石田さん(非エロ)
番外編


暖かな午後の日差しを浴びて、石田は公園を歩いていた。
久しぶりのオフだ。SPの仕事を始めてからというものの、多忙な日々が続き丸一日ゆっくりできることが少ない。
日本はテロ対策にあまりご熱心ではないが、こんなことまでというような仕事もSPは引き受けるので、
怠け目的でSPになったわけでもないが、勤め始めてからその意外性と多忙さに驚いたものだった。
腕時計を見るとあと10分で約束の時間だ。待ち合わせ場所にある銅像を見上げ、近くのベンチに腰掛ける。
今日はちょうど日曜日で、公園は人々で賑わっていた。その中で初々しいカップルを見かけ、遠い昔のことを思い出す。
懐かしさと一緒に過ぎた年月を思い知って少しだけ面食らった。
おぎゃあおぎゃあ、という元気な声の後にあやす声が聞こえる。
今度は数年前のことを思い出す。
そのときの石田はまだSPではなく、今よりはよくオフがあって妻とまだ赤ん坊だった娘と一緒に過ごしていたものだった。
それが今ではこれだ。石田は苦笑した。

そのとき、パパ、というかわいらしく馴染みのある声が耳に届く。
石田はそちらに目をやると、愛らしい娘が石田に向かってちょこちょこと走っていた。
名前を呼べば、娘はさらに破顔してさらに手足を一生懸命動かす。
あぁそんな風に慌てなくてもいいのに。
ちゃんとここにいるから、と笑みをこぼす。
石田はベンチから立ち上がると娘の方に歩き出した。
駆け出したい気持ちを落ち着けて、日差しで暖まったアスファルトの上を、できるだけ大股で近づいていく。
娘は転びそうになりながらも、ようやく父親の上着を掴んだ。
そして小さな腕で力いっぱい抱きしめる。
その小さな頭に大きな手が降りた。

「相変わらず元気だな」

石田は娘を抱き上げた。心なしか以前より重くなった気がした。

それから娘がやって来た方向に顔を向けると、一人の女性が目に入った。
女性は石田の方に近づいてくる。

「やぁ」

石田の呼びかけに女性は少し頭を下げ、胸元の娘に目線を合わせた。

「今日は大丈夫だったわね」

前に会ったとき、娘は今日のように駆け出して途中で転んだのだ。
うん!と娘は大きく頷いた。
女性は静かに微笑んだ。石田は一瞬ドキリとする。久しぶりに見る元妻の笑顔は相変わらず美しかった。
ふと彼女と目が合うが、石田は誤魔化すように娘の頭を撫でた。
娘は嬉しそうな声をあげる。

「あのね、ママがお弁当作ったの!」

石田は改めて彼女を見ると、彼女の肩にかかった暖色系の花柄のショルダーバッグが白い服によく映えていると思った。

「中身は何だろう」

えーとね、と父親の問いに娘が考え込むと、母親は娘の名前を呼んだ。

「あ、えっとね、秘密!」

ねっと娘は母親に笑いかけ、彼女は微笑み返した。
石田はクスリと笑う。

「楽しみだなー それじゃあそろそろ行こうか」

偶然にも、今日は娘の大好きなキャラクターショーが近くのデパートの屋上で開催される。
そのショーを3人で見て、それからこの公園に戻ってきてご飯を食べるのが今日の予定だった。
腕の中で娘はキャッキャッとはしゃいでいる。
ねぇ、と母親は娘を呼んだ。

「まだ疲れてないでしょう。歩きなさい」

大丈夫だよ、と石田は言ったが、もうそんなに若くないんだから、という言葉が胸に突き刺さった。
娘も駄々こねることなく素直に下ろして、とお願いしたから、石田はそうしてやった。
地面に足をつけるとすぐに娘は両親と手を繋ぐ。
そして3人は一緒に歩き出した。
傍から見れば彼らはどこにでもいるような家族だった。
けれども法律上、家族ではなかった。

