罠と本音(非エロ)
佐橋皆人×月海


「でも結局、今年の受験ってどうなるんでしょうねえ?」
「少なくとも、国公立くらいは入試をしてくれないと、すごく困るね」

そう言いながら、皆人は隣を歩く少女に笑いかけた。

自習するために訪れた図書館の休憩室で、不意に遭遇したこの少女。
互いに知らぬ顔ではない。予備校の講義でも何度か見かけたことのあった彼女は、気さくに話し掛けてきた。――と言っても、彼女と会話するのはこれが初めてだ。予備校はあくまで勉強のための施設であって、他人と仲良くなるための場ではない。
図書館の休憩室で、予備校で知った顔を見た。だからこそ彼女は話し掛けてきたのであろうし、互いに気付いたのが勉強中の自習室だったなら、それこそ会話どころか、コミュニケーションは会釈で済んでいたはずだ。

その後二人は並んで席につき、勉強し、一息ついたところで、揃って図書館を出た。
だからと言ってこれからメシを食いに行く約束をしたわけでもない。電話番号やアドレスの交換をしたわけでもない。帰り道の方角が同じだから一緒に歩いているだけだ。道が分かれるところで彼女とは別れる事になるだろう。ただそれだけの関係である。
なにより、さっきまで堰を切ったように話をしていた彼女の話題の中には、ちゃんと彼氏の話があった。――少なくとも、彼氏持ちの女性を図々しく口説けるほどの神経が皆人に有れば、彼はとっくの昔に志望校に合格していただろう。

だが、彼を取り巻く環境に、そんな道理は通用しない。

(こんなところをセキレイたちに見られたら、また一騒ぎ起きるな)

そう思いながらも、久しぶりに会った同じ境遇の受験生相手なら、いかに口下手な皆人といえど話題が尽きる事はない。
予備校はいつになったら講義を再開するのか。あの講師の授業はサッパリわけが分からない。MBIの帝都封鎖はどう考えてもクーデターとしか思えないのに、なぜ政府は自衛隊を送り込んでこないのか。――そんな他愛の無い話をしていたに過ぎない。

だが、皆人はそんな自分の姿が、軍事衛星や、電柱や軒先に設置された防犯カメラによって監視されている事を、まだ知らなかった。


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「ミナトッッッ!!」


相変わらず月海の声は大きい。
結のような天然系の元気のよさとは違う。
まるで家臣を叱り付ける女王のような覇気と、凛とした意思を感じさせる声。
だが、それでも、イキナリそんな声で怒鳴りつけられるのは、やはり厳しい。
そして、のっしのっしと肩を怒らせながら大股に歩を進め、無雑作に皆人の胸倉を掴む彼女の顔には、やはり先刻の怒号に相応しい、不機嫌極まりない表情が張り付いていた。

「どっ、どうしたの月海?」
「どうしたもこうしたもあるかっ、見損なったぞミナトッ!!汝はそれでも吾の葦牙かっ!!」
「いや、見損なったって……何が……?」

さっぱりワケが分からないという顔をする皆人に、月海の吊り上がった瞳は、いよいよ苛立ちを増幅させたようだ。

「とにかく、ついて参れっ!!」

そのまま彼女は、皆人の腕を引っ掴むと、彼の部屋に向かって大股で歩み始めた。

彼はいま、出雲荘に帰ってきたばかりであった。
別に遊びに出かけていたわけではない。今日はセキレイたち各個人とのデートから解放される、葦牙としての休日だったからだ。
受験生の本分たる勉強――図書館で、それを済ませてきたに過ぎない。
だから、突然胸倉掴まれて、怒鳴りつけられる筋合いは無いはずだ。……と、彼は思う。
しかし、それはあくまで皆人の側の言い分でしかない。そして、彼女たちからすれば、皆人に憤怒を募らせる理由など十二分に存在するということも、彼自身、ちゃんと理解しているつもりだった。

いま現在、佐橋皆人は、出雲荘に住む五人のセキレイたちと肉体関係にある。
葦牙とセキレイ……その関係性から鑑みるに、両者の間に男女関係が発生するのは不自然でも何でもない。むしろ当たり前の事だ。だが、その葦牙と契約を結んだセキレイが複数である場合、そこに修羅場が出現するのも、やむを得ない必然と言うべきだろう。
だからと言って、それを許容できるかといえば、話は全く別になる。

