アホふたり
シチュエーション


「…宮城美津だな」
「…はい」

声が、震える。

眼の前の男の人は、鋭い眼で私を睨んでいる。なんだか高そうな服を着て、ヤ
クザとかより、弁護士とかそういう雰囲気…インテリヤクザ?

その人はその見かけの通りの冷たい声で。

「どういう事か、わかっているな」
「…はい」

私も、自分でも驚くくらいに小さな声で、返事をした。満足そうに男の人は頷
くと、私に近付いて来る。

借金のカタに、親に売られました。

私の人生、今日、今、この瞬間に終わる。怖い。怖くて、今にも泣き出してし
まいそう。

「服を脱げ」

耳元で、囁かれる。ああ、そうだよね…服を着ていたら、良くないもんね。魚
を料理するのだって、鱗とか皮とか、剥ぐもんね。

「…全部、ですよね…髪の毛はどうしますか」

混じってたら、良くないんじゃないかな…剃るのかな、バリカンかな、引っこ
抜くのかな…

男の人は、一瞬首を傾げ。

「別に、そのままでいい」

と、また冷たく言った。まあ…そうだね。どうせ粉々になるんだから、そのく
らいはいいのか…魚なんだし…

「今、ここで…するんですか」

服を脱ぎながら、質問する。

「ああ。先ずは味見、という所だな。処女か?」

不意に、そんな質問をして来る。そんなの、関係あるのかな…もしかして、そ
の方が美味しいのかな…味見というからには…食べるのかな。

「はい…そうです。その方がいいんですか?」

聞いてみる。ちょっと、興味はある。服をたたんで、今度は下着を取る。凄く
恥ずかしいけど、どうせ私にはもう、人権とかは無い。この人だって、文字通り
ただの餌だと思っているんだろうから。

「そうだな、新品の方がいい」

…やっぱりそうなんだ…正直、食べてみたい気もするけど…私自身だからな…
食べられる頃には、もう意識なんて無いだろうし…痛いの、嫌だし…

男の人がまたじっ、と睨む。涙が、滲んで来た。やっぱり、怖いし、恥ずかし
い。ぱんつに手を掛ける時、物凄く胸が痛んだ。けど、仕方が無い。

―――どうせ、すぐに死ぬんだ…って、そういえば。

「ここで…本当にするんですか」
「ああ。というか、ここ以外のどこでするんだ」

場所は、大きな部屋。大きなベッドや、豪華そうな机とか棚とか置物とかがあ
って、一目で寝室とわかる。やっぱり、おかしい。

「ここ以外って…やっぱり、トイレとか、お風呂場とか、キッチンとか」

汚くなるし、やっぱりそういう事するからには…料理場とか、殺人現場にあり
がちな場所とかの方が…納得が行く気がする。

「…マニアだな…だが断る。自暴自棄になっているようだが、今はそんな気には
なれん」

うう…そりゃ、今から死ぬのに場所なんか関係無いし、余計なお世話だし、確
かに、自暴自棄に近い状態だよ…でも…

「やっぱり、おかしいです。だって、部屋が汚れてしまいます」

男の人は、更に眉を顰め。

「は?馬鹿言うな、初めてだからって、そんなドバッ、とは出ないぞ」

不可解なモノを見るような眼になる。その眼は、こっちがしたいのに。

「ウソです、この間スクイズとかいうゲームで、首を切ったら水芸みたいに血が
吹き出していました。正にドバッ、です……私なんか、借金のお金より価値が無
いのに、更にお金が掛かる事をしてどうするんですか?」
「…女がエロゲすんなや…ていうか、意味がわからん。お前、何を言っているん
だ?自暴自棄どころか、気でも違ったか?」

