命を賭ける理由
上條恭介×美樹さやか


潔癖症な病室の扉。
そのドアノブに手をかけた瞬間、聞きなれない音が私の耳朶を叩いた。
違う。聞きなれない訳ではない。
しばらく聞いていなかった音。もう二度と、聞く筈の無かった音だ。
私はゆっくりと、病室のドアノブを回す。
わずかに開いた扉の隙間から漏れ出た夕陽の赤に混じって、確かに聞こえるのは控えめな旋律。
私は扉を開く。
ベッドの上では、赤銅色の錆びた太陽に融け込むようにして、恭介がヴァイオリンを弾いていた。
入院用の服と楽器との対比がどこか微笑ましくって、私は知らず知らずのうちに口元に笑みを浮かべていた。

「……さやか。来てたなら、声をかけてくれれば良かったのに」

何分経っただろうか。
ふと恭介は楽器を弾く手を止めて、私を振り向いた。

「手、治ったの?」
「うん。自分でも信じられないんだ。先生も、奇跡だって」

奇跡という言葉を噛み締めるように、恭介は自分の左手を撫でていた。
私と恭介は沈黙する。
何か言うべきなのに、上手く言葉が出てこなかった。

「昨日は、ごめん」
「ううん。大丈夫、気にしてないから」

私は病室に常備してある椅子に腰掛けた。
いつも通りの光景。違うのは、恭介の手が動くこと。
それはきっと、決定的な違いだった。

「さやか、なのかい?僕の手を治してくれたのは」
「…………まさか。私にそんな力があるわけないじゃん。きっと神様が恭介のこと見ていて、くれたんだよ」

この答えは準備していたはずなのに、いざとなると上手く言えなかった。
私が治したんだと伝えたい。だけど、それは言ってはいけない気がした。だから私は、黙っていることを決めていた。

「そっか……」

再びの沈黙。
開け放たれた窓から入ってくる風の音だけが、病室の中に響いている。

「だけどね、さやか」

言って、恭介はベッドの上から手を伸ばして、私の頭を抱え込んだ。
恭介の薄い胸板に、コツンと私の額が当たる。

「ちょっと――――ッ」
「ありがとう、さやか」

突然のことに戸惑う私が聞いたのは、恭介の涙混じりの感謝だった。

「昨日、突然腕が動くようになったとき、さやかの声が聞こえた気がしたんだ。
何があったのか分からないし、話したくないなら話さなくていい。だけど、ありがとう。本当に僕は、この手が動くようになって、嬉しいんだ」

恭介の心臓の鼓動が聞こえる。
薄い布地を介して、壊れそうなほど激しく恭介の心臓は脈打っていた。

「恭介、心臓がバクバクいってるよ」
「ッ――――」

私に指摘されて、慌てた様子で恭介は私を解放する。
普段は色白な恭介の顔は、真っ赤になっていた。

「お、おいっ!」

私は手を伸ばして、恭介の左手を掴む。
確かめたかった。私の命を賭けた奇跡の結果を。

「綺麗な指だね」
「男に向かって、キレイとか言うなよ」

拗ねたように言う恭介。そっぽを向くけど、少し間があって私に向き直った。

「だけど、この手の半分はさやかの物だよ。きっとさやかが居なかったら、この手は動かなかったから。
だから僕の演奏は一人だけのものじゃない。半分はさやかの物なんだ」

自分の言葉が恥ずかしかったのか、唇を噛んで俯く恭介。
私の目の前には、半分は私の物だと言った、恭介の綺麗な指がある。
何故だか、ひどくこの手が愛おしく思えた。
私が魔法少女になった理由で、命をベットして手に入れた物。
そっと、私は騎士がお姫様にするみたいに、片膝をついて恭介の左手にキスをした。

「さやか――――?」

戸惑う恭介をよそに、私はキスだけでは満足出来なかった。
もっと、この手を近くに感じたい。
それは溢れる程の激しい誘惑で、抗うことは出来なくて、私は恭介の左手に舌を這わせた。
私の舌が恭介の手の甲をなぞる。
その度に電流が私の背筋に走った。私は頬を紅潮させながら、恭介の左薬指を口に含み、舌を絡める。
まるで男根を愛するように、私は恭介の薬指を愛撫する。第一関節の辺りを舌で圧迫すると、恭介が切なげな声を漏らした。
じゅる、じゅると、どこか淫靡な音が病室の中に響いている。