男の側からの言葉で言えば、ハーレム。
だが、女の側からの言葉を使えば、それは二股――いや、この場合は五股、と言うしかない関係。
しかも、この関係に浮気特有の秘匿性は無い。白昼堂々、昨日はコイツ今日はお前、といった具合に、とっかえひっかえシフト制で供給される愛情。
セキレイたちは、自分たちを平等に愛そうと努力する皆人の姿勢と、恋愛対象を仲間内で共有するという擬似的家族関係に、むしろ安心を覚えているようだが、それでも彼女たち全員が、今の関係に心底から納得しているわけではない事は、彼も承知している。
たとえば、いま彼の手首を鉄環のごとき力で握り締め、有無を言わさず部屋まで連行しようとしている彼女――セキレイNo.09 月海――などは、彼を独占できない現状に、満腔の不満を抱いている事も、いまや出雲荘に於ける周知の事実として認められていた。

「モタモタするなっ!早う来いっ!!」

そう言いながら、勝手知ったる足取りで皆人の部屋に入って行く月海。

(まさか……)

嫌な予感が、ふと頭をもたげる。
四六時中セキレイたちが無雑作にうろつく出雲荘。そして遠慮も容赦もなしに入室しては甘えてくる彼女たちを前にしては、彼のプライバシーなど皆無に等しい。
だから、迂闊な場所に迂闊なものを隠すような真似はしていないはずだった。
たとえばそれはエロ本、エロ写真集などの“おかず”の類い。

生物学的に言えば、佐橋皆人といえど一匹の若いオスに過ぎない。
かつて、彼女たちセキレイと身体を重ねるようになるまでは、この狭い部屋で幾度もお世話になったブツたちも、いまは無聊を囲っているはずだ。葦牙に最大限の快楽を与え得る彼女たちの肉体の前には、どんなエロ本も意味を持たない。
だからと言って、引越し前からの付き合いである“それら”を、今はもう使わないからという理由だけで捨ててしまう気には、どうしてもなれなかった。情が移ったという表現が当てはまるかどうかは分からないが、彼にはどうもそういうところがある。
しかし、セキレイたちにその感情を理解せよというのは、しょせん不可能だ。
全霊を以って葦牙の愛を得ることをアイデンティティとしている彼女たちにとっては、葦牙の自慰行為など、それこそ自分たちへの侮辱以外の何者でもないからだ。
そして、月海の怒りが、巧妙に隠匿してあったはずの“それら”にあるとしたなら。

(……殺されるかもな)

その想像を前に、皆人は慄然とした。

自分の部屋を、そっと覗き込む。
部屋の中央に君臨するように屹立した月海が、刺すような視線を向けてくる。

「何をしておる!ここは汝の部屋であろうがっ!早く入ってこぬかっ!!」

ごくり。

唾を飲み干し、自室に足を踏み入れる。
特に荒らされた様子は無い。皆人は少しホッとした。
ガサ入れされてないということは、特にセキレイたちを刺激するようなブツが彼女たちの目に触れたワケでは無さそうだ。
そう思った瞬間だった。


「ミナト、――これは何じゃ」


氷のような声と共に、畳の上に投げ出された一冊の文庫本。
書店のブックカバーがされたままになっているので、これは何じゃと言われても、一瞥して、それがどういう本なのか判別はつかない。

(文庫本ってことは、小説か?)

だが、ここまで月海の怒りを喚起させるような内容の小説など、どう考えても彼に思い当たるフシはない。いや、そもそも、そのブックカバーに記入されている本屋に、皆人自身、記憶が無かった。

(いや、まてよ)

思い当たるフシが一冊だけ、ある。
かつて、予備校時代の友人・矢坂から貰った官能小説。
皆人の顔色が、ふたたび蒼白になった。

それは、平凡で貞淑な人妻が、ある男に強姦され、夫への愛と、男が与えてくれる肉体的快楽の狭間で葛藤し、最終的に男を全面的に受け入れ、夫を騙し裏切りながら生きていく事を誓う……という典型的な人妻寝取られモノ。

――という内容らしいのだが、皆人はよく憶えていない。

なにせ夫を裏切り、快楽に溺れて男に逆らえなくなってゆく人妻の心理描写に耐え切れず、70ページを越えたところで読むのを止めてしまったからだ。

(こんな気分の悪い話のどこで抜けと言うのか)

『寝取り寝取られモノ』というジャンルは読者を選ぶというが、結と知り合う以前の、男女交際経験をほぼ持たなかった頃の皆人には、肉体的な快楽に吊られて愛情を裏切る女性など、それこそ想像を絶する生物でしかなかったのだ。
つまり、二十年に満たない彼の人生で、これほど読後感に怒りを伴う物語を読んだことはかつてないと明言できる、唯一の書籍。

しかし、実は皆人自身、その官能小説のことは半ば忘れていたはずなのだ。
少なくとも、出雲荘に引っ越して以来、その本を手に取ったことはない。というより、その本が部屋の何処にあったのかさえ正確に覚えていない。ブックカバーが付けっ放しだったので、それと知らずに本棚に無雑作に突っ込んであったのだろうか。
だが、もしその小説を、何かの弾みで月海が手に取ったのだとしたら……なにせ内容が内容だ。畳の裏に隠してあるエロ本どころの騒ぎでは到底済まないだろう。