はぁ、と、溜息。まあ、違ってしまえば…楽、なんだろうなあ。

「とりあえず、まだ違っていないと思います…でも、私にそんな事を言う権利、
無いですよね…すいませんでした」

謝って、最後の一枚も脱ぎ、たたむ。そしてブラとぱんつを服の間に隠して、
座る。勿論正座。

「…それでは、お願いします。出来れば、痛くないと嬉しいです…」

覚悟を決めたつもりだった。けれど。

やっぱり、涙は後からどんどん出て来る。身体が震えて来る。怖い。怖い。怖
い。怖い。私、終わっちゃう。死んじゃう。凄く、怖い。

「―――安心しろ。出来るだけ丁重に扱ってやろう」

眼の前が、暗くなる。真っ正面に立たれる。ああ、来ちゃった。その時が来ち
ゃった。

―――けど。

「あれ?」

男の人は、素手だった。何も、獲物は持っていない。どういう事…なんだろ。

「ど、道具は、何も、使わないんですか?」

もしかして、噂に聞くような暗器使いとかなのかな…でも、この状況では意味
無いし…あ、その方が、本当に何も痛みを感じないで済むのかな…

「道具…?別に、お前が望むなら鞭でも蝋燭でもバイブでも使ってやるが…痛い
のは嫌な上に処女なのだろう?早いと思うぞ」

…は、早いも何も…一回こっきりじゃない…ていうか、鞭も蝋燭もパイプ?…
鉄パイプの事かな?…も、切る道具じゃないと思うけど…あ、でも、鋼のムチと
か、グリンガムのムチは、切れそうな…確かに、痛そう…でも、使わないって事
は、素手でさばくのか…凄いなあ、達人だ…

「達人なんですね…」
「…あまり期待はするな。が、そう言われて悪い気はしないな」

うんうん、と頷く。男の人は私を抱き上げると、ベッドに向かい、本当に丁重
に、私を置く。男の人は上着を脱いで、私に覆い被さって―――

「へ…?」

私に、キスをして来た。

「え、え、え―――?」

今から殺す人間に、なんで、どうして、こんな事を?今度こそ、私は訳がわか
らなくなって、男の人を凝視する。

「どうした、まさか、キスをするのも初めてなのか?」
「あ、はい。そうです。そうですけど―――やぁ…」

なんだか、嬉しそうな顔をして、今度は口唇を舐めて来る。だから、なんで…
やだ、こんなのやだ。すぐに死ぬと思ったのに、こんな事されたら、どんどん怖
くなって来る。ウソツキだ、この人。

「嫌…嫌ですっ…丁重にって、言ったのに、こんなの…」

単なる生殺しだ。嫌だ。どうせなら、もう、餌・即・惨で行って欲しいのに。

「両親がアレの割に、大した箱入りぶりだな。まあいい。どうして欲しいのだ」

くく、と、初めて笑う。こ、怖い。笑った人間がこんなにも怖い。殺し慣れて
いる、といった感じがよく出てる。間違い無い。この人、絶対に人をいたぶって
愉しむタイプなんだ。ああ、怖い。怖いよう…

「で、出来れば、一瞬で終わって欲しいです…」
「無理だ。というか、嫌だ。てか、失礼だ」

そう言うと、男の人は私の両腕を掴み、起き上がっていた身体をまたベッドに
倒す。顔を近付けると。

「……」

ぎゅっ、と閉じた瞼に、口唇を落とした。舌で涙を掬い取り、頬に口付ける。
それがあんまりに優しくて―――だから、余計に怖い。なんで、こんな事するん
だろう。

もう片方も、同じようにされる。口唇が暖かくて、触れられた所から熱くなっ
て行って、怖くて、どうしようもないのに、優しくて。

私、殺されるのに。この人、私を殺すのに。どうして、こんな事するんだろう。

また涙が溢れて来る。今度は、また口唇にキスされた。

…何度も、何度も。触れるだけですぐ離れるキスを、何度も。怖いのに。それ
なのに、何度もされて、本当にどうしていいか、わからなくなって来る。

「怖いか」

当たり前の事を聞いて来る。でも、本当に怖くて、声が出ない。だから、頷く。
大きな手は、私の頭を撫でて。

「あまり脅える事は無い。すぐに良くしてやる」

そう言った。凄く信用出来ない言葉を、優しく、言った。それでも、やっぱり
頷くしか出来なくて。

「いい子だ」

と、囁いた。

…今や私はこの人の掌の上のまな板の上の鯉。いい子だって言われても、優し
くされても、それが余計に恐怖を演出するだけで…ううん、きっと、それが狙い。

これが、ヤクザに売られるって事…なんだ…

想像したより、ずっと怖い。覚悟なんて、木っ端微塵に砕かれて。ちっさい子
みたいに、ただ泣くしか出来ない。

「やぁ…」

不意に、男の人の両手が私を包み込む。これ以上無いくらいの優しさで、抱き
締められる。シャツをはだけた胸が頬に当たって、それが、凄く熱い。少なくと
も今日中に止まる事が確定している心臓が、最後の足掻きみたいにドクドクと高
鳴る。そして―――

