その瞳にうつしているのは(非エロ)
瀬文焚流×志村美鈴


散乱した包装紙。
食べ散らかした果物の残骸。
汚れたまま積み重なった食器。

「当麻さん、また来てたんだ…」

美鈴の唇から、溜め息と共にこぼれる、音。

もうすっかり通い慣れた、瀬文さんの病室。
毎日来る。と誰にでもなく誓って、もうひと月になるだろうか。
おとなしくしていればもう少し早く出られたかもしれない病床の上の人は、他の誰でもない美鈴自らが、決戦の場へと連れ出して、そうして今もまだ療養中の身である。

私と瀬文さんで「守る」と決めた人。
世界に背を向けた私をまっすぐに見て「私を信じて」と言って
くれた人。
かき集めた瀬文さんの“隠された記憶”の端々に、その声が。
その姿が。刻まれていた人。

当麻さん。

当麻さんの何度も何度も削り取られた記憶をかき集めたのは美
鈴だった。
その破片たちは、何度も何度も瀬文さんを呼んでいた。

気管の奥が、きゅっと縮む。
そんな自分を認めなくなくて、わざと大きな音をたててベッドの横に近寄った。

「瀬文さん、気分どうですか?」

閉じられた瞼の下で、まなこが動く様子が見てとれた。

「美鈴ちゃん…?」
「はい。」
「…すまん、あれ。」

ギブスで固定された指先のわずかな動きで、私が昨日もってきたお見舞い(だったもの)を指しているのがわかった。

「当麻のヤツが…。これ以上気をつかわなくていいから。」
「大丈夫ですよ。当麻さんへのお見舞い、でもありますし。」
「いや本当に…申し訳ない。」

極限まで寄った眉根に、美鈴の気持ちも和らぐ。

「まだ腕、痛みますか?」

なるべく刺激しないよう、瀬文さんのギブスを持ち上げて、掛け布団の中に戻す。

「もう大丈夫。…それよりも、受験…」

まるで兄代わりだと言うように、瀬文さんは私を心配してくれる。

「大丈夫ですよ。センターは終わりました。あとは実技試験まで、毎日描いて備えますから。」

少しだけ口の端を持ち上げてくれるのは、笑顔なんだろうか。

「受かったら、お祝いしよう。………がしたかったお祝いの、
何倍も盛大なやつを。」

聞こえなかった部分は、まだ私も聞き返す勇気がない。

「はい。がんばります。」

そうだ。私は、いろんな人に恩返しをしていかなきゃいけない。
まずは志望大学に受かって、自分の描きたいものも描くことだ。

「じゃあ…今日はこのへんで失礼しますね。このあと予備校なので。」
「ああ。がんばって。風邪、ひかないように…」

…ホント、兄みたい。
目の奥が熱くて痛い。
優しくしないで下さい、瀬文さん。
私は妹として貴方に見て欲しいわけじゃないから。

立ち上がる瞬間、ベッドに手をついてしまった自分の迂闊さを憎んだ。
次の瞬間、私の中を嵐が吹きぬけた。

「美鈴ちゃん…?どうし…た」

無言になってしまった私を訝しむような瀬文さんの声が、どこか遠くに聞こえる。
いつの間にか瞼を上げていた瀬文さんの瞳は、まだ色を失ったままだ。


「………『そんだけ腕イタきゃ、抵抗できないっすよね』」


焦点を結ばない瞳が、面白い位に左右に揺れる。

飛び込んできたビジョンそのままに、声に乗せる。身を寄せる。
私は何をしているのだろう。
これはあの人が昨夜置いていった、記憶の落し物。


「…『いいっすよ。瀬文さん。このままあと1センチ』」


唇が触れるまであとわずかの位置に顔を寄せて。
頭の中の光景をそのままトレースする。
このままこの記憶と溶け合って、この熱に触れてしまいたい。
そんな甘い誘惑と必死に抗うもう一人の自分。
違う。
違う。
お前じゃない。私じゃない。
瀬文さんがその瞳にうつしているのは、今ここにいる私じゃない。

「………と……うま」

瀬文さんが絞り出した声は、このあやかしを解く一番の呪文だった。
慌てて飛びのいて、機器にぶつかって派手な音をたててしまった。


「っっ帰りますっ!ごめんなさいっ」
「美鈴ちゃん!」


色んな感情全てを振り切る勢いで病室を駆け出した。
頬の熱さだけが、私に現実を思い知らせた。






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