水の弟(非エロ)
瀬文焚流×当麻紗綾


ガコン、と未詳の部屋に非常ドアの音が大きく反響した。
未詳に入るゴンドラが壊れたために、この部屋に来るためには古い国交省側のドアから入るしかない。
毒の後遺症で視界が狭い、という状態が続き視力をまともに回復できていない瀬文は、留守番がてらのリハビリで、未詳の席ににぼんやりと座っていてその音を聞いた。

「久しぶり、瀬文」

瀬文は聞き覚えのある声に、まだ痛みの残る身体で振り向いた。
相手の顔を見てぎょっとして構えるが、視界がぼやけて津田の方向が定まらない。
津田が冷静に言った。

「なんだ、まだ視力、悪いのか」

津田は軽く瀬文の肩を叩く。
瀬文は直立し、強く拳を握った。

「……一は、あなた方を全て処分したと言っていました」

ため息をつくように瀬文が答える。

「ひどいよね、組織も壊滅状態だよ」
「……あなたは何人目なんです?」
「言っただろ、全てを捨てた最強の公務員だって。何代目だろうが関係ないんだよ」

瀬文は戻らない視力に苛立ちながら、首を振って津田の言葉を遮った。

「未詳の仲間には手を出さない約束です」

瀬文は視力と体調の問題で、一時的に未詳に戻されていた。
係長は雅との約束があるため先に帰宅したが、あのバカ女が切れた食料を確保するために外出している。
戻るまでに決着をつけなければ。
瀬文が狭い視界でどうにか津田の姿に狙いを定める。
その射るような視線に津田が気づき肩をすくめた。

「おー、こわ」

ちゃかすように津田が笑う。

「旧友の顔を見に来たんだよ、そんな状態の刑事を零課にスカウトするつもりもないし」
「友人のつもりはありません、上司ですから」

瀬文は直立のまま津田の動きを見据える。
かたかたとドアの外から当麻が引っ張るキャリーの音が聞こえる。
瀬文は音がした方を振り向き、津田を見据えたまま、素早く廊下に向かって後退する。
視界が悪いが、当麻の命には代えられない。
津田が呆れたように瀬文を見つめる。

「敵意むき出しだね、ま、いっか」

瀬文は右手を廊下につけると、それを頼りにそのまま当麻に向かって動く。

「当麻!」
「……あぁ?」

面倒くさそうに当麻が返事をした。
瀬文は返事の聞こえる方へ走る。
津田は笑いながら2人の方向へ手を振る。

「必死だな。じゃ、またね」

小さな音とともに、不意に津田が消えた。

瀬文は狭い視野に苛つきながらも当麻の左腕を掴んで身体ごと引き寄せた。

「津田がいる」

そのまま当麻の耳元に瀬文がささやく。

「どこに」

当麻はいつもの調子で瀬文に告げたが、瀬文が至近距離に居るので顔が赤くなっている。
瀬文は気が付かない。当麻を押しとどめながら拳銃のホルスターから銃を抜く。

「俺の銃の位置を確認してくれ」
「またそれ?! そんな状態で拳銃持つなって、係長が言うとったみゃぁ」

当麻の妙な名古屋弁に瀬文がイラっとしているのが伝わる。

当麻は辺りを見渡し、接近した瀬文の顔を見つめながら伝える。

「誰もいないし……」

呆れたように瀬文に伝える。

「というか、近いですよ。瀬文さん」
「……え?」

瀬文は驚いた表情で腕の中の当麻を見つめる。

「近いったら近いんですよ、それセクハラですよ」
「お前の臭いのほうがセクハラだ」

当麻はにやにやしながら瀬文に告げた。

「若い女の子に近づきたいんでしょ? わっかるぅ」

こいつに何を言っても無駄だな。
命が狙われるかもしれないのに余計なお世話で終わるのか。

瀬文は呆れたように言った。

「お前さ、実のとこ、俺に対して緊張してんじゃないの?」

途端に当麻の顔が赤くなる。

「な、何いってんすか! ぜんぜん、ほら平気ですよ」

当麻がムキになって顔を瀬文に近づける。

「分かった、分かった」

瀬文は謝るが、当麻はムキになって瀬文の両腕を掴み、瀬文に顔を近づけようとする。

「ふざけんなって」

瀬文が避けようとすればするほど、当麻は顔を引き寄せる。
もみ合っているうちに瀬文の顔に当麻の復活した左手が触れてきて、瀬文が反射的に避けた方向に、当麻の唇があった。
吸い込まれるように瀬文が当麻の唇を、自分の唇で塞いだ。