皆人は、震える手を伸ばして、その文庫本を拾い上げる。
ぱらりとブックカバーを外すと、……予想通りのどぎついカバーイラストと毒々しいタイトル、そして黒い背表紙。

「……」

自分の顔に、おそろしく鋭い視線が突き刺さっているのを感じる。
覚悟はしていたとはいえ、やはりこれか……!!
皆人はもはや、月海の顔を見る勇気さえない。

「それが汝の望みか、ミナト」
「……」
「良人を裏切り、愛を裏切り、家族を裏切って、なお恥じる事を知らぬ……そんな薄汚い雌犬が汝の望む女なのか」
「……」
「吾らがどのような目で汝を見ておるかは承知しておるはずじゃ。……にもかかわらず、汝はそのような汚らわしき女の話で興奮し、自らを慰める拠り所としていたと言うのか……!!」
「ちがっ!!俺は――」

そこで初めて皆人は顔を上げたが、そこから先は言えなくなってしまう。

月海は泣いていた。
涙を流してなお凛然と怒りに燃える双眸は、まさしく彼女の名のように、虚空に浮かぶ満月のような孤独な美しさに溢れて返っていた。

「汚らわしい女が所望ならば言うがよい。この月海、どのような男であろうが抱かれて見せようぞ。さような吾の姿で汝が興奮するのならば、良人を裏切りどこまででも乱れ堕ちて見せようぞ。――それが汝の望みであるならば、な」

「ちがうっ!!」

皆人は月海を反射的に抱き締めていた。

「やめてくれっ!!月海が他の男に抱かれるなんて、そんなこと赦せるわけが無いだろう!!」

そう叫んだ瞬間、皆人は、自分が抱き締めていたはずの彼女から、まるで拒むように押しのけられたのを感じた。

「ならば――」



「なぜ汝は、……吾だけを愛さぬ」
「汝が他の女どもを抱くことを、なぜ吾が認めねばならぬ……っっ」
「吾は、しょせん汝にとって正妻ではなく、その他大勢の愛妾の一人でしかないという事なのか……ッッッ!!?」



血を吐くような月海の問いに、皆人は答えられなかった。
一個の女性としては、あまりに当然過ぎる彼女の問い。だが、当然であるがゆえに皆人は、答えとして挙げられる言葉を持たなかったのだ。
やがて月海は、涙に濡れる瞳を伏せ、小さく呟く。

「済まぬ……」
「……」
「わかっておる。いまさら左様な事を問うたところで、どうにもならぬという事はな」
「……」
「ただ、吾の気持ちも分かって欲しかっただけなのじゃ。じゃから――」

そこまで言って、ふたたび顔を上げた彼女には、媚びと悲嘆がない交ぜになった歪な笑みが浮かんでいた。

「つきうみ……」

なぜ彼女が、こんな表情を浮かべるのか。
なぜ俺は、彼女にこんな表情をさせているのか。
呆然となる皆人の胸に、まるではぐれた主を見つけた飼い犬のような勢いで、月海が飛び込む。

「じゃから、な――ミナト、吾を捨てないでくれ。吾を嫌わないでくれ。汝を困らせるつもりは吾にはない。断じてないんじゃ。いまの台詞は忘れてくれ。こんなことを言う気はなかったんじゃ。今でも自慰をしておるのかと皮肉の一つも言いたかっただけなのじゃ。じゃから……」

もういい。
もう聞きたくは無かった。
彼女に似合わぬ歪な笑顔。そして垂れ流される謝罪の羅列。
それら一切を静寂に戻すため、皆人は自らの唇を以って月海の舌をふさいだ。

(ごめん)
(ごめん月海)
(本当にごめん……ッッッ!!)

皆人の叫びと愛情が、物理的な温度を伴って月海の胸に満ち溢れる。

――ああ、ミナト……。

たとえ彼が他の女をどれほど抱こうが、この心地良さ一つを与えられるだけで、胸の孤独は瞬時に埋まってしまう。それほどのぬくもり、満足、幸福感。
あの官能小説に出てきた無節操な雌犬とは違う。
肉体的な快楽などでは決して到達できぬ、魂ごと震えるような、このよろこび。これを知ってしまった以上、たとえどれほど性戯に長けた男に抱かれようが、決して吾らはこの葦牙を裏切ることはない。――月海はそう断言できる。
現に、呼吸困難になりそうな激しさでありながら、互いに舌一つ動かすわけではない皆人とのキスに、自分は感じている。体内の閉じられた部分が、しずくが零れ落ちそうな程の瑞々しさとともに開いてゆく。まるで自分が一輪の花と化してしまったかのようだ……!



