛けられる事がある。

……ん?

レジに向かう四、五人の若い客が側で足を止めた。

「ん?おう、お前らか。何やってんの」
「えーみんなで映画。先生こそー」

そう言ってちらとあたしの方を見て、秋姉ちゃん達を見る。なにこの子ら。

あたしの眼力に気付いたのか、大ちゃんは背筋を伸ばして座り直し咳払いをした。

「え、えーっと、この子らは園芸科の女子」
「お世話になってます〜」
「いや、俺お前らには教えてないから」

ほう。教えてないクラスの子にも人気があるんだ。

「先生何してんの?デート?」
「いや、ああ、これ俺の姉ちゃん。で、こっちは……婚約者、でいい?志郎兄」
「無論」
「げ」
「げってなんだお前」

うわーまた!?って秋姉ちゃん何でそう突っかかるような事を。なんてハラハラしたのも束の間、

「こいつの義兄になる予定。義弟がいつも世話になってるね。これからもお手柔らかに頼むよ」

と柔らかな物腰で、にっこりと目尻を下げる。女の子達も思わずうっとり、うーん爽やか。
人当たりの好さげな笑顔を見せつつも背筋はぴんと伸びていて、なんとなくこちらも襟を正そうと
いう気持ちになる。さすが先生、って感じ。

「へ〜。じゃあこちらは彼女さんですか?」

きたよ。

大ちゃんはこういう時はいつも『俺の嫁』と言う。

今回もそうくるだろうと思っていた。だから牽制の意味もあって思いっ切り笑顔の準備をしてそっちへ
向き直り、言葉を待った。


――携帯が鳴っている。

もう何度目だろう。同じメロディーが同じ所で途切れては、また暫くして静寂を破る。

出る事はもちろん、手に取る事さえ億劫でずっと入れっぱなしのままのバッグごと転がしてある。

『彼女……だよな?』

ドキドキして待った大ちゃんの言葉はあたしは勿論、秋姉ちゃんや志郎さんまで『えっ』という空気を
生んだ。はやし立てた女の子達さえ、返事に困るくらい。

明日からのお盆休み、大ちゃんちのお手伝いやお婆ちゃんのお相手をして過ごすつもりでいた。

「お祭りも……ナシかな……」

電源を切った携帯をまたカバンに突っ込むと、枕に突っ伏して眠りへと逃げた。

***

せっかくの休みだ。本当ならゆっくり朝寝して過ごしたい。どうせ予定なんてみんなパアだ。

なのにそのささやかな楽しみを奪われて、少々機嫌が悪い今のあたし。

『おはよ』

早朝から鳴り響く家の電話の音に叩き起こされて腹が立つ。いや、正確には起こしにきたのは中学生の
弟で、腹が立つのは電話の主。

携帯に出なかったら家の方に掛けてきやがった。

いくら恋人でも、家族に筒抜けのこういう方法で連絡を取ろうとするなんて有り得ない。しかも普通
なら迷惑極まりないであろうこの早朝の時間帯に、である。

それを平気で受け入れられる我が家の人間とその問題の主、つまりはそれなりの関係という所――の筈。

なのにそれを根底からひっくり返したおバカ、いや大バカやろうが。

「どちら様でしょうか。わたくしまだおはようする気はございません」
『……ごめん』
「何の事でございましょう?」
『だから、昨日の……』
「さあ?全く覚えがございませんが」

謝る位ならするなよ。ていうか何でそんな事言ったのか、そっちの方が知りたいわけよ。なのに。

『ごめんミナ。だからうちに来て』

なんか流されてる気がする。

『今日志郎兄とこに秋姉と家族で挨拶行くから。ミナも……』
「は?何であたしが」
『何でって。お前俺の何だっけ』
「――それは、こっちが訊きたいんですけど!?」

ちょっと待ちやがれ!さすがに頭にきたわ。彼女だってはっきり言えないような、ましてや『嫁』
なんて自分で言っといてあっさりそれを無かった事にされてしまったような立場のあたしが、どんな
顔してそんな場に居られるというのか。

「あたしは、大ちゃんの何なの……?」

何事かと茶の間から顔を覗かせる家族に気付いて、しっしと手を振り声を低くして問い掛ける。

『ミナは俺の……』
「何?」

耳をダ○ボにして待ち望んだ答えは、小さな溜め息だけを運んで、いつまでも声になっては来なかった。

しんとした空気の音が耳に痛くて、あたしは何も言わずに受話器を置いた。

――その日の電話はもう鳴ることはなかった。

今夜は祭りがある。

神社の近くに小学校があって、縁日や盆踊りのやぐらはそこに組まれている。

今年は二人で行く筈だった。でも昨日の電話から今まで全くコンタクトを取っていない。だからもう
無理かもしれないと思う。

家に居るとあれこれいらん事を考えたり、またそれをうるさい盛りの小中学生に邪魔されるのがまた
苛々のタネになる。行く所が無いので仕方なく近所の道を散歩していると、横に見覚えのある車が停まった。

