皆人の誤算(前編)
佐橋皆人×草野


PM17:00.
真夏ならば、まだまだ凶悪な太陽が大地を焦がしている時刻だが、初秋というべきこの時期になれば、さすがに夕日は西に傾き、風も幾分か涼しくなっている。

「ねえ、おにいちゃん、きもちいいね?」
「そうだね、くーちゃん」

出雲荘の縁側に座り込み、日向ぼっこを決め込んでいた皆人の傍らを占領する、一人の幼女。
――セキレイNo.108草野。

「えへへ〜〜」

皆人の隣にいる。ただそれだけが嬉しくてたまらない。
赤い夕日に照らされた、彼女が浮かべる無垢な笑顔は、掛け値なしに可愛かった。

(まるで、天使みたいだな)

彼にとっては、その感想もあながち的外れではない。
草野のあどけない微笑。――小春日和にも劣らぬその穏やかな波長は、皆人の身体の芯に刻み込まれた澱みを中和させ、押し流してしまうほどの癒し効果を放っていたのだから。


――そう。
皆人は今、全身を綿のような疲労に包まれていた。
それをもたらしたのは、生活費捻出のための肉体労働ではなく、そろそろラストスパートの時期に差し掛かった受験勉強でもない。

(エッチがこんなに疲れるものだなんて……知らなかったよ)

彼はつい先程、松とともに帰宅したばかりだった。
無論、ただの散歩ではない。
彼女の羞恥責めと焦らし責めでさんざん苦しめられた挙げ句、公園の繁みで、彼女に乞われるままに三度の放出を強制され、おぼつかない足を懸命に引きずるようにして帰ってきたのだ。

「いま開発中の新薬が、ようやくフェイズV以降の実験段階に入ったです!来週のお出かけまでに、何としても実用段階にこぎつけるつもりですから、みなたんも楽しみにして下さいですっ!!」

丸眼鏡をきらりと光らせ、松はそう言った。
その新薬とやらが、自分との性行為において使用される新種の媚薬か強壮剤の類いである事は、ほのかに紅潮した彼女の頬から考えても疑いようは無いが、それが具体的にどういう効用を持つ薬物なのかを訊く度胸は、佐橋皆人にはない。

「……松さんも、あまり無理はしないでね?」

皆人は取り合えずその場は、当り障りのない言葉で茶を濁した。


先日、彼は人生二十年目にしてようやく童貞を捨て、自らを主と慕うセキレイたちと関係を結んだが、それは通常のような男女一対一のかたちではない。
ここにいる草野を含めた、五人のセキレイに同時に襲撃され、半ば無理やりのような形で求められ、――結局、彼女たち一人一人と肉の契りを交わしたのだ。
そのことに後悔は無い。
セキレイたちに輪姦されるように精を搾られたことも、その結果、数日に渡って昏睡状態に陥ったことも、彼は何とも思ってはいなかった。むしろ、そこまでさせるほどに、彼女たちを追い詰めていた事に気づかなかった自分の不明を恥じるばかりだ。

だから、彼はその後、一世一代の勇気を振り絞って、セキレイたちに提案した。
葦牙として、そして一個の男性として、セキレイたちを平等に“愛する”ことを許してくれと。
無論、ここでいうところの“愛”は、これまでのような家族愛混じりのプラトニックな意味に留まらない。肉体的な意味を多分に含んだ、“男女の愛”である。
しかし“平等に愛する”と言えば聞こえはいいが、早い話がコレは、

「俺の相手を、お前らの中から一人に絞る気は無いから、取りあえず全員とヤる。嫉妬すんなよ」

と言っているに等しい。
一人の男子として、ここまで女をバカにした発言も無いであろう。

(殺されるかもな)

とも思ったが、それでも皆人は理解していた。もはや自分たちは、以前の関係には戻れないということを。
経緯はともかく、もう自分たちは情を交わした男と女なのだ。ならば責任を取るのは、男として当たり前の事であろう。そしてこの状況に於ける責任とは言うまでもない。セキレイたち一人一人を“女”として遇し、扱い、愛すること以外に無い。

――それはあくまでも、彼の側からの視点であり意見でしかない。だが、それでもこれが、皆人なりに懸命に振り絞った結論であり、他に選択肢は無かったのだ。

結果から言えば、皆人は死ななかった。
セキレイたちはみな快く(皆人の予想通り、月海だけは額に青筋を浮かべていたが)彼の提案を受け入れてくれたのだ。
一人一日、都合週五日の『葦牙の日』の設定が議決され、その日は朝からセキレイたちの一人が皆人を独占する事ができ、他のセキレイはその邪魔をする事は許されない。
といっても皆人にも都合がある以上、24時間拘束ではない。何より出雲荘は不純異性交遊禁止の鉄の掟がある以上、必然的に、そういう行為は外でやるしかない。――だが、限度額なしのMBIマネーカードがあるので、ホテル代に困ることも無かったが。

そんな日常が、そろそろ二週間目を過ぎようとしている。
明日は久しぶりのオフだ。バイトも無いし『葦牙の日』も中休みだ。やっとゆっくり眠れる。

(俺って、体力ないなあ)

まだ、ようやく二週間目でしかない。自分で言い出した事とはいえ、皆人は荒淫のもたらす疲労を、いささか甘く見ていたというべきだろう。
明後日の相手は風花だ。
彼女の超絶の性技がもたらす快感は、確実に他のセキレイたちより一歩抜きん出ている。おそらく、少なくとも4〜5発の放出は余儀なくされるだろう。とはいえ、テクニックや体格、アソコの具合などで彼女たちの順列をつける気は、皆人には無い。
いままで、ろくにモテた経験すらない皆人にとっては、自分を愛してくれる女性と身体を重ねるという、ただそれだけで十二分の精神的充足を得る事が出来たからだ。
まあ正直言って、自分の拙いテクニックが、セキレイたちをいかほど満足させているのかは未知数であるのだが。