「…そんなに脅えているのなら、今日は仕舞いにするか?」

と、そんな恐ろしい事を、囁いた。瞬間、青褪める。う、や、や、やだ。やだ。
そんなのやだ。怖いのが…こんな怖い状況が、まだ続くなんて、やだ。

私は一生懸命に首を横に振って。

「やだ…いや。今日、して下さい」

そう、見上げて懇願した。男の人は、一瞬呆気に取られたような表情になり、
そうか、と呟いた。で。

「―――」

いきなり私の太腿に触れる。予想もしていなかったので、飛び上がりそうなく
らいに驚いた。そのまま手は…あの、出来れば触って欲しくない場所に…ピンポ
イントで触れて来た。そして、この人の目的を、今更ながら理解する。

…私の事、犯してから殺すんだ…処女の方が撒き餌にいいって、言ってたのに。
ああ、そうかあ…そうなんだ。なんだか、最初と最後を除けば、レイプされて殺
されるのと一緒なんだな…売られて、撒き餌になるだけじゃ、済まなかったんだ。

それを理解すると、急に落ち着いて来たような気がした。

木っ端微塵になった筈だったけど、覚悟も無事再度完了した。

―――リラックス、という訳じゃないけど、力も抜けて来た。丁重に、なんて
言ってたけど…もうどうでもいい。何をされてもいい。というか、どうせならも
う、本当に早く、滅茶苦茶でもいいから、終わらせて欲しい。

「…早く、して下さい…」

声も、落ち着いて来た。男の人は、ようやく諦めた私に満足したのか、今度は
長く、キスをして来る。

「焦るな。約束しただろう、丁重に扱うと」

そんな所、律儀にされても困る…でも、もういい。もういいって、決めたんだ
から。だから、怖くなんてない。

「―――…」

顔だけじゃなくて、首筋や腕にもキスされる。鋭い眼で、また、睨まれた。そ
れだけは、何故か慣れる事が出来なくて顔を下げてしまった。顔を近付けて、ま
たキスされる、と思ったけど、口唇を舐められる方だった。

「っ…」

これは慣れなくて、顔を背けようとする。けど、許して貰えなかった。

「ふ…むゅ…?」

口の中に、舌が入って来る。それが私の舌を舐めて、絡ませる。首を振るけど、
全然離れてくれない。手が、また頭を撫でる。

―――世界でも、そんなにいないんじゃないかな…これから殺される人にキス
されるなんて。逆に、ありがちなのかな…こんなに優しいキスなのに。もう、覚
悟は決めたのに、それなのに、こんな風にされると、こんな風に頭を撫でられる
と。撒き餌なのに。ミンチなのに。

「―――ふぁ」

一旦、口唇が離れる。一息ついて、また。今度は、舌は入って来ない。けど、
僅かに口が開いている。もしかして。

嫌なので、首を横に振る。と、舌がこっちに入って来た。舌で、迎撃する。や
だ、って、入って来たそれを弾こうとする。けど。

「む…」

そんな子供だましみたいな事、達人のこの人には効かないみたい。舌先でくす
ぐるみたいに舐めて来る。

―――なんだか、頭に来る。

どうせ、殺す癖に。それなのに、なんで私、心までこんなに滅茶苦茶にされな
きゃいけないの。その癖、身体は滅茶苦茶に―――優しくされる。

何も縋るものが無い私に身体を押し付けて、縋り付きそうになってしまう。で
も、多分、縋ってしまったら…突き放されるような―――ううん、きっとそう。
だって、私、売られたんだもん。

…でも。

どうして、明らかに金額以下の価値しか無い私で、撒き餌くらいにしかならな
い私で、良かったんだろう。それだけは、わからない。

口唇が離れる。絡まった唾液が糸みたいになって、離れても、繋がっていた。

「あ…」

濡れた口唇は、首筋に触れながら胸まで下りる。両方の手が、私の胸を掴み上
げた。そして、片方の胸に顔を寄せ、吸い付く。

「っ…や、やだ…」

初めての感覚。こういう事に免疫が無いというか、疎かったというか、むずむ
ずして、とんでもなく恥ずかしくて、どうしたらいいかわからなくて。

「や…それ、やなの…」

男の人の頭に縋るように抱き付く。

「う…ん、っ…」

だからかどうかはわからないけど、口唇が離れる。でも、舌で、胸の先を舐め
られた。びく、と、震えてしまう。胸を掴んでいた手が、頭を抱いていた腕を取
り、下に置かれる。身体が強張って、されるがままになってしまう。

