酔っ払いの相手(非エロ)
井上薫×笹本絵里


酔っ払いの相手は好きじゃない。
自分も酔っていたらそんな風に思わないだろうけど、今日は酔う程飲まなかった。
そろそろ財布が軽くなったから飲みも断わるはずが無理やり連れて行かれた。これってパワハラってやつですか。
でもやっぱ集まりは楽しかったし、山本が新しく見つけた居酒屋は料理も酒もうまかった。
あと石田さんと笹本さんがちょっと多く出してくれたから、給料日までなんとか持ちそうだ。
でもなー、と目の前をズカズカと歩く笹本さんを見る。笹本さんは俺が逃げないようにご丁寧に手を引っ張っていた。
店を出た後は明日も仕事があるからそこで解散するときに、笹本さんが呂律の回らない口調で送っていけ、と俺に命令した。
こんな時の笹本さんには普段以上に適わない。
石田さんと山本はじゃあよろしく、と無責任なこと言う。
文句を言おうとすれば笹本さんが手を掴んで歩き出したから結局ついて行くことに。
それにしてもこれじゃあどちらが送られているのか分からない。
はぁっと溜め息を吐いたけど、振りほどこうとは思わなかった。
だって笹本さんが手を握ってるなんて、こんなおいしいチャンスは滅多にない。
笹本さんのことは初めて会ったときから気になっていた。まだいまいちそういう意味で好きかどうかよく分かってない。
でも今は嬉しいから、きっとそうなんだろうな。
けど素面に戻ったときは覚えてないよな、と思うと少し寂しくなった。
笹本さんの手を少し強く握り返してみたけど、相変わらずズンズン前に進んでいた。
なんかちょっと傷ついたんですけど。
全くこれだから酔っ払いは。

結局このまま笹本さんの部屋の前まで来た。
俺がいた意味ってなくない?引っ張っられていただけだし。

「あーじゃあこれで失礼します」

軽く頭を下げたらべしっと叩かれた。

「あんた、そんなに早く帰りたいわへ?」
「いや、だって仕事…」
「仕事仕事って、私とろっちが大事なんよ」

えええ。何だこの会話。

「さ、笹本さん落ち着いて」

ぷいっと顔を背けると笹本さんは鍵を開けた。ドアを開いて先に入れと促す。
ちょっとこれは流石に不味いんじゃあ。
戸惑っているとバシッと肩を叩かれた。

「痛っ」
「さっさと入れ。係長に言うぞ」

一体何を。反論しようとしても笹本さんの気迫にたじろいだ。

「…お邪魔します」

笹本さんは大きく頷いた。

笹本さんの部屋は思った通り簡素だ。余計なものがあまりなくてスッキリしている。
見渡していると視界にベッドが入ってきて思わず目を逸らした。

「井上」

ビクッと振り向くと、笹本さんは缶コーヒーを差しだしていた。

「ど、どうも」

コーヒーを受け取ると笹本さんはソファを指差した。素直に従う。
ソファは柔らかくて座り心地がよかった。俺も買ってみようかな、と考えていると隣に笹本さんが座って来た。
触れ合った肩が恥ずかしくて少し距離を取る。
けどすぐに笹本さんはくっついてきた。俺はまた離れた。

「なんれ離れんのよ」

そして距離はまた縮まる。人の気も知らないでこの酔っ払いめ。

「別にいいじゃないっすか」

また離れたら、今度はついて来なかった。安心したような残念なような。
とにかくコーヒーを飲んだらさっさと帰ろう。よしそれがいい。
笹本さんの非難的な視線を無視してプルタブを開け、そのまま飲み始める。
ってこれブラックか。パッと飲み口を離した。
飲めないわけでもないけどちょっとミルクか砂糖があった方が俺の口には合う。
俺の様子を見て笹本さんはクスクス笑った。それからコーヒーを一気に飲み干した。

「…俺のも飲みます?」

コーヒーを差しだそうとすればギロリと睨まれた。

「あらしの出したもん飲めらいってゆーの」
「じゃあ砂糖かミルクくださいよ」
「めんろくさい」

笹本さんは手をヒラヒラさせる。あーもう。
コーヒーを前のテーブルに置いて立ち上がろうとすると、すぐに腕を掴まれた。

「ろこ行くのよ」
「砂糖とミルクを探しに…」

その時の笹本さんの表情に唾を飲んだ。

「らめ」

悪戯っ子みたいにニヤリと笑い、腕を俺の腰に回して抱きついてきた。
腕に柔らかな膨らみが当たる。

「ちょっ、ち…っ!さ、笹本さ…ん」

離れようとしてもガッチリ捕まえられていて更に胸の感触を堪能してしまった。す、すげぇ…ってそうじゃなくて。

「当たってます当たってます!」
「当ててんのよ」
「その台詞どっかで…いや、とにかく不味いから」

右手で笹本さんの肩を押そうとしたら顔を傾けて舐められた。
何なんだどういうつもりっすか。色んな感情が混ざり合って俺は涙目。
俺は笹本さんから顔を背ける。

「井上さぁ」

体はさらに密着した。

「私れ抜いたことある?」

きっと聞き間違いだ。うん。

「ねぇ、わらしは井上であるよ」
「…え?」

顔を笹本さんに向けると、いやらしい顔で笑っていた。

「嘘」

笹本さんは俺の唇に噛み付いた。痛くはないけど、あんまりにも驚いて硬直した。
そんな俺にお構いなしで笹本さんはもっと唇を貪る。

「さ…もっ…ん」

舌が絡め取られ、弄ばれる。笹本さんは愉快そうだ。
口内を隈無く蹂躙された後、ようやく解放された。お互い口の端から唾液が漏れている。
あまりの出来事に頭が混乱していると笹本さんが立ち上がった。
あ、終わりか。と思ったら、笹本さんは俺の前に移動して脚の間にしゃがみ込んだ。手をベルトにかける。