「や、やめろって……」

息も絶え絶え、といった様子の恭介の言葉に従って、私は恭介の指から唇を離す。

「ぇ……」
「やめて欲しかったんでしょう?」
「そ、そうだけど」

どこか心細そうな表情の恭介。
まるで知らない人間を見るような表情は少し悲しかったけど、それを吹き飛ばすくらい、私の体内にはマグマのような感情が滞留していた。
吐き出す息が、火傷を負ってしまいそうに熱い。

「ねぇ……恭介」

私は制服のボタンに手をかけながら、彼の名前を呼んだ。
胸元をはだけて、素肌と下着を恭介の前に私は晒す。
恭介の目には戸惑うような光と、今まで見たこともないような熱が宿っていた。
視線の突き刺さっている部分が、焼きごてを当てられたみたいに熱い。
恭介になんと思われても構わなかった。
だけど私は、確証が欲しかった。命を賭ける理由が欲しかった。
確かな何か。そんなモノは無いのかも知れないけれど、恭介と体を重ねれば、それが分かるような気がしていた。

「さやか、君は――――」

恭介の言葉を無視して、私は彼のベットに潜り込んだ。
流石に二人では狭くって、否応なく体が密着する。
そんな状況で私は恭介の耳元に、顔を寄せた。

「私を――――抱いて、欲しいん、だけど……」

囁いた私の言葉に、恭介の肩がビクっと震える。
そして私は、思いの外強い力で肩を掴まれた。

「僕は……」

恭介の目はまるで肉食獣のそれだった。
相手を容赦なく食らう獣の目。なんだ、そんな表情も出来るのかと私が感心していると、下着越しに胸を圧迫された。

「んッ」

くすぐったいような、何とも言えない感覚に意識を集中していると、ベッドの掛け布団が恭介によって取り払われる。
私に覆いかぶさるような体勢の恭介の息は、ひどく荒かった。
恭介の腕がスカートのホックへと伸びる。一目見るなり外し方は分かったようで、するりと器用に私のスカートを脱がせる。
そして恭介の指は、ゆっくりと私の下着の中に潜り込んだ。

「あっ……いや……」

恭介の左手の指先が、先ほどのお返しとばかりに私の秘裂を上下にさする。

「はぁ、あぁ……ッ」

体全体に震えが走る。体の最奥が疼いていて、もっと、分からない何かを求めていた。
湿り気を帯びた下着を脱がされ、それは丸まってベッドの端に転がされた。
秘所に感じる空気が、ひどく心細かった。

「だめ……」

私の言葉を聞かず、恭介は太股に手をかけると、抗う私を無視して両足をひらかせた。
何も隠すことが出来ず、私の性器が恭介の眼前に晒される。
まじまじと凝視されて、顔から火が出そうな程に恥ずかしかった。

「……さやか」
「ィ……ひぅっ!」

秘所に顔を近づけた恭介は、その舌で私のクリトリスを刺激する。
いきなり訪れた直接的な刺激は、私の脳をスパークさせる。視界が霞んで、息をするのも辛いほどだった。

「い、いやぁ……恭介ぇ……」

絶え間ない刺激に、私は目尻に涙を浮かべながら恭介に助けを求める。
恭介は私の陰核から口を離すと、自分のズボンと下着を勢い良く下ろした。
股間にいきり立つ男根に、私は何故だか親近感を覚えた。限界まで高まっているそれは、今の私と同じような気持ちなんだろう。
恭介も、感じてくれている。そう思うとなんだか嬉しかった。