「―――」

片方の手は、私の手の上。

もう片方は、また、足の間に。

―――やだ。

来て、しまった。誰も、触らせた事も無いのに、自分だって、よくわかってな
い所なのに。脚を閉じようとしても、もう遅かった。

「っ」

指が、滑る。

男の人が、俯いていた私の前髪を上げ、おでこにキスして来た。

「ここに触れられるのは、初めてか」

耳元で、冷たい声で、でも、穏やかに問われる。頷く事しか出来ない。

「自分でもか」
「え、え?…あ、う、あ、洗っては…い、ます」

予想外の事を言われて、全く以って、余計な事を口走ってしまう。男の人は苦
笑して、そうかそうか、と、呟く。呆れられたような気もした…

「閉じるな。脚は開け」

命令、される。そうだ、拒否権は無いんだ…そうだ…うう、もうやだ。やだ。
この人が、どうしてか、こんなに優しいから忘れてしまった。だから、やだ。

「もっとだ」

両手で、開かされる。大きく脚を広げて、見せ付けるような状態で、こんな、
とんでもない格好で。

恥ずかしい…恥ずかしい。見られたくない。殺される人なんかに、こんな嘘の
優しさなんかくれる人になんて、嫌だ。もう、我慢出来ない。もう、もう。

「…いや…もう、やあ…焦らさないで…早く…」

―――殺して、とは、言えなかった。

く、と言った直後に、今までとは違う、乱暴なキスをされたから。そのまま押
し倒される。冷静だった顔が、崩れる。

殺される。

本当に、そう思った。これで終わる。やっと終わる。そう思っていた。のに。

「え…」

男の人は、やけに急いでシャツを脱ぎ捨てて、そのままベルト―――ベルト?

「え、え、え?」

ベルトも?ぎ取るみたいに取って、もう、脱ぐのが面倒なのか、チャック下ろ
して、え、え―――

「わ、っ、やああっ!?」

荒い息遣いで、こっちに来る。

あまりの事態に唖然として、もう、頭の中が真っ白になる。だから、私に覆い
被さるこの人に対して、何も行動を取る事が出来ない。

「―――美津!」

名前を呼ばれる。はい、としか返事が出来ない。乱暴に脚を広げられて、成す
術も無く、犯される体勢になる。あまりに突然で、性急で、今までの余裕はなん
だったのだろうと、別人みたいだと、頭のどこかで思ってしまう。そして。

「―――」

当たる。入り口に、熱くて、かたいモノが、当たる。

怖い。さっきとは、全然違う、何か、別の種類の『怖い』が、頭の中を支配す
る。それだけで埋め尽くされて、怖くて、歯がかみ合わなくなる。鼻の奥がツン
として来る。怖いに種類があるなんて、知らなかった。

「ひ、や…」

眼の前が、霞む。もう、下なんか見れない。眼をぎゅっと瞑る。先の方が、め
り込んで来たような気がする。気がするなんてものじゃない。入って来てる。や
だ、怖い、こわ…

「―――ぅ…」

…初めてだったのに。

きっとこれから数時間後には死んでいるのに。

そうするのは、この人なのに。

なんで?もう、何度目かもわからない。この数十分だけで、何度も何度も。

あんなにたくさんしたのに、殺す筈の人間なのに。この人はまだキスして来る。

しがみ付く。背中に、手を回す。そういえば、さっきもしがみ付いたのに、突
き放しはしなかった。今も―――同じように、抱き締めてくれる。

怖いのに。別の意味でも怖いのに。そもそも、その『怖い』事をしているのは、
他でもないこの人なのに。

「っ…ふ、ぅ…っ…」

痛いのに。どうして―――

縋り付く。

名前も知らないこの人に、無理矢理されてるのに。

…痛いのに。

「―――辛いか?」
「……」

見下ろしてくる顔に、やはり余裕は無い。でも、私はきっとこの顔より更に余
裕が無いんだと思う。眼を閉じて、顔が近付いて来る。そうだ。いつの間に。

―――いつの間に、キスするのが、当たり前みたいになってるんだろう。

当たり前に受け入れて…当たり前に、きっと、殺される。

…この人に取っては、これは、当たり前なのかな…なんだろうな。だって、そ
うなんだもん。きっと、そうなんだ。だから、だから、怖いとか、諦めとか、覚
悟とか、悲しいとか、怖いとか、そういうの以外の、全然よくわからない感覚は、
多分、やだ、考えたくない。だから。