「おにいちゃん」
「なんだい?」
「おにいちゃんて、いいにおいがするんだね」

そう言いながら、皆人の身体にもたれかかるように密着し、くんくん匂いをかぐ草野。
幼児独特のミルクのような体臭が、皆人の鼻孔を刺激する。
たまらない。
心の奥に、温かいものが注ぎ込まれてゆくようだ。
草野の髪に、そっと手を乗せ、優しく撫であげる。
彼女も心地いいのか、堪能するように皆人に撫でられるままになっている。

(俺にも娘が生まれたら、やっぱりこんなに可愛いのかな?)

そう思う。
そうあってほしいと思う。

「ねえ、おにいちゃん」
「ん?」
「だっこして?」
「甘えん坊だなぁ、くーちゃんは」

皆人は苦笑すると、膝の上に草野を乗せ、両腕できゅっと抱き締めてやる。
少女は、はずかしげに頬を染めると、かすかな声で、

「おにいちゃん、だいすき」

と呟いた。


皆人が“平等に愛する”といった中には、当然、この草野も含まれる。
だが、いくら何でも、彼女に欲情するような嗜好を、皆人は持ち合わせてはいない。むしろ、こんな幼すぎる肉体が、自分のような成人男子との性交に耐えられるはずがない。彼は少なくともそう思った。
彼女たちと最初に関係を結んだ夜にしても、他のセキレイたちとは、それぞれ腰が抜けるほど、挿れたり挿れられたりしたが、それでも草野とだけはイタしていない。指と舌で優しく愛撫してあげただけだ。
また、彼女との『葦牙の日』では、常に水族館や遊園地といったイベント会場を目的地に選び、男女というよりも、むしろ父娘――または兄妹といった、家族的なスキンシップを重視し、彼女を甘えさせ、喜ばせていた。

――そう思っていた。
それで充分、草野本人も満足しているはずだ、と。

「ねえ、おにいちゃん。……して、いい?」
「え?」

恥かしそうに俯きながら、皆人の胸に顔を押し付ける草野。
そんな姿勢で吐かれた彼女の台詞は小さくかすれ、正確に聞き取る事が出来なかった。

(まあ、いいか)

どうせ小さい子のお願いだ。それに草野は見た目よりもかなり利発な少女でもある。そうそうムチャなお願いはしないだろう。

「いいよ。くーちゃん」

皆人がそう言った瞬間、まさしく花びらが開くような笑顔を、草野は見せた。

「うん、ありがとっ、おにいちゃんっっ!!」

――えっ!?

次の瞬間、皆人は凍りついた。
草野がイキナリ、Tシャツ越しに、皆人の乳首に吸い付いたのだ。

ぢゅっ、ぢゅぱっ、じゅるっ、ちゅぼちゅぼっ、ぢゅぢゅぢゅ…………かりっ!

「んぁっっ!!」

びくんっ、と震える浪人生。
だが、少女は離れない。
小さな両腕を精一杯伸ばして皆人の身体に自分を固定すると、それこそ栄養失調の赤ん坊のような勢いで、葦牙の胸に吸い付き、舐め、しゃぶり、そして歯を立てる。
皆人からすれば、まさに予想だにしない攻撃。
鵯越(ひよどりごえ)・桶狭間・真珠湾攻撃に匹敵する、奇襲・不意打ち・電撃作戦。

だが……皆人は、この草野の乳首への接触が、果たして性欲に基づく愛撫なのか、それとも赤子のように他意の無い、無邪気なものに過ぎないのかを図りかねていた。
すでに、皆人のTシャツは、草野の唾液でべたべたになりつつある。これ以上続けていると、般若の面を背中に貼り付けた大家が、ここにやってくるだろう。

(それはまずい)

だからと言って、無心に乳首を吸い続ける彼女を、無理やり引き剥がすのは、いくら何でも……。

「くっ、くーちゃん……だめっ、だめだよっ、おっ、大家さんが……あああっ!!」

しかし、草野は答えない。
Tシャツ越しの遠まわしな刺激が、絶妙のスパイスとなって、皆人の脳を焼き焦がす。

(きっ、きもちいいっ!?)

「くーちゃんっっ!!だめだって……っっ」

顎が上がりそうになるのを懸命に堪えながら、皆人は幼女をたしなめようと、睨んで見せる。


草野の瞳は笑っていた。
先程まで見せていた天使のように無垢な笑みではない。
牝の風格すら漂わせる淫靡な光を宿した媚笑。

(くー、ちゃん……ッッッ!?)

その笑顔はこう言っていた。

くーだって、せきれいなんだよ?
くーだって、つまなんだよ?
くーだって、おにいちゃんをかんじさせてあげられるんだよ?


「佐橋さん、あなた一体、何をしているのですか?」


その瞬間、皆人の神経を浸していた脳内麻薬は瞬時に蒸発する。
振り返って確認するまでも無い。
誰がそこにいるかは分かりきっている。
凛々しい袴姿の鬼――人呼んで“北の般若”。

「いたいけな幼児(おさなご)に、このような無体な真似を……。返答次第では、あなたといえど、ただでは済ませませんよ?」

抑揚すらない美しい声。
氷のような殺気がビンビンに伝わってくる。
出雲荘大家・浅間美哉が、仕込杖を片手に、そこに立っていた。






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