石田は娘と手を繋いで歩くとき、よくあのときのことを思い出した。
ある任務についていたときのことだ……娘が誘拐された。
昼間に別の公園で母親が友人と世間話をしていて、娘から目を離していた。
友人の子供と娘は一緒に遊んでいたので、油断していたのだ。
聞いた話によると、娘は飛んでいったボールを追いかけて行ったそうだ。
それからずっと戻って来なくて、他の子供が大人たちに話してから事件は発覚した。
普段の彼女は見た目に反して非常にしっかりしていて、どんなトラブルがあっても大丈夫だ、と笑顔で言う人だったが、
このときだけは全く違っていた。
石田に電話をかけたとき、あまりに混乱していて彼女の友人が代わりに事情を説明したほどだ。
もちろん石田の衝撃は計り知れないものだった。
電話の向こうで微かに聞こえる彼女の狼狽えた声は直接耳にした友人の声よりも印象的だった。
友人は早く戻って来て彼女の傍にいて、とお願いした。
そのときの石田は県外で任務についていたが、彼女の許に戻るのに半日もかからないくらいの距離にいた。

あのとき、石田自身でさえ何故そうしたのか今でもわからなかった。
それでも今にも携帯を落としてしまいそうな手で、友人に告げたのだ。

「最後まで任務につく。後は頼んだ」

抗議はボタンに遮られて最後まで石田の耳に届くことはなかった。震える手はたどたどしく、ポケットに携帯を入れた。
それからしばらくのことを石田はよく思い出せないでいる。
言葉通り任務を最後まで全うしていたらしいが、当時一緒に任務についていた同僚が言うには、
石田にしては珍しくよく喋っていたらしく、面白くない冗談も言っていたようだ。
誘拐事件のほうは数日で解決した。
幸いなことに目撃者は多数いた。それに犯人は女性で、流産で子供が産めない体になってしまい、
つい魔が差して娘を家に連れて行ってしまったらしい。
身の代金目的でも悪意があったわけでもなかったので、娘に危害はなかった。
戻って来たときは娘はいつものように笑っていて、誘拐犯にありがとうとお礼を言ったらしい。
娘は母親に似て人見知りをしない子だったので特に嫌な思いはしていなかったようだ。
何にせよ酷いことをされたわけでもなかったので、それは救いだった。

石田が家族の許に戻って来たのはそのさらに数日後だった。
迎えは彼女一人だった。
お帰り、ただいま。そんな簡単な挨拶さえなく、帰宅するまで二人は無言だった。
居間のソファに腰掛けたとき、彼女はやっと口を開いた。

「別れてください」

普段の彼女から考えられない、死刑判決を宣言するような冷たい声だった。
石田は何も驚かなかった。電話を切ったあのときからわかっていたことだった。
離婚手続きをしている間、二人は必要最低限の会話しかしなかった。
娘は両親の不仲を感じ取って、その間はいつも不安そうな表情だった。
ごめんね。パパが悪いことをしたんだ。
その言葉は声帯を通ることはなく、代わりに娘を抱き締めていた。
それから石田が出て行く日が来た。娘は友人に預けていた。
石田は彼女と事務的な会話をして、荷物をまとめた。
バッグを持って家を出て行く直前、ただ一言、心からの言葉を残した。
すまなかった、と。

「仕事はどう?」

公園のベンチで彼女にもたれかかってスヤスヤと寝ている娘を撫でながら、彼女は聞いてきた。

「相変わらず忙しいよ」

そう、と彼女は小さく呟いた。
石田が家を出てから、時間をかけて彼女も落ち着きを取り戻してきた。
数ヶ月してから彼女から電話をもらったときは耳を疑ったな、とそのときのことを思い出す。
日差しは午後になるとまたさらに暖かく、昼食の満腹感も手伝って少しウトウトとしてしまう。
彼女の料理は本当においしかった。同じ料理を作っても、不思議なほど味に差が出てくる。
何か秘訣でもあるのか、と聞けば、どうでしょうね、といつも微笑む。
きっと彼女にしか使えない魔法をかけているんだな、と石田は自分で納得する。
離婚してから自分で料理をしないといけなくなり、時折彼女の料理がなくて寂しさを覚える日もある。
言わずもがな、彼女と娘に会えないのも寂しいが。
だからこうやって三人で会うとき、たまに彼女が手料理を食べられるのは嬉しかった。

