手のひらは性感帯(非エロ)
リュカ・ボドリー×野田恵


「ほんとに、おっきくなりましたね……」

のだめは日当たりのいい中庭でランチをとりながら、横でバゲットを頬張っているリュカを見た。
……座高はもう、ほとんど変わらない。
見下ろしていた顔が今は真横にある状況に、微妙な悔しさを感じるのは何故だろう。
なんとなく、知らぬ間に弟に身長を追い越された時と、この気持ちは似ている気がした。
リュカはもぐもぐとバゲットを平らげている。
その食べっぷりが、いかにも伸び盛りの男の子だ。

「のだめはもう伸びないの?」
「のだめデスか?……のだめはもう、伸びないと思いマス……多分」

そうなんだー、残念だネ! とリュカは晴れやかに、にこっと笑った。
その笑顔はのだめの知っている幼い笑顔とぜんぜん変わっていなかった。
まったく残念そうじゃなくて、それはむしろとても得意そうだったので、のだめは苦笑した。

「……そんなに急に伸びて、関節とか痛くないんデスか?」
「うん、実は膝とか肘とかあちこちまだ痛いんだよ、ほら」

リュカがのだめの手首を掴んだ。引き寄せて自分の手首から肘までと重ねる。

「ここは、もうのだめと同じくらいでしょ?急に伸びると痛いぞ〜って聞いてたけど実際……」

言いかけて、リュカがふと黙ってのだめの顔を見た。

「? なんデスか?」
「のだめ、大丈夫?」
「え、な、なにがデスか」
「顔、赤くない? やっぱりここ暑かった?」
「え、平気デスよ。気のせいじゃないデスか?
…………リュカ、……手、ほんとに大きくなりましたね」

リュカの手は、のだめの手首をぐるりと掴んで、まだ指に幾分の余裕が出来ていた。
握る指先も強くって、それでもまだ力加減されているのだと、その手から伝わってくる。

……それは、まるで、千秋先輩みたいで。

そう感じてしまった途端に、のだめはなんだか落ち着かなくなってしまった。
おかしい、目の前にいるのは、あの子供で可愛らしかった、リュカなのに。
取り繕うように、のだめは言葉を重ねる。

「きっと……弾ける曲がいっぱい増えますヨ。リストとか、……ラフマニノフとか」
「へへ、ピアニストの指は絶対大きいほうがいいからね、うん、よかったな〜」

リュカは嬉しそうに笑って、のだめの手首を握るその手を上に滑らせた。
ぎゅっと、のだめの手のひらを握る。
伝わる温度が熱い。子供の体温だからなのだろうか。

「のだめの手、女の人にしては大きいよね」
「そうデスか……?」

うん、と頷いて、リュカはのだめの手を握ったまま、指先を自分の頬に添えた。

「もうすぐ、僕の手も、のだめの手くらいには追いつくよ?」
「……この前会ったときも、そう言ってましたネ」

そうだっけ? とリュカはいたずら好きそうな表情を瞳に覗かせた。

「実は、のだめより、もっとすっと大きくなるといいなーって思ってるんだけど」
「えー?……リュカなら、のだめくらい、すぐに追い越しますヨ」

言って、のだめはその手を握り返してやった。
しなやかで伸びやかな指の柔らかさが、握る指先から伝わってくる。

「身長も絶対に追い越すよ?」
「え、どのくらいデスか?」
「そうだねー、のだめより、30センチくらいかな?」
「そしたらリュカは190センチオーバーですヨ? ほぁぁ、巨漢のピアニストですネ〜」

えへへー、と無邪気にリュカは笑った。
伸び盛りの自分を得意げに、これからの自分を純粋に楽しみにしている、そんな笑顔だった。

それを見て。
のだめは少しの寂しさと、かすかな罪悪感を感じたのだった。
もうすぐ、こうしてリュカと自分が無邪気に手を重ねあうことは無くなるのだろう。
それはこの自分が、こうして今握っている少年の熱い手のひらを、千秋の大きくて固い、
熱い手のひらと重ねてしまっているからでもあった。

リュカも、男の子なのだ。
二十歳を過ぎた自分の背を追い越した時点で、千秋先輩と同じ、男の人になってしまうのだ。

なごやかに自分の手を握りながら、これから弾いてみたい曲を挙げているリュカに頷いてやりながら、
のだめはリュカの横顔にその未来のピアニストの姿と、舞台の上で指揮棒を握る恋人の姿を重ねた。
どちらもそれはとても魅力的だった。
そして、どこか自分には届きはしない寂しさを、のだめは想像の二人のなかに、感じてしまうのだった。






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