…当たり前。当たり前。当たり前。ああもう、心の中で言い過ぎて、アタリマ
エって言葉そのものの意味がわからなくなって来る。

熱くなる。私も息が荒くなって、ああ、ちょうど、何も考えたくなかったのに、
何も考えられなくなる。どうでもよくなる。何も考えないで、キス出来る。しが
み付ける。熱い。身体が重なった部分も、繋がっている部分も。

「ふ…む、っ―――っ」

口の中に、舌を入れる。この人の口の中を舐める。痛くて、むずむずして、熱
くて、ヘンで、ぬるぬるして、…………くて、怖い。怖い。

汗が、背中や、おなかや、太腿の後ろの辺りを伝う。広い背中に爪を立てて、
引っかくみたいにして、キス、して、いっぱい、して―――

どうして、私、この人とセックスしてるんだろうなんて、どうして。

―――どうして、最後の最後に、こんな事、思ったのかな。







「…あれ」

眼が覚める。裸で、ふわふわで暖かくて軽い毛布の中、誰かの腕枕で、私は眠
っていたみたい。

「起きたか」

頭が、ボーっとする。

声。聞いた事、あるような、無いような声。

「美津、起きたかと聞いている」

私の名前を呼ぶ声。頬を撫でる大きい手。覚えがあるような、無いような。

「―――美津」

当たり前みたいに、キスして来る、柔らかい口唇。

「…おはようございます」

ボーっとした頭で、とりあえず、当たり前のように私の頭を撫でる男の人に、
挨拶をした。

「…今は夕方だ」
「…こんばんは…」

頭を下げる。

「まあいい。今日はもう遅い。もう少ししたら飯でも食って―――そうだな、明
日だ。明日、服買ってどっかで飯食って、どこか行くぞ」

瞬きを、何度かする。笑っている男の人。えっと、達人の人。素手で、人間を
さばける人―――って。

「どうしてですか」

よく、わからない事を言う。そうだ、撒き餌だ。

初めて顔を合わせた時は、お昼だった。けど今は夕方らしい。撒き餌だ。そう
だ、私、撒き餌になる為に来たのに。

「どうしてもこうしても無い。命令だ」

少し不満そうに、そう言う。うん、私、買われたもの。絶対服従。でも、意味
がよくわからない。なんだろう、この人もしかして、イタリアンマフィアなのか
な。やだな。だから、焦らさないですぐに殺して欲しいのに…殺すのに、なのに。

「どうして、あんなにキスするんですか」

一筋縄では、死ねないみたい…嫌だなあ…はあ。溜息ついでに、疑問を。

「…お前に答える義務など無い」

拗ねたような顔をして、言われた。そうかあ…意味、無いのかな、もしかして。
イタリアの男の人はそういうもののイメージあるし…

「―――ところで美津。お前、殆ど血は出なかったぞ。何が水芸だ」

…?また、不可解な事を。まだ、さばいてないのに。あれ、ていうか、もしか
して、今私、首だけとか?奇跡の達人の腕で、ほらあの、骨だけの魚みたいな…

「……」

下を見る。ちゃんと、身体はくっついている。欠けている所は、多分無い。別
の意味で、男の人とも身体はくっついている。

どういう事なのかな…兎にも角にも、生殺しもいいところ。せめて。

「…私、いつ、殺されるんですか?」

最後がいつか、くらいかは、知っておきたかった。けど。

「…は?」

男の人は、また眉を顰め、呆れたように私の顔を見た。

「ですから、私、いつ、あなたに殺されるんですか?」

もう、色々ドキドキしながらいるの、嫌だ。せめて機嫌さえわかれば―――

「…殺しは、しない。というか、何故殺さねばならん」

え?え?

瞬きを何度もする。だって、意味がわからない。言っている、意味が。

「え、だって私、殺されるんですよね?売られたからには、あなたに素手でバラ
バラのミンチにされて、撒き餌になって、お魚の餌にされるんですよね?」

その為に、やって来た。というか、連れて来られた。

あまり愛情の無い両親に、今日は平日なのに、ずっと家にいろと言われた。

今日、起きたら、誰もいなかった。なんとなく、予感はしていた。

お昼前に、人が来た。立派な車で、連れて来られた。

借金がある事は、知っていた。返す当てが無い事も。

だから、私は―――

「…とりあえず、俺に人間を素手でさばく能力は無い」

いの一番に、そこを否定された。

「第一、借金帳消しにして連れて来た娘を撒き餌にして、こっちに何の得がある」

深い溜息をつきながら、起き上がる。毛布に包まったまま、私を抱き寄せた。

「…でも、じゃあ、どうしてですか。撒き餌以外で、そちらが得をする理由が、
全く、全然、思いッ切り、なんにもわかりません」
「とりあえず、撒き餌よりも売春の方がまだ儲かると思うのだがな…とりあえず、
撒き餌から一旦離れなさい。そもそもウチは漁業もしていないし、ヤミ金…ヤク
ザでもない」

