私を温泉へ連れてって 露天風呂編
千秋真一×野田恵


カコーンと檜でできた湯桶の音が響き、温泉の注ぐ水音が静かに聞こえる。

「ふうっ・・・」

汗だらけの身体に熱い湯を浴び、ほっと溜息をつく。
ほんのり檜の香がする檜風呂は外からガラス張りになっており、
外に続く露天風呂が見え、その向こうで見事に手入れされ、雪に彩られた美しい日本庭園が見えた。
風呂椅子に座ってぼんやりそれを眺めていると、先ほどの先輩との激しい情事が嘘のように思えた。
ふっと自分の身体を見下ろす。
その胸に鎖骨に腕にその情事の証である、紅色の刻印が無数にしっかりと刻まれていた。
ついさっきまで、先輩の美しい唇が指が手がそして先輩自身が、
私の唇に、耳朶に、うなじに、鎖骨に、胸に、乳首に、腕に、手に、太ももに、そして私の一番恥ずかしい部分に触れ、
舐め上げられ、愛撫され、激しく突き上げられたていたことが、まるで夢の中のようで信じられなかった。
そんな先輩の愛撫に我を忘れてあえぎ声を上げ、快楽に酔っていた自身を思い出し、急に恥かしくて堪らなくなった。

「はうぅ・・・、先輩どう思ったんでしょうね〜。」

学生時代から、部屋の汚さとか、不潔さとか、料理の不味さとか、全部ばれていて(というより自らばらしていて)、
今更という気がしないではないものの、やはり男女の情事に関しては、さすがの私も恥じらいを感じずにはいられなかった。
あの日―初めて先輩と一線を越えてから、先輩は夜毎私を求めてくるようになった。
でもそれは、先輩らしくあくまで紳士的で、けっして無理強いはせず、いつでも私の身体を労わりながらのセックスだった。
だから、先ほどの嵐のような激しいセックスは初めてで、私も正直戸惑いの中にいた。

―本当はいつもお前を欲しいと思ってる。毎日でも一日中でも・・・それこそ滅茶苦茶に抱きたいっていつも思ってる。
でも、お前にもし嫌われたらって思うと怖くてそんなこと知られたくなかった―

さきほどの先輩の告白を思い出し、思わず顔がかあぁと火照ってきた。
そんなこと思っていたなんて・・・思われていたなんて・・・全然知らなかった・・・。
てっきり、嫌われてると・・・飽きられてると思っていたから・・・。

つい1ヵ月前の夜をふと思い出す。
あれはオクレール先生の特別レッスンが夜遅くまで続いたある夜、千秋先輩が久しぶりにパリに帰って来ていた。
久しぶりの再会に、

「千秋センパーイ!会いたかったデース!」

と抱きつきながら喜びを表現しつつも、欠伸をしつつ自室に帰ろうとした私の首根っこを先輩が掴んだ。

「・・・おい・・・どこ行くんだ・・・?」

明らかに不機嫌に凄む。

「どこって・・・のだめの部屋デスよ?もう寝に行かなきゃ。お休みなさ〜い♪」

能天気に答えてくるりと背を向けると、さらに強く首根っこを掴んで引っ張られた。

「おいっ!折角久しぶりに会ったっていうのに・・・!色々・・・することがあるだろ?」

明らかに真っ赤になった先輩に、けろりと言った。

「先輩〜、のだめ最近レッスンが忙しくてすっごく疲れてるんデス。話なら明日にして下サイ!」

そう欠伸をしながら言うと、呆然としている先輩の鼻先でバタンとドアを閉めたのだっった。

その夜から、先輩は一度も私の身体を求めなくなった。
いつも忙しそうで、たまに帰ってきても自室に閉じこもってずっと勉強と練習をしていた。
食事を共にするものの、なんだかまともに目を合わせてくれず、話もなんだか上の空で、
食事が終わるとすぐ部屋から追い出された。
そんなこと、以前の先輩なら日常茶飯事だったのに、やはり一線を越えた後の行動だっただけに、
先輩に嫌われたのかとすごく不安で寂しくて・・・おにぎり作りに行ったり、頑張って部屋の掃除をしたり、
念入りに身体を洗ってみたりしてみた。(入浴や洗髪は、一線を越えてからは毎日するようにしたけれど。)
でも、無視され続けた状態が続いたある日、先輩から突然日本に一緒に帰るように言われた。

