矢部先生の受難の日々(非エロ)
矢部淳平×太田川奈津


その日、矢部は恐らく初めて太田川のことを「美人」だと思った。
普段、如何見ても院卒の研修医というよりもティーンズにすら見える童顔なせいだろう。「可愛い」の部類程度にしか見ていなかった。いや、それよりも彼女が恋愛対象になってしまう日が来るなんて毛頭思いもしなかった、と思う。
だが、現実問題今こうして向き合ってみると童顔な表情も所詮彼女の一面にすぎないことがわかる。

「おい、起きろって、太田川」
「……んー……やべくん……? いまなんじぃ……」

か細い声にほんのり朱色がかった頬。大きな瞳。口紅を塗らなくても十分にピンク色の、弾力がありそうな唇。……意識して見てみると、十分、美人だ。
立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花……とはいえないタイプの人間だ。
ホケホケしていて、放っておいたら風船のようにどこかにふわふわと飛んでいってしまいそうな、マイペースさ。見ていて放っておけない、子犬のようなタイプ。

「起きろ、ほら、もう三時だぞ」
「……んー……」

例えば、この子供っぽくもあるけれども何処か女らしさを持った彼女が自分の腕の中で眠ったとしたら。
例えば、そのはっきりとした大きな瞳が涙で濡れて自分の名前を呼んだら。
例えば、自分の下に組み敷かれて白衣の下の見えぬ肌が露になったとしたら。

「……やっべ……」

中学生か、俺。思わず内心ツッコミを一つ。 同期の裸体を想像し、濡場を妄想するだなんて余程疲れているのだろう。己に呆れ果てて、けれどもどうにもこうにも起きそうに無い太田川に苦戦し、矢部はさらに大きな溜息を零した。

「もう食べられない……」
「……呑気なヤツ」
人の苦悶も知らないで。頭をくしゃくしゃに撫でてやれば不快そうに眉を顰めて嫌そうな顔をする彼女の顔が映った。
ざまぁみろ。

「起きなかったお前が悪いんだからな、寝込み襲われないだけ感謝しろよ」

人差し指で額を小突くと大貫婦長と城島が何ともいえないニヤニヤした笑顔で入ってきたので、慌てて立ち上がりガシャーンと金属が落ちた音が部屋一帯に響き渡った。
その結果飛び起きた太田川に「矢部君どじだねぇ」と笑われたのは、言うまでも無い。
可哀想な研修医・矢部淳平のジグザグ方向に突き進む彼の恋路に幸せゴールはあるのだろうか。そしてその相手は本当に太田川奈津なのだろうか。
全ては神のみぞ知る。

「うーん、ジーザス!矢部に幸あれ、アーメン」
「馬場先生、何言ってるんですか?」
「おう、桜井、聞いて驚け〜」

……矢部淳平の苦難の日々は続くようである。






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