「ちょちょちょっストップ!」

慌てて笹本さんの両手を掴んだ。
笹本さんはギロリと睨み付ける。怖い。

「離せ」
「いや、です。てか何するんすか」
「セックス」

恥じらいも何もない。平然とこんなこと言うなんて、やっぱ酔っ払いは嫌だ。

「その、俺たちそんな仲じゃないっすよ」

あー、と笹本さんは気だるそうに呟いた。よかった分かってくれた。

「じゃあ付き合おう」

全然よくなかった。

再び手が動こうとしたから抑えつける。

「そんなあっさりでいいんすか!」
「あんた、あらしのこと好きれしょ」

ね?と上目遣いで俺の目を覗き込む。すげーかわいくて、照れて目を逸らした。
左の太ももに軽い痛みが走る。笹本さんが噛みついていた。

「ちゃんとこっち見ろ」

俺は言われた通りにした。あぁこの人すごい楽しそうだよ。

「これで文句ないれしょ?」

ニコニコしながら笹本さんは言った。
こんな始まり方もありなのか…あ、というか。

「聞きたいんすけど、笹本さんは」

グラリと笹本さんの頭が揺れ、ガクンと垂れて先が股間に当たった。
ビックリして掴んだ手を離す。

「いっ…!笹本さん!」

慌てて笹本さんの顔を上げれば、目を瞑っていた。
スウスウと寝息が聞こえる。
最悪だ。だから酔っ払いの相手は嫌なんだよ。

ベッドで笹本さんはスヤスヤと寝ている。
寝顔かわいい。少しクセのある髪に右手を巻きつけた。
ベッドに運んだらすぐに帰ろうとしたけど、「井上」という寝言が聞こえて、傍にいたくなった。
笹本さんの隣にゴロンと横になる。
起きたら何て言うのか、きっと忘れているんだろうな。殴られるかも。
でも俺のせいじゃないし、笹本さんが悪いんだ。
俺はゆっくりと瞼を閉じた。
今夜はいつもより眠れるかもしれない、と何となく思った。


ペチペチ、と頬を叩かれる。ハッと目が覚めて起き上がった。

「はよ」

笹本さんがカップを差し出した。

「飲む?」

感覚機能が段々と働いてきて、ようやくコーヒーの香りを嗅ぎ取った。

「いただきます」

コーヒーを受け取り、口に当てた。口の中に香りとほんのりとした甘さが広がる。
笹本さんを見たら珍しく微笑んでいた。

「昨晩は悪かった。悪酔いし過ぎた」
「大丈夫です」
「…一度帰んなよ。酒臭いし」

俺は頷いた。笹本さんはベッドから立ち上がらずに座っていた。
静けさがあたりを漂う。

「笹本さん」

呼んだら顔をこっちに向けてくれた。

「笹本さんは、俺のこと好きなんすか」

昨晩遮られた質問をした。
笹本さんはじーっと俺を見つめる。俺は目を逸らさなかった。

「あんたはどう思うの」

何で聞き返すかな。
でもきっと、調子に乗っていいはずだ。
笹本さんの唇に触れるだけのキスをする。

「これが答え?」

俺の問いかけに笹本さんはクスリと笑った。

「うん、好き」

今度は笹本さんがキスをくれた。


笹本さんに見送らて部屋を出るとき、足を止めた。

「今夜、来てもいいっすか」

笹本さんは困ったように頭をかいた。

「今日から親が泊まりに来んのよね」
「付き合った初日に挨拶ってのも悪くないっ…て」

笹本さんに頭を叩かれた。

「冗談なのに」
「早く帰れ」

はーい、と素直に従ってドアを閉めた。
エレベーターまで歩きながら、周りを見渡した。
俺のとこよりいい場所だよなぁ。あぁ壁紙の模様とかかっこいい。
下りるボタンを押して待っているとコートのポケットが震えて、止まった。
携帯を取り出すと新着メールの表示があった。
メールボックスを開くと笹本さんからだ。
遠くにある部屋のドアを見て、メールに目を戻してからボタンを押した。

「帰ったら連絡するから、じゃ後で」

また遠くを見た。さっきよりも近くに感じる。
戻ったら怒られるかな。
ウィーンとエレベーターの扉が開いた。中に目を向けて、入っていく。
後で向こうでも会える。会ったらこっそり大好きですって言ってみよう。
どんな顔するかな。
楽しい想像にふけりながら、閉まりつつある扉の先を見つめた。






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