「むきゃ?のだめも一緒に帰っていいんデスか?」

洗濯物が溜まっていてパジャマの着替えがなく、しかたなくTシャツ一枚で応対したのだめに、
先輩はなぜか赤面した顔をそむけながら答えた。

「ああ、母さんの命令だからな。お前も早く洗濯物を洗濯しろよ!日本に着替えを持って行けなくなるぞ!」

そう言うとバタンと乱暴にドアを閉められた。

―先輩・・・まだあのこと怒ってるんデスかね・・・先輩はもうのだめのことなんか嫌いになりましたか・・・?―

その時、ふっと窓から月の光が差し込み、辺りを照らした。

―パリの月光浴デスね―

そう思い窓際に行って満月を見上げていると、ベッドサイドにいつかのミルヒーから貰った時計が
淡い月明りに照らされていた。

「・・・これ・・・前に先輩がここに置いていったんだ・・・。」

―先輩の幼少期の傷を見せてくれ、癒さす手伝いをさせてくれた、魔法の時計―

そっと手に取り、そのまま洗面台の鏡の前に立つ。

「のだめにも、魔法をかけてくれませんか・・・?」

そう小さく呟くと、時計の鎖を振り子のように揺らしながら、のだめは時計と鏡の中の自分の顔を同時に見つめる。

「・・・どうか、先輩が今度私を求めてきたら、素直に受け入れることが出来る・・・可愛い女にになれますように・・・。」

そのまま、じっと揺れる時計を見つめていた。

「・・・バカみたいデスね・・・時計なんかに頼らないで、自分で解決しなかきゃいけないことなのに・・・。」

そう呟くと、時計をいつかのハート型のオルゴールにしまった。

「日本に帰ったら、先輩に思い切ってぶつかってみましょうネ・・・。」

ベッドに潜り込み、窓から見える月を眺めながら、まどろみの中、そう呟いた。

―もしかして、あの催眠術が本当に効いちゃったんデスかね〜!!!―

そこまで思い、のだめはサーッと血の気が引いた。
そう思うと、普段言わないような恥ずかしいことをいっぱい言ったりやったりしてた・・・気がする・・・。
淫乱な女が・・・どうとか・・・滅茶苦茶・・・とか・・・。

「はうぅ〜!恥かしいデス〜!!!」

思わず両手を押さえて絶叫していた。

「何が恥ずかしいって?」

風呂場によく響くこの素敵な声の持ち主は・・・。

「何さっきからお前青くなったり赤くなったりしてんの?ほんっと変な女。」

そう言いながらも先輩の声と表情は優しさに満ちていた。

「せ、先輩〜!な、何入ってきてるんですか!」

思わず、慌てふためく。

「何って・・・おまえが待ってるって言ってたからだろ?」

そう言うと、先輩はに右手に持っていた湯桶を水道台の上に置き、左手に持っていた風呂椅子を私の後ろに置いた。

「さて。」

と先輩は私の後ろに座りにんまりと意地悪く笑った。

「ほぇ?」

思わず、身体を隠すことも忘れて聞き返す。

「さっきの約束。身体洗ってやるって言っただろ?俺は約束を守る主義なの!」

そういうと、シャンプーを手に取り、掌に出した。

「久しぶりに洗ってやるよ。頭。」

そう言って、優しく私の髪に触れた。

「先輩・・・いいデスよ〜!」

と慌てふためきながら逃げようとした時、ふと、目の前の洗面台の鏡の中の写っている自分の目が合った。
すると―

「・・・先輩。優しく・・・お願いしマス・・・。」

そう言いながら、振り向きつつ先輩の首に手をまわして自ら唇を重ねた。

―あ、暗示、まだ解けてなかったんデスね〜!!!―

と内心思いつつも、こうして先輩に素直に甘えることが堪らなく心地よかった。

―なんか、このままでも悪くないかも・・・―

暗示にかかっていることを自覚しつつも、それに甘んじて受け入れることにした。

先輩の唇を、舌を絡ませ、歯茎をなぞり、強く吸い上げる。

「・・・ん・・・あふ・・・」

風呂場の中でお互いの舌が絡まる音や吐息がエコーされ、身体の中から何かが熱く燃え広がった。
じんわり、先ほど先輩が入っていた部分に再び熱いものが溢れ出すのを感じた。
そのまま、全裸のまま強く、強く抱きあい、お互いの唾液をむさぼり合った。
やっと先輩の唇を解放したとき、先輩はなんだかワインに酔っているような顔をしていた。