やべぇ

瀬文の頭の中で警告アラームが鳴り響いたが、抑えていた本能がそのまま当麻を廊下に押しつける。
長いキスの中で当麻が少し苦しそうな表情を見せると、瀬文の中の欲情に火が付きそうになる。
ようやく瀬文の本能アラームが目覚めたらしい。

「悪ぃ」

狭い視界から、当麻が見えなくなるように顔を逸らした。
そのまま、当麻を廊下に残し未詳に戻ろうとする。
当麻はしばらく呆然としていたが、不意に我に返った。
去っていく瀬文の背中に問いかける。

「謝るってどういうことですか」
「……事故だ」

たった一つの光だ。失う訳にはいかない。たとえどんな思惑が働いているとしても。

「謝るくらいならやんな! このバカ瀬文!」

瀬文の背中に当麻が夜食に買ってきたカレーの袋が投げつけられる。
振り向かずに瀬文がポケットに手を突っ込んで静かに謝った。

「……すまん」

当麻が大好物のカレーを投げるなんてよっぽどだ。
廊下にカレーの臭いが充満する。
瀬文は振り向いてカレーを片づけようとしゃがみ込んだ。
ふと視界に当麻が座り込んで泣いている姿が見えた。

「瀬文さんがセクハラする……」

瀬文は唇を噛んで、そのまま立ち上がった。
カレーの袋をいったん脇に避けると、当麻に近づいて抱き起こす。
とたんに当麻の両腕が自分の首に回った。

「……ひっかかったぁ」

当麻はニコニコしながら瀬文にほほえむ。
瀬文は呆れたように当麻から視線を逸らした。

「お前なぁ」
「ぎゅってしてください」

瀬文が驚いて当麻の顔を見る。

「はぁ?!」
「そしたら今のセクハラ、忘れてあげますよ!」
「嫌だね」
「なーんで!」

瀬文は当麻の顔を見据えながら、当たり前のことを言った。

「もっとセクハラになるだろが!」

当麻は唇をとがらせて不満そうにした。

「つまんない男〜、じゃあ、もっかいチュウしてくれたら良いです」
「意味が分からん」

瀬文が立ち上がろうとした瞬間、今度は当麻が自分の唇で、瀬文の唇を塞いだ。
まともなキスとも言えない行為なのに、当麻は身体をガチガチにして必死になってしがみついてくる。
瀬文は仕方なく力を抜いて当麻のキスに応える。
少し息が苦しくなってきたのか、当麻の唇が瀬文から離れた。

当麻は顔を赤くして照れ隠しのように笑った。

「これで貸し借り無し、ですよ」
「お前なぁ……」

無理して強がる当麻を、瀬文が呆れたようにを見上げた。
ふふん、と当麻が座りこんだまま顎を上に向けた。
そのまま両手を上げて瀬文に向ける。

「だから抱っこしてください」
「何度も言うが、意味が分からん」

瀬文は呆れたように立ち上がり、当麻の両腕を掴んだ。

「ちゃんと立て」
「立ってます、だから抱っこ」

瀬文は当麻の身体に触れないよう気を使っているのに、肝心の当麻は瀬文にしがみついて離れない。

「ふざけるなよ」

瀬文は怒ったように当麻に言った。
当麻の性格だ。男勝りだから、突然キスをされてビビる自分を認めたくないんだろう。
瀬文はそう思って当麻の腕を持ち、自分から引きはがそうとする。
当麻の目からみるみる涙が溢れた。
瀬文をボカボカ殴りながら泣きじゃくった。