「ミナちゃん?」

運転席から顔を出したのは志郎さんだ。

「秋穂が隣町に買い物に行ったから迎えに行く所だ」

一緒に道端に停めた車にもたれて田んぼを眺めた。まだ青々とした真夏の稲穂が風に揺れている。

「秋姉ちゃんだけ?」

一緒じゃないんだ。バスでも使ったのかな?

「……大地の奴と一緒だったんだけどな。先に帰らせたらしい」

聞いてない。

ちらっと顎を撫でながらこっちを見て、また前を見る。その志郎さんは『やっぱりな』とでも言う
ように、ふ、と鼻で息をして口元を緩めた。

「昨日来なかったのはやっぱりやっちゃったか?」

指で×印を作ってちょんちょんとそれをぶつけている。今更取り繕っても仕方ないので黙って頷いた。

「しょうがねえな。さっさと謝ってヤっちまえばいいのに」

はい?謝るはいいとしてヤっちまえばって言いました今?

「あ、あのっ」
「何?」
「いや、えっと、秋姉ちゃんとその……いつもそんなんなんですか?」
「そんなん?」
「いやだから喧嘩するとその……」
「ああ、俺ら喧嘩はしないから」

はぁい!?いやでも、お宅らずっとやってましたやん。あれは立派な痴話喧嘩っつう喧嘩ですがな。

「うちは普段からあんなだから。本格的な喧嘩に発展する事はまず無い。その前に俺から食い止めるから」
「謝るんですか?」

さすが教育者、人を正すよりまずは自分から、か。

「いや、言葉よりも体に誠意を見せる方が早いから」

思わずこけた。

「は……いや、えっと、良いんですか、あたしにそんな事言って……」
「他には内緒にな」

なんなんだ。最初の印象からするとわけがわかんないなこの人。

「身内には飾っていい顔しても仕方無いからな。君はいずれ……だろう?」

きゅっと胸の奥が苦しくなる。あ、何か痛いっす。

「そんなのわかりませんよ」
「何で。大地の事信じてないのか?」

あたしはこれまで大ちゃんの口にして来た事、行動全てそのまま受け止めてきた。何の疑問も持たずに。

でも今それが正しいのか、解らなくなって初めて迷っている。

「……どうなのかなぁ?」

大ちゃんの本心が読めない。自信がない。

あんなふうな言い方をされるなんて思いもよらなくて、どんなふうに振る舞えば良かったのか、これから
どんな顔で大ちゃんを見れば良いのか解らない。

「あたしの方ばかりが好きなのかもしれない。ううん、多分そう」

好き好きって追いかけてやっと振り向かせた。大ちゃんはあたしの気持ちに応えてはくれたけど、
もしあの時婚活を邪魔しなければ、その時知り合えたかもしれない誰かでも結果は良かったのかもしれない。

今になって後悔してる?

「いや、それはない。だから昨日君を同席させたがったんだろうし」
「そうでしょうか……」
「身内の集まる、それも内輪だけの席に呼ぼうってんだから、それなりの覚悟はある筈だ。ましてあんな
バカ正直野郎」

そこでいきなりぶっと吹き出した。

「いや、失礼。ちょっと思い出して。……昔中学ん時、放課後部活が休みで、皆で沢に泳ぎに行こうぜ
ってなったんだよ。アイス掛けてさ。で、大地の学年がその日五、六時限目がプールの日で、あいつ
真っ先に着きたいもんだから、授業の後のHR海パンの上にシャツ着ただけで出たんだよ」

頭の中で想像してみる。ああ、教壇からだと上半身しか見えないもんね。

「で、終わると同時に海パン一丁でチャリ全開で現場一番乗りだ。そういう勝負に命懸けるんだあいつは」

うーむ。

「が、問題は次の日だ。あいつマジで海パン一丁だったから、鞄も着替えも全部学校に置いて来ちまった。
だから次の日海パン一丁で登校して大目玉だよ」

想像してまたこけた。

「教科書なんかバッグに詰めて、ジャージでも着て早めに登校して着替えりゃわかんねえのに。宿題
だってあいつなら皆喜んで写さしてくれただろうにな……。バカ正直に担任に言ってそれだよ」