「佐橋さん……何をやっているのですか?」



反射的に二人は身体を離し振り返る。
部屋の入口からのぞく、袴姿の美麗な鬼。
先程までの月海をさらに凌駕する、槍のような視線を皆人に突きつける、出雲荘の大家。

「あなたも懲りない人ですねえ、佐橋さん。出雲荘での不純異性交遊は厳禁であると何度も言ったはずなのですが……勉強のしすぎで忘れっぽくなっているのですか?」


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「で、結局、上手くいったですか、月海たん?」
「うむ。おそらくな」

夕食後の松部屋。
いま、皆人と関係を結んでいる五人のセキレイたちは、全員ここに集まっている。
葦牙は、一人でのんびり風呂に入っているはずだから、この秘密会議を邪魔される事も無いはずだ。皆人は存外、風呂が長い。

「まあでも意外よねえ。貴女にあんな芝居が出来るなんて」

見直したと言わんばかりに風花が言う。
だが、月海の表情に明るさは無い。

「じゃが、もうこれっきりじゃぞ。吾としてもミナトをたばかるような真似は、もう絶対に御免じゃからな」
「たばかる?」

月海が使った言葉に、結が一瞬きょとんとなる。その結の膝の上には、幸せそうな顔で草野が寝息を立てていた。

「だます……ってことよ」

風花がにっこり笑って結に説明してやる。結もそれで膝を打つように納得した。

「このあいだ言ってた、ついてもいい嘘の話ですね?」
「そうよぉ。……って言うか、あなた話聞いてた?」
「聞いています。でも、結はムズカシイ話が苦手ですからっ」

胸を張って答える天然少女に、風のセキレイは苦笑いをこぼした。

「だが松よ、吾の芝居で本当に汝が言う通りの効果が望めるのか?やっておいて今更じゃが――吾の泣き損にはならんじゃろうな?」

その問いに、松はにやりと笑って答える。

「心配は要らないのですよ月海たん。みなたんの性格面から検討しても、今日の一幕は充分すぎるほどに、松たちセキレイから、みなたんに対する抑止力となったはずです」

そして、風花も松の言葉を受け継ぐ。

「その通りよ。女優の演技も予想以上にバッチシだったしねぇ」
「……嘘泣きを誉められても、あまり嬉しくはないがの」

月海は、そう言ってうつむいた。

(強がっちゃって……ほんと可愛い子ねぇ)

風花には分かっていた。
今回の一件のあらすじを立てたのは、確かに松である。
だが、あのとき涙ながらに訴えた月海の言葉は、もはや台本上の台詞などではなく、まぎれもなく彼女自身の魂の叫びであったはずだという事が。


「なぜ自分だけを愛さない」
「なぜ自分以外の女を抱くことを認めねばならない」
「自分は所詮、唯一無二の存在ではなく、その他大勢の一人でしかないのか」


このようなギャルゲー的ハーレム生活に於けるタブー中のタブー。そこを正面から突かれてしまった以上、もはや佐橋皆人という男が、自分たち以外の女性に、ハーレム要員のフラグを立てる事はない。
自分への愛を一途に訴えるセキレイたちに、一度でも後ろめたさを持ってしまえば、佐橋皆人という男の性格からして、もはやセキレイたち以外の女に眼を向けることは在り得ない。
一人の人間が、複数の愛を同時に成立させようという努力は、本来とても罪深い行為なのだということを、今日の一幕によって、皆人は十二分に思い知ったはずだからだ。
しかも、それを涙ながらに訴えたのが、いかにも肚に一物ありそうな松や風花ではない。典型的ツンデレ娘たる月海だ。

(これが効かないわけがない)

おそらく皆人は、またいずれ図書館で例の少女と会うことがあったとしても、今日のように親しげに接することは、もうできないはずだ。いや、その少女だけではない。皆人に近付く女はすべて排除せねばならない。そのためにこそ、何日も前から計画を練ってきたのだから。

――皆人に、自分たち以外の女が接近したその日に、計画を発動するために。

まあ、あのタイミングで美哉が邪魔に入るように段取りを組んだのは、あれ以上、月海個人が役得を独り占めするのを妨害するための悪意なのだが、そこまで教える必要は無いだろう。皆人の愛は、やはり彼女たち全員で平等に分け合うべきモノだからだ。

――そう、葦牙はセキレイのものだ。人間(サル)の女などに絶対渡す気はない。仲間内で奪い合うのはそれからでいい。
風花は、松と目を合わせると、にんまりと笑った。


「でも、今度の一件で、みなたんの監視をさらに強化する必要があるということが分かりましたからね。これからも力を合わせていきましょう」






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