「何でですか、責任取ってくださいよ」
「悪かったって言ってるだろ」
「キスなんかじゃないですよ、私の気持ちですよ」

瀬文は自分の存在がどんなものか分かっている。誰かを想ったりすることは出来ない。
でもだからこそ、古くて腐った風習にも染まりたくもなかった。
だいたい全て終わったら辞めさせてもらうと、津田に約束していたのだ。
ということを、このボカスカ殴りながら泣きじゃくるバカ女になんて伝えればいいんだが分からない。
押し倒したい気持ちを抑えるだけで、正直手いっぱいなんだが。

「分かった」

瀬文がため息を付くと、当麻の顔が途端に明るく輝いた。
こいつの真意って本当に分かりやすい。俺のことを筋肉バカとか脳内ダダ漏れとか平気でなじるくせに。
ただ、こいつが弱い感情をダダ漏れに見せるのは俺ぐらいなもんだが。
当麻はびっくりした顔で瀬文を見る。

「ホントですか?」
「責任は取る。これで良いんだろ」

ふふふん〜と当麻は、途端ににやけ始めた。
そのまま重いキャリーバッグを瀬文に渡すと、うれしそうに腕にしがみつく。

「胸」
「ん?」
「胸、当たる」
「恋人同士なら腕は組みますぅ〜〜」
「職務中は自制してくれ……」

瀬文は急な展開に目眩が起きそうだった。何十分か前の俺が、この光景見たらぶっ飛んでいるだろう。

「じゃ、帰りましょう」
「はぁ?!」
「うちは実家なんで瀬文さんちで!」
「お前のことずっと待ってたんだぞ、いつもの推理やれよ!」
「無理です、今、胸がいっぱいなんで」

にこにこ笑う当麻。もはや瀬文がその笑顔に言えることはない。

「瀬文さん」
「何だよ、俺の家なんか絶対無理だからな」

当麻はじっと瀬文を見上げる。

「逃げないでくださいよ」
「……何の話だ」

思わず瀬文が当麻から視線を逸らす。

「どうせ2人とも命は狙われているんです。お互い、一緒に居る方が他の人よりも迷惑かからないんですよ」
「そんな理由で恋愛選ぶな」

瀬文が当麻の腕を自分の腕から静かに引きはがした。ふりほどかれた腕で、当麻は瀬文の背中を思いっきり殴った。
瀬文はバランスを崩され、当麻がさらにのし掛かってきた。
瀬文が当麻を守ろうとかばって2人とも転倒する。

「ってぇ、何すんだ」
「バーカ!」
「バカ、バカうるせえ、この魚顔!」
「カッコつけて居なくなってたって、ダサいんだけなんだよ!」
「はぁ?」

当麻がわんわん泣きながら必死で瀬文の胸にしがみつく。瀬文はもう抵抗することを止めた。意味が分からなくなる。

「どっちか」

瀬文が当麻の頭に手を回したまま天井を見上げた。

「……」

当麻は瀬文の胸に顔を埋めたまま、離されないように強く瀬文に抱きついている。
ため息をつきながら瀬文が呟く。

「どっちかでも生き残らなきゃどうしようもないだろ」
「そんな甘い世界じゃないですよ」
「……そうか」

瀬文は諦めたように当麻を見た。
もう当麻は泣きやんでいて、自分の胸の上で何だか眠そうに顔をこする。猫みたいだ。

「重い」
「眠い」

当麻は瀬文の胸の中でむにゃむにゃ言い、瀬文の言葉を一向に気にすることがない。
意外に柔らかい当麻の髪に触れながら、瀬文は思った。
で、結局俺は巻き込まれたのか、巻き込んだのか。
今、分かっているのは、この暖かくて柔らかい生き物を腕の中から離せないってことぐらいだった。
未詳のただっ広くて寒い部屋で、瀬文は当麻と抱き合ったまましばらく動くことができなかった。