「・・・今日のお前って・・・本当に別人みたいだな・・・。」

そう言いながら強く抱き締め、私のうなじに唇を落として強く吸い上げた。

「・・・こんな・・・のだめは・・・ん・・・イヤ・・・デスか・・・?」

内心ドキリとしながらそう聞く。

「・・・とんでもない!・・・ただな・・・」

そう言って先輩は私の拘束を解き、優しく見つめる。

「俺は・・・のだめなら、なんでもいいよ・・・。
変態でも、無神経でも、ズボラでも、恥ずかしがりでも、淫乱でも、痩せてても、太っても、年取っても・・・
そのままの、ピアノが大好きなのだめがいいな・・・。」

優しくそう言って、再び強く強く抱き締められた。

「・・・さ、髪洗ってやるぞ・・・って、おいっ!何泣いてんだ・・・!」

今度は先輩慌てふためく番だったが、私はボロボロ零れる涙を止めることが出来なかった。

―私は、何をこんなに悩んでいたんだろう・・・
目の前のこの人は、誰よりも優しくてこんなにも私を想っていてくれたというのに―
私は、ただ大好きな胸の中で子供のようにわんわんと泣くことしか出来なかった。
先輩はただ、優しく私の身体を抱きながら子供をあやすようにずっと髪を撫でてくれていた。

「・・・落ちついたか・・・?」

やっと落ち着いてきた私に、先輩が優しく囁いた。

「・・・ハイ・・・ゴメンナサイ・・・。」

私はしゃっくりをあげながら答える。

「・・・全く、いきなり泣き出したりして、おまえって本当に変な女だな・・・。」

言葉はきついけど、私を抱くその手と口調はいつになく優しかった。

「・・・先輩・・・。」
「・・・ん?」

先輩は優しく私を見つめる。

「・・・1ヶ月前は・・・先輩を拒んで・・・ゴメンナサイ・・・。」

うつむきながら、1ヶ月間ずっと言いたかった贖罪の言葉を口にした。

「・・・いや、俺こそ・・・ごめんな?無理強いして。」

そう言って、先輩は私をより一層優しく抱きしめた。

「・・・あの後、すごく反省したんだ。おまえも一生懸命ピアノを頑張ってんのに、無理に抱こうとしてさ・・・。
俺のやってることはすごく無神経なことだって気付いたんだ。
だからおまえと少し距離を見守ろうって思ったんだけど・・・。」

そこで一旦言葉を切った先輩は、なんだか妙に顔を赤らめながら続けた。

「・・・だけど、おまえを身近に見てると・・・その・・・無理やり抱きたくて・・・我慢できる自信がなかったんだ。
だから、わざと突き放して、冷たくしてたんだ。・・・本当にごめんな・・・?」

そう言って、私の唇にそっと唇を寄せてきた。
触れるだけのキスなのに・・・まるでしびれるように体中に快感が広がってゆく・・・。

―なんてこの人は優しくて・・・そして暖かい人なんだろう・・・―
この人の腕に抱かれ、愛情を注がれることに、体中が幸福感に満たされる。

―この人が求めることなら、どんなことでもしたい・・・どんなことだって・・・―
先輩の腕に抱かれながら、ふと、鏡を見る。
そこに映っている自分を見つめていると、やっとわかったような気がした。

―私は暗示にかかってたんじゃない。大好きな先輩のためだからこそ、先輩の望む女になりきりたかったんだと―

「・・・先輩?」
「・・・うん?」

先輩は優しく答え、私の顔そっと覗き込んだ。

「・・・さっき、先輩はのだめならなんでもいいよ・・・!って言ってくれましたけど、本当デスか?」

真剣な顔で先輩の顔を見つめる。

「もちろん・・・!嘘じゃないぞ?」

と、先輩は優しく答える。

「・・・じゃあ・・・今日はどんなのだめがいいデスか?」
「はぁ!?どんなって・・・。」

突拍子のない質問に明らかに面食らっていた。

「いつも通りの、恥ずかしがるのだめがいいデスか?それともさっきの淫乱なのだめがいいですか?」
なおも食い下がる。
「・・・どっちかって・・・まあ・・・どっちかっていったら・・・そりゃあまあ・・・さっきの・・・淫乱な・・・のだめかな〜!?」

顔をあさっての方を向けて、真っ赤な顔をしながらぼそぼそと呟く。

「・・・わかりました!先輩!今日は先輩の希望通りののだめになりマス!」
「はぁ!?おまえ何言って・・・。」

戸惑う先輩を尻目に、風呂椅子に座りなおし、

「先輩!シャンプーして下サイ!」

そう言ってにっこりと先輩に笑いかけた。






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