…あ、そうなんだ…ヤクザじゃないんだ…じゃあ、撒き餌は消える…となると。

えーと。

えーと、えーと…うーん、うーん…うー…

「…実は私の身体の中には300個のダイヤが埋め込まれていて、その為に私の
身体を解ぼ」
「どうしたら、そんな有り得ない方向に行く。しかも聞いた事があるぞ」

顔を引き攣らせながら、ぶにー、と、私の頬を引っ張る。だって、全然わから
ない。本当に。無理して考えて…えーと。

「実は私は、記憶喪失なだけで、隕石に乗って別の世界からやって来て…」
「…そんなクソでかい隕石、日本のどこに落ちた。あと、どこにクリスタルがあ
るんだ。皇居か?」

ぎゅー、と、抱き締められる。

…いつの間にか、当たり前が、増えてる。

キスどころか、こんな風にされるの。

殺されない事は、とりあえずわかった。

…でも、借金のカタの割には、扱いが優し過ぎると思う。でも、嫌じゃ、ない
…と、思う。多分。さっきも思ったけど、金額より安い買い物だと思うし…

どう思っている、とかは…わからない。理由も、やっぱりわからない。

「わかりません…あなたが得をする理由も、クリスタルの在処も」

ギブアップ…もう、わからない。不安も増える。私の先行きとか…

「とりあえず、クリスタルから一旦離れなさい」

そもそも、この人の事も、全く知らない。名前も、年齢も、なにひとつ。それ
なのに、それなのに…あんな事、して…うう。

「一度しか言わん……一目惚れだ。お前が宮城なだけに」

…そう、今までで一番優しい声で。その人は、言った。けど。

「ごめんなさい…意味がわからないです。宮城の―――っぅくうううううう!?」

ごりごりごりごり、と、梅干をかまされた。痛い、痛過ぎる…

「そっちに喰い付くな…ところで美津、好きな食べ物はなんだ」
「…え?…えと、親子丼…です」

不意に、そんな事を聞いて来る。ので、答えてしまう。男の人は頷いて。

「趣味は」
「え?…か、カラオケ…」

またもや、不可解な質問。私は素直に答える。そうかそうかそうか、と頷いて。

「…?」

私をまた強く抱き締めて、布団に横になる。

「ど、どうしたんですか」
「―――明日、お前に似合いそうな可愛い系の服でも買って、親子丼食って、カ
ラオケ行くぞ…命令だ」

わしわし、と、私の頭を乱暴に撫でて。

「…あの、結局、私はどうなるんですか?えと、撒き餌は無いんですよね…」
「お前もう、その単語忘れろ―――説明は面倒だ、明日な」

そう言うと、男の人は、眼を閉じて、本格的に眠ってしまった。

…この人の事、何も知らない。

名前も、年も、どんな人なのか、何を考えているかも。

―――でも。

「……」

まず最初の確認として、素手で殺される事も、撒き餌になる事も無くて。

この人は、宮城がどうとかで。

当たり前みたいにキスしたり、撫でたり…ああいう事したり。

いつの間にか、怖くなくなって。嫌じゃなくて…

明日は、服を買って、親子丼で、カラオケで…?

全然、わからない…でも…

「……」

すぐ側にあった、この人の頬に、口唇を押し当てる。

「……」

なんだか、全身がむずむずして来たような気がした。

…とりあえず、この人も眠ってしまったのだから…明日、考える事にしよう。
そう結論を出して、私も眼を閉じる事にした。


―――不安は、いつの間にか、消えていた。悪いようにはならないだろう、多
分。そう思えるようには、なっていた。ただ。


「借金と私の値段の、実際の差額って、結局どのくらいだっぉああああああああ」

どうしても気になっていた疑問をつい口に出したら、梅干を喰らった…凄く痛
かった…プライスレスとか言われたような気がしたけど、意味は全くわからなか
った…






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