人気者だったのはわかる。けど頭痛い。バカだ。バカ正直というより正直者のバカだ。

「そんな奴がどうでもいい女とは付き合えない。それに案外ナイーブだ。でなきゃ地道な農業なんて
仕事継ごうとか、今時珍しいと思わないか」

そうかもしれない。大ちゃんは明け透けな性格の割に、本当に悲しい事や辛い事はどっかに抱え込んで
自分の中で消化してるような気がする。それに、こうと思ったらちゃんとつら抜く誠意だって持っている。

それをあたしは彼の強さだと思っていた。揺るぎない心の在り方に憧れて、それは恋心となって。

だけどもしかしたらそれはほんの表面に見える一部分だけで、その内面を覗かそうとしないのをいい
事に、あたしはそれを見ようとしなかったんじゃないだろうか。

「志郎さんは、秋姉ちゃんの事全部解ってますか?」
「いや、多分まだ解らんだろうな」
「え……でも結婚するんですよね?」
「まあね」

付き合ってそう期間が経ってないのは聞いてはいたんだけど、いいのかそれで?

「まあ、それなりに覚悟して考えないと、簡単に恋愛は出来ないんだよ。この歳だと」
「好きだけじゃダメって事ですか?」
「それは一番大事だな。というよりそれしか俺には理由は無いようなもんなんだが」

あいつに言うなよ、と軽く睨まれた(気がする)。っていうか顔真っ赤ですよ。二重人格ですか?
第一印象の爽やかさは何処へ???

「初恋同士とか?」
「いや、互いの印象は最悪中の最悪。犬猿どころか嫌悪感丸出しの仲だった。だから最低ラインからの
スタートだったわけだ」

まあ素敵、とは返せないような答えにどうしたもんかと返事に悩む。

「……でも本心は惚れてた。認めたくなくて無視したけど、ずっと引っかかった女だったんだな。
彼女と呼べる女もいたけど、あいつを忘れた事は無かった」

遠くを見る目はどこか懐かしげで優しかった。あ、この感じどこかで……?

「だから今度こそ逃すまいと思った。これがラストチャンスだ、って、今までになく必死になって口説いた。
……まあ、あいつは拉致だの何だの騒ぎやがったがな」

一体どんな口説き方したんですか志郎さん。てか本当に聖職者ですか?

「色気も無いし、口も悪いし、大雑把で愛想が無くて……」

あの、もしもし?

「だが楽だな。取り繕わなくて良いし、マイナスからのスタートだから後は頑張りゃ幾らでも上げられる。
嫌な所ばっか先に見てそれでも良いと思えんなら、それは本当に良い女なんだろうよ」

何度ツッコもうと思ったか解らないが、志郎さんの瞳が秋姉ちゃんとの騒ぎの最中に見せる物と同じ
だと気付いてやめた。

「……愛ですねぇ」
「あんな面白いの居ないからな」

どんなに毒を含んだ言葉にも、その芯にある愛情を知っているからこそできる、暖かい眼差しだった。

そろそろ行く、と志郎さんは車に乗り込んだ。

「内緒って言いますけど、秋姉ちゃんにはそういう事言わないんですか?」
「ん?うん、言わない。ていうか好きだって一度も言った事無い」
「……それでよく……」
「愛と恋の違い知ってる?」
「は?」
「同じ好きでも自分優先が恋で、相手優先なのが愛だとか。……ま、それで言うとまだ恋に近い愛かもな、俺は」