「先に渡しておくわ」

彼女はバッグの中から紙袋を取り出して石田に差し出した。
石田は受け取って中身を見ると、包みが入っていた。重さと微かな香りから何かの料理だと知る。

「忙しいからって、しっかり食べないとだめよ」

石田は唸った。
ここ最近は忙しさもあって食事を取らないときがあったり、ちゃんとした物を食べていなかったりしていたからだ。

「見透かされてるなぁ」

彼女はいたずらっぽく笑う。

「あなたは真面目だからね、不器用なほど…真面目すぎるのよ」

声のトーンが変わった。緊張した空気が漂う。
あのときのことを思い出しているのかな、と石田は思った。

「そういうところ、好きだったわ」

石田の胸がズキリと痛んだ。
彼女は娘のかわいらしい寝顔を覗き込む。

「SPって嫌な仕事ね」

娘の柔らかい頬をツンツンとつつく。

「まだ続ける気?」

石田は黙って頷いた。ふーん、と彼女は石田を見た。

「やめてもいいのよ。養ってあげる」

石田は苦笑する。彼女はちょっとした腕を持っていて、そこらへんの男よりも稼いでいた。
こんなことを言うぐらいだから、結構貯めているのだろう。

「使い物にならないぐらいヨボヨボになったときに頼む」
「あら、でもその頃には別の人を養っているかもね」

彼女の言葉には挑発的な含みがあった。

そういえば、と石田は言った。

「誰かそういうやつはいないのか?」

少し間を置くと、彼女は首を横に振った。

「当分の間はいらない」

申し訳ないと感じつつも石田はホッとした。

「今ホッとしたでしょう」

心臓が飛び跳ねた。

「え、あ、いや、…」

あたふたとする石田をニコニコと彼女は見ていた。

「…うん、したよ」

結局観念する。彼女はクスクスと笑った。

「本当に不器用なほど真面目で…真っ直ぐ」

でもね、と彼女は続けた。

「警察をやめないならダメ。少なくとも転職して」

この年で転職か、と他の仕事につく自分を想像する。

「紹介しようか?」

声に真面目な調子がこもっていて、石田は彼女を見ると、真剣な視線とぶつかる。しばらく見つめ合って、石田は頭を左右に動かした。

「好きなんだ」

彼女は一瞬悲しそうな表情になったが、すぐに目を逸らしてため息をついた。

「私もね、好きよ」

あなたのは嫌いだけど、と彼女は最後に付け加えた。

一匹の小鳥がチュンチュンと鳴き、三人の座っているベンチの近くを行ったり来たりする。
少し離れたところでは若いカップルが餌を撒いていて、鳥の群れがその周辺を小走りに歩いていた。

「そろそろ帰るわ」

石田はハッとして、すぐにあぁ、と頷いた。

「ねぇ光男」

石田の胸がざわついた。彼女が名前で呼ぶのがあまりにも懐かしかった。
最後に呼ばれたのはいつだっただろう?
彼女は意志の強い目で石田を見つめた。

「私たちはいいから、他の人たちを守って」

彼女は眠っている娘を抱き寄せた。

「この子は私が守るから、大丈夫」

不安な瞳は二人に、特に彼女に注がれた。

「自分の身は自分で守れるわ」

だから、ね。
石田は何も言えなかった。
彼女は石田の不器用さも真面目さも好きだと言ってくれた。
けれどもそれが彼女を深く傷つけたのだ。
SPであるはずなのに、人を守るのが仕事なのに。

「正義はね、誰かの犠牲で成り立ってるの」

悲観的な響きはなかった。

「私たちが犠牲になってあげる」

彼女のほわんとした笑顔の中で揺ぎ無い瞳が石田を見据える。この目だ、と石田は思った。この目が好きなんだ。
石田は無言で頷いた。
二度と彼女を、そして娘を傷つけず、二人とも守れるようになれることを願いながら。

しかし、今度は彼女との約束を破ってしまった。
大橋の警護が解除され、解散せざる得なくなった。
上からの命令は絶対だった。一介の機動警護班隊員がどうこうできる問題ではない。
けれども。石田は新聞を食い入るように見つめる。
新聞の一面には大橋のことが書かれていた。
今朝テレビをつければトップニュースで大橋のことが報道されていた。
泥酔したまま風呂に入り、そのまま溺死。
石田は唇を噛み締めた。悔しさで全身が震える。どのメディアも偽りの真実を掲げて大騒ぎだった。
新聞をグシャグシャにし、机にバンッと投げつけた。
"正義はね、誰かの犠牲で成り立ってるの。私たちが犠牲になってあげる"
彼女が犠牲になろうとした正義はこれではない。
石田は何もない、虚無の空間を、ただ睨みつけた。






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