「さやか。大丈夫?」
「うん、いいよ。恭介」

ヌッと、私の膣口に恭介の先端があてがわれる。
息が苦しかった。
私が手を虚空で彷徨わせていると、それを恭介の手がガッチリと掴んだ。

「いくよ」

ズブズブと恭介の熱い塊が入ってくるのが分かる。

「はぁッ……ッゥ……」

恭介の動きが途中で止まる。
膣内の抵抗に戸惑っているようだった。私は痺れるような、痛みなのか、快感なのか、それさえも分からない感覚の中で、恭介の名前を呼ぶ。
ギュッと手に力を込めると、恭介の掌からも力が返ってきた。
そして恭介は抽送を再開して、勢い良く私の最奥に到達する。
何度も何度も、恭介は私の中を往復する。
膣壁が亀頭にさすられる感覚に、ちりちりと脳が火花を散らしていた。

「さやか……ッ!」

感じる男根の大きさが一段と増す。私も、何がどうしているのか、よく分からない中で、助けを求めるように恭介の名を呼んでいた。

「怖いよ、恭介ぇ。駄目……ッッ!ヒッゥ!」

視界が霞む。熱病に侵されたみたいに、体全体が急激な熱を放った。
直後に膣内に放たれた熱い滾りは、私の精神を焼き切る程の衝撃を体に走らせる。
恭介が男根を引き抜くと、ドロリと私の膣口から垂れた精液と破瓜の血が、シーツを汚した。

「ねぇ、さやか」
「なに?」

行為の後、私達二人は小さなベッドの中で、体を寄せ合っていた。
おもむろに恭介は冊子を一つ、私に手渡す。

「これは……」
「楽器のカタログだよ。さやかも、音楽始めてみない?聞くだけじゃ面白くないだろう。僕が教えるからさ」
「でも……私、こういうの得意じゃないんだけどなぁ」
「まぁ、さやかって不器用そうだしね」

そんな恭介の一言に、私の眉はピクッと動く。

「アンタねぇ。私のどこが不器用だっての?」
「色々と。だけどさやかは、自分のこと不器用じゃないと思ってるんだ?」
「あ、当たり前よ」
「じゃぁ僕に証明して見せてよ。決まりだね、ヴァイオリンは僕が昔使ってた奴があるから、それを貸してあげる」
「ちょっと……え?えぇ?」

それからしばらくして、面会時間が終わったので私は恭介の病室を後にした。
鞄の中には恭介から無理やり押し付けられたヴァイオリンのカタログと、教本が一冊ずつ。

「参ったなぁ……」

なんて頭を掻きつつ、まんざらでもない思いを抱きながら、私は非常階段で屋上を目指す。
屋上にたどり着くと、強い風が私の頬を撫でた。
既に錆びた太陽は朽ち落ちて、夜の闇が世界を支配している。

『後悔、してないかい?』

どこからか、そんな声が聞こえた。
奇跡を起こした白い獣の声。

「当然。後悔なんかしない」

私は魔力を練り上げ、武装する。
腰の帯剣が、かちゃりと、まるで歓喜するように音を立てた。
抜剣すれば、凶器は月光を照り返し、鈍色に輝く。

「嫌な、香りがする」

ネオンの明かりが煌めく街の中。夜風が運ぶのは春の香りと、腐った匂い。
魔女の匂いだった。今宵も魔女はこの街に蠢いている。

魔女――――それは、夢を見続ける為の糧。
私は命をベットして、奇跡を起こした。
その奇跡を続けるには、一つ条件がある。魔法少女として、魔女を狩り続けること。
それが不可能なら、奇跡は意味を成さない。
魔女か己に食われて、奇跡を起こした夢の時間は終わる。
私はこの、恭介の手が治った、奇跡が起きた夢を、終わらせる気は無かった。

「マミさん。私はアナタみたいには、なれない」

私の剣は、私利私欲の為だけに使われる。
当然だ。魔法少女とはそういうものだ。奇跡を味わい続けるため、魔女を狩り続ける存在。
既に奇跡を起こした時点で何かを踏み外したのだろう。だが、それでも私は構わなかった。
ヒトでは叶えられない願いを、悪魔が叶えてくれると言ったのだ。

『さやか、君は優秀な魔法少女だね。自分の欲望に、とても忠実だ』

キュゥべぇの皮肉のような言葉に、私は口角を持ち上げる。
そして一歩、踏み出した。

「さぁ、行くよ」

病院の屋上から、漆黒の夜空へと跳躍する。
その時、病室からヴァイオリンの音色が聞こえた気がした。
私の好きなドビュッシーの曲だった。






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