「やだ」
「やだ、じゃねぇ」

どうにか未詳から出られたのに、当麻は瀬文の腕に掴まって離れようとしない。

「歩きづれえんだよ」

瀬文は当麻のキャリーバッグを抱えさせられたうえに、絡まる当麻に辟易する。

「荷物を持たせたいだけだろ」
「……ばれたか、チッ」
「今、何っつった」

当麻はようやく瀬文の腕から離れてスキップする。

「帰りたくない〜」

呆れたように瀬文が当麻を眺める。

「お前、ぜんぜん感情こもってないな」
「込めたら込めたで、困るぅくせに」

瀬文は諦めたように当麻に声をかける。

「……当麻はどう見ても初めてだろ」
「はぁ?!」
「地居と付き合ってたように見えん」

当麻が顔を真っ赤にして瀬文を叩く。

「変態!」
「お前、そればっかりだな」

瀬文はひょいと当麻の攻撃を避ける。
当麻はぎりぎりと歯ぎしりをして悔しそうに瀬文を見る。

「恋する女は餃子なんて食わねぇんだよ」

瀬文はいたって冷静に当麻の日常に突っ込んだ。
当麻はぴょこんと瀬文の言葉に反応した。
瀬文の腕を取って聞く。

「餃子やめればいいんっすか?」
「いや、俺は何か慣れたから。好きにしろ」

キャリーバッグを肩に掛けて瀬文は先を歩いた。

「良いんなら、ま、良いや」

当麻はそのまま瀬文の後を追いかける。

「せーぶみさん」
「うっせ」

瀬文は腕にまとわりつく当麻のおでこを軽く叩く。
当麻はおでこをさすりながら呟いた。

「……まだ何も言ってないっすよ」
「うっせ」

またおでこを叩く瀬文に、当麻はふてくされたように立ち止まる。
瀬文が苛つくように振り返った。

「止まるなよ」
「瀬文の意地悪さに嫌になるんですよ」
「あのなぁ」
「どうしたら良いんですかね、このハゲを落とす方法」
「口に出してどうすんだ」

呆れた瀬文の口元が崩れている。

「あれもダメ、これもダメって打つ手ないんすけど」

十分に打たれてるんだが。
邪気がないってこええよ。

「つか、俺はそんなにがっつかないが」
「だぁぁ、もうあったま来るわ!」

当麻は瀬文の手を掴むとぐいっと胸にあてて叫んだ。

「記憶なんてここで覚えてる。大事なことだと思ってた。」

瀬文は当麻の行動に驚いたが、柔らかい感触にまた自分を失いそうだ。
理性を保とうと冷静に告げた。

「そうか」
「でも今は、ここがもやもやしちゃって嫌になるんすよ」

瀬文は冷静になろうと関係のない羊でも数えようと視線を泳がせた。
羊だ、単なる柔らかい羊。……いっぴきぃ、にひきぃ。

「あ、ダメだ。もっともやもやしてきたわ」

当麻が瀬文の手を離す。

離された瀬文の手は所在なくぶらついた。
神様、この暴走する無邪気な化け物をどうにかしてくれ。
瀬文は羊が24匹になったところで諦めた。

「タクシー」
「ほえ?」
「乗って帰るぞ、送ってやる」

このまま暴走する当麻に付き合うのはごめんだった。

「乗らない」

当麻は瀬文から視線を外して街の風景を眺めている。
瀬文は予想外の返事に驚いて聞き返す。

「はぁ?」
「瀬文さんちに行くまでは帰りません」
「お前の日本語、変じゃないか?」
「どうでもいいっすよ、どーせ受け入れてくれないんだし」
「じゃあ帰れよ」

当麻が「ぎょぎょ」っと口に出し、びっくりして言った。

「そうくるか」

瀬文はその顔に吹き出した。

「お前、無敵だな」
「はぁ?」

当麻は、吹き出す瀬文の顔を見て不思議そうに首を傾げていた。
瀬文はたまらなくなってキャリーバッグを置いて、お腹を押さえながら笑った。
当麻は結局、その夜、非常に生真面目な挨拶をする瀬文に送られて自宅に着いた。

「お嬢さんと付き合わさせていただいています」

直角に挨拶をする瀬文に、祖母は玄関でただ驚くしかなかった。
祖母が目を丸くしたのは彼氏の風貌の変化ではなく、にこにこしながら瀬文と腕を組む孫の姿だった。
地居の時にはあり得なかった孫の姿に、感じていた違和感が消えていくようだった。
地居と付き合っている、と聞かされていたが、当時の紗綾からはこんな風に気持ちが伝わってはこなかった。
今は2人で居るだけで幸せそうな空気が伝わってくる。

祖母が当たり前のように瀬文に尋ねた。

「で? どなた?」






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