苦笑いして、軽く手を振り行ってしまった。

志郎さんと別れた後、ぶらぶらと河原沿いの道に差し掛かって騒がしさに足を止めた。

「何やってんだか……」

仕掛けたウナギが逃げただとかで、小学生数人とギャーギャー水にまみれる数え24歳の正直バカを発見。

あーあ、カニに指挟まれた。

……秋姉ちゃんと買い物したり、小学生と戯れる時間はあるわけね。

あたしに会いにくる時間は無いくせに。

そういえば、あたしばっかり好きスキ言って、大ちゃんがそれを言ってくれた事ってほとんど無い。

好きってだけじゃだめ?まして愛や恋だなんて深い意味は解らない。

――夏の空はあっという間に晴れの笑顔からどゃぶりの泣き顔に変わる。やばい泣きそう。

だから急いで回れ右して、来た道を戻った。

***

久しぶりに帰省してきた友達がいて、その子にも誘われたけど断った。
思い切ってこっそり覗きに行った離れには大ちゃんの姿は無くて、秋姉ちゃんも志郎さんと出掛けて

しまった後だった。

一番上の春果(はるか)姉ちゃんが子どもを連れて帰ってきてたので、少し話をした。

『ミナちゃんはね、いずれおばちゃんになるんだよ』

そう言ってお母さんの顔をして幸せそうに笑っていたけど、本当にそんな日はやってくるんだろうか。

周りの目論見と大ちゃんの気持ちは、どこまでが交わっているんだろうか。

それと、あたしの想いに対する大ちゃんのそれはどの位通じているものなのか。

一人でぐだぐだ考えたって答えは出ない。

重い足を引きずりながら、暮れかけた空の下祭りの会場に向かう。

結局あたしは、十代最後の夏祭りを大好きな人と過ごす事は叶わなかったわけか。

こんな事なら友達の誘いを断らなきゃヨカッタ。

一人で人混みを歩いているうちに、騒がしさとは逆にどんどん気持ちが沈んで、心が音を無くしていった。

どこにいても一人ぼっちに思えてきて、寂しかった。

そうなると賑やかさから離れたくなり、敷地を突っ切って校舎に向かう。


もうすぐ建て替えられる予定の古い木造校舎は、祭りの準備に使用される為、所々灯りが点いている。

出入りのため開けっ放しになっていた玄関を覗いてみると人気はなく、脱ぎ散らかされたスリッパ
と荷物の山が見えた。

今は誰も居なそうだ。トイレを借りるために入る人も多いから多分大丈夫だろう。

ちょっと懐かしくなって、下駄を脱ぐと裸足で廊下を歩いた。

しかし、冷静になると夜の校舎は不気味だったという事に段々と気が付いた。灯りが点いていると
いっても、自分一人のすりすりという足音しか聞こえない古い廊下は、何かちょっと……ねぇ。

やっぱりやめとこ。

そう思い直して回れ右した所で、通りかかった部屋の前で物音が聞こえ、そのまま足を止めてしまった。

……だ。いや。

バカ。

っ……てば、ぁ。

途切れ途切れに耳に届く小さな声に扉の小窓から恐々覗いてみると、暗い部屋に月明かりに浮かぶ
二つの人影が見えた。

おばけっ!?……じゃないよね。ようく目を凝らすと、向かいあって重なるそれは、ぎし、と音を立てて
真ん中にある寝台に倒れ込む。

ええ!?ってここ……保健室じゃん。まあなんと大胆な、とドキドキしていたら、驚いたのはそれだけじゃ
なくて、あたしは慌てて来た方と反対側に逃げた。

摺り足で必死に音を立てまいと、出来るだけ離れたドアの開いた教室に飛び込む。

はあはあと息を切らしながら床にへたり込んで、それが落ち着くと今度は心臓がバクバクしてきた。

「……凄いもん見ちゃったかもしんない」

でもまあ、いっか。おあいこって事にしておきましょう、うむ。

『……志郎』

のしかかる体を受け止めた影は、確かにそう呟いていた。

暫くぼうっと休んでいると、ふとここが一年生の教室だった事に気が付いた。

小さな机が並び、端にはオルガンがある。

懐かしいなぁ。卒業して七年になるけど、何にも変わらない気がする。

あたしがここに通い始めた時、大ちゃんは最上級生だった。毎日、朝うちに寄ってあたしを学校まで
連れてきてくれた。忘れ物した時は、途中の道にあたしを待たせて、走って代わりに取りに帰ってくれたし、時々いた
野良犬からもあたしを守ってくれたっけ。

おバカでお調子者で、でも優しい大ちゃんはあたしにとってはヒーローだった。だから大好きだった。

外から騒がしいマイク音が聞こえてきて窓を開けようと立ち上がり、慣れない下駄の鼻緒で擦れた
足の指が痛んだ。

「いたっ……」

あたしが小さく呻くと同時に、思わぬ叫びがそこらに響いた。

『ミナ!どこだああぁぁぁ〜!!』

はあぁ!?

あれは確かカラオケに使われる予定のマイクではなかろうか。しかもそれを歌うではなく人捜しに
使うなんて。

ってちょっと待った!!

『ミナぁ〜!』

だから黙れ。何やらかしてんだあいつは!電話すりゃいいじゃんと携帯を取り出せば、一昨日電源
を切ったまま放置してそのまま充電だけしたんだわ。

慌てて電源を入れて大ちゃんの携帯に掛ける。

「もしもし?何やってんの!!」
『……どこ?今どこだっ!?』

場所を告げるとブツっと切れた。その後暫くしてから音楽が鳴り始めるのが聞こえてきて、窓から
そっちの方を眺めていたあたしを

「ミナ!!」

という息も切れ切れの声をあげながら背後から抱き締める。

「や、やっと見つけた……」

ぜーはー言いながら耳元で聞こえる声は、まるで泣いていたのかと思う程弱々しく必死で、背中に
感じる熱い体は全力で駈けて来たのが嫌というほどわかる。








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